ウルの街防衛戦
モットーが去った後も、ユエとシアにベルファストとエンタープライズには、未だ、いや、寧ろより強い視線が集まっている。
モットーの背を追えば、さっそく何処ぞの商人風の男がユエ達を指差しながら何かを話しかけている。物見遊山的な気持ちで立ち寄ったフューレンだが、ハジメが思っていた以上に波乱が待っていそうだと思わせるには十分な場所だ。
(こう言う町には犯罪組織とか居そうだよな)
その手の裏組織が湧いていたとしても、基本向こうから手を出してこない限りは放置だ。
裏には裏の秩序があり、向こうから手を出さない限りは下手に手を出してそのバランスを崩しても面倒なだけだ。だが、その面倒を起こしても他の組織に対する警告する必要がある時もある。『自分達に手を出すと高く付く』と。
まあ、その場合は組織一つを壊滅させればそれで済むだろう。最悪の場合の最小限の犠牲の幅を京矢は思案していた。
明らかに自分達に向いている視線の中には高く売れる商品として見ているような視線も混ざっているのに気が付いたのだ。
さて、中立商業都市フューレン。
其処は高さ二十メートル、長さ二百キロメートルの外壁で囲まれた大陸一の商業都市だ。
あらゆる業種がこの都市では日々しのぎを削り合っており、夢を叶え成功を収める者もいれば、あっさり無一文となって悄然と出て行く者も多くいる。観光で訪れる者や取引に訪れる者など出入りの激しさでも大陸一と言えるだろう。
その巨大さからフューレンは四つのエリアに分かれている。
この都市における様々な手続関係の施設が集まっている中央区。
娯楽施設が集まった観光区。
武器防具はもちろん家具類などを生産、直販している職人区。
あらゆる業種の店が並ぶ商業区がそれだ。
東西南北にそれぞれ中央区に続くメインストリートがあり、中心部に近いほど信用のある店が多いというのが常識らしい。行政に近い場所ほど目が届きやすく取り締まられては困る者は離れた場所を選ぶと言う事だろう。
メインストリートからも中央区から遠い場所は、かなりアコギでブラックな商売、言い換えれば闇市的な店が多い。
その分、時々とんでもない掘り出し物が出たりするので、冒険者や傭兵のような荒事に慣れている者達が、よく出入りしているようだ。
(闇市か。珍しい剣が買えるかもな)
手に入れたいと思う剣が有るかと、一度闇市を覗いてみようと思案する京矢を始めとした一同がいるのは、中央区の一角にある冒険者ギルド:フューレン支部内にあるカフェだ。
そこで軽食を食べながらフューレンの事を聞く京矢達。話しているのは案内人と呼ばれる職業の女性だ。
都市が巨大であるため需要が多く、案内人というのはそれになりに社会的地位のある職業らしい。多くの案内屋が日々客の獲得のためサービスの向上に努めているので信用度も高い。
京矢達はモットー率いる商隊と別れると証印を受けた依頼書を持って冒険者ギルドにやって来た。
そして、宿を取ろうにも何処にどんな店があるのかさっぱりなので、冒険者ギルドでガイドブックを貰おうとしたところ、案内人の存在を教えられたのだ。
そして、現在、案内人の女性、リシーと名乗った女性に料金を支払い、軽食を共にしながら都市の基本事項を聞いていたのである。
「そういうわけなので、一先ず宿をお取りになりたいのでしたら観光区へ行くことをオススメしますわ。中央区にも宿はありますが、やはり中央区で働く方々の仮眠場所という傾向が強いので、サービスは観光区のそれとは比べ物になりませんから」
「確かに。金にも余裕がある事だし、そっちの方が良さそうだな」
「ああ。なら素直に観光区の宿にしとくか。どこがオススメなんだ?」
「お客様のご要望次第ですわ。様々な種類の宿が数多くございますから」
「そりゃそうか。そうだな、飯が美味くて、あと風呂があれば文句はない。立地とかは考慮しなくていい。あと責任の所在が明確な場所がいいな」
「オレも同感。飯が美味くて風呂があれば文句は無いし。責任の所在が明白な所が特に必要だな」
リシーは、にこやかにハジメの要望を聞く。
最初の二つはよく出される要望なのだろう「うんうん」と頷き、早速、脳内でオススメの宿をリストアップしたようだ。しかし、続く京矢とハジメの言葉で「ん?」と首を傾げた。
「あの~、責任の所在ですか?」
「ああ、例えば、何らかの争いごとに巻き込まれたとして、こちらが完全に被害者だった時に、宿内での損害について誰が責任を持つのかということだな。どうせならいい宿に泊りたいが、そうすると備品なんか高そうだし、あとで賠償額をふっかけられても面倒だろ」
「まあ、叩きのめした連中に全額押し付けても良いけどな。そう言う連中の財布の中身が足りなかったら、連帯責任にされても面倒だし」
「え~と、そうそう巻き込まれることはないと思いますが……」
困惑するリシーにハジメと京矢は苦笑いする。
「まぁ、普通はそうなんだろうが、連れが目立つんでな。観光区なんてハメ外すヤツも多そうだし、商人根性逞しいヤツなんか強行に出ないとも限らないしな。まぁ、あくまで〝出来れば〟だ。難しければ考慮しなくていい」
「そう言う事、そんな状況になった時のための備えって奴だ」
ハジメの言葉に、リシーは、ハジメの両脇に座りうまうまと軽食を食べるユエとシア、静かに軽食を食べているベルファストとエンタープライズに視線をやる。
そして、納得したように頷いた。
確かにこの美少女二人と美女二人は目立つ。現に今も、周囲の視線をかなり集めている。
特に、シアの方は兎人族だ。他人の奴隷に手を出すのは犯罪だが、しつこい交渉を持ちかける商人やハメを外して暴走する輩がいないとは言えない。
「しかし、それなら警備が厳重な宿でいいのでは? そういうことに気を使う方も多いですし、いい宿をご紹介できますが……」
「ああ、それでもいい。ただ、欲望に目が眩んだヤツってのは、時々とんでもないことをするからな。警備も絶対でない以上は最初から物理的説得を考慮した方が早い」
「まあ、確かにとんでもない事する子も居たよな」
ハジメの言葉にマサカの宿の看板娘の事を思い出してしまう京矢だった。確かにただの宿屋の娘とは思えない、スパイ映画並みの行動をとっていたのは、欲望に目が眩んだ上での暴走だろう。
「ぶ、物理的説得ですか……なるほど、それで責任の所在なわけですか」
「そう言う事だ。まっ、オレは他の要望は、静かに休めればそれで良いぜ」
完全にハジメの意図を理解したリシーは、あくまで〝出来れば〟でいいと言うハジメに、案内人根性が疼いたようだ、やる気に満ちた表情で「お任せ下さい」と了承する。
京矢の要望は実際には、他には特に無いと言っているようなものだ。
そして、ユエとシア、エンタープライズとベルファストの方に視線を転じ、彼女達にも要望がないかを聞いた。出来るだけ客のニーズに応えようとする点、リシーも彼女の所属する案内屋も、きっと当たりなのだろう。
それから、他の区について話を聞いていると、京矢達は不意に強い視線を感じた。
特に、シアとユエ、エンタープライズとベルファストに対しては、今までで一番不躾で、ねっとりとした粘着質な視線が向けられている。
視線など既に気にしない彼女達だが、あまりにも気持ち悪い視線に僅かに眉を顰める。
京矢とハジメがチラリとその視線の先を辿ると…………ブタがいた。
体重が軽く百キロは超えていそうな肥えた体に、脂ぎった顔、豚鼻と頭部にちょこんと乗っているベットリした金髪。身なりだけは良いようで、遠目にもわかるいい服を着ている。
そのブタ男が此方の女性陣を欲望に濁った瞳で凝視していた。
京矢とハジメが、「面倒な」と思うと同時に、そのブタ男は重そうな体をゆっさゆっさと揺すりながら真っ直ぐハジメ達の方へ近寄ってくる。
どうやら逃げる暇もないようだ。二人が逃げる事などないだろうが。
リシーも不穏な気配に気が付いたのか、それともブタ男が目立つのか、傲慢な態度でやって来るブタ男に営業スマイルも忘れて「げっ!」と何ともはしたない声を上げた。
それだけで理解してしまう。ある意味で相当知られているのだろう、あのブタ男は。
ブタ男は、ハジメ達のテーブルのすぐ傍までやって来ると、ニヤついた目でユエとシア、エンタープライズとベルファストをジロジロと見やり、シアの首輪を見て不快そうに目を細めた。
そして、今まで一度も目を向けなかった京矢とハジメに、さも今気がついたような素振りを見せると、これまた随分と傲慢な態度で一方的な要求をした。
「お、おい、ガキ共。ひゃ、百万ルタやる。この兎を、わ、渡せ。それとそっちの女共はわ、私の妾にしてやる。い、一緒に来い」
ドモリ気味のきぃきぃ声でそう告げて、ブタ男はユエに触れようとする。
彼の中では既にユエは自分のものになっているようだ。その瞬間、その場に凄絶な殺意威圧が降り注いだ。
周囲のテーブルにいた者達ですら顔を青ざめさせて椅子からひっくり返り、後退りしながら必死にハジメから距離をとり始めた。
その殺意威圧のすぐ近くにいるのに平然としながら、ブタ男に「バカが沸いたな」と言う顔を向けている京矢はリシーへと向かう威圧の余波を防いでいる。
京矢に守られた者と熟れている者達以外がその反応ならば、直接その殺気を受けたブタ男はというと……「ひぃ!?」と情けない悲鳴を上げると尻餅をつき、後退ることも出来ずにその場で股間を濡らし始めた。
ハジメが本気の殺気をぶつければ、おそらく瞬時に意識を刈り取っただろうが、それでは意味がないので十分に手加減している。京矢としては面倒にならないようにさっさとそいつを気絶させてくれと思うが、それは今更だろう。
……もう面倒事になっちゃってるし。
「ユエ、シア、行くぞ。場所を変えよう」
「エンタープライズ、ベルファスト。此処は養豚場みたいな匂いがして空気が悪いな、場所を変えよう」
汚い液体が漏れ出しているので、二人は女性陣に声をかけて席を立つ。
本当は、即射殺したかったのだが、流石に声を掛けただけで殺されたとあっては、ハジメの方が加害者だ。殺人犯を放置するほど都市の警備は甘くないだろう。ゴム弾程度なら止めないが、流石にそんな事をしそうになったら、実行する前に京矢が止めている。
基本的に、正当防衛という言い訳が通りそうにない限り、都市内においては半殺し程度を限度にしようと京矢もハジメは考えていた。なので、京矢としては面倒だから平和的に威圧で気絶させる程度にしておいてくれと、言いたかったがそれはそれ。
席を立つ京矢達に、リシーが「えっ? えっ?」と混乱気味に目を瞬かせた。
リシーからすれば、ブタ男が勝手なことを言い出したと思ったら、いきなり尻餅をついて股間を漏らし始めたのだから混乱するのは当然だろう。
ちなみに、周囲にまで〝威圧〟の効果が出ているのはわざとである。
周囲の連中もそれなりに鬱陶しい視線を向けていたので、序でに理解させておいたのだ。〝手を出すなよ?〟と。周囲の男連中の青ざめた表情から判断するに、これ以上ないほど伝わったようだ。
だが、〝威圧〟を解きギルドを出ようとした直後、大男が京矢達の進路を塞ぐような位置取りに移動し仁王立ちした。
ブタ男とは違う意味で百キロはありそうな巨体である。全身筋肉の塊で腰に長剣を差しており、歴戦の戦士といった風貌だ。
その巨体が目に入ったのか、再起動したブタ男が再びキィキィ声で喚きだした。
「そ、そうだ、レガニド! そのクソガキ共を殺せ! わ、私を殺そうとしたのだ! 嬲り殺せぇ!」
「坊ちゃん、流石に殺すのはヤバイですぜ。半殺し位にしときましょうや」
「やれぇ! い、いいからやれぇ! お、女は、傷つけるな! 私のだぁ!」
「了解ですぜ。報酬は弾んで下さいよ」
「い、いくらでもやる! さっさとやれぇ!」
どうやら、レガニドと呼ばれた巨漢は、ブタ男の雇われ護衛らしい。
ハジメから目を逸らさずにブタ男と話、報酬の約束をするとニンマリと笑った。珍しい事にレガニドにはユエやシア、エンタープライズやベルファストは眼中にないらしい。女よりも金の方が好きなのか、見向きもせずに貰える報酬にニヤついているようだ。
***
「おう、坊主達。わりぃな。俺の金のためにちょっと半殺しになってくれや。なに、殺しはしねぇよ。まぁ、嬢ちゃん達の方は……諦めてくれ」
レガニドはそう言うと、拳を構えた。長剣の方は、流石に場所が場所だけに使わないようだ。周囲がレガニドの名を聞いてざわめく。
「お、おい、レガニドって〝黒〟のレガニドか?」
「〝暴風〟のレガニド!? 何で、あんなヤツの護衛なんて……」
「金払じゃないか?〝金好き〟のレガニドだろ?」
周囲のヒソヒソ声で大体目の前の男の素性を察した京矢とハジメ。
天職持ちなのかどうかは分からないが冒険者ランクが〝黒〟ということは、上から三番目のランクということであり、相当な実力者ということだ。
レガニドから闘気が噴き上がる。
内心で京矢が『さっさと気絶でもさせとけば良かったのに』と思いながら鎧の魔剣に手をかける。テン・コマンドメンツの方が|爆発の剣《エクスプロージョン》で気絶させる等、対人戦での加減もし易かったが、残念ながら今背負っているのは鎧の魔剣だ。
ハジメが京矢とは対照的に、これなら正当防衛を理由に半殺しにしても問題ないだろうと、拳を振るおうとした瞬間、意外な場所から制止の声がかかった。
「……ハジメ、待って」
「? どうしたユエ?」
ユエは、隣のシアを引っ張ると、ハジメの疑問に答える前に、ハジメとレガニドの間に割って入った。
訝しそうなハジメとレガニドに、ユエは背を向けたまま答える。
「……私達が相手をする」
「えっ? ユエさん、私もですか?」
シアの質問はさらり無視するユエ。
「そうですね。では、私達は手を出さない方が良いでしょう」
「そうだな」
ユエの言葉に肯定的に自分達は手を出すべきでは無いと判断した。ふと、京矢もレガニドに視線を向ける。
(まあ、比較対象が凄すぎるだけだけど、心配ない部類だな)
冒険者ランクの上から3番目の黒とはいえ、見た印象では京矢にとっての強敵ランキングでは下の下だ。
まあ、どう考えても上位に位置する闇の書の闇やら、デボネアやらと比較したら大半の相手が下になる。
そもそも、そう簡単にそんなレベルの相手が出てきたら世界など軽く滅ぶし、そんなレベルに匹敵するのが、その辺に簡単にいるなら、勇者召喚なんて誰も行わないし、召喚した勇者を育てるよりもその辺の実力者を真っ先に集めているだろう。
そんなユエ達の言葉に、ハジメと京矢が返答するよりも、レガニドが爆笑する方が早かった。
「ガッハハハハ、嬢ちゃん達が相手をするだって? しかも、二人で十分? 中々笑わせてくれるじゃねぇの。何だ? 夜の相手でもして許してもらおうって『……黙れ、ゴミクズ』ッ!?」
下品な言葉を口走ろうとしたレガニドに、辛辣な言葉と共に、神速の風刃が襲い掛かりその頬を切り裂いた。プシュと小さな音を立てて、血がだらだらと滴り落ちる。かなり深く切れたようだ。
レガニドは、ユエの言葉通り黙り込む。ユエの魔法が速すぎて、全く反応できなかったのだ。心中では「いつ詠唱した? 陣はどこだ?」と冷や汗を掻きながら必死に分析している点は流石に二つ名持ちの実力者といった所だろう。
ユエは何事もなかったように、ハジメと、未だ、ユエの意図が分かっていないシアに向けて話を続ける。
「……私達が守られるだけのお姫様じゃないことを周知させる」
「ああ、なるほど。私達自身が手痛いしっぺ返し出来ることを示すんですね」
「……そう。せっかくだから、これを利用する」
「私達も参加して良いのですが」
「それだと、完全にオーバーキルになる」
エンタープライズとベルファストの不参加理由は四人で叩きのめしては単なる虐めにしかならない。
二人の言葉に頷いてユエは、先程とは異なり厳しい目を向けているレガニドを指差した。
まあ、そこから先はかなり一方的な展開でレガニドがボコボコにされた。最後は半ば意地で立ち上がったレガニドだったが、ユエが氷の如き冷めた目で右手を突き出している姿を見て、内心で盛大に愚痴る。
(坊ちゃん、こりゃ、割に合わなさすぎだ……)
自分の受けた仕事が割りに合わない仕事だと理解した直後、レガニドは生涯で初めて、〝空中で踊る〟という貴重で最悪の体験をすることになった。
「舞い散る花よ 風に抱かれて砕け散れ 〝風花〟」
最後に放たれたのはユエ、オリジナル魔法第二弾〝風爆〟という風の砲弾を飛ばす魔法と重力魔法の複合魔法だ。
複数の風の砲弾を自在に操りつつ、その砲弾に込められた重力場が常に目標の周囲を旋回することで全方位に〝落とし続け〟空中に磔にする。そして、打ち上げられたが最後、そのまま空中でサンドバックになるというえげつない魔法だ。
ちなみに、例の如く、詠唱は適当である。
空中での一方的なリードによるダンスを終えると、レガニドは、そのままグシャと嫌な音を立てて床に落ち、ピクリとも動かなくなった。
実は、最初の数撃で既に意識を失っていたのだが、知ってか知らずか、ユエは、その後も容赦なく連撃をかまし、特に股間を集中的に狙い撃って周囲の男連中の股間をも竦み上がらせた。
良くやったと頷くエンタープライズとベルファストを他所に、苛烈にして凶悪な攻撃に、後ろで様子を伺っていたハジメと京矢をして「おぅ」と悲痛な震え声を上げさせたほどだ。
本来の認識ならば弱い筈の兎人族のシアによるフルボッコから続いた、あり得べからざる光景の二連発。そして、その容赦のなさにギルド内が静寂に包まれる。
誰も彼もが身動き一つせず、京矢達を凝視していた。よく見れば、ギルド職員らしき者達が、争いを止めようとしたのか、カフェに来る途中でハジメ達の方へ手を伸ばしたまま硬直している。
様々な冒険者達を見てきた彼等にとっても衝撃の光景だったようだ。
誰もが硬直していると、おもむろに静寂が破られた。ハジメと京矢が、ツカツカと歩き出したのだ。
ギルド内にいる全員の視線が二人に集まる。二人の行き先は……ブタ男のもとだった。
腰が抜けているのか、尻餅をついたまま逃げようとするブタ男の目の前に京矢は逃げ道を塞ぐ様に鎧の魔剣を突き刺す。
「ひぃ! く、来るなぁ! わ、私を誰だと思っている! プーム・ミンだぞ! ミン男爵家に逆らう気かぁ!」
「はっ? 知らねえよ、テメェの事なんざ」
「……ってか、地球の全ゆるキャラファンに謝れ、ブタが」
ハジメは、ブタ男の名前に地球の代表的なゆるキャラを思い浮かべ、盛大に顔をしかめると、ハジメは尻餅を付いたままのブタ男の顔面を勢いよく踏みつけた。
「プギャ!?」
文字通り豚のような悲鳴を上げて顔面を靴底と床にサンドイッチされたブタ男はミシミシとなる自身の頭蓋骨に恐怖し悲鳴を上げた。
止める気は無いのか、京矢が興味なさげに冷ややかな視線をブタ男に向けると、早く終わらせてくれと言う視線をハジメへと向ける。
すると、分かったとでも言うように、鳴けば鳴くほど圧力が増していく。顔は醜く潰れ、目や鼻が頬の肉で隠れてしまっている。やがて、声を上げるほど痛みが増す事に気が付いたのか、大人しくなり始めた。単に体力が尽きただけかもしれないが。
「おい、ブタ。二度と視界に入るな。直接・間接問わず関わるな……次はない」
ブタ男はハジメの靴底に押しつぶされながらも、必死に頷こうとしているのか小刻みに震える。
既に、虚勢を張る力も残っていないようだ。完全に心が折れている。しかし、その程度で、あっさり許すほどハジメは甘くはない。京矢もハジメよりも寛容だが、この程度で許す気はない。
〝喉元過ぎれば熱さを忘れる〟というように、一時的な恐怖だけでは全然足りない。殺しの選択が得策でない上に殺そうとすれば京矢に止められる以上、代わりに、その恐怖を忘れないように刻まねばならない。
それは京矢も同意だったのか、『早く済ませろよ』と言ってGOサインを出している。貴族などと言う輩の基準が王国の連中になっている為に二度とは関わりたくないと骨に刻むレベルが最低限とみなしてしまっているのだ。
剣士である京矢がやってしまうと指の一本や二本、最悪は腕の一本斬り落とすというレベルになってしまうのでそこは全面的にハジメに任せる。
ハジメは京矢の言葉に頷くと少し足を浮かせると錬成により靴底からスパイクを出し、再度勢いよく踏みつけた。
「ぎゃぁああああああ!!」
靴底のスパイクが、ブタ男の顔面に突き刺さり無数の穴を開ける。
更に、片目にも突き刺ささったようで大量の血を流し始めた。ブタ男本人は、痛みで直ぐに気を失う。ハジメが足をどけると見るも無残な……いや、元々無残な顔だったので、あまり変わらないが、取り敢えず血まみれの顔が晒された。
ハジメと京矢は、どこか清々しい表情でエンタープライズ達の方へ歩み寄る。
ユエとシアは微笑みでハジメを、エンタープライズとベルファストは満足げな微笑みで京矢を迎えた。そして、京矢とハジメは、すぐ傍で呆然としている案内人リシーにも笑いかけた。
「じゃあ、案内人さん。場所移して続きを頼むよ」
「はひっ! い、いえ、その、私、何といいますか……」
ハジメの笑顔に恐怖を覚えたのか、しどろもどろになるリシー。その表情は、明らかに関わりたくないと物語っていた。
それくらい、彼等は異常だったのだ。
「あー、気持ちはわかるけど、別にオレ達は無闇に暴れるほど危険人物じゃないから安心してくれ」
それを察した京矢はまた新たな案内人をこの騒ぎの後に探すのは面倒なので、彼女には可愛そうだがリシーを逃がすつもりはなかった。
「申し訳ありません、リシー様」
「すまない。この状況では、ちょっとな」
京矢の意図を悟って、エンタープライズとベルファストが「逃がさない」とばかりにリシーの両脇を固めると、「ひぃぃん!」と情けない悲鳴を上げるリシー。
三人共そんな彼女の様子に罪悪感はあるが、この後の面倒を考えると逃したくはない。お詫びに少し多めにチップでも渡そうと思いながら彼女の説得を試みる。
と、そこへ彼女にとっての救世主、ギルド職員が今更ながらにやって来た。もっと早く来てくれと思わなくもないが、自分達の行動が早くて口を挟まなかったのだろうと納得する。
「あの、申し訳ありませんが、あちらで事情聴取にご協力願います」
そう京矢達に告げた男性職員の他、三人の職員が京矢達を囲むように近寄った。
もっとも、全員腰が引けていたが。もう数人は、プームとレガニドの容態を見に行っている。
「そうは言ってもな、あのブタが俺の連れを奪おうとして、それを断ったら逆上して襲ってきたから返り討ちにしただけだ。なあ?」
「確かにそんな所だからな。まあ、それでも説明しろって言うなら説明はするけど、要約するとそんな所だぜ。なあ?」
「ああ。それ以上、説明する事がない。そこの案内人とか、その辺の男連中も証人になるぞ。特に、近くのテーブルにいた奴等は随分と聞き耳を立てていたようだしな?」
「あと付け加えるなら……黒の冒険者が人攫いをしようとした。ってのも付け加えるけどな」
京矢とハジメがそう言いながら周囲の男連中を睥睨すると、目があった彼等はそれはもう、『首と頭に悪いぞ』と言いたくなるほど激しく何度も頷いた。
最後に付け加えた京矢の一言にギルド職員達。特にブタ男とレガニドのやり取りを聞いていたであろう職員が気まずそうに目を逸らす。
「そ、それは分かっていますが、ギルド内で起こされた問題は、当事者双方の言い分を聞いて公正に判断することになっていますので……規則ですから冒険者なら従って頂かないと……」
「当事者双方……ね」
「規則なら従うけど……なあ」
京矢とハジメはチラリとブタ男とレガニドの二人を見る。
二人とも気絶していて当分目を覚ましそうになかった。ギルド職員が治癒師を手配しているようだが、おそらく二、三日は目を覚まさないのではないだろうか。
「あれが目を覚ますまで、ずっと待機してろって? 被害者の俺達が? ……いっそ都市外に拉致って殺っちまうか?」
「南雲、殺るなら、使えそうな道具は色々とあるぜ。後始末も大丈夫だ」
「へー、中々面白そうな物があるな」
「だろ?」
ハジメが非難がましい視線をギルド職員に向け、面白そうに京矢もハジメの意見に同意する。京矢がコッソリとハジメだけに聞こえるように言った道具の事を聞くと興味深そうに、楽しそうにブタ男達の拉致と抹殺に乗り気になった。
殺伐とした会話を楽しそうにする二人にギルド職員の男性が、「こっちは仕事なんだから、オレ達は関係ないぞぉ」という自棄糞気味な表情になった後、必死に止めに入る。
「んじゃ、此処は平和的にさっさと目を覚ましてもらうか」
流石に殺すのはやり過ぎかと思いながらも、ハジメを宥めるために会話をしていた京矢が、仕方ないと目を覚まさせるために六芒星に似た鍔に水晶のような物がはめられた剣を取り出した。
その剣の名は『雷神剣《ref》『剣勇伝説YAIBA』に登場する日本刀。鍔の真ん中に『雷』と書かれた玉が埋め込まれている。 この雷の玉の力により、刀身から稲妻や波動を打ち出すことが出来る。 《/ref》』。魔剣目録に収められた剣の一振りで文字通り電撃を操ることの出来る雷神が落としたと言われている刀だ。対になる風を操ることの出来る刀の風神剣が存在する。
その剣の力を持ってブタ男とレガニドの二人に対して、電撃を以て強制的に意識を取り戻させるかと歩み寄ろうとし、それを職員が止めようと押し問答している。
流石に斬るんじゃ無くて軽い電撃で目を覚まさせるだけと職員に説明しているが、そんな力を持った魔剣を取り出した京矢は当然ながら必死に止められる。
どう見ても、素人でも、一目でわかる程の強力な魔剣だ。
そんな中、突如、凛とした声が掛けられた。
「何をしているのです? これは一体、何事ですか?」
そちらを見てみれば、メガネを掛けた理知的な雰囲気を漂わせる細身の男性が厳しい目で京矢達を見ていた。
「ドット秘書長! いいところに! 本当に良いところに! これはですね……」
職員達がこれ幸いと、心底嬉しそうにドット秘書長と呼ばれた男のもとへ群がる。
ドットは、職員達から話を聞き終わると、京矢達に鋭い視線を向けた。
どうやら、まだまだ解放はされないようだ。
モットーの背を追えば、さっそく何処ぞの商人風の男がユエ達を指差しながら何かを話しかけている。物見遊山的な気持ちで立ち寄ったフューレンだが、ハジメが思っていた以上に波乱が待っていそうだと思わせるには十分な場所だ。
(こう言う町には犯罪組織とか居そうだよな)
その手の裏組織が湧いていたとしても、基本向こうから手を出してこない限りは放置だ。
裏には裏の秩序があり、向こうから手を出さない限りは下手に手を出してそのバランスを崩しても面倒なだけだ。だが、その面倒を起こしても他の組織に対する警告する必要がある時もある。『自分達に手を出すと高く付く』と。
まあ、その場合は組織一つを壊滅させればそれで済むだろう。最悪の場合の最小限の犠牲の幅を京矢は思案していた。
明らかに自分達に向いている視線の中には高く売れる商品として見ているような視線も混ざっているのに気が付いたのだ。
さて、中立商業都市フューレン。
其処は高さ二十メートル、長さ二百キロメートルの外壁で囲まれた大陸一の商業都市だ。
あらゆる業種がこの都市では日々しのぎを削り合っており、夢を叶え成功を収める者もいれば、あっさり無一文となって悄然と出て行く者も多くいる。観光で訪れる者や取引に訪れる者など出入りの激しさでも大陸一と言えるだろう。
その巨大さからフューレンは四つのエリアに分かれている。
この都市における様々な手続関係の施設が集まっている中央区。
娯楽施設が集まった観光区。
武器防具はもちろん家具類などを生産、直販している職人区。
あらゆる業種の店が並ぶ商業区がそれだ。
東西南北にそれぞれ中央区に続くメインストリートがあり、中心部に近いほど信用のある店が多いというのが常識らしい。行政に近い場所ほど目が届きやすく取り締まられては困る者は離れた場所を選ぶと言う事だろう。
メインストリートからも中央区から遠い場所は、かなりアコギでブラックな商売、言い換えれば闇市的な店が多い。
その分、時々とんでもない掘り出し物が出たりするので、冒険者や傭兵のような荒事に慣れている者達が、よく出入りしているようだ。
(闇市か。珍しい剣が買えるかもな)
手に入れたいと思う剣が有るかと、一度闇市を覗いてみようと思案する京矢を始めとした一同がいるのは、中央区の一角にある冒険者ギルド:フューレン支部内にあるカフェだ。
そこで軽食を食べながらフューレンの事を聞く京矢達。話しているのは案内人と呼ばれる職業の女性だ。
都市が巨大であるため需要が多く、案内人というのはそれになりに社会的地位のある職業らしい。多くの案内屋が日々客の獲得のためサービスの向上に努めているので信用度も高い。
京矢達はモットー率いる商隊と別れると証印を受けた依頼書を持って冒険者ギルドにやって来た。
そして、宿を取ろうにも何処にどんな店があるのかさっぱりなので、冒険者ギルドでガイドブックを貰おうとしたところ、案内人の存在を教えられたのだ。
そして、現在、案内人の女性、リシーと名乗った女性に料金を支払い、軽食を共にしながら都市の基本事項を聞いていたのである。
「そういうわけなので、一先ず宿をお取りになりたいのでしたら観光区へ行くことをオススメしますわ。中央区にも宿はありますが、やはり中央区で働く方々の仮眠場所という傾向が強いので、サービスは観光区のそれとは比べ物になりませんから」
「確かに。金にも余裕がある事だし、そっちの方が良さそうだな」
「ああ。なら素直に観光区の宿にしとくか。どこがオススメなんだ?」
「お客様のご要望次第ですわ。様々な種類の宿が数多くございますから」
「そりゃそうか。そうだな、飯が美味くて、あと風呂があれば文句はない。立地とかは考慮しなくていい。あと責任の所在が明確な場所がいいな」
「オレも同感。飯が美味くて風呂があれば文句は無いし。責任の所在が明白な所が特に必要だな」
リシーは、にこやかにハジメの要望を聞く。
最初の二つはよく出される要望なのだろう「うんうん」と頷き、早速、脳内でオススメの宿をリストアップしたようだ。しかし、続く京矢とハジメの言葉で「ん?」と首を傾げた。
「あの~、責任の所在ですか?」
「ああ、例えば、何らかの争いごとに巻き込まれたとして、こちらが完全に被害者だった時に、宿内での損害について誰が責任を持つのかということだな。どうせならいい宿に泊りたいが、そうすると備品なんか高そうだし、あとで賠償額をふっかけられても面倒だろ」
「まあ、叩きのめした連中に全額押し付けても良いけどな。そう言う連中の財布の中身が足りなかったら、連帯責任にされても面倒だし」
「え~と、そうそう巻き込まれることはないと思いますが……」
困惑するリシーにハジメと京矢は苦笑いする。
「まぁ、普通はそうなんだろうが、連れが目立つんでな。観光区なんてハメ外すヤツも多そうだし、商人根性逞しいヤツなんか強行に出ないとも限らないしな。まぁ、あくまで〝出来れば〟だ。難しければ考慮しなくていい」
「そう言う事、そんな状況になった時のための備えって奴だ」
ハジメの言葉に、リシーは、ハジメの両脇に座りうまうまと軽食を食べるユエとシア、静かに軽食を食べているベルファストとエンタープライズに視線をやる。
そして、納得したように頷いた。
確かにこの美少女二人と美女二人は目立つ。現に今も、周囲の視線をかなり集めている。
特に、シアの方は兎人族だ。他人の奴隷に手を出すのは犯罪だが、しつこい交渉を持ちかける商人やハメを外して暴走する輩がいないとは言えない。
「しかし、それなら警備が厳重な宿でいいのでは? そういうことに気を使う方も多いですし、いい宿をご紹介できますが……」
「ああ、それでもいい。ただ、欲望に目が眩んだヤツってのは、時々とんでもないことをするからな。警備も絶対でない以上は最初から物理的説得を考慮した方が早い」
「まあ、確かにとんでもない事する子も居たよな」
ハジメの言葉にマサカの宿の看板娘の事を思い出してしまう京矢だった。確かにただの宿屋の娘とは思えない、スパイ映画並みの行動をとっていたのは、欲望に目が眩んだ上での暴走だろう。
「ぶ、物理的説得ですか……なるほど、それで責任の所在なわけですか」
「そう言う事だ。まっ、オレは他の要望は、静かに休めればそれで良いぜ」
完全にハジメの意図を理解したリシーは、あくまで〝出来れば〟でいいと言うハジメに、案内人根性が疼いたようだ、やる気に満ちた表情で「お任せ下さい」と了承する。
京矢の要望は実際には、他には特に無いと言っているようなものだ。
そして、ユエとシア、エンタープライズとベルファストの方に視線を転じ、彼女達にも要望がないかを聞いた。出来るだけ客のニーズに応えようとする点、リシーも彼女の所属する案内屋も、きっと当たりなのだろう。
それから、他の区について話を聞いていると、京矢達は不意に強い視線を感じた。
特に、シアとユエ、エンタープライズとベルファストに対しては、今までで一番不躾で、ねっとりとした粘着質な視線が向けられている。
視線など既に気にしない彼女達だが、あまりにも気持ち悪い視線に僅かに眉を顰める。
京矢とハジメがチラリとその視線の先を辿ると…………ブタがいた。
体重が軽く百キロは超えていそうな肥えた体に、脂ぎった顔、豚鼻と頭部にちょこんと乗っているベットリした金髪。身なりだけは良いようで、遠目にもわかるいい服を着ている。
そのブタ男が此方の女性陣を欲望に濁った瞳で凝視していた。
京矢とハジメが、「面倒な」と思うと同時に、そのブタ男は重そうな体をゆっさゆっさと揺すりながら真っ直ぐハジメ達の方へ近寄ってくる。
どうやら逃げる暇もないようだ。二人が逃げる事などないだろうが。
リシーも不穏な気配に気が付いたのか、それともブタ男が目立つのか、傲慢な態度でやって来るブタ男に営業スマイルも忘れて「げっ!」と何ともはしたない声を上げた。
それだけで理解してしまう。ある意味で相当知られているのだろう、あのブタ男は。
ブタ男は、ハジメ達のテーブルのすぐ傍までやって来ると、ニヤついた目でユエとシア、エンタープライズとベルファストをジロジロと見やり、シアの首輪を見て不快そうに目を細めた。
そして、今まで一度も目を向けなかった京矢とハジメに、さも今気がついたような素振りを見せると、これまた随分と傲慢な態度で一方的な要求をした。
「お、おい、ガキ共。ひゃ、百万ルタやる。この兎を、わ、渡せ。それとそっちの女共はわ、私の妾にしてやる。い、一緒に来い」
ドモリ気味のきぃきぃ声でそう告げて、ブタ男はユエに触れようとする。
彼の中では既にユエは自分のものになっているようだ。その瞬間、その場に凄絶な殺意威圧が降り注いだ。
周囲のテーブルにいた者達ですら顔を青ざめさせて椅子からひっくり返り、後退りしながら必死にハジメから距離をとり始めた。
その殺意威圧のすぐ近くにいるのに平然としながら、ブタ男に「バカが沸いたな」と言う顔を向けている京矢はリシーへと向かう威圧の余波を防いでいる。
京矢に守られた者と熟れている者達以外がその反応ならば、直接その殺気を受けたブタ男はというと……「ひぃ!?」と情けない悲鳴を上げると尻餅をつき、後退ることも出来ずにその場で股間を濡らし始めた。
ハジメが本気の殺気をぶつければ、おそらく瞬時に意識を刈り取っただろうが、それでは意味がないので十分に手加減している。京矢としては面倒にならないようにさっさとそいつを気絶させてくれと思うが、それは今更だろう。
……もう面倒事になっちゃってるし。
「ユエ、シア、行くぞ。場所を変えよう」
「エンタープライズ、ベルファスト。此処は養豚場みたいな匂いがして空気が悪いな、場所を変えよう」
汚い液体が漏れ出しているので、二人は女性陣に声をかけて席を立つ。
本当は、即射殺したかったのだが、流石に声を掛けただけで殺されたとあっては、ハジメの方が加害者だ。殺人犯を放置するほど都市の警備は甘くないだろう。ゴム弾程度なら止めないが、流石にそんな事をしそうになったら、実行する前に京矢が止めている。
基本的に、正当防衛という言い訳が通りそうにない限り、都市内においては半殺し程度を限度にしようと京矢もハジメは考えていた。なので、京矢としては面倒だから平和的に威圧で気絶させる程度にしておいてくれと、言いたかったがそれはそれ。
席を立つ京矢達に、リシーが「えっ? えっ?」と混乱気味に目を瞬かせた。
リシーからすれば、ブタ男が勝手なことを言い出したと思ったら、いきなり尻餅をついて股間を漏らし始めたのだから混乱するのは当然だろう。
ちなみに、周囲にまで〝威圧〟の効果が出ているのはわざとである。
周囲の連中もそれなりに鬱陶しい視線を向けていたので、序でに理解させておいたのだ。〝手を出すなよ?〟と。周囲の男連中の青ざめた表情から判断するに、これ以上ないほど伝わったようだ。
だが、〝威圧〟を解きギルドを出ようとした直後、大男が京矢達の進路を塞ぐような位置取りに移動し仁王立ちした。
ブタ男とは違う意味で百キロはありそうな巨体である。全身筋肉の塊で腰に長剣を差しており、歴戦の戦士といった風貌だ。
その巨体が目に入ったのか、再起動したブタ男が再びキィキィ声で喚きだした。
「そ、そうだ、レガニド! そのクソガキ共を殺せ! わ、私を殺そうとしたのだ! 嬲り殺せぇ!」
「坊ちゃん、流石に殺すのはヤバイですぜ。半殺し位にしときましょうや」
「やれぇ! い、いいからやれぇ! お、女は、傷つけるな! 私のだぁ!」
「了解ですぜ。報酬は弾んで下さいよ」
「い、いくらでもやる! さっさとやれぇ!」
どうやら、レガニドと呼ばれた巨漢は、ブタ男の雇われ護衛らしい。
ハジメから目を逸らさずにブタ男と話、報酬の約束をするとニンマリと笑った。珍しい事にレガニドにはユエやシア、エンタープライズやベルファストは眼中にないらしい。女よりも金の方が好きなのか、見向きもせずに貰える報酬にニヤついているようだ。
***
「おう、坊主達。わりぃな。俺の金のためにちょっと半殺しになってくれや。なに、殺しはしねぇよ。まぁ、嬢ちゃん達の方は……諦めてくれ」
レガニドはそう言うと、拳を構えた。長剣の方は、流石に場所が場所だけに使わないようだ。周囲がレガニドの名を聞いてざわめく。
「お、おい、レガニドって〝黒〟のレガニドか?」
「〝暴風〟のレガニド!? 何で、あんなヤツの護衛なんて……」
「金払じゃないか?〝金好き〟のレガニドだろ?」
周囲のヒソヒソ声で大体目の前の男の素性を察した京矢とハジメ。
天職持ちなのかどうかは分からないが冒険者ランクが〝黒〟ということは、上から三番目のランクということであり、相当な実力者ということだ。
レガニドから闘気が噴き上がる。
内心で京矢が『さっさと気絶でもさせとけば良かったのに』と思いながら鎧の魔剣に手をかける。テン・コマンドメンツの方が|爆発の剣《エクスプロージョン》で気絶させる等、対人戦での加減もし易かったが、残念ながら今背負っているのは鎧の魔剣だ。
ハジメが京矢とは対照的に、これなら正当防衛を理由に半殺しにしても問題ないだろうと、拳を振るおうとした瞬間、意外な場所から制止の声がかかった。
「……ハジメ、待って」
「? どうしたユエ?」
ユエは、隣のシアを引っ張ると、ハジメの疑問に答える前に、ハジメとレガニドの間に割って入った。
訝しそうなハジメとレガニドに、ユエは背を向けたまま答える。
「……私達が相手をする」
「えっ? ユエさん、私もですか?」
シアの質問はさらり無視するユエ。
「そうですね。では、私達は手を出さない方が良いでしょう」
「そうだな」
ユエの言葉に肯定的に自分達は手を出すべきでは無いと判断した。ふと、京矢もレガニドに視線を向ける。
(まあ、比較対象が凄すぎるだけだけど、心配ない部類だな)
冒険者ランクの上から3番目の黒とはいえ、見た印象では京矢にとっての強敵ランキングでは下の下だ。
まあ、どう考えても上位に位置する闇の書の闇やら、デボネアやらと比較したら大半の相手が下になる。
そもそも、そう簡単にそんなレベルの相手が出てきたら世界など軽く滅ぶし、そんなレベルに匹敵するのが、その辺に簡単にいるなら、勇者召喚なんて誰も行わないし、召喚した勇者を育てるよりもその辺の実力者を真っ先に集めているだろう。
そんなユエ達の言葉に、ハジメと京矢が返答するよりも、レガニドが爆笑する方が早かった。
「ガッハハハハ、嬢ちゃん達が相手をするだって? しかも、二人で十分? 中々笑わせてくれるじゃねぇの。何だ? 夜の相手でもして許してもらおうって『……黙れ、ゴミクズ』ッ!?」
下品な言葉を口走ろうとしたレガニドに、辛辣な言葉と共に、神速の風刃が襲い掛かりその頬を切り裂いた。プシュと小さな音を立てて、血がだらだらと滴り落ちる。かなり深く切れたようだ。
レガニドは、ユエの言葉通り黙り込む。ユエの魔法が速すぎて、全く反応できなかったのだ。心中では「いつ詠唱した? 陣はどこだ?」と冷や汗を掻きながら必死に分析している点は流石に二つ名持ちの実力者といった所だろう。
ユエは何事もなかったように、ハジメと、未だ、ユエの意図が分かっていないシアに向けて話を続ける。
「……私達が守られるだけのお姫様じゃないことを周知させる」
「ああ、なるほど。私達自身が手痛いしっぺ返し出来ることを示すんですね」
「……そう。せっかくだから、これを利用する」
「私達も参加して良いのですが」
「それだと、完全にオーバーキルになる」
エンタープライズとベルファストの不参加理由は四人で叩きのめしては単なる虐めにしかならない。
二人の言葉に頷いてユエは、先程とは異なり厳しい目を向けているレガニドを指差した。
まあ、そこから先はかなり一方的な展開でレガニドがボコボコにされた。最後は半ば意地で立ち上がったレガニドだったが、ユエが氷の如き冷めた目で右手を突き出している姿を見て、内心で盛大に愚痴る。
(坊ちゃん、こりゃ、割に合わなさすぎだ……)
自分の受けた仕事が割りに合わない仕事だと理解した直後、レガニドは生涯で初めて、〝空中で踊る〟という貴重で最悪の体験をすることになった。
「舞い散る花よ 風に抱かれて砕け散れ 〝風花〟」
最後に放たれたのはユエ、オリジナル魔法第二弾〝風爆〟という風の砲弾を飛ばす魔法と重力魔法の複合魔法だ。
複数の風の砲弾を自在に操りつつ、その砲弾に込められた重力場が常に目標の周囲を旋回することで全方位に〝落とし続け〟空中に磔にする。そして、打ち上げられたが最後、そのまま空中でサンドバックになるというえげつない魔法だ。
ちなみに、例の如く、詠唱は適当である。
空中での一方的なリードによるダンスを終えると、レガニドは、そのままグシャと嫌な音を立てて床に落ち、ピクリとも動かなくなった。
実は、最初の数撃で既に意識を失っていたのだが、知ってか知らずか、ユエは、その後も容赦なく連撃をかまし、特に股間を集中的に狙い撃って周囲の男連中の股間をも竦み上がらせた。
良くやったと頷くエンタープライズとベルファストを他所に、苛烈にして凶悪な攻撃に、後ろで様子を伺っていたハジメと京矢をして「おぅ」と悲痛な震え声を上げさせたほどだ。
本来の認識ならば弱い筈の兎人族のシアによるフルボッコから続いた、あり得べからざる光景の二連発。そして、その容赦のなさにギルド内が静寂に包まれる。
誰も彼もが身動き一つせず、京矢達を凝視していた。よく見れば、ギルド職員らしき者達が、争いを止めようとしたのか、カフェに来る途中でハジメ達の方へ手を伸ばしたまま硬直している。
様々な冒険者達を見てきた彼等にとっても衝撃の光景だったようだ。
誰もが硬直していると、おもむろに静寂が破られた。ハジメと京矢が、ツカツカと歩き出したのだ。
ギルド内にいる全員の視線が二人に集まる。二人の行き先は……ブタ男のもとだった。
腰が抜けているのか、尻餅をついたまま逃げようとするブタ男の目の前に京矢は逃げ道を塞ぐ様に鎧の魔剣を突き刺す。
「ひぃ! く、来るなぁ! わ、私を誰だと思っている! プーム・ミンだぞ! ミン男爵家に逆らう気かぁ!」
「はっ? 知らねえよ、テメェの事なんざ」
「……ってか、地球の全ゆるキャラファンに謝れ、ブタが」
ハジメは、ブタ男の名前に地球の代表的なゆるキャラを思い浮かべ、盛大に顔をしかめると、ハジメは尻餅を付いたままのブタ男の顔面を勢いよく踏みつけた。
「プギャ!?」
文字通り豚のような悲鳴を上げて顔面を靴底と床にサンドイッチされたブタ男はミシミシとなる自身の頭蓋骨に恐怖し悲鳴を上げた。
止める気は無いのか、京矢が興味なさげに冷ややかな視線をブタ男に向けると、早く終わらせてくれと言う視線をハジメへと向ける。
すると、分かったとでも言うように、鳴けば鳴くほど圧力が増していく。顔は醜く潰れ、目や鼻が頬の肉で隠れてしまっている。やがて、声を上げるほど痛みが増す事に気が付いたのか、大人しくなり始めた。単に体力が尽きただけかもしれないが。
「おい、ブタ。二度と視界に入るな。直接・間接問わず関わるな……次はない」
ブタ男はハジメの靴底に押しつぶされながらも、必死に頷こうとしているのか小刻みに震える。
既に、虚勢を張る力も残っていないようだ。完全に心が折れている。しかし、その程度で、あっさり許すほどハジメは甘くはない。京矢もハジメよりも寛容だが、この程度で許す気はない。
〝喉元過ぎれば熱さを忘れる〟というように、一時的な恐怖だけでは全然足りない。殺しの選択が得策でない上に殺そうとすれば京矢に止められる以上、代わりに、その恐怖を忘れないように刻まねばならない。
それは京矢も同意だったのか、『早く済ませろよ』と言ってGOサインを出している。貴族などと言う輩の基準が王国の連中になっている為に二度とは関わりたくないと骨に刻むレベルが最低限とみなしてしまっているのだ。
剣士である京矢がやってしまうと指の一本や二本、最悪は腕の一本斬り落とすというレベルになってしまうのでそこは全面的にハジメに任せる。
ハジメは京矢の言葉に頷くと少し足を浮かせると錬成により靴底からスパイクを出し、再度勢いよく踏みつけた。
「ぎゃぁああああああ!!」
靴底のスパイクが、ブタ男の顔面に突き刺さり無数の穴を開ける。
更に、片目にも突き刺ささったようで大量の血を流し始めた。ブタ男本人は、痛みで直ぐに気を失う。ハジメが足をどけると見るも無残な……いや、元々無残な顔だったので、あまり変わらないが、取り敢えず血まみれの顔が晒された。
ハジメと京矢は、どこか清々しい表情でエンタープライズ達の方へ歩み寄る。
ユエとシアは微笑みでハジメを、エンタープライズとベルファストは満足げな微笑みで京矢を迎えた。そして、京矢とハジメは、すぐ傍で呆然としている案内人リシーにも笑いかけた。
「じゃあ、案内人さん。場所移して続きを頼むよ」
「はひっ! い、いえ、その、私、何といいますか……」
ハジメの笑顔に恐怖を覚えたのか、しどろもどろになるリシー。その表情は、明らかに関わりたくないと物語っていた。
それくらい、彼等は異常だったのだ。
「あー、気持ちはわかるけど、別にオレ達は無闇に暴れるほど危険人物じゃないから安心してくれ」
それを察した京矢はまた新たな案内人をこの騒ぎの後に探すのは面倒なので、彼女には可愛そうだがリシーを逃がすつもりはなかった。
「申し訳ありません、リシー様」
「すまない。この状況では、ちょっとな」
京矢の意図を悟って、エンタープライズとベルファストが「逃がさない」とばかりにリシーの両脇を固めると、「ひぃぃん!」と情けない悲鳴を上げるリシー。
三人共そんな彼女の様子に罪悪感はあるが、この後の面倒を考えると逃したくはない。お詫びに少し多めにチップでも渡そうと思いながら彼女の説得を試みる。
と、そこへ彼女にとっての救世主、ギルド職員が今更ながらにやって来た。もっと早く来てくれと思わなくもないが、自分達の行動が早くて口を挟まなかったのだろうと納得する。
「あの、申し訳ありませんが、あちらで事情聴取にご協力願います」
そう京矢達に告げた男性職員の他、三人の職員が京矢達を囲むように近寄った。
もっとも、全員腰が引けていたが。もう数人は、プームとレガニドの容態を見に行っている。
「そうは言ってもな、あのブタが俺の連れを奪おうとして、それを断ったら逆上して襲ってきたから返り討ちにしただけだ。なあ?」
「確かにそんな所だからな。まあ、それでも説明しろって言うなら説明はするけど、要約するとそんな所だぜ。なあ?」
「ああ。それ以上、説明する事がない。そこの案内人とか、その辺の男連中も証人になるぞ。特に、近くのテーブルにいた奴等は随分と聞き耳を立てていたようだしな?」
「あと付け加えるなら……黒の冒険者が人攫いをしようとした。ってのも付け加えるけどな」
京矢とハジメがそう言いながら周囲の男連中を睥睨すると、目があった彼等はそれはもう、『首と頭に悪いぞ』と言いたくなるほど激しく何度も頷いた。
最後に付け加えた京矢の一言にギルド職員達。特にブタ男とレガニドのやり取りを聞いていたであろう職員が気まずそうに目を逸らす。
「そ、それは分かっていますが、ギルド内で起こされた問題は、当事者双方の言い分を聞いて公正に判断することになっていますので……規則ですから冒険者なら従って頂かないと……」
「当事者双方……ね」
「規則なら従うけど……なあ」
京矢とハジメはチラリとブタ男とレガニドの二人を見る。
二人とも気絶していて当分目を覚ましそうになかった。ギルド職員が治癒師を手配しているようだが、おそらく二、三日は目を覚まさないのではないだろうか。
「あれが目を覚ますまで、ずっと待機してろって? 被害者の俺達が? ……いっそ都市外に拉致って殺っちまうか?」
「南雲、殺るなら、使えそうな道具は色々とあるぜ。後始末も大丈夫だ」
「へー、中々面白そうな物があるな」
「だろ?」
ハジメが非難がましい視線をギルド職員に向け、面白そうに京矢もハジメの意見に同意する。京矢がコッソリとハジメだけに聞こえるように言った道具の事を聞くと興味深そうに、楽しそうにブタ男達の拉致と抹殺に乗り気になった。
殺伐とした会話を楽しそうにする二人にギルド職員の男性が、「こっちは仕事なんだから、オレ達は関係ないぞぉ」という自棄糞気味な表情になった後、必死に止めに入る。
「んじゃ、此処は平和的にさっさと目を覚ましてもらうか」
流石に殺すのはやり過ぎかと思いながらも、ハジメを宥めるために会話をしていた京矢が、仕方ないと目を覚まさせるために六芒星に似た鍔に水晶のような物がはめられた剣を取り出した。
その剣の名は『雷神剣《ref》『剣勇伝説YAIBA』に登場する日本刀。鍔の真ん中に『雷』と書かれた玉が埋め込まれている。 この雷の玉の力により、刀身から稲妻や波動を打ち出すことが出来る。 《/ref》』。魔剣目録に収められた剣の一振りで文字通り電撃を操ることの出来る雷神が落としたと言われている刀だ。対になる風を操ることの出来る刀の風神剣が存在する。
その剣の力を持ってブタ男とレガニドの二人に対して、電撃を以て強制的に意識を取り戻させるかと歩み寄ろうとし、それを職員が止めようと押し問答している。
流石に斬るんじゃ無くて軽い電撃で目を覚まさせるだけと職員に説明しているが、そんな力を持った魔剣を取り出した京矢は当然ながら必死に止められる。
どう見ても、素人でも、一目でわかる程の強力な魔剣だ。
そんな中、突如、凛とした声が掛けられた。
「何をしているのです? これは一体、何事ですか?」
そちらを見てみれば、メガネを掛けた理知的な雰囲気を漂わせる細身の男性が厳しい目で京矢達を見ていた。
「ドット秘書長! いいところに! 本当に良いところに! これはですね……」
職員達がこれ幸いと、心底嬉しそうにドット秘書長と呼ばれた男のもとへ群がる。
ドットは、職員達から話を聞き終わると、京矢達に鋭い視線を向けた。
どうやら、まだまだ解放はされないようだ。