第五章 テナルディエ
テナルディエ
出会いから15年
1833年8月27日
パリのある場所 暗闇の中 ふらふらと1人歩く男 ボロボロの外套を身にまとい 顔を隠すように 深くフードをかぶっている あたりを警戒しながら歩いていたが 足取りはだんだんと重くなり 壁に手をついて歩くようになり 細い路地の方へ曲がったところで ゆっくり前屈みになり 膝をつき それでも限界でついに倒れ込んでしまった
呼吸は弱く 命の炎が消えかけているような…
路地の奥は他の建物の壁があり 行き止まりになっていた 灯りはなく 暗い
奥の壁から すり抜けるように白い手が伸び 少し躊躇した後 中からゼロが出てきた
男のポケットの中にはたくさんの金があった 今日それを手に入れた
娘が1人一緒にいるはずなのに 今はいない
ゼロ「ティナ」
顔すらゼロのいる方へ向けない 返事はもちろんない 力なく ただ横たわるだけ
ゼロ「…まだ死なないでよ テナルディエ」
生きる希望を無くし 気力を失う そうなれば 弱った人は簡単に死んでしまう
ゼロ「何を知ったの?」
脱獄して以来 テナルディエは隠れながら生活していた
ある時 あの慈善家…バルジャンとコゼットのいる屋敷へ パトロン・ミネットと襲撃しようとしていたが そこにエポニーヌがいて 彼女がなぜか必死になって彼らを止め 叫んで警察まで呼ばれそうになり ついにパトロン・ミネットの連中が縁起が悪いものも見たし今日はダメだとやめてしまい そのままエポニーヌを残し また隠れていた
そこから少しして ラマルク将軍という人物の葬儀が行われた時 学生たちが中心になり革命を起こそうとする動きがあった
彼らはバリケードを築き軍と戦ったが 彼らの声に応える市民はおらず やがて最後のバリケードも一晩明け 崩れてしまった
死者の中にはエポニーヌとガブローシュがいたが この時テナルディエはそんなこと全く知らないでいた
彼はその短い革命の終わった日の夜 警察に跡をつけられているのに気づき 鍵を持っているので下水道へ向かい 扉を開けようとしたところで人影に気づいた
バルジャンが若い男の死体とそこにいたとか バルジャンと別れる時 その青年の服の切れ端だけ取ったとか 彼が外へ出たおかげで警察を撒いた…とか
色々あってなんとか逃げたあと 今度は年が変わり 結婚式を見かけた 馬車で移動する夫婦 コゼットだった
彼は唯一居場所がわかって表へ出れるアゼルマを使い家を突き止めた
すでに死刑判決を受けた情報は掴んでいたので 以前よりもっと慎重になっていたが この機会を逃すわけにはいかなかった
彼はとにかく例の男に関して調べ上げ ジャン・バルジャンという罪人で 脱獄囚だとわかった さらにはあの日青年を殺し その死体を運んでいた これを持っていけば 娘の結婚相手であるマリウス・ポンメルシーからうまく金を手に入れられるかもしれない なんならコゼットは やつの娘ではないだろうから より…より…
それでゼロと会う前日 変装し偽名を使い屋敷でマリウスと会った
だがすぐに正体を見破られ 伝えたことは全て知っていると言われた上に 実は殺したと思われていた青年は死にかけていた状態で バルジャンはそんな青年を助け それがマリウスであり マリウスはその恩人が誰なのかを知りたがっていた
陥れるどころか 身の潔白を全て証明してしまい 何もかも失敗してしまった
だが マリウスは彼に金を渡し さらにはニューヨークにいけば受け取れる手形まで用意し 罵りながら 彼を助けた
マリウスがテナルディエにそうしたのには理由があった 父親の遺言だった
敬愛する父の言葉は たとえその相手がテナルディエであろうと マリウスは裏切れなかった
マリウス「ワーテルローのお陰だぞ!!」
ティナ「ワーテルロー…?」
マリウスから与えられた千フランと五百フランをポケットにしまいながら なぜ ワーテルローなのかと思い呟いた
マリウス「そうだ 悪党め 君はそこで…大佐を救った」
テナルディエが戦地ワーテルローで救った将軍 …ではなく大佐であった人物が彼の父ジョルジュ・ポンメルシーだった 実は戦場でちゃんとポンメルシーと名を名乗っていたのだが テナルディエは最後の“メルシー”しか聞き取れなかった そこだけ聞き ありがとうと言われたのだと思ったのだ
ただこの時 その大佐と彼がどういう関係なのかまでマリウスは説明しなかったので テナルディエは困惑していた
けれどマリウスはテナルディエに何か言わせる気もないので 一方的に話し続けていた
マリウス「ここに三千フランある 明日にでもアメリカへ行くといい 唯一生き延びた娘と一緒に!君の妻はもう死んでいるんだぞ 僕はオピタル通りの破屋で君が何をしたか見て知ってるんだ ジョンドレットか?テナルディエか?大嘘つきの君だろうと ただ楽に暮らせるのを僕は望む 二度と僕らの前に現れるな 出発の時には僕が見届けてやる その時にニューヨークで受け取れる二万フランを恵んでやる 話は終わりだ さっさとどこかへ行ってしまえ!」
なにがなんだか 全く分からない ワーテルローがなぜそこまで罵倒する相手に金を与える理由になるのか もう顔を見たくないのになぜそこまでするのか 妻が死んだというのはなんだ 知らない 唯一生き延びた娘というのは?エポニーヌが死んだのか?まさか息子たちまで?なぜそこまで知っている ジョンドレットの名も あのあばら屋でのことも
ただもうこれ以上ここにいても 混乱するばかりで 金を手に入れるという当初の目的も果たされ さらには逃げ道まで用意された
ティナ「男爵閣下 この御恩は…長く忘れません…」
頭を下げ すぐに屋敷を出て行った
金を手にした彼は 混乱したまましばらく歩き 人気のない場所で壁に手を当て 中へ入る
理解が追いつかない 白い道を壁に手をつきながら歩く
一気にいろんなことを知りすぎた 整理ができない 考えようとすると…ダメだ
そのまま扉を開け 机を避けてさらに奥のタイムの扉を開け 城の中を歩き タイムを見つける
タイム「テナルディエ?」
ティナ「…時計を 受け取りに来た」
様子がおかしいことに気づいてはいたが 何も言わずタイムは彼を書斎へ案内した
暖炉の火は暖かく燃え 秒針の音が小さく聞こえる部屋の中で とりあえず座れと椅子を指す
タイム「今出すから 待っていろ」
椅子に座って タイムを待つ間 とにかく気分が最悪だった 今までにないほど 感情がおかしい
違う 前にも
息を呑む
悲鳴と怒声と それから蝋燭の光 手に残る嫌な感触 泣き声と 夜の闇 血の色 手触り
タイム「テナルディエ」
ハッとして前を見る タイムが少し心配そうに膝をついて テナルディエの肩に手を置いた もう片方の手にはあの懐中時計がある
タイム「…何かあったのか?」
答えられない 何があったかなんて 金と罵声と…知らなかったいくつかのこと…
説明すると 全部がおかしくなる気がする 気付いてはいけないことを 理解してしまうかもしれない 抑えないといけない 以前のように
ティナ「…なんでもない 時計を」
差し出す手が震える なんでかもう分からない タイムの真っ直ぐな目が 光る青の瞳が 今は恐ろしい 顔が見れないので時計を見て 受け取ろうとするが タイムは時計を握り 渡そうとしなかった
ティナ「なんだよ なぁ」
タイム「…こちらのセリフだ 何があった どう見ても様子がおかしい」
ティナ「…家族が死んだってのを なんで知ってるのかわからねぇようなやつから聞いたんだよ ワーテルローのことも あばら屋でのことも 全部知ってやがるやろうだ わけがわからねぇ あいつらが死んだとか 将軍が大佐だとか その上大金をくださった なんだあいつは あれも物語の一部か?家族が死んだのも物語の都合か?なんなんだ どうでもいいはずなのに 落ち着かねぇ なんでなんだ…」
タイムは物語のことは知らないでいたが テナルディエの様子がおかしい一番の理由はわかった
タイム「家族が亡くなったと聞いて 動揺しないはずがないだろう 君にも家族を想う心がある証だろうな」
ティナ「…俺がか?馬鹿言え そんな…」
家族が死んだ時の感覚が消えない
言葉は続かず 頭を抱え 困惑した表情のまま 項垂れ 違う と何度も呟く
しばらく黙ったあと 体を起こし 手を前に出す
ティナ「懐中時計 返してくれ」
タイム「わかった」
受け取ると すぐに立ち上がり タイムにそれ以上何も言わず部屋を出て集会所へと戻ってしまう
タイムは書斎からは出ず 見送ったあと ため息をつく
タイム「…あとはゼロがやるか」
そして夜 倒れたテナルディエとゼロが会った
ゼロ「何を知ったの?」
ようやく ゆっくりとだが声を出す
ティナ「……ロザリーはどうなった」
ゼロ「知ってるんじゃないの?」
ティナ「お前の口から 聞かせろ お前が言えば 全部ほんとだろう…」
ゼロはテナルディエに近づく
彼はなんとか体を起こし 壁で体を支えながら ゼロの前に立つ
ゼロ「ロザリーは獄中で死んだ 予審中にね 君が死刑判決を受けたあの裁判前くらいかな」
膝をつきながら ゼロの話を聞く
俯いて ゆっくり呼吸し また顔をあげる
ティナ「娘は」
ゼロ「エポニーヌは去年の学生たちのあのバリケードの中で愛する人を庇って撃たれて死んだよ アゼルマは君と一緒にいる」
ゼロはテナルディエに手をかさない
ティナ「息子たちは」
ゼロ「ガブローシュと名乗ってたあの子も バリケードの中にいた 仲間のために弾を取りに外側にいって 撃たれて死んだ マニョンに金で貸してた下の2人は彼女は逮捕された後 行く当てを失い今頃浮浪児か…もう…」
テナルディエ一家の 物語内での末路はこうだった
しかしテナルディエ自身がこうなるのはゼロとしては一番避けたい状況だった
心身共に疲弊しきり 死にかけている 今にも息が止まってしまいそうだ
テナルディエは地面に手をつき また下を向く 腕で体を支えてはいるが うずくまるようになる
ゼロはしゃがみ 彼を正面から見る
ゼロ「…約束を果たしてない 君はどうしたい?今のままでいい?君にとって 家族がどうなろうと関係なかったはずだろうから じゃあ君の運命を変える?」
ティナ「黙れ」
ゼロ「今更 なんだよって?君の選択だ これだけははっきり言える 君には他の道だってあった でもこれは本来の道だ 君はアゼルマ以外の家族を失う 死刑判決 フランス国内じゃ生きていくのは難しい それで君はマリウスに言われるんだ アメリカへ行けと これはギュスターヴですら知ってる道だ」
ティナ「何が変えられるんだ あの日…言ってただろ…!?」
ゼロは手を前に伸ばし 手前に引っ張るような動作をする テナルディエの体が軽く浮いたと思えば そのままの体勢で壁へ引っ張られる
ゼロ「君は多少でも家族を愛していたみたいだね」
ティナ「全部が馬鹿らしい そんなわけがないだろ」
ゼロ「君が死ぬ話もあるって 伝えたよね まさか最後の最後でそっちへ向かうなんて…救うよ この際…それくらい」
壁の中へ入る 通路の途中でゼロが立ち止まり 腕を振ると テナルディエは先程までの辛さが多少マシになった
ゼロ「まだ生きていないと やることがある」
ティナ「いい加減はっきり言えよ 変えられる運命ってのはなんだ」
それは今からずっと前
出会いから3年の頃
集会所が襲撃を受け 一度説明が済んだ後 テナルディエはもう一度集会所にきた
その時に 物語を破壊し想造者を消し去ろうとするバグであるエターナルがタイムに化けた姿でテナルディエに話を持ちかけた
想造者を裏切れば お前の世界だけは助け 運命を変えてやろうと
さらにその直後 それに気づいたゼロがテナルディエの前に現れた
ゼロはテナルディエの裏切りを使ってエターナルをうまく嵌めてやろうとしていた
その時に情報をくれるたび 何かしら細かい報酬 金を与え さらに協力によって打ち倒せたら 唯一運命を変えられる世界にいる彼の周りの運命を変えるという約束をしていた
運命をひとつ 物語の展開として存在しているものなら 変える
ティナ「それは誰の運命だ」
ゼロ「それは言えないけど 君が変えたいと思う日がくるかもしれないものだよ 君自身の命に関わる事なのか 家族なのか…」
少し展開に違いのあるいくつものレ・ミゼラブルを混ぜて作られた今のテナルディエだからこそできる 本来不可能なはずの 未来の選択
その中でひとつ 違う運命を持つ人
ようやくその約束を果たす時がきた
白い道の途中で テナルディエはようやく立ち上がり ゼロは先に扉へ向かい 開けた
ゼロ「ほんの少しであっても 愛していたと気づいて 途端に思い出して…それは罪悪感?」
ゼロは椅子を引く
ゼロ「とりあえず 座りなよ 説明する」
テナルディエは彼女の言う通りに座り ゼロが正面の椅子に座るのをただ待った
ゼロ「話によって違いがあるのは 生き延びる君の家族 アゼルマはそもそもいない話もあるから あれだけど もう1人…君が助けられるとしたら その1人」
ティナ「子供たちか」
ゼロ「違う ロザリーだよ」
ティナ「ロザリー?ロザリーだけなのか?」
ゼロ「残念ながら バリケードの運命を変えるのは無理だよ 君の言葉なんか今更届かないし 止められないよ でもロザリーは…ようは逮捕されなければいい それか早いうちに逃がすか だね 話によってはそもそもあの事件が起きないし なぜかあっさり脱獄してたり その後は一切描かれなかったりで ロザリーだけ救える道がある 君にできるのはそれだけ 想造者として 私がしてあげられるのは その展開の変更だけ こう言っちゃあれだけど 物語にそこまで影響ないから」
娘や息子が死ぬのは 物語の中で必要なことであり だからこそゼロは変えられないと言う
強制的に変えようもないほど すでに2人はテナルディエからはすっかり離れている
ゼロ「…エポニーヌはね マリウスを庇って死ぬんだ ガブローシュは彼の意思でバリケードの中にいた たとえ悲惨でも その物語を否定できないし マリウスが助かるのは…他の人のとっても大事だ 彼は死んではいけない…から」
ティナ「ロザリー…だけか」
ゼロ「私はピレリの死を避けなかった これ以上の改変をしたくない でもせめて1人 牢の中で死ぬ最期を避けられるなら 手を貸したい 約束だから…君は本当の悪人だ 罪を重ねた でも あの日君は ロザリーとの約束だけは守ろうとしていた ロザリーだけは助けようとしていた 君は酷いやつだよ マリウスには同感だ でも…これ以外の過去を変えられないなら アゼルマのためだ 君と2人より 母親がいた方がいい 彼女は娘は愛していたから」
メサジェ・バハビエに殺されず 一緒に生き延び 親代わりになり 家族になったロザリー
ティナ「…わかった 俺は俺にできることをやる アゼルマとロザリーのためだ」
ゼロ「フランスを出ると壁は繋げられなくなる やるなら明日かな…」
その時 テンプスの扉がタイムの扉の右側の壁に現れ 開く
巻いた紙を持ったテンプスは 黙って2人のいる机に近づき 持っていた紙を広げ 縦長の図を見せた
ゼロ「な…なに?今テナルディエが最後の良心でもって人を助ける話を…」
テンプス「いまさらそんなもの罪滅ぼしにもならないような極悪人でも 約束したなら仕方ありません ですが 少しでも起こりうる問題を考えたんですか」
ゼロ「問題って 想造するの簡単じゃん」
テンプスはいいから図を見てくださいと指を指す
シンプルな図で まっすぐ下に伸びた線が2本に分かれ その先で各物語の題名が書かれ また線が伸び また1本の線に戻り その先にOWSと書かれていた
ゼロ「…ごめんわかんない」
テンプス「記憶保持しつつ時間を戻す その想造だけでは過去が変えられないです 変えるのではなく 別の道に行くだけで しかもそれが最終的に合流すべき場所に辿り着けないうえに 元の話が崩壊します」
ゼロ「え なんで 記憶保持で巻き戻すだけじゃ…」
テンプス「…この世界では最初から時間のあり方が決まってますから」
なんだか難解な話が始まったようで ただでさえ今日 色々と混乱して困惑し様々な感情に 過去の記憶にと振り回されたのに また訳のわからない話を聞かなければ この先ロザリーすら助けられないのかと テナルディエは1人絶望していた
END
出会いから15年
1833年8月27日
パリのある場所 暗闇の中 ふらふらと1人歩く男 ボロボロの外套を身にまとい 顔を隠すように 深くフードをかぶっている あたりを警戒しながら歩いていたが 足取りはだんだんと重くなり 壁に手をついて歩くようになり 細い路地の方へ曲がったところで ゆっくり前屈みになり 膝をつき それでも限界でついに倒れ込んでしまった
呼吸は弱く 命の炎が消えかけているような…
路地の奥は他の建物の壁があり 行き止まりになっていた 灯りはなく 暗い
奥の壁から すり抜けるように白い手が伸び 少し躊躇した後 中からゼロが出てきた
男のポケットの中にはたくさんの金があった 今日それを手に入れた
娘が1人一緒にいるはずなのに 今はいない
ゼロ「ティナ」
顔すらゼロのいる方へ向けない 返事はもちろんない 力なく ただ横たわるだけ
ゼロ「…まだ死なないでよ テナルディエ」
生きる希望を無くし 気力を失う そうなれば 弱った人は簡単に死んでしまう
ゼロ「何を知ったの?」
脱獄して以来 テナルディエは隠れながら生活していた
ある時 あの慈善家…バルジャンとコゼットのいる屋敷へ パトロン・ミネットと襲撃しようとしていたが そこにエポニーヌがいて 彼女がなぜか必死になって彼らを止め 叫んで警察まで呼ばれそうになり ついにパトロン・ミネットの連中が縁起が悪いものも見たし今日はダメだとやめてしまい そのままエポニーヌを残し また隠れていた
そこから少しして ラマルク将軍という人物の葬儀が行われた時 学生たちが中心になり革命を起こそうとする動きがあった
彼らはバリケードを築き軍と戦ったが 彼らの声に応える市民はおらず やがて最後のバリケードも一晩明け 崩れてしまった
死者の中にはエポニーヌとガブローシュがいたが この時テナルディエはそんなこと全く知らないでいた
彼はその短い革命の終わった日の夜 警察に跡をつけられているのに気づき 鍵を持っているので下水道へ向かい 扉を開けようとしたところで人影に気づいた
バルジャンが若い男の死体とそこにいたとか バルジャンと別れる時 その青年の服の切れ端だけ取ったとか 彼が外へ出たおかげで警察を撒いた…とか
色々あってなんとか逃げたあと 今度は年が変わり 結婚式を見かけた 馬車で移動する夫婦 コゼットだった
彼は唯一居場所がわかって表へ出れるアゼルマを使い家を突き止めた
すでに死刑判決を受けた情報は掴んでいたので 以前よりもっと慎重になっていたが この機会を逃すわけにはいかなかった
彼はとにかく例の男に関して調べ上げ ジャン・バルジャンという罪人で 脱獄囚だとわかった さらにはあの日青年を殺し その死体を運んでいた これを持っていけば 娘の結婚相手であるマリウス・ポンメルシーからうまく金を手に入れられるかもしれない なんならコゼットは やつの娘ではないだろうから より…より…
それでゼロと会う前日 変装し偽名を使い屋敷でマリウスと会った
だがすぐに正体を見破られ 伝えたことは全て知っていると言われた上に 実は殺したと思われていた青年は死にかけていた状態で バルジャンはそんな青年を助け それがマリウスであり マリウスはその恩人が誰なのかを知りたがっていた
陥れるどころか 身の潔白を全て証明してしまい 何もかも失敗してしまった
だが マリウスは彼に金を渡し さらにはニューヨークにいけば受け取れる手形まで用意し 罵りながら 彼を助けた
マリウスがテナルディエにそうしたのには理由があった 父親の遺言だった
敬愛する父の言葉は たとえその相手がテナルディエであろうと マリウスは裏切れなかった
マリウス「ワーテルローのお陰だぞ!!」
ティナ「ワーテルロー…?」
マリウスから与えられた千フランと五百フランをポケットにしまいながら なぜ ワーテルローなのかと思い呟いた
マリウス「そうだ 悪党め 君はそこで…大佐を救った」
テナルディエが戦地ワーテルローで救った将軍 …ではなく大佐であった人物が彼の父ジョルジュ・ポンメルシーだった 実は戦場でちゃんとポンメルシーと名を名乗っていたのだが テナルディエは最後の“メルシー”しか聞き取れなかった そこだけ聞き ありがとうと言われたのだと思ったのだ
ただこの時 その大佐と彼がどういう関係なのかまでマリウスは説明しなかったので テナルディエは困惑していた
けれどマリウスはテナルディエに何か言わせる気もないので 一方的に話し続けていた
マリウス「ここに三千フランある 明日にでもアメリカへ行くといい 唯一生き延びた娘と一緒に!君の妻はもう死んでいるんだぞ 僕はオピタル通りの破屋で君が何をしたか見て知ってるんだ ジョンドレットか?テナルディエか?大嘘つきの君だろうと ただ楽に暮らせるのを僕は望む 二度と僕らの前に現れるな 出発の時には僕が見届けてやる その時にニューヨークで受け取れる二万フランを恵んでやる 話は終わりだ さっさとどこかへ行ってしまえ!」
なにがなんだか 全く分からない ワーテルローがなぜそこまで罵倒する相手に金を与える理由になるのか もう顔を見たくないのになぜそこまでするのか 妻が死んだというのはなんだ 知らない 唯一生き延びた娘というのは?エポニーヌが死んだのか?まさか息子たちまで?なぜそこまで知っている ジョンドレットの名も あのあばら屋でのことも
ただもうこれ以上ここにいても 混乱するばかりで 金を手に入れるという当初の目的も果たされ さらには逃げ道まで用意された
ティナ「男爵閣下 この御恩は…長く忘れません…」
頭を下げ すぐに屋敷を出て行った
金を手にした彼は 混乱したまましばらく歩き 人気のない場所で壁に手を当て 中へ入る
理解が追いつかない 白い道を壁に手をつきながら歩く
一気にいろんなことを知りすぎた 整理ができない 考えようとすると…ダメだ
そのまま扉を開け 机を避けてさらに奥のタイムの扉を開け 城の中を歩き タイムを見つける
タイム「テナルディエ?」
ティナ「…時計を 受け取りに来た」
様子がおかしいことに気づいてはいたが 何も言わずタイムは彼を書斎へ案内した
暖炉の火は暖かく燃え 秒針の音が小さく聞こえる部屋の中で とりあえず座れと椅子を指す
タイム「今出すから 待っていろ」
椅子に座って タイムを待つ間 とにかく気分が最悪だった 今までにないほど 感情がおかしい
違う 前にも
息を呑む
悲鳴と怒声と それから蝋燭の光 手に残る嫌な感触 泣き声と 夜の闇 血の色 手触り
タイム「テナルディエ」
ハッとして前を見る タイムが少し心配そうに膝をついて テナルディエの肩に手を置いた もう片方の手にはあの懐中時計がある
タイム「…何かあったのか?」
答えられない 何があったかなんて 金と罵声と…知らなかったいくつかのこと…
説明すると 全部がおかしくなる気がする 気付いてはいけないことを 理解してしまうかもしれない 抑えないといけない 以前のように
ティナ「…なんでもない 時計を」
差し出す手が震える なんでかもう分からない タイムの真っ直ぐな目が 光る青の瞳が 今は恐ろしい 顔が見れないので時計を見て 受け取ろうとするが タイムは時計を握り 渡そうとしなかった
ティナ「なんだよ なぁ」
タイム「…こちらのセリフだ 何があった どう見ても様子がおかしい」
ティナ「…家族が死んだってのを なんで知ってるのかわからねぇようなやつから聞いたんだよ ワーテルローのことも あばら屋でのことも 全部知ってやがるやろうだ わけがわからねぇ あいつらが死んだとか 将軍が大佐だとか その上大金をくださった なんだあいつは あれも物語の一部か?家族が死んだのも物語の都合か?なんなんだ どうでもいいはずなのに 落ち着かねぇ なんでなんだ…」
タイムは物語のことは知らないでいたが テナルディエの様子がおかしい一番の理由はわかった
タイム「家族が亡くなったと聞いて 動揺しないはずがないだろう 君にも家族を想う心がある証だろうな」
ティナ「…俺がか?馬鹿言え そんな…」
家族が死んだ時の感覚が消えない
言葉は続かず 頭を抱え 困惑した表情のまま 項垂れ 違う と何度も呟く
しばらく黙ったあと 体を起こし 手を前に出す
ティナ「懐中時計 返してくれ」
タイム「わかった」
受け取ると すぐに立ち上がり タイムにそれ以上何も言わず部屋を出て集会所へと戻ってしまう
タイムは書斎からは出ず 見送ったあと ため息をつく
タイム「…あとはゼロがやるか」
そして夜 倒れたテナルディエとゼロが会った
ゼロ「何を知ったの?」
ようやく ゆっくりとだが声を出す
ティナ「……ロザリーはどうなった」
ゼロ「知ってるんじゃないの?」
ティナ「お前の口から 聞かせろ お前が言えば 全部ほんとだろう…」
ゼロはテナルディエに近づく
彼はなんとか体を起こし 壁で体を支えながら ゼロの前に立つ
ゼロ「ロザリーは獄中で死んだ 予審中にね 君が死刑判決を受けたあの裁判前くらいかな」
膝をつきながら ゼロの話を聞く
俯いて ゆっくり呼吸し また顔をあげる
ティナ「娘は」
ゼロ「エポニーヌは去年の学生たちのあのバリケードの中で愛する人を庇って撃たれて死んだよ アゼルマは君と一緒にいる」
ゼロはテナルディエに手をかさない
ティナ「息子たちは」
ゼロ「ガブローシュと名乗ってたあの子も バリケードの中にいた 仲間のために弾を取りに外側にいって 撃たれて死んだ マニョンに金で貸してた下の2人は彼女は逮捕された後 行く当てを失い今頃浮浪児か…もう…」
テナルディエ一家の 物語内での末路はこうだった
しかしテナルディエ自身がこうなるのはゼロとしては一番避けたい状況だった
心身共に疲弊しきり 死にかけている 今にも息が止まってしまいそうだ
テナルディエは地面に手をつき また下を向く 腕で体を支えてはいるが うずくまるようになる
ゼロはしゃがみ 彼を正面から見る
ゼロ「…約束を果たしてない 君はどうしたい?今のままでいい?君にとって 家族がどうなろうと関係なかったはずだろうから じゃあ君の運命を変える?」
ティナ「黙れ」
ゼロ「今更 なんだよって?君の選択だ これだけははっきり言える 君には他の道だってあった でもこれは本来の道だ 君はアゼルマ以外の家族を失う 死刑判決 フランス国内じゃ生きていくのは難しい それで君はマリウスに言われるんだ アメリカへ行けと これはギュスターヴですら知ってる道だ」
ティナ「何が変えられるんだ あの日…言ってただろ…!?」
ゼロは手を前に伸ばし 手前に引っ張るような動作をする テナルディエの体が軽く浮いたと思えば そのままの体勢で壁へ引っ張られる
ゼロ「君は多少でも家族を愛していたみたいだね」
ティナ「全部が馬鹿らしい そんなわけがないだろ」
ゼロ「君が死ぬ話もあるって 伝えたよね まさか最後の最後でそっちへ向かうなんて…救うよ この際…それくらい」
壁の中へ入る 通路の途中でゼロが立ち止まり 腕を振ると テナルディエは先程までの辛さが多少マシになった
ゼロ「まだ生きていないと やることがある」
ティナ「いい加減はっきり言えよ 変えられる運命ってのはなんだ」
それは今からずっと前
出会いから3年の頃
集会所が襲撃を受け 一度説明が済んだ後 テナルディエはもう一度集会所にきた
その時に 物語を破壊し想造者を消し去ろうとするバグであるエターナルがタイムに化けた姿でテナルディエに話を持ちかけた
想造者を裏切れば お前の世界だけは助け 運命を変えてやろうと
さらにその直後 それに気づいたゼロがテナルディエの前に現れた
ゼロはテナルディエの裏切りを使ってエターナルをうまく嵌めてやろうとしていた
その時に情報をくれるたび 何かしら細かい報酬 金を与え さらに協力によって打ち倒せたら 唯一運命を変えられる世界にいる彼の周りの運命を変えるという約束をしていた
運命をひとつ 物語の展開として存在しているものなら 変える
ティナ「それは誰の運命だ」
ゼロ「それは言えないけど 君が変えたいと思う日がくるかもしれないものだよ 君自身の命に関わる事なのか 家族なのか…」
少し展開に違いのあるいくつものレ・ミゼラブルを混ぜて作られた今のテナルディエだからこそできる 本来不可能なはずの 未来の選択
その中でひとつ 違う運命を持つ人
ようやくその約束を果たす時がきた
白い道の途中で テナルディエはようやく立ち上がり ゼロは先に扉へ向かい 開けた
ゼロ「ほんの少しであっても 愛していたと気づいて 途端に思い出して…それは罪悪感?」
ゼロは椅子を引く
ゼロ「とりあえず 座りなよ 説明する」
テナルディエは彼女の言う通りに座り ゼロが正面の椅子に座るのをただ待った
ゼロ「話によって違いがあるのは 生き延びる君の家族 アゼルマはそもそもいない話もあるから あれだけど もう1人…君が助けられるとしたら その1人」
ティナ「子供たちか」
ゼロ「違う ロザリーだよ」
ティナ「ロザリー?ロザリーだけなのか?」
ゼロ「残念ながら バリケードの運命を変えるのは無理だよ 君の言葉なんか今更届かないし 止められないよ でもロザリーは…ようは逮捕されなければいい それか早いうちに逃がすか だね 話によってはそもそもあの事件が起きないし なぜかあっさり脱獄してたり その後は一切描かれなかったりで ロザリーだけ救える道がある 君にできるのはそれだけ 想造者として 私がしてあげられるのは その展開の変更だけ こう言っちゃあれだけど 物語にそこまで影響ないから」
娘や息子が死ぬのは 物語の中で必要なことであり だからこそゼロは変えられないと言う
強制的に変えようもないほど すでに2人はテナルディエからはすっかり離れている
ゼロ「…エポニーヌはね マリウスを庇って死ぬんだ ガブローシュは彼の意思でバリケードの中にいた たとえ悲惨でも その物語を否定できないし マリウスが助かるのは…他の人のとっても大事だ 彼は死んではいけない…から」
ティナ「ロザリー…だけか」
ゼロ「私はピレリの死を避けなかった これ以上の改変をしたくない でもせめて1人 牢の中で死ぬ最期を避けられるなら 手を貸したい 約束だから…君は本当の悪人だ 罪を重ねた でも あの日君は ロザリーとの約束だけは守ろうとしていた ロザリーだけは助けようとしていた 君は酷いやつだよ マリウスには同感だ でも…これ以外の過去を変えられないなら アゼルマのためだ 君と2人より 母親がいた方がいい 彼女は娘は愛していたから」
メサジェ・バハビエに殺されず 一緒に生き延び 親代わりになり 家族になったロザリー
ティナ「…わかった 俺は俺にできることをやる アゼルマとロザリーのためだ」
ゼロ「フランスを出ると壁は繋げられなくなる やるなら明日かな…」
その時 テンプスの扉がタイムの扉の右側の壁に現れ 開く
巻いた紙を持ったテンプスは 黙って2人のいる机に近づき 持っていた紙を広げ 縦長の図を見せた
ゼロ「な…なに?今テナルディエが最後の良心でもって人を助ける話を…」
テンプス「いまさらそんなもの罪滅ぼしにもならないような極悪人でも 約束したなら仕方ありません ですが 少しでも起こりうる問題を考えたんですか」
ゼロ「問題って 想造するの簡単じゃん」
テンプスはいいから図を見てくださいと指を指す
シンプルな図で まっすぐ下に伸びた線が2本に分かれ その先で各物語の題名が書かれ また線が伸び また1本の線に戻り その先にOWSと書かれていた
ゼロ「…ごめんわかんない」
テンプス「記憶保持しつつ時間を戻す その想造だけでは過去が変えられないです 変えるのではなく 別の道に行くだけで しかもそれが最終的に合流すべき場所に辿り着けないうえに 元の話が崩壊します」
ゼロ「え なんで 記憶保持で巻き戻すだけじゃ…」
テンプス「…この世界では最初から時間のあり方が決まってますから」
なんだか難解な話が始まったようで ただでさえ今日 色々と混乱して困惑し様々な感情に 過去の記憶にと振り回されたのに また訳のわからない話を聞かなければ この先ロザリーすら助けられないのかと テナルディエは1人絶望していた
END