ライセンの大迷宮

「しかし、たった五日であそこ迄獣拳を会得できるとは思わなかったな。……案外、獣を心に感じる獣拳と亜人族は相性が良いのかもな」

「なるほど、相性か」

亜人族、その中でも地球では獣人と言うべき兎人族を初めとする一部の亜人族は獣拳との相性も良いのだろう。
ハジメと京矢が自分達の成果を前に現実逃避の如く話しているとシアが叫ぶ。

「ど、どういうことですか!? ハジメさん! 京矢さん! 父様達に一体何がっ!?」

「お、落ち着け! ど、どういうことも何も……訓練の賜物だ……」

「寧ろ、ナイフに名前付けたり、見つめながらうっとりしたりしてない分……改善、された?」

「五日で此処まで改善されたから……なあ?」

「いやいや、せめて其処は断言してください! 大体何をどうすればこんな有様になるんですかっ!? 完全に別人じゃないですか!? しかも、これで改善されたってもっと酷かったって事ですか!? ちょっと、目を逸らさないで下さい! こっち見て!」

「……別に、大して変わってないだろ?」

「ああ、人にとって大切なのはその本質だ。其処さえ変わってなきゃ、何も変わらない」

「貴方達の目は節穴ですかっ! 面影すら無いじゃないですか!? 良いこと言って誤魔化さないで下さい。見て下さい。彼なんて、さっきから自分の動きを見ながらうっとりしてますよ! 普通に怖いですぅ~」

「……ああ、『忘我の中に修行あり、美技を極めるバット拳』のグランドマスター、バット・リーの教えに一番感銘を受けてたからな」

「美技って何ですか、美技って!? バット・リーって誰ですか!?」

「誰もが息を呑むほどの美しい技だけど?」

「自分が一番息を呑んでるじゃないですか!?」

樹海にシアの焦燥に満ちた怒声が響く。
一体どうしたんだ?と分かってなさそうな表情でシアとハジメと京矢のやり取りを見ているカム達。
先ほどのやり取りから更に他のハウリア族も戻って来たのだが、その全員が……何というか……武道家みたいな風貌になっている。男衆だけでなく女子供、果ては老人まで。

シアは、そんな変わり果てた家族を指差しながらハジメと京矢に凄まじい勢いで事情説明を迫っていた。
二人はというと、どことなく気まずそうに視線を逸らしながらも、のらりくらりとシアの尋問を躱わしている。

埒があかないと判断したのか、シアの矛先がカム達に向かった。

「父様! みんな! 一体何があったのです!? まるで別人ではないですか!」

縋り付かんばかりのシアにカムは、ギラついた表情を緩め前の温厚そうな表情に戻った。それに少し安心するシア。

だが……

「何を言っているんだ、シア? 私達はこの世の真理に目覚めただけさ。マスター達のおかげでな」

「し、真理? 何ですか、それは?」

嫌な予感に頬を引き攣らせながら尋ねるシアに、カムはにっこりと微笑むと胸を張って自信に満ちた様子で宣言した。

「獣拳は正義の拳、正しき者は必ず勝つ、と」

「えええぇ~!」

父親から発せられる当人してみれば訳の分からない言葉に戸惑いながらよろけると小さな影とぶつかり「はうぅ」と情けない声を上げながら尻餅をついた。

小さな影の方は咄嗟にバランスをとったのか転倒せずに持ちこたえ、倒れたシアに手を差し出した。

「あっ、ありがとうございます」

「いや、気にしないでくれ、シアの姐御。男として当然のことをしたまでさ」

「あ、姐御?」

霧の奥から現れたのは未だ子供と言っていいハウリア族の少年だった。服装はやはり他のハウリア族と同じく武道着の様な格好で腰には二本のナイフが装着されている、随分ニヒルな笑みを見せる少年だった。
シアは、未だかつて〝姉御〟などという呼ばれ方はしたことがない上、目の前の少年は確か自分のことを〝シアお姉ちゃん〟と呼んでいたことから戸惑いの表情を浮かべる。

そんなシアを尻目に、少年はスタスタと京矢が『まあ座れ』と用意した椅子に座るハジメの前まで歩み寄ると、敬礼をしてみせ、片膝をついて頭を下げる。

「マスターハジメ! 報告と上申したいことがあります! 発言の許可を!」

「お、おう? 何だ?」

激獣ファルコン拳と名乗った少年の歴戦の武人もかくやという雰囲気に、若干どもるハジメ。少年はお構いなしに報告を続ける。
そして、一人だけ椅子に座らせられている状況を鑑みて、改めて思う。『オレ、何かボスにされてないか?』と。

よく分かっていないユエと、狙ってやったであろう京矢が左右に立っている時点で三人の中のリーダー格である。

「はっ! 周囲の偵察中、武装した熊人族の集団を発見しました。場所は、大樹へのルート。おそらく我々に対する待ち伏せかと愚考します!」

「あ~、やっぱ来たか。即行で来るかと思ったが……なるほど、どうせなら目的を目の前にして叩き潰そうって腹か。なかなかどうして、いい性格してるじゃねぇの」

「まっ、樹海の中を探し回ってからオレ達を襲撃するよりも、来ると分かってる目的地の前で待ち伏せの方が楽だろうからな。……それで上申ってのは何だ、幼隼?」

セリフが明らかに何処ぞのホーク拳の人を意識した京矢が続きを促す。

「はっ! 宜しければ、奴らの相手は我らハウリアにお任せ願えませんでしょうか!」

「激獣ホッパー拳のカム。お前はどうだ? 幼隼はこう言ってるぞ?」

京矢は試す様な問いをカムへと向ける。話を振られたカムは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべると願ってもないと言わんばかりに頷いた。

「お任せ頂けるのなら是非。我らの力、奴らに何処まで通じるか……試してみたく思います。な~に、そうそう無様は見せやしませんよ」

「当然だ。無様を見せる様な鍛え方はしていない」

族長の言葉に周囲のハウリア族が、全員同じように好戦的な表情を浮かべる。

「……出来るんだな?」

「肯定であります!」

最後の確認をするハジメに元気よく返事をしたのは少年だ。

京矢から激は任せたといつの間にか用意した椅子に自分とユエも座らせて、ハジメに激を任せた。
仕方ないとばかりに一度、瞑目し深呼吸すると、カッと目を見開いた。


「聞け! ハウリア族諸君! 勇猛果敢な拳士諸君! 今日を以て、お前達は糞蛆虫を卒業する! お前達はもう淘汰されるだけの無価値な存在ではない! 力を以て理不尽を粉砕し、知恵を以て敵意を捩じ伏せる! 最高の|武士《もののふ》だ! 私怨に駆られ状況判断も出来ない〝ピッー〟な熊共にそれを教えてやれ! 奴らはもはや唯の踏み台に過ぎん! 唯の〝ピッー〟野郎どもだ! 奴らの屍山血河を築き、その上に証を立ててやれ! 生誕の証だ! ハウリア族が生まれ変わった事をこの樹海の全てに証明してやれ!」

「「「「「「「「「「ハッ! マスターハジメ!!」」」」」」」」」」

「答えろ! 諸君! 最強最高の拳士諸君! お前達の望みはなんだ!」

「「「「「「「「「「討て!! 討て!! 討て!!」」」」」」」」」」

「お前達の使命は何だ!」

「「「「「「「「「「倒せ!! 倒せ!! 倒せ!!」」」」」」」」」」

「敵はどうする!」

「「「「「「「「「「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」」」」」」」」」」

「そうだ! 殺せ! お前達にはそれが出来る! 自らの手で生存の権利を獲得しろ!」

「「「「「「「「「「Aye、aye、Sir!!」」」」」」」」」

「いい気迫だ! ハウリア族諸君! 俺からの命令は唯一つ! サーチ&デストロイ! 行け!!」

「ハッ! 行くぞ、お前達! 命を惜しむな、名を惜しめぇ!」

「「「「「「「「「「YAHAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」」」」」」」」」」

「ハウリア進軍!」

「「「「「「「「「「ハウリア進軍! ハウリア進軍!! ハウリア進軍!!!!!」」」」」」」」」」

最後に上げたカムの咆哮に答える様に叫ぶハウリア族の皆さん。物凄い勢いで大地を駆ける者達はまだ良い。一応はまだ普通だ。
だが、一部の人達は土の中に物凄い勢いで潜っていき、極め付きは翼も無いのに空を飛ぶ連中までいる。

「うわぁ~ん、私の家族はみんな死んでしまったですぅ~」

ハジメの号令に凄まじい気迫を以て返し、古き日の日ノ本の武士を思わせる気迫で霧の中へ消えていくハウリア族達。空を飛んだり、地中に潜ったりして。

温厚で平和的、争いが何より苦手……そんな種族いたっけ?と言わんばかりの変わり様だ。
面影など無いほど変わり果てた家族、しかもちょっと前はもっと酷かった、を再度目の当たりにし、崩れ落ちるシアの泣き声が虚しく樹海に木霊する。
流石に見かねたのかユエがポンポンとシアの頭を慰めるように撫でている。

「空の獣拳をあそこまで扱うなんて、やるじゃねぇか」

「やるじゃねぇか、じゃないですぅ!?」

京矢にツッコミを入れるシアの隣を少年が駆け抜けようとして、シアは咄嗟に呼び止めた。

「パルくん! 待って下さい! ほ、ほら、ここに綺麗なお花さんがありますよ? 君まで行かなくても……お姉ちゃんとここで待っていませんか? ね? そうしましょ?」

どうやら、必死にまだ幼い少年だけでも元の道に連れ戻そうとしている様子だ。傍に咲いている綺麗な花を指差して必死に説得している。
何故、花で釣っているのか? それはその少年、京矢からは幼隼と呼ばれていたファルコン拳使いの少年が、かつてはお花が大好きな少年だったからである。

シアの呼び掛けに律儀に立ち止まったお花の少年もとい幼隼のパル少年は、「ふぅ~」と息を吐くとやれやれだぜと言わんばかりに肩を竦めた。まるで、欧米人のようなオーバーリアクションだ。

「姐御、あんまり古傷を抉らねぇでくだせぇ。俺は既に過去を捨てた身。花を愛でるような軟弱な心は、もう持ち合わせちゃいません」

ちなみに、そんなファルコン拳のパル少年は今年十一歳だ。

「ふ、古傷? 過去を捨てた? えっと、よくわかりませんが、もうお花は好きじゃなくなったんですか?」

「いえ、捨てちゃいませんよ、その気持ちは」

「え……」

「悟ったんでさあ、弱けりゃ何も守れない。そんな弱い奴らを守ってやるには力が無けりゃ意味が無いって」

繰り返すが、そんなファルコン拳のパル君は今年十一歳だ。

「それより姐御」

「な、何ですか?」

〝シアお姉ちゃん! シアお姉ちゃん〟と慕ってくれて、時々お花を摘んで来たりもしてくれた少年の変わりように、意識が自然と現実逃避を始めそうになるシア。
パル少年の呼び掛けに辛うじて返答する。しかし、それは更なる追撃の合図でしかなかった。

「俺は過去と一緒に前の軟弱な名前も捨てました。今はバルトフェルドです。〝激獣ファルコン拳のバルトフェルド〟これからはそう呼んでくだせぇ」

「誰!? バルトフェルドってどっから出てきたのです!?」

「おっと、すいやせん。仲間が待ってるのでもう行きます。では!」

「あ、こらっ! 何が〝ではっ!〟ですか! まだ、話は終わって、って嘘だっ! 何で兎人族が空を飛べるんです!? 待って! 待ってくださいぃ~」

恋人に捨てられた女の如く、崩れ落ちたまま空を飛んで霧の向こう側に消えていく少年に向かって手を伸ばすシア。
答えるものは誰もおらず、彼女の家族は皆、猛々しく戦場に向かってしまった。
ガックリと項垂れ、再びシクシクと泣き始めたシア。既に彼女の知る家族はいない。実に哀れを誘う姿だった。

そんなシアの姿と魔法も使わずに、羽もないのに空を飛ぶ少年を何とも言えない微妙な表情で見ているユエ。
ハジメと京矢は、どことなく気まずそうに視線を彷徨わせている。ユエは、ハジメに視線を転じるとボソリと呟いた。

「……流石ハジメと京矢、人には出来ないことを平然とやってのける」

「いや、だから何でそのネタ知ってるんだよ……」

「これでも立ち止まらせた方なんだけどな……」

「……闇系魔法も使わず、洗脳……すごい」

「……正直、ちょっとやり過ぎたとは思ってる。反省も後悔もないけど」

「まあ、あれなら死ぬことはないだろうな、オレ達が居なくなっても」

しばらくの間、変わり果てたハウリア族が去ったその場には、シアのすすり泣く声と、微妙な空気が漂っていたのだった。

***

彼、レギン・バントンは熊人族最大の一族であるバントン族の次期族長との噂も高い実力者だ。現長老の一人であるジン・バントンの右腕的な存在でもあり、ジンに心酔にも近い感情を抱いていた。

もっとも、それは、レギンに限ったことではなくバントン族全体に言えることで、特に若者衆の間でジンは絶大な人気を誇っていた。
その理由としては、ジンの豪放磊落な性格と深い愛国心、そして亜人族の中でも最高クラスの実力を持っていることが大きいだろう。

だからこそ、その知らせを聞いたとき熊人族はタチの悪い冗談だと思った。
自分達の心酔する長老が、一匹の魔物とそれを従える一人の人間に続け様に為すすべもなく敗れたなど有り得ないと。
しかし、現実は容赦なく事実を突きつける。プライドを砕かれて憔悴しているジンの姿が何より雄弁に真実を示していた。
大した怪我さえ負わされて居ない。回復薬を与えればまた肉体的には戦士として戦えるようになる。そんな状況が余計にジンのプライドを傷つけて居た。

豪放な性格は見る影もなく、大きかった背中は小さく見える。
レギンは、そんな変わり果てたジンの姿に呆然とし、次いで煮えたぎるような怒りと憎しみを覚えた。
腹の底から湧き上がるそれを堪える事もなく、現場にいた長老達に詰め寄り一切の事情を聞く。そして、全てを知ったレギンは、長老衆の忠告を無視して熊人族の全てに事実を伝え、報復へと乗り出した。

長老衆や他の一族の説得もあり、全ての熊人族を駆り立てることはできなかったが、バントン族の若者を中心にジンを特に慕っていた者達が集まり、憎き人間と魔物を討とうと息巻いた。
その数は五十人以上。仇の人間の目的が大樹であることを知ったレギン達は、もっとも効果的な報復として大樹へと至る寸前で襲撃する事にした。目的を眼前に果てるがいい!と。

相手は所詮、人間と兎人族のみ。例えジンを倒したのだとしても、どうせ不意を打つなど、卑怯な手段を使ったに違いないと勝手に解釈した。正面から倒した魔物は注意が必要だろうが、樹海の深い霧の中なら感覚の狂う人間や、まして脆弱な兎人族など恐るるに足らずと。魔物も所詮は知性のない獣、指示する人間が居なければ恐れる必要など無い。
レギンは優秀な男だ。普段であるならば、そのようなご都合解釈はしなかっただろう。深い怒りが目を曇らせていたとしか言い様がない。

……ってか、長老達からディノミーゴが人間の言葉を理解して自分も話すことができて、高い知性を持っていると言われても何をバカな事を、と取り合っていなかった。………その事については仕方ないのかもしれないが。

だが、だとしても、己の目が曇っていたのだとしても……

「いや、お前ら本当に兎人族かよ!?」

レギンは堪らず絶叫を上げた。
なぜなら、彼の目には亜人族の中でも底辺という評価を受けている兎人族が、何故か他の種族の特性も発揮させて、最強種の一角に数えられる程戦闘に長けた自分達熊人族を蹂躙しているという有り得ない光景が広がっていたからだ。

「兎人族が何で空飛べるんだよ!?」

「ほらほらほら! 気合入れろや! 砕いちまうぞぉ!」

「アハハハハハ、豚のように悲鳴を上げなさい!」

「汚物は消毒だぁ! ヒャハハハハッハ!」

ハウリア族の哄笑が響き渡り、致命の打撃が無数に振るわれ、捕らわれた者の全身の骨が砕かれ、慌てて隠れた岩や木は空中から襲い掛かるハウリア族によって切り裂かれ、砕かれて無防備な姿を晒される。
そこには温和で平和的、争いが何より苦手な兎人族の面影は皆無だった。必死に応戦する熊人族達は動揺もあらわに叫び返した。

「ちくしょう! 何なんだよ! 誰だよ、お前等!!」

「こんなの絶対兎人族じゃないだろっ! 空を自由に飛べる兎人族って何だよ!?」

「うわぁああ! 来るなっ! 来るなぁあ!」

奇襲しようとしていた相手に逆に奇襲され、亜人族の中でも格下のはずの兎人族が翼人の様に空を飛び空中から襲い掛かり、熊人族以上の力で大地を砕き、気が付いたら全身の骨を砕かれる者も現れる。
認識を狂わせる巧みな気配の断ち方だけでは無い、周囲の霧は亜人族でさえ感覚を狂わせる樹海の物とは違う異常な霧。

「激技、蜃霧牢」

その、激獣ボンゴレ拳の少女が自らの技で作り出した特異な霧は亜人族の者でさえ感覚を奪うものだ。

「激技、|飛蝗終焉脚《ホッパー・ジ・エンド》」

霧の中から打ち出された砲弾の様な蹴りに吹き飛ばされる者、

「激技、スクイッドサブミッション」

兎人族の女に捕まり全身の骨を砕かれる者。

攻撃の隙を突こうにもそれは高度な連携で阻まれ、何より嬉々として拳を、技を振るう狂的な表情と哄笑、その全てが激しい動揺を生み、熊人族に窮地を与えていた。

実際、単純に一対一で戦っていたのなら兎人族では熊人族に敵う事はまず無いだろう。
だが、地獄と言うのも生温いハジメと京矢による特訓のおかげで先天的な差を埋める事に成功していた。

元々、兎人族は他の亜人族に比べて低スペックだ。
しかし、争いを避けつつ生き残るために磨かれた危機察知能力と隠密能力は群を抜いている。何せ、それだけで生き延びてきたのだから。

そして、敵の存在をいち早く察知し、敵に気付かれない隠密能力は、敵に気付かれる事なく逸早く奇襲出来ると言う実に暗殺者向きの能力をもった種族であると言えるのだ。
ただ、彼ら生来の性分が、これらの利点を全て潰していた。

先ず、ハジメが施した訓練は彼等の闘争本能を呼び起こすものと言っていい。
ひたすら罵り追い詰めて、武器を振るうことや相手を傷つけることに忌避感を感じる暇も与えない。ハート○ン先任軍曹様のセリフを思い出しながら、五日間ぶっ通しで過酷な訓練を施した結果、彼等の心は完全に戦闘者のそれになった。若干、やりすぎた感は否めないが……

そして、京矢の施した特訓はそんな彼らに一対一で敵を倒す技能を与える事に集中していた。
戦う以上奇襲の出来ない引くことのできない状況もある。そんな状況で生き延びるための力として与えたのが、激獣拳ビーストアーツだ。

一度はT2ガイアメモリを渡して仕舞えば良いかとも思ったが、精神汚染の危険性と虐げられてた者が急に大きな力を得た事による反動を考慮して地道な積み重ねが必要な拳法を選んだ。
同時に武術は精神面での修練の側面も持つ為、ハジメのやり過ぎの矯正も出来るかと思ったのだが……そっちはあまり成果は無かったようだ。

それは兎も角、さらに非力な彼らの攻撃力を引き上げるハジメ製の武器の数々と京矢の獣拳の教本により覚醒した紫激気もハウリア族の戦闘力が飛躍的に向上した理由の一つだ。

だが、激気による強化があってもハウリア族の中でも未だ小さい子達に近接戦は厳しい。
そんな彼らには奈落の底の蜘蛛型の魔物から採取した伸縮性・強度共に抜群の糸を利用したスリングショットやクロスボウが送られた。子供でも先天的に備わっている索敵能力を使った霧の向こう側からの狙撃は、思わずハジメでさえも瞠目したほどだ。
だが、そんな中でも一部くらいは例外が存在する。

パル……激獣ファルコン拳のバルトフェルド君だ。飛翔拳と呼ばれる空の獣拳を身につけただけでなく、

「激気、研鑽っ」

獣拳を身に付けたばかりなのに激気研鑽まで会得してしまっている。
ライナスサラス拳じゃ無いのが残念と思うべきか、ホーク拳のカタがこの場にいないのが幸いと思うべきか疑問だが、何処にも天才はいる者である。
そんなパル君、上空から猛禽の如く襲いかかり手に持つ二本のハジメ製作のナイフで熊人族の隠れる岩や巨木を細切れにして、その心に恐怖を刻み込んで行く。

そんなわけで、パニック状態に陥っている熊人族では今のハウリア族に抗することなど出来る訳もなく、瞬く間にその数を減らし、既に当初の半分近くまで討ち取られていた。

「レギン殿! このままではっ!」

「一度撤退を!」

「|殿《しんがり》は私が務めっクペッ!?」

「オラァ!」

「トントォ!?」

一時撤退を進言してくる部下に、ジンをボロボロにされたばかりか部下まで殺られて腸が煮えくり返っていることから逡巡するレギン。
その判断の遅さをハウリアの拳士は逃さない。殿を申し出て再度撤退を進言しようとしたトントと呼ばれた部下をハウリア族の拳が吹き飛ばした。

それに動揺して陣形が乱れるレギン達。それを好機と見てカム達が一斉に襲いかかった。

霧の中から子供達の撃つ矢が飛来し、足首という実にいやらしい場所を驚くほど正確に狙い撃ってくる。
それに気を取られると、首を刈り取る鋭い蹴撃が振るわれ、その蹴撃を放った者の後ろから絶妙なタイミングで正拳突きが走る。

だが、それも本命ではなかったのか、突然、背後から気配が現れ致命の一撃となる大技を放たれる。辛うじてそれを避けた者も体制が崩れた所に捕らえられた全身の骨を砕かれる。
ハウリア達はそのように連携と気配の強弱を利用してレギン達を翻弄した。
レギン達は戦慄する。これが本当に、あのヘタレで惰弱な兎人族なのか!?と。

しばらく抗戦は続けたものの、混乱から立ち直る前にレギン達は満身創痍となり武器を支えに何とか立っている状態だ。
連携と絶妙な援護射撃を利用した波状攻撃に休む間もなく、全員が肩で息をしている。
一箇所に固まり大木を背後にして追い込まれたレギン達をカム達が取り囲む。

最後に背後の大木の破片が降ってきた時に彼らの心は完全に折れた。

「どうした〝ピッー〟野郎共! この程度か! この根性なしが!」

「最強種が聞いて呆れるぞ! この〝ピッー〟共が! それでも〝ピッー〟付いてるのか!」

「さっさと武器を構えろ! 貴様ら足腰の弱った〝ピッー〟か!」

兎人族と思えない、というか他の種族でも言わないような罵声が浴びせられる。
ホントにこいつらに何があったんだ!?と戦慄の表情を浮かべながら中には既に心が折られたのか頭を抱えてプルプルと震えている熊人族達。
大柄で毛むくじゃらの男が「もうイジメないで?」と涙目で訴える姿は……物凄くシュールだ。

「クックックッ、何か言い残すことはあるかね? 最強種殿?」

カムが実にあくどい表情で皮肉げな言葉を投げかける。
闘争本能に目覚めた今、今までの見下されがちな境遇に思うところが出てきたらしい。前のカムからは考えられないセリフだ。
軽く跳ねながら近付くのはトドメを刺すべくいつでもホッパー拳の激技を放つ為の準備だろう。

「あ、あぁ……」

レギンは、カムの物言いに恐怖で顔を歪める。
何とか混乱から立ち直ったようで折れた心に本来の理性が戻ってきていた。
ハウリア族の強襲に冷や水を浴びせかけられたというのもあるだろうが、折れた心ながらも、今は少しでも生き残った部下を存命させる事に集中しなければならないという責任感から正気に戻ったようだ。
同族達を駆り立て、この窮地に陥らせたのは自分であるという自覚があるのだろう。

「……俺はどうなってもいい。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。だが、部下は俺が無理やり連れてきたのだ。見逃して欲しい」

「なっ、レギン殿!?」

「レギン殿! それはっ……」

レギンの言葉に部下達が途端にざわつき始めた。
レギンは自分の命と引き換えに部下達の存命を図ろうというのだろう。動揺する部下達にレギンが一喝した。

「だまれっ! ……頭に血が上り目を曇らせた私の責任だ。兎人……いや、ハウリア族の長殿。勝手は重々承知。だが、どうか、この者達の命だけは助けて欲しい! この通りだ」

武器を手放し跪いて頭を下げるレギン。
部下達は、レギンの武に対する誇り高さを知っているため敵に頭を下げることがどれだけ覚悟のいることか嫌でもわかってしまう。
だからこそ言葉を詰まらせ立ち尽くすことしかできなかった。

頭を下げ続けるレギンに対するカム達ハウリア族の返答は……

「だが断る」

という言葉と放たれた矢のような飛び蹴りだった。

「うぉ!?」

咄嗟に身をひねり躱すレギン。
しかし、カムの蹴りを皮切りに、レギン達の間合いの外から一斉に矢やら石などが高速で撃ち放たれた。敢えて下がって投擲で攻撃して来る者達もいる。
大斧を盾にして必死に耐え凌ぐレギン達に、ハウリア達は哄笑を上げながら心底楽しそうに攻撃を加える。

「なぜだ!?」

呻くように声を搾り出し、問答無用の攻撃の理由を問うレギン。

「なぜ? 貴様らは敵であろう? 殺すことにそれ以上の理由が必要か?」

カムからの答えは実にシンプルなものだった。

「ぐっ、だが!」

「それに何より……貴様らの傲慢を打ち砕き、嬲るのは楽しいのでなぁ! ハッハッハッ!」

「んなっ!? おのれぇ! こんな奴等に!」

カムの言葉通り、ハウリア達は実に楽しそうだった。スリングショットやクロスボウ、弓を安全圏から嬲るように放っている。
その姿は、力に溺れた者典型の狂気じみた高揚に包まれたものだった。どうやら、初めての人族、それも同胞たる亜人族を殺したことに心のタガが外れてしまったようである。要は、完全に暴走状態だ。

攻撃は苛烈さを増し、レギン達は身を寄せ合い陣を組んで必死に耐えるが……既に限界。
致命傷こそ避けているものの、みな満身創痍。次の掃射には耐えられないだろう。

カムが口元を歪めながらスっと腕を掲げる。
ハウリア達はその意図を理解したのか狂的な眼で矢を、石をつがえるのを止めた。助かったとは思わない、武器を使わずに直接トドメを刺すつもりなのだ。掃射よりも一瞬で致命に至る一撃の方が遥かに恐ろしい。
レギンは、ここが死に場所かと無念を感じながら体の力を抜く。そして、心の中で、扇動してしまった部下達に謝罪をする。

カムの体が、レギン達の命を奪うべく引き絞られた弓から放たれた矢の如く打ち出された。
スローモーションで迫ってくるそれを、レギンは、せめて目を逸らしてなるものかと見つめ続け、そして……

二人の間に飛び込んだ影にカムの飛び蹴りが弾かれた事で防がれるのだった。
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