ライセンの大迷宮

「で、どうするんだ、アンタ?」

根本的にハジメと同じく敵に対する容赦はないが、京矢は敵にも助かるチャンスを与える程度の情けはある。
それは彼がハジメと違い、何一つ変わる事なく奈落を生き抜いたが故の物だろうか。

倒れ伏す熊の亜人に余裕を見せる様に京矢は背中に背負う鎧の魔剣と腰に挿していた斬鉄剣を取り、それをベルファストに渡すと彼女は恭しくそれを受け取る。
流石に向こうがまだ戦うのならば、真剣を使うのは殺傷力が高過ぎる。

「預かっててくれ、腕試しには必要無いからな」

「畏まりました、京矢様」

優雅と言える仕草で一礼し、京矢から鎧の魔剣と斬鉄剣を受け取りベルファストは後ろに下がる。

好き好んで敵を増やしたい訳ではないので、此処で相手が自分達が伝承にある敵対してはならない強者と言うのを認めればそれで良い。
だが、これで認めないのならそれなりに、かつ、無傷で勝利する必要がある。だが、斬鉄剣や鎧の魔剣では流石に殺傷力が高いので使わない事にしたのだが。

だが、その熊の亜人は京矢の期待には応えてくれなかった様だ。

目の前の人間は自分に背中を向けたまま目の前で武器を手放した。熊の亜人はその事に屈辱を感じていた。

「巫山戯るなぁ!!!」

「エンタープライズ、こいつも頼む」

「分かった」

怒りで顔を真っ赤にして叫ぶ熊の亜人を意に介さずに京矢は更に魔剣目録をエンタープライズに渡している。

「ん? おいおい、そんなに怒るなよ。ちゃーんと、武器は使うからな」

内心で仕方ないと思いながら、今気付いたとばかりに激怒している熊の亜人にそう言って京矢は四次元ポケットの中からそれを取り出す。

『はぁ……?』

京矢が取り出した武器(?)を見た瞬間、京矢以外の全員の心が一つになった。

彼が取り出したのは何の変哲も無い木の枝だったのだから。それなりに太さはあるが、

「中々良い枝振りだろ? 後で木刀でも作ろうかと思って拾ったんだよ」

「おいおい、幾ら何でもふざけ過ぎだろ、それは……」

それをハジメに見せながら京矢はそう言う。そこそこな太さと長さの枝を途中で見付けて拾っていたのはハジメも知っていたが、流石にこんな時にそんな物を取り出すとは思わなかった。

「巫山戯るなぁ!!! 人間族の餓鬼がぁ!!!」

その京矢の行動で完全にキレた熊の亜人だった。
耐久力と腕力に秀でた熊人族の中でも最も強く、種族の代表に選ばれた己が此処まで侮辱された事に怒りが限界を超えたのだ。

先ほどの比では無い拳が京矢へと向かって放たれる。
怒りに支配されて振るわれた拳に当たるほど京矢は未熟では無い。
そんな事はハジメもよく分かっているので、当然避けるのだろうと考えていた。だが、

「お、おいっ!」

京矢はハジメの予想を裏切り、手の中にある枝を盾にする様に京矢は熊の亜人の拳を正面から受け止めようとする。

流石にそれは誰もが驚く。
彼に敵意を向けていた者達は巫山戯た行いの報いを受けろと彼の末路を想像する。
ハジメ達も京矢の無謀な行動に驚愕する。特に熊の亜人の力を知っているシアを始めとしたハウリア族はその惨劇を想像してしまい思わず目を伏せる。
例外はディノミーゴ位だろう。


だが、


「なっ!」

次の瞬間、怒りに染められていた熊の亜人の頭が冷や水をかけられた様に冷えて行く。
全力さえも超えていた筈の己の拳が、京矢の掲げた木の枝一つ折れずに、受け止められていたのだ。

手に当たる感触は簡単にへし折れる木の感触ではない、鉄でも殴ったかの様な痛みがある。
それを受け止めている京矢は微動だにせずそれを受け止めて居た。

「剣掌っ」

受け止めていた枝から放たれた気刃が熊の亜人を吹き飛ばす。振り抜かれた枝から放たれた気刃は熊の亜人の体を壁に叩きつけたのだった。

「どうよ、オレの気功術?」

ハジメは改めて思う。こいつが味方でよかった、と。

「まっ、オレもまだまだ未熟だけどな」

謙遜で言っているのか本気で言っているのか定かではないがハジメは思う。何処の世界に木の枝であんな真似が出来る未熟者がいるのか、と。

「……異世界と言うのは、それほど恐ろしい所なのか……」

京矢の発言を100%受け入れてしまっていたアルフレリックが呆然と呟くが、それを訂正する者は居なかった。

「で? アンタらはどうする?」

誰もが言葉を失っている中、京矢の問いかけに長老全員が首を横に振るのだった。






















京矢が熊の亜人を吹き飛ばした後、アルフレリックの執り成しと、京矢の力を見せつけた事でその後の蹂躙劇は回避された。
それを計算した上で、比較的穏便な形で敵意……と言うよりも亜人族側の戦意をへし折った訳だ。

熊の亜人は骨も内臓も致命傷を負って居ないと言う意味では無事な筈なので、命もその後の戦士としての人生も取り止めている事だろう。
高価な回復薬でも使えば早期の復帰は可能だろうが、精神の方は分からない。あそこまで戦士としての|矜恃《プライド》をボロボロにされれば暫くは立ち直れないだろう。

最大限の穏便な手段で対処した訳だ。後のことは知った事ではない。寧ろ、次に繋がる命が五体満足で残っただけ有難いと思ってもらいたい。

現在、当代の長老衆である虎人族のゼル、翼人族のマオ、狐人族のルア、土人族(俗に言うドワーフ)のグゼ、そして森人族のアルフレリックが、ハジメと京矢と向かい合って座っていた。
ハジメの傍らにはユエとカム、シアが座り、京矢の後ろにエンタープライズとベルファストが立ち、その後ろにディノミーゴに守られる形でハウリア族が固まって座っている。

「ん~、確かにオルクスの紋章だねぇ。実力もあんな強そうな魔物を従えてる上にさっき見た通り。僕は彼を資格者と認めるよ」

「俺は認めんぞ!」

糸のように細めた目の狐の耳と尻尾を持った狐の亜人、狐人族の長老ルアがそう発言すると、吐き捨てるように虎人族のゼルが言う。

そんな会話が交わされながらも、長老衆の表情はアルフレリックを除いて緊張感で強ばっていた。
戦闘力では一、二を争う程の手練だった熊の亜人(名前はジン)が手も足も出ず瞬殺されたのであるから無理もない。

「で? あんた達は俺等をどうしたいんだ? 俺は大樹の下へ行きたいだけで、邪魔しなければ敵対することもないんだが……|亜人族《・・・》としての意思を統一してくれないと、いざって時、何処までやっていいかわからないのは不味いだろう? あんた達的に。殺し合いの最中、敵味方の区別に配慮する程、俺はお人好しじゃないぞ」

ハジメの言葉に、身を強ばらせる長老衆。言外に、亜人族全体との戦争も辞さないという意志が込められていることに気がついたのだろう。

「こちらの仲間をあんな目に合わせておいて、第一声がそれか……それで友好的になれるとでも?」

グゼが苦虫を噛み潰したような表情で呻くように呟いた。

「おいおい、何言ってんだよ? オレは手加減したぜ。命も無事で、骨も折らない、内臓へのダメージも最小限に、此処まで丁寧にやって文句は言われたくないな」

そう言った後横目でハジメを見ながら、

「こいつが相手だったら、今頃再起不能じゃ無いか?」

「お前が甘いだけだろ?」

「殺る時は殺るよ。今回は宜しくと握手までしてくれた相手なんだ、命を奪う様な時でもないし、力を示すだけの試合だ、再起不能にする必要はないだろ?」

そして、長老達へと視線を向け直し、

「それに最初の握手で実力差が見えなかったんだ。それで心が折れても自業自得だろ?」

「き、貴様! ジンはな! ジンは、いつも国のことを思って!」

「初手で実力差を把握出来ないのは奴の未熟さ、理解して受け入れられないのは当人の度量の責任だ」

「そ、それは! しかし!」

「こっちに非はない。寧ろ、あそこまで加減したやったんだ。長老ってのは罪科の判断も下すんだろ? なら、そこのところ、長老のあんたがはき違えんなよ?」

おそらくグゼはジンと仲が良かったのだろう。その為、頭では京矢の言う通りだと分かっていても心が納得したくないのだろう。
だが、そんな心情を汲み取ってやるほど、京矢は暇ではない。

「グゼ、気持ちはわかるが、そのくらいにしておけ。彼の言い分は正論だ」

アルフレリックの諌めの言葉に、立ち上がりかけたグゼは表情を歪めてドスンッと音を立てながら座り込んだ。そのまま、むっつりと黙り込む。

翼人族のマオ、虎人族のゼルも相当思うところはあるようだが、最後には同意を示した。
彼等長老達を代表して、アルフレリックがハジメに伝える。

「南雲ハジメ、鳳凰寺京矢。我らフェアベルゲンの長老衆は、お前さん達を口伝の資格者として認める。故に、お前さん達と敵対はしないというのが総意だ……可能な限り、末端の者にも手を出さないように伝える。……しかし……」

「絶対じゃない……か?」

「ああ。知っての通り、亜人族は人間族をよく思っていない。正直、憎んでいるとも言える。血気盛んな者達は、長老会議の通達を無視する可能性を否定できない。特に、今回再起不能にされたジンの種族、熊人族の怒りは抑えきれない可能性が高い。アイツは人望があったからな……」

「それで?」

アルフレリックの話しを聞いてもハジメの顔色は変わらない。すべきことをしただけであり、すべきことをするだけだという意志が、その瞳から見て取れる。アルフレリックは、その意志を理解した上で、長老として同じく意志の宿った瞳を向ける。

「お前さん達を襲った者達を殺さないで欲しい」

「……殺意を向けてくる相手に手加減しろと?」

「そうだ。お前さん達の実力なら可能だろう?」

「鳳凰寺に負けたあの熊野郎が手練だというなら、可能か否かで言えばオレ達でも可能だろうな。だが、殺し合いで手加減をするつもりはない。あんたの気持ちはわかるけどな、そちらの事情は俺達にとって関係のないものだ。同胞を死なせたくないなら死ぬ気で止めてやれ」

「ちょっと待った、南雲」

奈落の底で培った、敵対者は殺すという価値観は根強くハジメの心に染み付いている。殺し合いでは何が起こるかわからないのだ。手加減などして、窮鼠猫を噛むように致命傷を喰らわないとは限らない。
また、変な情けをかけたら今度は調子に乗って陰湿な手段をとるかもしれない。
その為、ハジメがアルフレリックの頼みを聞くことはなかった。
だが、そんなハジメを京矢が止める。

そんな京矢を睨みつけるハジメと希望を持った様な視線を向けるアルフレリック。

「警告のために一人くらいは半殺しで生かして帰した方が後が楽になるぜ」

「なるほど」

京矢の言葉にそれは盲点だったと感心するハジメと、ある意味ハジメより酷い言葉に開いた口が塞がらないアルフレリック。

「皆殺しにしたら恐怖が伝わらないだろ? 警告の意味を込めて、一人は生かして返せば、そこから恐怖は伝わるだろ?」

「確かにな。確かに、そっちの方が後は楽になるか。やっぱり、お前は頼りになるな」

「へへ、そう褒めるなよ」

「取り敢えず、最低一人は生かして返すのは約束しとくよ」

そんな約束されても心底喜べない長老達であった。
そこで虎人族のゼルが口を挟んだ。

「ならば、我々は、大樹の下への案内を拒否させてもらう。口伝にも気に入らない相手を案内する必要はないとあるからな」

その言葉に、ハジメも京矢も訝しそうな表情をした。
元々、大樹への案内はハウリア族に任せるつもりで、フェアベルゲンの者の手を借りるつもりはなかった。
そのことは、彼等も知っているはずだ。
だが、ゼルの次の言葉で彼の真意が明らかになった。

「ハウリア族に案内してもらえるとは思わないことだ。そいつらは罪人。フェアベルゲンの掟に基づいて裁きを与える。何があって同道していたのか知らんが、ここでお別れだ。忌まわしき魔物の性質を持つ子とそれを匿った罪。フェアベルゲンを危険に晒したも同然なのだ。既に長老会議で処刑処分が下っている」

ゼルの言葉に、シアは泣きそうな表情で震え、カム達は一様に諦めたような表情をしている。

***

この期に及んで、誰もシアを責めないのだから情の深さは折紙付きだ。

「長老様方! どうか、どうか一族だけはご寛恕を! どうか!」

「シア! 止めなさい! 皆、覚悟は出来ている。お前には何の落ち度もないのだ。そんな家族を見捨ててまで生きたいとは思わない。ハウリア族の皆で何度も何度も話し合って決めたことなのだ。お前が気に病む必要はない」

「でも、父様!」

土下座しながら必死に寛恕を請うシアだったが、ゼルの言葉に容赦はなかった。

「既に決定したことだ。ハウリア族は全員処刑する。フェアベルゲンを謀らなければ忌み子の追放だけで済んだかもしれんのにな」

ワッと泣き出すシア。それをカム達は優しく慰めた。
長老会議で決定したというのは本当なのだろう。他の長老達も何も言わなかった。おそらく、忌み子であるということよりも、そのような危険因子をフェアベルゲンの傍に隠し続けたという事実が罪を重くしたのだろう。
ハウリア族の家族を想う気持ちが事態の悪化を招いたとも言える。何とも皮肉な話だ。

「そういうわけだ。これで、貴様が大樹に行く方法は途絶えたわけだが? どうする? 運良くたどり着く可能性に賭けてみるか?」

それが嫌なら、こちらの要求を飲めと言外に伝えてくるゼル。他の長老衆も異論はないようだ。
しかし、ハジメも京矢も特に焦りを浮かべることも苦い表情を見せることもなく、何でもない様に軽く返した。

「お前、アホだろ?」

「ああ、バカだな」

「な、なんだと!」

「先ず、こっちには穏便じゃない方法を取れば運に頼らなくても、案内人無しで大樹にたどり着く方法はいくらでも有るからな」

京矢の言葉に訝しげな表情を浮かべる長老達。そして、大体の穏便じゃない方法を推測してしまったハジメが引きつった表情を浮かべる。
絶対に解放者達も京矢だけみたいな奴は想定していなかっただろう。

「そもそも、霧以外に樹海で方向感覚が失われる理由は目印がない事だ。一直線に木を切り倒す也、焼き払うなり、薙ぎ倒すなりして道を作れば真っ直ぐ進むのは容易だ」

指折り数えながら上げていく手段を読み上げる京矢の言葉に長老達が「はぁ!?」と言う表情を浮かべる。
元々どれも事前に京矢が提案した手段なので実行に移すというのには流石のハジメもドン引きしているが驚いた様子はない。
…………そして、その三つの方法は何れも京矢なら余裕で実行可能だ。

先ず、木を切るのならば剣士である京矢の専門分野だ。斬鉄剣で一直線に木を切り倒していけばいい。亜人族やモンスターの邪魔が入るかもしれないが、それは想定内のことだ。
次に、焼き払うのは消耗は激しいが魔剣目録の中にはそれを可能にする聖剣や魔剣はある。ウッカリ大樹に当ててしまう危険は有るが、どの剣も樹海全体を火事にしてしまう前に灰に出来るが、大火事になる可能性がある。
最後に木々を薙ぎ払って道を作るのが実は一番労力も掛からず、楽で簡単なのだ。キシリュウジンを用いて普通に歩けばいいのだから。モンスターも亜人族も問題ではない。進撃を正面から邪魔出来るのは同レベルのサイズの相手だけだ。

「そ、そんな事出来るわけが……」

京矢の考えをゼルは否定しようとしているが、全部実行可能だと知っているハジメの視線には哀れみさえ浮かんできていた。

「それに俺は、お前らの事情なんて関係ないって言ったんだ。俺達からこいつらを奪うってことは、結局、俺の行く道を阻んでいるのと変わらないだろうが」

ハジメは長老衆を睥睨しながら、スっと伸ばした手を泣き崩れているシアの頭に乗せた。ピクッと体を震わせ、ハジメを見上げるシア。

「俺から、こいつらを奪おうってんなら……覚悟を決めろ」

「ハジメさん……」

「当然、その時はオレも手を貸すぜ、南雲」

ハジメにとって今の言葉は単純に自分の邪魔をすることは許さないという意味で、それ以上ではないだろう。
しかし、それでも、ハウリア族を死なせないために亜人族の本拠地フェアベルゲンとの戦争も辞さないという言葉は、その意志は、絶望に沈むシアの心を真っ直ぐに貫いた。

「本気かね?」

アルフレリックが誤魔化しは許さないとばかりに鋭い眼光でハジメを射貫く。

「当然だ」

しかし、全く揺るがないハジメ。そこに不退転の決意が見て取れる。
この世界に対して自重しない、邪魔するものには妥協も容赦もしない。奈落の底で言葉にした決意だ。

「フェアベルゲンから案内を出すと言っても?」

ハウリア族の処刑は長老会議で決定したことだ。それを、言ってみれば脅しに屈して覆すことは国の威信に関わる。
今後、ハジメ達を襲うかもしれない者達の助命を引き出すための交渉材料である案内人というカードを切ってでも、長老会議の決定を覆すわけにはいかない。故に、アルフレリックは提案した。
しかし、ハジメは交渉の余地などないと言わんばかりにはっきりと告げる。

「何度も言わせるな。俺の案内人はハウリアだ」

「なぜ、彼等にこだわる。大樹に行きたいだけなら案内人は誰でもよかろう」

「いや、あんたが言っただろう。理性の部分での、そっちからの案内人がダメな理由は」

アルフレリックの言葉に告げる京矢に疑問を浮かべるアルフレリックだが、

「『血気盛んな者達は、長老会議の通達を無視する可能性を否定できない』でしたか? 京矢様?」

「ああ。つまり、案内人がそのまま敵になる可能性が高いって訳だ。下手したら樹海の中で置き去りにされる可能性もある。……そんな奴等を信用して案内人に出来るか?」

射抜く様な京矢の視線がアルフレリックに突き刺さる。

京矢の言葉に全くだと頷きながらハジメはシアをチラリと見た。
先程から、ずっとハジメを見ていたシアはその視線に気がつき、一瞬目が合う。すると僅かに心臓が跳ねたのを感じた。視線は直ぐに逸れたが、シアの鼓動だけは高まり続ける。

「それに、約束したからな。案内と引き換えに助けてやるって」

「……約束か。それならもう果たしたと考えてもいいのではないか? 峡谷の魔物からも、帝国兵からも守ったのだろう? なら、あとは報酬として案内を受けるだけだ。報酬を渡す者が変わるだけで問題なかろう。」

「問題大ありだ。案内するまで身の安全を確保するってのが約束なんだよ。途中でいい条件が出てきたからって、ポイ捨てして鞍替えなんざ……」

「ああ、良い条件出されて、ポイッて言うのは」

ハジメは一度、言葉を切って今度はユエを見た。ユエもハジメを見ており目が合うと僅かに微笑む。
京矢は不敵な笑みを浮かべながら真っ直ぐに見据えながら、アルフレリックに向き合い告げた。

「「格好悪いだろ?」」

闇討ち、不意打ち、騙し討ち、卑怯、卑劣に嘘、ハッタリ。
殺し合いにおいて、ハジメも京矢もこれらを悪いとは思わない。
生き残るために必要なら何の躊躇いもなく実行して見せるだろう。

しかし、だからこそ、ハジメは殺し合い以外では守るべき仁義くらいは守りたい。それすら出来なければ本当に唯の外道である。
ハジメも男だ。奈落の底で出会った傍らの少女がつなぎ止めてくれた一線を、自ら越えるような醜態は晒したくない。

京矢の場合は単純に一度交わした約束は相手が裏切らない限り必ず果たすと言う主義。そう、国からの脅しがあったとしても、だ。

ハジメ達に引く気がないと悟ったのか、アルフレリックが深々と溜息を吐く。他の長老衆がどうするんだと顔を見合わせた。
しばらく、静寂が辺りを包み、やがてアルフレリックがどこか疲れた表情で提案した。

「ならば、お前さん達の奴隷ということにでもしておこう。フェアベルゲンの掟では、樹海の外に出て帰ってこなかった者、奴隷として捕まったことが確定した者は、死んだものとして扱う。樹海の深い霧の中なら我らにも勝機はあるが、外では魔法を扱う者に勝機はほぼない。故に、無闇に後を追って被害が拡大せぬように死亡と見なして後追いを禁じているのだ。……既に死亡と見なしたものを処刑はできまい」

「アルフレリック! それでは!」

完全に屁理屈であるが、それは彼等の側にしてみれば脅しに屈した様なものだ。
当然、他の長老衆がギョッとした表情を向ける。ゼルに到っては思わず身を乗り出して抗議の声を上げた。

「ゼル。わかっているだろう。この少年達が引かないことも、その力の大きさも。ハウリア族を処刑すれば、確実に敵対することになる。その場合、どれだけの犠牲が出るか……長老の一人として、そのような危険は断じて犯せん」

「しかし、それでは示しがつかん! 力に屈して、化物の子やそれに与するものを野放しにしたと噂が広まれば、長老会議の威信は地に落ちるぞ!」

「だが……」

ゼルとアルフレリックが議論を交わし、他の長老衆も加わって、場は喧々囂々の有様となった。
やはり、危険因子とそれに与するものを見逃すということが、既になされた処断と相まって簡単にはできないようだ。悪しき前例の成立や長老会議の威信失墜など様々な思惑があるのだろう。

そんな長老達を見ながら京矢は空気を読んで言うべきか迷っているが、そんな中、ハジメが敢えて空気を読まずに発言する。

「ああ~、盛り上がっているところ悪いが、シアを見逃すことについては今更だと思うぞ?」

ハジメの言葉に、ピタリと議論が止まり、どういうことだと長老衆がハジメに視線を転じる。

ハジメはおもむろに右腕の袖を捲ると魔力の直接操作を行った。すると、右腕の皮膚の内側に薄らと赤い線が浮かび上がる。さらに、〝纏雷〟を使用して右手にスパークが走る。

長老衆は、ハジメのその異様に目を見開いた。そして、詠唱も魔法陣もなく魔法を発動したことに驚愕を表にする。

「俺も、シアと同じように、魔力の直接操作ができるし、固有魔法も使える。次いでに言えばこっちのユエもな。あんた達のいう化物ってことだ。だが、口伝では〝それがどのような者であれ敵対するな〟ってあるんだろ? 掟に従うなら、いずれにしろあんた達は化物を見逃さなくちゃならないんだ。シア一人見逃すくらい今更だと思うけどな」

しばらく硬直していた長老衆だが、やがて顔を見合わせヒソヒソと話し始めた。

(そう言えば、解放者はそれぞれ神代魔法を持ってたよな? 此処にあるのはリューティリス・ハルツィナの迷宮とその神代魔法。リューティリス・ハルツィナも亜人族の筈だよな、神聖視してるから)

そこまで考えた後、京矢は内心で溜息を吐く。

(悪霊擬きの策略かは知らねえが、本来なら神子として扱うべき奴等を殺して来た、か)

魔力を扱える亜人。それは間違いなく亜人族全体の未来に繋がる有意義な変異だった筈だ。それを自らの手で閉ざしてきたと言うのだから、其処にはエヒトの関与さえ疑ってしまう。

そして、京矢がそんなことを考えていると結論が出たのか、代表してアルフレリックが、それはもう深々と溜息を吐きながら長老会議の決定を告げる。

「はぁ~、ハウリア族は忌み子シア・ハウリアを筆頭に、同じく忌み子である南雲ハジメの身内と見なす。そして、資格者南雲ハジメに対しては、敵対はしないが、フェアベルゲンや周辺の集落への立ち入りを禁ずる。以降、南雲ハジメの一族に手を出した場合は全て自己責任とする……以上だ。何かあるか?」

「いや、何度も言うが俺は大樹に行ければいいんだ。こいつらの案内でな。文句はねぇよ」

「……そうか。ならば、早々に立ち去ってくれるか。ようやく現れた口伝の資格者を歓迎できないのは心苦しいが……」

「気にしないでくれ。全部譲れないこととは言え、相当無茶言ってる自覚はあるんだ。むしろ理性的な判断をしてくれて有り難いくらいだよ」

「ああ、教会の息のかかった連中相手じゃ、こうは行かないからな。理性的な判断、感謝する」

サラリと教会を乏しめている京矢の言葉と、ハジメの言葉に苦笑いするアルフレリック。
他の長老達は渋い表情か疲れたような表情だ。恨み辛みというより、さっさとどっか行ってくれ! という雰囲気である。その様子に肩を竦めるハジメと京矢はユエ達を促して立ち上がった。

ユエは終始ボーとしていたが、話は聞いていたのか特に意見を口にすることもなくハジメに合わせて立ち上がった。
元々立っていたエンタープライズとベルファストは京矢の後ろに続く。

しかし、シア達ハウリア族は、未だ現実を認識しきれていないのか呆然としたまま立ち上がる気配がない。ついさっきまで死を覚悟していたのに、気がつけば追放で済んでいるという不思議。「えっ、このまま本当に行っちゃっていいの?」という感じで内心動揺しまくっていた。

「おい、何時まで呆けているんだ? さっさと行くぞ」

ハジメの言葉に、ようやく我を取り戻したのかあたふたと立ち上がり、さっさと出て行くハジメの後を追うシア達。アルフレリック達も、ハジメ達を門まで送るようだ。

***

シアが、オロオロしながらハジメに尋ねた。

「あ、あの、私達……死ななくていいんですか?」

「? さっきの話聞いてなかったのか?」

「い、いえ、聞いてはいましたが……その、何だかトントン拍子で窮地を脱してしまったので実感が湧かないといいますか……信じられない状況といいますか……」

周りのハウリア族も同様なのか困惑したような表情だ。
それだけ、長老会議の決定というのは亜人にとって絶対的なものなのだろう。どう処理していいのか分からず困惑するシアにユエが呟くように話しかけた。

「……素直に喜べばいい」

「ユエさん?」

「……ハジメや京矢に救われた。それが事実。受け入れて喜べばいい」

「……」

ユエの言葉に、シアはそっと隣を歩くハジメに視線をやった。ハジメは前を向いたまま肩を竦める。

「まぁ、約束だからな」

「ッ……」

シアは、肩を震わせる。樹海の案内と引き換えにシアと彼女の家族の命を守る。シアが必死に取り付けたハジメとの約束だ。

元々、〝未来視〟でハジメ達が守ってくれる未来は見えていた。
しかし、それで見える未来は絶対ではない。シアの選択次第で、いくらでも変わるものなのだ。だからこそ、シアはハジメの協力を取り付けるのに〝必死〟だった。
相手は、亜人族に差別的な人間で、シア自身は何も持たない身の上だ。交渉の材料など、自分の〝女〟か〝固有能力〟しかない。それすら、あっさり無視された時は、本当にどうしようかと泣きそうになった。

それでもどうにか約束を取り付けて、道中話している内に何となく、ハジメなら約束を違えることはないだろうと感じていた。
それは、自分が亜人族であるにもかかわらず、差別的な視線が一度もなかったことも要因の一つだろう。だが、それはあくまで〝何となく〟であり、確信があったわけではない。

だから、内心の不安に負けて、〝約束は守る人だ〟と口に出してみたり〝人間相手でも戦う〟などという言葉を引き出してみたりした。
実際に、何の躊躇いもなく帝国兵と戦ってくれた時、どれほど安堵したことか。

だが、今回はいくらハジメでも見捨てるのではという思いがシアにはあった。
帝国兵の時とはわけが違う。言ってみれば、帝国の皇帝陛下の前で宣戦布告するに等しいのだ。にもかかわらず一歩も引かずに約束を守り通してくれた。例えそれが、ハジメ達自身の為であっても、ユエの言う通り、シアと大切な家族は確かに守られたのだ。

先程、一度高鳴った心臓が再び跳ねた気がした。
顔が熱を持ち、居ても立ってもいられない正体不明の衝動が込み上げてくる。それは家族が生き残った事への喜びか、それとも……

シアは、ユエの言う通り素直に喜び、今の気持ちを衝動に任せて全力で表してみることにした。すなわち、ハジメに全力で抱きつく!

「ハジメさ~ん! ありがどうございまずぅ~!」

「どわっ!? いきなり何だ!?」

「むっ……」

泣きべそを掻きながら絶対に離しません! とでも言う様にヒシッとしがみつき顔をグリグリとハジメの肩に押し付けるシア。
その表情は緩みに緩んでいて、頬はバラ色に染め上げられている。

それを見たユエが不機嫌そうに唸るものの、何か思うところがあるのか、ハジメの反対の手を取るだけで特に何もしなかった。

喜びを爆発させハジメにじゃれつくシアの姿に、ハウリア族の皆もようやく命拾いしたことを実感したのか、隣同士で喜びを分かち合っている。

それを何とも複雑そうな表情で見つめているのは長老衆だ。
そして、更に遠巻きに不快感や憎悪の視線を向けている者達も多くいる。

「京矢様。案内して貰ったから彼等をそれで放り出す訳にも行かなくなりましたね?」

「だろうな。それに、万が一の備えは必要だろうからな」

世界を敵に回す覚悟はしたが、それでもいざという時にはある程度安全な拠点は有った方がいいと考えていた。
この樹海はある意味、拠点を作るには適している。

何より一度処刑と決めたハウリア族から京矢達が離れたとしたら、この決定を不服に思った者達に殺される危険も残される。

万が一のための拠点と自分達の手を離れた際の彼等の身の振り方。考えないといけないことはかなり多い。

京矢はその事を考えながら、ここを出てもしばらくは面倒事に巻き込まれそうだと苦笑いするのだった。
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