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旅立つ学者に語る物語

ゴルモア大深林の奥地。古の遺跡を擁するヴィエラの守護領域は、外部の者に侵されないよう彼等の貼った厳重な結界で護られている。
その結界を破ろうとする不届き者の気配を察知し、警告するおじ。
「結界を破って何とする。即刻去ね」
「私は学者です。害意はありません。どうしても、遺跡の調査をさせて頂きたいのです」
「どうしても、去ね。不躾な輩を内部に招くわけにはいかない。」
「話だけでも聞かせて頂けないでしょうか」
「話だけ…?代わりにそちらの話も聞かせて貰えるなら構わないぞ」
「え、いいのですか!?こちらの話も勿論です!お話しましょう!」
 
登り始めた日が傾き始めても話は終わらず、学者の質問よりおじの質問の方が止まらない。
どこから来た。どのぐらいかかった。普段何をしている。家族はいるのか。
学校はどんな所だ。町はどんな感じだ。どんな種族がいる?ヴィエラはいるのか?
学者はラバナスタ出身のヒューラン。
シャーレアンで歴史を学び、賢人と呼ばれているという。いまだ謎の多いゴルモア大森林の歴史と知識を集積すべく調査に乗り出してきたのだとか。

――――――――――――――――

警戒を解き、どこを調査したいのだと聞くと、学者は古い地図を取り出し遺跡のマークを指さした。
少し地図に目を巡らせ、自分たちの現在地はここか、と遺跡から離れた場所を指さす。
「その通りです」
「なるほど。この遺跡は危険だから調査は出来ない」
「危険ですか。それは何故ですか?」
「ここは刑場だ。罪を犯した者を裁く為の」
「遺跡そのものが刑場なんですか?それ程に罪人が多かったのでしょうか」
「罪人を収容する場所ではない。死刑を執行する為にある」
「と、言いますと」
「罪人は中で三十四の試練を受けながら最奥を目指す。大概の罪人は最奥へたどり着けずに死ぬ。最奥には恩赦の証がある。それを持って出口へたどり着けば死罪を免れ恩赦を受ける」
「成程、遺跡そのものが罪人を裁く機構なのですね。私では出口まで辿り着けないでしょうか」
「結界を破ろうとした知識と魔力は申し分ない。遺跡を稼働させるエーテルを操作する事を考えているだろうが、三十四の試練の全てが異なる魔導士の編んだ術式で出来ている。操作は困難だ。真っ向勝負では超える事は出来ないだろう。死ぬな」
「お詳しいのですか?」
「出口まで行ってるからな」
「出口まで…。あなたは罪人なのですか」
「同胞を殺している。罪に問われてはいないが、自主的に入った事がある」
「そうなのですね。……試練の内容を聴くことは出来ますか」
「悪いが話せない」
「……。それでも調査をさせて頂きたいのです」
「なぜ……。俺は、二百年ここで生きている。外の世界の事はさっぱり分からないが、ここがどれだけ小さな世界かは理解しているつもりだ。広い世界で生きているお前が、こんな小さな世界の昔の出来事を知るのに命を懸ける…その理由が見当も付かない」
「ただの夢です」
「夢?」
「全ての歴史を明らかにしたいと思っているんです。生きているうちに出来ずとも、私の記録や私の死に様で新たな知識が集積されます」
「それに何の意味がある」
「私達は、生きて、死にます。それは数百年後歴史と呼ばれるようになる。しかし語り継ぐヒトが居なければ歴史は消える。私達が生きて死んだ事実も消えるんです。私はそれが嫌でして。私が歴史を解き明かすことで、その時代を生きた人々の存在や生活を明らかにする事で、消えた歴史と共に人々が生きた証が蘇る気がするんです」
「生きなければ伝えられない。死ぬと言われて引き下がらない理由は何だ」
「私がやれなくとも誰かがやるかもしれない。でも、わたしはあなたに逢ったので…。間違いなくチャンスだと、思ってます。仮に死んでも遺跡で死んだヒューランのお話が残る。それは新たな歴史になって次の誰かに伝わります。お願いです。遺跡を調査させて下さい」
「………」
「………」
「わかった」
「!!!!!本当ですか!!!!」
「条件付きだ」
「何なりと」
「お前が死んだら荷物を貰う。俺はもうすぐこの森を出るから使わせて貰う。何なら遺品を届けてやってもいい。生き残っても旅道具のいくつかを寄越せ」
「それは…。届けてくれるのですか…。わた、わたしの為に…」
「お前の目的は意味が分からない。だが、意図は分かったから。届け先の地図でも用意しとけ。あともう一つ。今夜抱かせろ」
「え?抱くと言うと?」
「は?分からないのか。性交渉させろ。お前女だろ」
「えっ、性?えっ?あの、いいですけど、あの、わたし、した事がないんです。性交渉。多分良いですハイ。了承します。女ですハイ」
「よし。交渉成立だな。明日遺跡に案内してやる。お前が結界を破って侵入した体で刑場へ連れてけばまあ、変に詮索されもしないだろう。実際試練を受けるんだしな」
「はい。あの、今夜は」
「ああ」
「必要な準備とか、お風呂とか、ありますか?あの、そういうの本当に分からなくて」
「準備は何も。俺の使ってる拠点に案内するからそこでしよう。身体を清めたいなら水場に寄ってく」
「は、はい。よしなに」

結界の側を離れておじの拠点へ行き、学者にとって初めての夜を過ごす。その話は別の機会に。
===
翌夕方。遺跡に入る学者を見送る。
入るとすぐに石の扉が閉ざされ学者の姿は見えなくなった。これから三十四の試練を受けながら出口を辿るのだ。
生きて戻るとは思っていないが、遺跡の裏手に回り込み、出口が現れる石柱の側に陣取って火を焚く。軽く干し肉を食って簡易な寝床をこさえるとそこで夜を明かした。翌日、学者は現れなかった。その翌日も。更に翌日も。
「死んだか」
エーテルを込めて空中に文字をなぞる。弦楽器を強く弾いたような澄んだ音が森に響いた。
この領域の守護者を喚ぶ魔法だ。
暫くすると、のたのたと一人のヴィエラ男性が現れた。傷のある顔に鳶色の瞳と髪。呼んだ者の顔を見るや、小走りになり参じる。
「ご無沙汰してます。お呼びですか」
「ああ。ここに結界破りの罪人を放り込んだんだが、念の為死んだか確認させてくれ」
「いつ入ったんですか?」
「四日前の夕方だ」
「ならよっぽど死んでますね。解錠するので出口から行きましょう」
「俺一人でいい。お前は持ち場に戻れ」
「めっちゃ危険ですよ。本当に?……。いや、マスターの言うことを聞かない奴なんていませんよ。仰せのままに」
「悪いな。面倒な事にはしないから」
「いえ。試練と制御が効く罠は止めてますが、フツーに動く罠だらけなんでお気をつけて。扉は開けておきます」

所々苔と木の根に侵食され、カビ臭い遺跡の内部を灯りも持たずに駆ける。不自然に発光する岩壁のおかげで、夜目が効くものならば行動できる程度の明るさだ。罠の呪印はエーテル感知で避ける。物理罠は過去の経験と勘で避ける。
彼にとって罠はさほど問題ではない。問題は罪人を苦しめ死刑を執行する為の試練なのだ。

全三十四の試練のうち、三十一の試練の間で学者を見つけた。顔面を床と壁の境に押し込むような姿勢で蹲っていた。
「結構頑張ったんだな」
真っ黒な液体を吹き掛けたような汚れた外套に足を掛け、身体をひっくり返す。吐血したのだろう。黒汚れのある顔は蒼白で生気が無かった。
「……荷物を…」
腹には大事そうに荷物を抱えている。
三十一は毒の試練。黒く粘着くような汚れは恐らく毒性のものだが、荷物には汚れひとつ無いようだった。
死体を荼毘に伏す理由はない。荷物だけ頂いて行こう。そう思い手を掛けると、わずかに荷物が温かい事に気付く。首筋に指で触れると、微かにゆっくりと脈打っていた。
(呪いに罹らず癒しの術を使える試練の間を確認しておくんだった。…いや、俺が聞いても怪しまれるだけか)
汚れた外套を脱がせ、脱力した身体を担ぎ上げて試練の間を後にする。来た道を正確に辿り出口のある恩赦の間に辿り着くと、学者の身体を石床に下ろして癒しの術をかける。荷物から解毒剤を取り出して口に含ませてやる。しかし、学者の様子に変化は無かった。
(駄目か)
学者の身体に自身の外套をかけてやり隣に腰を下ろす。大きな鞄に手を掛けて、中から取り出した手記のページをめくった。くたびれた手記には、刑場へ至るまでの後悔と懺悔が綴られていた。
「これは…?」
別の手記に手を伸ばす。黴が生えボロボロに擦り切れたページには序盤の試練の内容と、愛する者への祈りが綴られていた。
次のメモ紙には絶望と怒りが綴られていた。
表面が苔に覆われた石板にも何かが書かれているのか、丁寧に板で挟み鞄に収められていた。
(これは罪人達の遺したものか)
ふと学者の腰のホルダーに気付き、二冊の手記を外す。一冊には遺跡と罠の構造や三十の試練の内容、自分が学者に話した刑場にまつわる話が図解付きで細かに記載されていた。
もう一冊は日記だった。最初の日付は八ヶ月前。様々な土地で研究をしながらラバナスタ地方を目指す様子が綴られていた。最後の方には自分の事が書かれていた。初めて話したヴィエラの男性は優しいヒトだったと。折れた耳に無精髭の顔が素敵で胸が高鳴った。初めての夜を彼と過ごしてしまった。思い出すと捻じ切れそうな程に恥ずかしい。

ーー彼は森を出るのだと言っていた。驚く程お人好しで優しく世間知らずだが、賢い人だから上手くやっていけるだろう。二百歳になって元いた世界を出るのは驚きだ。もっと詳しく話を聞きたかった。無事戻れたらまた話してくれるかな。彼の新たな旅が良いものであるよう祈る。

学者に目を落とす。血で汚れた顔には変わらず生気がない。脈を取るとまだ微かに脈打っているようだった。
「全ての歴史を明らかにしたいんだったな」
学者が集めた罪人達の手記。それらを纏めて元通り鞄に納めると、足を伸ばして座り直し、学者の頭を膝に乗せた。
「二百年分のどうでも良い話でも聞くか?」
癒しの術を施しながら子供にするようにゆっくりとしたテンポで語り始める。
「知ってると思うが、ヴィエラは生後暫く性別が判明しない。俺が男だと分かったのは十五歳の時。マスターに拐われるようにして里を出たんだ」
森や掟の話。
青年期の話。
婚姻した時の話。
妻と子を殺めた話。
弟子達の話。
師との別れ。
最後の弟子の話。
森を出ようと決心した理由。
その全てを、細かに語りかけた。

途中、ふっと学者の身体から何かが抜ける感覚がした。微かだった脈が途切れ、身体は冷たく硬くなってゆく。

それでも彼は二百年の出来事を、何時間も、何十時間もかけて旅立つ学者に語りかけるのだった。





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森を離れる数日前
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