第1章
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「――では、はじめ」
O.W.L試験はまるで共通テストのようだった。進路について結局まだ決められなかったが、とりあえず選択肢を残せるようにいい成績をとりたい。
魔法史のペーパーテストを受けながら、ひとつ気になっていることがあった。もちろんあの、原作にあるスネイプの『最悪の記憶』だ。この試験が終わったら絶対スネイプ君の傍に引っ付いていよう、そう思いながら問題を解いた。
一時間後にはテストが終わり、解答用紙は魔法で一斉に回収された。頭の中はさっきの問題文で一杯で、手元に残った問題用紙を眺めながら教室を出て、そしてハッと思った時にはもうスネイプ君の姿が見えなかった。
このすっとこどっこいと自分を叱りながらとりあえず校庭に向かって走る。彼から目を離さないつもりだったのに。とりあえず水辺近くの木だったはずだときょろきょろとあたりを見渡してすぐに気づいた、人だかりができていたからだ。
遠目に見てもわかる、スネイプ君がさらし者になり周りがそれをはやしたてて笑って、リリーが庇っているあの気分の悪いシーン。私は全力でそこに向かって走り、スピードを緩めることなくジェームズ君とスネイプ君の間に躊躇なく体をねじ込んだ。
「うわっ」
突然、両足首が巨人にでも掴まれたかのようにぐいっと上に持ち上げられて、ローブが綺麗に顔までひっくり返った。
――しまった、ジェームズのレビコーパスに突っ込んだか。
熱の篭った夏のローブの内側が涼しい風に晒され、逃げるように足をばたつかせるが、視界にマントが絡みついて何もできない。すぐに足首は解放されて、私はその場に糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
「いたたたたた……」
頭のてっぺんから落ちたから首をひねってしまった。めくれたローブをなおし、首をさすりながら顔を上げる。ジェームズ君、シリウス君が目を丸くして――ちょっと顔を赤くして私を見ていた。
「な、なんてことするの!」
その場にいたリリーが叫んで私に駆け寄る。ジェームズ君がそれに気を取られているうちに、スネイプ君が後ろからジェームズ君に呪文を放った。間一髪でシリウス君が友人を庇い、今度はジェームズ君がスネイプ君に石化の呪文を放つ。スネイプ君は手をつくことも出来ずに顔面から地面に倒れた。
「もうやめて!いい加減にして!サマンサまで巻き込んで!」
「それは悪かったよ、さすがに。女子にこれをやるつもりはなかった、狙ったのはスニベルスだ」
ジェームズ君はわたしのほうなど見向きもせずリリーに弁解したが、それすら火に油を注いでいる。
「謝る相手は私じゃないわ!そもそもあなたがセブルスに余計なことをするからでしょう!」
リリーはついに堪忍袋の緒が切れたという様子で杖を取り出した。
「ああエバンス、君に呪いをかけたくないんだ」
ジェームズ君が気取ったようにそう言った。
「それならまず呪いを解きなさい!」
リリーが怒鳴りながら石化したスネイプ君を見た。ジェームズ君がわざとらしくため息をついて、スネイプ君の石化の呪文を解いた。
「ほーら」
スネイプ君が慌てて立ち上がるのを見ながら、ジェームズ君はまだ挑発を続けた。
「スニベルス、エバンズが居合わせてラッキーだったな」
「あんな――」
――汚らわしい穢れた血の助けなんか、必要ない!
そのセリフだけは彼に言わせてはいけないと、私はとっさに叫んだ。
「パンツ!」
全員が一瞬でわたしの方を振り向き、私は当然、顔を真っ赤にした。パンツがどうした。パンツが。おい私。パンツがどうしたんだ。せっかくみんなの記憶から消えかけていた私の真っ赤なパンツが、無意味にまた再生されたはずだ。
寄りにもよって今日、あの派手なパンツを履いているとは。名誉のために言っておきたいが、あの赤いパンツは元からクローゼットに入っていたもので、私の趣味ではない。
「スネイプ君あっち行こう、あっち、あっち」
耳どころか首まで真っ赤にしながら私は必死でスネイプ君の杖を持っている手を引いて歩いた。一秒でも早くこの場を立ち去りたい。
「おいちょっとまて、僕は!」
私の手を振りほどこうとするスネイプ君の手首を、力の限りぎゅっと掴んで足を早めた。
「今一人にしないでよ、恥ずかしさで死んじゃう、死ぬ。顔から火が出そう。パンツ、パンツって、私。言うに事欠いてパンツって。パンツがどうした、パンツが」
まだ後ろの方でリリーとジェームズ君たちが言い合っている声が聞こえたけど、もうそれどころではなかった。ぐいぐいとスネイプ君の腕をひっぱったまま走るように歩いき、人の目がない校舎の陰まできて、私はようやく立ち止まって手を放し大きく深呼吸した。
「忘れて」
「いや、でも……」
「忘れて。全部。お願い」
顔を真っ赤にして唇を咬んでスネイプ君を見た。もう限界。
私はスネイプ君を目の前にしたままぷっと噴き出して、声をあげてお腹を抱えて笑った。もうずっと、おかしくて仕方なかったのだ。自分の醜態が。なんで誰も笑わなかったのか不思議なくらい。スネイプ君は目を丸くして私を見ていた。
「あはは!パンツ!パンツって!なんであそこでパンツって叫ぶの?」
「叫んだのは僕じゃない、君だろう?」
そう言いながら私があまりにも大笑いしているから、スネイプ君もつられるようにだんだんと口角をあげた。
「しょうがないでしょう、もう!君が喧嘩なんかするからだよ!」
「あいつらが悪いだろう、それともなんだ、大人しくやられっぱなしで居ろって言うのか?」
「そんなことないけど、君あのままじゃリリーにまで怒鳴りそうだったじゃない。だからその、それは止めなきゃと思って……」
「それで」スネイプ君は一度言葉を区切ってまた少し笑いながら言った。「パンツって叫んだのか?」
「忘れてってばぁ……」
はぁとため息をつきながらその場に座り込んで、スネイプ君も同じように腰を下ろした。
「……なんで割り込んできたりしたんだ」
「え?」
「そもそも、君が間に飛び込まなければ宙づりになることもなかった」
「ああ……」
その先の展開を知っていて、リリーに穢れた血と言ってしまうことを知っていて、君がそれを最悪の記憶と呼んでこの先一生後悔することになると知っていたからだよと、そんなことは言えない。
なんだかなぁ、本気で未来を変えたいなら、もっと大切なことのためにやらなきゃいけないことは山ほどあるはずなのに。きっとパンツを晒す以外のこと。
「……ブラックが居たからか?」
「え?」
まだ薄ら笑いを浮かべながら、私はスネイプ君の言いたいことがわからなくて首をかしげた。スネイプ君は少し拗ねたような顔で、もう一度言い直した。
「ブラックを庇ったのか?」
「え……全然?」
スネイプ君は疑わし気な目で私を見ていた。そんなに私はシリウス・ブラックが好きそうに見えるのだろうか?彼のその嫉妬心が愛らしかったが、顔に出さないようそっと横を向いた。こういうところはとても年相応、いやいっそ幼いかもしれない。いつまでもこうあって欲しい。
「……夏休みさ、うちに来ない?」
「え?」
「あ、ずっとじゃなくて、うん、泊っても泊らなくてもどっちでもいいんだけど……。ふくろう試験の復習、できれば君と一緒にやりたいなと思って」
「別に……いいけど」
スネイプ君は急なお誘いに少しうろたえて、顔を赤くしながら、声だけは平静を保っていた。
「はぁ、あとまだ試験3教科かぁ。残ってるの実技ばっかりだし、やだなぁ」
そう言って私は杖を取り出して眺めた。この先もずっとポンコツ……先日のスネイプ君の言葉が思い出される。
「……以前の君は、頭は悪かったけど呪文は得意そうだった」
「あ、そうなの?じゃぁ頑張らないとなぁ」
ぐっと杖に力を入れて、「アグアメンティ 水よ」と唱えたら杖の先から水鉄砲くらいの細さの水が垂れた。
「壊滅的だな」
「そう思うよ……」
スネイプ君が同じように杖を取り出して、「アグアメンティ 水よ」と唱えたらホースのように水が出て少し先にある草木を濡らした。
「すごいね」
「別に、難しい呪文じゃない」
「できなかった人に言う言葉じゃないかなぁ」
「……悪い」
きちんと素直に謝るスネイプ君を見ながら、私はふふっと笑った。今日は本当に天気が良くて、夏を連れた心地よい風が木の葉を揺らしている。花びらを散らし終わった桜の木が、透けるような緑色と僅かに残った薄い桃色で鮮やかな春の色をしていた。
その瞬間、近くで軽く枝の折れるような音がして、2人でぱっと振り返った。リリーが少し慌てたように両手をあげた。
「あっ、ごめん違うの、邪魔するつもりじゃなかったんだけどその、サマンサの様子が気になって……」
「ふふふ、心配かけてごめんねリリー。もう大丈夫」
そう言いながら私はまたパンツと叫んだことを思い出して、恥ずかしくて笑った。
「パンツ、パンツね……くふふ」
1人でツボに入って肩を震わせて笑う私に、2人もつられて少し笑った。
「リリー、あの後どうしたの?」
「はっきり言ってやったわよ、あの自惚れ頭すっからかん男に!無意味にかっこつけて、おまけにサマンサまで巻き込んで、もうほんっとうに腹が立つんだから!」
リリーはまだ怒りをくすぶらせたように早口でそう言って、スネイプ君はリリーがあの二人の悪口を言うのを満足そうに見ていた。
ああ、小説を読んだ時は、スネイプの報われない恋といつまでも振り向かないリリーにやきもきしていたが、こうやって目の前で見ているとどっちも可愛い。彼らの恋愛がどのような形で結ばれるのかは置いておいて、2人が仲たがいしてしまう未来をひとつでも避けることができて良かったと、素直にそう思う。
「二人はずっと、仲の良い幼馴染で居てね」
膝を抱えてほほ笑みながらそういった。
「寂しいこと言わないで、サマンサ」
リリーがそう言って、私は「うん?」と返事をした。
「サマンサ、あなたのことも大切な友人なの。だからこれからも良かったら3人で一緒に遊びましょう。ね?」
リリーのその言葉がすとんと胸に落ちて、私は自然と笑顔になった。ああそうか、リリーの中で、私はもう友達なんだ。二人だけの特別な世界に、私も入れてくれるんだ。この先もずっと一緒になんて、そんなことを当たり前のように思ってくれるんだ。
「ありがとう……。リリーは優しいね」
リリーはもちろんと嬉しそうに私を抱きしめて、スネイプ君はちょっと気まずそうに自分の膝を抱えているだけだった。
この唐突に始まる友情劇、嫌いじゃない。
さて。セブルス・スネイプだけでなく、リリーも救いたいとしたら、話は大きく変わってくる。リリーが命を賭してハリーを守らなければ、加護の魔法は発動しないのだから。ひとつ何かを救ったら、ひとつ何かが悪化する。やはりこれは私の手には負えないし、どこかでダンブルドアと話がしたい。他の誰にも聞かれない安全な場所で、必ず2人きりがいいだろう。待っていてもそんな機会は訪れないだろうから、こちらからアクションを起こさないといけない。家族、友人、もちろんスネイプ君にも悟られないように。
「あの……サマンサ?その、少し恥ずかしいわ。頭を撫でられるのは……」
「え?あぁごめん、かわいくて」
まぁとりあえず、O.W.L試験の後に考えよう。
一週間後、私たちはまたホグワーツを去る列車に乗って、のんびり揺られながらロンドンに戻った。ジェームズ君にひっくり返されてパンツを丸出しにした女ということはその日のうちにスリザリン寮生にも知れ渡っていたし、友達には呆れられて弟のバーティは私以上に怒っていた。家名に泥を塗ったのだから申し訳ない。
魔法使いや魔女の黒いローブが真夏でも肌を一ミリも見せずにぴっちりと覆っていることから分かるように、伝統的な魔法界の価値観では、肌を見せるというのはとてもはしたない事なのだ。特にクラウチ家のような純血の家系にとって、こんなことがあってはもうお嫁に行けないわ案件なわけである。私からしたらたかがパンツも、彼らにとってはそうでは無い。
そんな文化の違いを感じながらバーティをまぁまぁとなだめ、帰りはそのまま同じコンパートメントで帰った。他にも彼の友達と、私の友達。スネイプ君も死食い人予備軍たちもいない、平和なコンパートメント。まぁ、バーティが今後どうなってしまうかはわからないけど。
列車の揺れが心地よく、のどかに続く原っぱを見ながら明るい日差しに目を細めた。逃げずに正しいと思うことをやろう、そう決意するだけでこれだけ心の荷が下りるものなのか。セブルス・スネイプもきっと、命がけでWスパイをやっているとき、こんな気持ちだったのかもしれない。そうやって少しずつ、深い業をみそいでいったんだろう。ならばきっと、最後までやりきって一人哀れに死んでいったあの生涯は、彼にとって悪いものではなかったように思う。……彼を想う身としては、寂しいけど。
気付いたらそのまま目を閉じていて、はっと目が覚めたら私はバーティの肩で寝ていた。バーティと目が合って、彼以外はみんな寝ている。
「ごめんバーティ」
小声でひそひそ謝りながら、さりげなく口元を拭いて彼の肩を確認した。大丈夫、よだれは垂れていない。彼は私のそんな視線を見て、ふっと鼻で笑った。
「眠いなら寝てれば?」
「いやいやそこまでは……」
そもそも私が眠りこけたのが悪いが、兄弟とはこんなに距離が近かっただろうかと少し違和感を持った。私は3人姉妹の真ん中だったから、異性の兄弟というのがいまいちわからない。おまけに養子となれば、それはもうほぼ他人ではないだろうか。
そうなると寝るときに肩を貸すというのは、やはり少し不健全な気はする。首筋に視線を感じながら車窓を眺め、今年の休暇は少し距離を置こうかとぼんやり考えた。
「O.W.L試験どうだった?」
「うーん、どうかなぁ……。バーティにもたくさん教えてもらったし、不合格はそんなに多くはないと思うんだけど、多分A(可)が並ぶ感じになると思うなぁ」
「十分じゃない?それなら」
「そうかな?家から追い出されたりしないかな?」
「そうなったらさすがに止めてあげるよ」
「本当?嬉しいな」
そうはいっても、自分に懐いてくれる年下の男の子とは可愛いもので。嫌われてるよりは好かれてる方がいいじゃないか。
少しずつ、この他人の体で私の居場所が作られている、そんな実感があった。
2週間後、O.W.L試験の結果を待つ夏休み、私はコークワースに居た。そう、あの幼少期のリリーとセブルス・スネイプが住んでいた地区だ。スネイプ君に呼ばれて、と言いたいところだけど違う。私を誘ってくれたのはリリーだ。
「遠くまで来てくれてありがとう!まぁ、一人で来たの?大変だったでしょう?」
「うん、大丈夫だよ。リリーが細かく道教えてくれたから凄く助かった」
「良かった!それにあなたの服凄く素敵、クールだわ。新しいあなたがみれて嬉しい」
なんてことない、ただのショートパンツにTシャツを合わせただけ。このサマンサちゃんの白くて長い足には、強めのテイストが良く似合う。
「リリーもワンピース可愛いね、明るいグリーンが目の色にとっても似合ってる」
リリーの家の玄関先でそんな会話をしたが、本当のことを言うとここに来るまでとても迷った。スマホで地図を見られないってすごく不便。紙の地図があんなに難解なものだとは知らなかったし、何度も地図を指2本で拡大しようとしてしまった。
ふと視線を感じると、リリーの奥でペチュニアがこちらをひどく恨めしい顔で睨んでいた。私はそれに小さく頭を下げる。昔、初めてハリー・ポッターを読んだ時、子供ながらにペチュニアにはとても同情した。
自分より容姿も性格も優れた妹、きっとホグワーツに入るまでの勉強の成績もリリーの方が良かったのではだろうか。そのうえ魔法という特別な、選ばれし才能を開花させて毎日を楽しそうに生きる、血がつながっているはずの妹。自分には無い何もかもを全て持ってる妹。両親までもが自分より妹を溺愛している。
もし私にそんな存在がいたら、きっと家の中は地獄だった。
「天気がいいから、公園でおしゃべりしましょう?」
その声色で、リリーなりに姉に気を使っているのがわかった。
「うん、そうしようか。お菓子持ってきたんだ。ピクニックしよう?」
「まぁ!素敵!」
私はリリーに案内されて、公園まで喋りながら歩いた。
「ふくろう試験の結果っていつ届くのかしら」
「ええっと、7月末くらいって言ってたからもうすぐだよね。……そう言えばリリーって、進路は何を考えてるの?」
原作ではリリーは21歳で亡くなってしまっているから、将来の描写はない。
「できればね、古代魔法の研究をしたいと思ってるの」
「古代魔法?」
私は聞きなれないその言葉を復唱した。そう言えば、リリーがハリー・ポッターを守った愛の魔法というのは、古い魔法だったとかダンブルドアが言っていた気がする。
「そう!夢があると思わない?私ね、ルーン文字の授業が好きで、古代魔法ってほとんどがラテン語じゃなくてルーン文字で書かれているの。魔法族の歴史って1,000年前ごろまでしか解明されてなくて、それより古い時代にあった魔法を古代魔法って言うんだけど、古代魔法のほとんどすべてが解明されてないのよ。でもね、実は現代の魔法より優れていたんじゃないかって言われてるの」
「へぇ、マグル風に言うとロストテクノロジーとかオーパーツとかってことだよね?」
「そう!そうなのよ!もう私そういう話が小さい頃から大好きでね、それでね――」
それからリリーは古代魔法のロマンをたくさん話してくれた。そのどれもが私にとっても新鮮で、まるで分厚いゲームの攻略本の隅に書いてある裏話を聞いているようで夢中になった。
「――だからね、古代魔法って愛とか悲しみ、憎しみ、寂しさとか人の持つ原始的な感情にリンクしているものが多いの。これってすごく神秘的だと私は思うの。……あ、やだごめん!私ばっかりずっと喋っちゃった、あなたがあまりに聞き上手だから」
リリーが少し上気した頬を隠しながら笑う。
「そんなことない、私も面白いよ。感情とリンクする魔法ね……そういうのが、きっと現代の闇魔法とそうじゃない魔法に派生していったんだろうね」
「うんそう、そう言われてるの。古代魔法には闇とか光とか、そういう概念はなかったみたい。例えばほら、憎しみを糧にする魔法は黒魔法だなって感じがするけど、寂しさとか孤独な心を糧にするものは一概には言えないじゃない?」
「そうだね、でもきっと本来はそういうものな気がする。光ってグラデーションだからね」
「光がグラデーション……素敵だわ、その言葉」
リリーがまるでうっとりと愛のロマンスでも呟くように言うから、私は少し笑ってしまった。リリーは、少なくとも今私の目の前にいるリリーは、ただの一人の古代魔法オタクでジェームズの妻でもハリー・ポッターの母でもないのだ。そんな当たり前のことに今気づいた。
リリーはふふっと楽しそうに笑って、私が持ってきたお菓子を遠慮がちに1つ食べて「ねぇサマンサ」と言って優しく笑った。
「なあに?リリー、かしこまって」
「あなたってその……セブと仲いいわよね?」
「うーん、まぁその、去年生活に困ってた時に少し手伝ってもらっただけだよ?」
リリーの言いたいことをはぐらかすようにそう答えた。リリーはちょっと気まずそうにしながら、私にどこまで聞いていいものか迷っているようだった。
「あのね、その、私心配なの。セブってほら、あんまり人付き合いの上手いタイプじゃないじゃない?でも、彼のせいじゃないのよ。その、セブってあんまり家庭環境が良く無くてね、お父さんが怒りっぽい人みたいなの」
「……そうなんだ」
「セブ、ホグワーツでどんどん感じの悪い友達とばっかりつるんで、そういうのも本当は私やめて欲しいの」
「……マルシベールとか、エイブリーとかだよね」
「……うん」
原作では卒業後にセブルス・スネイプと一緒に死食い人になるこの二人は、数か月前グリフィンドールのリリーの友人の女の子に、服従の呪文で服を脱がせるというさすがに私も引いてしまうようなことをした。最後まではいかずに未遂で終わったと聞いているけど、女子生徒の恐怖とショックは計り知れない。
「ねぇサマンサ、できればあなたに、これからもセブの傍にいて欲しいの。その、私がこんなこと言うの、あなたにとっては癪に障るかもしれないけど……」
リリーはそう言って申し訳なさそうに目線を落とした。リリーは気付いてるのだ、私がスネイプ君に気があること。そしてスネイプ君はリリーが気になっていること。そのうえで、もしかしたら私に怒鳴られるかもしれないことも分かったうえでこの話をしているのだ。大人として、16歳の少女にここまで気を使わせているのが情けない。
「リリーは彼のこと、その、友達としてしか……?」
「……うん」
まぁ、こればっかりはしょうがないよね。
「私が、私で居る限りはスネイプ君と仲良くしたいと思ってるよ。まぁ、彼がどう思うかはわからないけどね」
「……あなたが、あなたで居る限りはって?」
リリーが不思議そうに首をかしげた。
「……リリーはさ、何が自分を自分で居させてると思う?記憶?体?魂?」
リリーの顔からゆっくり笑顔が消えて、真剣な顔になる。夏の涼しい風が穏やかに木の葉を揺らしていく。
「ユニコーンを見に行った時、いろいろ曖昧になっちゃったけど……。改めて言うね。リリー、私は本当はサマンサ・クラウチじゃないの」
そこで少しリリーの反応を待ったが、彼女は何と言えばいいのかわからずに迷った様子で口を閉じた。
「ごめんねリリー。怖がっていいし、逃げてもいい。嫌ってもいいし、罵倒してもいいよ」
空気を軽くしたくて、軽くふざけるように言葉を並べた。
「そんなことしないわ!」
はっきりと、私の言葉を食い気味で否定し、リリーはぱっと私の手を握った。
「そんなこと……そんな一方的なこと、私はしないわ」
「……そうだね、ごめん」
もう一度軽く笑って、リリーの手をそっとにぎる。リリーは賢くて聡明で、善良で優しくて、だからつい私も喋りたくなってしまった。こういうのをきっと、カリスマ性というのだろう。
「もう1年半かな、朝起きたら知らない女の子になってたの。本当にびっくりしたよ。それでまず、とりあえず記憶がないって嘘をついたの。別人ですなんていったら信じてもらえないと思って。それで忘却術師の人に診てもらったんだけど、なんの異常ないですよって言われちゃって。それを、その場でみんな信じたから、本当のことを言い出せなくなったの。……まぁ、馬鹿だよね、ほんと」
彼女の手を放しながら、両手を上に上げて肩をすくめる。私もすっかり、イギリス人らしいしぐさが身についたものだ。
「あの時すぐに、どうにかしておけばよかったのかも。まぁとにかくそのまま、流されるままにサマンサ・クラウチのフリをして、1年半も過ごしちゃったわけ。結局ね、私は自分がなんでここに居るか、自分でもわかってないままなの。だから……同じように知らないうちに中身だけ居なくなるかも知れない。この体はここに残るだろうけどね。だからそう……サマンサちゃんが、きちんとここに戻ってくることもあるかもしれない……」
がさっと後ろで誰かが動く音がして、私たちはぱっとそちらを振り返った。そこには気まずそうに立っているスネイプ君が居て、この前のリリーの時の逆パターンだなと思った。いつもの学校で見る魔法使いのローブじゃなくて、どこかダボっとしたよれよれのTシャツと汚れたジーンズを履いていた。
「……その話――」
スネイプ君が目を丸くしながら私とリリーを見る。なぜ、と言いたげな顔。
「うん、リリーにも言っておこうと思って」
そう言いながら、私は彼に近くに座ってはどうかと石段を叩いて、今度はリリーに向き直った。
「このことね、スネイプ君だけ知ってるの。ふふふ、2人とも察しがいいね?私が別人だって気付いたの、2人だけだよ」
「そう……そうなの……セブも知ってるのね。あなたが……サマンサじゃないって」
呆然と呟くようなリリーの声に申し訳なくなってしまう。彼女の友人を、この体から追い出してしまった。それを謝りたいが、私が謝るのも違うだろう。
「あなたの……あなたの名前を聞いてもいい?」
迷っていたら、今度はリリーから口を開いた。
「……なまえ・みょうじ。でもサマンサでいいよ、急に変えると呼びずらいでしょう」
「ううん、なまえって呼ぶわ。あの……呼んでもいい?」
「……もちろん」
沈黙がやけに存在を主張して、こんな時に限って風すらも止んでいる。
「無理しなくていいよ、リリー。私のこと、すぐに受け入れて欲しいわけじゃない。ただ黙ったまま友達のフリをするのは、あなたの優しさに誠実じゃないなと思ったの」
「違うわ、私……でも、そう、混乱はしているけど……でも、でもあなたを拒絶したいわけじゃないの」
「わかってるって、大丈夫だよ」
そう言って笑いながら、私はゆったりと足を組みなおした。
「リリーは誰にでも優しいからね?」
「もう……それシリウスの真似?」
「本心だよ、リリーは少し親切すぎると思っただけ」
「そんなことないわ、わたし結構思ったことは言うタイプよ?」
リリーはさっきと同じように明るく笑って、私はほっとしてお菓子を1つ食べた。サマンサがどこに行ったのか、彼女に再び会うことはできるのか、リリーからしたら聞きたいことはいろいろあるはずだ。それでも、リリーはそんなそぶりをひとつも見せず、ただ私を受け入れようとしている。
「……来年、学校に戻ったら、ダンブルドア校長に相談してみようと思うよ」
だからその優しさに、私も応える必要があるだろう。
「あなたの友人を、取り戻せるかどうか」
リリーが泣きそうな顔で笑って、小さく頷いた。
「……そうしたら、君はどうなるんだ」
それまで黙っていたスネイプ君が、ぼそっとつぶやいた。感情を抑えた、暗い声。
「わからない」
――ごめんね。
その言葉は飲み込んで、私は努めて明るく言葉を続けた。
「それは私にはわからないけど、まぁきっとどうにかなるよ。大丈夫だと思う。なんか進展があったら二人にも知らせるよ」
話題を変えたくて、私は手元の鞄を開いた。
「お菓子食べる?家から持ってきた、なんかよくわかんないお菓子」
そう言いながら、甘そうな塊を1つずつリリーとスネイプ君に渡す。
「……フラップジャックだ」
スネイプ君がそれを受け取りながら言った。
「フラップ……?」
「オートミールとかを、固めて焼いたやつ」
「オートミールとバターと砂糖、それからゴールデンシロップよ」
リリーがスネイプ君の言葉を補足する。
「ゴールデンシロップって?」
リリーは少し驚いてから、ちょっと気まずそうに「ええっと……」と考え始めた。
「その、ゴールデンシロップはゴールデンシロップとして売られているから、わからないわ……。甘くて琥珀色のトロっとしたシロップで、砂糖の何かだと思うんだけど……」
「ふーん。みんな知ってるものなの?イギリスの国民食的な?」
「え、ええ……」
「……リリー、そんなに気使わなくていいと思うよ。彼女が一般的なことも急に根掘り葉掘り聞いてくるのは割とよくあることだ」
「え、スネイプ君そんなこと思ってたの?」
「そりゃそうだろ……ブリッジが何かと聞かれた時にはどこから説明すればいいか分からなかったね」
スネイプ君が手元でお菓子を転がしながら言う。
「あぁそう、トランプのね。結構複雑じゃない?覚えるの時間かかったよ」
「トランプはわかるの?」
「ふふふ、そのくらいはわかるよ。ちょっと違うだけ、あんまりズレはないよ」
「不思議……あなたの、あなた自身のこと、私もっと聞きたいわ」
「ありがとうリリー。私ももっと話したいんだけど……そろそろお家帰らなくて大丈夫?」
「あ、やだもう7時だわ」
これは私が散々迷子になって、リリーの家に着くのが遅くなったのが原因です。
「また来るよ、今度は道もだいたい覚えたし、もうちょっと早く着けると思う」
「ふふ、ここら辺ちょっと道わかりにくかったわよね、ごめんね。帰りは大丈夫?」
「うん、過保護な保護者にポートキー持たされてるからね」
「よかった、クラウチさんらしいわ。ね、今度は私が会いに行くわ」
「うん、またフクロウを送るよ」
「ええ、待ってるわ。ありがとう」
リリーが立ち上がって、時計をみてからまたねと声をかける。それに軽く手を挙げて、気を付けてねと言った。スネイプ君が住んでいるであろう川向こうの地域よりはマシだけど、夜道の女の子の一人歩きは心配だ。徐々に小さくなって、公園の門を出て行くところまで目を離さずにじっと見つめた。
「……大丈夫かな、やっぱり家まで送るべきだったかな」
「……君よりはここら辺詳しいと思うけど」
迷子の心配じゃないっての。小さく笑って、なんとなくはぁと長くため息をつきながら、丁寧に揃えていた足を崩して軽く胡坐をかいた。
「……話すと思わなかった」
スネイプ君がぽつりとこぼす。
「うん……言わないつもりだったけど、リリーが先に気付いたの。嘘までついて誤魔化すのも、違う気がして」
何をとは言わないけどさすがにわかる。
「……ちなみにスネイプ君、晩御飯は?」
「……どういう意味?」
「スネイプ君のお家ってさ、君が突然外泊したら怒るタイプ?」
「いや、別に……」
さてさて、それなら逃げられる前に今日ここに来た一番の目的を果たさなくっちゃ。こんなところで偶然会えるなんてラッキー、なかなかないからね。去年1年間君を見ていて、これだけは絶対に実行すると心に決めていたんだ。
それなりに仲良くなった事だし、いいよね?
「スネイプ君、これ持って」
「は?なんだ」
目に前にぬいぐるみのキーホルダーを差し出せば、スネイプ君はほぼ反射的にそれを掴んだ。
「ポータス クラウチ邸の自室」
呪文でポートキーを起動させると、おへそのあたりがぐんっと引っ張られて、私とスネイプ君は人気のない公園から一瞬で姿を消した。
ほんと便利だよね、ポートキー。未成年でも使えるし。今だけはクラウチパパが魔法省で良かったなと心底思う。彼を連れて、来たときと同じ道をたどるのはちょっとスマートじゃないなと思っていた。