第2章
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「も……むり、お願い……」
「まだだ」
「ほんとに、無理なのっ、セブルス……!」
「お前から言い出したことだろう?」
「そうっ、そうだけど……っ、も、だめ、これ以上は、死ぬっ」
「こんなことで死ぬ人間がいるか、こんな――」
セブルスがフンと鼻で笑いながらゆったりとソファで足を組みかえる。
「――空気椅子ごときで」
事の発端は1時間ほど前、私が運動不足を魔法で解消出来ないのかと言い始めたところ。
2ヶ月の長期休暇、私はまたスピナーズ・エンドのセブルスの家に帰ってきた。とりあえず荷物もあるのでと家に来て、片付けるまでと言いながらずるずると居座っている。セブルスは出て行けと言わないし、あの彼がそう言わないということは居てもいいということなんだろう。
ホグワーツ城は何かと階段が多いから、毎日それなりに運動していた。最近は寝てばかりでお腹にお肉が付いた気もするし、そういうの魔法でぱっとどうにか出来ないのかと言ったのだ。
EMS、電気を通して寝てるだけみたいな、あんなイメージだったのに、まさかこんな原始的な空気椅子を強制されるなんて思わないじゃないか。
魔法で姿勢を固定され、でもどこかに座っているわけではないから力は抜けない。多分、このまま諦めたらこのへっぴり腰のままごろんと手もつけずに真後ろに転がる。この男は最後には許してくれるような優しさを持ち合わせていないので、絶対床に転がしたまま笑う。そのくらいは分かってきた。
「あと30秒だ」
「むり……ほんとに……許して……お願い……」
もう二度と安易な魔法のリクエストはしない、痩せ薬とか言わなくて良かったと真剣に息を飲む。残りの30秒を、気合いで踏ん張った。
「もーほんとに無理……三日は歩けない」
「やればできるではないか」
セブルスの隣でソファにだらしなく腰掛けて、スリッパを脱いでニタニタと笑う隣人を蹴った。
「……やめろ」
「足パンパン、揉んで」
もちろん、今度は痣ができるほど力づくで揉まれた。
たまにこうして恋人のようにキャッキャとはしゃいで居たけれど、基本的には日中お互いに部屋にこもり、食事の時間も合わない事が多かった。彼は彼で多分調薬のタイミングがあるし、私は私でそもそも規則正しい生活というものが苦手だ。
それでも何となく夕飯の時間は合わせて、合わない時は食べてるところを見ながらお酒を飲んで中身のない会話をした。
「その何にでもソーダを合わせて飲む飲み方はなんだ?品がない」
「ハイボールだよ、ウィスキーとソーダ。日本文化だね」
「それもか?」
「赤ワインとソーダ?これはまぁ、酒クズ」
金曜日から日曜日の週末だけ、私はまた以前の場所で絵を売っている。ここは私がマグルとして生きる唯一の場所だし、去年買ってくれた人がまた来てたりもした。
顧客というほどではないけど、ファンが付くとやっぱりうれしい。これがネットだといいねや評価の数で勝手にへこむけど、アナログならその必要はない。
その日は7月も終わりかけ、とても暑い日だった。私は食卓に5種類ほどの花を一輪ずつ並べて、それぞれイメージを膨らませながら絵を描いていた。
初夏の花、ユリを描くときはやっぱり少し手が止まる。スプラウト先生から、例のあの人とポッター家――リリーのことを聞いた。来年、その生き残った一人息子がホグワーツに入学する予定らしい。特別に気にすることはないけれど、このイギリスの魔法界では誰もが知っている話だから、あなたも耳に入れておいた方がいいと。
自室から出てきたセブルスが、食卓に並ぶ花を見て足を止めた。
「……スプラウト先生から聞いた、リリーのこと」
「……そうか」
リリーもジェームズも、例のあの人に対抗し戦った勇敢で素晴らしい人物だったと言っていた。リリーがジェームズと結婚したことには驚いたけど、きっとそういうのが理由だったんだと思う。リリーらしいけど、出来ればそんなこと人に任せてあの子には生きていて欲しかった。
ほんの少し、セブルスがその時何をしていたのか気になったがそれは聞かないでおいた。あのときのあのスリザリン寮の中で、その流れに1人抗うことが出来たとしたらそれこそ真の勇者だ。
パレットの上で赤に緑を混ぜる。1対1で混ぜればそれは濁った茶色になる。色相環で真反対に位置するこの2色は捕色、互いの鮮やかさを消しあって深みのある影の色になる。
ふと窓の外から人の声が聞こえて手を止めた。子供、それから親が何かを窘めるような声。こんな場所で珍しいなと思い、窓の外を見ているセブルスの隣に並ぶ。
「なんでこんな場所に……早く行きましょうあなた、気味が悪い」
母親らしき人物の少し甲高い声が、静かな通りに響いてここまで届く。
「わかってる、さっさと行くぞ小僧」
「あっ……」
「とろいぞポッター!さっさとしろ!」
「声が大きいぞダドリー」
道路にメガネを落としてしまった、小さな男の子が足を止める。もう1人の体の大きな男の子が少年の腕を無理に引っ張り、少年はよろけながら立ち上がる。その一瞬、彼と目が合った気がした。
疲れきって怯えた目、サイズの合わない不格好な服、小枝のように貧相な手足、顔にかかる黒い髪。
似てる。
「あの子――」
もしかしてハリー・ポッター……?確認するように微かに面影の残るペチュニアの顔を見ていると、頭ががんがんと痛くなってきた。
――カワイソウだなと思ってた。劣等感を抱いていたイモウトの子供を、テガミひとつで押し付けられることになって、さもアクヤクのように描かれて、アンナコトにもマき込まれつつ、なんだかんだサイゴまで面倒見るんだから。
ねぇ、これ、誰の思考?
はっきりしない、ただとても気になる。手に刺さってしまった棘のように、痛いけど、これをどうにかしないと多分ずっと痛い。
「……っ」
ペチュニア、ペチュニア・エバンス。あの日、リリーの後ろに立っていた女の子。恨めしい顔で私を睨み、爪を噛んでいた。
リリーは何で死んだの?例のあの人に殺されたから。なんで殺されたの?例のあの人に対抗したから。子供はなんでペチュニアが育ててるの?それが彼に残された唯一の親族だから。そうしないと――の――が使えないから。リリーが――――した、――――から。
「ぁ……っ、ぅ……」
頭が痛い、頭の中に何かある。
それを取り出したいから、私は髪の毛を引っ張る。神経に繋がる、ナニカをずるりと取り出してしまいたい。
なんでリリーが死んだかって?――――が、――――を、――――に伝えたからだよ。————を自らの手で殺めたようなもの、――は悲痛に暮れた。
これから大変だよね、――は何もしなかったから、――――が起きちゃうね。でもしょうがないんだよ、今までもこの先も全部、これは――のせいだ。
「なまえ、なまえ!」
「ぅ、……っ」
私の肩を掴むセブルスの手を突き飛ばすように払いのけ、空っぽの胃から胃液を吐き出した。
痛い、頭が痛い、痛すぎて拒絶している。痛みの閾値に限界がない、どんどんと上り続けて、呼吸なんてとっくに出来なくなった。いっそ意識を失いたいと思うのに、痛すぎてそれも出来ない。
目の奥が焼けそうに熱い、目を引っ張り出したい。
躊躇なく眼球にめり込ませた指を誰かに掴まれて、黒と目が合った。その瞬間、世界がぐるんと回った。
次に目を覚ますと、私は自分のベッドで寝ていた。窓の外はもう暗くて、時計は夜中の2時を指している。服もいつの間にか寝巻きになっていて、頭はすっきりと軽い。ベッドサイドのスリッパを履いて、水を飲もうとドアを開けた。
「あ、セブルス」
まだ起きてたの?そう思いながら苦笑いする。
「ごめん、なんか迷惑かけて」
「体調はどうだ」
「うん、もう何ともない」
死人のような顔をして、真っ暗なリビングで1人座ったままの君の方が、よっぽど具合が悪そうだ。
冷蔵庫から500mlの水を取り出して、ペットボトルのまま口をつける。
「いやーほんと、床も汚してごめん」
「そんなことはどうでもいい」
食卓の椅子をひいて、よっこいしょと腰掛ける。頬杖をついて、顔を見ながら笑った。ねぇもう夜中の2時だよ?君、あれからずっとこうしてたの?
「……大丈夫だよ、ほんとに。あれじゃない?何度もタイムトリップしてるから、脳みそが限界なのかな?」
「お前のそれは、単なる時間の移動では無い。……世界だ」
「世界?」
なんでそんなことが分かるのか、何となくきっと、そうなんだろう。だって私は他のどこでもない君の前に姿を現して、それから君はまるで当然のように私を家に置いた。
金銭を要求することも、労働や肉体を求めることもなく、何も言わずに。私がここに居ることに、セブルスが関わっていることは明白だ。
そして今、まるで罪を告白するように目を閉じて、こんな暗い部屋で頭を抱えている。
「……ねぇセブルス、今日は一緒に寝ようか」
彼はゆっくりと目を開けて私を見て、何かを言おうと唇を動かしたけど、結局何も言わなかった。
狭いシングルベッドの両端で、お互いに背中を向けてゆっくり眠る。君の健康と幸福を——そう祈った日を思い出した。
ホグワーツ城に戻り、いよいよ1年が始まる。去年は3ヶ月ほどしか居なかったうえに、臨時講師の立場から前任のシラバスを引き継いで居たので、あまり講師らしいことをしなかった。今日この日からが、ようやく自分の初仕事という気がする。
大広間に在校生が集まり、最後に新1年生がやってくる。1人づつ名前を呼ばれて、組み分け帽子を頭に乗せる。
「ねぇねぇ、あれ、私が被ったらどの寮になると思う?」
「君は黙って見ていられないのか」
そう返事をしたのは当然セブルスだが、その奥に居る男性もこちらを向いた。
「あっ、あっ、あなたはホグワーツの学生ではなかったのですか?」
「あっ、はいそうなんですよ」
彼と話しているとついこのどもりに釣られてしまう。今年のDADAの担当、クィリナス・クィレル。今年のなんて言うと失礼だけど、この科目は毎年1年で講師が変わるのは有名だ。
クィレル先生は以前からホグワーツの教員で、一昨年まではマグル学の担当だったらしい。去年1年間休暇を取り、今年DADAの担任として戻ってきた。どうかマグルに理解ある人であることを願う。
――ハーマイオニー・グレンジャー…………グリフィンドール
――ネビル・ロングボトム…………グリフィンドール
――ドラコ・マルフォイ……スリザリン
頭がちくちくと痛むけど、なんでもない振りをした。
――ハリー・ポッター……………………グリフィンドール
ひときわ大きい、割れるような歓声が大広間を包む。耳を塞ぐフリをして、こめかみを強く押した。
「……痛むのか」
「ううん、痒かっただけ」
隙間から触れるような小さな声に、同じくらい小さな声で返した。
――ロン・ウィーズリー……グリフィンドール
きっとまた、チャーリーの兄弟だね。彼は無事に、夢だったドラゴン使いに就職したと丁寧に手紙で報告してくれた。そんなことを思い出して、積み上げた確かな日常に少しほっとする。
それにしても、ハリーはほんとに見た目がジェームズそっくりだ。セブルスは面白くないだろうな思いながら、もじゃもじゃの黒髪を見つめた。一瞬、彼がこちらを見て目が合った気がするけど、直ぐに額を抑えて顔を逸らしてしまった。目にゴミでも入ったかと、些細なことが心配になった。
「あっ、ごめんなさい」
「ううん、こちらこそごめん、怪我はない?」
今年、3階の右側の廊下には生徒を近づけてはいけない。理由は言われなかったけど、ダンブルドアが教員にそう指示を出した。美術の教室はこのフロアにあったので、一時的に場所を移すことになりちょっとした大移動だった。何にせよ、芸術という分野は道具が多い。
あらかたは他の先生にも手伝ってもらいながら初日に移したが、追加で足りないものがあって、今日はイーゼルを2つ両脇に抱えて歩いていた。
ぶつけて転ばしてしまった男子生徒のため、イーゼルを廊下の脇に置き手を差し伸べる。
「……大丈夫?」
一瞬言葉を飲み込んだのは、彼の目がリリーにそっくりだったから。
「すみません……」
ぶつけてしまったのは私なのに、その少年は必要以上に謝った。足元に転がってきた彼のメガネを拾い、私は思わず顔をしかめる。
「ごめん、レンズにヒビ入っちゃった」
硬い石の床は、メガネと相性が悪い。
「ごめんねー、私、魔法使えないんだよ。誰かに直して貰えないかな」
「えっ?あっ、はい……」
一瞬驚いた少年が、慌てたように動揺を隠す。
「私ね、マグルなの。美術の講師をしてる、なまえ・みょうじよ。教授じゃないからプロフェッサーは要らない、気軽になまえって呼んで」
「そうなんですか……。あの、僕、ハリーです。ハリー・ポッター」
「うん、いい名前だね」
名前を考えたのはどっちだろう。何となく、リリーかなと思った。ジェームズはもっと、かっこよく気取った名前を選びそう。
「そう……ですかね」
「そう思うよ。皆が呼びやすくて、親しみがあって、きっとそうやって友達がたくさん出来るようにとか思ったんじゃないかな?」
リリーならきっと、そう言いそうな気がした。
「僕……そんなこと初めて言われました」
「そう?まぁそっか、君も色々ありそうだもんね」
ペチュニアはあまりいい養母をしたわけでは無さそうだったし、君の名前はこの魔法界できっととても大きな意味を持つ。ただのハリーとは扱って貰えないかもしれない。
「学校、少し慣れた?」
「あの、はい、少し」
「楽しい?」
「はい、楽しいです」
「どの授業が好き?」
「えっと、ホウキの授業はその、面白かったです」
あぁ、そう言えばジェームズはクィディッチのシーカーだったな。
「そうなんだ、君はホウキに乗るセンスありそうだね」
「あの、えっと、はい……」
褒め言葉を素直に受け取っていいものか、11歳の男の子は照れくさそうに頭を搔く。
「逆にどの授業が苦手?」
「あー、魔法薬学が、ちょっと……スネイプ教授が怖くて」
「あはっ!」
つい、思いっきり吹き出してしまった。思わず口元を抑えてごめんねと笑う。私が笑うのを見て、彼は少し緊張をほぐした。
「スネイプ教授ねー、確かにふふっ、怖いよね」
「なんだか僕、いつも睨まれてる気がして……授業も難しい質問されて、答えられなくて……。友達が手を挙げてたから、なんで当てないんですかって聞いたら、減点されたんです」
「ふふ、なにそれ。職権乱用だね?」
「そ、そうですよね……?」
恐る恐る、そんな感じで彼は私に賛同した。
「友達出来た?」
「はい、ロン……ロナウド・ウィーズリーっていう、グリフィンドールの」
「ああ、あのウィーズリー君ね。いいじゃん、きっといい子だと思うよ」
「知ってるんですか?」
「お兄ちゃんのほうね、チャーリーっていう、去年卒業しちゃった」
「そうなんですか。確かに、兄弟が多いって言ってました」
「クィディッチのシーカーやってたから、困ったら相談したらいいんじゃない?多分、たくさんアドバイスくれると思うよ。面倒見が良いから」
「ほんとですか?!あっ」
ぱっと顔を輝かせて、ちょっと口を塞ぐ仕草が可愛い。
「ふふふ、マクゴナガル先生が君をシーカーにするって、こっそり聞いたよ。特例だって。頑張って、でもあんまり無理しないでね。怪我に気をつけて」
「はい、頑張ります」
偶然通りがかったクィレル先生に、手に持っていた眼鏡を直してもらう。それを私に返してくれたので、ハリーどうぞと手渡した。無事に眼鏡も治ったので、ハリーにまたねと手を振って立ち去るように促す。クィレル先生がちらちらと何度もハリーに目を向けるのでやめて欲しいなと思った。願わくば、あの子には普通の学生生活を送って欲しい。きっとリリーもそう望む。
「そ、それ、重そうですね」
クィレル先生がイーゼルを指さしながら言った。
「まぁ慣れたものなので、あんまり気になりませんよ」
こういう時は、ほんのり面倒だなと思う。マグルのあなたはその重たい荷物をアリのように運ばないといけないので、魔法でお手伝いしましょうかという気遣い。正直、要らない。
「あ、あの、良ければ少し、手伝って貰いたい事がありまして」
「え?あー……私が手伝う、ですか?」
逆だと思っていたので、少し驚く。
「は、はい、い、今読んでいる資料が、に、日本語からのえ、英訳なのですが、い、一部分かりにくい部分が……」
「あっ、そういうことですね。でしたらはい、手伝いますよ」
はいはいはいと納得し、結局クィレル先生にイーゼルを浮かせて貰いながら美術室に行った。クィレル先生が絵も見てみたいと言うので、一緒にアトリエに入る。
「……こ、この絵は?」
「あぁ、私が描いたものです」
アトリエの隅に置いてある、あの廃墟の男と蛇の絵に、クィレル先生は足を止めた。
「この蛇……と、とてもリアルですね。も、モデルがいるんですか?」
「いやいませんよ、想像で描いてます」
「……本当に?」
描けるわけないだろうとでも言いたげな表情に少し苛立つ。私がマグルだからだろうか。
「本当ですよ」
「そ、そうですか……とても、上手です……ほっ、他の作品も、見ていいですか?」
「……ありがとうございます、好きに見てってください」
愛想よく笑いながら、彼の一挙手一投足をじっと見つめる。どうにも好きになれないし、そういう人物が自分の城であるアトリエに入るのはやや気分が悪い。クィレル先生は一通り私の絵を見たが、他にはあまり興味を示さなかった。
アトリエを出て、彼の研究室に移動する。
「その、英訳された資料というのはどういうものなんですか?」
「あ、あの、古い日本の、古い日本の魔法生物のもので」
「へぇ、日本の魔法生物ですか」
妖怪みたいなものだろうか。創作のヒントにもなりそう、そんな軽い気持ちで隣を歩いた。
「そう言えばクィレル先生、去年はアルバニアの森に行かれたとか。どんな所なんですか?」
「す、素敵なところでしたよ——魔法の力が濃く残り、マグルに荒らされることなく、深い闇が残っている」
「へぇ、素敵ですね」
急に滑らかに話すので驚いたが、それだけその森が気に入ったんだろう。
クィレル先生の部屋の扉が見えて、彼がドアを開けようとした瞬間、後ろから別の声がした。
「楽しそうな話しをしていますね」
「スネイプ教授」
何となく、人前では彼をなるべくそう呼んでいる。セブルスは私をちらりと一瞥してから、クィレル先生に目線を向けた。
「えっ、あっ、はい……はは」
目が合うだけで完全に震え上がるクィレル先生はやや滑稽だ。
「おふたりで何を?」
セブルスはクィレル先生に聞いたけど、なんだか怯えて可哀想だったので私が答えた。
「クィレル先生が英訳された日本の資料を見てるそうで、分かりにくい所があるって」
「……それで部屋にか。なまえ、ダンブルドアが君を探していた。グリンゴッツ銀行のことで話があると」
「あ、ほんと?」
グリンゴッツ銀行は基本的に魔法使いに向けた銀行だから、マグルでは口座を開けない。去年3ヶ月分の給与はとりあえず手渡しで貰っており、今後のためダンブルドアが手配を進めてくれていた。
だからそう、その話しかと納得したフリをしたけれど。そもそも、そんな事のために、ダンブルドアがセブルスを伝言役に頼むことはしないだろう。別に急ぎの要件ではない。
「すみませんクィレル先生、私……」
困ったように笑いながら顔を見る。
「あっ、い、いえ!構いません、全然、だっ、大丈夫です。あっ、あとで、夕食の時にでも」
「すみません、助かります」
それではまた。軽く挨拶をして、セブルスと一緒に廊下を歩いた。しばらくして人の気配がなくなったところでちらりと横をむく。
「……何かあったの?」
「あの男には近づくな、君は危機感が足りない」
「いやあの男って……同僚じゃないの?なんで?」
あの気弱そうな人が、危害を及ぼすほどのマグル差別者だというのだろうか。そんな人間がホグワーツの教員など、なれるのか?
「知るか、ダンブルドアに聞け」
「えっ、ダンブルドアが言ってるの?クィレル先生に気をつけろって?」
ギロりと睨まれて思わず片手で口を塞ぎ背後を確認する。特に生徒も居なかったけど、私は声を小さくした。
「じゃぁ絶対近づかない」
「私の言葉でもそのくらい素直に聞いていただきたいものだな」
「君の忠告を疑ってるわけじゃないよ」
いつもの無表情がどこか不機嫌そうに見える。
「ねぇそういえばさ、ソーン君、何故か就職先に軒並み断られて今はバイトしてるって聞いたよ。君、なにかしたの?」
私に差別用語を言い放ち、父親にもお世話になったソーン親子。その不幸を耳にして、口元を歪めない人は居ないでしょう?セブルスはそんな私を一瞥して、軽く鼻で笑った。
「何も」
「こわいなぁ、スネイプ教授は」
ね、だからさ。君に守ってもらってるの、ちゃんと分かってるよ。
「そういえば早速ハリーから減点したんだって?さっきちょっと話したよ」
「余計なことを聞くな」
「まぁちょっと、ジェームズに見た目似すぎだよねあれは。そっくり」
「……その名前を呼ぶな」
キツく、叱るように私に言う。
「わかったよ」
そう言いながら私はめんどくさそうに両手を広げる。
——結局そうか、セブルス・スネイプはリリー・エバンスが好きか。
「ごめん踏み込んで」
セブルスはこういう時だけ、すぐに黙る。
「別に、ダンブルドアは私のこと呼んでないよね?部屋戻っていい?」
「……ああ」
またねと声をかけることもなく彼を廊下に置いていった。だってそう、結局変わらないのかとちょっと苛立ってしまう。もう10年も前に、彼女は死んでいるというのに。