いのちのはなし
「えっ?図書館に行きたい?」
「はい、借りたい本があるんです。駄目でしょうか?」
アレンがロットー家の母、アニタにそう告げたのはその日の昼過ぎのことであった。
普段はアニタがアレンに家事や買い物を頼む立場であるが、アレンからアニタにお願いをするのは初めての事であった。
アレンの初めての『お願い』にアニタは一瞬戸惑いの表情を受かべるが、すぐに表情を戻し「いいわよ」と笑顔で答えた。
「ありがとうございますアニタさん、それじゃあ車の準備をしてきますね」
「ええ、わかったわ」
いそいそとガレージに向かうアレンの姿を見てアニタは思う。
アレンはこの家に来た当初、自分の事を『奥様』夫の事を『旦那様』と呼んでいた。
初めは慣れない敬称に戸惑ったものだが、アレンは家庭用アンドロイドである。
立場や人種…と言っていいものなのかは解らないが、明確な区別は必要だという考えからいつの間にかそんな思いは消え失せた。
だが最近は別の戸惑いが生まれ初めた。
夫であるコムイが「僕達の事を名前で呼んでくれ」とアレンに頼んだのだ。
何を言い出すのかと思ったが、夫の提案にミランダは目を輝かせて「とても良い考えだわ!」と父親に抱きつく始末。
それからの家族に私は少し違和感を覚えて、家電製品をまるで人間扱いする家族に。
確かにアレンは他のアンドロイドに比べて感情が豊かだ。
街に設置してあるアンドロイドなどはまさに機械的なのに比べ、アレンは喜怒哀楽をはっきりと表す。
孤独な一人暮らしの老人などがアンドロイドに感情チップを埋め込み寂しさを癒やすという事は確かにあるが、あくまでもアレンは家庭用アンドロイドである。
自分としては機械的に家事を手伝ってくれた方がありがたい、なのに…
「アニタさん、準備ができました」
「……わかったわ、行きましょう」
物思いに耽るアニタにアレンが声をかける。
アレンの言葉に促されてアニタはガレージに向かった。
アレンに促されるままにアニタはロットー家の電気式自動車の後部座席に乗り込む。
それからアレンが運転席に乗り込むと「安全運転で行きますね」と車を発進させた。
ロットー家から町の図書館までは車で20分程。
その間、車中ではアレンが「アニタさん、そこの角に新しく洋菓子屋さんが出来てますよ」「アニタさん、渡り鳥が飛んでますよ。もうそんな季節なんですね」とアニタに話しかけてくる。
そんなアレンにアニタは「そうなの」「ええ」と生返事を返すばかりであった。
尤も、アレンはアニタの返事が嬉しくて語りかける事を止める事はなかったのだが。
そんなやり取りを繰り返す内に車は図書館に着いた。
併設された駐車場にスムーズに車を停めるとアレンとアニタは図書館に入る。
このご時世、図書館を利用する人間は少ない。
昨今は大体の必要な情報がデータベース化されてネットワークで閲覧する事が出来る。
それでもすべての書籍がデータベース化されている訳もないので、実際に手にとって得る事しか出来ない情報を求めている人間だけが図書館を利用するのだ。
今日は珍しく、アンドロイドもいるが…
アレンはアニタに断りを入れると自分の求めている書籍を探しに図書館の探索に行った。
残されたアニタも図書館を見て回る、そういえば図書館に来るのなんて、何時ぶりだろうか。
ふらふらと図書館を歩いていたアニタの目に一冊の本が映り込んだ。
そこには自分と同じ姓、いや自分が貰い受けた姓を持つ作者の本があった。
自分の夫の本がこうして市営の図書館などに並べられている光景を目にすると少し誇らしい気持ちになる。
その本をアニタはそっと手に取った。
図書館に常設されている椅子に座りそっと表紙をめくり、本を読み進める。
夫の書いた本を読むのは久しぶりだ、昔は本を出す度にそれを読んで感想を伝えたものだがミランダが産まれてからいつの間にかそれもしなくなった。
「表現が分り難いわ」「世界観が暗すぎる」などという自分の感想を夫は一喜一憂しながら聞いてくれたっけ。
少し昔を思い出し、アニタの心になにか温かいものが湧き上がってくる。
今でも夫の書いた本は自分には少し難解で分かり難かったが、アニタはその本が書かれた時の記憶を思い出していた。
『ああ、そういえばこの本を書いていた夫によくコーヒーを持っていってあげたっけ』
『そうそう、この展開がどうにも納得がいかなくて夫に詰め寄ったこともあったっけ』
読み進めているのは本格的なサスペンス小説であるのに微笑みを浮かべながら読み進める姿はきっと他人には奇妙な姿に映った事だろう。
気に入ったページだけを読むようにしていたら、あっという間に一冊読み終えてしまった。
アニタが次の一冊を迷っていると、用事を終えたアレンが声をかけてきた。
「アニタさん、お待たせしました」
「…………アレン、その本の量は何かしら?」
そこには自分の娘の背丈程に積み上げた本を絶妙なバランスで抱えるアレンがいた。
「すいません、必要な本を選んでいたらこの量に…」
「う~ん…一度にそんなに借りれるかしら…」
「え!?駄目なんですか!?」
「……まぁ、司書の子が知り合いだから話してみるわ、行きましょう」
そう言って歩き始めたアニタの後ろをアレンは本を抱えたまま器用について来る。
受付近くまで来ると司書の視線はまずアレンの本に向けられた、表情が驚きの色に染まった後にその本の前を歩く人物に気づくと顔を輝かせた。
「アニタさん、お久しぶりです」
「ええ、お久しぶりね。蝋花ちゃん」
「アニタさん、こちらの方は…」
「アレン、紹介するわ。彼女は蝋花ちゃんよ。蝋花ちゃん、彼はアレンって言うの」
「初めまして蝋花さん、アレンと言います」
本を抱えたまま器用に顔を出して挨拶するアレンを蝋花は奇特な目で見ていたが、慌てた様に自分も挨拶を返す。
「初めまして、私はこの図書館で司書をしている蝋花です。とりあえず、その本はここに置いた方がいいかな」
「はい、ありがとうございます」
蝋花が指差す場所に本を下ろすと、本の重みで木製のカウンターからギチリ、と音がした。
「アニタさんが本を借りに来るなんて珍しいですね」
「ああ、この本は私じゃないのよ。アレンが借りたいらしいの」
「へぇ、アンドロイドが珍しいですね」
アンドロイド。
彼女にアレンを紹介するとき私は『彼』と言ったが、そういえばアレンは家電製品だった。
家電製品を人間のように紹介した私を彼女は変に思っていないだろうか。
そして、これからするお願いを変に思わないだろうか。
そんな私の気持ちをよそに二人は本の手続きを進めようとしている。
「う~ん、この量は流石に一度に借りれる量をオーバーしてますね」
「……駄目でしょうか?」
「本来なら駄目なんですが、アニタさんにはコムイさんサインの恩があります。ここは私の権限でなんとかしましょう」
「コムイさんのサイン?」
「彼女、主人のファンなの。」
「ああ、それでお知り合いなんですね」
「ええ、そうだ蝋花ちゃん。もう一つお願いがあるんだけどいいかしら?」
「お願いですか?何でしょう」
「うちのアレンに図書館の利用カードを作ってくれないかしら」
「図書館のカードですね、分かりました」
驚いた、やけにあっさりと承諾された。
聞けば外出がままらない様な人向けにアンドロイドにカードを作らせて本を借りに来させるサービスは大分前から始まっているらしい。
先程蝋花が言ったとおり、珍しい事だがアンドロイド自身が所有者の好みなどを記憶して本を選ぶと言うこともあるらしい。
図書館にまでアンドロイド用のサービスが始まっているだなんて知らなかった。
「一応、顔写真も入れられるようになっていますけど、どうしますか?」
「お願いします!」
「…ふふ、分かりました。ではアレン、でしたっけ?こちらへどうぞ」
そう言って蝋花は図書館の白壁の前までアレンを誘導すると撮影用のカメラでパシャリと写真を撮った。
それからカメラを受付に備えてあるパソコンに繋ぎ、カタカタとパソコンをいじると次の瞬間には机のカード排出口からアレンの利用カードが出てきた。
蝋花はそれを取るとカードを両手で持ってアレンに差し出した。
「はいどうぞ、貴方のカードですよ」
「ありがとうございます!」
アレンもカードを両手で受け取ると、恭しく蝋花に頭を下げた。
それから早速自分のカードで本を借りると「量が多いので先に行ってますね」と大量の本を抱えて車へ向かっていった。
「アレンって、少し変わってますね」
残されたアニタに蝋花はポツリと語りかけた。
どういう事だと聞き返そうとしたアニタの返答も待たずに蝋花は続きを話し始める。
「さっきカードの写真をどうするか聞いた時に、アレンが自分で答えたじゃないですか?アニタさんがいるのに。他のアンドロイドに比べて感情が豊かに設定されてるんですかね?」
「…そうかもしれないわね」
アレンのあの反応は感情が設定されていると言うよりも、あれがアレン自体の反応、アレンそのものなのだ。
己の意思を持ったアンドロイド、それを蝋花に話したら彼女はなんて反応を見せるだろうか。
驚き?嘲笑?恐怖?どれにせよ、きっといい反応は見せてはくれないだろう。
「じゃあ蝋花ちゃん、アレンが本を借りに来た際にはよろしくね」
「はい、分かりました。またのご利用をお待ちしてます」
駐車場ではアレンが待っていた。
大量の本はトランクにでもしまったのだろう、じっと自分のカードを眺めては笑顔を浮かべている。
「お待たせ、アレン。そんなにカードを眺めてどうしたの?」
「あ、アニタさん。これを見てください」
カードにはアレンの顔写真の他にアレンの名前が記入してあった。
【アレン・ロットー】
これは、蝋花ちゃんの遊び心か何かだろうか?
心の底から嬉しいという感情を顔に浮かべニコニコと笑みを浮かべている。
その笑顔があまりにも嬉しそうだったから、少し感化されたのだろう。
「あなたはうちの子なんだから、当たり前よ」
そんな言葉が自分の口から出ていた。
アレンは先程とは打って変わって目を見開いて動きを止めている。
途端に自分の中に何とも言えない、近しい言葉で言うのなら恥ずかしいといった気持ちが湧き上がってくる。
アレンの手を借りずに自分でドアを開けてさっさと後部座席に乗り込んだ。
慌ててアレンも運転席に乗り込んで来る。
なに、家電製品に愛着が湧いて名前を付ける事など良くある事じゃないか。
人間以外の家族を「うちの子」なんて、よく言うじゃないか。
何も、おかしい事など、ない。
照れ隠しに窓の外を眺めているアニタであったが、その顔をアレンがバックミラーでしっかりと見ていた事には気づかなかった。
更に言えば、それを眺めているアレンが微笑みを浮かべている事にも。
「安全運転で帰りますね」
それだけ言ってアレンは車を発進させたのだった。
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