第1章
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「――でね、その時ジョナサンが言ったの、なんて言ったと思う?『君のことを言った訳じゃないのに、図星だからそんなに怒ってるんだろ?』だって!」
「ねぇちょっとまって、それジョナサンの真似?やだもう全然似てない!」
「そんなことないそっくりだよ!もうとにかくそれでね、私――」
昨日の夜からそうなのだが、この子達は兎にも角にも恋愛話が大好きだ。彼女たちは私に散々シリウス・ブラックのことを聞き、記憶を失っても人は同じ人に恋をするのかという、ロマンチックな話題に夢中になっていた。彼女達にとって私は今日も昨日も一昨日もその前からずっとサマンサ・クラウチなのだ。あくびをかみ殺し、目の端ににじんだ涙をぬぐう。
実は私……なんて言い出せるタイミングはとうに過ぎたし、今改めて考えても言わなくて良かったと考えている。
去年見た、ハリー・ポッターと呪いの子という舞台。あれはセドリック・ディゴリーを生かすことで、どう転んでも未来に暗雲が立ち込めて、結局セドリックの命を諦めて世界を元に戻す、そういう壮大なifの世界だ。
私の存在があれを引き起こさない自信はない。下手な正義感を振りかざすのも趣味ではない。
そもそも私は本当に2025年を生きた別人なのか。ハリー・ポッターなんて小説は実在したのか。そして何故ここに居るのか。サマンサ・クラウチはどこに行ったのか。そのすべてが未解決のままだ。
噴水の様に湧き出る疑問を1人で整理したくて、私は朝食のあと談話室の隅の机でぼーっと窓を眺めていた。月曜の1限の時間、ほとんどの生徒は授業に行ったけど私はこの時間古代ルーン文字を選択していて、たまたま休講だった。ちらほらと似たような生徒がいるが、談話室は昨日よりずっと静かだった。
一応、教科書で次の授業の予習をしておこうと思ったが、流石に分からない内容が多すぎてやる気すら起きない。
「記憶はどうなった?」
ちらちらと他の生徒が遠巻きに私を眺める中で、声をかけてくれたのは意外にもセブルス・スネイプだった。
「……スネイプ君。ううん全然、何も思い出せないよ」
話しかけてくれた彼のために、教科書を寄せてスペースを作った。
「昨日はありがとね。……君の言ってたことが少しわかったよ」
「……どういう意味だ」
「あんまり、私と仲良くなりたくはないって。確かにちょっと、騒がしいタイプだったみたい」
スネイプ君は隣の椅子を引っ張って私と距離を開けながら座り、腕を組んで窓を見た。
「その割にはうまく馴染んでいるようだったが」
「そりゃまぁ……うまく馴染まないと右も左もわかんないからね」
彼は少し黙った後、盗み見るように私の表情を伺ったので、私はあえて視線を逸らして窓を見た。うすら光るクラゲがゆっくり水の流れに流されて、あれは魔法生物なのか、普通に生息するクラゲなのか、どちらなのか気になった。
「……忘却呪文で自分に関する記憶を全て忘れるという行為はしばしば見られる。だがこれは忘却術の中でもかなり高度だ、なにしろ記憶の範囲が広大で複雑すぎるからな。大抵、多くを消しすぎて記憶が混濁し、正常な思考すら出来なくなるパターンが多い。……君を見ている限り、それは無さそうだ」
「じゃあ、とっても上手な人が記憶を消してくれたんだね」
「記憶を消したかったような口振りだな」
「さあ……でも多分そうなんでしょう?この子は」
今日もサマンサ・クラウチの顔を飽きるほど眺めたけど、自分の顔には見えなかった。
「今日は私、2限からみたいなんだよね。魔法薬学。スネイプ君も一緒だよね?」
「……ああ」
「じゃあ一緒に行こう。教室の場所わからないから」
スネイプ君は黙ったまま机に広げられた私の教科書をみた。
「教室の近くまででいいよ、迷惑かけてごめんね」
私と一緒にいるところを誰かに見られたくは無いだろう。14歳ってそう、多感なお年頃だ。ああ、スネイプ君はもう誕生日を迎えてるはずだから15歳か。
「ついでにちょっと教えて欲しくて、今日ってどの範囲やるの?一応教科書読んでおこうと思ったんだけど、なかなか頭に入らなくて」
「……今日は7章の老け薬だ」
「老け薬ね、嫌な響き」
せっかく若返ったというのに。ああでも目の前の君の16年後は見てみたい、アラン・リックマンでない、30歳のセブルス・スネイプ本人を。
「上手く出来たらスネイプ君にあげるね」
「馬鹿か?薬は授業後回収すると決まっているし、例えそうでなくとも他人が作った魔法薬など飲みたくもない」
「そういうものなの?」
「そういうものだ」
「残念」
7章を探して何度も教科書をめくれば、スネイプ君が杖先でトンと叩いて該当のページまでするすると動かした。ありがとうと呟けば、ふんと鼻で返事をした。
「……ねぇもしさ、私の記憶が無くなったの忘却呪文じゃないとしたら、他にどんなことが考えられると思う?」
老け薬のタイトルを眺めながら、私は結局違うことを聞いた。
「その場合、最も可能性が高いは錯乱の呪文だろう。それによって忘れたと思い込んでいるパターンだな」
「じゃぁその錯乱の呪文でさ……自分にありもしない記憶があって、別人になったような気がするって場合も、有り得る?」
「……無いとは言えない」
自分の白い手をゆっくり眺めて、ハリがあって綺麗だなと思った。
「その場合でもさ、忘却術師は直せると思う?」
「おそらくな。記憶を正常に正すという点において、理屈は同じはずだ」
「そっか……」
自分がここに居るという感覚がとても希薄に感じられた。五感が鈍くなって、クラゲが水中を漂うように自分の意思では指を動かすことができない。サマンサ・クラウチという体の中に入って、私は自分の形をとることが出来ない。
――そうか、私は錯乱の呪文だったのか。
「ねぇスネイプ君、もし明日死ぬなら最後に何食べたい?」
「……別人になったつもりだと言うのか?君が?」
「私はそうだなぁ、やっぱり最高級のお寿司とかって思ってたんだけど……あんまり喉を通りそうにないや。今はね、あったかい緑茶とか飲みたい気分」
「……君は誰だ?」
「ね、きっと多分、そうだったのかもしれない、呪文だったのかも」
クラゲの体が戻ってくる、体の感覚と一緒に恐怖という現実を連れてくる。今度は指先が真っ白になるほど両手を強く握りしめて、深く息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
ただ何もせず漫然と“その時”を迎えるという、成熟した精神はまだ持っていない。
「……ああだめ、情けない」
指が震えて涙が頬を伝って、誤魔化すように笑いながら顔を隠してポケットのハンカチを探した。
「……明日死ぬなら、僕ならスラグホーンの棚に並んでる貴腐ワインを飲む」
ゆっくりと顔をあげて、左隣に座る彼を見た。スネイプ君はまだ窓を見て腕を組んでいる。
「……ああ、貴腐ワイン……いいねオシャレで」
でも貴腐ワインは私には少し甘すぎるかも。普通にちょっと上等なシャンパンがいいな。それで誰かと乾杯したい。流石に14歳を誘うのは犯罪だろうか。
ねぇ、と声を掛けそうになった時、突然、空気を揺らすほど大きくカンカンカンと甲高い金属音がした。その音に驚いて飛び上がったのは私だけで、談話室に居る皆は平然としている。
「な、何の音……?」
「……授業終わりの鐘だ、移動するぞ」
「え、びっくりした……ほんとに?毎回こんなにうるさいの?火事かと思った」
ドクドクと派手に動く心臓を落ち着かせながら、何事も無かったように教科書をカバンに詰めて談話室のドアをくぐった。スネイプ君の二歩後ろを黙って歩いて、魔法薬学の教室にたどり着いた。
授業を受けはじめたら時間が過ぎるのはあっという間で、見知らぬ魔法の知識は私の恐怖心を和らげるのに役立った。色んなことを考えたけど、結局、忘却術師を待たないと何も確かなことは言えない。
きっとそれなりの確率で私は消えるけど。
日曜日に私は私を自覚したのだから、たった一週間足らずの寿命ということになる。セミより短い。
その日の放課後、私はまた談話室で弟のクラウチ・ジュニアと話しをしていた。彼はしきりに私に何を覚えて居るのかと聞いてきて、何となく、私に錯乱の呪文をかけたのはきっと彼なんだろうと思った。
だってそうじゃないと、思春期の男の子が大して親しくない姉にわざわざ親切にするだろうか。みんな私のこれはただの忘却呪文だと思って、失恋を苦にした14歳の暴走だと思っている。友人もすっかりその体で、将来は忘却術師になれるんじゃないなんてからかっている。もし姉がそんなことをして周りに迷惑をかけていたら、普通に仲の良い兄弟だったとしても私なら避ける。
「もしかして、君がなにかしたの?私に」
「なんでそんなこと思うんだ?何もするわけないだろ僕が、あなたに」
彼は少し不機嫌そうに、早口でそう言った。
「うん、ごめんね」
もし本当に姉に錯乱の呪文やその類の何かをかけたのなら、そういうのはあんまりよくないと思うよと言ってあげたいけど、薄っぺらな私の言葉なんて耳にすら届かないだろう。
「覚えてることは本当になんにも無いよ。ごめんね、あなたの姉だった事も忘れちゃって」
「別にいいって言ってるだろうそれは。そもそも本物の兄弟じゃないんだ」
「うん。……え?どういうこと?」
「……あなたは養子だ、10歳の頃うちに来た、父が急に連れてきて、今日から養子にすると言いだしたんだ」
「……そうなの?」
あれあれ、ちょっと思っていたのと違う話になってきた。
「そうだ、だからあなたは僕にとって姉でもなんでもない、ただの他人だ」
「あーそうなんだ……じゃぁ良かった」
「何が?」
「私が記憶喪失になって悲しむ人なんて1人でも少ない方が良いでしょう?まぁ数日後には戻ってくると思うけどね」
でもそう、10歳で養子に。養子って、もっと幼い時にとるのが一般的かと思っていたが違うのだろうか。
「ねぇ、あなたのお父さん、なんで急に私を養子にしたのか知ってる?」
「知るわけないだろ。あの人はいつもそう、勝手に1人で決めるんだ」
「そっか」
クラウチ・ジュニアはだんだん苛立ちを隠すこともなく足を小刻みに揺らし、何も無い空間を睨みつけていた。
「とにかく、僕が聞きたかったのは何か覚えてることがないかってことだけ。無いならもう用はない」
なんだろうなぁ、彼の思考は。姉に錯乱の呪文をかけてしまってそれが思ったより大事になったから犯人が自分だとバレたくない、とか思っているのだろうか。
「うん、覚えてないよ何も」
「……じゃぁいい」
彼は乱暴に立ち上がって、靴音を鳴らして男子寮への階段を上って行った。私が何かを思い出した時、彼が犯人だと指をさされることにはなって欲しくないなと思った。ただでさえ父親との軋轢で将来道を誤ってしまう彼を、こんな幼いころから追い詰めたくはないと思うのは、大人として当然の思考だろう。
翌朝もまた同じように学生寮の天蓋に囲まれたベッドの上で目が覚めたけど、昨日のようにまたメイとサツキが歌い出すことは無かった。こうやって人は慣れるのかと、どこか他人事のようだった。
昨日と同じように同室の女の子と喋りながら服を着替え、手を借りながら教科書をカバンに詰め、今日は一限から授業に向かった。午前中は薬草学が一コマ、変身術が2コマ続き、特に変身術は計算が多く授業についていけなくて頭が疲れた。
ようやく喋りながら昼食をとっている時、スラグホーン先生がやってきて肩を叩いた。
「あぁいたいた、よかったサマンサ君。少し早いのだけど、忘却術師の人がもう来てくれたそうだ。さぁ、今から保健室にいこう。次の授業はなんだね?」
心臓がどきりと跳ねて返事ができず、口の中のものを飲み込むふりをした。
「呪文術です、先生」
「私がフリットウィック先生に言っとくよ!」
友人二人が声をあげて、良かったねと私の肩を叩いた。
「ありがとう、助かるよ」
スラグホーン先生が軽快に返事をした。
「またあのうるさいサマンサが戻ってくるなら、今の静かなサマンサの方が私は良いけどね」
友人のその冗談が、唯一“私”を肯定してくれていて、私は心からほほ笑んだ。
「ありがとう」
天井を見上げればそこにロウソクはなく、良く晴れたまばゆい昼間の空が広がっていた。大広間のロウソクは四六時中灯っているわけでは無いのか、折角の魔法の世界をもっとよく見ておけばよかったと少し後悔した。明日死ぬように生きろと、誰かの名言を思い出す。明日死ぬと本当にわかっていたなら、そりゃやれることはたくさんあったさと心の中で誰かに悪態をついた。
例えばセブルス・スネイプにキスをするとかね。
廊下を歩く自分の体が自分ではないみたいだった。保健室ではマダム・ポンフリーの他にもう1人、大人の魔女がいて、きっと彼女が忘却術師なんだろうと思った。
「緊張してるの?大丈夫よ」
彼女がわらう、マダム・ポンフリーもわらう。ここに座ってと言われてベッドに腰を掛ける。怖がらなくていい、リラックスしてねと言われて私は愛想笑いを浮かべる。スラグホーン先生に見守られながら、魔女の杖の先が私の額に触れる。そこだけ少し境目が曖昧になって、杖に私の体温が伝わっていくような不思議な感覚がする。
――消えたく、ないな。
どのくらいかかるものなんだろう、声を出してもいいのだろうか。ちらりと魔女の顔を見たが、彼女は目を閉じていたので、私も黙ったまま俯き、ただその時を待った。
しばらくして、魔女が「おかしいな」とぼそっと呟き目を開けた。つられるように私も目線をあげ、至近距離で彼女と目が合ったが、彼女は目ではないもっと奥の方を見ているようだった。杖先がさらに熱を持ち、先ほどより沢山の何かが出てきている気がした。
その何かは頭蓋骨を通り抜けて、脳みその皺を、クラゲの触手のように撫で回している。不死鳥の騎士団でハリー達が神秘部に乗り込むラストシーン、脳みそをたくさん保管した部屋があった。確かロンがあれに絡まれてなんかおかしくなるのだ。ハラハラする演出、不思議な小道具、やっぱりJ.K.ローリングの書く魔法界は不気味で楽しいなあと思った。映画ではカットされてた気がする、グロいからかな。
そう、人ってグロいんだよ、粘膜は湿ってぐちゃぐちゃしてるし、体液は水のように清らかではない。
私は油絵を描く。大学は美大の油絵科を卒業した。
油は水よりもずっと重たくドロドロとしていて、その生々しさが好きだった。たまに、筆を捨てて手のひらをパレットに押し付け、指で絵具を捏ねまわしたい衝動に駆られる。冷たくて、粘り気のあるその感触は、きっと私の体温を吸い取ってくれるだろう。
「……おかしいですね、これは忘却術じゃ無さそうです」
魔女が言った。
「忘却術じゃない?なら、錯乱の呪文とか……?」
スラグホーン先生が質問した。魔女の杖が私の額から離れ、私はようやく息を吸った。
「いや、うーん、それも違う……なんて言えばいいのかわかりませんが、どこも異常がないんです」
「異常がない?えー、それはどういう事ですかね?」
「つまり、この子は何もおかしいところはなく……まぁはっきり言えば全て覚えるんじゃないかと……」
「……そうなのかい?サマンサくん」
「いいえ、私、何も覚えてないんです、本当です……」
そう答えた自分の声が震えていて、正真正銘14歳の女の子の様だった。
「はぁ――――、サマンサ君、嘘は良くないよ。君のことは知っている、あー、君の、友人関係という意味だ。わかるよ、ショックだったろう、ブラック家にはキツく言っておこう、私もあの家とは親交が深いんだ」
「……はい」
「やっぱりそうなのかい……はぁ――全く……このことは親御さんにもしっかり伝えることになる、わかるかね?せっかく君を引き取ってくれたクラウチ氏をあまり困らせようというのはどうかと思うがね、私は」
「はい……」
「いやーすみませんね、パーソンさん!この子の虚言だったようで、こんな所まで迷惑をかけて」
「いえいえ、まぁそういうこともありますよ、先生も大変ですね。あんまり彼女を責めないで上げてください。ほらあなたも先生にちゃんと謝って……。色々あったんでしょう、わかるわ。昔はホグワーツの生徒だったんだもの。でも大人を巻き込んで面倒を起こすと、恥をかくのはあなただからね。いい勉強になったでしょう?」
「……はい」
少し熱の残った額に手を当てたら、自分の指先が氷のように冷たかった。
――忘却術でもない、錯乱の呪文でもない、それなら私はいったい何?
大人だけで話しが進んでいくのを眺めて、口を挟む気にもなれなかった。この忘却術師の魔女は、元の私と同い年くらいな気がする。そうか、子供から見た大人ってこんな感じだったな。もう少しちゃんと話しを聞いてあげたらいいのに、大人なんだから。
ああだめ、頭が混乱する。
私に何が起きているのか、これを読んでいるあなたにはわかりますか?