銀河の果てより、貴方へ。
【木星の甘味】
今日は牧の希望で本屋を訪れている。前日に仙道から連絡が入り、少し悩んで返信した結果だ。
『明日会えるの楽しみです。集合はいつもの公園にしますか? それとも、どこか行きたいところはありますか?』
普段であれば、互いがよく知るバスケットコートが併設された公園に直接集合し、それから行き先を決めている。これまでに事前に話し合う事はあまりなかったし、それで牧も良しとしていた。いきなり行きたい所と言われても……と少し思案した後、そういえばとふと思い出した。
『前もって決めるのは珍しいな。それなら、本屋に寄ってもいいか? 買おうと思ってたバスケの雑誌が無かったんだ。店員に聞いたらちょうど明日入荷すると言っていたから、買いに行きたいんだが……』
『前回オレの用事に付き合わせちまったんで、もしどこかあったらなって思っただけっすよ。んで、本屋すね。おっけーっす。どこのすか?』
『オレの最寄駅近くの所だ』
『んじゃそっちの駅に行きますよ。一時集合で大丈夫でしたっけ?』
『あぁ、問題無い』
『了解っす』
そうしたやり取りを経て、目的の雑誌を手にする事が出来た。購入するまでの短時間とはいえ、退屈させてしまうかと思っていたが、仙道はのんびり店内を回ったり釣り関連の雑誌を立ち読みしたりしていた。寧ろ仙道を呼びに戻ったくらいだ。
「あれ、意外と早かったっすね」
「すぐ見付けられたからな。お前こそ、何かいい本でもあったのか?」
「んー……普段来ない本屋だったんで、つい色々見ちまって。待たせてすんません」
「いや、それはいい。元はオレが付き合わせたんだからな。暇してないならいいんだ。さて、オレの用事は済んだが……この後はどうする?」
何も無ければこのまま解散になってしまうが、それはそれで少し物足りない気もする。バスケをしようと言うのか、仙道も用事が無いなら帰ると言うのか。こちらの予定に付き合わせていた為、委ねてみたい気持ちがあった。
「あ、それなら、ちょっと行ってみたい所があるんすけど……今日行っていっすか?」
「いいぞ。どこに行くんだ?」
「内緒す。……今はね」
唇に人差し指を当てて口角を上げる仙道の姿は、様になっていると思った。
本屋を出て、二人は歩く。次の目的地は仙道しか知らず、共に探したいと申し出ても、今日集合した牧の最寄り駅近くだと答えるだけ。つまりやんわり断られてしまった。今の牧に出来るのは、右に左にとうろうろ移動する仙道の後ろを、着いて歩く事だけだ。本心を端的に述べると、辿り着けるのかそろそろ心配になってきた。
「……なぁ、仙道。本当にこの駅の近くに、」
「あった! 牧さんここっす、ここ!」
勢いよく振り返った仙道と、至近距離で目が合った。数回の瞬きの後に、照れたように仙道は笑う。
「悪ぃ、近付きすぎた」
「いやぁ、迷っちまってすんません……ちゃんと調べておけば良かったな……」
「元々今日来る予定でも無かったんだろ? 仕方ねぇよ」
「そう言ってもらえると助かります。さ、どうぞ入って入って」
「おう。……って、お前の家じゃねぇだろ」
「いらっしゃいませ、二名様ですか? では……こちらの席へお掛けください」
店員に軽く会釈をしてから座る。興味からぐるりと見渡せば、席は疎らに埋まっていた。会話があまり聞こえてこない事から、このカフェの雰囲気を楽しんだり、一人で過ごしたりする人が多いのかもしれない。店内で流れている音楽を聞き取れるあたり、そうなのだろう。この音楽は、確かクラシックの……何だったか。カウンターの隅に置かれたレコードプレーヤーから聴こえてくる曲は、どこかで聞いた事があるような気がする。回っている黒い円盤と、その円盤を仕舞うケースに書かれたタイトルと思しき英語を見ても、何の曲なのかは思い当たらなかった。
「いい雰囲気だな」
「そうっすね。はい、メニューっす」
「サンキュ。……へぇ、意外とボリュームがありそうだな」
「後ろの方には飲み物もあって……」
「失礼致しますっ、ご注文はお決まりでいらっしゃいますか?」
牧がページを捲ると同時に、アルバイトと思しき店員が現れた。まだ選んでいる段階だが、注文を取る気満々といった表情をしている。胸元の名札の隣、並んだ若葉マークに気が付いてしまい、断るのもどうにも憚られた。それはどうやら、仙道も同じのようだ。
「あー……後から追加の注文って出来ます?」
「はいっ、お受けしてます!」
「そうなんすねー……牧さん、飲み物だけ勝手に頼んでいいっすか?」
「あぁ、いいぞ」
「あざす。じゃあ……クリームソーダを二つで」
「かしこまりました、少々お待ちください!」
声を弾ませ、店員はカウンターへと戻っていく。それよりも、仙道の選んだメニューに驚き、声を上げそうになってしまった。
「……ふふ、牧さんどうしました? 目ぇ真ん丸っすよ」
「確かに任せはしたが……まさか、クリームソーダを選ぶとはな……」
「あ、嫌いでした?」
「大丈夫だ。ただ、最後に飲んだのはいつだったかと思ってな」
「よかった、飲めなかったらどうしようかと……」
「その割には悩まず決めただろ。仙道は好きなのか? クリームソーダ」
「んー……どちらかと言うと、ここのクリームソーダを飲んでみたかった、って感じですかね」
「ここの? 前にも来た事があるのか?」
「オレじゃねぇっすけどね。オレの、」
「お待たせいたしました、クリームソーダでございます!」
仙道からの答えは、クリームソーダの到着により掻き消された。先程の店員が、コースターの上へと慎重に置く。すぐ近くにストローも並べると、一礼して戻って行った。
部活終わりに立ち寄るファミリーレストランのメニューにも載っており、それ自体は別段珍しいとは思っていなかった。しかしいざ目の前にしてみると、どこか懐かしさを覚える。丸いバニラアイスの隣に添えられた赤いサクランボに、下に進むにつれて徐々に深くなる緑色。ストローを差す瞬間、氷の隙間から立ち上る泡を見ただけで、口内で炭酸が弾けた感覚が蘇る。細長いスプーンで掬ったアイスも、特別なもののように思えた。次はメロンソーダをと、ストローに口を付けかけた時、正面からの視線を感じた。
「……なんだ、オレの顔に何か付いてるか?」
「ん? 付いてないっすよ。コートの外だと、そんな感じなんだなーって」
「それは……どういう意味だ」
「素に近い部分が見れて嬉しいってだけっすよ」
仙道はゆったりとした口調でそう言って、スプーンでアイスを下から削り取った。表面に薄く張り付いた緑色の氷ごと、じっくり溶かしているようだ。本当にそれ以上の事を言うつもりは無いらしく、深入りするのは諦めてメロンソーダを漸く口に含んだ。甘い、ぴりぴり、冷たい。どれも同時に味わってから、先程の仙道をこっそり真似て、アイスの下の方を掬ってみた。スプーン上の二層を舌で転がして、バニラとメロンを混ぜる。その間にサクランボを食べたらしい仙道は、指先で茎を弄りながらメニューに手を伸ばしていた。
「追加で何か頼もうかな。牧さんは?」
「そうだな……ならオレも」
食べ盛りの男子高校生達は、クリームソーダだけで腹は満たされない。夕食前には解散する予定ではあるが、少し遅めの昼食を摂っても微塵も影響は無く、仙道が開いたページを揃って眺めた。ランチメニューの中から牧はナポリタンを、仙道はサンドイッチを注文した。
「そういえば、サクランボの茎を口の中で結べたらナントカ〜ってあったな……知ってます?」
「……やらんぞ?」
アイスを溶かしつつソーダを飲んでいると、思い出したように仙道が茎を眺めて呟いた。反射で釘を刺す。二回、仙道は大きく瞬きをした。それから俯き、肩を揺らして笑う。
「何も言ってねーすよ」
「言ったようなモンだろ、今のは」
「えー? じゃあやってみます? 出来るかなぁ……」
「やらなくていい。オレもやらねぇからな」
「ありゃ、じゃあオレもいいかな」
「顎痛めたらどうすんだ」
「あ、そこ? ふふ、そっすね。怪我は無い方がいいっすもんね」
「当たり前だ。……それにお前、痛めた理由聞かれて言えるか?」
「サクランボの茎結ぼうとして痛めましたーって?」
「おう」
「うーん……やっぱり言えねぇっすね。それに、そこから繋がって誰と居たんだーって聞かれる方が厄介っす」
「そうか?」
「そっすよ。オレは気にしねぇっすけど、周りから勘繰られ過ぎるのもなーって。ほら、牧さんとオレが一緒に居るとこをノブナガ君が見たら、って感じっす」
「……あぁ、成程な」
「でしょ?」
「お待たせいたしました、ナポリタンとサンドイッチでございます」
運ばれてきたそれぞれの皿がテーブルに並ぶ。うまそ、と呟く仙道に頷き、飲みかけのクリームソーダは一旦横に置いた。ナポリタンを手前に寄せてから、牧はふと思った事をそのまま口にした。
今日は牧の希望で本屋を訪れている。前日に仙道から連絡が入り、少し悩んで返信した結果だ。
『明日会えるの楽しみです。集合はいつもの公園にしますか? それとも、どこか行きたいところはありますか?』
普段であれば、互いがよく知るバスケットコートが併設された公園に直接集合し、それから行き先を決めている。これまでに事前に話し合う事はあまりなかったし、それで牧も良しとしていた。いきなり行きたい所と言われても……と少し思案した後、そういえばとふと思い出した。
『前もって決めるのは珍しいな。それなら、本屋に寄ってもいいか? 買おうと思ってたバスケの雑誌が無かったんだ。店員に聞いたらちょうど明日入荷すると言っていたから、買いに行きたいんだが……』
『前回オレの用事に付き合わせちまったんで、もしどこかあったらなって思っただけっすよ。んで、本屋すね。おっけーっす。どこのすか?』
『オレの最寄駅近くの所だ』
『んじゃそっちの駅に行きますよ。一時集合で大丈夫でしたっけ?』
『あぁ、問題無い』
『了解っす』
そうしたやり取りを経て、目的の雑誌を手にする事が出来た。購入するまでの短時間とはいえ、退屈させてしまうかと思っていたが、仙道はのんびり店内を回ったり釣り関連の雑誌を立ち読みしたりしていた。寧ろ仙道を呼びに戻ったくらいだ。
「あれ、意外と早かったっすね」
「すぐ見付けられたからな。お前こそ、何かいい本でもあったのか?」
「んー……普段来ない本屋だったんで、つい色々見ちまって。待たせてすんません」
「いや、それはいい。元はオレが付き合わせたんだからな。暇してないならいいんだ。さて、オレの用事は済んだが……この後はどうする?」
何も無ければこのまま解散になってしまうが、それはそれで少し物足りない気もする。バスケをしようと言うのか、仙道も用事が無いなら帰ると言うのか。こちらの予定に付き合わせていた為、委ねてみたい気持ちがあった。
「あ、それなら、ちょっと行ってみたい所があるんすけど……今日行っていっすか?」
「いいぞ。どこに行くんだ?」
「内緒す。……今はね」
唇に人差し指を当てて口角を上げる仙道の姿は、様になっていると思った。
本屋を出て、二人は歩く。次の目的地は仙道しか知らず、共に探したいと申し出ても、今日集合した牧の最寄り駅近くだと答えるだけ。つまりやんわり断られてしまった。今の牧に出来るのは、右に左にとうろうろ移動する仙道の後ろを、着いて歩く事だけだ。本心を端的に述べると、辿り着けるのかそろそろ心配になってきた。
「……なぁ、仙道。本当にこの駅の近くに、」
「あった! 牧さんここっす、ここ!」
勢いよく振り返った仙道と、至近距離で目が合った。数回の瞬きの後に、照れたように仙道は笑う。
「悪ぃ、近付きすぎた」
「いやぁ、迷っちまってすんません……ちゃんと調べておけば良かったな……」
「元々今日来る予定でも無かったんだろ? 仕方ねぇよ」
「そう言ってもらえると助かります。さ、どうぞ入って入って」
「おう。……って、お前の家じゃねぇだろ」
「いらっしゃいませ、二名様ですか? では……こちらの席へお掛けください」
店員に軽く会釈をしてから座る。興味からぐるりと見渡せば、席は疎らに埋まっていた。会話があまり聞こえてこない事から、このカフェの雰囲気を楽しんだり、一人で過ごしたりする人が多いのかもしれない。店内で流れている音楽を聞き取れるあたり、そうなのだろう。この音楽は、確かクラシックの……何だったか。カウンターの隅に置かれたレコードプレーヤーから聴こえてくる曲は、どこかで聞いた事があるような気がする。回っている黒い円盤と、その円盤を仕舞うケースに書かれたタイトルと思しき英語を見ても、何の曲なのかは思い当たらなかった。
「いい雰囲気だな」
「そうっすね。はい、メニューっす」
「サンキュ。……へぇ、意外とボリュームがありそうだな」
「後ろの方には飲み物もあって……」
「失礼致しますっ、ご注文はお決まりでいらっしゃいますか?」
牧がページを捲ると同時に、アルバイトと思しき店員が現れた。まだ選んでいる段階だが、注文を取る気満々といった表情をしている。胸元の名札の隣、並んだ若葉マークに気が付いてしまい、断るのもどうにも憚られた。それはどうやら、仙道も同じのようだ。
「あー……後から追加の注文って出来ます?」
「はいっ、お受けしてます!」
「そうなんすねー……牧さん、飲み物だけ勝手に頼んでいいっすか?」
「あぁ、いいぞ」
「あざす。じゃあ……クリームソーダを二つで」
「かしこまりました、少々お待ちください!」
声を弾ませ、店員はカウンターへと戻っていく。それよりも、仙道の選んだメニューに驚き、声を上げそうになってしまった。
「……ふふ、牧さんどうしました? 目ぇ真ん丸っすよ」
「確かに任せはしたが……まさか、クリームソーダを選ぶとはな……」
「あ、嫌いでした?」
「大丈夫だ。ただ、最後に飲んだのはいつだったかと思ってな」
「よかった、飲めなかったらどうしようかと……」
「その割には悩まず決めただろ。仙道は好きなのか? クリームソーダ」
「んー……どちらかと言うと、ここのクリームソーダを飲んでみたかった、って感じですかね」
「ここの? 前にも来た事があるのか?」
「オレじゃねぇっすけどね。オレの、」
「お待たせいたしました、クリームソーダでございます!」
仙道からの答えは、クリームソーダの到着により掻き消された。先程の店員が、コースターの上へと慎重に置く。すぐ近くにストローも並べると、一礼して戻って行った。
部活終わりに立ち寄るファミリーレストランのメニューにも載っており、それ自体は別段珍しいとは思っていなかった。しかしいざ目の前にしてみると、どこか懐かしさを覚える。丸いバニラアイスの隣に添えられた赤いサクランボに、下に進むにつれて徐々に深くなる緑色。ストローを差す瞬間、氷の隙間から立ち上る泡を見ただけで、口内で炭酸が弾けた感覚が蘇る。細長いスプーンで掬ったアイスも、特別なもののように思えた。次はメロンソーダをと、ストローに口を付けかけた時、正面からの視線を感じた。
「……なんだ、オレの顔に何か付いてるか?」
「ん? 付いてないっすよ。コートの外だと、そんな感じなんだなーって」
「それは……どういう意味だ」
「素に近い部分が見れて嬉しいってだけっすよ」
仙道はゆったりとした口調でそう言って、スプーンでアイスを下から削り取った。表面に薄く張り付いた緑色の氷ごと、じっくり溶かしているようだ。本当にそれ以上の事を言うつもりは無いらしく、深入りするのは諦めてメロンソーダを漸く口に含んだ。甘い、ぴりぴり、冷たい。どれも同時に味わってから、先程の仙道をこっそり真似て、アイスの下の方を掬ってみた。スプーン上の二層を舌で転がして、バニラとメロンを混ぜる。その間にサクランボを食べたらしい仙道は、指先で茎を弄りながらメニューに手を伸ばしていた。
「追加で何か頼もうかな。牧さんは?」
「そうだな……ならオレも」
食べ盛りの男子高校生達は、クリームソーダだけで腹は満たされない。夕食前には解散する予定ではあるが、少し遅めの昼食を摂っても微塵も影響は無く、仙道が開いたページを揃って眺めた。ランチメニューの中から牧はナポリタンを、仙道はサンドイッチを注文した。
「そういえば、サクランボの茎を口の中で結べたらナントカ〜ってあったな……知ってます?」
「……やらんぞ?」
アイスを溶かしつつソーダを飲んでいると、思い出したように仙道が茎を眺めて呟いた。反射で釘を刺す。二回、仙道は大きく瞬きをした。それから俯き、肩を揺らして笑う。
「何も言ってねーすよ」
「言ったようなモンだろ、今のは」
「えー? じゃあやってみます? 出来るかなぁ……」
「やらなくていい。オレもやらねぇからな」
「ありゃ、じゃあオレもいいかな」
「顎痛めたらどうすんだ」
「あ、そこ? ふふ、そっすね。怪我は無い方がいいっすもんね」
「当たり前だ。……それにお前、痛めた理由聞かれて言えるか?」
「サクランボの茎結ぼうとして痛めましたーって?」
「おう」
「うーん……やっぱり言えねぇっすね。それに、そこから繋がって誰と居たんだーって聞かれる方が厄介っす」
「そうか?」
「そっすよ。オレは気にしねぇっすけど、周りから勘繰られ過ぎるのもなーって。ほら、牧さんとオレが一緒に居るとこをノブナガ君が見たら、って感じっす」
「……あぁ、成程な」
「でしょ?」
「お待たせいたしました、ナポリタンとサンドイッチでございます」
運ばれてきたそれぞれの皿がテーブルに並ぶ。うまそ、と呟く仙道に頷き、飲みかけのクリームソーダは一旦横に置いた。ナポリタンを手前に寄せてから、牧はふと思った事をそのまま口にした。