第2章
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毎日は矢のように通り過ぎて、授業を手際よく回すのは経験の浅い私には難しかった。各学年の授業要綱は一応、魔法省から定められたものがあるが、6年前に新設されたばかりの科目ということもあり現実的でない部分も多い。それをどうにかシラバスに組み込みながら、自分の絵も描かないといけない。先生はまた定期的にお題をだし、提出と講評を繰り返していた。未だに合格点は貰えない。
毎日気づいたら週末になって、結局土日まで仕事をしている。流石に気が滅入るなと思いながら、職員室でカレンダーを眺めた。
10月31日、ハロウィン。リリーとジェームズの命日。職員室でパイプを吸ってる人も多いので、私も遠慮なく自分の席のままタバコに火をつけた。
「ふぅ……」
「いっ、いつも大変そうですね」
「クィレル先生。いやぁ、なかなかまだ慣れなくて」
ははと愛想笑いを浮かべて返事をする。彼と関わるなと言われても、この狭い学校という場所で逃げ続けることも出来ない。
セブルスに忠告されたせいか、このクィレル先生がやけに不気味に思えてそのターバンをちらちら見てしまう。
「ハロウィンって習慣、ホグワーツで祝うのは不思議ですね。悪魔に連れていかれないように、魔女のフリをする日じゃないんですか?」
「えっあっ、はは、そうですね、確かに、考えたこともありませんでした」
「そうですか。まぁイギリスだと、定番の子供のイベントなんですよね、きっと」
日本のような大人のためのコスプレ祭りではないか。
「あっ、あの、また日本語の資料で、わからないところが、あって……手伝っていただけませんか?」
その言葉に、自分がなんて返事をしたのかよく覚えてないけど、なんとか断った気がする。とにかく忙しくて、人に構ってる時間など無かった。
数週間後のハロウィンの当日、大広間はまるでホーンテッドマンションのようだった。ゴーストが飛び交い、テーブルには胸焼けしそうなほど甘そうなお菓子が並ぶ。
ほとんど首なしニックがそのグロテスクな首をぐちゃぐちゃと見せびらかしていて、私は目を閉じて視線を外した。あまり進まないお肉を端に避けて、またフライドポテトばかり皿に乗せる。
隣から刺さる視線が痛い。野菜は嫌い。
「と、トロールだあ!」
突然、クィレル先生がそう言いながら大広間に入ってきて大袈裟に倒れた。咄嗟に数人の教授がクィレル先生に駆け寄り、混乱した生徒をとめる。
「なに?何事?」
「ここを動くな」
立ち上がろうとした私を、セブルスが腕を掴んでとめる。顔を見れば、険しい顔で倒れているクィレル先生を睨んでいた。
「静かに!!!」
ダンブルドアの一括に、思わず自分の肩が跳ねる。
「監督生諸君、ただちに各寮の生徒を先導して、それぞれの談話室へ連れて行くように」
ザワザワした生徒たちの中で、数人の上級生が動き出す。
「先生方は、私と一緒に地下牢へ来ていただきたい」
ダンブルドアが教員席を見て、セブルスを含めたほとんどが席を立った。
「気をつけてね……」
「トロールごとき脅威ではない。……そちらでは無い」
ポツリと彼が言った言葉の意味はわからなかったけど、邪魔になるだろうと思ったので深くは聞かなかった。どんどん人が出ていく大広間で、自分に出来ることを思いとりあえずクィレル先生に声をかける。
休めるところにと人の少ない別室まで肩を貸して、そこで1人ポツンと座りながら全体の行方を見守った。
「ねぇまってセブルス、これ絶対ちゃんとマダム・ポンフリーのとこ行った方がいいって、化膿して死ぬ、もしくは片足を失う」
「魔法薬で充分だと言ってるだろう、いいから薬を塗って包帯を巻け。やかましいな」
ハロウィンの騒動の後、何も出来ず自室に戻った。もう寝ようかと言う時セブルスに声をかけられて何かと思ったら足を怪我したから手当しろと言う。トロールと戦った時にでも負傷したのかなと思い気軽に引き受けたら、どう考えても救急車レベルの深いズタズタの傷が出てきて思わずお尻の穴がきゅっとすぼんだ。――とっても痛そうな傷を見るとそうなるのは私だけ?
一秒でも早く保健室に行ったらどうかと何度も言ったけど断られ、魔法薬で治せるから薬を塗って包帯を巻く作業だけやればいいと言う。なんてこったと思いながら、毎日甲斐甲斐しく世話を焼いている。
その日は職員室の誰もいないタイミングで包帯を変えろと言われたので、はいはいと二つ返事で足元にしゃがんだ。
「これトロール?」
「あんな愚鈍な生き物にやられるわけないだろう」
「じゃぁ何?どうしたの?」
「忌々しい。3つを一度に見ることなどできるか」
一体全体何なのかわからないが、説明する気もなさそうなので受け流そうとしたとき、突然、セブルスが私の後ろを見ながら「ポッター!」と怒鳴った。
その叫び声にハリー以上に私がびっくりしたに違いない。尻もちをついてついでに机の脚で後頭部をしたたか打った。
「本を返してもらえたらと思って……」
ハリーが震える声でそういって、私は頭をさすりながらセブルスの机の上を見た。『クィディッチ今昔』という本が置いてある。
「出て行け、失せろ!」
セブルスが相変わらず怒鳴るようにそう言うので、ハリーは本を受け取ることなく全力で走っていった。可哀想に。
「んもー、急に叫ばないでよ、びっくりするじゃん」
「あのガキが、いつでも首を突っ込んで余計なことばかり、傲慢で己の力量も知らない、目立ちたがりで世間知らずで無謀な間抜けが」
「ああ、トロールの時あの子も無茶したんだっけ?まぁ、父親譲りかもねそういうところ」
今にも殴り掛かりそうなセブルスにほとほと困りながら両手をあげた。昔からこんなに短気だっただろうか、短気だったかもしれない。
「……その手首はどうした」
ふとセブルスがまた急に落ち着いた声を出し、私の右腕に手を伸ばした。雑に、白い包帯が巻かれている。
「え?あぁこれ?ノコギリ掠っちゃって」
ハリーの登場でセブルスの包帯が半端に解けてしまった。上手く直せなくて、私はまた一から丁寧に巻き直す。
「それこそ保健室に行けばいいだろう、下手くそな包帯を巻いてないで」
「君に言われたくないよ。別に魔法じゃなくても治るものはいいかなと思って」
「……痕が残っても知らないぞ」
「そうだなぁ、お嫁に行けなくなったら貰ってくれる?」
「くだらん」
ふふ、と笑いながら包帯を最後まで巻き上げた。立ち上がり、何の気なしにデスクの上の『クィディッチ今昔』を手に取る。
「ねぇ……私って昔……ここの学生の時、この本読んでた?」
「いや、記憶にないが」
絶対に、どこかで見たことがあるのに、それをハッキリ思い出せない。サマンサだった時、同室の女の子はクィディッチ選手だった、本を目にしててもおかしくない。数年前の記憶を必死に辿っていると、頭の中がズキズキと痛み出して顔をしかめる。
今年に入って、もう毎日のようにこれだ。時間帯もバラバラで、原因がわからないのが怖い。最近は頻度も上がっている。
「頭痛か」
「いや、別に……」
「誤魔化すな」
「……うん」
セブルスの指が私の髪の毛を耳にかける。真剣な顔で見られると緊張するし、人に心配されるのは苦手。
「でも大丈夫だよ、ほんとに」
「どの程度痛みがある」
「まったく、ちょっとイライラするなってくらい」
笑いながら一歩下がって、自分のデスクに戻る。
「また人が来ちゃうよ」
セブルスは不満そうな顔をしたまま、自分のズボンの裾をなおした。
翌日の土曜日、絶好のクィディッチ日和という秋晴れだった。あのハリー・ポッターがまた1年なのに特例でシーカーとして出るというのが話題で、いつも以上に観客席は混雑していた。セブルスはスリザリンのミスに静かに悪態をついていて、なんだかんだ熱くなってるじゃないかと思って隣で小さく笑ったら睨まれた。
「……ねぇ、セブルス。ハリーが変」
「は?」
スリザリンのビーターが反則スレスレの行為を行い、皆がそれに注目していた時、私は小さくセブルスのローブの裾を引っ張った。セブルスは少し面倒くさそうにしてハリーを見て、すぐに杖を取り出した。
「……周りに呪文を唱えている奴がいないか確認しろ」
「どういうこと?」
私はてっきりハリーがまだホウキになれなくてただ落ちそうなだけだと思ったが、セブルスは違うようだった。ハリーのホウキは今は右に左に大きく動き、小さな体が振り落とされそうになっている。
今やもう全員が総立ちになって、前に前にと体を押しやるからろくに動くこともできない。グリフィンドールの他の選手も心配そうにハリーの周りを飛び回り、彼を助けようと四苦八苦している。
セブルスに言われた通りどうにか首を左右に捻るけど、彼の他に呪文を唱えてそうな人は見つけられない。
「なんか匂う……うわ!」
突然、私とセブルスの間で火があがっていた。私の垂れ下がっていたウールのマフラーに燃え移って、あっという間に青い火が顔面を目掛けてやってくる。
「……っ!」
目を逸らすことも出来ず暖かい火が顔を舐めそうになったところで、セブルスがマントで覆うように私を抱きしめた。途端に忽然と火が消えて、そのまま呆然と立ち尽くす。
「怪我は?」
「無い……と思う」
セブルスの声が上から聞こえて恐る恐る体を離し、足元を見た。マフラーの端が少し焦げている。
「燃えてた……よね?」
「……ああ」
「ハリーは?」
そう言いながらピッチに目を戻すと、ハリーはもうホウキに跨り迷いなく飛び始めた。
「良かった……」
ほっと息を吐きながら、私はまだセブルスのマントをキツく掴んだままでいた。怖い、何かがすごく怖い。ハッキリしないのに、まるで背後から何かが近づいてくるような漫然とした恐怖。
――だって私、こうなるの何となく知ってた。
そんなわけない、そんなはずないのに。
「……なまえ?」
「セブルス……ちょっとごめん、わたし部屋戻る……」
「また頭痛か?」
「ううん違う、高いところ酔っちゃって」
私は小さく首を振ってスタンド席の列を1段下がり、廊下をよろよろと歩いた。セブルスが不安そうな顔で私の名前をもう1度呼んだけど、大丈夫と笑って客席の裏を歩いた。
「ミ、ミス・みょうじ……ど、どうされましたか?」
暗闇から突然声をかけられて、びくりと体が跳ねる。鼓動が勝手に早くなって、ただの人だから落ち着けと自分に言い聞かせる。お化けじゃないのだから。
「いえ特に」
小さく笑って肩を竦め、自分と同じくらい顔色の悪いクィレル先生を見た。
「クィレル先生こそこんな所で、試合はご覧にならないんですか?」
「し、少々人に酔ってしまいまして……きゅ、休憩を」
「そうですか、私も同じです」
「こ、校舎に戻りますか?」
「ええ」
そのまま彼と一緒に、騒がしい観客席の階段を降りた。なんだか後ろを歩いているクィレル先生が怖くって、落ち着かなかった。
今年は去年と打って変わって暖かい冬だった。12月になりようやく雪が降り始め、フリットウィック先生がご機嫌で城を飾りつける。
「素敵なツリーですね」
「ああミス・みょうじ、あなたの絵も素敵です。生徒のデートスポットになってるみたいですよ」
「はは、まぁ若い女の子はこういう絵が好きですよね」
ホグワーツに飾られる油絵は、どれも古典画法ばかりの写実的なモチーフが多いから、少し気分を変えてグラフィック風のキラキラと輝く雪の妖精を描いた。
魔法の素材と、生徒達の手を借りて、私の絵の妖精もキラキラと楽しそうに飛び回っている。魔法はやっぱり凄いなぁと思うけど、これではただ動くだけだ。魔法の種類も根本的に違うし、あの創始者の4人の絵とは決定的に差がある。
そのままクリスマス休暇に入り、授業がなくなってほっと息をついた。時間があるうちに自分の絵を進めようと、またアトリエにこもりキャンバスと向き合うが、今度は上手く集中出来ない。
結局外にタバコを吸いに行ったり、道具を手入れしたり、座学の準備に気を取られたり、そんな事をしていたらあっという間に2週間の休暇が終わってしまった。
「ぜんっぜん時間足りない……」
「わざわざ人の部屋で愚痴るな、邪魔だ」
「友達の居ない可哀想な君のために、可愛い女の子がお部屋に来たんだよ?襲いなよ」
「さっさと出ていけ、今すぐに」
1月9日、水曜日。授業もある平日だけど、シャンパンを片手に部屋のドアをノックした。セブルスは私を見て盛大にため息をつき、勝手に1人で飲んでろとグラスをわざわざ1つだけ出した。
「スプラウト先生が美味しいって言ってた、これ」
「飲めばいいだろ勝手に」
「君に買ってきたんだよ、もう」
ソファに勝手に腰掛けて、だらしなく寝そべって目線を向ける。
「もう11時だよ、まだ仕事するの?病気だよ」
「邪魔をするだけなら帰れ」
「仕事終わったら教えてよ、乾杯くらいしよう」
「……別にいい」
顔すら上げてくれない彼を見てると、本当に迷惑だったかなと思う。流石にこの時間ならもういいだろうと、遅めの時間に来たのに。
「……わかったよ、じゃぁこれ置いてくから」
はぁとため息をつきながら席を立つ。なんだせっかく祝いにきたのに。いいけど、別に。
「……他には」
「なにが?」
ちょっと気分を害したまま、ぶっきらぼうに返事をした。
「別に、他に用事なんかないけど」
「シャンパンだけか」
「はあ?君ね、このシャンパンいくらしたと……」
セブルスがむっと機嫌悪そうにデスクに置いてあるヘレボルスの絵に視線を向けた。去年の誕生日に贈ったもの。
「……絵ってこと?」
「無いならいい」
「いや、あーいや、あるっちゃあるけど……」
……欲しい?
絵って沢山あっても飾る場所に困るし、捨てにくいし、求められてもないのに自分から描いてあげるのは抵抗がある。去年はお金が無かったからそうしたけど、今年は違うしと散々迷ってシャンパンを買った。消え物の方が後処理が楽だと思って。
「……ちょっと待ってて」
絵が欲しいならひとこと言ってよ、そう思いながらソファに放り投げた分厚いコートを羽織り直す。本当に渡す気はなかったんだけど、今年も同じサイズの小さなキャンバスに花の絵を描いた。アトリエで、もう絵の具も乾ききってるだろう。
静かに足を動かしながら、この時間に城を歩くの嫌だなぁと心の中でため息をつく。薄暗い廊下で、懐中電灯ひとつもなしに月明かりに目を凝らした。吐いた息も白くなるほど寒い、足音響く石造りの古城。昼間はあんなにも人の気配で溢れるのに、夜はまるで誰もいないかのよう。
単純に、怖い。
怖いのだ、なんだか最近、この城が。やっぱりセブルスに着いてきてと頼めば良かったと思いながら、自分の手をぎゅっと握りしめる。
でも最近、彼は本当に忙しそう。お荷物になりたくはない。
暗闇の向こうに何かが居て、目を擦ってからもう一度見ると先程には無かった影が見える。背後には誰もいないはずなのに、ずっと誰かがいる気がする。
姉がホラー映画が好きで、いつも夏にはリビングのテレビで見ていた。世にも奇妙な物語、本当にあった怖い話。どれも見たあとは絶対後悔する。トイレにも1人で行けなくなって、お風呂で頭を洗う時も目が閉じれなくて必死に片目を開けていた。
リング、呪怨、着信アリ、貞子……私が小学生くらいのとき、日本ホラー映画が盛り上がっていた気がする。くるーきっとくるーってみんな歌ってた。あとあれ、パラノーマル・アクティビティ。
「あぁやだ……」
思い出さなければ良いのに、曖昧にしたままにするのが怖くて一生懸命ストーリーを思い出す。特に私が苦手なのが、空っぽのエレベーターがチンと音を鳴らし、扉がゆっくりと開くシーン。中に箱がなくて、がらんどうの空洞があるだけ。主人公は必死に逃げようとするのに、何かに足を引っ張られて、その井戸のように暗い恐ろしい穴に落とされる。
あれはどの映画だったっけ、タイトルはなんだっけ。なんでそうなったんだっけ、あのシーンで人は死んだっけ。男だっけ女だっけ、落ちるだけだっけ、上から箱まで降ってくるんだっけ。
怖い、怖い、怖い。怖くてたまらない。なんでその城はこんなに暗いの。昼間みたいに明るくしてよ、魔法でしょう?せめてほら、松明でもかざすとか。
寒い。風が足元を通り抜けると、それが死の何かのように感じる。ゴーストではない、死の気配。
後ろが怖い、振り返れない。誰かがいる気がして早足になる。自分の足音の他に何か聞こえる気がする、追われてる気がする。気のせいに決まっているのに……。
「あの……」
緊張がピークに達していた瞬間、突然声をかけられて、ばっこんと心臓が出てきそうなほど驚いた。
「ひっ……!!!」
も、無理……泣きそ……。
「っ、キャーーーーーーーーーー!!!!」
途中からバチンと自分の口を両手で抑えて、やってしまったと半泣きになった。そこに居たのは、ただ怯えた顔をしたクィレル先生だった。
「ど、ど、どうかされましたか」
ふるふると首を横に振りながらずるずると座り込み、両手を冷たい廊下につく。肩で息をして、意味がわからなくて笑う。
なんてマヌケなのだろうか、頭の中で勝手にホラー映画を追体験し、職場をお化け屋敷に見立て1人で戦慄迷宮をかますとは。
案の定、数十秒もしたらバタバタと人が走ってくる音がして、パジャマ姿のマクゴナガル先生が駆け付けた。
「何事ですか!」
「あの……全く何もありません……ただ私が、クィレル先生に声かけられて驚いてしまって」
「は?驚いた?」
「……つい」
「……つい、叫んだと?」
「……はい」
はぁと特大のため息を貰って、全く立場がない。
「……こんな時間に、どこに行こうとしていたのですおふたりは。生徒ではありませんからね、厳しく管理するつもりはありませんが、夜間の不用意な外出は極力控えるようにしてください。それから騒音も!」
「はい、ごめんなさい」
「す、す、すみません……」
クィレル先生は完全にとばっちりだ。マクゴナガル先生がぷりぷりと怒ったまま踵を返し、私は改めてクィレル先生に謝った。
「本当にすみません、クィレル先生……」
「いっ、いえ、……あの、ここで何を?」
「ちょっと、古い方のアトリエに物を取りに来て……」
「ご、御一緒しましょうか?」
「え?」
「あ、足元、暗いでしょうから」
「あ、あぁ、はい」
とても有難い申し出ではあるのだけど、その差し伸べられた手を取るのが何故か怖い。
「あの……クィレル先生はここで何を?」
「あ、あぁ、少々探し物を……」
「探し物……」
ずっと手を無視する訳にも行かないで、恐る恐る自分の右手を重ねようとした時だった。
「何をしている」
「っ……、あぁ、セブルス……」
思わずほっと息を吐いて、照れ隠しに笑って立ち上がった。セブルスは睨むように私を見て、クィレル先生から離すように腕を強く引っ張った。
「探し物は、何を?」
「せっ、生徒に見せた、吸血鬼の牙を……」
セブルスがサッと杖を振ると、廊下の奥からもの何かがすごいスピードで飛んできて、彼の左手に収まった。
「どうぞ」
「あっ、あぁ、ありがとうございます、ははっ」
クィレル先生はその白い小さな石を握りしめ、逃げるように立ち去った。
「吸血鬼の牙……」
ちょっと見てみたいなと思ったら、セブルスに頭のてっぺんを拳で叩かれた。ゴッと鈍い音が聞こえて、一瞬で涙目になる。
「い、痛い……」
「3階の教室まで行くならなぜ声をかけない?バカか?」
「いや、だって……」
「だってもクソもない、このっ……」
セブルスはまるで言葉にならない罵詈雑言を飲み込むように息を吸い、大きくため息を吐いた。
「さっさと行くぞ」
「ごめん……」
手を掴まれて、それを必死で握り返す。早足で隣を歩き、3階の美術の教室を開く。4人の創始者の絵の横に、先生の自画像のうちの1枚がまだ飾ってある。
「なまえか、夜中も絵を描きにくるとは殊勝な心がけだ」
パイプを吸っていただけの先生がこちらを見る。
「いえ、ちょっと物を取りにきただけで……」
「ほう?別に構いはしない。ただ次、また前回のように腑抜けた絵を見せてみろ、お前を講師から降ろす」
「ごめんなさい、本当に……。次はまともな絵を描きます」
なんだかさっきから怒られてばかりだ。しゅんと肩を落としながら、アトリエの奥の、水仙の絵を手に取る。
「ごめん、特に額にも入れてないしそのままで」
何となく先生に聞こえないように小声で、セブルスにそれを手渡す。
「いや……今の話はなんだ」
「あぁ、怒られてたやつ?先週末に提出した絵、あんまり時間かけられなかったの。なんかバタバタしてたらあっという間に時間が経っちゃって……。昔見たことある絵を思い出しながら描いたら大激怒、すぐバレてめちゃくちゃ怒られた」
そう言いながらアトリエの隅の絵を指さす。
「あれ、あの右手がうねうねしてる人の絵」
「……お題は?」
「“Parasite”」
“Parasite”——寄生。そう、あの絵は完全に寄生獣。未来の漫画だし、どうせバレないと思って描いたらダメだった。
「はぁ、絵だけはちゃんとやろうと思ってたのになぁ」
自分のクズさにショックをうけつつ、先生の目を避けるように教室を後にした。最近本当に時間が無い、気づいたらもう夜になって、1日何をしていたかよく思い出せない。大したことを進められていないのに1日が終わっていて、おまけに体がだるい。
まぁなんでもいいかと頭を切り替えて、セブルスの手を握ったまま地下牢の階段を降りていく。情けなさが積み重なってフルコンボだよ、部屋に戻って一人で泣きたい。
「それじゃぁ、またね」
「部屋に戻るのか」
「うん。セブルス、まだ仕事残ってるんでしょう?邪魔してごめんね」
「別に、もう終わった」
嘘だろうなと思いながら小さく笑う。今日はあなたのための日なのに、祝いたいという私の気持ちを優先したことを反省する。
「……週末、改めて乾杯しよ?シャンパン冷やしといて」
セブルスが何かを言いかけたけど、そこに触れるだけのキスをした。
「誕生日おめでとう、セブルス。……それだけ言いたかったの」
セブルスが迷うように私の頬に手を添えて、首元を撫でた。それがくすぐったくて、手のひらが温かくて、優しくてほっとする。つい照れくさくなって笑って誤魔化せば、彼は何もしないで私をそっと抱きしめた。
「……良い夢を」
ありがとうをその言葉に置き換えるの、まるで愛してるを月の賛美に置き換えたアレみたいだね。
「……君もね」
なかなか離れがたくて、ドアの前でしばらくそうしていた。やっぱりクィレル先生の手を取らなくて良かった、正解はこっちだったと思った。
毎日気づいたら週末になって、結局土日まで仕事をしている。流石に気が滅入るなと思いながら、職員室でカレンダーを眺めた。
10月31日、ハロウィン。リリーとジェームズの命日。職員室でパイプを吸ってる人も多いので、私も遠慮なく自分の席のままタバコに火をつけた。
「ふぅ……」
「いっ、いつも大変そうですね」
「クィレル先生。いやぁ、なかなかまだ慣れなくて」
ははと愛想笑いを浮かべて返事をする。彼と関わるなと言われても、この狭い学校という場所で逃げ続けることも出来ない。
セブルスに忠告されたせいか、このクィレル先生がやけに不気味に思えてそのターバンをちらちら見てしまう。
「ハロウィンって習慣、ホグワーツで祝うのは不思議ですね。悪魔に連れていかれないように、魔女のフリをする日じゃないんですか?」
「えっあっ、はは、そうですね、確かに、考えたこともありませんでした」
「そうですか。まぁイギリスだと、定番の子供のイベントなんですよね、きっと」
日本のような大人のためのコスプレ祭りではないか。
「あっ、あの、また日本語の資料で、わからないところが、あって……手伝っていただけませんか?」
その言葉に、自分がなんて返事をしたのかよく覚えてないけど、なんとか断った気がする。とにかく忙しくて、人に構ってる時間など無かった。
数週間後のハロウィンの当日、大広間はまるでホーンテッドマンションのようだった。ゴーストが飛び交い、テーブルには胸焼けしそうなほど甘そうなお菓子が並ぶ。
ほとんど首なしニックがそのグロテスクな首をぐちゃぐちゃと見せびらかしていて、私は目を閉じて視線を外した。あまり進まないお肉を端に避けて、またフライドポテトばかり皿に乗せる。
隣から刺さる視線が痛い。野菜は嫌い。
「と、トロールだあ!」
突然、クィレル先生がそう言いながら大広間に入ってきて大袈裟に倒れた。咄嗟に数人の教授がクィレル先生に駆け寄り、混乱した生徒をとめる。
「なに?何事?」
「ここを動くな」
立ち上がろうとした私を、セブルスが腕を掴んでとめる。顔を見れば、険しい顔で倒れているクィレル先生を睨んでいた。
「静かに!!!」
ダンブルドアの一括に、思わず自分の肩が跳ねる。
「監督生諸君、ただちに各寮の生徒を先導して、それぞれの談話室へ連れて行くように」
ザワザワした生徒たちの中で、数人の上級生が動き出す。
「先生方は、私と一緒に地下牢へ来ていただきたい」
ダンブルドアが教員席を見て、セブルスを含めたほとんどが席を立った。
「気をつけてね……」
「トロールごとき脅威ではない。……そちらでは無い」
ポツリと彼が言った言葉の意味はわからなかったけど、邪魔になるだろうと思ったので深くは聞かなかった。どんどん人が出ていく大広間で、自分に出来ることを思いとりあえずクィレル先生に声をかける。
休めるところにと人の少ない別室まで肩を貸して、そこで1人ポツンと座りながら全体の行方を見守った。
「ねぇまってセブルス、これ絶対ちゃんとマダム・ポンフリーのとこ行った方がいいって、化膿して死ぬ、もしくは片足を失う」
「魔法薬で充分だと言ってるだろう、いいから薬を塗って包帯を巻け。やかましいな」
ハロウィンの騒動の後、何も出来ず自室に戻った。もう寝ようかと言う時セブルスに声をかけられて何かと思ったら足を怪我したから手当しろと言う。トロールと戦った時にでも負傷したのかなと思い気軽に引き受けたら、どう考えても救急車レベルの深いズタズタの傷が出てきて思わずお尻の穴がきゅっとすぼんだ。――とっても痛そうな傷を見るとそうなるのは私だけ?
一秒でも早く保健室に行ったらどうかと何度も言ったけど断られ、魔法薬で治せるから薬を塗って包帯を巻く作業だけやればいいと言う。なんてこったと思いながら、毎日甲斐甲斐しく世話を焼いている。
その日は職員室の誰もいないタイミングで包帯を変えろと言われたので、はいはいと二つ返事で足元にしゃがんだ。
「これトロール?」
「あんな愚鈍な生き物にやられるわけないだろう」
「じゃぁ何?どうしたの?」
「忌々しい。3つを一度に見ることなどできるか」
一体全体何なのかわからないが、説明する気もなさそうなので受け流そうとしたとき、突然、セブルスが私の後ろを見ながら「ポッター!」と怒鳴った。
その叫び声にハリー以上に私がびっくりしたに違いない。尻もちをついてついでに机の脚で後頭部をしたたか打った。
「本を返してもらえたらと思って……」
ハリーが震える声でそういって、私は頭をさすりながらセブルスの机の上を見た。『クィディッチ今昔』という本が置いてある。
「出て行け、失せろ!」
セブルスが相変わらず怒鳴るようにそう言うので、ハリーは本を受け取ることなく全力で走っていった。可哀想に。
「んもー、急に叫ばないでよ、びっくりするじゃん」
「あのガキが、いつでも首を突っ込んで余計なことばかり、傲慢で己の力量も知らない、目立ちたがりで世間知らずで無謀な間抜けが」
「ああ、トロールの時あの子も無茶したんだっけ?まぁ、父親譲りかもねそういうところ」
今にも殴り掛かりそうなセブルスにほとほと困りながら両手をあげた。昔からこんなに短気だっただろうか、短気だったかもしれない。
「……その手首はどうした」
ふとセブルスがまた急に落ち着いた声を出し、私の右腕に手を伸ばした。雑に、白い包帯が巻かれている。
「え?あぁこれ?ノコギリ掠っちゃって」
ハリーの登場でセブルスの包帯が半端に解けてしまった。上手く直せなくて、私はまた一から丁寧に巻き直す。
「それこそ保健室に行けばいいだろう、下手くそな包帯を巻いてないで」
「君に言われたくないよ。別に魔法じゃなくても治るものはいいかなと思って」
「……痕が残っても知らないぞ」
「そうだなぁ、お嫁に行けなくなったら貰ってくれる?」
「くだらん」
ふふ、と笑いながら包帯を最後まで巻き上げた。立ち上がり、何の気なしにデスクの上の『クィディッチ今昔』を手に取る。
「ねぇ……私って昔……ここの学生の時、この本読んでた?」
「いや、記憶にないが」
絶対に、どこかで見たことがあるのに、それをハッキリ思い出せない。サマンサだった時、同室の女の子はクィディッチ選手だった、本を目にしててもおかしくない。数年前の記憶を必死に辿っていると、頭の中がズキズキと痛み出して顔をしかめる。
今年に入って、もう毎日のようにこれだ。時間帯もバラバラで、原因がわからないのが怖い。最近は頻度も上がっている。
「頭痛か」
「いや、別に……」
「誤魔化すな」
「……うん」
セブルスの指が私の髪の毛を耳にかける。真剣な顔で見られると緊張するし、人に心配されるのは苦手。
「でも大丈夫だよ、ほんとに」
「どの程度痛みがある」
「まったく、ちょっとイライラするなってくらい」
笑いながら一歩下がって、自分のデスクに戻る。
「また人が来ちゃうよ」
セブルスは不満そうな顔をしたまま、自分のズボンの裾をなおした。
翌日の土曜日、絶好のクィディッチ日和という秋晴れだった。あのハリー・ポッターがまた1年なのに特例でシーカーとして出るというのが話題で、いつも以上に観客席は混雑していた。セブルスはスリザリンのミスに静かに悪態をついていて、なんだかんだ熱くなってるじゃないかと思って隣で小さく笑ったら睨まれた。
「……ねぇ、セブルス。ハリーが変」
「は?」
スリザリンのビーターが反則スレスレの行為を行い、皆がそれに注目していた時、私は小さくセブルスのローブの裾を引っ張った。セブルスは少し面倒くさそうにしてハリーを見て、すぐに杖を取り出した。
「……周りに呪文を唱えている奴がいないか確認しろ」
「どういうこと?」
私はてっきりハリーがまだホウキになれなくてただ落ちそうなだけだと思ったが、セブルスは違うようだった。ハリーのホウキは今は右に左に大きく動き、小さな体が振り落とされそうになっている。
今やもう全員が総立ちになって、前に前にと体を押しやるからろくに動くこともできない。グリフィンドールの他の選手も心配そうにハリーの周りを飛び回り、彼を助けようと四苦八苦している。
セブルスに言われた通りどうにか首を左右に捻るけど、彼の他に呪文を唱えてそうな人は見つけられない。
「なんか匂う……うわ!」
突然、私とセブルスの間で火があがっていた。私の垂れ下がっていたウールのマフラーに燃え移って、あっという間に青い火が顔面を目掛けてやってくる。
「……っ!」
目を逸らすことも出来ず暖かい火が顔を舐めそうになったところで、セブルスがマントで覆うように私を抱きしめた。途端に忽然と火が消えて、そのまま呆然と立ち尽くす。
「怪我は?」
「無い……と思う」
セブルスの声が上から聞こえて恐る恐る体を離し、足元を見た。マフラーの端が少し焦げている。
「燃えてた……よね?」
「……ああ」
「ハリーは?」
そう言いながらピッチに目を戻すと、ハリーはもうホウキに跨り迷いなく飛び始めた。
「良かった……」
ほっと息を吐きながら、私はまだセブルスのマントをキツく掴んだままでいた。怖い、何かがすごく怖い。ハッキリしないのに、まるで背後から何かが近づいてくるような漫然とした恐怖。
――だって私、こうなるの何となく知ってた。
そんなわけない、そんなはずないのに。
「……なまえ?」
「セブルス……ちょっとごめん、わたし部屋戻る……」
「また頭痛か?」
「ううん違う、高いところ酔っちゃって」
私は小さく首を振ってスタンド席の列を1段下がり、廊下をよろよろと歩いた。セブルスが不安そうな顔で私の名前をもう1度呼んだけど、大丈夫と笑って客席の裏を歩いた。
「ミ、ミス・みょうじ……ど、どうされましたか?」
暗闇から突然声をかけられて、びくりと体が跳ねる。鼓動が勝手に早くなって、ただの人だから落ち着けと自分に言い聞かせる。お化けじゃないのだから。
「いえ特に」
小さく笑って肩を竦め、自分と同じくらい顔色の悪いクィレル先生を見た。
「クィレル先生こそこんな所で、試合はご覧にならないんですか?」
「し、少々人に酔ってしまいまして……きゅ、休憩を」
「そうですか、私も同じです」
「こ、校舎に戻りますか?」
「ええ」
そのまま彼と一緒に、騒がしい観客席の階段を降りた。なんだか後ろを歩いているクィレル先生が怖くって、落ち着かなかった。
今年は去年と打って変わって暖かい冬だった。12月になりようやく雪が降り始め、フリットウィック先生がご機嫌で城を飾りつける。
「素敵なツリーですね」
「ああミス・みょうじ、あなたの絵も素敵です。生徒のデートスポットになってるみたいですよ」
「はは、まぁ若い女の子はこういう絵が好きですよね」
ホグワーツに飾られる油絵は、どれも古典画法ばかりの写実的なモチーフが多いから、少し気分を変えてグラフィック風のキラキラと輝く雪の妖精を描いた。
魔法の素材と、生徒達の手を借りて、私の絵の妖精もキラキラと楽しそうに飛び回っている。魔法はやっぱり凄いなぁと思うけど、これではただ動くだけだ。魔法の種類も根本的に違うし、あの創始者の4人の絵とは決定的に差がある。
そのままクリスマス休暇に入り、授業がなくなってほっと息をついた。時間があるうちに自分の絵を進めようと、またアトリエにこもりキャンバスと向き合うが、今度は上手く集中出来ない。
結局外にタバコを吸いに行ったり、道具を手入れしたり、座学の準備に気を取られたり、そんな事をしていたらあっという間に2週間の休暇が終わってしまった。
「ぜんっぜん時間足りない……」
「わざわざ人の部屋で愚痴るな、邪魔だ」
「友達の居ない可哀想な君のために、可愛い女の子がお部屋に来たんだよ?襲いなよ」
「さっさと出ていけ、今すぐに」
1月9日、水曜日。授業もある平日だけど、シャンパンを片手に部屋のドアをノックした。セブルスは私を見て盛大にため息をつき、勝手に1人で飲んでろとグラスをわざわざ1つだけ出した。
「スプラウト先生が美味しいって言ってた、これ」
「飲めばいいだろ勝手に」
「君に買ってきたんだよ、もう」
ソファに勝手に腰掛けて、だらしなく寝そべって目線を向ける。
「もう11時だよ、まだ仕事するの?病気だよ」
「邪魔をするだけなら帰れ」
「仕事終わったら教えてよ、乾杯くらいしよう」
「……別にいい」
顔すら上げてくれない彼を見てると、本当に迷惑だったかなと思う。流石にこの時間ならもういいだろうと、遅めの時間に来たのに。
「……わかったよ、じゃぁこれ置いてくから」
はぁとため息をつきながら席を立つ。なんだせっかく祝いにきたのに。いいけど、別に。
「……他には」
「なにが?」
ちょっと気分を害したまま、ぶっきらぼうに返事をした。
「別に、他に用事なんかないけど」
「シャンパンだけか」
「はあ?君ね、このシャンパンいくらしたと……」
セブルスがむっと機嫌悪そうにデスクに置いてあるヘレボルスの絵に視線を向けた。去年の誕生日に贈ったもの。
「……絵ってこと?」
「無いならいい」
「いや、あーいや、あるっちゃあるけど……」
……欲しい?
絵って沢山あっても飾る場所に困るし、捨てにくいし、求められてもないのに自分から描いてあげるのは抵抗がある。去年はお金が無かったからそうしたけど、今年は違うしと散々迷ってシャンパンを買った。消え物の方が後処理が楽だと思って。
「……ちょっと待ってて」
絵が欲しいならひとこと言ってよ、そう思いながらソファに放り投げた分厚いコートを羽織り直す。本当に渡す気はなかったんだけど、今年も同じサイズの小さなキャンバスに花の絵を描いた。アトリエで、もう絵の具も乾ききってるだろう。
静かに足を動かしながら、この時間に城を歩くの嫌だなぁと心の中でため息をつく。薄暗い廊下で、懐中電灯ひとつもなしに月明かりに目を凝らした。吐いた息も白くなるほど寒い、足音響く石造りの古城。昼間はあんなにも人の気配で溢れるのに、夜はまるで誰もいないかのよう。
単純に、怖い。
怖いのだ、なんだか最近、この城が。やっぱりセブルスに着いてきてと頼めば良かったと思いながら、自分の手をぎゅっと握りしめる。
でも最近、彼は本当に忙しそう。お荷物になりたくはない。
暗闇の向こうに何かが居て、目を擦ってからもう一度見ると先程には無かった影が見える。背後には誰もいないはずなのに、ずっと誰かがいる気がする。
姉がホラー映画が好きで、いつも夏にはリビングのテレビで見ていた。世にも奇妙な物語、本当にあった怖い話。どれも見たあとは絶対後悔する。トイレにも1人で行けなくなって、お風呂で頭を洗う時も目が閉じれなくて必死に片目を開けていた。
リング、呪怨、着信アリ、貞子……私が小学生くらいのとき、日本ホラー映画が盛り上がっていた気がする。くるーきっとくるーってみんな歌ってた。あとあれ、パラノーマル・アクティビティ。
「あぁやだ……」
思い出さなければ良いのに、曖昧にしたままにするのが怖くて一生懸命ストーリーを思い出す。特に私が苦手なのが、空っぽのエレベーターがチンと音を鳴らし、扉がゆっくりと開くシーン。中に箱がなくて、がらんどうの空洞があるだけ。主人公は必死に逃げようとするのに、何かに足を引っ張られて、その井戸のように暗い恐ろしい穴に落とされる。
あれはどの映画だったっけ、タイトルはなんだっけ。なんでそうなったんだっけ、あのシーンで人は死んだっけ。男だっけ女だっけ、落ちるだけだっけ、上から箱まで降ってくるんだっけ。
怖い、怖い、怖い。怖くてたまらない。なんでその城はこんなに暗いの。昼間みたいに明るくしてよ、魔法でしょう?せめてほら、松明でもかざすとか。
寒い。風が足元を通り抜けると、それが死の何かのように感じる。ゴーストではない、死の気配。
後ろが怖い、振り返れない。誰かがいる気がして早足になる。自分の足音の他に何か聞こえる気がする、追われてる気がする。気のせいに決まっているのに……。
「あの……」
緊張がピークに達していた瞬間、突然声をかけられて、ばっこんと心臓が出てきそうなほど驚いた。
「ひっ……!!!」
も、無理……泣きそ……。
「っ、キャーーーーーーーーーー!!!!」
途中からバチンと自分の口を両手で抑えて、やってしまったと半泣きになった。そこに居たのは、ただ怯えた顔をしたクィレル先生だった。
「ど、ど、どうかされましたか」
ふるふると首を横に振りながらずるずると座り込み、両手を冷たい廊下につく。肩で息をして、意味がわからなくて笑う。
なんてマヌケなのだろうか、頭の中で勝手にホラー映画を追体験し、職場をお化け屋敷に見立て1人で戦慄迷宮をかますとは。
案の定、数十秒もしたらバタバタと人が走ってくる音がして、パジャマ姿のマクゴナガル先生が駆け付けた。
「何事ですか!」
「あの……全く何もありません……ただ私が、クィレル先生に声かけられて驚いてしまって」
「は?驚いた?」
「……つい」
「……つい、叫んだと?」
「……はい」
はぁと特大のため息を貰って、全く立場がない。
「……こんな時間に、どこに行こうとしていたのですおふたりは。生徒ではありませんからね、厳しく管理するつもりはありませんが、夜間の不用意な外出は極力控えるようにしてください。それから騒音も!」
「はい、ごめんなさい」
「す、す、すみません……」
クィレル先生は完全にとばっちりだ。マクゴナガル先生がぷりぷりと怒ったまま踵を返し、私は改めてクィレル先生に謝った。
「本当にすみません、クィレル先生……」
「いっ、いえ、……あの、ここで何を?」
「ちょっと、古い方のアトリエに物を取りに来て……」
「ご、御一緒しましょうか?」
「え?」
「あ、足元、暗いでしょうから」
「あ、あぁ、はい」
とても有難い申し出ではあるのだけど、その差し伸べられた手を取るのが何故か怖い。
「あの……クィレル先生はここで何を?」
「あ、あぁ、少々探し物を……」
「探し物……」
ずっと手を無視する訳にも行かないで、恐る恐る自分の右手を重ねようとした時だった。
「何をしている」
「っ……、あぁ、セブルス……」
思わずほっと息を吐いて、照れ隠しに笑って立ち上がった。セブルスは睨むように私を見て、クィレル先生から離すように腕を強く引っ張った。
「探し物は、何を?」
「せっ、生徒に見せた、吸血鬼の牙を……」
セブルスがサッと杖を振ると、廊下の奥からもの何かがすごいスピードで飛んできて、彼の左手に収まった。
「どうぞ」
「あっ、あぁ、ありがとうございます、ははっ」
クィレル先生はその白い小さな石を握りしめ、逃げるように立ち去った。
「吸血鬼の牙……」
ちょっと見てみたいなと思ったら、セブルスに頭のてっぺんを拳で叩かれた。ゴッと鈍い音が聞こえて、一瞬で涙目になる。
「い、痛い……」
「3階の教室まで行くならなぜ声をかけない?バカか?」
「いや、だって……」
「だってもクソもない、このっ……」
セブルスはまるで言葉にならない罵詈雑言を飲み込むように息を吸い、大きくため息を吐いた。
「さっさと行くぞ」
「ごめん……」
手を掴まれて、それを必死で握り返す。早足で隣を歩き、3階の美術の教室を開く。4人の創始者の絵の横に、先生の自画像のうちの1枚がまだ飾ってある。
「なまえか、夜中も絵を描きにくるとは殊勝な心がけだ」
パイプを吸っていただけの先生がこちらを見る。
「いえ、ちょっと物を取りにきただけで……」
「ほう?別に構いはしない。ただ次、また前回のように腑抜けた絵を見せてみろ、お前を講師から降ろす」
「ごめんなさい、本当に……。次はまともな絵を描きます」
なんだかさっきから怒られてばかりだ。しゅんと肩を落としながら、アトリエの奥の、水仙の絵を手に取る。
「ごめん、特に額にも入れてないしそのままで」
何となく先生に聞こえないように小声で、セブルスにそれを手渡す。
「いや……今の話はなんだ」
「あぁ、怒られてたやつ?先週末に提出した絵、あんまり時間かけられなかったの。なんかバタバタしてたらあっという間に時間が経っちゃって……。昔見たことある絵を思い出しながら描いたら大激怒、すぐバレてめちゃくちゃ怒られた」
そう言いながらアトリエの隅の絵を指さす。
「あれ、あの右手がうねうねしてる人の絵」
「……お題は?」
「“Parasite”」
“Parasite”——寄生。そう、あの絵は完全に寄生獣。未来の漫画だし、どうせバレないと思って描いたらダメだった。
「はぁ、絵だけはちゃんとやろうと思ってたのになぁ」
自分のクズさにショックをうけつつ、先生の目を避けるように教室を後にした。最近本当に時間が無い、気づいたらもう夜になって、1日何をしていたかよく思い出せない。大したことを進められていないのに1日が終わっていて、おまけに体がだるい。
まぁなんでもいいかと頭を切り替えて、セブルスの手を握ったまま地下牢の階段を降りていく。情けなさが積み重なってフルコンボだよ、部屋に戻って一人で泣きたい。
「それじゃぁ、またね」
「部屋に戻るのか」
「うん。セブルス、まだ仕事残ってるんでしょう?邪魔してごめんね」
「別に、もう終わった」
嘘だろうなと思いながら小さく笑う。今日はあなたのための日なのに、祝いたいという私の気持ちを優先したことを反省する。
「……週末、改めて乾杯しよ?シャンパン冷やしといて」
セブルスが何かを言いかけたけど、そこに触れるだけのキスをした。
「誕生日おめでとう、セブルス。……それだけ言いたかったの」
セブルスが迷うように私の頬に手を添えて、首元を撫でた。それがくすぐったくて、手のひらが温かくて、優しくてほっとする。つい照れくさくなって笑って誤魔化せば、彼は何もしないで私をそっと抱きしめた。
「……良い夢を」
ありがとうをその言葉に置き換えるの、まるで愛してるを月の賛美に置き換えたアレみたいだね。
「……君もね」
なかなか離れがたくて、ドアの前でしばらくそうしていた。やっぱりクィレル先生の手を取らなくて良かった、正解はこっちだったと思った。