SS
潮騒を五月蝿いと思うことはない。
無音が静かであるとも思わない。
生きていれば生きているだけで音がする。無音であればあるほど、音を認識する自身という存在が生きるために奏でる音が耳につくのだ。
どくん、どくん。心臓が脈打つ音。ごお、ごお。血液が循環する音。ひゅう、ひゅう。息を吸う音。どれかひとつ欠けるだけで人は生命を維持できない。無音を認識する人こそが無音であることはないのだ。それならば果たして無音とは何なのだろう。
「……随分心ここに在らずといった様子だな」
「龍水……」
月明かりだけが光源だ。しかしこの石の世界にはほかの光などほぼほぼない。夜警用にと製作されたランタンは念の為持ってきているが、旧時代より月を近く感じる此処では満月にそれは必要とは思えない。けれどそれは男の聴覚があってこそ。音の反響から正確な物の位置を把握できる男と違い、彼、七海龍水は耳が特別優れてはいない。不用心だと咎めるように、目を細めた。
「なに、ここには貴様がいる。何の危険があるという?」
過信するような言葉を口にし、にんまりと目を細める彼はまるで悪魔のようだ。その美貌、カリスマ性、能力、どれをとっても人を破滅に導くに充分な魅力を持ち合わせている。悪魔の適正には充分といえよう。しかし彼はどうしようもなく人間だ。
「転ぶかもしれないだろ?」
「ハッ。転んで泣くほどこどもでもなければ、こんなに美しい月夜を灯りで照らすなど無粋というものだ。違うか?」
月光に照らされる美しい景色さえ欲する彼には無駄だ。苦言を呈そうと、彼は意に介さない。それどころか益々と笑みを深める。
「それに……折角の逢瀬が煌々と明るければ雰囲気が台無しだろう?」
欲深な笑顔だった。けれどそれは人間だからこそだ。悪魔のような彼の人間であれ証左だと、男は呆れたように笑う。
「逢瀬って気分じゃないから、君を誘わなかったんだけどな」
「はっはー! 言ってくれるな。俺も貴様の邪魔をしたいわけではない。ただ、ここに居たかっただけだ」
欲深な彼はしかし言葉の通り、逢瀬と宣いながら隣に座り込み海を眺めた。どこが触れ合うこともない、拳ひとつ分離れた距離。そこに座して以降、口を開かない。
ざざん、ざあと寄せては返す波の音。ぱたぱたと彼の立てられた襟が音を立て、さらさらと煌めく金糸が靡く。潮騒に混ざる音が増えた。男が生きている音だけではない、彼の生きている音が増えた。けれど五月蝿いはずもなく、静かだった。
ひとりでいるときよりも、静かだ。
じわりと体温がそこにあると感じられる距離にあるのに、すこしも触れ合っていない。それが尚更孤独を誘う。
――ああ、僕の負けだ。
ことりと身体を傾げ肩に頭を預けた。頬に感じる彼の温もりに、男はほうっと息をつく。すると彼はくすりと喉を震わせた。
「なんだ? 気分じゃなかったんだろう?」
「君のせいだよ。僕は孤独を愛せる男だったんだよ」
「ははっ! 貴様に孤独は似合わんな!」
彼が喧しく笑うものだから、すっかり静かではなくなってしまった。けれどそれが耳に心地よく、孤独が癒されていく。そうして男は、西園寺羽京の笑い方を思い出した。
無音が静かであるとも思わない。
生きていれば生きているだけで音がする。無音であればあるほど、音を認識する自身という存在が生きるために奏でる音が耳につくのだ。
どくん、どくん。心臓が脈打つ音。ごお、ごお。血液が循環する音。ひゅう、ひゅう。息を吸う音。どれかひとつ欠けるだけで人は生命を維持できない。無音を認識する人こそが無音であることはないのだ。それならば果たして無音とは何なのだろう。
「……随分心ここに在らずといった様子だな」
「龍水……」
月明かりだけが光源だ。しかしこの石の世界にはほかの光などほぼほぼない。夜警用にと製作されたランタンは念の為持ってきているが、旧時代より月を近く感じる此処では満月にそれは必要とは思えない。けれどそれは男の聴覚があってこそ。音の反響から正確な物の位置を把握できる男と違い、彼、七海龍水は耳が特別優れてはいない。不用心だと咎めるように、目を細めた。
「なに、ここには貴様がいる。何の危険があるという?」
過信するような言葉を口にし、にんまりと目を細める彼はまるで悪魔のようだ。その美貌、カリスマ性、能力、どれをとっても人を破滅に導くに充分な魅力を持ち合わせている。悪魔の適正には充分といえよう。しかし彼はどうしようもなく人間だ。
「転ぶかもしれないだろ?」
「ハッ。転んで泣くほどこどもでもなければ、こんなに美しい月夜を灯りで照らすなど無粋というものだ。違うか?」
月光に照らされる美しい景色さえ欲する彼には無駄だ。苦言を呈そうと、彼は意に介さない。それどころか益々と笑みを深める。
「それに……折角の逢瀬が煌々と明るければ雰囲気が台無しだろう?」
欲深な笑顔だった。けれどそれは人間だからこそだ。悪魔のような彼の人間であれ証左だと、男は呆れたように笑う。
「逢瀬って気分じゃないから、君を誘わなかったんだけどな」
「はっはー! 言ってくれるな。俺も貴様の邪魔をしたいわけではない。ただ、ここに居たかっただけだ」
欲深な彼はしかし言葉の通り、逢瀬と宣いながら隣に座り込み海を眺めた。どこが触れ合うこともない、拳ひとつ分離れた距離。そこに座して以降、口を開かない。
ざざん、ざあと寄せては返す波の音。ぱたぱたと彼の立てられた襟が音を立て、さらさらと煌めく金糸が靡く。潮騒に混ざる音が増えた。男が生きている音だけではない、彼の生きている音が増えた。けれど五月蝿いはずもなく、静かだった。
ひとりでいるときよりも、静かだ。
じわりと体温がそこにあると感じられる距離にあるのに、すこしも触れ合っていない。それが尚更孤独を誘う。
――ああ、僕の負けだ。
ことりと身体を傾げ肩に頭を預けた。頬に感じる彼の温もりに、男はほうっと息をつく。すると彼はくすりと喉を震わせた。
「なんだ? 気分じゃなかったんだろう?」
「君のせいだよ。僕は孤独を愛せる男だったんだよ」
「ははっ! 貴様に孤独は似合わんな!」
彼が喧しく笑うものだから、すっかり静かではなくなってしまった。けれどそれが耳に心地よく、孤独が癒されていく。そうして男は、西園寺羽京の笑い方を思い出した。
1/1ページ