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第五章 テナルディエ

テナルディエに起きたこと

どの地域かも聞かされなかった場所
パリからは離れたフランス国内のどこか
テナルディエという貴族の一家が暮らしていた

その息子は非常に賢く 体が大きく力も強く なんでもこなせる優秀な男で 代々受け継いだ土地や財産をきちんと管理し より大金持ちになっていた

立派に育った彼はやがて結婚し 3人の息子が産まれた

長男 フェリクス=ジャン
次男 ルイ=ヴィクトル
三男 ユベール=シルヴァン
そう名付けられた子供たちは 父から厳しく育てられた
三男のユベールが産まれたあと 彼らの母は亡くなっていて 彼らは辛い時でも お互いで助け合うしかなかった

フェリクスとルイは5歳違いで ルイとユベールは2歳違いだった

テナルディエは自分がより大きくしたこの家を 彼らが潰すようなことがあれば許せず そのためにも自分以上に優秀に育てなければと思っており やがて彼らが自分の子なのになぜこんなこともできないのかと苛立ち 子が成長するほど愛を失い ただ自分の理想の人間を作ることだけを考えるようになった

それに対し ついに長男が愛想を尽かした
父は愛する子のために厳しくするのではなく 全て自分のためにやっているのだと気づいた
それを弟たちにも話すと 次男のルイは賛同し 家を出ることを画策した
しかし三男のユベールは優秀なうえ末っ子だったからか 兄たちと比べると父からの理不尽を浴びせられたことはなく あれが父の愛なのだと言い 彼らの思いは隠しておくが 父から離れることはないと宣言した

フェリクス「ならユベール この家と父はお前に任せたい…すまないな」
ユベール「兄さんたちの気持ちも理解できる でも本当にいいの…?今のような暮らしはもうできないだろう 兄弟が貧しさに苦しむのは…あまり望ましくない」
ルイ「最初は大変かもしれないが あの父からでも学んだことはある なんとかやるさ」

フェリクスとルイはユベールが家を継いだ方が父も幸せだろうと考え ユベールに全て任せ 家を出ることにした

彼らは息災かだけでも手紙のやり取りができるよう 父に秘密の方法で送り合うことを約束した

フェリクスとルイは父に対し 権利全てをユベールに譲り 自分たちは外で別の道へ進むと告げた
手助けなどしない などいくつか彼らを脅すように父は言ったが 彼らの決意は揺るがなかった
ついに話し合いはまとまらず 彼らは勝手に家を出た 父は激怒し彼らの行方を探させたが この時すでに兄弟の味方しかおらず やがて彼らの行方も掴めなくなり それでも父は彼らを探し続けていた

父は怒りながら 同時に悲しんでもいた その悲しみだけは 愛情からのものだった 突然寂しさが込み上げた だがそれも一時で やがて自分に対し勝手な行動をした彼らを強く憎むようにまでなり その後にまた やはり寂しくなったりもしていた



ようやくフェリクスとルイは家を出て それぞれの道を歩み始めた

フェリクスはパリへ行き ルイは最初別の村に留まったが やがてはパリへ着く
互いにどこへ行くかと言い合っていたわけではないが 気づいた時にはどちらもパリにいた
それでも会うことなく時は過ぎた

フェリクスは21歳の時に2歳年上のオセアンヌと結婚し ジョンドレットの宿屋を受け継いでいた

一方ルイも 運命の女性と出会っていた
フロリーヌという名前の美しい女性だった
彼女は物心着く頃には孤児だった しかし今も昔も貧しい中で強い心を持ち生きていた
ルイは彼女の心の輝きに惹かれ
フロリーヌはルイの心の温かさに安らぎを得ていた
19歳の時彼らは結婚するのだが その際にルイは父親から許可をもらわなければいけなかった


父は確かに許可をして 彼らは結婚できた
しかしあとから息子と結婚する娘が孤児であると知り 浮浪児であった彼女は盗みの経験もあるだろうなどと色々と考え過ぎたのか 段々と許せなくなり 一度許可をしたものを取り消せと言えるわけではなかったが とにかくルイの行方を探させた

ユベールはその異様な父の様子に恐怖し ルイに警告の手紙を送った

父がルイを探し出した1773年
その年の12月16日 ルイとフロリーヌの間に息子が産まれた

彼が後のプティ・ジョンドレットで 今のテナルディエだった

その頃彼らは父に居場所と子供が産まれたことを知られたという手紙を受け取り 父が家族全員殺してやると言い出していると聞き まず家を移した
しかし産後すぐにそんなことを知り 家も移したせいなのか その後フロリーヌは病にかかり 子供が産まれて半年経つ頃 死んでしまった
悲しみに暮れるルイは我が子だけでも守ろうと決意したが そんな時 彼も同じ病であることがわかる 懸命な看病の果て 移ってしまったのだ

このままではやがて自分も倒れてしまう
そうなればこの子はどうなるだろうか 今でも父は自分たちを探しているはずで 弱った自分では守り切れないかもしれない

ルイはユベールに今の状況を全て話した
するとユベールは 同じパリにフェリクスがいることだけは教えた 詳しく書くともしもの時危険だと詳しい場所までは知らされなかったが ルイは幼い子を育てながら 必死に兄を探した

すると妻の名字を名乗り宿屋をやっているジャンという男がいると聞き
1774年12月17日 彼は我が子を布で隠しながら ジョンドレットの宿屋の戸を叩いた

ルイ「兄さん 助けてほしい…」

あの日以来の兄弟の再会の日は 互いにとって最悪なものだった

何があったのか 包み隠さず伝える

ルイ「僕たちの息子を 預かって欲しい フロリーヌは…半年前に死んでしまった 僕ももしかしたら 同じ病で死ぬかもしれない しばらく父からこの子を隠したい 無事治ればすぐにでも迎えにくる 頼む兄さん…父は僕らもこの子も殺す気らしいんだ その可能性がわずかでもあるなら この子だけでも守りたい…」

だがその日 彼が来る1時間半ほど前 この年の初めに生まれた彼らの息子が死んでしまっていた
彼はその悲しみの最中 ルイの話を聞いていた

フェリクス「ルイ 俺はな 今日 さっきだ 息子が死んだ なんなんだかわからないような病気で死なせてしまった こんな 辛い中 お前の子のことを判断できない なぁ今日は無理だ いや この先だって無理だ 俺じゃ無理だ 自分の子を死なせてしまったってのに…無理なんだ」

ルイはそれを聞いて言葉を失った 知りようがなかったとはいえ どうしてそんな日に来てしまったのかと思ったが それでも 引き下がれば 我が子を助けられないと もう一度頼んだ

フェリクス「しばらく会ってなかった弟に突然きてこんなことを頼まれる俺の気持ちを考えてくれ」
ルイ「かかったお金は必ず返す だから…頼む」
フェリクス「金がどうこうの問題じゃないだろう!そんな責任持てるわけがない!話は理解しただろ もう帰るんだ…!」

言い合う2人の声が聞こえたのか 死んだ息子を抱え 悲しみの中 オセアンヌが下へ降りてきた
腕に抱いた子が その息子だろうかとルイは思い そんな辛い中いる兄夫婦を前にすがるしかない自分の不甲斐なさが悔しかった

しかしオセアンヌは話を聞き ルイを責めず むしろ助けようという話をし始めた

オセアンヌ「あんたの父親からその子を隠さなきゃいけない 酷いじゃないか 可哀想だよ ね ジャン 確かに今日ほど辛い日はない でも同じように死んでしまうかもしれない子を見捨てたら それこそ 私たちは酷い親だよ 辛いけど この子の親代わりになってあげなくちゃ」
ジャン「…だがどう隠す 俺らの子が…死んだのに いるってなれば…なぜだか俺に子がいることだけは知ってやがる あの親父 頭はいい バレるぞ」

オセアンヌはルイの腕の中で眠る子を見た 辛く悲しい それこそ 親としてやっていいのか 悩んでしまうような それでも彼女はそれを思いついてしまった

オセアンヌ「…この子を お前さんの子として連れ帰って それで父親の方にうまく お前さんの子が死んだように情報を流して 私たちの代わりにこの子を弔っておくれ 私たちはその子を私たちの子として育てる いつか迎えにきた時 本当の親がいいと思えるようにしなきゃいけないけど 任せて…ね これなら…この子は助かるよ」

子が死んだとルイが悲しみ さらには弔っていたなら 例え彼らの父でも気づけはしないだろう もちろんフェリクスとオセアンヌの子として弔うが そんな細かいところまで調べなくても 残ったのは病気の息子だけとなれば 多少父も落ち着きを取り戻すかもしれない

ルイ「本当に…いいんですか」
オセアンヌ「兄弟なんだから…ね そんなこと言わないで 話を聞いてたら 助けないわけにいかないよ さ…うまくおやりよ」


こうして彼らの息子とプティはこの場で入れ替わり 話し合った通りルイは代わりに彼らの子を 自分の子のように弔った

父には思った通り伝わったのかユベールからの手紙では今は落ち着いているとかかれていた


冷たいと思われても 酷いと思われても この子が自分たちを親として愛しては いつかルイが戻ってきた時 彼を親と認めないかもしれない それではかわいそうだと思い 甥っ子のようにも扱わず 里子のように接していた


だがルイは結局戻ってこなかった
彼らはいつかルイが迎えに来る日のため 子の名前は知っていたが 本名を知られるのは避けたかったため 自分たちもあまり愛着がわかないように ただ“プティ”と呼んでいた

いつのまにか形成されていた家族の形を修復することもできず そのまま時は流れていた

ある時 父は老いて もう何年も続いていた 息子を探せという言葉も言わなくなっていた
その頃プティも大人になってきて その成長もあってか フェリクスたちは彼に対し親のように接することができるようになっていた
テナルディエが感じていた両親の奇妙な変化は 少し心の余裕ができたのも理由だった

だが本名だけは父が死ぬまで伝えるつもりはなかった それを話す時は 家族に過去何があったかを話すことでもあったのだ


…父の訃報を知り ユベールに頼まれ これが最後だと故郷へ帰った
当主となり 幸せそうな家庭も持つユベールとの再会は喜べた
流石に色々と変わった部分が多く 懐かしさや寂しさを感じる里帰りと 最後まで恐れ 憎んでいた父との別れをすませた

1795年6月15日

ようやく話せる日がきた

テナルディエの名 フェリクス=ジャンの名
全て取り戻し 隠しごとを無くし 甥っ子であり 我が子のようであるこの子を 心から愛していたんだと伝えられる


フェリクス「俺たちはずっとお前のことを愛していた 今まで伝えられなくてすまない これからはちゃんとお前の名を呼べる」

これからまだまだ彼には教えることがある ここからが ようやく始まりなんだと そう思っていた

フェリクス「お前の名は テオドール…テオドール・テナルディエだ」



…戸に錠をかけていなかった
だから容易く開けられた

フェリクス「メサジェ!?」

最初に叫んだのはフェリクスだった
テナルディエも驚きながら立ち上がる 彼の手には大きな包丁が握られていた 訳のわからないことを叫びながら 酔っ払っているのに しっかりとした足取りで 襲いかかってきた

最初に斬りかかられたのは手前にいたテナルディエだったが 間一髪避けた しかし体勢を崩し 近くの机や椅子と一緒に倒れた

フェリクス「オセアンヌ テオドール 外へ…」

フェリクスはメサジェを押さえ込もうとしたが 体格差があるとはいえ なりふり構わず暴れるメサジェを抑え切れず 左肩を切りつけられた
オセアンヌがフェリクスの元へ駆け寄り テナルディエは周りの椅子を投げつけたが 酔って感覚が麻痺しているのか 平気そうな様子だった

ティナ「メサジェてめぇ…!」

次に丸い机を投げつけてやろうと体の前に構えると その机目掛けてメサジェは笑いながら突進し 壁とテーブルに強く挟まれ さらに壁に強く頭を叩きつけてしまう
彼の頭がぐらぐらとしているうちに今度はフェリクスを庇うようにしていたオセアンヌの体を深く切り 彼女の悲鳴を側で聞いたフェリクスが すぐさま起き上がって 側の棚まで走ってナイフを取り出し メサジェと刃物と拳とで揉み合いになっていた

テナルディエが机をどかし 立ち上がる頃 3人が死にかけていた
彼は倒れるフェリクスの手からナイフを取り まだ腕や足をわずかに振ってうめくメサジェにテナルディエは何も言わず なんの表情も浮かべず 両手で掴んだナイフを振り下ろした

そしてようやく息が吸えたかのように 呼吸が荒くなり 血のついたナイフを刺したまま 振り向いた

床が 壁が 血で

ティナ「……親父 おふくろ?」

この時 オセアンヌはすでに死んでしまっていた
フェリクスだけまだ息があり 小さく何か呟いた
その言葉を聞いたテナルディエは 困惑し 混乱してしまった

ティナ「…今更 愛してたって 言われたって 俺は どうすりゃいいんだ せっかく本当の名前がわかったのに なんですぐに こんな 許せねぇ なんでなんだ!死なないでくれよ なんで死ぬんだ!なんで殺されなきゃいけないんだよ!なんでだ 本当の両親もいない 親だと思ってた あんたらまで死んで なんで俺は何もかも失うんだ 俺は…違う…俺は…」

そのままテナルディエはふらふらと外へ出た バハビエの家族の方へ向かった だがすでに中では ロザリー以外の家族がメサジェによって殺されていた

ぶつけようのない感情を抱えたまま 彼はふと路地を見る そこに 腕を押さえながら泣くロザリーがいた

ロザリー「おとうさんが なかで」
ティナ「…なん…だ 中見たのか…?」
ロザリー「おいかけて なか あなたの…おうち」
ティナ「……はぁ そうか 俺と お前だけか 生きてんの…は」

さっき頭をぶつけたせいなのか あの惨状を目にしたせいなのか 意識が朦朧としてきた 今自分が何を言ったのか思い出せない さっき何があったか さっき 何を言われたのか



俺はまだ 名前を聞いてないのに



パリを出た後のことを思い出す
心許ない金とわずかな荷物 左手にはロザリーの右手があった
2人並んで歩き 居場所を探した
結局は転々としながら小さな仕事をもらってなんとか金を作る生活が続いた

何かしようと考えても 宿屋以外思いつかない
しかし全部教えてもらう前に親父は死んでしまった
ロザリーもまだ幼い とにかくこの子を育てないといけないと駆け回り 勉強もして オランダの方に行ったり…あの頃は本当に どこまで行ったのか よく覚えていないほどだった

それでも5年…10年と経ち ロザリーも立派に大人になった ずっと貧しさに苦しんでも この子を助けるためだと必死になったおかげで なんとかできた

ロザリー「ねぇ 家族になる約束よ あなたと同じテナルディエにならないと 結婚しないと」

こう言われ 別にそうなってもロザリーはロザリーなのだから 好きなようにすればいいと伝え 気づけばロザリー・バハビエはロザリー・テナルディエになっていた

この頃 本名を 本名のつもりなく名乗っていた
だがロザリーはこっちをテナルディエと呼ぶし 本名のつもりでない本名も 記憶が無いので いつしかただテナルディエと名乗る機会ばかりになった

結婚して変わるのはそれくらいだった

ロザリーを育てながらあちこち転々として金を集め とにかく苦労した パリを出て数年は 記憶が無いと思い込んでいるだけなことに苦しみ 暗闇への恐れが消えなかった
それでもロザリーが頼れるのは自分しかいなかった

早く楽になりたかった どこかへ定住して 店を開けば 全部元に戻れる気がするのに とにかく金がない

だんだんと湧き上がる思い 楽をしたい 明日を何の心配もなく迎えたい ロザリーに与えるばかりで 自分の分が何も無い日も多い 食べ物に困りたく無い 冬にもっと暖かいものを着て 暖かい場所に 安心できる場所にずっといたい もったいなくても明かりをずっと灯していたい

真面目に働いても 限界が来る

ついには盗みを働き それがうまくいった

時折貧乏人に金を恵むやつがいて それに助けられたこともある

なんとか2人でやっていた


ようやく宿屋が開けるだけの金が入ったのは20年も経った後 1815年のワーテルローでの盗みだった

ロザリーにとっての幸福であり テナルディエにとっての不安であるエポニーヌが産まれたのも この年だった

子供が産まれるとなると 今までのような生活ができない いい加減住む場所を決めなければ とにかく金が必要だった


それでワーテルローの酒保商人でありやがて盗人へ姿を変える彼らの仲間になった
どれほど危険かは知っていた 死体から盗むのは簡単だが 駆け回るのには用心が必要だった


盗んだものを売り 最後にたどり着いたモンフェルメイユで宿屋と安料理屋をやる店を開いた
それでも生活が楽なわけではなかった パリとモンフェルメイユの違いを前に テナルディエは余計貧乏になり ついには借金をし 金繰りに困っていた

2人目の娘も産まれて数年後 ファンティーヌがコゼットを預けていった

楽に金を手に入れる方法がやってきたんだとその時思った


全てをメサジェ・バハビエのせいで失い 本名の記憶すら無い状態で 20年どこかに住める金もなく苦しみ続け 死体から盗み 店もいかに楽に金を得るかばかり考えていた
もう 自分がすることで自分以外の誰かが不幸だとか そんなこと考えられるような 余裕ある心など残っていない むしろ 奪われた分 自分も他の誰かから奪ったっていいとすら思っていた


それでも 楽になれたわけではなかった
やがてコゼットはバルジャンが連れて行き 宿の経営は傾いたまま変わらず 潰れた

パリに戻っても 何も変わらない
世間の言う 正しいやり方というのをやったところで 生きてはいけない
全ては不公平だ 一度堕ちた人間が戻れるなんていうのは わずかな話だ

ずっと 周りと比べて 上を恨んで 妬んで それで?


本当はただ ロザリーを助けてやれればよかった 自分にある望みはただ元のような暮らしに戻ることだ その中にロザリーがいただけだった

朝起きて 店を手伝い 昼間にロザリーと過ごし 夕方店のためのパンを買い 夜に店の仕事を教わる そんな…戻らない日々


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