【第一部】ようこそフュージョン部へ

 翌朝、フュージョン部の面々はミチルがいない状況で部室に集合した。リアナが不安そうにしている中で、二年生は落ち着いたものだった。
「昨日連絡もらったけど、ミチルはひとまず大丈夫なのね」
 クレハが、いつものように保冷ボトルの赤い液体を飲んでいる。それが何なのかいまだに不明だったが、ルイボスティーもしくはローズヒップティー説が有力らしい。
 ジュナはいつものようにギターをかき鳴らし、全員を見渡して言った。
「ああ。疲れてはいたけど、ちゃんと起き上がってたよ。ニンニク注射打たれたって」
「げー、あのスポーツ選手とか芸能人が打つってやつ?」
 マヤが顔を引きつらせた。どういう代物か知っているらしい。マーコがマヤに「ニンニク注射って何?」と訊ねていた。
「あいつも何かと気張りすぎるとこあるし、この機会にゆっくり休めって言ってきた」
「そうね。とくにここ二週間くらい、無理してるのは傍目にもわかったもの」
 クレハの表情は優しさと苦味が混じったものだったが、そのやり取りを見て、一年生のリアナも少し安心したようだった。
「先輩、大丈夫なんですね」
「ミチルはな。むしろ問題はあたし達だ」
 ジュナは、ギターの弦をミュートした。
「幸い今日は晴れたけど、ミチル抜きじゃ音にならない。サックスメインの曲が三曲ある」
「予定変更する? スクェアの、ピアノとかギターのナンバーもあるし。マイケミはサックスいらないからいいとして」
「うーん」
 そうは言ってもすでに五日目、金曜日のセトリに向けて各メンバーは自分のパートを確認している。今さら変更するとなると、ちょっと大変だった。
「サックスなしで、ぶっつけ本番ですぐやれる曲をリストアップしてみるか。マイケミはとりあえず固定で、あとは四曲」
「やっぱりスクェアになるか」
 何だかんだで、基本的にフュージョン部はスクェアのレパートリーがどうしても多くなる。過去の卒業生達は、時代によってカシオペアだとかに偏っていたらしい。中にはソイル&ピンプ・セッションズだとかのクラブ系に傾倒していた世代や、フュージョンから離れて単なる軽音部だった世代もいる。ミチルが加入してからはキャンディ・ダルファーのファンク寄りサウンドが増えて、音楽性の幅が広がった、と先輩達は言っていた。
 すると、そこでジュナのスマホのLINE着信音が鳴った。
「おっ」
 ミチルかな、と思って通知を開くと、それはフュージョン部のユメ先輩からだった。

『私が信頼するX氏より連絡あり。本日のストリートライブは予定どおりのセトリで各自のパートを準備しておくこと。了解であれば、オジー・オズボーンの公式スタンプで返信されたし。』

 ツッコミどころが約二点見られるメッセージだったが、そのメッセージを見たフュージョン部の面々は首を傾げつつも、だいたいその意味を読み取った。
「先輩の誰かがヘルプで来るって事だな」
「ミチルが入院してる事は、先輩たちに伝えたんでしょ」とマヤ。
「ああ。昨日LINEで⋯⋯あっ」
 ひとつ思い出した事があり、ジュナの視線が宙を泳いだ。マヤは「なんだ」とその顔を見る。
「いやさ、ゆうべ吹奏楽部の市橋先輩から、ミチルの容態を教えろって頼まれてて、伝えたその時に、今日のセトリも教えてくれって言われたんだ」
「なにそれ。伝えたの?」
「ああ」
 話が見えてきた。ユメ先輩に連絡した『X氏』とは、おそらく市橋菜緒だとジュナは考えた。二人が友人なのはみんな知っているが、昨年春の部活の勧誘で「ミチルの取り合い」のすえ、少し関係がこじれたという噂もある。噂が誇張されたものだったのか、または関係が改善されたのかはわからないが、とにかく両者の間でコンタクトが取られたのは間違いない。
「つまり、ヘルプでユメ先輩が来てくれるって事か」
 ジュナの推測に、メンバーは同意した。それ以外にはあり得ない。ユメ先輩がサックスのパートを担当するから、みんなは自分のパートを予定どおりチェックしておけ、ということだ。
 途端に、メンバーは勇気づけられた。ミチルが出られない穴を先輩が埋めてくれるなら、これほど頼もしい事はない。
「でもさ」
 しばらく発言していなかったマーコが、ぼそりと呟いた。
「今日のセトリ、先輩、演奏できるの?」
 そういえばそうだ。メンバーは、改めてセトリを確認した。

1.冒険者たち/THE ALFEE (クレハ)
2.勇者-YUH-JA-/T-SQUARE (マーコ)
3.Candy/キャンディ・ダルファー (ミチル)
4.仲間を求めて/植松伸夫 (マヤ)
5.Welcome to the black parade/マイ・ケミカル・ロマンス (ジュナ)

 ハードロックに始まってハードロックで終わる、なかなかに濃い目のセトリである。しかも、四曲目以外は全部やかましいナンバーだ。入院中の人間に悪いが、何を考えてるんだ、と突っ込まざるを得ない。
 そこで、ジュナはひとつ思い付いた事があり、突然リアナの方を向いた。
「リアナ、この三曲目のエレキギター、ストリートライブでお前弾いてみろ」
「えーっ!?」
 唐突に言われて、リアナは一〇cmくらい飛び上がった。
「ちょっ、ま、待ってください」
「お前ほんと、挙動がミチルより面白い奴だよな。大丈夫、簡単なリフだけだから。この機会にエレキギターに慣れてみろ」
「でっ、でも」
「ミチルだって、慣れないバイオリンで大恥かいたんだ。挑戦するのは大事だぞ」
 突然ジュナが”先輩”の顔になったので、リアナもいきおい真剣になってしまう。ただ、もともとの性格がすぐに変えられるはずもなく、青いアイバニーズのRGを持たされてドギマギしていた。
「よし、お前にそのアイバニーズを無期限で貸してやる。エレキに慣れたら自分のやつ、一緒に買いに行こうぜ」
「ほっ、ほんとですか」
「ああ。だから少しだけ、頑張ってみろ。退院してきたミチルに、弾けるようになったとこを見せてやれ」
 リアナを焚きつけるジュナの様子を、マヤはごく真面目な目で見ていた。リアナはジュナの言葉で、恐る恐るエレキギターを手にしている。もしフュージョン部がこのまま存続できたなら、ジュナの指導でリアナは案外大きく成長するのではないか、とマヤは考えた。

 フュージョン部のミチルを欠いた五人は、色々と不安定な要素をはらみつつ、今日のライブについてもなんとかなりそうだ、という気分になっていた。ところが、まったく予想外の方向から、爽やかな青空に相反するように、暗雲が立ちこめてきたのだった。
 それは、二時限目が終わってマーコがコンピューター室に移動していた時だった。廊下で、女子生徒二人が話をしている。
「ねえ、聞いた? フュージョン部が、ラジオ局にお金を払ったとかいう話」
「なにそれ」
「知らないの? なんか話が広まってるみたい。おとといFM局が来たのは、話題づくりのためにお金を……あっ」
 マーコが近付いてきたのに気付いて、話を振った女子はばつが悪そうに口をつぐんでしまった。
「……」
 いまの話は何だったのか。フュージョン部がFM局にお金を出して来てもらった? そんな馬鹿な話があるものか。部費がもらえるかどうかの瀬戸際にある部に、そんな余裕があると本気で思っているのだろうか。マーコは単なるたちの悪い噂だろうと、その時は思ってコンピューター室へ急いだ。

 ところがである。昼休みになると、その話はフュージョン部全員が知る所になったのだった。部室に集まるためにマヤとクレハが移動していると、二人をチラチラ見てひそひそ話す生徒が散見された。
「ばかばかしい。誰が言い出したのかしら」
 マヤは歯牙にもかけず、しかし感情的には憤慨した。
「そんなお金あったら、もっといい機材を買えるでしょうに」
「そうね。けど怖いのは、噂が広まりつつある…いえ、もうすでに広まっている、という事実よ」
 クレハにしては珍しく不機嫌そうに、眉間にしわを寄せて言った。
「流言の怖さは、批判する事にある種の快感を覚える集団が、それを共有してしまう所にあるわ。それが真実であるか否かではなく、正義の立場を手に出来るという事実が、彼らを盲目にする」
「なんか口調がヤン・ウェンリーになってるわよ。富山敬の」
「こほん」
 クレハは咳払いして続ける。
「私たちにお金を払えるような余裕はないし、そもそもあったとしてもお金でラジオ局を呼ぶなんて事はしない。そんな事実は存在しない。それはいずれ、誰もが知る所になる。けれど、問題はそれがいつになるか、よ」
「…なるほど」
「そう。この流言を誰が流したにせよ、その人たちにとってはそれが真実かどうかは関係ない。けれど、こんな空気の中で、その部活に入ろうと考えるような生徒はいないでしょうね」
 クレハはそう断言した。マヤは「でも」と訊ねる。
「最初から、その”犯人”はそれを狙ったのだと思う?誰かが何の意図もなく言った言葉に、尾ひれがついて広まってしまった可能性もあるかも知れない」
「もちろん、その可能性もないわけではない。けれど、意図があったかどうかに関わらず、事実私たちが追い詰められる危険はある、ということよ」
 クレハの予測は悲観的でもあり、また現実的でもあった。だがそれが自然に鎮静化する事を願いつつ部室に向かったところで、楽観はごく簡潔に打ち砕かれた。

 クレハとマヤが弁当のバッグを下げて部室に訪れた時、ドアに貼ってあったA4用紙が目に入った。

〔インチキ音楽部〕
〔学校の予算をラジオ局に渡した犯人〕

 という文章が、ごていねいにプリンターで印刷されている。
「何よ、これ!」
 力任せに剥がそうとしたマヤを、クレハが止める。
「待って。裂いてはいけないわ」
「なんで!」
「プリンターで出力したのは相手のミスよ。これを印刷している様子を目撃した人間がいるかも知れない。それにこれを見て」
「あっ」
 マヤは、クレハが指差したものを見てハッとした。それは、紙を貼り付けてあるセロハンテープである。そこには、くっきりと指紋が浮き出ていた。
「役に立つかはわからないけれど、材料にはなるわ。まず、この状況を撮影しておきましょう」
 クレハは極めて冷静に、そのビラが貼られた様子をスマホで撮影し、部室からゴム手袋を持ち出してきて注意深くセロテープを剥がすと、大きなクリアファイルにテープごとビラを保管した。
「何かあった時、これを学校側に提出する。誹謗中傷の証拠品として」
「あんたを敵に回しちゃいけないって事はよくわかった」
 ビスクドールのような美少女の正体を覗いた気がして、マヤは戦慄した。
 そこへ「何なんだ、あいつらは!」と非常にわかりやすく憤慨しているジュナと、無言で憤慨するマーコ、その後ろでビクビクしているリアナが現れた。
「気にいらねえ! くだらねー噂を信じやがって、バカ連中が」
「落ち着いて。どれくらい広まってるの」
 クレハは冷静に訊いた。
「どれくらい? はっ、石を投げりゃ当たるくらいだよ。何が科学技術工業高等学校だ、バカ学高校の間違いだろ」
「ねえ、みんなが目撃した、噂している生徒ってどういう生徒?」
 食後のお茶を飲みながら、クレハは感情的になる事なく、ひとつひとつ現状を把握する事に務めていた。

「…なるほど。今の所、噂は主に女子の間で広まっているようね」
 マーコやジュナの情報を併せて考えると、今現在その”流言”を直接口にしているのは女子のようである。クレハは探偵よろしく、顎に細く形のいい指をあてて推理した。
「流言を広めた何者かがいる、と仮定するなら、その”犯人”は女子の可能性が高いわね」
「そうなの?」
 マーコは無邪気に訊ねた。
「ええ。例えばあなたが誰かを貶めるためにデマを流そうと考えたら、まず誰に流す?」
「あ、なるほど」
 マーコは頭いい、と感心したようにクレハを見た。
「そう。人間は特定のバイアスがかかった情報を共有する場合、同性を巻き込む事が多い。その方が心理的に安心できるからよ。つまり、この犯人が当てはまる特徴は……」
「女子で、かつ私たちに私怨を持つ者、ということね」
 マヤの推論に、クレハは静かに頷いた。
「で、どうすんだ。その犯人を見付けて、しばき上げるのか」
「公に謝罪してもらう事にはなるでしょうね。根も葉もない風聞だ、と。けれど問題は、そんな事に足を取られて、私たちの活動が物理的に阻害される事よ」
 ポーチに保冷ボトルをしまうと、クレハは愛用の5弦ベースを持ち出して譜面を見た。
「何にしても、私たちは私たちのやるべき事をやる。そこを揺るがせにはしないわ」
「へっ、おとなしそうな顔してタフじゃねえか。そうだな、くだらねえ雑魚どもがピーチク騒いだところで、あたし達が演奏するのには関係ない」
 ジュナは、隣で青ざめているリアナの肩を寄せて言った。
「リアナ、お前も入部早々いろいろ大変な目に遭うな。ひょっとしたら、大物の証拠かも知れねーぞ」
「どっ、どういう事ですか」
「でかい人間は嵐を呼ぶんだよ。ほら、エレキギターのレッスンの続きだ」
「うえー」
 ミチルがいない中で突然訪れたトラブルの中、フュージョン部はいつも通りに練習を再開した。しかし、現実として心の片隅にすっきりしないものを抱えた状況では、完全に集中できるとは言い難いのだった。


「噂は案外、早く流れたみたいね」
「バカな奴らね。根も葉もない話を信じて、勝手に広めてくれるなんて」
 暗い廊下の片隅で、女子生徒二人が身を寄せ合って声を潜めていた。
「正義感に燃える俗物ほど、乗せられやすいのね」
「そんな風に言っちゃ悪いわよ。せっかく私たちの掌の上で踊ってくれるのだもの」
「そうね。せいぜい、あいつらの足を引っ張って欲しいものだわ」
 冷たいコンクリート壁に、ささやくような低い声が鈍く反響する。二人の女生徒は小さく笑って、静かにその場を立ち去った。開け放したドアから、湿気を含んだ風が吹き込んだ。
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