ウルの街防衛戦
???
「やれやれ、中々上手く行かないものだな」
「そうだよね~」
オルクスの迷宮の表層の91階。其処には岩を削った横穴の様な空間に場違いな近代的、否、未来的な光景が広がっていた。
風魔とダークゴーストと名乗った男女二人組の周囲には机とその上に置かれたプリンターがあり、其処からプリントアウトされた物をマギア達が忙しそうに製本していく。さらに二人の目の前には空中に浮かぶモニターが複数存在していた。
一つのモニターには次々と作られていくハジメと京矢の走破した真なる大迷宮のマップ。
一つのモニターには各階層のモンスターのデータ。
一つのモニターには最新の迷宮の戦闘映像が映し出されていた。
回収した檜山の脳を中枢のコンピューターとして使い完成した戦闘用のマギア達、通称檜山ギア達が己や味方の犠牲を厭わずに、休みなく真のオルクスの大迷宮を走破し、そのデータを得ては彼らの元に送り、得たデータは保存し、同時に後続の者達の為にプリントアウトし、製本。第一陣が全滅しては第二陣がそのデータを元にその階層を最短ルートで攻略する。それを繰り返していた。(痛みのデータも檜山の元に送られているので情報の多さに発狂しては激痛で正気に戻るを繰り返している)
瞬く間に、引き返せないはずの真の大迷宮の地図と生息するモンスターの図鑑が出来上がっていく。
また、彼らの仮拠点を護衛するのは、オリジナルの戦闘データ及び人格データより再現された、四人の複製仮面ライダー。
複製されたゼロワンの時代に存在していた滅、迅、雷、亡の四人の指揮の元にこの世界の武器の様に見える装備を与えられた檜山ギア達が守り、迷宮の攻略用に当時のハジメよりも強力な銃火器で武装した檜山ギア達が次々と送り込まれていく。使い捨て前提の量産兵器だからこそ出来る業だ。
そして完成したオルクスの大迷宮の各階層の完全攻略ガイド。
それを元に攻略した檜山ギア達が、先陣を追い抜くか合流し、マッピングとデータ化が進み、攻略本の完成度が増していく。
「彼女が来るまでに終えておきたかったんだがな」
「でも、大丈夫だよ~。半分は完成してるし~」
風魔の残念そうな言葉にダークゴーストがそう返す。少なくとも、未踏の領域のデータが50%も有れば値千金だろう。
「そう言えば、上の階層が騒がしくなってきたな」
「ん~、何だか~、上から勇者達が来たみたいだよ~」
「なるほど。召喚された奴等か」
ダークゴーストの言葉の意味を理解し、風魔は笑みを浮かべる。
この世界に召喚された者達が人族側の公的な記録を更新したのだろう。
少しずつ、だが確実に力を付けオルクスの大迷宮を走破している様は、異世界転移の強力な力を得た結果と褒めることはできるだろう。
既にこの迷宮の走破者が居なければ。
「事務仕事にも飽きてきた事だ。新兵器の実験に行くか」
このまま順調に百層に到達されて、その過程で彼等が拠点にしている場所が見つかっても困る。90層以降の階層ごとに設備を置くだけで無く、自分達の休息の為の拠点としてそれなりに広く作ってあるのだ。それを勝手に休憩場所にされるのも面白くない。
本来、大半の神代魔法を必要とする。最低でも、食料を保存できる空間魔法を会得するか宝物庫のようなアーティファクトでも無ければ、ラストダンジョンと言うべき後戻りの出来ない真の大迷宮など死にに行くようなものなのだ。ここで始末しても問題はないだろう。
「彼女とエンカウントするのが先になりそうだな」
「そうだね~。私達が助けに行った方がいいよね~」
念の為に雷と亡に一部の檜山ギアを預け、92層にこの拠点を破棄した後の拠点の確保にあたらせる。
「そう言えば~、そろそろアナザーライダーがバールクスと会う頃だよね~」
「そうだな。それなりに働いてくれれば良いが」
大迷宮の攻略本の製作が忙しくて見に行けないと笑いながら、拠点の移動を滅と迅に任せ、用意していた四つの新兵器を檜山ギア達に運ばせ、一部を連れて此処に近づくであろう勇者(笑)達を迎え撃つ準備を整える。
「おお、勇者よ、此処で死んでしまうとは情け無い〜」
ダークゴーストの冗談の様な呟きが響く中、人1人入るであろうカプセルを運ぶ檜山ギア達。そのカプセルの奥で爛々と輝く瞳の様な輝きが蠢くのだった。
***
さて、あのままウルの町を離れる場合は一度ハジメ達と分かれて、問答無用で群れをキシリュウジンで大半を殲滅しておこうかと思ったが、無事ハジメも協力を決めた事で防衛戦の構えとなった。
宿屋の一室を借りて魔剣目録の中身に目を通しながら、今回の防衛戦の為の手札を選んでいた。
どうやら、ハジメは派手に暴れる際に愛子先生にも一役買ってもらう予定らしい。京矢としてはそれは、愛子には悪いがエヒトへの嫌がらせになりそうなので丁度良い。
ならばと、エヒトへの(序でに光輝への)最大限の嫌がらせになりそうな剣を選ぶ。選択肢の中の剣は聖剣。
「後ろに立つのは無辜の民、目の前に迫るのは万を超える魔物の群れ。分かり易い敵に、守るべき対象。騎士としては最高の、誇りある戦場ってとこか?」
その剣を手にしながら、剣とその本来の使い手に告げる。
「なら、その時は存分に力を発揮してくれよ」
ウルの町。北に山脈地帯、西にウルディア湖を持つ資源豊富なこの町は、現在、つい昨夜までは存在しなかった〝外壁〟に囲まれて、異様な雰囲気に包まれていた。
「おお、絶景だな」
京矢の目の前にある〝外壁〟はハジメが即行で作ったものだ。
魔力駆動二輪で、整地ではなく〝外壁〟を錬成しながら町の外周を走行して作成したのである。
もっとも、壁の高さは、ハジメの錬成範囲が半径四メートル位で限界なので、それほど高くはない。大型の魔物なら、よじ登ることは容易だろう。よじ登る途中ならば上からの妨害で落とす事も可能なので住人達の心境を考えると有る方が安堵出来るだろうし、万一に備えて、ないよりはマシだろう程度の気持ちで作成したので問題はない。そもそも、壁に取り付かせるつもりなどハジメにも京矢にもないのだから。
流石に接近戦型の京矢一人では万の敵を相手に城壁も無い町の防衛など、面倒この上ないし、小型の雑魚は取りこぼしてしまう危険もある。
二択で大型の強い魔物を始末する事を選べばやはり小型の魔物は優先順位は下がる。
戦闘力で負ける気は無いが、やはり広範囲での殲滅力では京矢はハジメには負けている。
根本的に一対一で強敵を倒すのに特化したのが京矢なのだ。広げる事はできるが、どうしても殲滅範囲を広げると、一気に被害まで増えてしまう。
町の住人達には、既に数万単位の魔物の大群が迫っている事が伝えられている。魔物の群れの移動速度を考えると、夕方になる前くらいには先陣が到着するだろうと。
当然、住人はパニックになった。
町長を始めとする町の顔役達に罵詈雑言を浴びせる者、泣いて崩れ落ちる者、隣にいる者と抱きしめ合う者、我先にと逃げ出そうとした者同士でぶつかり、罵り合って喧嘩を始める者。
明日には、故郷が滅び、留まれば自分達の命も奪われると知って冷静でいられるものなどそうはいない。彼等の行動も仕方のないことだ。
だが、そんな彼等に心を取り戻させた者がいた。愛子だ。
ようやく町に戻り、事情説明を受けた護衛騎士達(何故か冒険者の格好の男が隊長なのかは住人達からは疑問に思われたが)を従えて、高台から声を張り上げる〝豊穣の女神〟。
恐れるものなどないと言わんばかりの凛とした姿と、元から高かった知名度により、人々は一先ずの冷静さを取り戻した。畑山愛子、ある意味、勇者より勇者をしている。
冷静さを取り戻した人々は、二つに分かれた。
すなわち、故郷は捨てられない、場合によっては町と運命を共にするという居残り組と、当初の予定通り、救援が駆けつけるまで逃げ延びる避難組だ。
居残り組の中でも女子供だけは避難させるというものも多くいる。
愛子の魔物を撃退するという言葉を信じて、手伝えることは何かないだろうかと居残りを決意した男手と万一に備えて避難する妻子供などだ。
深夜をとうに過ぎた時間にもかかわらず、町は煌々とした光に包まれ、いたる所で抱きしめ合い別れに涙する人々の姿が見られた。
避難組は、夜が明ける前には荷物をまとめて旅行者の護衛に雇われていた冒険者達の何人かが護衛を買って出てくれたので彼等を護衛に町を出た。
その中に見た顔、京矢がブルックの町で出会ったモヒカンの男をリーダーとしたヒャッハーが口癖の三人組だった。
護衛依頼を受けてこの町に着いた際に、運悪く護衛の最中に壊れた武器の新調をしようとしていたが、その矢先にこの騒動であり、時期が悪く新調する事が出来なかったそうだ。
今回の魔物の襲撃を聞き、武器もない自分達では防衛の足手まといになると、はぎ取り用のナイフを片手に最悪は自分の身を盾にしてでも避難組を護ってやると意気込み、護衛を買って出てくれたそうだ。
そんな話を偶然出会った京矢としていた。避難民の安全な事を考えると、しっかりとした装備をした信用できる者は必要と判断し、適当に四次元ポケットに入れていた剣を渡した京矢だった。
念の為にと用意しておいた普通の剣と間違えて、フレイムソードとアイスブランド、序でに四次元ポケットの中でお蔵入りなっていた覇者の剣を、確認せずに『使え』と言って渡してしまったのだった。
そんな訳で、京矢にとってはお蔵入りの武器、勇者の聖剣にも匹敵するアーティファクトの剣が世に放たれてしまった訳だが、それに京矢が気付いたのは防衛戦の後だったのだ。
……ガチャ産とは言え京矢にとっては魔剣目録に入れる必要無い品なので。
さて、現在は、日も高く上がり、せっせと戦いの準備をしている者と仮眠をとっている者とに分かれている。居残り組の多くは、〝豊穣の女神〟一行が何とかしてくれると信じてはいるが、それでも、自分達の町は自分達で守るのだ! 出来ることをするのだ! という気概に満ちていた。
ハジメは、すっかり人が少なくなり、それでもいつも以上の活気があるような気がする町を背後に即席の城壁に腰掛けて、どこを見るわけでもなくその眼差しを遠くに向けていた。傍らには、当然の如くユエとシアがいる。何かを考えているハジメの傍に、二人はただ静かに寄り添っていた。
京矢は壁に背を預けて瞑想するように目を閉じている。傍に控えているのはエンタープライズとベルファストの二人だ。
そこへ愛子と生徒達、ティオ、ウィル、デビッド達数人の護衛騎士がやって来た。
愛子達の接近に気がついているだろうに、振り返らない京矢とハジメにデビッド達が眉を釣り上げるが、それより早く愛子が声をかける。
「南雲君、鳳凰寺君、準備はどうですか? 何か、必要なものはありますか?」
「いや、問題ねぇよ、先生」
「前準備は南雲に任せたからな。オレの準備は万全だ」
やはり振り返らずに簡潔に答える二人。その態度に我慢しきれなかったようでデビッドが食ってかかる。
「おい、貴様等。愛子が……自分の恩師が声をかけているというのに何だその態度は。本来なら、貴様等の持つアーティファクト類の事や、大群を撃退する方法についても詳細を聞かねばならんところを見逃してやっているのは、愛子が頼み込んできたからだぞ? 少しは……」
「デビッドさん。少し静かにしていてもらえますか?」
「うっ……承知した……」
だが、愛子に〝黙れ〟と言われるとシュンとした様子で口を閉じる。
その姿は、まるで忠犬だ。亜人族でもないのに、犬耳と犬尻尾が幻視できる。今は、飼い主に怒られてシュンと垂れ下がっているようだ。
「南雲君、鳳凰寺君。黒ローブの男のことですが……」
どうやら、それが本題のようだ。愛子の言葉には苦悩がにじみ出ている。
「ああ、そいつの事か?」
「正体を確かめたいんだろ? 見つけても、殺さないでくれってか?」
「なるほどな。そいつを巻き込んで吹き飛ばさないように気を付けるか」
「そうだな」
「……は、はい。どうしても確かめなければなりません。その……南雲君と鳳凰寺君には、無茶なことばかりを……」
「取り敢えず、連れて来てやる」
「え?」
「ああ、その黒ローブの奴は生きて先生の所にな。五、六発位は殴るだろうが、あとは、先生の思う通りにしてくれ」
「鳳凰寺君……ありがとうございます」
少なくとも黒ローブを大人しくさせる為に、顔面に一、二発、腹に一発は確定だ。
「鳳凰寺、それならオレにもやらせろよ」
「殴り殺さねえ様に気を付けろよ、南雲」
愛子は、軽口を言い合う二人の予想外に協力的な態度に少し驚いたようだが、未だ振り向かない二人の様子から、二人にも思うところが多々あるのだろうと、その厚意を有り難く受け取ることにした。
つくづく自分は無力だなぁと内心溜息をつきながら、愛子は苦笑いしつつ礼を言うのだった。
愛子の話が終わったのを見計らって、今度は、ティオが前に進み出てハジメに声をかけた。
「じゃあ、南雲、邪魔にならねえ様に席を外すぜ」
「南雲様、御ゆっくりどうぞ」
「敵の到達予想時刻前には戻る」
「おっ、おい、お前ら!?」
京矢、ベルファスト、エンタープライズと三人揃ってさっさもティオから離れて行く。
黒地にさりげなく金の刺繍が入っている着物に酷似した衣服を大きく着崩して、白く滑らかな肩と魅惑的な双丘の谷間、そして膝上まで捲れた裾から覗く脚線美を惜しげもなく晒した黒髪金眼の美女を見て暫く名前が出なかった事から、本気でティオの事を忘れていたのだろう。
そんなハジメの態度に存在そのものを忘却されていたティオは、怒るどころかむしろ、「はぁはぁ、こういうのもあるのじゃな」とか言って頬を染めて若干息を荒げている。彼女の言う〝こういうの〟とは何なのか、聞かない方が身のためだろう。
むしろ、インパクトの強さによって忘れたくても忘れられない相手になっていた京矢達には少し羨ましい。
***
ティオはこの戦いが終わった後の同行を願い出た。まあ、当然な事にハジメは即答で断った。
その同行の対価に奴隷宣言まで言い始めたティオに、ハジメは汚物を見るような眼差しを向け、更にばっさりと切り捨てた。それにまたゾクゾクしたように体を震わせるティオ。頬が薔薇色に染まっている。
どこからどう見ても変態だった。周囲の者達も、ドン引きしている。特に、竜人族に強い憧れと敬意を持っていたユエの表情は、全ての感情が抜け落ちたような能面顔になっている。
「そんな……酷いのじゃ……妾をこんな体にしたのはご主人様じゃろうに……責任とって欲しいのじゃ!」
ティオのその発言に全員の視線が「えっ!?」というようにハジメを見る。ティオの正体を知らない騎士達だけでなく、生徒も愛子も京矢達もだ。
流石に、とんでもない濡れ衣を着せられそうなのに放置する訳にもいかず、きっちり向き直ると青筋を浮かべながらティオを睨むハジメ。どういうことかと視線で問う。
「あぅ、またそんな汚物を見るような目で……ハァハァ……ごくりっ……」
ハジメからの視線に更に恍惚とした表情を浮かべるティオ。その様子に外見はちょっと好みのタイプに入っていた京矢もドン引きである。
「その、ほら、妾強いじゃろ?」
ハジメの視線に体を震わせながら、何故ハジメの奴隷宣言という突飛な発想にたどり着いた思考過程を説明し始めるティオ。
「里でも、妾は一、二を争うくらいでな、特に耐久力は群を抜いておった。じゃから、他者に組み伏せられることも、痛みらしい痛みを感じることも、今の今までなかったのじゃ」
近くにティオが竜人族と知らない護衛騎士達がいるので、その辺りを省略してポツポツと語るティオ。
「それがじゃ、ご主人様達と戦って、初めてボッコボッコにされた挙句、組み伏せられ、痛みと敗北を一度に味わったのじゃ。そう、あの体の芯まで響く拳! 嫌らしいところばかり責める衝撃! 体中が痛みで満たされて……ハァハァ」
「いや、鳳凰寺の方はいいのか?」
「あの正面から叩き潰される様な感覚。あれはあれで新感覚なのじゃが、怖さの方が強いのじゃ」
そこだけ妙に真顔で言うティオ。|龍殺しの魔剣《バルムンク》の力には流石に変態的な快楽よりも、本能的恐怖が上らしい。良かったと言うべきだろうか?
それはそうと彼女を竜人族とは知らない騎士達は、最早ハジメを犯罪者を見る様な目で見ている。客観的に聞けば、完全に婦女暴行である。
「こんな可憐なご婦人に暴行を働いたのか!」とざわつく騎士達。あからさまに糾弾しないのは、被害者たるティオの様子に悲痛さがないからだろう。むしろ、嬉しそうなので正義感の強い騎士達もどうしたものかと困惑している。
「……つまり、ハジメが新しい扉を開いちゃった?」
「その通りじゃ! 妾の体はもう、ご主人様なしではダメなのじゃ!」
「……きめぇ」
「ホント、やっちまったな、南雲」
「……言うなよ」
ユエが、嫌なものを見たと表情を歪ませながら、既に尊敬の欠片もない声音で要約すると、ティオが同意の声を張り上げる。思わず、本音を漏らすハジメと、「これ、どうするんだ」と言う視線を向ける京矢。完全にドン引きしていた。
「それにのう……」
ティオが、突然、今までの変態じみた様子とは異なり、両手をムッチリした自分のお尻に当てて恥じらうようにモジモジし始める。
「……妾の初めても奪われてしもうたし」
その言葉に、全員の顔がバッと音を立ててハジメに向けられた。ハジメは頬を引き攣らせながら「そんな事していない」と首を振る。
そんなティオの言葉の意味を理解した京矢は、あれの事を言ってるんだなと理解した。……してしまったのだ。
組み伏せられて、やら、いきなりお尻でなんて、やら言って、お尻を抑えながら潤んだ瞳をハジメに向けるティオ。どう見てもハジメが婦女暴行の犯人である。
「南雲、オレは分かってるから、気にすんな」
「ありがとうよ、親友」
事情を知らない騎士達が、「こいつやっぱり唯の犯罪者だ!」という目を向けつつも、「いきなり尻を襲った」という話に戦慄の表情を浮かべ、愛子達は事の真相を知っているにもかかわらず、責めるような目でハジメを睨んでいた。
両隣のユエとシアですら、エンタープライズとベルファストすらも「あれはちょっと」という表情で視線を逸らしている。
迫り来る大群を前に、四面楚歌の状況のハジメの肩をポンと叩いて同情してるのは京矢だけだ。四面楚歌に追い込まれた中の唯一の味方に心底感謝していた。
ぶっちゃけ、あの状況では体内からの攻撃が有効なのは理解できるし、口からで無ければ一択だろう。
「お、お前、色々やる事あるだろ? その為に、里を出てきたって言ってたじゃねぇか」
ユエ達にまで視線を逸らされてしまい、唯一の味方が京矢だけの状況に、苦し紛れに〝竜人族の調査〟とやらはどうしたと返すハジメ。
「うむ。問題ない。ご主人様の傍にいる方が絶対効率いいからの。まさに、一石二鳥じゃ……ほら、旅中では色々あるじゃろ? イラっとしたときは妾で発散していいんじゃよ? ちょっと強めでもいいんじゃよ? 何ならあの剣も使っても良いんじゃよ? あれはあれで新感覚じゃし。ご主人様にとっていい事づくしじゃろ?」
「変態が傍にいる時点でデメリットしかねぇよ」
「ってか、バルムンクを変な欲求満たす道具にしてんじゃねえ!!!」
ティオが縋り、ハジメがばっさり切り捨て、京矢がツッコミを入れる。そんな事にバルムンクを使われてはジークフリードもジーク君も泣くだろう。
それに護衛隊の騎士達が憤り、女子生徒達が蛆虫を見る目をハジメに向け、男子生徒は複雑ながら異世界の女性と縁のあるハジメに嫉妬し、愛子が不純異性交遊について滔滔と説教を始め、何故かウィルが尊敬の眼差しをハジメに向ける。
そんなカオスな状況が、大群が迫っているにもかかわらず繰り広げられ、ハジメがウンザリし始めたとき、遂にそれは来た。
「おい、雑談は此処までだ。……来たぞ」
京矢が北の山脈地帯の方角へ視線を向ける。空気が変わったのが嫌でも分かる。斬鉄剣ではなく新たに魔剣目録の中から用意していたその剣を握り締める。
ハジメは京矢の言葉に、眼を細めて遠くを見る素振りを見せた。肉眼で捉えられる位置にはまだ来ていないが、ハジメの〝魔眼石〟には無人偵察機からの映像がはっきりと見えていた。
それは、大地を埋め尽くす魔物の群れだ。
ブルタールのような人型の魔物の他に、体長三、四メートルはありそうな黒い狼型の魔物、足が六本生えているトカゲ型の魔物、背中に剣山を生やしたパイソン型の魔物、四本の鎌をもったカマキリ型の魔物、体のいたるところから無数の触手を生やした巨大な蜘蛛型の魔物、二本角を生やした真っ白な大蛇など実にバリエーション豊かな魔物が、大地を鳴動させ土埃を巻き上げながら猛烈な勢いで進軍している。
その数は、山で確認した時よりも更に増えているようだ。五万あるいは六万に届こうかという大群である。
更に、大群の上空には飛行型の魔物もいる。敢えて例えるならプテラノドンだろうか。何十体というプテラノドンモドキの中に一際大きな個体がいる、その個体の上には薄らと人影のようなものも見えた。
おそらく、黒ローブの男。愛子は信じたくないという風だったが、十中八九……清水幸利だ。
「いっそ、あいつを真っ先に狙えたら楽なんだけどな」
「今更そんなこと言うなよ」
京矢の言葉に、それが出来れば楽なんだけどな。と言う意思が困った言葉を返すハジメ。二人とも幸利がハジメの射程圏内に入れば先制攻撃で吹き飛ばせるだけに、そんな二人に愛子が「ダメですよー!」と言っている。
「……ハジメ」
「ハジメさん」
「京矢様」
「指揮官」
京矢とハジメの雰囲気の変化から来るべき時が来たと悟るユエとシアが、ハジメに呼びかけ、京矢と同様に来るべき時が来たと感じ取ったベルファストとエンタープライズが京矢に呼び掛ける。
二人は視線を彼女達に戻すと一つ頷き、そして後ろで緊張に顔を強ばらせている愛子達に視線を向けた。
「来たぞ。予定よりかなり早いが、到達まで三十分ってところだ。数は五万強。複数の魔物の混成だ」
「予想通り、此処に来る途中に新たに近くにいた魔物の群れを取り込んだんだろうな。」
逆に言うとその分だけ避難組の危険も減ったと考えられる。だが、
「しかし、本当に清水だったら……王国の連中、ホント、優秀な人材を無駄にしてんな」
呆れた様に呟く。直接的な戦闘力だけを重要視しすぎた結果、対軍武器を作れた可能性のある当時のハジメや、文字通り万単位の戦力を操ることが出来る幸利を手放したのだから呆れるしか無い。
そんな魔物の数を聞き、更に増加していることに顔を青ざめさせる愛子達。
不安そうに顔を見合わせる彼女達に、京矢とハジメは壁の上に飛び上がりながら肩越しに不敵な笑みを見せた。
「そんな顔するなよ、先生。たかだか数万増えたくらい何の問題もない。予定通り、万一に備えて戦える者は〝壁際〟で待機させてくれ。まぁ、出番はないと思うけどな」
「ああ、派手な|英雄劇《ヒーローショー》を見せてやるから、楽しみにしといてくれよな。壁際の連中は特等席だ」
何の気負いもなく、任せてくれという京矢とハジメに、愛子は少し眩しいものを見るように目を細めた。
「わかりました……君達をここに立たせた先生が言う事ではないかもしれませんが……どうか無事で……」
愛子はそう言うと、護衛騎士達が「あの二人に任せていいのか」「今からでもやはり避難すべきだ」という言葉に応対しながら、町中に知らせを運ぶべく駆け戻っていった。
生徒達も、一度二人を複雑そうな目で見ると愛子を追いかけて走っていく。残ったのは、京矢達以外には、ウィルとティオだけだ。
ウィルは、ティオに何かを語りかけると、ハジメに頭を下げて愛子達を追いかけていった。疑問顔を向けるハジメにティオが苦笑いしながら答える。
「今回の出来事を妾が力を尽くして見事乗り切ったのなら、冒険者達の事、少なくともウィル坊は許すという話じゃ……そういうわけで助太刀させてもらうからの。何、魔力なら大分回復しておるし竜化せんでも妾の炎と風は中々のものじゃぞ?」
「おう、期待してるぜ」
そんなティオにヒラヒラと手を振ってハジメよりもエンタープライズとベルファストを伴って先に持ち場につくべくその場を離れる。
「おっ、そうだ。南雲」
「何だよ?」
「劇場版のノリで、精々暴れようぜ」
「ああ」
京矢が不適に笑いながら取り出したバックルを見てハジメも笑みを浮かべて答える。
魔晶石を利用した魔力タンクの指輪を渡されて、ティオがプロポーズと勘違いしたり、思考パターンが変態と同じであることに嫌そうな顔で肩を落とすユエ。ハジメの否定を華麗にスルーして指輪をニヨニヨしながら眺めるティオ。
そんな緩い空気が流れていると遂に、肉眼でも魔物の大群を捉えることができるようになった。
戦場の空気を感じたのか、京矢、エンタープライズ、ベルファストの三人はハジメ達とは違い、静かに肉眼で捉えられた魔物の群れを一瞥していた。
エンタープライズとベルファストは元々の世界で体験したセイレーンとの戦いを思い出しているのかは定かでは無い。京矢もまた過去の戦いを思い出しているのか、眼前に迫る敵を睨みつけていた。
「やれやれ、中々上手く行かないものだな」
「そうだよね~」
オルクスの迷宮の表層の91階。其処には岩を削った横穴の様な空間に場違いな近代的、否、未来的な光景が広がっていた。
風魔とダークゴーストと名乗った男女二人組の周囲には机とその上に置かれたプリンターがあり、其処からプリントアウトされた物をマギア達が忙しそうに製本していく。さらに二人の目の前には空中に浮かぶモニターが複数存在していた。
一つのモニターには次々と作られていくハジメと京矢の走破した真なる大迷宮のマップ。
一つのモニターには各階層のモンスターのデータ。
一つのモニターには最新の迷宮の戦闘映像が映し出されていた。
回収した檜山の脳を中枢のコンピューターとして使い完成した戦闘用のマギア達、通称檜山ギア達が己や味方の犠牲を厭わずに、休みなく真のオルクスの大迷宮を走破し、そのデータを得ては彼らの元に送り、得たデータは保存し、同時に後続の者達の為にプリントアウトし、製本。第一陣が全滅しては第二陣がそのデータを元にその階層を最短ルートで攻略する。それを繰り返していた。(痛みのデータも檜山の元に送られているので情報の多さに発狂しては激痛で正気に戻るを繰り返している)
瞬く間に、引き返せないはずの真の大迷宮の地図と生息するモンスターの図鑑が出来上がっていく。
また、彼らの仮拠点を護衛するのは、オリジナルの戦闘データ及び人格データより再現された、四人の複製仮面ライダー。
複製されたゼロワンの時代に存在していた滅、迅、雷、亡の四人の指揮の元にこの世界の武器の様に見える装備を与えられた檜山ギア達が守り、迷宮の攻略用に当時のハジメよりも強力な銃火器で武装した檜山ギア達が次々と送り込まれていく。使い捨て前提の量産兵器だからこそ出来る業だ。
そして完成したオルクスの大迷宮の各階層の完全攻略ガイド。
それを元に攻略した檜山ギア達が、先陣を追い抜くか合流し、マッピングとデータ化が進み、攻略本の完成度が増していく。
「彼女が来るまでに終えておきたかったんだがな」
「でも、大丈夫だよ~。半分は完成してるし~」
風魔の残念そうな言葉にダークゴーストがそう返す。少なくとも、未踏の領域のデータが50%も有れば値千金だろう。
「そう言えば、上の階層が騒がしくなってきたな」
「ん~、何だか~、上から勇者達が来たみたいだよ~」
「なるほど。召喚された奴等か」
ダークゴーストの言葉の意味を理解し、風魔は笑みを浮かべる。
この世界に召喚された者達が人族側の公的な記録を更新したのだろう。
少しずつ、だが確実に力を付けオルクスの大迷宮を走破している様は、異世界転移の強力な力を得た結果と褒めることはできるだろう。
既にこの迷宮の走破者が居なければ。
「事務仕事にも飽きてきた事だ。新兵器の実験に行くか」
このまま順調に百層に到達されて、その過程で彼等が拠点にしている場所が見つかっても困る。90層以降の階層ごとに設備を置くだけで無く、自分達の休息の為の拠点としてそれなりに広く作ってあるのだ。それを勝手に休憩場所にされるのも面白くない。
本来、大半の神代魔法を必要とする。最低でも、食料を保存できる空間魔法を会得するか宝物庫のようなアーティファクトでも無ければ、ラストダンジョンと言うべき後戻りの出来ない真の大迷宮など死にに行くようなものなのだ。ここで始末しても問題はないだろう。
「彼女とエンカウントするのが先になりそうだな」
「そうだね~。私達が助けに行った方がいいよね~」
念の為に雷と亡に一部の檜山ギアを預け、92層にこの拠点を破棄した後の拠点の確保にあたらせる。
「そう言えば~、そろそろアナザーライダーがバールクスと会う頃だよね~」
「そうだな。それなりに働いてくれれば良いが」
大迷宮の攻略本の製作が忙しくて見に行けないと笑いながら、拠点の移動を滅と迅に任せ、用意していた四つの新兵器を檜山ギア達に運ばせ、一部を連れて此処に近づくであろう勇者(笑)達を迎え撃つ準備を整える。
「おお、勇者よ、此処で死んでしまうとは情け無い〜」
ダークゴーストの冗談の様な呟きが響く中、人1人入るであろうカプセルを運ぶ檜山ギア達。そのカプセルの奥で爛々と輝く瞳の様な輝きが蠢くのだった。
***
さて、あのままウルの町を離れる場合は一度ハジメ達と分かれて、問答無用で群れをキシリュウジンで大半を殲滅しておこうかと思ったが、無事ハジメも協力を決めた事で防衛戦の構えとなった。
宿屋の一室を借りて魔剣目録の中身に目を通しながら、今回の防衛戦の為の手札を選んでいた。
どうやら、ハジメは派手に暴れる際に愛子先生にも一役買ってもらう予定らしい。京矢としてはそれは、愛子には悪いがエヒトへの嫌がらせになりそうなので丁度良い。
ならばと、エヒトへの(序でに光輝への)最大限の嫌がらせになりそうな剣を選ぶ。選択肢の中の剣は聖剣。
「後ろに立つのは無辜の民、目の前に迫るのは万を超える魔物の群れ。分かり易い敵に、守るべき対象。騎士としては最高の、誇りある戦場ってとこか?」
その剣を手にしながら、剣とその本来の使い手に告げる。
「なら、その時は存分に力を発揮してくれよ」
ウルの町。北に山脈地帯、西にウルディア湖を持つ資源豊富なこの町は、現在、つい昨夜までは存在しなかった〝外壁〟に囲まれて、異様な雰囲気に包まれていた。
「おお、絶景だな」
京矢の目の前にある〝外壁〟はハジメが即行で作ったものだ。
魔力駆動二輪で、整地ではなく〝外壁〟を錬成しながら町の外周を走行して作成したのである。
もっとも、壁の高さは、ハジメの錬成範囲が半径四メートル位で限界なので、それほど高くはない。大型の魔物なら、よじ登ることは容易だろう。よじ登る途中ならば上からの妨害で落とす事も可能なので住人達の心境を考えると有る方が安堵出来るだろうし、万一に備えて、ないよりはマシだろう程度の気持ちで作成したので問題はない。そもそも、壁に取り付かせるつもりなどハジメにも京矢にもないのだから。
流石に接近戦型の京矢一人では万の敵を相手に城壁も無い町の防衛など、面倒この上ないし、小型の雑魚は取りこぼしてしまう危険もある。
二択で大型の強い魔物を始末する事を選べばやはり小型の魔物は優先順位は下がる。
戦闘力で負ける気は無いが、やはり広範囲での殲滅力では京矢はハジメには負けている。
根本的に一対一で強敵を倒すのに特化したのが京矢なのだ。広げる事はできるが、どうしても殲滅範囲を広げると、一気に被害まで増えてしまう。
町の住人達には、既に数万単位の魔物の大群が迫っている事が伝えられている。魔物の群れの移動速度を考えると、夕方になる前くらいには先陣が到着するだろうと。
当然、住人はパニックになった。
町長を始めとする町の顔役達に罵詈雑言を浴びせる者、泣いて崩れ落ちる者、隣にいる者と抱きしめ合う者、我先にと逃げ出そうとした者同士でぶつかり、罵り合って喧嘩を始める者。
明日には、故郷が滅び、留まれば自分達の命も奪われると知って冷静でいられるものなどそうはいない。彼等の行動も仕方のないことだ。
だが、そんな彼等に心を取り戻させた者がいた。愛子だ。
ようやく町に戻り、事情説明を受けた護衛騎士達(何故か冒険者の格好の男が隊長なのかは住人達からは疑問に思われたが)を従えて、高台から声を張り上げる〝豊穣の女神〟。
恐れるものなどないと言わんばかりの凛とした姿と、元から高かった知名度により、人々は一先ずの冷静さを取り戻した。畑山愛子、ある意味、勇者より勇者をしている。
冷静さを取り戻した人々は、二つに分かれた。
すなわち、故郷は捨てられない、場合によっては町と運命を共にするという居残り組と、当初の予定通り、救援が駆けつけるまで逃げ延びる避難組だ。
居残り組の中でも女子供だけは避難させるというものも多くいる。
愛子の魔物を撃退するという言葉を信じて、手伝えることは何かないだろうかと居残りを決意した男手と万一に備えて避難する妻子供などだ。
深夜をとうに過ぎた時間にもかかわらず、町は煌々とした光に包まれ、いたる所で抱きしめ合い別れに涙する人々の姿が見られた。
避難組は、夜が明ける前には荷物をまとめて旅行者の護衛に雇われていた冒険者達の何人かが護衛を買って出てくれたので彼等を護衛に町を出た。
その中に見た顔、京矢がブルックの町で出会ったモヒカンの男をリーダーとしたヒャッハーが口癖の三人組だった。
護衛依頼を受けてこの町に着いた際に、運悪く護衛の最中に壊れた武器の新調をしようとしていたが、その矢先にこの騒動であり、時期が悪く新調する事が出来なかったそうだ。
今回の魔物の襲撃を聞き、武器もない自分達では防衛の足手まといになると、はぎ取り用のナイフを片手に最悪は自分の身を盾にしてでも避難組を護ってやると意気込み、護衛を買って出てくれたそうだ。
そんな話を偶然出会った京矢としていた。避難民の安全な事を考えると、しっかりとした装備をした信用できる者は必要と判断し、適当に四次元ポケットに入れていた剣を渡した京矢だった。
念の為にと用意しておいた普通の剣と間違えて、フレイムソードとアイスブランド、序でに四次元ポケットの中でお蔵入りなっていた覇者の剣を、確認せずに『使え』と言って渡してしまったのだった。
そんな訳で、京矢にとってはお蔵入りの武器、勇者の聖剣にも匹敵するアーティファクトの剣が世に放たれてしまった訳だが、それに京矢が気付いたのは防衛戦の後だったのだ。
……ガチャ産とは言え京矢にとっては魔剣目録に入れる必要無い品なので。
さて、現在は、日も高く上がり、せっせと戦いの準備をしている者と仮眠をとっている者とに分かれている。居残り組の多くは、〝豊穣の女神〟一行が何とかしてくれると信じてはいるが、それでも、自分達の町は自分達で守るのだ! 出来ることをするのだ! という気概に満ちていた。
ハジメは、すっかり人が少なくなり、それでもいつも以上の活気があるような気がする町を背後に即席の城壁に腰掛けて、どこを見るわけでもなくその眼差しを遠くに向けていた。傍らには、当然の如くユエとシアがいる。何かを考えているハジメの傍に、二人はただ静かに寄り添っていた。
京矢は壁に背を預けて瞑想するように目を閉じている。傍に控えているのはエンタープライズとベルファストの二人だ。
そこへ愛子と生徒達、ティオ、ウィル、デビッド達数人の護衛騎士がやって来た。
愛子達の接近に気がついているだろうに、振り返らない京矢とハジメにデビッド達が眉を釣り上げるが、それより早く愛子が声をかける。
「南雲君、鳳凰寺君、準備はどうですか? 何か、必要なものはありますか?」
「いや、問題ねぇよ、先生」
「前準備は南雲に任せたからな。オレの準備は万全だ」
やはり振り返らずに簡潔に答える二人。その態度に我慢しきれなかったようでデビッドが食ってかかる。
「おい、貴様等。愛子が……自分の恩師が声をかけているというのに何だその態度は。本来なら、貴様等の持つアーティファクト類の事や、大群を撃退する方法についても詳細を聞かねばならんところを見逃してやっているのは、愛子が頼み込んできたからだぞ? 少しは……」
「デビッドさん。少し静かにしていてもらえますか?」
「うっ……承知した……」
だが、愛子に〝黙れ〟と言われるとシュンとした様子で口を閉じる。
その姿は、まるで忠犬だ。亜人族でもないのに、犬耳と犬尻尾が幻視できる。今は、飼い主に怒られてシュンと垂れ下がっているようだ。
「南雲君、鳳凰寺君。黒ローブの男のことですが……」
どうやら、それが本題のようだ。愛子の言葉には苦悩がにじみ出ている。
「ああ、そいつの事か?」
「正体を確かめたいんだろ? 見つけても、殺さないでくれってか?」
「なるほどな。そいつを巻き込んで吹き飛ばさないように気を付けるか」
「そうだな」
「……は、はい。どうしても確かめなければなりません。その……南雲君と鳳凰寺君には、無茶なことばかりを……」
「取り敢えず、連れて来てやる」
「え?」
「ああ、その黒ローブの奴は生きて先生の所にな。五、六発位は殴るだろうが、あとは、先生の思う通りにしてくれ」
「鳳凰寺君……ありがとうございます」
少なくとも黒ローブを大人しくさせる為に、顔面に一、二発、腹に一発は確定だ。
「鳳凰寺、それならオレにもやらせろよ」
「殴り殺さねえ様に気を付けろよ、南雲」
愛子は、軽口を言い合う二人の予想外に協力的な態度に少し驚いたようだが、未だ振り向かない二人の様子から、二人にも思うところが多々あるのだろうと、その厚意を有り難く受け取ることにした。
つくづく自分は無力だなぁと内心溜息をつきながら、愛子は苦笑いしつつ礼を言うのだった。
愛子の話が終わったのを見計らって、今度は、ティオが前に進み出てハジメに声をかけた。
「じゃあ、南雲、邪魔にならねえ様に席を外すぜ」
「南雲様、御ゆっくりどうぞ」
「敵の到達予想時刻前には戻る」
「おっ、おい、お前ら!?」
京矢、ベルファスト、エンタープライズと三人揃ってさっさもティオから離れて行く。
黒地にさりげなく金の刺繍が入っている着物に酷似した衣服を大きく着崩して、白く滑らかな肩と魅惑的な双丘の谷間、そして膝上まで捲れた裾から覗く脚線美を惜しげもなく晒した黒髪金眼の美女を見て暫く名前が出なかった事から、本気でティオの事を忘れていたのだろう。
そんなハジメの態度に存在そのものを忘却されていたティオは、怒るどころかむしろ、「はぁはぁ、こういうのもあるのじゃな」とか言って頬を染めて若干息を荒げている。彼女の言う〝こういうの〟とは何なのか、聞かない方が身のためだろう。
むしろ、インパクトの強さによって忘れたくても忘れられない相手になっていた京矢達には少し羨ましい。
***
ティオはこの戦いが終わった後の同行を願い出た。まあ、当然な事にハジメは即答で断った。
その同行の対価に奴隷宣言まで言い始めたティオに、ハジメは汚物を見るような眼差しを向け、更にばっさりと切り捨てた。それにまたゾクゾクしたように体を震わせるティオ。頬が薔薇色に染まっている。
どこからどう見ても変態だった。周囲の者達も、ドン引きしている。特に、竜人族に強い憧れと敬意を持っていたユエの表情は、全ての感情が抜け落ちたような能面顔になっている。
「そんな……酷いのじゃ……妾をこんな体にしたのはご主人様じゃろうに……責任とって欲しいのじゃ!」
ティオのその発言に全員の視線が「えっ!?」というようにハジメを見る。ティオの正体を知らない騎士達だけでなく、生徒も愛子も京矢達もだ。
流石に、とんでもない濡れ衣を着せられそうなのに放置する訳にもいかず、きっちり向き直ると青筋を浮かべながらティオを睨むハジメ。どういうことかと視線で問う。
「あぅ、またそんな汚物を見るような目で……ハァハァ……ごくりっ……」
ハジメからの視線に更に恍惚とした表情を浮かべるティオ。その様子に外見はちょっと好みのタイプに入っていた京矢もドン引きである。
「その、ほら、妾強いじゃろ?」
ハジメの視線に体を震わせながら、何故ハジメの奴隷宣言という突飛な発想にたどり着いた思考過程を説明し始めるティオ。
「里でも、妾は一、二を争うくらいでな、特に耐久力は群を抜いておった。じゃから、他者に組み伏せられることも、痛みらしい痛みを感じることも、今の今までなかったのじゃ」
近くにティオが竜人族と知らない護衛騎士達がいるので、その辺りを省略してポツポツと語るティオ。
「それがじゃ、ご主人様達と戦って、初めてボッコボッコにされた挙句、組み伏せられ、痛みと敗北を一度に味わったのじゃ。そう、あの体の芯まで響く拳! 嫌らしいところばかり責める衝撃! 体中が痛みで満たされて……ハァハァ」
「いや、鳳凰寺の方はいいのか?」
「あの正面から叩き潰される様な感覚。あれはあれで新感覚なのじゃが、怖さの方が強いのじゃ」
そこだけ妙に真顔で言うティオ。|龍殺しの魔剣《バルムンク》の力には流石に変態的な快楽よりも、本能的恐怖が上らしい。良かったと言うべきだろうか?
それはそうと彼女を竜人族とは知らない騎士達は、最早ハジメを犯罪者を見る様な目で見ている。客観的に聞けば、完全に婦女暴行である。
「こんな可憐なご婦人に暴行を働いたのか!」とざわつく騎士達。あからさまに糾弾しないのは、被害者たるティオの様子に悲痛さがないからだろう。むしろ、嬉しそうなので正義感の強い騎士達もどうしたものかと困惑している。
「……つまり、ハジメが新しい扉を開いちゃった?」
「その通りじゃ! 妾の体はもう、ご主人様なしではダメなのじゃ!」
「……きめぇ」
「ホント、やっちまったな、南雲」
「……言うなよ」
ユエが、嫌なものを見たと表情を歪ませながら、既に尊敬の欠片もない声音で要約すると、ティオが同意の声を張り上げる。思わず、本音を漏らすハジメと、「これ、どうするんだ」と言う視線を向ける京矢。完全にドン引きしていた。
「それにのう……」
ティオが、突然、今までの変態じみた様子とは異なり、両手をムッチリした自分のお尻に当てて恥じらうようにモジモジし始める。
「……妾の初めても奪われてしもうたし」
その言葉に、全員の顔がバッと音を立ててハジメに向けられた。ハジメは頬を引き攣らせながら「そんな事していない」と首を振る。
そんなティオの言葉の意味を理解した京矢は、あれの事を言ってるんだなと理解した。……してしまったのだ。
組み伏せられて、やら、いきなりお尻でなんて、やら言って、お尻を抑えながら潤んだ瞳をハジメに向けるティオ。どう見てもハジメが婦女暴行の犯人である。
「南雲、オレは分かってるから、気にすんな」
「ありがとうよ、親友」
事情を知らない騎士達が、「こいつやっぱり唯の犯罪者だ!」という目を向けつつも、「いきなり尻を襲った」という話に戦慄の表情を浮かべ、愛子達は事の真相を知っているにもかかわらず、責めるような目でハジメを睨んでいた。
両隣のユエとシアですら、エンタープライズとベルファストすらも「あれはちょっと」という表情で視線を逸らしている。
迫り来る大群を前に、四面楚歌の状況のハジメの肩をポンと叩いて同情してるのは京矢だけだ。四面楚歌に追い込まれた中の唯一の味方に心底感謝していた。
ぶっちゃけ、あの状況では体内からの攻撃が有効なのは理解できるし、口からで無ければ一択だろう。
「お、お前、色々やる事あるだろ? その為に、里を出てきたって言ってたじゃねぇか」
ユエ達にまで視線を逸らされてしまい、唯一の味方が京矢だけの状況に、苦し紛れに〝竜人族の調査〟とやらはどうしたと返すハジメ。
「うむ。問題ない。ご主人様の傍にいる方が絶対効率いいからの。まさに、一石二鳥じゃ……ほら、旅中では色々あるじゃろ? イラっとしたときは妾で発散していいんじゃよ? ちょっと強めでもいいんじゃよ? 何ならあの剣も使っても良いんじゃよ? あれはあれで新感覚じゃし。ご主人様にとっていい事づくしじゃろ?」
「変態が傍にいる時点でデメリットしかねぇよ」
「ってか、バルムンクを変な欲求満たす道具にしてんじゃねえ!!!」
ティオが縋り、ハジメがばっさり切り捨て、京矢がツッコミを入れる。そんな事にバルムンクを使われてはジークフリードもジーク君も泣くだろう。
それに護衛隊の騎士達が憤り、女子生徒達が蛆虫を見る目をハジメに向け、男子生徒は複雑ながら異世界の女性と縁のあるハジメに嫉妬し、愛子が不純異性交遊について滔滔と説教を始め、何故かウィルが尊敬の眼差しをハジメに向ける。
そんなカオスな状況が、大群が迫っているにもかかわらず繰り広げられ、ハジメがウンザリし始めたとき、遂にそれは来た。
「おい、雑談は此処までだ。……来たぞ」
京矢が北の山脈地帯の方角へ視線を向ける。空気が変わったのが嫌でも分かる。斬鉄剣ではなく新たに魔剣目録の中から用意していたその剣を握り締める。
ハジメは京矢の言葉に、眼を細めて遠くを見る素振りを見せた。肉眼で捉えられる位置にはまだ来ていないが、ハジメの〝魔眼石〟には無人偵察機からの映像がはっきりと見えていた。
それは、大地を埋め尽くす魔物の群れだ。
ブルタールのような人型の魔物の他に、体長三、四メートルはありそうな黒い狼型の魔物、足が六本生えているトカゲ型の魔物、背中に剣山を生やしたパイソン型の魔物、四本の鎌をもったカマキリ型の魔物、体のいたるところから無数の触手を生やした巨大な蜘蛛型の魔物、二本角を生やした真っ白な大蛇など実にバリエーション豊かな魔物が、大地を鳴動させ土埃を巻き上げながら猛烈な勢いで進軍している。
その数は、山で確認した時よりも更に増えているようだ。五万あるいは六万に届こうかという大群である。
更に、大群の上空には飛行型の魔物もいる。敢えて例えるならプテラノドンだろうか。何十体というプテラノドンモドキの中に一際大きな個体がいる、その個体の上には薄らと人影のようなものも見えた。
おそらく、黒ローブの男。愛子は信じたくないという風だったが、十中八九……清水幸利だ。
「いっそ、あいつを真っ先に狙えたら楽なんだけどな」
「今更そんなこと言うなよ」
京矢の言葉に、それが出来れば楽なんだけどな。と言う意思が困った言葉を返すハジメ。二人とも幸利がハジメの射程圏内に入れば先制攻撃で吹き飛ばせるだけに、そんな二人に愛子が「ダメですよー!」と言っている。
「……ハジメ」
「ハジメさん」
「京矢様」
「指揮官」
京矢とハジメの雰囲気の変化から来るべき時が来たと悟るユエとシアが、ハジメに呼びかけ、京矢と同様に来るべき時が来たと感じ取ったベルファストとエンタープライズが京矢に呼び掛ける。
二人は視線を彼女達に戻すと一つ頷き、そして後ろで緊張に顔を強ばらせている愛子達に視線を向けた。
「来たぞ。予定よりかなり早いが、到達まで三十分ってところだ。数は五万強。複数の魔物の混成だ」
「予想通り、此処に来る途中に新たに近くにいた魔物の群れを取り込んだんだろうな。」
逆に言うとその分だけ避難組の危険も減ったと考えられる。だが、
「しかし、本当に清水だったら……王国の連中、ホント、優秀な人材を無駄にしてんな」
呆れた様に呟く。直接的な戦闘力だけを重要視しすぎた結果、対軍武器を作れた可能性のある当時のハジメや、文字通り万単位の戦力を操ることが出来る幸利を手放したのだから呆れるしか無い。
そんな魔物の数を聞き、更に増加していることに顔を青ざめさせる愛子達。
不安そうに顔を見合わせる彼女達に、京矢とハジメは壁の上に飛び上がりながら肩越しに不敵な笑みを見せた。
「そんな顔するなよ、先生。たかだか数万増えたくらい何の問題もない。予定通り、万一に備えて戦える者は〝壁際〟で待機させてくれ。まぁ、出番はないと思うけどな」
「ああ、派手な|英雄劇《ヒーローショー》を見せてやるから、楽しみにしといてくれよな。壁際の連中は特等席だ」
何の気負いもなく、任せてくれという京矢とハジメに、愛子は少し眩しいものを見るように目を細めた。
「わかりました……君達をここに立たせた先生が言う事ではないかもしれませんが……どうか無事で……」
愛子はそう言うと、護衛騎士達が「あの二人に任せていいのか」「今からでもやはり避難すべきだ」という言葉に応対しながら、町中に知らせを運ぶべく駆け戻っていった。
生徒達も、一度二人を複雑そうな目で見ると愛子を追いかけて走っていく。残ったのは、京矢達以外には、ウィルとティオだけだ。
ウィルは、ティオに何かを語りかけると、ハジメに頭を下げて愛子達を追いかけていった。疑問顔を向けるハジメにティオが苦笑いしながら答える。
「今回の出来事を妾が力を尽くして見事乗り切ったのなら、冒険者達の事、少なくともウィル坊は許すという話じゃ……そういうわけで助太刀させてもらうからの。何、魔力なら大分回復しておるし竜化せんでも妾の炎と風は中々のものじゃぞ?」
「おう、期待してるぜ」
そんなティオにヒラヒラと手を振ってハジメよりもエンタープライズとベルファストを伴って先に持ち場につくべくその場を離れる。
「おっ、そうだ。南雲」
「何だよ?」
「劇場版のノリで、精々暴れようぜ」
「ああ」
京矢が不適に笑いながら取り出したバックルを見てハジメも笑みを浮かべて答える。
魔晶石を利用した魔力タンクの指輪を渡されて、ティオがプロポーズと勘違いしたり、思考パターンが変態と同じであることに嫌そうな顔で肩を落とすユエ。ハジメの否定を華麗にスルーして指輪をニヨニヨしながら眺めるティオ。
そんな緩い空気が流れていると遂に、肉眼でも魔物の大群を捉えることができるようになった。
戦場の空気を感じたのか、京矢、エンタープライズ、ベルファストの三人はハジメ達とは違い、静かに肉眼で捉えられた魔物の群れを一瞥していた。
エンタープライズとベルファストは元々の世界で体験したセイレーンとの戦いを思い出しているのかは定かでは無い。京矢もまた過去の戦いを思い出しているのか、眼前に迫る敵を睨みつけていた。