アルアーク

―サイズの合わない指輪


◆見覚えのない指輪

 それはメイプルワールドに着いて荷物を整理している時だった。薬瓶の間から細い指輪が転がり落ちた。始めは自分のだとは思わず、誰かの落し物だろうかと周りを見渡してみたが近くには誰も居ない。仕方がないので拾い上げ砂埃をはらうとうっすらと文字が彫られていることに気がついた。
(アーク・・・・とアルベール・・・?)
 私の名前とアルベール。その文字が装飾の間に刻まれている。私の記憶が正しいなら記憶の中に居る仲の良かった友人。そして先日僕を襲った軍人だ。断片的な記憶だけしかなく、なぜ指輪に二人の名前が刻まれているのか思い出せない。なぜ彼と私なのか。友情の証か何かだっただろうか。少なくとも昔の記憶では仲が良かったし今の彼も私のことは知っている口ぶりだった。可能性はないとは言い切れないがどうも引っかかる。もっと何か、大切な何かだったような・・・・・。
 思い出せそうで思い出せない。ノイズのかかった記憶が見えそうで見えなかった。指輪なんて婚約指輪とか結婚指輪、そんなものしか思いつかないし。仮にも男同士で指輪なんて、まさか。
(恋人・・・・指輪・・・)
 こんなものでも何か記憶の手がかりになるかもしれないとその指輪をいろんな角度で眺めてみた。結構傷が入っているからそれなりに使っていたのかもしれない。ところどころメッキが剥がれている。それほど高いものではないらしいが。
「・・・・アルベール・・・指輪・・・」
 思いつきで右手に指輪をはめてみた。その指輪は驚くほどサイズがぴったりで手に馴染む。確か、こんなこと前にも・・・。
『――似合うじゃないか、アーク』
 そうだ・・・この指輪は・・・。

◆追憶

 
――――。
「指輪?」
 突然の話題に僕はきょとんとした。
「折角付き合ったんだし何か記念にさ」
 アルベールは至って真面目そうにそう応える。ただの親友の延長線だと捉える私とはちょっと意見が違うらしかった。ここから恋人だと一線引いておきたい。そう彼は言う。だからそのために指輪を作ろうと提案しているらしい。
「でも男同士で指輪なんてばれたら笑われるぞ」
「アークが嫌なら勿論やめるけど」
 嫌じゃないんだけどさぁ、と濁す。妙に気恥ずかしい。今までに恋人なんてできたことはないしそんなこと、考えたこともない。アルベールとだし、悪くはないけれど。
「まあ、記念か・・・」
 作っておいた方が良いかもしれない。軍人を目指す僕たちにこの先なにもないとは言い切れないから。もし、万が一片方が先に戦死したら?持っていたほうが、いいのかも。
「軍に入ったらそんなもの作っていられないだろうし」
「それもそうだな」 
 
――その時の僕は笑っていた。あくまでも「記念」に作った指輪だったのだから。


 思い出した記憶はあまりにも幸せな瞬間だった。あのアルベールの笑顔はもう戻れない時の中で輝いている。僕は変異した左腕を見て「戻れない」と確信した。もう修復できない関係に成り果ててしまったのだろう。
 もう一度指輪を眺めた。確かあれから数日後に作ってもらって無くさないように道具袋に入れたんだ。二人きりの時はつけていたような気もする。
 心が酷く痛んだ。あのとき抱いた感情も全て思い出してしまったから。間違いなく僕は、彼が好きだった。
「アルベール・・・・・」
 今、好きかと問われると答えに詰まる。それこそ複雑な心境だ。今の彼を見て前と同じ感情が生まれるかといわれてもそんなことはないと思う。それにもしも、今昔の彼が僕の前に来たとしてもこの体で、この状態で同じ答えを言える自信はない。未だに思うようにコントロールすらできていないのに。
 思い出した記憶は温かいはずなのに今の私には棘のように鋭く胸を刺す凶器でしかなかった。左腕を眺めながら複雑な気持ちを噛み殺す。今は止まっていられない。進まなければならないから私情を挟んで落ち込んでいたらいけない、と言い聞かせて指輪を仕舞い込む。もうじき日が暮れそうだ。どこか泊まれる場所を探さないと。
 アークは大きく息を吸って立ち上がる。まだこの辺りのことは分からない。先日お世話になったスタンさんならこの辺りのことに詳しそうだ。軽く背伸びをしてヘネシスに向かって歩き出す。今なら日暮れまでには間に合うだろう。

◆孤独の熱情


 ヘネシスの人たちはとても優しかった。一番近い宿を教えてくれた上に案内までしてくれるなんて。とても温かい人たちなんだろう。
 受付で伝えられた部屋に入ると同時に布団に走った。ちゃんとした布団が恋しかったからだ。カラバンたちと寝た時がちゃんとしていなかったと言うのは失礼だがやはりふかふかの布団というのは何ともいえない安心感がある。だが流石に汗を流す前に寝るというのは気が引けた。思った以上に疲れていたようだ。起き上がるのも体が重い。さっさと汗を流して戻ってこよう。
 久しぶりのシャワーは思った以上に気持ちが良かった。今までが慌しすぎてこんなに落ち着いていられなかったというのもあったが町の外で野宿が多かったから思う存分体を洗えることが嬉しかった。汗も砂埃も全部洗い流してきたから今日はぐっすり眠れるだろう。
「んー寝るか」
 外はすっかり暗くなっていた。少し早い気もするが目を覚ましてから連戦で疲れているし、早めに寝た方が良い筈だと荷物の片付けも程々にしてベッドに横になった。
 やわらかい布団に包まれて目を閉じれば眠くなる・・・・筈だった。眠れない。夕方にアルベールを思い出したせいだろうか。全く落ち着けず何度も寝返りを打った。何故か良いことばかり思い出してしまう。二人で初めてデートに行ったとき、手を繋いだ時、キスをした時。思い出してカッと熱くなる。思い出すことは恋人として幸せだった時ばかり。少しずつ熱を持っていく体の変化は嫌なほど早かった。
 もう一度シャワーを浴びようかとも思ったが高まる熱は治まりそうにない。タオルを取りにいってベッドに戻る。手早く終わらせてしまえば良い。
 そっと下肢に手を伸ばせば、そこは既に熱い。
「あっ・・・」
 触れただけで快感に震える。このままなら早く終わらせられそうだと安堵したがそうはいかなかった。
『アーク・・・』
 記憶の中のアルベールが囁く。耳が痺れそうなくらい甘い声色で囁きながら、自身のそれを上下に扱く姿を思い出してアークは体を震わせた。そうだ、アルベールはこうやって、ここを。
「んんっ・・・」
 実際の快楽と記憶の境目が薄れていく。自分の手ではなく彼の手だと錯覚しそうなくらいに。
『気持ちよさそうに・・・』
 あまりにも鮮明に思い起こされる彼が愛おしい。アルベールにもっと触って欲しい。あの時はもっと気持ちが良かったはずだ。
 膨れ上がる欲望のまま快楽を貪る。強く、弱く、強弱をつけながら擦り、先端を指の腹で撫でた。
「んぁっ・・・!アルベー・・・ルっ」
 自分の声は誰にも届かないで虚空に消える。胸に痛みが走った。虚しくて泣き出しそうなのに記憶の中から囁く彼の声は止まない。
「もっと・・・っ」
 記憶は甘く優しい。美化しているかもしれない。理想かもしれない・・・。
『ここ、好きか?』
 自分以外に誰も居ない部屋で響く声に頷く。固く閉じた目から涙が零れた。もう夢で良い。だから現実に戻さないでほしい。
「あるっ・・・・アルベールっあ!」
 下肢の刺激だけでは物足りず左腕で乳首を弄る。尖った指の先でぐりぐりと刺激すれば高い声が出る。力加減など考えていなかった。引っかき傷を作りながら敏感な部分を弾く。
「んぁぁ!」
 泣きながら意識を誤魔化して喘いだ。「恋人」のアルベールが自分を抱いているのだ。一人虚しく自慰をしているのではないと言い聞かせながら、ぼくは今、痛みと快楽の狭間に居る。
『可愛いな、アーク』
 甘い声は止まないのに先日のアルベールがちらつく。冷めた目で見られている気がする。かと思えば甘く抱かれている気もするのだ。
「んんぅ・・・・ひぐっ・・・」
 もっと快楽に溺れたい。快楽に支配されたならどれだけ楽になれるだろう。早く、できるだけ早く達したい。ただの処理で終わらせたい。なのにどうしてこんなに苦しいのだろうか。アルベール、君は今どこで何を思っているんだ。僕は今、君が欲しくてたまらない。
「ひっ・・・ぁ・・・んぐっ」
 体はアルベールを欲しているのに何一つ満たされない。一滴、また一滴涙が滴り落ちる。そんな気持ちに反して体は快楽だけを感じ取って悦んでしまう。嫌だと思うのに指は止まらない。
『気持ちが良いんだろ?』
 わからない。今どうなっているのか自分でも分からないんだ、アルベール。
 呼吸を乱し、涙で濡れた顔を拭いながら快楽なのか苦痛なのか判断できない激情を受け止める。いつしか快楽を求める手は早く、貪欲になっている。もう少しで高みにたどり着けそうだ。
「もうっ・・・・あぁっ」
『イっていいよ、アーク』
 本当に?もう苦しまなくていい?
 答えはない。きっと過去にも、今にも。込み上げる熱に身構えた。もう、来る。
「んぁ!アルベール!あるべーる・・・・・!」
 思い出の指輪を握りしめながら愛しい恋人の名前を何度も呼んで、絶頂した。タオルを汚しながら何度か熱を吐き出して、収まった頃にはアークは泣き出していた。
 何もない。何一つ得られていない。大人しくシャワーを浴びるべきだったと酷く後悔した。倦怠感と、引っ掻いた傷の痛み、締め付けられるような胸の痛み、汚れたタオル。全部が虚しさに繋がって涙が溢れる。
『あの日、君を生かしておくべきじゃなかった』
 先日の彼の言葉が蘇る。
 本当に、本当に君は変わってしまったのか?あの優しい君は、もうどこにも居ないというのか?
 また彼にあったら戦うことになるだろう。その時は迷わず武器を彼に向ける。今の彼の思想には賛同できない。刺し違えてでも君を止めて先に進むと思う。だからもう一度あの時に戻りたいなんて願ったりはしない。もう戻れないんだ。でも、今は甘い時間の残り香の中に居させて欲しい。いいかな、「アルベール」?
「おやすみ・・・」
 誰も居ない。けれど声を出してそういった。もしかしたら寂しいのかもしれない。
『おやすみ、アーク』
 優しい声を聞いてからそっと瞼を閉じた。おやすみ、×××××。


 月明かりに照らされて右手につけた指輪が輝いた。
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