第一章 出会い そして
出会いの後で友人となり
【Otherworldly Story】
第一章 出会い そして
パリ モンパルナス駅
それから数日 公安官は壁の中には入らなかった
いつも通り 駅の安全のために マキシミリアンと見回り 浮浪児がいれば捕まえ孤児院へ送り 問題が起きた場所へすぐに駆けつけ そしてまた平穏な駅の中を歩いた
エミーユ夫人のカフェでデミタスコーヒーを飲み 右側の 何もない開けた場所を眺める
ただただ駅の壁があるだけのその場所
壁…ふと見ると思い出すのはあの日の出来事
もう来なくても別に構わないと言われたが どこか気になって仕方がなかった
不思議な場所だった
すり抜けた壁の先の 扉の向こうの…白い部屋
ゼロのことはもちろんだが 他の男たちのことも気になる テナルディエ以外は知らない奴らで タイムとかいう男に関しては どういう生命体なのか わからない 人間ではないようだが…
他の世界も 気になる
なぜだか気になって仕方がない もう一度 あの場所へ行ったところで 全てがわかるわけでもないというのに 事務所へ戻るたび 仕事中は入らないようにしている奥の部屋を覗き ベッド横の壁を見てしまう
ー集会所ー
ある時間を過ぎた頃 ゼロは集会所の椅子で のんびり本を読んでいた
この数日 テナルディエとピレリは強い興味を示してここへやってきていたが ギュスターヴだけは来ないままだったので 不安だった
必要以上に他人と関わらないようにしている彼が…あの流れで再び来ることは難しいのだろうか
第一印象が最悪だったことは認めるが それでももう一度くらいは…
すると 扉が開いた
いつも通りの時間 ピレリとテナルディエがやってきた
ゼロ「…君らはすぐに馴染んだね」
ティナ「タダ酒貰いに来ただけだ」
ピレリ「同じく」
ピレリとテナルディエはどこか似た面があったのか 数日過ごすうちに 距離が縮まった様子だった ついでに ゼロとの距離感も
ゼロは手を握って開く動作を2回し テーブルにジンの瓶とグラスを用意する
ゼロ「私 タイムのとこ行ってくるから 足りなくなったら足すけど とりあえず適当に…どうぞ」
ピレリが蓋の開いた瓶を傾け グラスに注ぎながらゼロを見送った
タイムは滅多にここへ来ない なにより気になる存在ではあったし そもそも名前がタイム(時間)であることへの疑問も解決していない
ティナ「そういえば聞いてなかったが お前 その格好で何の仕事をしてるんだ?」
ピレリの派手な装いは気になった
鮮やかな青の服に金の刺繍 何かの衣装のような こんな格好で街中歩いてるのだろうか
ピレリ「理髪師だ 物売りも週に一度しているがな」
ティナ「なんだ理髪師か わざわざロンドンで?お前 イタリア人だろ?」
ピレリ「色々と事情があってイギリスに来たんだ」
そう言って 彼はグラスの中のジンを飲み干す
酒が強いのか このイタリア人はいつも大量に酒を飲んで帰る
ピレリ「お前は何を?」
ティナ「宿屋と…ちょっとした安料理屋だ」
ピレリ「宿屋は儲からないか」
ティナ「金はないさ いつだってな」
テナルディエもまた グラスの酒を飲み干す
時計代わりの揺れ動く文字が扉の下にあるが それをふと見ると ゼロが出て行ってから30分経っていた
タイムの世界の扉は開かないままだったが あの日以来今まで空くことのなかった “Hugo”の扉が開いた
ティナ「ん?」
中からはギュスターヴが出てきた
キィ という音に目を向けると 最初に会った時には気づかなかった 足の補装具が見えた
公安官「…ゼロはいないのか?」
ティナ「今はタイムの城だ……おや 知らないだけで あんたもここに来ていたのか?あいつの名前を呼ぶなんて」
覚えやすい名前だからずっと頭に残っていただけで あれ以来一度だってここに来たことはない
それを説明するために 彼らと会話したくなかったので 何と言ったのか聞き取れない返事をして 椅子に座る
ティナ「あれ以来は初めてだったな 制服の男」
公安官「ギュスターヴ・ダステだ」
ティナ「あぁギュスターヴ・ダステな…俺はテナルディエ」
公安官「知っている」
ピレリ「私はアドルフォ・ピレリだ 機嫌が悪いようだな ダステ」
公安官「…」
不機嫌そうな表情を一切崩さないままの彼に対し どうしたものかとテナルディエとピレリは顔を合わせる
数日経って顔を見せたかと思えば ただ椅子に座るだけで こちらを見向きもしない
何のために来たのだろうか ただの様子見?
テナルディエが酒を呷ると 時計を見た公安官がその姿を見る
ティナ「…なんだ」
公安官「宿の仕事はもう終えたのか」
ティナ「なんで俺が宿屋だと知ってる」
公安官「…ゼロから聞いた」
ティナ「あぁ なるほどな…やつか……仕事は終わった お前は?何の仕事をしてる?」
そう言ってまたグラスに酒を注いだ
公安官「公安官だ 駅の」
ピレリ・ティナ「駅の?」
公安官「…公安官だ」
扉が開く ゼロが“Alice through the looking glass”の世界から戻ってきた
そこに公安官の姿があり 目が合った
ゼロ「ある種の警察官…?公安官って」
公安官「ゼロ…」
ゼロ「ようやく来てくれたね」
ティナ「お前 なんでこいつには俺たちの仕事教えて俺らには何も言わずだったんだ」
ゼロ「え?」
まずい…とギュスターヴはテナルディエを見る
レ・ミゼラブルを知っていると分かれば色々聞かれることになる それが嫌であの時は誤魔化したのに ゼロに一度も会っていないことが知られれば 先ほどの発言は嘘になる
ゼロ「話の流れでたまたましただけだよ そういえば 君らとはしてなかったっけ」
驚くことにゼロは発言をギュスターヴに合わせた まだまともに話したこともない相手なのにも関わらず 話の流れをどう理解したのかもわからないが とにかく彼女はギュスターヴをかばった
ティナ「してない そもそも想造者ってのについても聞いてないしタイムのことも…思えばこの数日お前らから何も聞き出せてねぇな」
ゼロ「答えられる範囲なら いくらでもどうぞ」
ピレリ「隠すことはあるのか」
前のめりになって聞くピレリに対し ゼロは冷静な口調のまま
ゼロ「誰にでもあることでしょ 隠し事なんてさ 何と無くでも 知られたくないことの一つや二つ…」
といい椅子に座った
それを聞いてピレリはゼロから目を逸らし それもそうかと深く座り直した
ゼロ「公安官は何か飲む?」
公安官「いらない」
ゼロ「そう?」
テナルディエとピレリはもう空になるジンを少しずつ分けあった ゼロはそれを見た後 空の瓶を手を一振りして消し去った
ゼロ「おかわりは?」
ティナ「今日はいい」
ピレリ「私もいい」
さっさと飲み干してしまうと 少し乱暴にグラスを机に置く
ゼロは3人の様子を見て 残念そうな顔をする
ゼロ「公安官も宿屋も理髪師も ここに来たならそんな顔しないでほしいんだけどな…せっかくの…集まりなんだし」
ピレリ「同じ顔をしている というだけのことで集めて すぐに気が合うはずもないだろう」
ゼロ「同じ顔ってのは別に…君らは文字の世界の人だから…それを演じた人が同じなんだよ だから…実体化させると同じ顔になる 私の中のイメージがそれだから」
ゼロは4冊の本を空中に出現させ 踊らせる
それぞれの題名の書かれた本を見る
ティナ「お前は俺たちの全てを知っているってことか?」
ゼロ「物語は 君たちの人生のほんの一部のみを切り取る 君らには過去があり未来があるけれど 物語なんてその一部しか描かない 私が知るのはこの文字の限り それ以外は 実体化させる時に私の意識の範囲外で補完される だから 全部は知らない」
ゼロは“Sweeney Todd”の本だけを消してしまう
それ以外の本を机の上に置き どこから取り出したのか 剃刀を持っている
ゼロ「“Sweeney Todd”だけは…小説ではないけど…舞台とか…ほら 映画とかね 私の時代にはあるんだよ」
彼らの時代にそれはあったのか
ゼロはうろ覚えなのか 単語を探り探り並べる
ピレリとテナルディエはもう本の中の人物だと言われたことはなんとも思わないが 全てを知られているのだけは苛立ってしょうがなかった…知っている範囲があるようなので まぁその範囲がどのくらいかで また思いは違ってくるが…とにかく ゼロの住む世界と時間には 全員の物語を知ることができる何かしらがあり 彼らの時代には それがないようだった
ゼロ「君らは君らの物語を読むことはできない ここに出した本に いくら私が書き込もうとも読めない 筋書きは変えられない 私が決めたことではないからね さぁて 物語以外に質問は?」
ティナ「“Les Misérables”については何も聞くなと?」
ゼロ「内容に関しての質問は無し 絶対に教えられない ハッピーエンドなのか バッドエンドなのかも」
ティナ「…レ・ミゼラブル(哀れな人々)という題名で ハッピーエンドとかあるのか?」
ゼロ「そもそも君らは主人公じゃない 物語のハッピーエンドが必ずしも君らのハッピーエンドじゃない その逆も然り…内容聞いたってどうにもなりはしないよ」
ゼロはパッと手を開き 彼女の紅茶を出す
物を浮かし 操る程度なら 容易いのか いつもの手を握って開く動きすらしない
もう そのおかしな光景は見慣れた
この魔法使い…想造力使い?は 何を彼らに知らしめたいのか 彼らに何を思わせたいのか
なぜ最初に 物語の登場人物だと教えたのか そこに何か意味はあるのか ただ混乱を招き 内容に関しては答えない 物語も読めない
まだ 物語の中ではないのだろうか
ゼロ「君らは私を利用できることといえば この部屋でお茶でも酒でも要求することだよ 少しのお菓子と 料理と共に…君らは互いを助け合えない 利用できない 同じ時間の中で生きていない………のだから」
そう言って一口飲む
彼女はどうしても 彼らをここに呼びたかった
単なる興味と ある目的と 永遠の暇つぶし
ゼロ「私は永遠の命でさ 友達いないんだよ だからこうして時々 下手なやり方で友人を探すんだ」
彼らは彼女について詳しく聞こうとする前に ゼロは自らのことも語り始めた 彼らは何も言わず ただ椅子に深く座り話を聞くだけだ
彼女と同じ空間にいると 不思議な感覚に陥る 別に まだここにいてもいい気分になる 彼らと 話をしてもいいような気になる
彼女の魔法だろうか
もうジンもいらない
ゼロ「想造者は物語を作り 現実化させて 世界を作って 管理…見守り…何百年と続けると 周りには仕事仲間ばかり というか…部下 配下?私と同じところにいる…誰かがいない 友人という 対等な…存在 想造者は他にもいるけど」
ゼロはまだ 1人で勝手に喋っている
ただただ友達のいない独りぼっちの身勝手ときたか
ゼロ「まぁ他にも理由はあるけど そこは君らは気にしなくていいし」
ゼロは足を組み グイッと伸びをした
そして体を少し曲げ ひじかけに腕を置いて そちらに重心を移した
ゼロ「それに私は 君らに興味があって 何より好きな登場人物だ 強い 強い興味の対象 君らに一度会ってみたかった 話してみたかった 君らが私の前に現れた時 どのような人物なのか 私のような人ならざる者に対してどのような反応を見せるのか 君たちの世界を この目で見ることができたなら…そしてあわよくば 友人になれたならば…」
ゼロは食器を片付ける 一瞬にして 全て消し去る
思えば彼女は なんでも簡単に消し去る
もしうまくいかなければ 消し去る ということもできてしまう
もし彼女がここにいる誰とも友人になれなかったとして ならばと消して…しまえる?
ピレリはそこまで考えて 少し恐れを抱いた
彼女は易々となんでもやってのけてしまう
物語を現実とし 全てをつなげる部屋を作り 完璧なジンを作り出す
酒も 食器も 自分たちも 同じ力で生み出した
あまりにも強大な力で 逆に 何も感じ取れないほどの
従うべきか 望みを叶えるべきか
仲良くして損はないか 恩恵はあるのか?
物語を 変えることだって 本来容易いはずだ
子供のわがままで 広大な物語の世界を作り上げてみせる
考えることは単純
尊大な神のような面を感じない
創造主なのに
ピレリとテナルディエは 本来の世界で 彼女も彼らも利用しようのないことは理解した
ならばその上で 何か策を練ることもなく付き合える…知り合いからの友人ができる
悪いということは特にないのかもしれない
…もちろんここ数日の間で感じた限りであり この先も損がないかどうかはまだわからないが
想造者とは 仲良くしていた方が いつか説得でもして バッドエンドを変えさせるまでに至れるならば
バッドエンドに限らないが 至る可能性もある
ならば
ゼロ「(…まぁ2人は大丈夫かな…大丈夫だといいんだけどな…)」
人付き合いを 損得で考えるピレリとテナルディエなら 想造力を持つ自分を突き放すことは よっぽどこの数日で嫌われていない限りは大丈夫だろうとゼロは思っていた
何より 仲良くなれる雰囲気は想造力に頼っていた
だがギュスターヴだけは 表情が変わらない
人付き合いを 利用できるかとか そういうところでするわけではない彼を どうしたものかとゼロは頭を悩ませる
ゼロにとって最初の課題だった 何にもならないようなことをつらつら述べている間 ギュスターヴの反応を一番気にしていた
彼は仕事上の付き合いしかしない それ以上の仲になる必要性を感じていないし そもそも方法を知らないのかもしれない
彼女はギュスターヴを理解し切れてはいなかった テナルディエもピレリもわからない面は確かにあるが
何よりギュスターヴに友人と呼べる人物がいないのを知っていた
仕事仲間か 同じ駅で働く知り合いか…
ゼロ「(想造力にもっと頼ってもいいけど…)」
その時 ゼロの後ろの扉からタイムが現れる
自分以外全員が揃っている姿を見て 少しだけ驚いた様子で そのままゼロの左隣 ギュスターヴの前の席に座った
タイムが何かを言う前に ギュスターヴは彼女の話に対する返答をした
公安官「君が友人になりたいと頼むのなら 私は構わない」
ゼロ「え?」
タイム「なんだ 何の話だ」
ギュスターヴの突然の言葉に 話の流れを一切知らないタイムが困惑する
公安官「頼まれての友人だ 本当になれるかは君次第で これから先私は君を 君は私たちを知らなければ無理だろうな きっと」
ゼロ「友人になりたいって 話を…受けてくれる…なんて…ね」
あぁ…とタイムは理解し テナルディエとピレリの方を見た
ギュスターヴがようやく喋ったので 2人はギュスターヴの方を見た
ティナ「俺もまぁ 構いやしないけどな どうであれ ここには来るだろうからな」
ピレリ「関係性の呼び名が変わる程度 どうでもいい」
公安官「無理矢理にでも私たちをここへ連れてきた君を憐れんでるんだよ私は」
ゼロ「…構わないよ いっそそれくらいがいい なら次も ここへ来てくれるんだね 私がいてもいなくても ここでは好きに過ごしていい 私はいつでも君らを見ているわけではない ただこの場にいるときだけでも 友人でいられるのなら」
ゼロは立ち上がる
紫の目は 不思議な輝きを持っている そして今は 本当に喜んでいるようで 心の底からの…笑顔を見せている
ゼロ「いつの日か 君たちに友だと言ってもらえるように…人として 努力はさせてもらうよ この世界でならきっと 君たちは真の友になれるはずだと 信じたいしね」
“Alice through the looking glass”の扉の左隣に 同じデザインの扉が現れた
ゼロ「今日は帰るよ 他の仕事があるから また会う日まで じゃあね」
そう言ってその扉に入っていく
彼女がいなくなると 部屋は途端に静かになる
しばらくの沈黙の後 タイムが立ち上がり 自分の扉へ戻って行こうとする
後頭部の機械を見ると ゼロ以上におかしな存在だと思えてくる
ティナ「ようタイム あんたは何をしてるんだ?全く話を聞いたことがねぇが ゼロみたいな仕事か?」
タイム「…私は“時間”として すべきことをしているだけだ」
ピレリ「…どういうことだ」
タイム「そのままだ」
そう言って彼は扉から出て行ってしまった
テナルディエもピレリも“はあ?”という正直な表情をしていた
全くもって質問に答えてもらっていない
時間としてすべきことってのはなんなんだ
ピレリ「ゼロもタイムも よくわからない奴らだな」
ティナ「人間じゃねぇからそりゃわかんねぇな…しかし面倒なことを引き受けたな 公安官殿」
公安官「意味のわからない話を長く聞くよりはマシだと思っただけだ」
ティナ「ははぁ 確かにな あいつの話を聞いたとこで何も得るものはないしなぁ」
テナルディエは立ち上がり それを見てピレリも立ち上がる
公安官はその姿を見たが 座ったままだった
ティナ「俺からすれば まだまだあんたもよくわからないがな せっかく知り合えたんだ 仲良くしようぜ公安官殿」
公安官「ギュスターヴ・ダステだ」
ティナ「あぁ…ダステか…」
ピレリ「また会えたなら 共に酒でも飲もう じゃあな」
一足先にピレリが扉に入り テナルディエは表情の変わらないギュスターヴを見て どいつもこいつも…と呟きながら扉へ入った
ギュスターヴは誰もいなくなった部屋の中 この先も 彼女に言った通り友人として ここへ来るべきかどうかを考えていた
テナルディエもピレリもタイムも 無理に関わることもない なにより無意味で 時間の無駄でしかないだろう
だが自分の住む世界に何一つ関係のない彼らなら 何も…気にすることはないのかもしれない
関わったところで こちらに利益がない代わりに不利益もないという
何も気にせず 友人でいることもできるかもしれない
これを友人と呼ぶのか そこに友情はあるのか
ただ名だけを友人とすることは正しいことだったのか
損はない 暇はしないだろう なにより一度だけ読んだことのあるレ・ミゼラブルのテナルディエがここにいる
ほんの僅かな興味 人ではないゼロやタイムへの興味
知らない物語 スウィーニー・トッド
ギュスターヴは特別本が好きというわけではなかった 不思議な世界にも 興味を抱くような性格ではなかった
この摩訶不思議な世界は現実でしかない あり得ないこともあり得ている
確かにテナルディエはここにいた
同じ顔というのだけが引っかかって仕方ないが それ以上に…
今の彼はいつの彼だ?
知りたいという欲がある
知ったところでどうにもならないとわかっていても 彼らを知りたい
友人など必要ないが だからといってこの世界から離れたいわけではない
もう帰ろう 長くいる場所ではない
そしてその日の集まりは終わった
END
【Otherworldly Story】
第一章 出会い そして
パリ モンパルナス駅
それから数日 公安官は壁の中には入らなかった
いつも通り 駅の安全のために マキシミリアンと見回り 浮浪児がいれば捕まえ孤児院へ送り 問題が起きた場所へすぐに駆けつけ そしてまた平穏な駅の中を歩いた
エミーユ夫人のカフェでデミタスコーヒーを飲み 右側の 何もない開けた場所を眺める
ただただ駅の壁があるだけのその場所
壁…ふと見ると思い出すのはあの日の出来事
もう来なくても別に構わないと言われたが どこか気になって仕方がなかった
不思議な場所だった
すり抜けた壁の先の 扉の向こうの…白い部屋
ゼロのことはもちろんだが 他の男たちのことも気になる テナルディエ以外は知らない奴らで タイムとかいう男に関しては どういう生命体なのか わからない 人間ではないようだが…
他の世界も 気になる
なぜだか気になって仕方がない もう一度 あの場所へ行ったところで 全てがわかるわけでもないというのに 事務所へ戻るたび 仕事中は入らないようにしている奥の部屋を覗き ベッド横の壁を見てしまう
ー集会所ー
ある時間を過ぎた頃 ゼロは集会所の椅子で のんびり本を読んでいた
この数日 テナルディエとピレリは強い興味を示してここへやってきていたが ギュスターヴだけは来ないままだったので 不安だった
必要以上に他人と関わらないようにしている彼が…あの流れで再び来ることは難しいのだろうか
第一印象が最悪だったことは認めるが それでももう一度くらいは…
すると 扉が開いた
いつも通りの時間 ピレリとテナルディエがやってきた
ゼロ「…君らはすぐに馴染んだね」
ティナ「タダ酒貰いに来ただけだ」
ピレリ「同じく」
ピレリとテナルディエはどこか似た面があったのか 数日過ごすうちに 距離が縮まった様子だった ついでに ゼロとの距離感も
ゼロは手を握って開く動作を2回し テーブルにジンの瓶とグラスを用意する
ゼロ「私 タイムのとこ行ってくるから 足りなくなったら足すけど とりあえず適当に…どうぞ」
ピレリが蓋の開いた瓶を傾け グラスに注ぎながらゼロを見送った
タイムは滅多にここへ来ない なにより気になる存在ではあったし そもそも名前がタイム(時間)であることへの疑問も解決していない
ティナ「そういえば聞いてなかったが お前 その格好で何の仕事をしてるんだ?」
ピレリの派手な装いは気になった
鮮やかな青の服に金の刺繍 何かの衣装のような こんな格好で街中歩いてるのだろうか
ピレリ「理髪師だ 物売りも週に一度しているがな」
ティナ「なんだ理髪師か わざわざロンドンで?お前 イタリア人だろ?」
ピレリ「色々と事情があってイギリスに来たんだ」
そう言って 彼はグラスの中のジンを飲み干す
酒が強いのか このイタリア人はいつも大量に酒を飲んで帰る
ピレリ「お前は何を?」
ティナ「宿屋と…ちょっとした安料理屋だ」
ピレリ「宿屋は儲からないか」
ティナ「金はないさ いつだってな」
テナルディエもまた グラスの酒を飲み干す
時計代わりの揺れ動く文字が扉の下にあるが それをふと見ると ゼロが出て行ってから30分経っていた
タイムの世界の扉は開かないままだったが あの日以来今まで空くことのなかった “Hugo”の扉が開いた
ティナ「ん?」
中からはギュスターヴが出てきた
キィ という音に目を向けると 最初に会った時には気づかなかった 足の補装具が見えた
公安官「…ゼロはいないのか?」
ティナ「今はタイムの城だ……おや 知らないだけで あんたもここに来ていたのか?あいつの名前を呼ぶなんて」
覚えやすい名前だからずっと頭に残っていただけで あれ以来一度だってここに来たことはない
それを説明するために 彼らと会話したくなかったので 何と言ったのか聞き取れない返事をして 椅子に座る
ティナ「あれ以来は初めてだったな 制服の男」
公安官「ギュスターヴ・ダステだ」
ティナ「あぁギュスターヴ・ダステな…俺はテナルディエ」
公安官「知っている」
ピレリ「私はアドルフォ・ピレリだ 機嫌が悪いようだな ダステ」
公安官「…」
不機嫌そうな表情を一切崩さないままの彼に対し どうしたものかとテナルディエとピレリは顔を合わせる
数日経って顔を見せたかと思えば ただ椅子に座るだけで こちらを見向きもしない
何のために来たのだろうか ただの様子見?
テナルディエが酒を呷ると 時計を見た公安官がその姿を見る
ティナ「…なんだ」
公安官「宿の仕事はもう終えたのか」
ティナ「なんで俺が宿屋だと知ってる」
公安官「…ゼロから聞いた」
ティナ「あぁ なるほどな…やつか……仕事は終わった お前は?何の仕事をしてる?」
そう言ってまたグラスに酒を注いだ
公安官「公安官だ 駅の」
ピレリ・ティナ「駅の?」
公安官「…公安官だ」
扉が開く ゼロが“Alice through the looking glass”の世界から戻ってきた
そこに公安官の姿があり 目が合った
ゼロ「ある種の警察官…?公安官って」
公安官「ゼロ…」
ゼロ「ようやく来てくれたね」
ティナ「お前 なんでこいつには俺たちの仕事教えて俺らには何も言わずだったんだ」
ゼロ「え?」
まずい…とギュスターヴはテナルディエを見る
レ・ミゼラブルを知っていると分かれば色々聞かれることになる それが嫌であの時は誤魔化したのに ゼロに一度も会っていないことが知られれば 先ほどの発言は嘘になる
ゼロ「話の流れでたまたましただけだよ そういえば 君らとはしてなかったっけ」
驚くことにゼロは発言をギュスターヴに合わせた まだまともに話したこともない相手なのにも関わらず 話の流れをどう理解したのかもわからないが とにかく彼女はギュスターヴをかばった
ティナ「してない そもそも想造者ってのについても聞いてないしタイムのことも…思えばこの数日お前らから何も聞き出せてねぇな」
ゼロ「答えられる範囲なら いくらでもどうぞ」
ピレリ「隠すことはあるのか」
前のめりになって聞くピレリに対し ゼロは冷静な口調のまま
ゼロ「誰にでもあることでしょ 隠し事なんてさ 何と無くでも 知られたくないことの一つや二つ…」
といい椅子に座った
それを聞いてピレリはゼロから目を逸らし それもそうかと深く座り直した
ゼロ「公安官は何か飲む?」
公安官「いらない」
ゼロ「そう?」
テナルディエとピレリはもう空になるジンを少しずつ分けあった ゼロはそれを見た後 空の瓶を手を一振りして消し去った
ゼロ「おかわりは?」
ティナ「今日はいい」
ピレリ「私もいい」
さっさと飲み干してしまうと 少し乱暴にグラスを机に置く
ゼロは3人の様子を見て 残念そうな顔をする
ゼロ「公安官も宿屋も理髪師も ここに来たならそんな顔しないでほしいんだけどな…せっかくの…集まりなんだし」
ピレリ「同じ顔をしている というだけのことで集めて すぐに気が合うはずもないだろう」
ゼロ「同じ顔ってのは別に…君らは文字の世界の人だから…それを演じた人が同じなんだよ だから…実体化させると同じ顔になる 私の中のイメージがそれだから」
ゼロは4冊の本を空中に出現させ 踊らせる
それぞれの題名の書かれた本を見る
ティナ「お前は俺たちの全てを知っているってことか?」
ゼロ「物語は 君たちの人生のほんの一部のみを切り取る 君らには過去があり未来があるけれど 物語なんてその一部しか描かない 私が知るのはこの文字の限り それ以外は 実体化させる時に私の意識の範囲外で補完される だから 全部は知らない」
ゼロは“Sweeney Todd”の本だけを消してしまう
それ以外の本を机の上に置き どこから取り出したのか 剃刀を持っている
ゼロ「“Sweeney Todd”だけは…小説ではないけど…舞台とか…ほら 映画とかね 私の時代にはあるんだよ」
彼らの時代にそれはあったのか
ゼロはうろ覚えなのか 単語を探り探り並べる
ピレリとテナルディエはもう本の中の人物だと言われたことはなんとも思わないが 全てを知られているのだけは苛立ってしょうがなかった…知っている範囲があるようなので まぁその範囲がどのくらいかで また思いは違ってくるが…とにかく ゼロの住む世界と時間には 全員の物語を知ることができる何かしらがあり 彼らの時代には それがないようだった
ゼロ「君らは君らの物語を読むことはできない ここに出した本に いくら私が書き込もうとも読めない 筋書きは変えられない 私が決めたことではないからね さぁて 物語以外に質問は?」
ティナ「“Les Misérables”については何も聞くなと?」
ゼロ「内容に関しての質問は無し 絶対に教えられない ハッピーエンドなのか バッドエンドなのかも」
ティナ「…レ・ミゼラブル(哀れな人々)という題名で ハッピーエンドとかあるのか?」
ゼロ「そもそも君らは主人公じゃない 物語のハッピーエンドが必ずしも君らのハッピーエンドじゃない その逆も然り…内容聞いたってどうにもなりはしないよ」
ゼロはパッと手を開き 彼女の紅茶を出す
物を浮かし 操る程度なら 容易いのか いつもの手を握って開く動きすらしない
もう そのおかしな光景は見慣れた
この魔法使い…想造力使い?は 何を彼らに知らしめたいのか 彼らに何を思わせたいのか
なぜ最初に 物語の登場人物だと教えたのか そこに何か意味はあるのか ただ混乱を招き 内容に関しては答えない 物語も読めない
まだ 物語の中ではないのだろうか
ゼロ「君らは私を利用できることといえば この部屋でお茶でも酒でも要求することだよ 少しのお菓子と 料理と共に…君らは互いを助け合えない 利用できない 同じ時間の中で生きていない………のだから」
そう言って一口飲む
彼女はどうしても 彼らをここに呼びたかった
単なる興味と ある目的と 永遠の暇つぶし
ゼロ「私は永遠の命でさ 友達いないんだよ だからこうして時々 下手なやり方で友人を探すんだ」
彼らは彼女について詳しく聞こうとする前に ゼロは自らのことも語り始めた 彼らは何も言わず ただ椅子に深く座り話を聞くだけだ
彼女と同じ空間にいると 不思議な感覚に陥る 別に まだここにいてもいい気分になる 彼らと 話をしてもいいような気になる
彼女の魔法だろうか
もうジンもいらない
ゼロ「想造者は物語を作り 現実化させて 世界を作って 管理…見守り…何百年と続けると 周りには仕事仲間ばかり というか…部下 配下?私と同じところにいる…誰かがいない 友人という 対等な…存在 想造者は他にもいるけど」
ゼロはまだ 1人で勝手に喋っている
ただただ友達のいない独りぼっちの身勝手ときたか
ゼロ「まぁ他にも理由はあるけど そこは君らは気にしなくていいし」
ゼロは足を組み グイッと伸びをした
そして体を少し曲げ ひじかけに腕を置いて そちらに重心を移した
ゼロ「それに私は 君らに興味があって 何より好きな登場人物だ 強い 強い興味の対象 君らに一度会ってみたかった 話してみたかった 君らが私の前に現れた時 どのような人物なのか 私のような人ならざる者に対してどのような反応を見せるのか 君たちの世界を この目で見ることができたなら…そしてあわよくば 友人になれたならば…」
ゼロは食器を片付ける 一瞬にして 全て消し去る
思えば彼女は なんでも簡単に消し去る
もしうまくいかなければ 消し去る ということもできてしまう
もし彼女がここにいる誰とも友人になれなかったとして ならばと消して…しまえる?
ピレリはそこまで考えて 少し恐れを抱いた
彼女は易々となんでもやってのけてしまう
物語を現実とし 全てをつなげる部屋を作り 完璧なジンを作り出す
酒も 食器も 自分たちも 同じ力で生み出した
あまりにも強大な力で 逆に 何も感じ取れないほどの
従うべきか 望みを叶えるべきか
仲良くして損はないか 恩恵はあるのか?
物語を 変えることだって 本来容易いはずだ
子供のわがままで 広大な物語の世界を作り上げてみせる
考えることは単純
尊大な神のような面を感じない
創造主なのに
ピレリとテナルディエは 本来の世界で 彼女も彼らも利用しようのないことは理解した
ならばその上で 何か策を練ることもなく付き合える…知り合いからの友人ができる
悪いということは特にないのかもしれない
…もちろんここ数日の間で感じた限りであり この先も損がないかどうかはまだわからないが
想造者とは 仲良くしていた方が いつか説得でもして バッドエンドを変えさせるまでに至れるならば
バッドエンドに限らないが 至る可能性もある
ならば
ゼロ「(…まぁ2人は大丈夫かな…大丈夫だといいんだけどな…)」
人付き合いを 損得で考えるピレリとテナルディエなら 想造力を持つ自分を突き放すことは よっぽどこの数日で嫌われていない限りは大丈夫だろうとゼロは思っていた
何より 仲良くなれる雰囲気は想造力に頼っていた
だがギュスターヴだけは 表情が変わらない
人付き合いを 利用できるかとか そういうところでするわけではない彼を どうしたものかとゼロは頭を悩ませる
ゼロにとって最初の課題だった 何にもならないようなことをつらつら述べている間 ギュスターヴの反応を一番気にしていた
彼は仕事上の付き合いしかしない それ以上の仲になる必要性を感じていないし そもそも方法を知らないのかもしれない
彼女はギュスターヴを理解し切れてはいなかった テナルディエもピレリもわからない面は確かにあるが
何よりギュスターヴに友人と呼べる人物がいないのを知っていた
仕事仲間か 同じ駅で働く知り合いか…
ゼロ「(想造力にもっと頼ってもいいけど…)」
その時 ゼロの後ろの扉からタイムが現れる
自分以外全員が揃っている姿を見て 少しだけ驚いた様子で そのままゼロの左隣 ギュスターヴの前の席に座った
タイムが何かを言う前に ギュスターヴは彼女の話に対する返答をした
公安官「君が友人になりたいと頼むのなら 私は構わない」
ゼロ「え?」
タイム「なんだ 何の話だ」
ギュスターヴの突然の言葉に 話の流れを一切知らないタイムが困惑する
公安官「頼まれての友人だ 本当になれるかは君次第で これから先私は君を 君は私たちを知らなければ無理だろうな きっと」
ゼロ「友人になりたいって 話を…受けてくれる…なんて…ね」
あぁ…とタイムは理解し テナルディエとピレリの方を見た
ギュスターヴがようやく喋ったので 2人はギュスターヴの方を見た
ティナ「俺もまぁ 構いやしないけどな どうであれ ここには来るだろうからな」
ピレリ「関係性の呼び名が変わる程度 どうでもいい」
公安官「無理矢理にでも私たちをここへ連れてきた君を憐れんでるんだよ私は」
ゼロ「…構わないよ いっそそれくらいがいい なら次も ここへ来てくれるんだね 私がいてもいなくても ここでは好きに過ごしていい 私はいつでも君らを見ているわけではない ただこの場にいるときだけでも 友人でいられるのなら」
ゼロは立ち上がる
紫の目は 不思議な輝きを持っている そして今は 本当に喜んでいるようで 心の底からの…笑顔を見せている
ゼロ「いつの日か 君たちに友だと言ってもらえるように…人として 努力はさせてもらうよ この世界でならきっと 君たちは真の友になれるはずだと 信じたいしね」
“Alice through the looking glass”の扉の左隣に 同じデザインの扉が現れた
ゼロ「今日は帰るよ 他の仕事があるから また会う日まで じゃあね」
そう言ってその扉に入っていく
彼女がいなくなると 部屋は途端に静かになる
しばらくの沈黙の後 タイムが立ち上がり 自分の扉へ戻って行こうとする
後頭部の機械を見ると ゼロ以上におかしな存在だと思えてくる
ティナ「ようタイム あんたは何をしてるんだ?全く話を聞いたことがねぇが ゼロみたいな仕事か?」
タイム「…私は“時間”として すべきことをしているだけだ」
ピレリ「…どういうことだ」
タイム「そのままだ」
そう言って彼は扉から出て行ってしまった
テナルディエもピレリも“はあ?”という正直な表情をしていた
全くもって質問に答えてもらっていない
時間としてすべきことってのはなんなんだ
ピレリ「ゼロもタイムも よくわからない奴らだな」
ティナ「人間じゃねぇからそりゃわかんねぇな…しかし面倒なことを引き受けたな 公安官殿」
公安官「意味のわからない話を長く聞くよりはマシだと思っただけだ」
ティナ「ははぁ 確かにな あいつの話を聞いたとこで何も得るものはないしなぁ」
テナルディエは立ち上がり それを見てピレリも立ち上がる
公安官はその姿を見たが 座ったままだった
ティナ「俺からすれば まだまだあんたもよくわからないがな せっかく知り合えたんだ 仲良くしようぜ公安官殿」
公安官「ギュスターヴ・ダステだ」
ティナ「あぁ…ダステか…」
ピレリ「また会えたなら 共に酒でも飲もう じゃあな」
一足先にピレリが扉に入り テナルディエは表情の変わらないギュスターヴを見て どいつもこいつも…と呟きながら扉へ入った
ギュスターヴは誰もいなくなった部屋の中 この先も 彼女に言った通り友人として ここへ来るべきかどうかを考えていた
テナルディエもピレリもタイムも 無理に関わることもない なにより無意味で 時間の無駄でしかないだろう
だが自分の住む世界に何一つ関係のない彼らなら 何も…気にすることはないのかもしれない
関わったところで こちらに利益がない代わりに不利益もないという
何も気にせず 友人でいることもできるかもしれない
これを友人と呼ぶのか そこに友情はあるのか
ただ名だけを友人とすることは正しいことだったのか
損はない 暇はしないだろう なにより一度だけ読んだことのあるレ・ミゼラブルのテナルディエがここにいる
ほんの僅かな興味 人ではないゼロやタイムへの興味
知らない物語 スウィーニー・トッド
ギュスターヴは特別本が好きというわけではなかった 不思議な世界にも 興味を抱くような性格ではなかった
この摩訶不思議な世界は現実でしかない あり得ないこともあり得ている
確かにテナルディエはここにいた
同じ顔というのだけが引っかかって仕方ないが それ以上に…
今の彼はいつの彼だ?
知りたいという欲がある
知ったところでどうにもならないとわかっていても 彼らを知りたい
友人など必要ないが だからといってこの世界から離れたいわけではない
もう帰ろう 長くいる場所ではない
そしてその日の集まりは終わった
END