第五章 テナルディエ
懐の中の時計
【Otherworldly Story】
第五章 テナルディエ
懐の中の時計
1815年 ナポレオンは皇帝の座に返り咲いた
彼は第七次対仏大同盟の大勢が整う前にこれを撃破しようと考えた
6月16日から3日間にかけ交戦し前哨戦には勝利したものの6月18日の戦いで大敗した
最後の戦いの地 それがワーテルロー
満月の元 足を血で濡らしながら歩く
ボロの外套で姿を隠し 進んで 立ち止まり あたりに何かいやしまいかと確認し 常に低い姿勢を保ち 怯えているような 獲物を狙うような…
息を殺し しゃがみ 何かを探す
他にもそういう奴らはいた
戦いの終わった戦場に現れる影 彼らは亡霊ではなく盗人だった
小さく息をはく 遠くで聞こえる銃声は 巡察兵によるものか それとも空耳か
死者ばかりの平原 敗北した兵士のポケットの中身に手を伸ばす 誰も何も言わず 動かない
こうして盗人のポケットには物が増えていく
明るいうちは激しい戦いの場であったそこを徘徊するのは 40を超えた男だった
死体を見る彼の目は ただ金目のものを探すばかりだった
死体の堆積 血潮の川
彼は突然立ち止まる
少し先 人と馬とが折り重なった下から伸びている開いた手 月明かりの下 見れば指に輝くもの…金の指輪
近づいてしゃがみ 慣れた手つきで取り 指輪を失った手を見た後 死体の山に背を向け しゃがんだまま両手をついて前のめりになり 辺りを用心深く伺い さてまた進むかと 立ち上がる
不意をつく嫌な感覚 死体の山しかないその場所で 後ろから誰かに掴まれた気がした
振り向くと さっき開いていた手が閉じ 彼の外套の裾を掴んでいる
しかし彼は怖がらず むしろ笑った
「…なんだ…死人か」
そうして笑ううちに手は力尽きたのか 彼を解放した
死人というより死にかけかと思い 試しに見てやろうと 他の死体をかき分け 腕を掴み 体を引っ張り 死んでるのか気を失っているのか 判断つかない胸甲騎兵…しかも将校らしかった
額にあるサーベル傷のせいで顔中血だらけだが それ以外は無事そうだった
胸甲の上につくレジオン・ドヌールの銀の十字勲章を取り さらに探り 時計と金入れを見つけ 自分のポケットに入れた
どこからか足音が聞こえる
それに気づいた時 目の前の死にかけた将校は 目を開けた
男が彼を荒々しく動かしたせいか 折り重なり方が良かったのか 空気の冷たさか 呼吸が楽になったからか とにかく 彼は
「…ありがとう」
と弱々しい声で伝えた
男からの返事はない 巡察兵かもしれない足音が聞こえ 彼はそれどころではない
「どちらが勝った」
死にそうな苦しみのこもった声でもなお 将校は話を続けた
仕方なく 男は答えた
「イギリスです」
「…僕のポケットに時計と財布がある 君にあげよう」
男がすでに取ったものだが 探るふりをする
もちろん 何も見つからない
「ないです」
「あぁ…誰かが盗んだか…残念だ 君にあげたかったが…」
巡察兵の足音が近づいてくると 男はだんだん焦ってくる
略奪者たちは見つかれば即銃殺になる だからずっと用心深くなければならなかった
男が立ち去ろうとすると 将校はなんとか腕を持ち上げ 彼を引き止める
「待ってくれ 僕の命を救ってくれたんだ 名前はなんという」
焦りながら 早口で答える
「私はあなたと同じようにフランスについていた 行かなければ 捕まれば殺される 命は救ったのだから あとは自分でなんとかしてください…」
そう言ってもう一度去ろうとするが 腕を離してくれない
「階級はなんだ」
答えなければ解放されないと思い 大人しく答えることにした
「軍曹です」
「名前はなんというんだ」
少し躊躇ったあと また近づく足音に気づき 答える
「…テナルディエ」
「その名前 忘れないぞ…僕の名前も覚えておいてくれ…僕は…」
将校はお礼を言い テナルディエはすぐさまその場を離れた
ポケットには戦利品 その中に 将校の金の指輪 銀の十字章 財布…そして懐中時計
共に戦場を駆け回った時計は彼の手に渡る頃には傷だらけで とても売れそうにないと判断した
それだけが理由だったのか 今ではもうわからない
テナルディエは兵士としてワーテルローにいたわけではなく 酒保商人であり略奪者である者たちの一員になり 戦地をくっついて回っていた 単なる盗人だった
それで 偶然助けた将校が 時計と財布を彼にくれようとしたのだ もちろん命を救ったのはたまたまだが
誰かに感謝され物を手にしたのは初めてだった
テナルディエは無事巡察兵に見つからず 手に入れた品を売り 資金を得た わずかなでしかなかったが それでなんとかしなければ
やがて妻と産まれたばかりの娘を連れた彼は モンフェルメイユにたどり着いた
彼はパリを出て 戦場に潜り込み 小さな村へたどり着き 宿屋を開いた
看板には血を流しているらしい将軍を背負う軍曹テナルディエの姿
彼の人生における 数少ない善行 偶然だとしても 確かにその将校は助かった
出会いから14年
そんな懐中時計を持って彼は壁の前にいた
用心深く辺りを見て 誰もいないことを確認する
10年以上の時間が流れ ろくに手入れをしていない時計は当然のように動かなくなり 外側の傷も酷く 売らない理由になっていた
しかしどんな理由があれど いつかは手放す時がくる
ゴルボー屋敷になんとか住めたものの まともに家賃を支払えず 去年の中頃には 2期分支払いが滞り もう追い出されるだろうと思っていた
しかしその時は隣の青年が代わりに支払い追い出さないよう言ってくれたらしく さらには5フラン追加でくれていた
おかげで今も住めている…住めてはいるが その後の家賃どころかパンを買う金すら無い毎日
娘たちを外へ走らせ 慈善家に手紙を出す テナルディエはジョンドレットとなったが それより多くの名前を使い 正体を偽り 手紙を出していた 売れない俳優や物書きや…何者でもないはずが 何者かになり それなりの理由をつけて より哀れな 助けが必要な そんな家族を見せつけた
それで多少パンや着る物を与えられたとして わずかな日数しのげば また何も無い日々が来る
ここ数日はあてもなく いよいよ追い詰められ 不便にはなるがナイフを売り それでもまだ不安は拭えず 仕方なく時計を売りたいが せめて動くようにしなければ 中身も酷い状態かもしれない…
世間を恨み 他人を妬む そんな暮らしをしていても集会所だけは変わらない
ギュスターヴやトビーにはできるだけ会いたくなかった 彼らの幸せな姿を見て恨み妬むようなことだけはしたくない
彼らが多くの不幸を乗り越えた先で ようやく手にしたのだと知っているから 自分が惨めな思いをするだけだ
今は2人とも仕事をしている時間のはず
辺りに人がいないか もう一度だけ確認し 壁の中に手を伸ばす
白い道を通り 奥の扉を開ける 集会所の中には誰もいない
振り返り 自分の扉の上を見る わずかに揺れる数字とその上の文字を見る
Les Misérables
1832/01/18
16:12:47
ティナ「…はぁ」
ポケットの中の時計を取り出す
今何時かなんてわからなくてもいい どうせ役に立たない
人を助けた証があっても どこにいるか分からなければ意味をなさない そんなこと何年も前から理解していた
時計に名前は刻まれていない 結局 あの男の名前は聞きそびれた ワーテルローの戦いに参加し 生き延びた将校 それしか知らない
タイムの城への扉を開ける
薄暗い城内を歩く こうしていれば どこかでタイムかウィルキンズに会える
しばらく歩いていると 城の中に初めて見る場所があった 城内の外側の方にある通路 そこには扉があった
ハート型のガラス枠 ハートの中にハートの装飾をされた窓 その下側中央に扉…中からの見える光は赤い
統一された色味の城内で 大時計以上の異様さを放つ場所を見て テナルディエは首を傾げた
タイム「どうした」
なんとなく気になって眺めていたら タイムが側に来ていた 赤い部屋に気を取られていたので 少し驚いたが 本来の目的はこっちだ
ティナ「お前に頼みがあるんだ これを直してほしい」
ポケットから時計を取り出して タイムに見せる
タイム「死んでしまったものか…直してもいいが…」
表と裏を見て しっかりと確認する これで状態が確認できているかはこちらの感覚ではわからないが タイムはわかるらしく 裏を見て少し難しい顔をする
タイム「ひと月かかる 部品を交換しないと生き返りそうにないが…今持っていないものだ」
ティナ「……わかった頼む また取りにくる」
時計をタイムに預け 来た道を戻る
すぐにでも 金が欲しい たとえわずかでもいいはず けれど売るために直してほしいと頼んでいるなんて思われたく無いので多少時間がかかってもすっかり直ればそれでいいことにした
テナルディエから預かった時計を手に タイムはまだそこにいた 彼の頭上でうつ伏せのような状態で浮かぶゼロが 膝を曲げた状態で立つような姿勢になり まだ浮いている
ゼロ「部品くらい 私が出すのに」
タイム「何をしに来た」
ゼロ「今日はやる気がでないから 漂ってるだけ」
今度は寝転がるような姿勢で緩やかに浮かびながら移動する
タイム「自分の世界でやってくれないか」
ゼロ「もうしばらくしたら戻るよ…あれ 時計ここにあるんだ」
ぐるっと体勢を変え 地面に足をつける
ハートの部屋を見て 少し元気を取り戻し 興味津々に眺める
ゼロ「そういえばこっちの方はあんまり来たことなかったな」
タイム「帰る気にはなったか?」
ゼロ「わかったよ 集会所に行く…今日は来る?」
タイムは首を振り 振り向いてどこかへ向かって歩いて行った
ゼロは手を開いて握り その場から集会所まで瞬時に移動した
中に入り 誰もいないのでなんとなくグルッと部屋の中を見て回る
ゼロ「…あ 今日出会った日か…ならギュスターヴは来るかな…」
01/18の文字を見てようやく気づく
今夜はギュスターヴとトビーには会えそうだと喜び そして次に気づいたことで 顔が曇る
その夜 ギュスターヴとトビーが集会所に来て ゼロ含め3人で 話をしていた
それは去年の話
その日のギュスターヴは休日 リゼットとデートに出かけたらしいが その時に ようやく思い入れのある服を着る決心がついたという
出会いから6年経った時 ヒューゴの世界へ来たピレリと外へ出かけ 彼が選んで買った服
いつか恋人ができたら それを着ていけと言われた あの時は久しぶりに充実した時間を過ごした 何より 今は亡き友人との思い出だ
そして話は一昨年 ラヴァンシー家にリゼットと共に行き 戦時中のアンドレ=ギュスターヴについての話をしていた
孤児だったギュスターヴにとって 家族に愛され家族を愛する彼の姿が どれほど幸福そうに見えたか
彼は戦時下でも 優しさや思いやりを損なわず 常に家族を思い 自らを奮い立て 仲間に勇気を与え ギュスターヴにも理由を持たせ 戦った
その最期を伝え 彼の思いを知った家族は涙を流す 喜びの涙 息子は 最期までよく知る彼のままであったのだと
リゼットの両親はギュスターヴを歓迎していた 最初に会った時の印象 今の印象 全て好感だったようだ
息子のことを知れた喜び 娘の幸せそうな姿を見れる喜び…
ギュスターヴもまた家族であるように接していた 家族のあたたかさ 笑い合う親子の姿
父と母も 幼い自分と共にいて こんなふうに過ごしていたのだろうか
窓の中から見ていた 外にしかない世界
幸せになってもいいのだと リゼットは言う
なら この幸せまでも望んでいいのだろうか
今の関係で 十分であると思っていたが リゼットがどう感じているかがわからない 3年一緒にいて その話が出たことはない
寄り添い合い 手を取り 歩いていればいいと
家族になる それまでも望む
それで リゼットに直接聞くべきなのだろうか 正しいかわからなくなり そういう時はとにかく集会所 まずは友人たち
ゼロ「そもそも…リゼットは君の家に引っ越したんでしょ?一緒に暮らすために」
ダステ「まぁ…彼女がそうしたいと言ってくれたから…」
ゼロ「私のイメージだけど…付き合って同棲して……あとは結婚では?」
大事な日のための服 着る日が来るのかと思っていたが それが今日になった
彼女と話し 食事をし 笑い合い そして強く思う 彼女と共に ずっと夢見た幸せの形を
ゼロとトビーには その決心を話した
夜になり 2人きりの静かなベンチ
…なぜ夜かというと 言うタイミングを1日掴めなかったからだが それはゼロたちには黙っていた
話をしたいと座ったはいいが 改めてそうなると 余計緊張する
本当にこの決心は正しかったのか 全くわからない
リゼットの方は察しよく ギュスターヴはなぜずっと黙っているのか 今日ずっとそわそわしているのか 少し期待するくらいにはわかっていた
しばらく沈黙が続いた時 ギュスターヴが項垂れる
ダステ「…らしくない言葉を言うのでは ダメだな」
そう言ってリゼットの方を改めて見て 困り顔で笑う
人から話を聞いて 計画を立てても ギュスターヴ自身に合っていなかった こんなふうではリゼットに呆れられてしまう
ダステ「多分君なら 私が今から何を言いたいか わかってしまっているんだと思う…けど できれば最後まで聞いて…答えてほしい」
真剣な顔をするギュスターヴを茶化すようなリゼットではない 作られた短い言葉のプロポーズは 彼にとって逆に難しかった
ダステ「君にいろんな言葉をもらった おかげで私は 前を向いて生きられるようになった 君には感謝してもしきれない それなのに私はそれ以上のものを望んでしまった…私はずっと 家族が欲しかった 愛の温もりを」
リゼットはギュスターヴの手を取る 優しく握り 目を合わせる 彼女はいつも うまく思いを伝えるのが苦手な彼を待っていた その言葉ひとつひとつから 彼の思いを感じ取っていた
ダステ「…私は君の優しさに甘えてばかりだ けれどこれからはもっと 私が君を助けたい 支えられるばかりではなく 私も支え いつまでも一緒に 過ごせたらと」
ギュスターヴはようやく ポケットから小さなケースを出す
ダステ「いつも…うまく伝えられなくてすまない これだけははっきり…言える 私は君を愛している 最期の時までずっと 側にいてくれないだろうか」
明かりの下 光る指輪の入ったケースを 緊張で少し震える手で差し出す
リゼットは顔を赤らめ 嬉しそうな顔で 頷く
リゼット「ギュスターヴ 私もあなたを愛しているわ そして知って欲しいの 私もあなたの愛に救われているのだと」
ギュスターヴがリゼットの指に指輪をはめる
手を取り合い 慣れないことをしたのもあって まだ残る気恥ずかしさと 喜びで 笑い合う
リゼット「またお母さんたちに会いに行きましょう 2人とも あなたのことがとても好きだから」
ダステ「…あぁ フュベールにも伝えに行こう 元気になってくれるかもしれない」
リゼット「そうね」
月明かりの下 手を繋ぎ 肩を寄せ合い 微笑んでいた
そして現在 14年目の集会所
ゼロ「約1年経ちましたが 結婚生活はどうです?」
ダステ「その口調はなんだ」
ゼロ「いや 私これ系の話がどうにも苦手で ほんと申し訳ない 笑って流して」
なぜそう言い訳をするのか 2人に不思議そうな目で見られたが 言わないでいるのもなんというか…
それで服の評価はどうだったのだろうか
そもそもからして5年以上クローゼットに眠っていたのだから 流行りが変わっていたなら…まぁリゼットに限って それで印象が悪くなることはないだろうが…
ダステ「会った時に似合ってると褒めてくれたよ 友人が選んだものだと伝えたら 素敵だと言われた」
ゼロ「ピレリのセンスは20世紀フランスで通用したんだなぁ…本人の服センスがあれなのになぜ…」
トビー「リドルフォのセンスが…?」
ゼロ「そこは あの 21世紀の感覚ですので深く考えないで」
またしばらく飲んだあと トビーがふと思ったことを2人に告げる
トビー「…最近テナルディエに会いました?」
ダステ「会ってない」
ゼロ「…会ってはない」
共に戦ってから2年経つが あれ以来会っていない気がする まともに会話をしたのも あの日が最後かもしれない
ダステ「…いつだった?」
ゼロ「2月に入ってすぐくらいじゃなかったかな…」
再び テナルディエの物語は動く そしてその末 彼に待ち受ける運命はなんなのか
ゼロ「でもティナは選択次第で…道は変わるかもしれない」
ダステ「選べるのか?」
ゼロ「…やるかやらないか 誰と…やるか でも 彼自身の運命と…あと1人以外 変えようがない」
トビー「…テナルディエになにか…起こるんですか」
ゼロとギュスターヴは難しい顔をする 何を思っても 何を言おうとしても テナルディエを変えられるものはない
決められた道 それ以外に無いかのように真っ直ぐに 全ての人物の選択はされていく
ゼロ「彼が来月タイムに依頼した時計を受け取りに来れるのかどうか それでわかる 事件は起きたのか」
揺れる文字が赤くなる時 物語の中にいる
壁に入れず 扉は開けられない
その時だけ 他の世界の物語とは関われない
その世界の 運命のままに
END
【Otherworldly Story】
第五章 テナルディエ
懐の中の時計
1815年 ナポレオンは皇帝の座に返り咲いた
彼は第七次対仏大同盟の大勢が整う前にこれを撃破しようと考えた
6月16日から3日間にかけ交戦し前哨戦には勝利したものの6月18日の戦いで大敗した
最後の戦いの地 それがワーテルロー
満月の元 足を血で濡らしながら歩く
ボロの外套で姿を隠し 進んで 立ち止まり あたりに何かいやしまいかと確認し 常に低い姿勢を保ち 怯えているような 獲物を狙うような…
息を殺し しゃがみ 何かを探す
他にもそういう奴らはいた
戦いの終わった戦場に現れる影 彼らは亡霊ではなく盗人だった
小さく息をはく 遠くで聞こえる銃声は 巡察兵によるものか それとも空耳か
死者ばかりの平原 敗北した兵士のポケットの中身に手を伸ばす 誰も何も言わず 動かない
こうして盗人のポケットには物が増えていく
明るいうちは激しい戦いの場であったそこを徘徊するのは 40を超えた男だった
死体を見る彼の目は ただ金目のものを探すばかりだった
死体の堆積 血潮の川
彼は突然立ち止まる
少し先 人と馬とが折り重なった下から伸びている開いた手 月明かりの下 見れば指に輝くもの…金の指輪
近づいてしゃがみ 慣れた手つきで取り 指輪を失った手を見た後 死体の山に背を向け しゃがんだまま両手をついて前のめりになり 辺りを用心深く伺い さてまた進むかと 立ち上がる
不意をつく嫌な感覚 死体の山しかないその場所で 後ろから誰かに掴まれた気がした
振り向くと さっき開いていた手が閉じ 彼の外套の裾を掴んでいる
しかし彼は怖がらず むしろ笑った
「…なんだ…死人か」
そうして笑ううちに手は力尽きたのか 彼を解放した
死人というより死にかけかと思い 試しに見てやろうと 他の死体をかき分け 腕を掴み 体を引っ張り 死んでるのか気を失っているのか 判断つかない胸甲騎兵…しかも将校らしかった
額にあるサーベル傷のせいで顔中血だらけだが それ以外は無事そうだった
胸甲の上につくレジオン・ドヌールの銀の十字勲章を取り さらに探り 時計と金入れを見つけ 自分のポケットに入れた
どこからか足音が聞こえる
それに気づいた時 目の前の死にかけた将校は 目を開けた
男が彼を荒々しく動かしたせいか 折り重なり方が良かったのか 空気の冷たさか 呼吸が楽になったからか とにかく 彼は
「…ありがとう」
と弱々しい声で伝えた
男からの返事はない 巡察兵かもしれない足音が聞こえ 彼はそれどころではない
「どちらが勝った」
死にそうな苦しみのこもった声でもなお 将校は話を続けた
仕方なく 男は答えた
「イギリスです」
「…僕のポケットに時計と財布がある 君にあげよう」
男がすでに取ったものだが 探るふりをする
もちろん 何も見つからない
「ないです」
「あぁ…誰かが盗んだか…残念だ 君にあげたかったが…」
巡察兵の足音が近づいてくると 男はだんだん焦ってくる
略奪者たちは見つかれば即銃殺になる だからずっと用心深くなければならなかった
男が立ち去ろうとすると 将校はなんとか腕を持ち上げ 彼を引き止める
「待ってくれ 僕の命を救ってくれたんだ 名前はなんという」
焦りながら 早口で答える
「私はあなたと同じようにフランスについていた 行かなければ 捕まれば殺される 命は救ったのだから あとは自分でなんとかしてください…」
そう言ってもう一度去ろうとするが 腕を離してくれない
「階級はなんだ」
答えなければ解放されないと思い 大人しく答えることにした
「軍曹です」
「名前はなんというんだ」
少し躊躇ったあと また近づく足音に気づき 答える
「…テナルディエ」
「その名前 忘れないぞ…僕の名前も覚えておいてくれ…僕は…」
将校はお礼を言い テナルディエはすぐさまその場を離れた
ポケットには戦利品 その中に 将校の金の指輪 銀の十字章 財布…そして懐中時計
共に戦場を駆け回った時計は彼の手に渡る頃には傷だらけで とても売れそうにないと判断した
それだけが理由だったのか 今ではもうわからない
テナルディエは兵士としてワーテルローにいたわけではなく 酒保商人であり略奪者である者たちの一員になり 戦地をくっついて回っていた 単なる盗人だった
それで 偶然助けた将校が 時計と財布を彼にくれようとしたのだ もちろん命を救ったのはたまたまだが
誰かに感謝され物を手にしたのは初めてだった
テナルディエは無事巡察兵に見つからず 手に入れた品を売り 資金を得た わずかなでしかなかったが それでなんとかしなければ
やがて妻と産まれたばかりの娘を連れた彼は モンフェルメイユにたどり着いた
彼はパリを出て 戦場に潜り込み 小さな村へたどり着き 宿屋を開いた
看板には血を流しているらしい将軍を背負う軍曹テナルディエの姿
彼の人生における 数少ない善行 偶然だとしても 確かにその将校は助かった
出会いから14年
そんな懐中時計を持って彼は壁の前にいた
用心深く辺りを見て 誰もいないことを確認する
10年以上の時間が流れ ろくに手入れをしていない時計は当然のように動かなくなり 外側の傷も酷く 売らない理由になっていた
しかしどんな理由があれど いつかは手放す時がくる
ゴルボー屋敷になんとか住めたものの まともに家賃を支払えず 去年の中頃には 2期分支払いが滞り もう追い出されるだろうと思っていた
しかしその時は隣の青年が代わりに支払い追い出さないよう言ってくれたらしく さらには5フラン追加でくれていた
おかげで今も住めている…住めてはいるが その後の家賃どころかパンを買う金すら無い毎日
娘たちを外へ走らせ 慈善家に手紙を出す テナルディエはジョンドレットとなったが それより多くの名前を使い 正体を偽り 手紙を出していた 売れない俳優や物書きや…何者でもないはずが 何者かになり それなりの理由をつけて より哀れな 助けが必要な そんな家族を見せつけた
それで多少パンや着る物を与えられたとして わずかな日数しのげば また何も無い日々が来る
ここ数日はあてもなく いよいよ追い詰められ 不便にはなるがナイフを売り それでもまだ不安は拭えず 仕方なく時計を売りたいが せめて動くようにしなければ 中身も酷い状態かもしれない…
世間を恨み 他人を妬む そんな暮らしをしていても集会所だけは変わらない
ギュスターヴやトビーにはできるだけ会いたくなかった 彼らの幸せな姿を見て恨み妬むようなことだけはしたくない
彼らが多くの不幸を乗り越えた先で ようやく手にしたのだと知っているから 自分が惨めな思いをするだけだ
今は2人とも仕事をしている時間のはず
辺りに人がいないか もう一度だけ確認し 壁の中に手を伸ばす
白い道を通り 奥の扉を開ける 集会所の中には誰もいない
振り返り 自分の扉の上を見る わずかに揺れる数字とその上の文字を見る
Les Misérables
1832/01/18
16:12:47
ティナ「…はぁ」
ポケットの中の時計を取り出す
今何時かなんてわからなくてもいい どうせ役に立たない
人を助けた証があっても どこにいるか分からなければ意味をなさない そんなこと何年も前から理解していた
時計に名前は刻まれていない 結局 あの男の名前は聞きそびれた ワーテルローの戦いに参加し 生き延びた将校 それしか知らない
タイムの城への扉を開ける
薄暗い城内を歩く こうしていれば どこかでタイムかウィルキンズに会える
しばらく歩いていると 城の中に初めて見る場所があった 城内の外側の方にある通路 そこには扉があった
ハート型のガラス枠 ハートの中にハートの装飾をされた窓 その下側中央に扉…中からの見える光は赤い
統一された色味の城内で 大時計以上の異様さを放つ場所を見て テナルディエは首を傾げた
タイム「どうした」
なんとなく気になって眺めていたら タイムが側に来ていた 赤い部屋に気を取られていたので 少し驚いたが 本来の目的はこっちだ
ティナ「お前に頼みがあるんだ これを直してほしい」
ポケットから時計を取り出して タイムに見せる
タイム「死んでしまったものか…直してもいいが…」
表と裏を見て しっかりと確認する これで状態が確認できているかはこちらの感覚ではわからないが タイムはわかるらしく 裏を見て少し難しい顔をする
タイム「ひと月かかる 部品を交換しないと生き返りそうにないが…今持っていないものだ」
ティナ「……わかった頼む また取りにくる」
時計をタイムに預け 来た道を戻る
すぐにでも 金が欲しい たとえわずかでもいいはず けれど売るために直してほしいと頼んでいるなんて思われたく無いので多少時間がかかってもすっかり直ればそれでいいことにした
テナルディエから預かった時計を手に タイムはまだそこにいた 彼の頭上でうつ伏せのような状態で浮かぶゼロが 膝を曲げた状態で立つような姿勢になり まだ浮いている
ゼロ「部品くらい 私が出すのに」
タイム「何をしに来た」
ゼロ「今日はやる気がでないから 漂ってるだけ」
今度は寝転がるような姿勢で緩やかに浮かびながら移動する
タイム「自分の世界でやってくれないか」
ゼロ「もうしばらくしたら戻るよ…あれ 時計ここにあるんだ」
ぐるっと体勢を変え 地面に足をつける
ハートの部屋を見て 少し元気を取り戻し 興味津々に眺める
ゼロ「そういえばこっちの方はあんまり来たことなかったな」
タイム「帰る気にはなったか?」
ゼロ「わかったよ 集会所に行く…今日は来る?」
タイムは首を振り 振り向いてどこかへ向かって歩いて行った
ゼロは手を開いて握り その場から集会所まで瞬時に移動した
中に入り 誰もいないのでなんとなくグルッと部屋の中を見て回る
ゼロ「…あ 今日出会った日か…ならギュスターヴは来るかな…」
01/18の文字を見てようやく気づく
今夜はギュスターヴとトビーには会えそうだと喜び そして次に気づいたことで 顔が曇る
その夜 ギュスターヴとトビーが集会所に来て ゼロ含め3人で 話をしていた
それは去年の話
その日のギュスターヴは休日 リゼットとデートに出かけたらしいが その時に ようやく思い入れのある服を着る決心がついたという
出会いから6年経った時 ヒューゴの世界へ来たピレリと外へ出かけ 彼が選んで買った服
いつか恋人ができたら それを着ていけと言われた あの時は久しぶりに充実した時間を過ごした 何より 今は亡き友人との思い出だ
そして話は一昨年 ラヴァンシー家にリゼットと共に行き 戦時中のアンドレ=ギュスターヴについての話をしていた
孤児だったギュスターヴにとって 家族に愛され家族を愛する彼の姿が どれほど幸福そうに見えたか
彼は戦時下でも 優しさや思いやりを損なわず 常に家族を思い 自らを奮い立て 仲間に勇気を与え ギュスターヴにも理由を持たせ 戦った
その最期を伝え 彼の思いを知った家族は涙を流す 喜びの涙 息子は 最期までよく知る彼のままであったのだと
リゼットの両親はギュスターヴを歓迎していた 最初に会った時の印象 今の印象 全て好感だったようだ
息子のことを知れた喜び 娘の幸せそうな姿を見れる喜び…
ギュスターヴもまた家族であるように接していた 家族のあたたかさ 笑い合う親子の姿
父と母も 幼い自分と共にいて こんなふうに過ごしていたのだろうか
窓の中から見ていた 外にしかない世界
幸せになってもいいのだと リゼットは言う
なら この幸せまでも望んでいいのだろうか
今の関係で 十分であると思っていたが リゼットがどう感じているかがわからない 3年一緒にいて その話が出たことはない
寄り添い合い 手を取り 歩いていればいいと
家族になる それまでも望む
それで リゼットに直接聞くべきなのだろうか 正しいかわからなくなり そういう時はとにかく集会所 まずは友人たち
ゼロ「そもそも…リゼットは君の家に引っ越したんでしょ?一緒に暮らすために」
ダステ「まぁ…彼女がそうしたいと言ってくれたから…」
ゼロ「私のイメージだけど…付き合って同棲して……あとは結婚では?」
大事な日のための服 着る日が来るのかと思っていたが それが今日になった
彼女と話し 食事をし 笑い合い そして強く思う 彼女と共に ずっと夢見た幸せの形を
ゼロとトビーには その決心を話した
夜になり 2人きりの静かなベンチ
…なぜ夜かというと 言うタイミングを1日掴めなかったからだが それはゼロたちには黙っていた
話をしたいと座ったはいいが 改めてそうなると 余計緊張する
本当にこの決心は正しかったのか 全くわからない
リゼットの方は察しよく ギュスターヴはなぜずっと黙っているのか 今日ずっとそわそわしているのか 少し期待するくらいにはわかっていた
しばらく沈黙が続いた時 ギュスターヴが項垂れる
ダステ「…らしくない言葉を言うのでは ダメだな」
そう言ってリゼットの方を改めて見て 困り顔で笑う
人から話を聞いて 計画を立てても ギュスターヴ自身に合っていなかった こんなふうではリゼットに呆れられてしまう
ダステ「多分君なら 私が今から何を言いたいか わかってしまっているんだと思う…けど できれば最後まで聞いて…答えてほしい」
真剣な顔をするギュスターヴを茶化すようなリゼットではない 作られた短い言葉のプロポーズは 彼にとって逆に難しかった
ダステ「君にいろんな言葉をもらった おかげで私は 前を向いて生きられるようになった 君には感謝してもしきれない それなのに私はそれ以上のものを望んでしまった…私はずっと 家族が欲しかった 愛の温もりを」
リゼットはギュスターヴの手を取る 優しく握り 目を合わせる 彼女はいつも うまく思いを伝えるのが苦手な彼を待っていた その言葉ひとつひとつから 彼の思いを感じ取っていた
ダステ「…私は君の優しさに甘えてばかりだ けれどこれからはもっと 私が君を助けたい 支えられるばかりではなく 私も支え いつまでも一緒に 過ごせたらと」
ギュスターヴはようやく ポケットから小さなケースを出す
ダステ「いつも…うまく伝えられなくてすまない これだけははっきり…言える 私は君を愛している 最期の時までずっと 側にいてくれないだろうか」
明かりの下 光る指輪の入ったケースを 緊張で少し震える手で差し出す
リゼットは顔を赤らめ 嬉しそうな顔で 頷く
リゼット「ギュスターヴ 私もあなたを愛しているわ そして知って欲しいの 私もあなたの愛に救われているのだと」
ギュスターヴがリゼットの指に指輪をはめる
手を取り合い 慣れないことをしたのもあって まだ残る気恥ずかしさと 喜びで 笑い合う
リゼット「またお母さんたちに会いに行きましょう 2人とも あなたのことがとても好きだから」
ダステ「…あぁ フュベールにも伝えに行こう 元気になってくれるかもしれない」
リゼット「そうね」
月明かりの下 手を繋ぎ 肩を寄せ合い 微笑んでいた
そして現在 14年目の集会所
ゼロ「約1年経ちましたが 結婚生活はどうです?」
ダステ「その口調はなんだ」
ゼロ「いや 私これ系の話がどうにも苦手で ほんと申し訳ない 笑って流して」
なぜそう言い訳をするのか 2人に不思議そうな目で見られたが 言わないでいるのもなんというか…
それで服の評価はどうだったのだろうか
そもそもからして5年以上クローゼットに眠っていたのだから 流行りが変わっていたなら…まぁリゼットに限って それで印象が悪くなることはないだろうが…
ダステ「会った時に似合ってると褒めてくれたよ 友人が選んだものだと伝えたら 素敵だと言われた」
ゼロ「ピレリのセンスは20世紀フランスで通用したんだなぁ…本人の服センスがあれなのになぜ…」
トビー「リドルフォのセンスが…?」
ゼロ「そこは あの 21世紀の感覚ですので深く考えないで」
またしばらく飲んだあと トビーがふと思ったことを2人に告げる
トビー「…最近テナルディエに会いました?」
ダステ「会ってない」
ゼロ「…会ってはない」
共に戦ってから2年経つが あれ以来会っていない気がする まともに会話をしたのも あの日が最後かもしれない
ダステ「…いつだった?」
ゼロ「2月に入ってすぐくらいじゃなかったかな…」
再び テナルディエの物語は動く そしてその末 彼に待ち受ける運命はなんなのか
ゼロ「でもティナは選択次第で…道は変わるかもしれない」
ダステ「選べるのか?」
ゼロ「…やるかやらないか 誰と…やるか でも 彼自身の運命と…あと1人以外 変えようがない」
トビー「…テナルディエになにか…起こるんですか」
ゼロとギュスターヴは難しい顔をする 何を思っても 何を言おうとしても テナルディエを変えられるものはない
決められた道 それ以外に無いかのように真っ直ぐに 全ての人物の選択はされていく
ゼロ「彼が来月タイムに依頼した時計を受け取りに来れるのかどうか それでわかる 事件は起きたのか」
揺れる文字が赤くなる時 物語の中にいる
壁に入れず 扉は開けられない
その時だけ 他の世界の物語とは関われない
その世界の 運命のままに
END