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第三章 ギュスターヴ・ダステ

胸にアイリスを

1931年 モンパルナス駅

下に降りてきたギュスターヴ

カフェ&バーを利用する客も少なくなった時に ギュスターヴはコーヒーを飲みながら 花屋の彼女の仕事を眺める

マダム・エミールに声をかけ 注文を済ませる
静かな時間
コーヒーを飲みながら 駅の様子を見ている もちろん彼女のことも…実際ほとんど彼女を見ていた そう距離はないのに 彼女はとても遠い存在に思える

コーヒーを飲み切ってしまうが まだここにいる理由が欲しかった

ダステ「…もう一杯いいかな」
エミーユ「今淹れてるところよ」

空のカップとソーサーを手に また花屋を見る
いつもこんな感じのギュスターヴを何年も見ているマダム・エミーユは降りてきた時からなんだか元気のない彼を 少し心配していた
休憩していただろうに なぜか回復していないように見える 彼女のことで悩んでいるのだろうかと思ったエミーユは 優しく話しかける

エミーユ「デミタスコーヒーにも 何にでも ちょうどいい頃合いがあるのよ」
ダステ「その“頃合い”が…いつかわかればいいんだがな…」

それでも彼女から目を離すことができない
美しく優しい笑顔に惹かれていた 神聖なものに触れるようで近づけないでいる こんな自分では…

エミーユ「ギュスターヴ 勇気を出して声をかけるのよ」

そう言われ 夫人の方を見る その勇気が持てない いつもの無表情のままだ

エミーユ「ほら最高の笑顔を見せて」

言われるままに思い浮かべた最高の笑顔を作ってみる しかし引き攣った顔になり エミーユを満足させられず 不満そうな顔をされてしまった

エミーユ「一番の笑顔よ」

自分の知る一番の笑顔を思い浮かべてみる 同じ顔ならピレリの笑顔はどうだろうか テナルディエの真似でもいい 口角を上げて 眉もあげて

まだ固いが それでも少しだけマシになった顔を見て エミーユ夫人は素敵だと評価した

エミーユ「とっても輝いてるわ」

そんなにいい表情をできているのかと ちょっと自信をもらったギュスターヴは 意を決して 今日こそは会話をしようと歩き始める ウェイトレスがおかわりのコーヒーを持ってきたので受け取る

ダステ「ありがとう」

そのままぐるっと後ろを向いて彼女の元に…行くなら 手に持っている空いたコーヒーと淹れたてのコーヒーは置いていかないと と先ほど高評価の笑顔を必死に固めながら またぐるっと振り返り コーヒーを机に置こうとすると エミーユ夫人が手を伸ばす
その手に2個のカップとソーサーを渡すと エミーユ夫人は 笑顔でエールを贈る

思いを言葉にすることなど難しいことじゃない いつもやれている とにかく話してみればいい
だがわずかな自信も彼女を前にするとどうしても弱る
彼女の背後で声をかけるタイミングを必死に探していると ちょうど振り向いた彼女が二度見して驚きながらも ギュスターヴの方に体を向けた

最初は驚いていたが 誰なのかわかると笑顔になった
ギュスターヴも懸命に一番の笑顔を保とうとする

ダステ「マドモワゼル・リゼット いい夜ですね」

急なことだったので しばらくなぜ鉄道公安官である彼に話しかけられたのかを考えているのか リゼットは少しの間返事を返せなかった

リゼット「……ムッシュ・インスペクター」
ダステ「はい そう…そうです」

名前呼ばれて肯定しただけ 会話になってないと気づいて チラッと花の方を見る 話の種はこれしかないと 懸命に考える
なんとか気まずい間を埋めようと 話す

ダステ「可愛い花束ですね とても」
リゼット「ありがとう グルドンの花なんです 夜行列車で届いたばかりで…」

会話が続いたが ここからどうするかなんて完全にノープランだ なので彼女の言った言葉から なんとか次に話を繋げようと 頭を回転させ 知ってる情報を引っ張り出す

ダステ「グルドン…あぁ 素晴らしい村だ 自然豊かだし気候もいい…牛もよく鳴いて…」

村の話をしてどうするんだ?と言葉を繋げながらも思う 花の話だ グルドンに対してだってそんなに詳しくないのだから 花…見た目以外…

ダステ「香るのかな それは」

牛の話をしたところで言い出したので 理解できなかったリゼットが きょとんとしている
言葉足らずだ これだからお前は…と心の中で自分を叱る

ダステ「花は 香るのかな…?」

そう言われて理解したリゼットは微笑んで答える

リゼット「少しですけれど」

花の方を見たギュスターヴに どうぞと勧める
そう言われて嬉しそうにゆっくりと前屈みになって綺麗な青い花の側で手をあおいで香りを嗅ごうとした
しかし顔を近づけた時 左足から嫌な音がする 足が動かなくなり バランスを崩して花に顔が当たってしまう

その姿を見て 驚いて顔を逸らすリゼット
装具の状態を見て 押し込む そしてリゼットの方を見る 彼女は今のギュスターヴを見ないようにしている
見てはいけないものを 見てしまったように

俯きながら体を起こしたギュスターヴは しばらく目線を下に向けたまま もう諦めようと覚悟を決めていた
情けない姿を見せてしまった 不完全な自分を

ダステ「戦争で負傷し2度と治らない 失礼します」

会釈し すぐさま振り向き歩き出す
悲しい後ろ姿を見て リゼットは自分が間違った反応をしてしまったと後悔した
彼は戦争で傷ついていた そうなのかもしれないと思ったことはあったが その傷から目を逸らしてしかった

過去に目を背けることはしたくないと 思っていたはずなのに

リゼット「兄は戦死しました」

戦争の話は 好んでするものではない 誰もが傷つき 多くを失っている それを伝えるとき いつも悲しく辛いあの日を思い出す
寄り添う気持ちなのか 何かを失ったのは自分も同じだと伝えるためか リゼットはギュスターヴにそれを伝えた

ギュスターヴはその言葉を聞いて振り向く
普段の彼女の明るい笑顔からは想像できていなかった 彼女もまた 戦争に奪われた人なのだと

ダステ「……どこで」

少し躊躇したがそれでも 答える

リゼット「ヴェルダンです」

ギュスターヴは その地の名前を聞いて 言葉を失った

一瞬 戦地の記憶が蘇るような そんな気がした
二度と思い出すことはないと思っていたのに 最近ずっとこんな調子だ

大勢の兵が死んだ あの戦争の中ではどこでもそうだったが ヴェルダンはギュスターヴにとっても特別だった 思い出せないことの方が多いのに その場所がどれだけ悲惨な戦場だったかを 理解していた

それを聞いて 言おうとした言葉があったが すぐに言うのをやめて口を閉じてしまう
言ったから なんだというのか…余計に傷つけてしまうかもしれない 何も言えない

もう笑顔が作れないでいたギュスターヴに対し リゼットは微笑みかけながら花を一輪切り取る
先ほどギュスターヴが香りを嗅ごうとした花と同じものだった

ギュスターヴの側にゆっくり近づき まだ彼女の行動を予想できていない彼に 花を見せる
彼の青い制服の胸元に刺した後 そっと触れる
距離が近づくと 背の高いギュスターヴと目を合わせるには上を見ないといけない
見上げる彼女の顔は優しい笑顔を浮かべている

リゼット「いい夜を 公安官さん」

目の前の彼女はもう ギュスターヴから目を逸らしてはいなかった 真っ直ぐな瞳は 特別な存在を映していた

ダステ「…あなたもいい夜を」

軽く帽子の鍔に触れ会釈する 花をその胸に受け取った時から 彼は自然な笑顔を浮かべていた
最後にもう一度だけ名残惜しい思いから彼女の顔を見て 振り返り歩く

エミーユ夫人の方を見て 頷いて合図する 思っていた以上のことが起きた

彼に花を贈ったリゼットは また仕事に戻ったが 振り返り 去っていく彼の背中を見送っていた

その姿はエミーユ夫人しか見ていなかったが 彼女にはリゼットのこともわかっていた

彼女も よくギュスターヴの姿を眺める時がある 店が隣なので 目に入る
彼は整った容姿をしていたし 明るい青の制服にあの背の高さなので駅の中では非常に目立った なので見つけるのは容易だった

常に難しい顔をしている姿も格好良く映る

ギュスターヴは一目惚れしたが リゼットは毎日見かけるたび 少しずつ他の駅で働く人々よりも興味を持つようになっていた それが恋にまでなっているかはわからないが 悪い印象は持っていなかった

どちらも 好意は持っていたが それを伝えることはまだできないでいた どう見てもギュスターヴは彼女に惹かれているが リゼットは確信できていなかった



胸に刺した花はアイリス



贈られた 良い知らせ



END
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