【第一部】ようこそフュージョン部へ

 体育館は静まり返った。審査員の教師たちは、何を言われたのか理解するのに数秒間を要した。
 創設。いま、部活の創設と言ったのか。彼女たちは、部活の「存続」のためにこの審査のステージに立っていたはずだ。

 ここで、ようやくというか、満を持してというか、教頭の阪本先生はマイクを手にした。
「ひとつ質問します、大原さん」
『はい』
「この審査会に、わざわざ他の部活動の協力をあおいで、このようにカフェ形式にした理由は?」
 ミチルは、後ろのクレハを振り向いて頷き合ってから答えた。
『これは部員からの提案もあって決めたことです。音楽は、様々な空間を上質なものにできます。私の叔父の喫茶店も、タンノイのスピーカーを置いて、常に良い音で音楽を流しています。せっかく演奏するなら、審査とはある意味で無関係に、学校のみんなに楽しい空間を提供したかったんです』
「なるほど。人を心地よくするための音響や音楽ということですか」
 その教頭先生の声色には、まだ何か強張りのようなものが見えた。それが何なのか、ミチル達にはわからない。
 そもそも、教頭先生がバンド嫌いというのは本当なのか。バンドとは大方の人が想像する、ロックバンドの事だとは思うが、ミチル達も似たようなものだ。その意味では、嫌われる対象になるのだろう。
 だがそこで、教頭先生はその疑問に関するかも知れない、質問をしてきたのだった。
「私も若い頃、ライブハウスに何度か足を運んだ事がある。その大音響が原因で、しばらく難聴に悩まされた事があってね。ああいう施設の音響の悪さに関しては、どう思うかな」
 それは、ミチル達自身も考える事がある疑問だった。一度行くと、しばらく耳が難聴状態になるライブハウスがたまにある。客席側に立つ時は、観賞用の耳栓を使う事もあるほどだ。そこで、薫がミチルに代わってマイクを取った。
『それは僕も疑問に思っていた事です。すでにその問題に取り組んでいるミュージシャンもいて、あるロックバンドのドラマーはメーカーと共同で、音のバランスを崩さずに音量を落とす耳栓を開発しているほどです。音楽で聴覚を壊されるのは間違っている、と確かに僕も考えます。それも、ひとつの研究テーマになるでしょう』
「なるほど。音楽を演奏する立場から、音響についても考えるということですか。科学技術高校の生徒として」
 その質問の前半には、フュージョン部の人間が一斉に肝を冷やした。薫は楽器の心得がないことになっている。実はギターを弾けるのだが、人前で弾く事ができない。それを知っているのは本人とミチルだけなのだが、もし演奏を求められたらどうするか。
 だが、それを回避する目的もあって、新しい部活の創設を持ち出したのだ。新しい部活なら、音響専門のメンバーがいても問題はない。

 音響云々は正直なところ、三〇パーセントはミチル達の戦術である。ジュナ流にもっとハッキリ言ってしまえば、「ペテン」だった。部員一〇人以上を揃えるという条件を納得させるために、音楽活動と音響研究の両方を行う部活の立ち上げ、という形を取ったのだ。科学技術工業高校として音響技術を学ぶ、と言えば、特に技術系の教師は納得するかも知れない。
 そして、あわよくば既存のオーディオ同好会の部室まで「接収」してしまう。要するに第二スタジオが手に入るということである。むしろこれが目的だったのではないか、だとるすとミチルはどうしようもない悪党だと、後にマヤは独白している。この目論見をミチルがメンバーに持ちかけたとき、メンバーは最初はあぜんとし、次に考え込み、溜息をついたあとで「ミチルに任せる」という事で落着したのだった。

 その結果が今、明らかになる。さあ、高校二年女子が仕掛けた戦術、ペテンはどうなるか。ミチルの胸の内で、バスドラムが16ビートを刻んだ。

 緊張するミチル達に最初に聴こえたのは、審査員の言葉ではなかった。ミチルの真正面、教頭先生の両手から、小さく、ゆっくりとした拍手が届けられた。それに続いて、他の教師陣からも拍手が贈られた。
 正直、この拍手をどう受け止めればいいのか、ミチル達にはわからなかった。よく頑張りました、しかし残念ながら廃部です、となるのではないか。

 だが、それは穿ち過ぎ、杞憂である事を次の教頭の言葉が伝えてくれた。
「大したものです。これだけ堂々と、プレゼンテーションを行える計画力と度胸は、素晴らしい」
 そう言って教頭は、マイクを手に立ち上がった。
「フュージョン部を母体とした新しい部活の設立に、異論がない審査員は起立をお願いします」
 その一言で、教頭の両脇に座る教員六名が、一斉に起立した。その瞬間、ミチルの視界が涙で覆われた。
「この数週間、よく頑張りました。この経験を、この先もずっと忘れないでください」
 清水美弥子先生の言葉に、ミチルは涙で返す事ができなかった。見かねたマヤがミチルの横に立ち、代表して礼を述べる。
『フュージョン部を代表して、先生方にお礼を申し上げます。ありがとうございました。これからも、活動に励みたいと思います。フュージョン部一同、礼!』
 マヤはミチルの肩を、お疲れ、と囁いて叩いた。全員が拍手の中、深々と頭を下げる。携わった演劇部やスイーツ研究部、客席の生徒達からも温かい拍手が贈られた。顔を上げたミチルの目に、照明がプリズムのようにキラキラと映り込んだ。この瞬間はきっと忘れないだろう、と思いながら。
 いつから居たのか気付かなかったが、ステージには三年の佐々木ユメ先輩が上がっていて、ミチルを抱きしめて祝ってくれた。
「よくやった。偉いよ」
「……先輩たちのおかげです」
「あなた達の力だよ。堂々と誇りなさい」
 先輩は、ハンカチでミチルの涙を拭ってくれた。ユメ先輩と入れ替わりに、ジュナがミチルに向かって拳を突き出した。
「やったな、相棒」
「ありがと」
「ほんと泣き虫だな、お前は」
 ふたりの拳がぶつかる。体育館の隅では、不審な動物の被り物の四人が泣く真似をしていた。本当に泣いていたかは不明である。

 やがて先生たちが退場し、メンバーがステージを降りると、竹内顧問が拍手で迎えてくれた。
「よくやった、大原。しかし、あんな大それたこと、よく言ってのけたもんだな。ヒヤヒヤしたぞ」
「正直、これはまずいかなってステージで思ってました」
 その一言で、フュージョン部の面々は爆笑した。その周囲では、田中商店の鯛焼きやプロテインドリンクで雇われた運動部員たちが、せっせと機材の搬出作業に勤しんでいた。
「あとの事は俺に任せておけ。お前達は、夏休みの市民音楽祭に集中するといい」
 そう言って立ち去ろうとする竹内顧問に、ミチルたちは一斉に頭を下げた。
「竹内先生、色々とありがとうございました!」
 先生は、何てことないさ、という軽い調子で体育館を後にした。その背中が、部員たちにはいつになく格好良く見えた。

 ミチル達は協力してくれたスイーツ研究部や演劇部のみんなにも、後日お礼を届ける旨を伝えつつ、テーブルの片付けなどに参加した。その中で、クレハは例の不審な動物グループに近寄り、何事かを話し合っていた。ヤギ頭の男子に、クレハは確認した。
「田宮先輩、あの件はどうでした」
「ヤギです」
「……どうだったんですか、ヤギ先輩」
 多少白い目を向けつつも訊ねると、ヤギ先輩は突然、体育館の床にひれ伏した。
「参りました。名探偵クレハ様の推理どおりでした」
「……やっぱり」
 クレハは、呆れたように溜息をつく。
「どこまで」
「何もかも。身柄はすでに学校に引き渡しました」
 まるで頭領に報告する忍びかのように、ヤギ先輩は片膝をついた。実はフュージョン部が審査を受けている間、例のPA放火犯がまた悪さをする可能性をクレハは予測して、先輩たちに協力を要請していたのだ。
 クレハの予測は何も難しいものではない。体育館で審査の演奏会が行われるのだから、邪魔をするためには体育館のブレーカーを落とす可能性が高い。PAにのみ放火して部室にはできなかったという犯人の性格からして、学校のメインブレーカーを落とすほどの度胸はなく、体育館のブレーカーを張っていれば必ず姿を現す。そう踏んで先輩たちに相談したところ、見張り役を買って出てくれたのだ。

 結果から言うと、クレハと、一部は薫による犯人像と犯行の推理は全て的中していた。三年生男子で、成績は芳しくなく、模擬試験の結果も第一、第二志望ともに危うい。それと関連するかどうかは不明だが、最近交際相手にも振られたという。PA放火についてもすでに白状した。
「どうしてこの短時間で、そこまでわかったんですか」
 クレハの疑問は当然である。時間にすれば、その犯人を先輩たちが捕らえてから一時間も経っていないだろう。だが、田宮もといヤギ先輩の返答はにべもない。
「あいつは学年の有名人なんだよ。イケメンだけど頭は悪い。入学できたのが奇跡って言われてる。詳しくは知らないが、そこそこの家らしいな。要はアホなボンボンってことだ」
 さんざんな言われようだが、クレハ達にとって同情する余地はない。すでにPA放火という妨害を受けたのだ。
「クレハ、この件は終わりだ。学校に引き渡した以上、警察にも連絡は行く。あとは向こうの仕事だ。めでたい気分に、くだらない奴の事で自分から水を差す必要もねえだろう」
 ヤギ先輩はそう言い捨て、馬とライオンと宇宙人も頷いた。どうも被り物が気に入ってしまったらしいが、暑くないのだろうか。クレハは、肩の力を抜いて微笑んだ。
「そうですね。先輩方、ありがとうございました」
「礼を言うのはこっちだ。お前達のおかげで、部活がなくなる心配もなく卒業できる」
 その言葉が、クレハの心にわずかに刺さった。ここにいる先輩たちと、あの部室やステージで過ごした日々を思い出す。まだ、何ヶ月もあるではないか。卒業なんて言わないで欲しい。
 それを察してか、女子の宇宙人先輩がヤギの頭を後ろから思い切りはたいて言った。
「ほらクレハ、みんなの所に戻りなよ。もう大変な仕事は終わったんだから、羽根をのばしなさい」
 クレハは一瞬かげりを見せた顔に微笑みを取り戻して、深く頭を下げ、ミチル達の所に戻って行った。そのあとヤギ先輩は、空気読めよと散々小突かれたあと、どこかに連行されて行ったのだった。

 
 部室の前のスペースからは、立ち入り禁止テープが撤去され、燃え尽きたPAの残骸が載った金属製スタンドが寂しく残っている。私物を取りに部室に戻ったフュージョン部の面々の脳裏には、この場所で起きた二週間ほどの出来事が思い起こされていた。帰り際、ミチルはガランとしたアスファルトを見つめ、呟いた。
「また、ここでやろうか。ライブ」
 その一言が、初夏の微風のようにメンバーの心を駆け抜けた。ジュナは、自分が立っていたポジションにギターケースを背負って立ってみる。
「ああ。そのうちな」
「そのうちね」
 今度は、何も気負う必要はない。ただ単に、音楽だけのためのライブになる。終わったわけではない。やろうと思えば、いつでもできるのだ。
 そこへ、参謀総長マヤが口を挟んだ。
「さしあたり、今私達が考えなくちゃいけないのは、八月の市民音楽祭だよ。準備、できてないでしょ」
 突然、ミチル達は現実に引き戻された。センチメンタルに浸っている場合ではない。毎年、フュージョン部の二年生がステージに立つ事が伝統になっているのだ。
「私達の割り当ては四曲。しかも今年は順番から、プロのジャズボーカリストの前座になっちゃってる」
「上等じゃねえか。プロを食っちまうくらいの演奏をしてやろうぜ」
 ジュナの大言壮語にミチルが拳を突き合わせると、マヤがいつものように呆れて肩をすくめた。
「大口叩くのはいいけど、まだセットリストすら決めてないのよ」
「そんなの、ここ何週間かやってきた事に比べたら、どうって事ないんじゃない?」
 ミチルの一言に、一瞬の沈黙を挟んで、その場の全員が一斉に大笑いした。毎日のように、数々の楽曲を覚えては演奏し、ということを繰り返して来たのだ。いまさら、手が覚えている楽曲の中から、たった四曲を選んで演奏する事など、何の苦があるというのか。


 爽やかな風が吹き抜ける空の下、仲間と笑い合うだけで、それまでの艱難辛苦の全ては雲の彼方に流れ去ってゆくようだった。この五人が、この場所で出会えた事は、奇跡なのではないか。そんな思いが、同時に五人の心に去来した。このメンバーで、どこまでもこの空の下を駆け抜けて行きたい。全員がそう思った。
 どこまで? それが何を意味するのか、誰にもわからない。ゴールがあるのか。あるとしたら、それは何なのか。そもそも自分たちは、どう在りたいのか。何もかも、アスファルトに揺れる陽炎のように、おぼろげだった。

 それは、まったくの無意識の行動だった。ミチルは一歩進み出ると、熱を帯びたアスファルトに掌を向け、右手を突き出した。すると、全員がそれに倣い、五つの右手が、熱が伝わるほどの距離で重ねられた。

「フュージョン部! レディー……」
「コ゚ー!」

 天高く響き渡る少女たちの声は、はたして風に乗って、芸術を司る九柱の女神に届いただろうか。居るべき場所を取り戻したミチル達の心に、自由と微かな高揚があった。それが伝説と呼ばれる日々の前奏曲である事を、まだ誰も知らない。


Light Years 第一部・完
33/33ページ
スキ