このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

第五章 テナルディエ

ロザリー・バハビエ

かつてパリのある場所に バハビエ一家がやっているパン屋があった 1832年にはすでにその店は無くそれも40年以上前のことになるので ほとんど誰も覚えていないような店だった
ただ 誰かがもしかしたら覚えているかもしれないような理由がある店でもあった
そこの夫婦の2人目の子供 長女として ロザリーは産まれた 1789年6月の中ごろ…ちょうど フランス革命の年だった

ロザリー・バハビエ 後にテナルディエの妻となる彼女だが 当時母親は産まれたのが娘だったのでずいぶんがっかりしていた
彼女の母ラシェルは彼女たちの父親であるメサジェ・バハビエのことを愛していて 彼との子で 何より彼に似る子が欲しかった 女の子は嫌だったし それが自分に似るかもしれないのがとにかく嫌だった

そのうちに下にも弟ができて 全員2歳ずつ離れていたのだが 母親は長男次男を可愛がりたくさんの愛情と優しさとその他色々全てを息子とメサジェに捧げていた
娘はメサジェの子なので仕方なく育ててはいたが しばらくしてやっぱり自分似に育ちそうだと思い始めてから顔を見たくもなくなり 一応食事は出すし着るものも与えて寝床もあったが 息子たちとは全く違う待遇にはしていた

では父メサジェの方はどうしていたかというと 全部ラシェルのしたいままやりたいようにさせていた 彼は別に 自分の子供は愛してなかったし 献身的だからそばに置いているだけで 別にラシェルのことも大して愛していなかった
なので当然かのように娘ロザリーのことなんて気にしてはいなかったし 彼女1人分にかかる金がラシェルのおかげで減るし 死なせるようなことをしているわけでもないので 何にも気にせず放っておいていた

どうしてラシェルがそうまでメサジェにつくすのかという理由まで遡り出そうにもロザリーが知らないので割愛

間も無く4歳になる頃からのロザリーの日常というのはずいぶん雑に扱われていて 朝食はないのでそのまま起きたら着替えをさせられ 寒い時にはまとうボロの枚数を増やされながら とりあえずと店の外に出された後 パン屋の右隣にある店との間に細い路地があるので その薄暗い路地にいつからか乱雑に放置された剥がれた畳石らしきものを椅子にして 昼まで上を見たり下を見たり 明るい表の路地から聞こえる子どもの声を聞いたり 母親が兄弟たちに歌う子守唄を うろ覚えで歌ったりしながら時間を潰して
仕方なく用意されているとわかる昼食を 母親の怒鳴り声で呼ばれて食べに向かい またこの場所へ戻り 薄暗くなるまで時間を潰し 暗いところへ置いとくのは隣の店にも迷惑だからと中へ連れられ 両親とも兄弟とも違う狭い屋根裏部屋で1人眠る
そんな日々を送っていた


ただそれが昔から 当たり前のことで 他の兄弟とも違うことを 寂しく思うけれど 自分があそこへ行くことはないのだろうと もう諦めていた

両親というのはそんなものなのだと思っていた
特定の子を可愛がり 他は死なせなければ放っておいてよくて…

ただ家族こそ側にいなかったが 暗い路地にいる彼女の元へ来る青年がいた 5歳になった頃出会った青年はロザリーよりも年上で 彼女が1人で寂しそうにしているのを見て 声をかけてきた
名前を聞かれて答えると 彼はすぐに彼女がバハビエの娘だと理解した
彼は路地の中でパン屋を背に隣の店の壁を見ながら話をしていたのだが その壁の店こそ彼が住む家で 彼の両親が経営する店だった
21歳で 少し前から家業を継ぐために勉強していたという彼は読み書きはそれなりにできて
彼がどこかにいる時に手に入れた本を使って ロザリーに文字を教えていた
おかげで彼女は読み書きができるようになっていた

彼女は彼をなんと呼べばいいのかわからず 尋ねたことがあった
しばらく考えた後にプティ・ジョンドレットと名乗った
彼女は聞いたそのままの名前で いつも彼を呼んだ 彼だけが ロザリーに優しく接してくれていた

可哀想な少女の 小さな幸せの時間
暗い牢の中で思い出す そんな幼い記憶の話



1832年

フォルス監獄の新館の上層には望楼…やぐら…屋根裏があり 三重の鉄格子がはめてあって 二重鉄板の扉がある そんな檻がいくかあり その中のひとつに2月3日の事件以来 テナルディエは入れられていた
両足にそれぞれ30kgの重さの鉄をつけられ 要注意の強盗として秘密に監禁されていた
二時間ごとの交代制で番兵が銃を持ち彼の檻の前を歩き 彼のいる場所は常に明かりが灯され 午後4時になると 番犬を連れた看守がやってきて パンとひと瓶の水と一皿の汁をベッドのそばにおいて 鉄枷と鉄格子を叩いて調べていた

そんな厳重な見張りのされる中 監獄の狭い廊下を 番兵がいるのも気にせず 檻の前にやってきた存在に気づいた時も 彼は何の反応もせず黙っていた

二重の鉄扉など存在しないかのように前へ進み すり抜け ベッドの上で顔を下に向け床を見て座る彼の前に 一切の音を立てずにやってくる

そこに何かいるから 顔を上げるのだと 番兵に見られるのはごめんだった 気でも狂ったのか 空中に話しかけるのも ありえない

ゼロ「…この場においては 君とは頭の中で喋ろうかな」

たとえ声を出そうが 番兵が中を覗こうが 彼女の声も姿もテナルディエ以外聞こえないし見えない
ようやく 顔を上げ ごく自然な動作で 彼女の顔を見る

よくもまぁこうなることを今まで黙っていやがったなとか言ってやりたいが 彼女は多少だが止めるような言動はしていた それを言ったところで 無駄でしかない

ゼロ「言いたいことは…色々あるだろうけど 私は本来傍観者だから…仕方ないでしょ」
ティナ「そんなことはどうでもいい」

口を開かず 表情もほとんど変えず 頭の中でだけ彼女に話しかけた

ゼロ「あぁそう…それでこれからどうするの?」

どうやら通じたらしいので このままそれとなく自然な動作をしながら 彼女との会話を続けた

ティナ「長くはいねぇよ…で 壁が通じないのはなんでだ まだ終わらないのか この話」
ゼロ「話は終わってないのはたしかだけど 関係ないよ 君が外の地面を踏むまでは 通じないようにしてる」


これで全部終わるかと思っていたが ゼロが言う通りなら 外に出られそうではあるし この先考えていることも実行できそうだ
最もそうなれば 2度と捕まるわけにはいかない 逃げるばかりの人生にはなりそうだが ここにいたところで出られることはないだろう

ティナ「タイムに預けた時計を 返してもらわねぇと」
ゼロ「…そうだね もう策はあるの?」
ティナ「お前には教える必要ねぇだろ」
ゼロ「わかったよ…こうなるの伝えられなかったのは申し訳なかったけど これも君が選んだ道だ」

ゼロはあまり長居するのもよくないだろうと 壁を抜けて帰ろうとするが それをテナルディエが声で止めた

ティナ「待った なぁ少しでも申し訳ないってんなら ひとつだけ俺の頼みを お前の力で叶えてくれないか」
ゼロ「何を?たいしたことしてあげられないよ」
ティナ「葡萄酒をひと瓶くれよ ちゃんと隠すから」

その言葉を言われると ゼロは腕を組んで彼とちゃんと向き合う

ゼロ「ただの…葡萄酒?」
ティナ「…理解してるだろ?麻酔剤入りが欲しい」

彼女がため息をつくので 流石にそんなことはしてくれないかと諦めかけたが

ゼロ「いいけど…ここでパッと出すのは無しだよ」

そうして 結果的にテナルディエは 誰もわからない入手源を使って この麻酔剤の入った葡萄酒を手に入れて 隠し持つこととなった

ゴルボーの件はやんわりと言ってきたのに対し今回はこうだ
結局話は続くとだけしか言われなかった たとえこれで失敗する運命なのだとしても 彼女は止めはしないだろう そうしないとどうなるのかはわかっている


ゼロは監獄からの帰り道 上に登る
そこに テンプスが待っていた

テンプス「脱獄する気でしたか」
ゼロ「長くはいないと言ってた 絶対やるだろうね そうじゃないと困る」


それからしばらくして 春になり
集会所では 恩人を亡くした悲しみもようやく時が流れ落ち着いていたギュスターヴや結婚を決めたというトビーが集まり ゼロもそこにいた

トビー「ティナは今どうなんです…?」
ゼロ「流行病が心配だけど 今のところ普通の囚人って感じ」
トビー「そうですか…」
ダステ「…そのうち出るだろうがな」
ゼロ「もう4月だし そろそろかもね」

ゼロはレ・ミゼラブルの扉の方を見た




1795年6月

ロザリーの父メサジェは 酒に酔うとどうにも手のつけようのないような怒りを周りにぶつけることがあり 隣の店の主人はそれを嫌って 彼を店に入れないでいた

そんな時でも 父から興味を持たれないロザリーにとっては 声は怖いが 中でひとしきり暴れれば 急にパタリと倒れて眠り 騒ぎもおさまるので いつものこと という感じだった

夕飯の後 1人だけいつも違う部屋に居させられるロザリーだが 今日は母の機嫌も良くなく 怒鳴られた後 外へ放り出され いつもの路地がさらに闇の中にあるにもかかわらず そこへいるしか無くなってしまった

しばらくして 店の中から酔った父が外へ出て 暗い路地にいるロザリーを一度だけ見て また前を向いてぶつぶつと何かを言いながら 隣の店へ向かった

本来隣の店はすでに戸を閉めているはずの時間だったのだが その日だけは開いていて メサジェは店の中へ入って行った

真夜中 プティ・ジョンドレットがここにいてくれたならどれだけ闇の中でも怖くはないのに と思いながら 横になり 膝を抱えて丸くなっていると 願いが届いたのかプティ・ジョンドレットの声が聞こえてきた

プティ「ロザリー」

その後の会話をよく覚えていないのだが
彼がぎゅっと抱きしめて 悲しいことも辛いことも 全部包み込んでくれて
夜の町を駆ける彼の腕の中で 優しさに包まれていた
それは覚えている


そんな思い出話をテナルディエにすると激怒されたので 彼女は2度と口にすることはなかった





…そして今 冷たい部屋の中 眠るロザリーの手の中には ロザリオが握らされていた




END
4/12ページ
スキ