ファンルミ
酷い雨の中、予備の傘を持ってエレヴを歩く。傘も持たずに出ていった男を迎えに来た。視界が悪くなるほどの豪雨だというのに傘も持って行かないなんて気がおかしいのではないかと文句を言いながらもルミナスは歩みを止めることはしない。
今日のエレヴには重く呼吸すらできないような空気が漂っている。入口に立つ兵士に事情を話すとすんなりと通してくれた。ナインハートに睨まれながら庭園を奥に進んだ先で少し視線を上げると小さな墓石と帽子も外して俯いたファントムが見えた。帽子は地面に置かれていて、マントは墓石を濡らさないように被せられていた。"アリア"墓石のその字を見ればファントムが何をしに来たのか、誰でも分かるだろう。今日はファントムにとって一番辛い日なのではないだろうか。彼の表情は見えないが彼の心境を写すようなひどい雨はやまない。傘を用意してくれたアルフレッドを避けるように降りて行ったファントムを止めることはできないがせめて傘を持って行ってやろう、と思い追いかけてきたのだが声をかけていいような雰囲気ではなかった。恋に落ちるという事を知らなかった時はよくファントムの行動が馬鹿馬鹿しいと思ったものだ。しかし彼に教えこまれて以来なんとも言えない気持ちになるようになった。こういう時にどうしたらいいか分からない。前の私なら彼を罵っただろうか。それとも馬鹿にしただろうか。今の私には声をかけていいのかさえ分からなかった。悩んだ末にゆっくりと近づき無言で傘をさす。ファントムは傘が開く音に気づいてはいるらしいが俯いたままだった。
「・・・・・、アリアに、傘をさしてくれないか」
雨にかき消されそうなほど小さな声でファントムが呟いた。何を言っているんだ、と思った。しかしそれ以上ファントムが口を開くことはなかったので予備で持ってきた傘を古い墓石に立てかけて、今持っている傘をファントムに差し出す。
「流石に濡れすぎだ。風邪を引く前に帰ってこい」
傘を差しだしたせいで強い雨が服に当たり音を立てる。こんな強い雨に打たれ続けていたら流石にファントムでも風邪を引きそうだ。他人より自分を心配してくれ。
「なら一緒に帰るよ。お前も傘無しじゃ風邪引くだろ?」
「そこまで弱くない」
いつもと変わらない笑顔にも見えるが、確実に表情が暗い。そんな彼を見て私は疎外感を覚えた。私はきっと二人の時間を邪魔してしまったのだ。私には分からないがファントムにはアリアが見えているのかもしれないし、楽しい時間なのかもしれない。差し出された傘を弾いてファントムと目を合わせないように後ろを向いてそのまま来た道を帰る。なんだこの気持ちは。なんとなくイライラする。折角持ってきてやったのに、なんなんだ。少しでも心配したのが駄目だった。こんなやつ放っておけば良かった。ファントムの足音は聞こえない。邪魔をしたのだろう。ファントムがアリアの為にフリードと合流したことは知っている。彼にとってアリアがどんな存在であるかも。私が選択を間違えたんだ。待っていたら良かった。そうしたらあいつを困らせることも、こんな気持ちになることもなかったのに。
「・・・・・っ!」
感情の整理がつかない。こんなのは初めてだ。怒りのようだが何に対して怒っているのか分からないし悲しいのでもない。答えが出ないならもう考えないでいよう。一瞬クリスタルガーデンに戻ろうかとも思ったが今日はクリスタルガーデンにもラニアのところにも帰らない。この感情を長引かせたくない。今日は散々だ。
ルミナスは小走りにファントムを置いて去った。
「ルミナス・・・・・」
半ば投げ捨てられるように渡された傘を持ちながら立ち去る恋人の背中を見ていた。あんな顔は初めて見た。我儘を言わず受け取れば良かっただろうか。あれは怒らせたな。なんて謝ろうか。ああ、完全に俺のミスだ。ルミナスは青春真っ只中の乙女よりも繊細で扱いづらい割れ物だということを忘れていた。俺でも盗めないような男。二回目だ。盗めなかったのは。一度目は勿論・・・・・・・。
「アリア・・・・・」
もうあんな思いはしたくないからこの世界を守りたかったんじゃなかったのか。守りたかった約束も大切な人も守れなかったから彼女が愛した世界を守りたいのに。大切にしなければならない恋人を傷つけていたら話にならないだろうな。これじゃアリアに笑われてしまう。謝りに行かないと。今日はアリアに「大切な人ができたからしばらく来れないかもしれない」と言いに来たのにこれじゃなんの意味もない。ルミナス、お前だけを愛するから許して欲しい。お前は盗めなくていいんだ。愛し合いたい。寧ろお前に心を盗まれてもいいくらいなのに。こんな俺じゃ、駄目だろうか。
「アルフレッド!」
クリスタルガーデンに帰るとアルフレッドがタオルを持って待っていた。一本だけ持って帰ってきた傘をメイドに渡して、ルミナスが見えないことに気がついた。
「ルミナスは?」
「おや?一緒ではなかったのですね」
アルフレッドはルミナスを見ていないらしい。おかしいな、先に帰っていったのに。もしかして怒ってラニアの所に帰ったんだろうか?とりあえず探しに行かないと。あいつはよく誤解するから困るんだ。
「エリニアに向かってくれ」
愛する恋人を探しに。今はお前が一番だって言わないと。引きずる男はかっこ悪いだろ?だからいつもみたいに馬鹿にして笑ってくれ。ただ、………こんな汚れた腕でお前を抱く事だけ、許してくれ。
「ルミナス・・・・・!」
リプレの雑貨屋でポーションを見ていたら息の上がったファントムに声をかけられた。どうやら走ってきたようだ。
「何か用か?」
今日は待ち合わせもしていないし用事もないはずだ。追いかけられる理由はなさそうだが・・・・。
「用か?じゃないだろ?クリスタルガーデンにも帰っていないし、ラニアちゃんのところにも来てないっていうから探したんだぞ!」
ああ、昨日そんなことがあった気がする。研究に没頭しすぎて忘れてしまっていた。いや、忘れようと思ってやっていたのだが本当に忘れていた。
「何のために探していたんだ。急用でもできたのか?」
「恋人が行方不明だったら探すのが当然だと思うけどな」
姿が見えないくらいで行方不明にはされたくない。まぁ、私が見つかりにくいところまで逃げていたのが問題かもしれないが。
「とりあえず話があるからクリスタルガーデンに来てくれないか」
仕方がない、あの感情も忘れ去りたかったが忘れられないならどこにいたって同じだろうし今回は逃げないでおくか。
「・・・・・わかった。ホテルに連れ込まれるよりはましだからな」
こいつに限ってはホテルだろうが飛行船だろうが大差はないがそういう目的でホテルに連れ込まれるのは好きではない。クリスタルガーデンならいいのかということではないが、場所を選ぶ権利くらいあるはずだ。
「おいおい、そんなに下心しかないと思ってるのか?」
「・・・・・ノーコメントだ」
下心も何も現に連れ込むたびに抱く癖にどの口が言うんだ。・・・・断れない私のせいかもしれないが。
「・・・謝ろうと思って」
「は?」
彼の口から出る意外な言葉に固まった。謝られるようなことがあっただろうか。
「お前が居るのにアリアを見てたらそりゃ嫉妬するだろうし悪かったと思って」
嫉妬?何の話だ。私はそんな、感情を・・・・・・。嫉妬・・・・?
「誤解させて悪かった。昨日はアリアにお前を紹介してたんだよ」
まさか私は嫉妬していたのか?アリアを見ているファントムに?そんなはずが・・・・・。
「し、嫉妬なんてしていない!!」
恋人には仕方なくなってやっているんだ。そんな、馬鹿な。
「・・・・ごめん。俺にはお前だけだってちゃんと言わないといけないだろ?昨日でアリアに会いに行くの最後にしようと思っていたんだ」
そんなこと望んでいない。会いたいなら会えばいい。私がお前といるのは・・・・その理由は・・・・。
私がファントムと一緒にいる理由?なんで嫌いなコソ泥と一緒にいるのか?そんなの私が聞きたいくらいだ。大嫌いで気に入らない。その性格も義賊をしていることも。大嫌いで仕方がないのに好きで好きで堪らないんだ。こんな気持ちで悩むくらいなら知らないほうがよかったのに離れたくはない。馬鹿みたいだ。
「アリアが大事なら会いに行けばいいだろ」
違う。こんなことを言いたいんじゃない。ファントムに離れないでほしいと言いたいのに。アリアと居るお前の顔を見ていると突き放された気分になってしまうから。
「目をそらさないで聞いてくれ、ルミナス。お前がいい。俺はお前を愛したいんだ」
肩を掴まれ強制的に前を向かされた。至近距離から見つめてくる彼は目が逸らせないくらい真剣な顔をしている。そんなセリフをこんな距離で言わないでほしい。恥ずかしくて声も出せないまましばらく見つめあって、耐え切れずに目を逸らす。
「っ・・・・・そんなの・・・・」
「逸らさないでくれって言っただろ?」
そんなの無理だ。逃げないだけましだと思ってほしいくらいなのに。
「くそっ!なんでこんな奴・・・・っ!」
納得いかない。私はどうしてこんな奴と居るんだ。
「ルミナス・・・・お前だけなんだ。信じてくれ」
「っ!当たり前だろう!?私だけでなかったら困る!ただでさえ恋愛も何も知らなかったのに私だけじゃなかったら困るに決まっている!」
知らなくてよかった。恋も愛もなにもかも。そんなもの不要だった。知らなくていいことを無理やり教えられて嫌だったのに、いつしか嫌じゃなくなっていった。今ではファントムでよかった、なんて思ってしまう時もある。
「ごめんな、ルミナス。もうそんな思いさせないから」
息が詰まりそうになって思わず抱き着いた。ファントムのせいで苦しい。素直に言えたら楽になるのだろうか。好きだと、愛していると伝えることが出来るならこんなにも辛くなったりはしないのだろうか。
「・・・・・あまり私から離れないでくれ。どこかに行ってしまう」
「もう離さないさ」
嫉妬していた。アリアには悪いがファントムは私が貰っていく。
「私が今好きだと言ったら笑うか」
「いいや?笑わない。勿論、俺も好きだ」
ほんの少し、本当に少しだけでも思いを返したい。貰ってばかりなのは性に合わない。恥ずかしくて顔が熱い。しかし今は止まっている場合じゃない。もう二度と私以外を愛さないように、私だけを見てくれるように伝えなければならない。ぐっとファントムの服を握って、息を吸った。
「好きだ。嫌いなところはたくさんあるがそれでもいいと思うようになった。身も心も盗んだのはお前なんだから最後まで責任を取ってくれ。・・・あ、あいして・・・・ぃ・・・」
羞恥心に勝てなくて尻すぼみになっていった。顔を上げることもできなくて震えているとふいに撫でられて、優しい声が降ってくる。
「嫌いなところが多くてごめん。正反対なのは自覚してる。だからこそ惹かれている部分もあるだろうし直せないこともあると思うけど善処するよ。ありがとう。俺のこと受け入れてくれて。愛してるよ」
私を抱きしめる腕はいつになく優しくて暖かい。その腕の中にいられることが嬉しくて全身の力を抜いて彼にもたれかかる。ずっとこうしていられたらいいのに。目を開いて目に映る商品棚にハッとする。こんなところでなんてことを・・・。
「っ・・・・。」
正気に戻ってそっと離れる。人気のない店の奥のほうだとはわかっているがあろうことか自分から抱きつきに行ったのだと思うと自分が恨めしい。これではファントムに場所を選べと言えないではないか。感情的になることは避けたほうがいいのかもしれない。
「どうした?恥ずかしくなったのか?大丈夫、誰も見てなかったぞ」
私も相当毒されている。自制できないくらいに侵されているのかも知れない
「君のせいでかなり狂ったらしい。もう行こう。見られたら後悔する」
毒でも食べてみれば美味だったりするんだな。
「俺に染まるのはいいが自分の色を忘れるなよ」