プロローグ

時は遡り、京矢が複製RXとの、ハジメがヒュドラとの死闘を共にキングフォームの力を持って制し倒れた頃、ベヒモスの討伐に成功した勇者一行は、一時迷宮攻略を中断しハイリヒ王国に戻っていた。

かつて遭遇したベヒモスを倒したと言うのに一行の顔には達成感は無かった。特に勇者である光輝の顔は屈辱に歪んでいた。
それもその筈、ベヒモスを倒した一行の脳裏に浮かぶのはあの時の京矢の姿だ。

『鎧装!』

何処からともなく現れた紫の鎧を纏い、ベヒモスを圧倒していた京矢の姿、

『エンシェント、ブレイクエッジ!』

ハジメの錬成によって動きを止めたベヒモスを一太刀で簡単に切り裂く姿にはメルドさえも言葉を失うほどの圧倒的な姿だった。

あれが国の望んでいる勇者の姿だと言わんばかりの圧倒的な京矢の強さに対して、仲間達と力を合わせて死闘の末にベヒモスを倒せたクラスメイト達に浮かんだのは失望の感情だった。
苦戦もせずに倒して見せた奴の存在を知っているからだ。京矢は動きを止めていたとは言え、簡単にベヒモスを倒してみたのに、自分達は必死に戦ってやっと勝てたのだ。
京矢がいれば、と誰もが思わずにはいられない。光輝自身も全員がそう考えているのが分かっている。

王や貴族達はベヒモスの討伐に成功している事から、そんな京矢の成果を勇者である光輝の成果としているが、事実を知る騎士達からは剣聖の成果を奪った卑怯な勇者と見られてもいるし、クラスメイト達からは、勇者の癖に何で京矢の様に強く無いんだと言う目で見られている。
檜山が居なくなった後の小悪党たちからは『お前が戦争に誘った癖に』と陰口を叩かれている。全裸で武器を持っても服を着たら、無能扱いされていたハジメにさえ勝てない……そんなスライム並みになる未だに初見では奴隷と勘違いされている連中にである。

なお、露出狂達についてはお前らの方が無能だろうがと王国の全員から思われていたのは別の話。寧ろ、スライム以下の戦闘職よりも錬成師の方が価値がある。

さて、そんな暗い空気の中、全裸の男達の存在が異様な空気を放つ馬車に揺られて勇者達が帰還しているのは休息という訳ではない。休息だけなら宿場町ホルアドでもよかった。態々王宮まで戻る必要があったのは、迎えが来たからである。
何でも、ヘルシャー帝国から勇者一行に会いに使者が来るのだという。

何故、このタイミングなのかと言う疑問に対する答えは、元々、エヒト神による〝神託〟がなされてから光輝達が召喚されるまでほとんど間がなかったからである。
そのため、同盟国である帝国に知らせが行く前に勇者召喚が行われてしまい、召喚直後の顔合わせができなかったのだ。

もっとも、仮に勇者召喚の知らせがあっても帝国は動かなかったと考えられる。なぜなら、帝国は三百年前にとある名を馳せた傭兵が建国した国であり、冒険者や傭兵の聖地とも言うべき完全実力主義の国だからである。
それが突然現れ、人間族を率いる勇者と言われても納得はできないだろう。
聖教教会は帝国にもあり、帝国民も例外なく信徒であるが、王国民に比べれば信仰度は低い。
大多数の民が傭兵か傭兵業からの成り上がり者で占められていることから信仰よりも実益を取りたがる者が多いのだ。もっとも、あくまでどちらかといえばという話であり、熱心な信者であることに変わりはないのだが。

そんな訳で、召喚されたばかりの頃の光輝達と顔合わせをしても、既に異世界を二回、世界を救うレベルの戦いを四回経験していた京矢以外は軽んじられる可能性があった。

そんな彼らからしてみれば、ド素人の光輝達など眼中に無いと言った所だった。
しかし、そんな勇者らがベヒモスを倒し、オルクスの最高攻略地点を更新した、と言う話題が帝国にも届いた為、初めて帝国の皇帝の関心を引いたので、今になって使者を送ると言ってきた、と言う事だ。

……だが、最初にベヒモスを倒したのは勇者ではなく、京矢とハジメの二人だと知っているのは一部上層部の人間と現場にいたものだけであり、前述の通り、公には『勇者が聖なる力を目覚めさせ、強大なベヒモスを打ち破った』という話になっている。

国の士気を上げるため、光輝は一番嫌っている男から手柄を野良犬の様に与えられている事に今も苛立っている。

天之河光輝と言う人間は、その人生に於いて常に主人公だったのだ。才能にも恵まれ、尊敬する祖父を始め、愛情を注ぎ適度に叱ってくれる両親や、彼を慕う妹、気の良い友人にも恵まれた人生を送っていた。

そんな彼が初めて敗北したのが京矢だ。
光輝と京矢の初めての出会いは雫の家の道場での事だ。
通っていた道場で初めて見る顔。初めは新しく入門した門下生なのかとも思っていたが、時折にしか目にしない事から、サボっていて時折にしか顔を出さないのかと考えて注意をした。

……実際には京矢は出稽古に来ているだけで、其処の門下生でもなんでもないのだが。

そんな事も知らない光輝は京矢に決闘を挑む。自分が勝ったら真面目に練習に出ろと言って。

結果は光輝の惨敗。何が何だか分からないうちに彼は京矢に負けていたのだ。しかも、師範からはもうこんな事はしない様にと注意までされる始末。

それから、次の挫折は京矢が転校した後の剣道の全国大会での事だ。
一回戦で当たった京矢に何も出来ないまま胴を打たれたかと思うと、そのまま壁に叩きつけられて気を失うと言うなんとも情け無い敗北を喫した。
しかも、その時期に剣道部の顧問の教師が辞めていった。自分の正義に理解を示してくれる良い教師だったのに。
(光輝が起こす問題を剣道部での彼の実力を理由に揉み消していたが、全国大会の一回戦で京矢に惨敗した事で、これまでの光輝の問題行為を揉み消していた責任を取らされた為)

その後も毎年京矢相手に壁まで吹き飛ばされると言う負け方を何度も繰り返したせいで『ホームランボール』なんて言う変な渾名が付けられ、一部では剣道界のお笑い芸人扱いされている。
(実際には、毎回京矢をムカっとさせる様な彼の言動が原因で、京矢が流石に頭に来た結果である)

そんな、光輝にとっての人生の汚点の象徴みたいな相手の手柄を押し付けられている現状は光輝にとって面白い訳がない。

「巫山戯るな……。アイツは死んだんだ……」

勇者に選ばれたのは自分の筈なのに、王国の貴族や騎士達は誰もが言っている『剣聖が居たら』『剣聖なら』と。
京矢が居れば自分など必要ないとでも言う様な周囲の言動が光輝を苛つかせていたのだ。

だが、今回の【オルクス大迷宮】攻略で、歴史上の最高記録である六十五層が突破されたという事実をもって帝国側も光輝達に興味を持つに至った。
帝国側から是非会ってみたいという知らせが来たのだ。王国側も聖教教会も、いい時期だと了承したのである。
光輝にとってもそれは嬉しい事態だ。実力主義の帝国に勇者として認められれば京矢の方が、などと言う陰口は消えていくだろう。
京矢は(クラスメイト及び王国側の認識では)既に死んだ人間だ、時が経てば、それ以上の活躍を示せばいずれ忘れ去られる筈だ。

内心では、京矢が死んだ後で良かったと暗い考えが浮かんでいることさえ、光輝は気付かない。
内心では、ハジメが死んだ事も、京矢が死んだ事も、邪魔者が消えたと喜んでいると気付かない。
内心で、二人を殺してくれた上に一人でその罪を背負って檜山が死んでくれた事を喜んでいると当人は気付かない。
その心の中に産まれた妬みに本人は気づかない。それは彼にとって認めたく無い感情だから。

光輝がそんな事を考えながら、帰りの馬車の中で帝国や王国の事情をツラツラと教えられながら、光輝達は王宮に到着した。


***


勇者一行の馬車が王宮に入り、全員が降車すると王宮の方から一人の少年が駆けて来るのが見えた。十歳位の金髪碧眼の美少年である。
光輝と似た雰囲気を持つが、ずっとやんちゃそうだ。その正体はハイリヒ王国王子ランデル・S・B・ハイリヒである。

「香織! よく帰った! 待ちわびたぞ!」

もちろんこの場には、香織だけでなく他にも帰還を果たした生徒達が勢ぞろいしている。その中で、香織以外見えないという様子のランデル殿下の態度を見れば、どういう感情を持っているかは誰でも容易に想像つくだろう。
子供の事と思いながらも光輝にも不快感が湧く。

実は、召喚された翌日から、ランデル殿下は香織に猛アプローチを掛けていた。
と言っても、彼は十歳。香織から見れば小さい子に懐かれている程度の認識であり、その思いが実る気配は微塵もない。生来の面倒見の良さから、弟のようには可愛く思ってはいるようだが。

「ランデル殿下。お久しぶりです」

パタパタ振られる尻尾を幻視しながら微笑む香織。そんな香織の笑みに一瞬で顔を真っ赤にするランデル殿下は、それでも精一杯男らしい表情を作って香織にアプローチをかけるが、年相応なだけに可愛らしいとしか見えない。

「ああ、本当に久しぶりだな。お前が迷宮に行ってる間は生きた心地がしなかったぞ。怪我はしてないか? 余が剣聖の様に強ければお前にこんなことさせないのに……」

悔しそうに言うランダル殿下の言葉から出た、剣聖の名に思わず光輝が唇を噛む。
幼い子供にとって京矢の年齢で騎士団長のメルドと互角に戦えた姿は憧れるに足るものだった。

(……こんな所でも、あいつか……)

光輝が心の中で無意識の中で、そう吐き捨てる。

香織としては守られるだけなどお断りなのだが、そんな少年の微笑ましい心意気には思わず頬が緩む。

「お気づかい下さりありがとうございます。ですが、私なら大丈夫ですよ? 自分で望んでやっていることですから」

「いや、香織に戦いは似合わない。そ、その、ほら、もっとこう安全な仕事もあるだろう?」

「安全な仕事ですか?」

ランデル殿下の言葉に首を傾げる香織。そんな彼女の仕草にランデル殿下の顔は更に赤みを増す。となりで面白そうに成り行きを見ている雫は察しがついて、少年の健気なアプローチに思わず苦笑いする。

「う、うむ。例えば、侍女とかどうだ? その、今なら余の専属にしてやってもいいぞ」

「侍女ですか? いえ、すみません。私は治癒師ですから……」

「な、なら医療院に入ればいい。迷宮なんて危険な場所や前線なんて行く必要ないだろう?」

医療院とは、国営の病院のことである。王宮の直ぐ傍にある。
要するに、ランデル殿下は香織と離れるのが嫌なのだ。しかし、香織はさっさと王宮から迷宮に戻りたいと思っている。ハジメが今も苦しんでいるかもしれないからだ。
……なお、主にハジメだけなのは恋する乙女のフィルターの他に、京矢については生き残れている可能性が高く、檜山については最初から考えには入っていなかったりする。

「いえ、前線でなければ直ぐに癒せませんから。心配して下さりありがとうございます」

「うぅ」

ランデル殿下は、どうあっても香織の気持ちを動かすことができないと悟り小さく唸る。そこへ、勇者光輝が内心の苛立ちを隠して、にこやかに参戦する。

「ランデル殿下、香織は俺の大切な幼馴染です。俺がいる限り、絶対に守り抜きますよ」

光輝の発言は、この場においては不適切な発言だった。当人には善意のつもり、年下の少年を安心させる意思の中に、こんな気持ちも混ざっているのかもしれなかった。
序でに、彼の言葉が恋するランデル殿下にも彼の言葉の中に混ざっている気持ちとして意訳されている。

〝俺の女に手ぇ出してんじゃねぇよ。俺がいる限り香織は誰にも渡さねぇ! 絶対にな!〟

その言葉をきっかけにランデル殿下が光輝に敵意を持ち始めたが、香織はランデル殿下の関心が光輝に移った時点で後ろに引っ込み、となりの雫はそんな香織に同情の眼差しを向けた。

本来一番敵意を向けるべき相手が不在の中で、敵意を向けるランデル殿下に光輝が更に煽りそうなセリフを吐く前に、涼やかだが、少し厳しさを含んだ声が響いた。

「ランデル。いい加減にしなさい。香織が困っているでしょう? 光輝さんにもご迷惑ですよ」

「あ、姉上!? ……し、しかし」

「しかしではありません。皆さんお疲れなのに、こんな場所に引き止めて……相手のことを考えていないのは誰ですか?」

「うっ……で、ですが……」

「ランデル?」

「よ、用事を思い出しました! 失礼します!」

逃げるように去っていくランデル殿下。どうやら姉には敵わないらしい。
そんな弟の姿にハイリヒ王国王女リリアーナはため息をついた。

「香織、光輝さん、弟が失礼しました。代わってお詫び致しますわ」

「ううん、気にしてないよ、リリィ。ランデル殿下は気を使ってくれただけだよ」

「そうだな。なぜ、怒っていたのかわからないけど……何か失礼なことをしたんなら俺の方こそ謝らないと」

香織と光輝の言葉に苦笑いするリリアーナ。
姉として弟の恋心を察しているため、意中の香織に全く意識されていないランデル殿下に多少同情してしまう。
まして、ランデル殿下の恋敵は別にいることを知っているのでその気持ちは尚更だった。

「とにかくお疲れ様でした。お食事の準備も、清めの準備もできておりますから、ゆっくりお寛ぎくださいませ。帝国からの使者様が来られるには未だ数日は掛かりますから、お気になさらず」

光輝達が迷宮での疲れを癒しつつ、居残り組にベヒモスの討伐を伝え歓声が上がったが、逆に京矢とハジメの二人だけで戦った時よりも手間取った事に落胆されて光輝の苛立ちが増したり、愛子先生が一部で〝豊穣の女神〟と呼ばれ始めていることが話題になり彼女を身悶えさせたりと色々あったが光輝達はゆっくり迷宮攻略で疲弊した体を癒した。

香織は内心、ハジメを助けるべく迷宮攻略に戻りたくてそわそわしていたが。

なお、クラスメイト達の中で既に檜山を心配する者は誰も居なかったりする。

そして、悠々と生き延びてるであろう京矢の姿さえ幻視してしまう。



















そして、光輝達の帰還から3日後、遂に帝国の使者が訪れた。

現在、光輝達、迷宮攻略に赴いたメンバーと王国の重鎮達、そしてイシュタル率いる司祭数人が謁見の間に勢ぞろいし、レッドカーペットの中央に帝国の使者が五人ほど立ったままエリヒド陛下と向かい合っていた。

「使者殿、よく参られた。勇者方の至上の武勇、存分に確かめられるがよかろう」

「陛下、この度は急な訪問の願い、聞き入れて下さり誠に感謝いたします。して、どなたが勇者様なのでしょう?」

「うむ、まずは紹介させて頂こうか。光輝殿、前へ出てくれるか?」

「はい」

陛下と使者の定型的な挨拶のあと、早速、光輝達のお披露目となった。陛下に促され前にでる光輝。

光輝を筆頭に、次々と迷宮攻略のメンバーが紹介された。

「ほぅ、貴方が勇者様ですか。随分とお若いですな。所で、召喚された直後からメルド団長とも互角に渡り合ったと言う噂の剣聖殿は何方に?」

使者の何気ない一言に微かに光輝の顔に嫌悪が浮かぶ。

「かの剣聖殿は迷宮の罠に嵌った光輝殿達を庇い、現れたベヒモスを単身で食い止めて……」

「……そうでしたか」

京矢の扱いは一応外にはそう伝わっている。
仲間の攻撃で奈落に落とされたと言う醜聞が広く伝われば、ベヒモス退治の手柄を奪ったと言う事実と合わせて、勇者か国が、或いはその両者が結託して手柄を奪う為に京矢を謀殺したと言う醜聞になりかねない為だ。
仲間を庇って一人でベヒモスを食い止めて命を落としたと言う美談で味方殺しの醜聞を誤魔化す為に。

「失礼ですが、本当に六十五層を突破したので? 確か、あそこにそのベヒモスが出ると記憶しておりますが……」

使者は、光輝を観察するように見やると、イシュタルの手前露骨な態度は取らないものの、若干、疑わしそうな眼差しを向けた。
使者の護衛の一人は、値踏みするように上から下までジロジロと眺めている。

その視線に居心地悪そうに身じろぎしながら、光輝が答える。

「えっと、ではお話しましょうか? どのように倒したかとか、あっ、六十六層のマップを見せるとかどうでしょう?」

光輝は信じてもらおうと色々提案するが使者はあっさり首を振りニヤッと不敵な笑みを浮かべた。

「いえ、お話は結構。それよりも手っ取り早い方法があります。私の護衛一人と模擬戦でもしてもらえませんか? それで、勇者殿の実力も一目瞭然でしょう」

「えっと、俺は構いませんが……」

光輝は若干戸惑ったようにエリヒド陛下を振り返る。エリヒド陛下は光輝の視線を受けてイシュタルに確認を取るとイシュタルは頷いた。
神威をもって帝国に光輝を人間族のリーダーとして認めさせることは簡単だが、完全実力主義の帝国を早々に本心から認めさせるには、実際戦ってもらうのが手っ取り早いとイシュタルは判断したのだ。

「構わんよ。光輝殿、その実力、存分に示されよ」

「それでは決まりですな、では場所の用意をお願いします」

こうして急遽、何故か勇者対帝国使者の護衛という模擬戦の開催が決定しちゃったのである。



******



光輝の対戦相手は、なんとも平凡そうな男だった。
高すぎず低すぎない身長、特徴という特徴がないのが逆に特徴とでも言うべきか、人ごみに紛れたらすぐ見失ってしまいそうな平凡な顔。一見すると全く強そうに見えない。

刃引きした大型の剣をだらんと無造作にぶら下げており。構えらしい構えもとっていなかった。

光輝は、舐められているのかと剣道部での京矢との試合を思い出して怒りを抱く。
油断しているなら油断していればいい、一撃で吹き飛ばしてやる。と京矢から何度も受けていた屈辱的な負け方を味合わせてやろうと思った。

「いきます!」

光輝が風となる。〝縮地〟により高速で踏み込むと豪風を伴って横凪に剣を振るう。
並みの戦士なら視認することも難しかったかもしれない。
だが、次の瞬間、相手を舐めていたのは光輝の方だと証明されてしまう結果となった。

バキィ!!

「ガフッ!?」

吹き飛んだのは光輝の方だった。護衛の方は剣を掲げるように振り抜いたまま光輝を睥睨している。
光輝の全力の横凪を微かに後ろに下がる事で避け、全力で剣を振り切った直後の無防備なところに、無造作に下げられていた剣が跳ね上がり光輝を吹き飛ばしたのだ。

光輝は地滑りしながら何とか体勢を整え、驚愕の面持ちで護衛を見る。一撃で終わらせる事に集中していたとは言え護衛の攻撃がほとんど認識できなかったのだ。
護衛は掲げた剣をまた力を抜いた自然な体勢で構えている。そう、先ほどの攻撃も動きがあまりに自然すぎて危機感が働かず反応できなかったのである。

「はぁ~、おいおい、勇者ってのはこんなもんか? まるでなっちゃいねぇ。やる気あんのか?」

平凡な顔に似合わない乱暴な口調で呆れた視線を送る護衛。その表情には失望が浮かんでいた。

確かに、光輝は護衛を見た目で判断して無造作に正面から突っ込んでいき、あっさり返り討ちにあったというのが現在の構図だ。この場に京矢が居たら爆笑していた所だろう。
光輝は相手を舐めていたのは自分の方であったと自覚し、怒りを抱いた。今度は自分に向けて。

「すみませんでした。もう一度、お願いします」

今度こそ、本気の目になり、自分の無礼を謝罪する光輝。護衛は、そんな光輝を見て、「戦場じゃあ〝次〟なんてないんだがな」と不機嫌そうに目元を歪めるが相手はするようだ。先程と同様に自然体で立つ。

光輝は気合を入れ直すと再び踏み込んだ。

唐竹、袈裟斬り、切り上げ、突き、と〝縮地〟を使いこなしながら超高速の剣撃を振るう。その速度は既に、光輝の体をブレさせて残像を生み出しているほどだ。

しかし、そんな嵐のような剣撃を護衛は最小限の動きでかわし捌き、隙あらば反撃に転じている。時々、光輝の動きを見失っているにもかかわらず、死角からの攻撃にしっかり反応している。

光輝には護衛の動きに覚えがあった。それはメルド団長と京矢だ。
メルドの場合、彼と光輝のスペック差は既にかなりの開きが出ている。にもかかわらず、未だ光輝はメルド団長との模擬戦で勝ち越せていないのだ。それはひとえに圧倒的な戦闘経験の差が原因である。
この世界に来てからすぐの頃に一度メルド団長立ち会いの元に京矢とも模擬戦をする事になったが、一度も勝てていない。戦闘経験など自分と大差ないはずなのに、と悔しく思った程だ。
……だが、正しくはPT事件に闇の書、二度に渡るセフィーロでの戦いと短期間の間にメルド団長にも匹敵する、或いは上回る戦闘経験が培われている。光輝との模擬戦での動きからメルド団長もその事に気付きつつ有ったりするが、それはそれ。

おそらく護衛も、メルド団長と同じく数多の戦場に身を置いたのではないだろうか。
その戦闘経験が光輝とのスペック差を埋めている。つまり、この護衛はメルド団長並かそれ以上の実力者というわけだ。

「ふん、確かに並の人間じゃ相手にならん程の身体能力だ。しかし、少々素直すぎる。元々、戦いとは無縁か?」

「えっ? えっと、はい、そうです。俺は元々ただの学生ですから」

「……それが今や〝神の使徒〟か」

チラッとイシュタル達聖教教会関係者を見ると護衛は不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「おい、勇者。構えろ。今度はこちらから行くぞ。気を抜くなよ? うっかり殺してしまうかもしれんからな」

護衛はそう宣言するやいなや一気に踏み込んだ。光輝程の高速移動ではない。むしろ遅く感じるほどだ。だというのに、

「ッ!?」

気がつけば目の前に護衛が迫っており剣が下方より跳ね上がってきていた。光輝は慌てて飛び退る。しかし、まるで磁石が引き合うかのようにピッタリと間合いを一定に保ちながら鞭のような剣撃が光輝を襲った。

その不規則で軌道を読みづらい剣の動きに、〝先読〟で辛うじて対応しながら一度距離を取ろうとするが、まるで引き離せない。
〝縮地〟で一気に距離を取ろうとしても、それを見越したように先手を打たれて発動に至らない。次第に光輝の顔に焦りが生まれてくる。

そして遂に、光輝がダメージ覚悟で剣を振ろうとした瞬間、その隙を逃さず護衛が魔法のトリガーを引く。

「穿て――〝風撃〟」

呟くような声で唱えられた詠唱は小さな風の礫を発生させ、光輝の片足を打ち据えた。

「うわっ!?」

風の礫によって踏み込もうとした足を払われてバランスを崩す光輝。その瞬間、壮絶な殺気が光輝を射貫く。
冷徹な眼光で光輝を睨む護衛の剣が途轍もない圧力を持って振り下ろされた。

刹那、光輝は悟る。彼は自分を殺すつもりだと。

実際、護衛はそうなっても仕方ないと考えていた。自分の攻撃に対応できないくらいなら、本当の意味で殺し合いを知らない少年に人間族のリーダーを任せる気など毛頭なかった。
例えそれで聖教教会からどのような咎めが来ようとも、戦場で無能な味方を放置する方がずっと耐え難い。それならいっそと、そう考えたのだ。

しかし、そうはならなかった。

ズドンッ!

「ガァ!?」

先ほどの再現か。今度は護衛が吹き飛んだからだ。
護衛が地面を数度バウンドし両手も使いながら勢いを殺して光輝を見る。
光輝は全身から純白のオーラを吹き出しながら、護衛に向かって剣を振り抜いた姿で立っていた。

護衛の剣が振り下ろされる瞬間、光輝は生存本能に突き動かされるように〝限界突破〟を使ったのだ。
これは、一時的に全ステータスを三倍に引き上げてくれるという、ピンチの時に覚醒する主人公らしい技能である。当然ながら一時的に全ステータスを三倍にする以上リスクは大きい。

だが、限界突破を使った光輝の顔には一切余裕はなかった。恐怖を必死で押し殺すように険しい表情で剣を構えている。

そんな光輝の様子を見て、護衛はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「ハッ、少しはマシな顔するようになったじゃねぇか。さっきまでのビビリ顔より、よほどいいぞ!」

「ビビリ顔? 今の方が恐怖を感じてます。……さっき俺を殺す気ではありませんでしたか? これは模擬戦ですよ?」

「だからなんだ? まさか適当に戦って、はい終わりっとでもなると思ったか? この程度で死ぬならそれまでだったってことだろ。お前は、俺達人間の上に立って率いるんだぞ? その自覚があんのかよ?」

「自覚って……俺はもちろん人々を救って……」

「傷つけることも、傷つくことも恐れているガキに何ができる? 剣に殺気一つ込められない奴がご大層なこと言ってんじゃねぇよ。おら、しっかり構えな? 最初に言ったろ? 気抜いてっと……死ぬってな!」

勇者とは人々の希望とはよく言った物だ。光輝がそれを理解しているかは分からないが、背負っているものの重さは理解しているとは考えずらい。
人間の先頭に立ち魔人族と戦うと言うのは人間と言う種族全てを背負う事だ。

護衛が再び尋常でない殺気を放ちながら光輝に迫ろう脚に力を溜める。光輝は苦しそうに表情を歪めた。

しかし、護衛が実際に踏み込むことはなかった。イシュタルが手を出して試合自体を無効にしたのだ。
光輝と戦った護衛、実はその正体は護衛などではなく、帝国の現皇帝ガハルド・D・ヘルシャーが変装していたモノだったのだ。
使者どころか皇帝直々に光輝を試しに来ていたのである。

右耳のイヤリングを外すと護衛の姿が変わる。特徴の無い男から四十代位の野性味溢れる男へと。
短く切り上げた銀髪に狼を連想させる鋭い碧眼、スマートでありながらその体は極限まで引き絞られたかのように筋肉がミッシリと詰まっているのが服越しでもわかる。

「どういうおつもりですかな、ガハルド殿」

「これは、これはエリヒド殿。ろくな挨拶もせず済まなかった。ただな、どうせなら自分で確認した方が早いだろうと一芝居打たせてもらったのよ。今後の戦争に関わる重要なことだ。無礼は許して頂きたい」

謝罪すると言いながら、全く反省の色がないガハルド皇帝。それに溜息を吐きながら「もう良い」とかぶりを振るエリヒド陛下。

なし崩しで模擬戦も終わってしまい、その後に予定されていた晩餐で帝国からも勇者を認めるとの言質をとることができ、一応、今回の訪問の目的は達成されたようだ。

しかし、その晩、部屋で部下に本音を聞かれた皇帝陛下は面倒くさそうに答えた。

「ありゃ、ダメだな。ただの子供だ。理想とか正義とかそういう類のものを何の疑いもなく信じている口だ。なまじ実力とカリスマがあるからタチが悪い。自分の理想で周りを殺すタイプだな。〝神の使徒〟である以上蔑ろにはできねぇ。取り敢えず合わせて上手くやるしかねぇだろう」

「それで、あわよくば試合で殺すつもりだったのですか?」

「あぁ? 違ぇよ。少しは腑抜けた精神を叩き治せるかと思っただけだ。あのままやっても教皇が邪魔して絶対殺れなかっただろうよ」

どうやら、皇帝陛下の中で光輝達勇者一行は興味の対象とはならなかったようである。無理もないことだろう。
彼等は数ヶ月前までただの学生。それも平和な日本の。歴戦の戦士が認めるような戦場の心構えなど出来ているはずがないのである。

「寧ろ、勇者よりも噂の剣聖の方に興味が有ったんだがな」

皇帝陛下の興味は寧ろ京矢の方に向いていた様だ。戦争への参戦を反対している側だったのは知っていたが、帝国来るかと誘って見ようとも思っていた。

「召喚された直後からこの国の騎士団長と互角に渡り合ったとか言う、あの?」

「勇者達がベヒモスを倒せたのは真実だろうが、それは二度目だそうだ。最初にベヒモスを倒したのはその剣聖と錬成師の二人が簡単に始末したそうだぜ」

予め間者でも送り込んでいたのだろうか、一部の者達の間で知れ渡っている京矢の噂も掴んでいる。

「まったく、冷遇されているなら帝国に引き抜きたかったんだがな」

皇帝陛下は残念そうに呟く。ベヒモスを簡単に倒せるほどの実力の戦士ならば、実力主義の帝国が欲しがらないはずはない。
寧ろ、皇帝陛下としては勇者では無く、剣聖の力に興味が有っただけの様子だ。

「まぁ、魔人共との戦争が本格化したら変わるかもな。見るとしてもそれからだろうよ。今は、小僧どもに巻き込まれないよう上手く立ち回ることが重要だ。教皇には気をつけろ」

「御意」

そんな評価を下されているとは露にも思わず、光輝達は、翌日に帰国するという皇帝陛下一行を見送ることになった。
用事はもう済んだ以上留まる理由もないということだ。本当にフットワークの軽い皇帝である。

ちなみに、早朝訓練をしている雫を見て気に入った皇帝が愛人にどうだと割かし本気で誘ったというハプニングがあった。雫は丁寧に断り、皇帝陛下も「まぁ、焦らんさ」と不敵に笑いながら引き下がったので特に大事になったわけではなかったが、その時、光輝を見て鼻で笑ったことで光輝はこの男とは絶対に馬が合わないと感じ、しばらく不機嫌だった。

雫の溜息が増えたことは言うまでもない。

なお、帰国の途中に慌てた様子の兵士から、ライセン大峡谷に現れた鎧の巨人の報告を聞いた皇帝は急遽予定を変更して渓谷の方に突撃していったとか。
そして、そんな皇帝陛下を慌てて追いかける部下の皆さんであった。
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