宮地と小さなクラスメイト(黒バス)
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8.勝者
咲哉が前、宮地が後ろ。いつでも見たい時に顔が見れる、最高の席だ。
そのはずだったのに、咲哉は体を縮こまらせたまま、机に開いた小さな穴をじいと見つめていた。
男の喧嘩というよりも、女子の睨み合いみたいに長く続く探り合いの時間。
どう切り出して良いか分からず、咲哉はこの長引く喧嘩をどうすることもできずにいた。
でも、このままは嫌だ。
「……、おい、宮地」
「嫌だ」
「まだ、何も言ってねーじゃん」
「お前と勝負なんてしねぇから」
有無を言わさず門前払い。
ぴきと額に筋を浮き上がらせた咲哉は、その込み上げる感情のまま、宮地の机をどんと叩いていた。
「…勝負とか以前の問題だろ、なんでそんな…っ」
「分かんねーのかよ」
「わ、分かんねーよ!何勝手にキレてんだよ!」
「は?キレてんの咲哉だろ」
宮地の机に乗った咲哉の手を、宮地が退かすように手で払う。
元々口が悪い宮地だ、その言葉の棘は鋭く、グサと咲哉の心に刺さる。
少し前まですごくいい関係を築けていたじゃないか。なのに、どうして。
そんなに、嫌われていたのか。
「宮地、お前ほんと女子みてぇ。そうやって話しかけんなオーラ出しやがって…」
「女子みてーはお前だろ。俺のいないところで…」
せっかく言葉を交わしても、こうしてぶつかるばかりだ。
咲哉は歯を食いしばり、宮地の逸らされた目をじいと見つめた。
「…っくそばかやろーめ…!」
結局、今日もそれだけ言い放って、くると背を向ける。
咲哉は頬杖をつき、窓の外に目を向けた。
このまま浮いた感情なんて忘れてしまえと、そう神様的な何かが言っているのだろうか。
そんな馬鹿らしく子供じみたことすら考えた咲哉の口がへの字に曲がる。
こんなに腹立たしいのに、宮地に見てもらえないことが悲しい。
「…はぁ…」
「咲哉さーん!」
溜め息に重なった騒々しい声に、咲哉の肘がずりと滑り、頬杖が頬から外れた。
げんなりとした咲哉の目に移り込むのは、底なしに明るい笑顔。
「またお前かよ」
「はーい、またまた和成くんでっす」
咲哉の気分などお構いなし、高尾は咲哉の横で膝をついた。
そのまま机に腕を乗せ、首を傾け咲哉を見上げている。
可愛い後輩だが、今はそれどころではない。
「ん?何かご機嫌斜めっすか?」
「見ての通りだっつーの、お前を構ってる余裕もないの」
「フーン…?ああ、それって、宮地サンのせい?」
「ばっ!」
咄嗟に高尾の口を手で押さえたが、恐らく後ろにいる宮地には聞こえただろう。
こういう時、宮地の席が近いことが厄介で仕方ない。
咲哉は背後の宮地の気配を気にしながら、高尾に向けて人差し指を立てた。
「これ以上悪化させたくないんだよ…っ」
「あーらら、ほんっといつまでも何やってんすか」
「し、仕方ないだろ、だって全然話になんねーんだって…!」
ほとんど息ばかりの、咲哉の全力の叫び。
高尾は「フーン」と興味もなさげに呟くと、咲哉の手を掴んだ。
想定外過ぎる高尾の動きを茫然と見下ろしていた咲哉の手の甲に、高尾の唇が触れている。
「……は?」
「うは、咲哉サンの手すべすべ。なーんもしてねェ手って感じ?」
「え、や、お前、何してくれちゃってんの…!?」
スリと今度は頬を寄せられ、咲哉は咄嗟に腕を引っ込めた。
自然と守るように自分の体を抱き締め、徐に立ち上がった高尾を見上げる。
高尾の目は、一瞬咲哉から逸らされていた。
「はは、人殺せそーな目」
「は?」
「なーんでも。なあ咲哉サン、今日の放課後屋上来てくんね」
ふと、こちらを向いた高尾の顔付きが真剣であることに気が付いた。
思わず反応しそこねて、小さく開いた口から息だけが零れる。
「あんたに言いたいことあんだよね」
「…、い、今言えよ」
「誰にも聞かれたくないんで。もちろん、宮地サンにも。そーいうことなんで、放課後咲哉さん借りますね」
高尾のその声と空気にそぐわないピースサインは、確実に後ろの宮地に向けられていた。
それを見たのだろう、宮地がチッと舌を打つ。
「は?ざけんな、放課後は部活だろ」
「ちょっとだけなんで大丈夫っすよ!つーわけで、宜しくね、咲哉サン」
「は、や、ちょ、ちょっとまて、お前…」
はっとして顔を上げると、高尾は既に満足気な顔で咲哉に手を振りその場を去っていた。
なんだって?放課後?
何でだ、とか考える余裕もなく、恐る恐る宮地を振り返る。
「…お、」
お前の後輩だろ、アイツなんとかしろよ。
そう、普段なら文句の一つくらい吐き出したところだ。
宮地の睨むような視線に、咲哉の声は喉に引っかかった。
「…、」
「行くなよ」
「……は?」
宮地の声は、思っていた以上に低かった。
さっき高尾が何気なく言った、『人を殺せそうな』感じ。
そんな宮地の態度に一瞬身をすくませたはずなのに、咲哉は怯むことなく宮地を睨んでいた。
「はー?なんで、お前にんなこと指図されなきゃなんねーの」
「んなの…、お前こそ、分かってんのかよ」
「お前が何に怒ってんのかなんて知んねーし。悪かったな気分悪くさせて!」
ぷくと頬を膨らませた後、宮地から顔を逸らす。
こんな自分勝手野郎、もう知ったこっちゃない。
「…絶対に行くな」
「じゃあ行く」
「てめ…っ」
「宮地の指図なんて受けねーよバーカバーカ!」
二人のやり取りを聞いていたクラスメイトは、総じて男子児童のケンカを思い出したろう。
咲哉は机につっぷし、顔を隠すように腕で覆った。
こんな風に逃げたくなるなんて、自分らしくない。なくなってしまう程、宮地との関係が大事なのだ。
「…くそぉ」
情けない声が腕の中に消える。
その時背後から向けられる、鋭く悲しげな視線になど、気が付けるはずがなかった。
・・・
からからと職員室のドアが小さく音を立てる。
こんな日に限って週直だの日誌だの。無駄に奪われる時間に、宮地の苛立ちは既に沸点を迎えそうだった。
ホームルームを終えてから、任された作業を終えるまで20分。
ようやく解放されたと体育館に向かう途中で一度振り返ったのは、屋上へと上がる階段だ。
「…、ああくそ…ッ」
考えたくないのに、勝手に余計な事を考え出す。
「…なんで、高尾が」
ぽつりと零れたのは、誰に言うつもりもない独り言。
高尾が咲哉を呼び出したその理由は明らかだ。いやらしく細めた目、宮地を敵対するかのように上げた口角。
男同士の恋愛事情なんて気色の悪いもん興味ないのに、咲哉がどんな顔するのかと考えるだけでイライラする。
だから今は、早くバスケがしたいのだ。ボールを手に取れば、きっと冷静になれる。
そう信じて、体育館に足を踏み入れた宮地は、茫然と足を止めていた。
「……は?なんでお前いんだよ」
宮地の低い声に、視線の先にいる男が顔を上げる。
ひらと真ん中で分けられた前髪を揺らしたソイツは、ぱかと大きく口を開けた。
「…え!宮地サン!?あ、あれ?なん、咲哉サンは?」
「は?そりゃこっちのセリフだろ」
放課後屋上に来い、だなんて呼び出したのは高尾だ。
その当人は困惑した様子でわたわたと手を震わせ、宮地を見開いた目で見上げている。
「だって、え、あ、あんだけ煽ったのに…!」
「煽っただぁ…?」
「いやだって宮地サンめっちゃ荒れてっから!もうこっちも勘弁してくれってことで…」
ねぇ!と高尾が大坪の方へ顔を向ける。
それに気が付いた大坪は、頭をかき、憐れむような目で宮地を見た。
「大坪…」
「高尾がお前が荒れてるのはあの子のせいだと言うんでな…その、なんだ、とにかく話すべきだ」
「話すべきったって…っ、二人とも聞いてたんじゃねぇか、アイツが俺のこと嫌だっつってんの」
「え?」
高尾と大坪が、宮地の発言を聞くなり目を合わせた。
暫くの沈黙。
二人は視線やら指先を動かし、何かを思い出すような仕草をした後、ゆっくりと宮地を振り返った。
「…宮地、お前」
「な、なんだよ。言ってただろ、さっさと終わらせてえって、アイツが」
宮地が席を離れた時に、二人を前に咲哉が言っていたことだ。
終わりにしたい。勝って関係を終わりにしたいと。
「えー…と、大坪サン」
「ああ…酷いな」
「思ってた以上っすね」
怒りと哀しみとか込み上げる宮地の目の前で、高尾と大坪は憐みの溜め息を吐いた。
「宮地、今日は休んでもいいから、行ってこい」
「は!?どこに」
「咲哉君のところだ」
「そもそも、最初っから宮地サンが咲哉サンとこ行ってくれる算段だったんすよ、もう」
宮地に歩み寄った大坪の手は、がしっと力強く宮地の肩を掴んだ。
ぐると無理矢理後ろを向かされた宮地の背中がとんっと軽く押される。
されるがまま、宮地は一歩来た道を戻った。
「全く、お前が一番分かっているはずだろ、宮地。あの子は、そんな風にお前を見てたか?」
「は?し、知らねェよ、お前こそ一体何を知って…」
「知らん。俺は、お前を応援したいだけだ」
「お、応援って、おい」
更にもう一歩、せっかくバスケをしに来た体育館から外へ出る。
頭は真っ白だった。
何が間違っていたのかなんて、冷静に考えられない。
冷静でいられない原因は。この感情の正体は。
「…な、何だってんだよ、クソ」
「宮地」
「あー、わーったよ!とりあえず戻ったら轢く!高尾は殺す!」
「ひでぇ!」
一度大きく息を吐いてから、宮地はバッグをそこへ投げ捨て走り出した。
足は勝手に前へと進む。
誤解、だったのか。勝手に勘違いして、もし悲しませていたのだとしたら。
廊下を疾走する大きな体に、すれ違う生徒が驚き振り返る。
いつもなら恥ずかしく感じるだろう状況は、意識の外にあった。
階段を上がり、屋上の扉を開く。
そこに咲哉はいるはずだった。
「…、いねぇ、来てないのか…?」
途切れる息を数回繰り返し、辺りを見渡す。
人の気配はない。
「咲哉…」
風が吹き抜ける開けた場所で、宮地は小さく舌を打った。
イライラする、早く会いたい、早く。
この感情の正体なんて、とっくに気が付いていた。
・・・
咲哉は窓の外をぼんやりと見つめていた。
頬杖をついているせいで自然と唇が尖る。
薄っすらと窓に映った不細工顔なんて知ったこっちゃ無い。
「…仲直り…」
いちいち喧嘩せずに、ずっと仲良く出来たらいいのに。
それが難しいのは、恋愛感情なんて抱いてしまったせいなのか。
それを表に出したつもりなんてなかったけれど、何か良くないことがあったのかもしれない。
「……」
柄にもなく、黙り込んで考える。
自分は宮地とどうなりたいのか、と。
友達以上を望むことで険悪になるくらいなら、今のままで良いのではないか。
いつかあのバスケ馬鹿に恋人ができるまで、一番近くにいられるならそれで。
「…帰るか…」
一呼吸おいて、咲哉は机に掌を置いた。
腰を引いて、椅子から立ち上がる。
そのまま一歩踏み出した咲哉は、がらっと教室のドアが開く音で顔を上げた。
「はぁっ、たく、ここかよ…」
「え…」
試合中みたいに汗をかいて、息を荒げている宮地がそこにいる。
咲哉は細かなまばたきを繰り返し、口を開いたまま彼を見つめた。
「お前、なんで屋上行ってねぇんだよ」
「え、え?えー…っと、そ、」
「高尾は?なんか言われた?」
つかつかと宮地が近づいてくる。
咲哉はびくと一度肩を揺らし、ようやくクリアになった頭で考えた。
そうだ、屋上。約束はすっぽかした。
「そんなの、宮地が行くなって言ったんじゃんか」
「行ってねぇんだな」
「行ってないし会ってない。つか宮地こそ部活は?」
「は?今いいだろ、んなこと」
お互いの言葉の節々に棘がある。
何がいけないんだ。どこを直せばいい。
咲哉は頭をガシッとかいて俯いた。
「…、違う、こんなこと言いたいんじゃなくて…」
机の上に置いた手に力がこもる。
何故ここに宮地がいるのか分からないが、このチャンスは活かさなければ。
「……咲哉、その、ごめんな」
落ち着いた優しい声。
少し長めの髪の毛が、俯いた咲哉の頬に触れた。
「なぁ、俺のこと、嫌いじゃねぇよな」
「へ…?」
「もしお前が、間違って俺に勝つことがあっても、終わりなんてねぇよな」
頬と頬がぶつかって、声が吐息ごと耳に入ってくる。
さりげなく馬鹿にされたことに対して、文句を言う気が起きるはずもなく、咲哉は宮地の腕にしがみついた。
「おい。なんか言えよ」
宮地の大きな手が、咲哉の頭と腰をしっかりと捕まえている。
「み、や…離せって」
「お前が、離れねぇって、言うまで離さない」
「ちょ…、だって、そんなんおかし…。なんで、俺が」
咲哉は宮地のことが好きだった、ずっと。
許されるならいつだって、どこだって、一緒にいたいのに。
「や、じゃねーのかよ…、俺に、好かれて、迷惑なんじゃ…」
「は?」
「だって宮地、嫌そうにしてたじゃん…俺が、宮地を好きだって、話してんの、聞いて…」
自分で言って、目頭が熱くなる。
教室で宮地との関係を変えたいんだって、そう話していたのを宮地に聞かれた。
それで拒否したのは宮地の方だ。
ぽろと目から涙が落ちる。
体を離した宮地は、驚いた顔をして咲哉を見下ろしていた。
「…は?何だよ、それ」
「っ、はあ?」
「んなの知らね…っつか泣くなよ、なんなんだよお前…!」
「な、なんなんだはお前だ!くっそ、見んな見んな!!」
すんっと鼻で大きく息を吸い込み、宮地の胸をバシと叩く。
その手は、あっさりと宮地の手に掴まれてしまった。
「…お前、今、好きって言ったよな」
「ッ、だったら、なんだよ…」
「バッカ、それ早く言えっつってんだよ」
眉を吊り上げた宮地の頬が、心なしか赤い。
咲哉の肩を掴む手が微かに震えて、顔が、顔に近付いてきて。
触れそうだ。唇が、重なってしまう。
思わず体を逸らした咲哉の膝は、体を支えきれずにカクンと折れた。
「…うわ!!」
「おい馬鹿、危ねぇ!」
宮地の手が、力強く咲哉を引っ張る。
ぽすんと顔を宮地の体にぶつけた、そこまでは良かった。
勢いを抑えきれず、今度は宮地の体が後ろに倒れ、気付けばもろとも教室の床に倒れこんでいた。
「…いってェ…」
「み、宮地!?だ、大丈夫か!?あ、頭、打ったり、とか…!」
幸い机や椅子にはぶつからずに済んだらしい。
それでも咲哉は慌てて体を起こすと、宮地の顔を覗き込んだ。
自分はともかく、宮地にはバスケがある。ケガなんてしてしまったら、大変なことに。
「…咲哉」
「っ!ど、どうした!?どっか痛むなら、保健室に…」
「好きだ」
「は、」
頬をすりと優しくなでる感触。
咲哉は宮地の腰に乗ったまま、大きく目を開いた。
「キスしてぇって、思った。たぶん…すげぇ、好きってことだろ、咲哉のこと…」
「…、や、っぱ、頭打ってる…」
「あ?んでそうなんだよ、轢くぞ」
いつものきつい口調。
それなのに、声が優しくて、触れる手が暖かい。
「…ほ、ほん、とに…」
「俺だってわかんねぇよ、でも、お前を離したくねぇし、誰にも渡したくねぇ」
「…、う、嘘だ…」
鼻の奥がツンとする。
気付けば視界はぼやけて、今度こそぼろぼろと涙が頬を濡らしていた。
その視界で、宮地が咲哉の方へ手を伸ばすのが見える。
「んだよ、泣くほど嫌かよ」
「っ、う、うれ、うれし、んだろうが…!」
「はは、可愛くねぇ泣き顔」
両手で頬を包まれる。
宮地の手に、涙が吸い込まれていく。
あったかくて、優しくて、目を閉じた咲哉の唇に、柔らかい感触が触れた。
「っ!」
「お前に、こんなことしたくなるなんて、信じらんねぇ…」
「い、今、き…」
「ん。もっかい、口開けろよ」
頭をぐいと引き寄せられ、宮地に覆いかぶさるようにして唇が重なる。
確かめるように深く。誓いのように絡める。
体を起こした二人は、どちらともなく顔を逸らし、ぎゅっと手を握り合っていた。
・・・
ぱさとボールがゴールに吸い込まれる。
今日はこれで何度目か、誰の目にも絶好調に映る宮地に、高尾は満足げに腰に手を当てた。
「いやあ、愛のキューピッドってのは、こういう気持ちなんすねぇ」
「は?」
「言わなくても分かりますって」
「あのな…変なこと言ってっとお前だけ倍のメニューやらせっぞ」
乱暴な手が、高尾の頭をばしっと叩く。
部活の後輩にも当然加減のない愛の鞭に、高尾は体育館にしゃがみこんで頭を押さえた。
見上げた宮地の背中は、心なしか上機嫌だ。
もう直に部活動の時間は終わりになる。ということはつまり。
「あー…今日、咲哉サンと約束してんだ」
「っ、」
「うはっ、当たっちゃった?」
ばっと振り返った宮地の拳が小刻みに震えている。
あ、しまった。照れ隠しの鉄拳は、通常時の何倍もー…。
「あ、宮地!」
そこに飛び込んできた声は、高尾にとって天の助けだった。
宮地は手を緩め、照れくさそうに唇を尖らせる。
目を向けた体育館の入り口には、帰り支度を済ませて体育館を覗き込む咲哉の姿。
「っと、まだ活動中だった。外で待ってるね」
「…そこ、いればいいだろ」
「あ、そう?じゃあ、失礼します」
咲哉はいそいそと体育館に足を踏み入れると、壁に背を預けてバックを下した。
もはや見慣れた光景だ。
高尾以外の部員が、「今日はあの人来ないんすか」なんて宮地に聞いてしまう程度には。
「なあ、咲哉サン、バスケ部入んなよ。したら宮地サンが毎日絶好調になるし」
「え?そう?俺バスケできっかなぁ」
高尾の何気ない提案に、咲哉はまんざらでもない顔で笑う。
割と誰とでも打ち解ける性格の咲哉は、やはり高尾と気が合っている。
それを横目で見ていた宮地は、はあっと大きな息を吐いた。
「できるわけねーだろ。チビはお呼びじゃねえよ」
「…言いやがったなコンニャロ」
「お?なんだよやる気か?」
なんつーやっすい挑発。
と思ったのも恐らく高尾だけではないだろう。
咲哉はそのやっすい挑発に対し、腕まくりをしてやる気満々だ。
「俺からボールとってみろよ、ほら」
すっと宮地がボールを片手に頭の上へ持ち上げる。
当然それを見上げた咲哉は、数回腕を伸ばしてジャンプを繰り返した。
どう見ても大人に遊ばれている小学生だ。
「ず、りぃよ…!」
「だからテメェにはバスケは無理だっつってんだろ。いいから待ってろ」
宮地はちらと時計に目を移し、それから咲哉に向けてシッシッと手をひらひら揺らした。
歯を食いしばり、小動物の威嚇みたいな声が咲哉から漏れる。
その咲哉は、ぐいと宮地のジャージの裾を引っ張った。
「いっつも宮地ばっか上から見下ろしやがって…たまには俺にもキスさせろ!」
「……は!?」
その場にいた数えきれないほどの部員の目が、宮地と咲哉に集まる。
時間が止まったかのように、誰一人として動けなくなったのは一瞬。
その直後、一人は腹を抱えて体育館を転げまわり、一人は額を押さえて溜め息を吐いた。
「ブッ、でたでた、夫婦漫才…」
「はぁ…もういい加減にしてくれ」
手から零れ落ちたボールはてんてんと音を立てて転がる。
拾い上げた小さな手は、満面の笑みを浮かべて彼を見上げた。
「俺の勝ち!」
(宮地と小さなクラスメイト・終)
追加日:2017/12/04
移動前:2017/02/05
咲哉が前、宮地が後ろ。いつでも見たい時に顔が見れる、最高の席だ。
そのはずだったのに、咲哉は体を縮こまらせたまま、机に開いた小さな穴をじいと見つめていた。
男の喧嘩というよりも、女子の睨み合いみたいに長く続く探り合いの時間。
どう切り出して良いか分からず、咲哉はこの長引く喧嘩をどうすることもできずにいた。
でも、このままは嫌だ。
「……、おい、宮地」
「嫌だ」
「まだ、何も言ってねーじゃん」
「お前と勝負なんてしねぇから」
有無を言わさず門前払い。
ぴきと額に筋を浮き上がらせた咲哉は、その込み上げる感情のまま、宮地の机をどんと叩いていた。
「…勝負とか以前の問題だろ、なんでそんな…っ」
「分かんねーのかよ」
「わ、分かんねーよ!何勝手にキレてんだよ!」
「は?キレてんの咲哉だろ」
宮地の机に乗った咲哉の手を、宮地が退かすように手で払う。
元々口が悪い宮地だ、その言葉の棘は鋭く、グサと咲哉の心に刺さる。
少し前まですごくいい関係を築けていたじゃないか。なのに、どうして。
そんなに、嫌われていたのか。
「宮地、お前ほんと女子みてぇ。そうやって話しかけんなオーラ出しやがって…」
「女子みてーはお前だろ。俺のいないところで…」
せっかく言葉を交わしても、こうしてぶつかるばかりだ。
咲哉は歯を食いしばり、宮地の逸らされた目をじいと見つめた。
「…っくそばかやろーめ…!」
結局、今日もそれだけ言い放って、くると背を向ける。
咲哉は頬杖をつき、窓の外に目を向けた。
このまま浮いた感情なんて忘れてしまえと、そう神様的な何かが言っているのだろうか。
そんな馬鹿らしく子供じみたことすら考えた咲哉の口がへの字に曲がる。
こんなに腹立たしいのに、宮地に見てもらえないことが悲しい。
「…はぁ…」
「咲哉さーん!」
溜め息に重なった騒々しい声に、咲哉の肘がずりと滑り、頬杖が頬から外れた。
げんなりとした咲哉の目に移り込むのは、底なしに明るい笑顔。
「またお前かよ」
「はーい、またまた和成くんでっす」
咲哉の気分などお構いなし、高尾は咲哉の横で膝をついた。
そのまま机に腕を乗せ、首を傾け咲哉を見上げている。
可愛い後輩だが、今はそれどころではない。
「ん?何かご機嫌斜めっすか?」
「見ての通りだっつーの、お前を構ってる余裕もないの」
「フーン…?ああ、それって、宮地サンのせい?」
「ばっ!」
咄嗟に高尾の口を手で押さえたが、恐らく後ろにいる宮地には聞こえただろう。
こういう時、宮地の席が近いことが厄介で仕方ない。
咲哉は背後の宮地の気配を気にしながら、高尾に向けて人差し指を立てた。
「これ以上悪化させたくないんだよ…っ」
「あーらら、ほんっといつまでも何やってんすか」
「し、仕方ないだろ、だって全然話になんねーんだって…!」
ほとんど息ばかりの、咲哉の全力の叫び。
高尾は「フーン」と興味もなさげに呟くと、咲哉の手を掴んだ。
想定外過ぎる高尾の動きを茫然と見下ろしていた咲哉の手の甲に、高尾の唇が触れている。
「……は?」
「うは、咲哉サンの手すべすべ。なーんもしてねェ手って感じ?」
「え、や、お前、何してくれちゃってんの…!?」
スリと今度は頬を寄せられ、咲哉は咄嗟に腕を引っ込めた。
自然と守るように自分の体を抱き締め、徐に立ち上がった高尾を見上げる。
高尾の目は、一瞬咲哉から逸らされていた。
「はは、人殺せそーな目」
「は?」
「なーんでも。なあ咲哉サン、今日の放課後屋上来てくんね」
ふと、こちらを向いた高尾の顔付きが真剣であることに気が付いた。
思わず反応しそこねて、小さく開いた口から息だけが零れる。
「あんたに言いたいことあんだよね」
「…、い、今言えよ」
「誰にも聞かれたくないんで。もちろん、宮地サンにも。そーいうことなんで、放課後咲哉さん借りますね」
高尾のその声と空気にそぐわないピースサインは、確実に後ろの宮地に向けられていた。
それを見たのだろう、宮地がチッと舌を打つ。
「は?ざけんな、放課後は部活だろ」
「ちょっとだけなんで大丈夫っすよ!つーわけで、宜しくね、咲哉サン」
「は、や、ちょ、ちょっとまて、お前…」
はっとして顔を上げると、高尾は既に満足気な顔で咲哉に手を振りその場を去っていた。
なんだって?放課後?
何でだ、とか考える余裕もなく、恐る恐る宮地を振り返る。
「…お、」
お前の後輩だろ、アイツなんとかしろよ。
そう、普段なら文句の一つくらい吐き出したところだ。
宮地の睨むような視線に、咲哉の声は喉に引っかかった。
「…、」
「行くなよ」
「……は?」
宮地の声は、思っていた以上に低かった。
さっき高尾が何気なく言った、『人を殺せそうな』感じ。
そんな宮地の態度に一瞬身をすくませたはずなのに、咲哉は怯むことなく宮地を睨んでいた。
「はー?なんで、お前にんなこと指図されなきゃなんねーの」
「んなの…、お前こそ、分かってんのかよ」
「お前が何に怒ってんのかなんて知んねーし。悪かったな気分悪くさせて!」
ぷくと頬を膨らませた後、宮地から顔を逸らす。
こんな自分勝手野郎、もう知ったこっちゃない。
「…絶対に行くな」
「じゃあ行く」
「てめ…っ」
「宮地の指図なんて受けねーよバーカバーカ!」
二人のやり取りを聞いていたクラスメイトは、総じて男子児童のケンカを思い出したろう。
咲哉は机につっぷし、顔を隠すように腕で覆った。
こんな風に逃げたくなるなんて、自分らしくない。なくなってしまう程、宮地との関係が大事なのだ。
「…くそぉ」
情けない声が腕の中に消える。
その時背後から向けられる、鋭く悲しげな視線になど、気が付けるはずがなかった。
・・・
からからと職員室のドアが小さく音を立てる。
こんな日に限って週直だの日誌だの。無駄に奪われる時間に、宮地の苛立ちは既に沸点を迎えそうだった。
ホームルームを終えてから、任された作業を終えるまで20分。
ようやく解放されたと体育館に向かう途中で一度振り返ったのは、屋上へと上がる階段だ。
「…、ああくそ…ッ」
考えたくないのに、勝手に余計な事を考え出す。
「…なんで、高尾が」
ぽつりと零れたのは、誰に言うつもりもない独り言。
高尾が咲哉を呼び出したその理由は明らかだ。いやらしく細めた目、宮地を敵対するかのように上げた口角。
男同士の恋愛事情なんて気色の悪いもん興味ないのに、咲哉がどんな顔するのかと考えるだけでイライラする。
だから今は、早くバスケがしたいのだ。ボールを手に取れば、きっと冷静になれる。
そう信じて、体育館に足を踏み入れた宮地は、茫然と足を止めていた。
「……は?なんでお前いんだよ」
宮地の低い声に、視線の先にいる男が顔を上げる。
ひらと真ん中で分けられた前髪を揺らしたソイツは、ぱかと大きく口を開けた。
「…え!宮地サン!?あ、あれ?なん、咲哉サンは?」
「は?そりゃこっちのセリフだろ」
放課後屋上に来い、だなんて呼び出したのは高尾だ。
その当人は困惑した様子でわたわたと手を震わせ、宮地を見開いた目で見上げている。
「だって、え、あ、あんだけ煽ったのに…!」
「煽っただぁ…?」
「いやだって宮地サンめっちゃ荒れてっから!もうこっちも勘弁してくれってことで…」
ねぇ!と高尾が大坪の方へ顔を向ける。
それに気が付いた大坪は、頭をかき、憐れむような目で宮地を見た。
「大坪…」
「高尾がお前が荒れてるのはあの子のせいだと言うんでな…その、なんだ、とにかく話すべきだ」
「話すべきったって…っ、二人とも聞いてたんじゃねぇか、アイツが俺のこと嫌だっつってんの」
「え?」
高尾と大坪が、宮地の発言を聞くなり目を合わせた。
暫くの沈黙。
二人は視線やら指先を動かし、何かを思い出すような仕草をした後、ゆっくりと宮地を振り返った。
「…宮地、お前」
「な、なんだよ。言ってただろ、さっさと終わらせてえって、アイツが」
宮地が席を離れた時に、二人を前に咲哉が言っていたことだ。
終わりにしたい。勝って関係を終わりにしたいと。
「えー…と、大坪サン」
「ああ…酷いな」
「思ってた以上っすね」
怒りと哀しみとか込み上げる宮地の目の前で、高尾と大坪は憐みの溜め息を吐いた。
「宮地、今日は休んでもいいから、行ってこい」
「は!?どこに」
「咲哉君のところだ」
「そもそも、最初っから宮地サンが咲哉サンとこ行ってくれる算段だったんすよ、もう」
宮地に歩み寄った大坪の手は、がしっと力強く宮地の肩を掴んだ。
ぐると無理矢理後ろを向かされた宮地の背中がとんっと軽く押される。
されるがまま、宮地は一歩来た道を戻った。
「全く、お前が一番分かっているはずだろ、宮地。あの子は、そんな風にお前を見てたか?」
「は?し、知らねェよ、お前こそ一体何を知って…」
「知らん。俺は、お前を応援したいだけだ」
「お、応援って、おい」
更にもう一歩、せっかくバスケをしに来た体育館から外へ出る。
頭は真っ白だった。
何が間違っていたのかなんて、冷静に考えられない。
冷静でいられない原因は。この感情の正体は。
「…な、何だってんだよ、クソ」
「宮地」
「あー、わーったよ!とりあえず戻ったら轢く!高尾は殺す!」
「ひでぇ!」
一度大きく息を吐いてから、宮地はバッグをそこへ投げ捨て走り出した。
足は勝手に前へと進む。
誤解、だったのか。勝手に勘違いして、もし悲しませていたのだとしたら。
廊下を疾走する大きな体に、すれ違う生徒が驚き振り返る。
いつもなら恥ずかしく感じるだろう状況は、意識の外にあった。
階段を上がり、屋上の扉を開く。
そこに咲哉はいるはずだった。
「…、いねぇ、来てないのか…?」
途切れる息を数回繰り返し、辺りを見渡す。
人の気配はない。
「咲哉…」
風が吹き抜ける開けた場所で、宮地は小さく舌を打った。
イライラする、早く会いたい、早く。
この感情の正体なんて、とっくに気が付いていた。
・・・
咲哉は窓の外をぼんやりと見つめていた。
頬杖をついているせいで自然と唇が尖る。
薄っすらと窓に映った不細工顔なんて知ったこっちゃ無い。
「…仲直り…」
いちいち喧嘩せずに、ずっと仲良く出来たらいいのに。
それが難しいのは、恋愛感情なんて抱いてしまったせいなのか。
それを表に出したつもりなんてなかったけれど、何か良くないことがあったのかもしれない。
「……」
柄にもなく、黙り込んで考える。
自分は宮地とどうなりたいのか、と。
友達以上を望むことで険悪になるくらいなら、今のままで良いのではないか。
いつかあのバスケ馬鹿に恋人ができるまで、一番近くにいられるならそれで。
「…帰るか…」
一呼吸おいて、咲哉は机に掌を置いた。
腰を引いて、椅子から立ち上がる。
そのまま一歩踏み出した咲哉は、がらっと教室のドアが開く音で顔を上げた。
「はぁっ、たく、ここかよ…」
「え…」
試合中みたいに汗をかいて、息を荒げている宮地がそこにいる。
咲哉は細かなまばたきを繰り返し、口を開いたまま彼を見つめた。
「お前、なんで屋上行ってねぇんだよ」
「え、え?えー…っと、そ、」
「高尾は?なんか言われた?」
つかつかと宮地が近づいてくる。
咲哉はびくと一度肩を揺らし、ようやくクリアになった頭で考えた。
そうだ、屋上。約束はすっぽかした。
「そんなの、宮地が行くなって言ったんじゃんか」
「行ってねぇんだな」
「行ってないし会ってない。つか宮地こそ部活は?」
「は?今いいだろ、んなこと」
お互いの言葉の節々に棘がある。
何がいけないんだ。どこを直せばいい。
咲哉は頭をガシッとかいて俯いた。
「…、違う、こんなこと言いたいんじゃなくて…」
机の上に置いた手に力がこもる。
何故ここに宮地がいるのか分からないが、このチャンスは活かさなければ。
「……咲哉、その、ごめんな」
落ち着いた優しい声。
少し長めの髪の毛が、俯いた咲哉の頬に触れた。
「なぁ、俺のこと、嫌いじゃねぇよな」
「へ…?」
「もしお前が、間違って俺に勝つことがあっても、終わりなんてねぇよな」
頬と頬がぶつかって、声が吐息ごと耳に入ってくる。
さりげなく馬鹿にされたことに対して、文句を言う気が起きるはずもなく、咲哉は宮地の腕にしがみついた。
「おい。なんか言えよ」
宮地の大きな手が、咲哉の頭と腰をしっかりと捕まえている。
「み、や…離せって」
「お前が、離れねぇって、言うまで離さない」
「ちょ…、だって、そんなんおかし…。なんで、俺が」
咲哉は宮地のことが好きだった、ずっと。
許されるならいつだって、どこだって、一緒にいたいのに。
「や、じゃねーのかよ…、俺に、好かれて、迷惑なんじゃ…」
「は?」
「だって宮地、嫌そうにしてたじゃん…俺が、宮地を好きだって、話してんの、聞いて…」
自分で言って、目頭が熱くなる。
教室で宮地との関係を変えたいんだって、そう話していたのを宮地に聞かれた。
それで拒否したのは宮地の方だ。
ぽろと目から涙が落ちる。
体を離した宮地は、驚いた顔をして咲哉を見下ろしていた。
「…は?何だよ、それ」
「っ、はあ?」
「んなの知らね…っつか泣くなよ、なんなんだよお前…!」
「な、なんなんだはお前だ!くっそ、見んな見んな!!」
すんっと鼻で大きく息を吸い込み、宮地の胸をバシと叩く。
その手は、あっさりと宮地の手に掴まれてしまった。
「…お前、今、好きって言ったよな」
「ッ、だったら、なんだよ…」
「バッカ、それ早く言えっつってんだよ」
眉を吊り上げた宮地の頬が、心なしか赤い。
咲哉の肩を掴む手が微かに震えて、顔が、顔に近付いてきて。
触れそうだ。唇が、重なってしまう。
思わず体を逸らした咲哉の膝は、体を支えきれずにカクンと折れた。
「…うわ!!」
「おい馬鹿、危ねぇ!」
宮地の手が、力強く咲哉を引っ張る。
ぽすんと顔を宮地の体にぶつけた、そこまでは良かった。
勢いを抑えきれず、今度は宮地の体が後ろに倒れ、気付けばもろとも教室の床に倒れこんでいた。
「…いってェ…」
「み、宮地!?だ、大丈夫か!?あ、頭、打ったり、とか…!」
幸い机や椅子にはぶつからずに済んだらしい。
それでも咲哉は慌てて体を起こすと、宮地の顔を覗き込んだ。
自分はともかく、宮地にはバスケがある。ケガなんてしてしまったら、大変なことに。
「…咲哉」
「っ!ど、どうした!?どっか痛むなら、保健室に…」
「好きだ」
「は、」
頬をすりと優しくなでる感触。
咲哉は宮地の腰に乗ったまま、大きく目を開いた。
「キスしてぇって、思った。たぶん…すげぇ、好きってことだろ、咲哉のこと…」
「…、や、っぱ、頭打ってる…」
「あ?んでそうなんだよ、轢くぞ」
いつものきつい口調。
それなのに、声が優しくて、触れる手が暖かい。
「…ほ、ほん、とに…」
「俺だってわかんねぇよ、でも、お前を離したくねぇし、誰にも渡したくねぇ」
「…、う、嘘だ…」
鼻の奥がツンとする。
気付けば視界はぼやけて、今度こそぼろぼろと涙が頬を濡らしていた。
その視界で、宮地が咲哉の方へ手を伸ばすのが見える。
「んだよ、泣くほど嫌かよ」
「っ、う、うれ、うれし、んだろうが…!」
「はは、可愛くねぇ泣き顔」
両手で頬を包まれる。
宮地の手に、涙が吸い込まれていく。
あったかくて、優しくて、目を閉じた咲哉の唇に、柔らかい感触が触れた。
「っ!」
「お前に、こんなことしたくなるなんて、信じらんねぇ…」
「い、今、き…」
「ん。もっかい、口開けろよ」
頭をぐいと引き寄せられ、宮地に覆いかぶさるようにして唇が重なる。
確かめるように深く。誓いのように絡める。
体を起こした二人は、どちらともなく顔を逸らし、ぎゅっと手を握り合っていた。
・・・
ぱさとボールがゴールに吸い込まれる。
今日はこれで何度目か、誰の目にも絶好調に映る宮地に、高尾は満足げに腰に手を当てた。
「いやあ、愛のキューピッドってのは、こういう気持ちなんすねぇ」
「は?」
「言わなくても分かりますって」
「あのな…変なこと言ってっとお前だけ倍のメニューやらせっぞ」
乱暴な手が、高尾の頭をばしっと叩く。
部活の後輩にも当然加減のない愛の鞭に、高尾は体育館にしゃがみこんで頭を押さえた。
見上げた宮地の背中は、心なしか上機嫌だ。
もう直に部活動の時間は終わりになる。ということはつまり。
「あー…今日、咲哉サンと約束してんだ」
「っ、」
「うはっ、当たっちゃった?」
ばっと振り返った宮地の拳が小刻みに震えている。
あ、しまった。照れ隠しの鉄拳は、通常時の何倍もー…。
「あ、宮地!」
そこに飛び込んできた声は、高尾にとって天の助けだった。
宮地は手を緩め、照れくさそうに唇を尖らせる。
目を向けた体育館の入り口には、帰り支度を済ませて体育館を覗き込む咲哉の姿。
「っと、まだ活動中だった。外で待ってるね」
「…そこ、いればいいだろ」
「あ、そう?じゃあ、失礼します」
咲哉はいそいそと体育館に足を踏み入れると、壁に背を預けてバックを下した。
もはや見慣れた光景だ。
高尾以外の部員が、「今日はあの人来ないんすか」なんて宮地に聞いてしまう程度には。
「なあ、咲哉サン、バスケ部入んなよ。したら宮地サンが毎日絶好調になるし」
「え?そう?俺バスケできっかなぁ」
高尾の何気ない提案に、咲哉はまんざらでもない顔で笑う。
割と誰とでも打ち解ける性格の咲哉は、やはり高尾と気が合っている。
それを横目で見ていた宮地は、はあっと大きな息を吐いた。
「できるわけねーだろ。チビはお呼びじゃねえよ」
「…言いやがったなコンニャロ」
「お?なんだよやる気か?」
なんつーやっすい挑発。
と思ったのも恐らく高尾だけではないだろう。
咲哉はそのやっすい挑発に対し、腕まくりをしてやる気満々だ。
「俺からボールとってみろよ、ほら」
すっと宮地がボールを片手に頭の上へ持ち上げる。
当然それを見上げた咲哉は、数回腕を伸ばしてジャンプを繰り返した。
どう見ても大人に遊ばれている小学生だ。
「ず、りぃよ…!」
「だからテメェにはバスケは無理だっつってんだろ。いいから待ってろ」
宮地はちらと時計に目を移し、それから咲哉に向けてシッシッと手をひらひら揺らした。
歯を食いしばり、小動物の威嚇みたいな声が咲哉から漏れる。
その咲哉は、ぐいと宮地のジャージの裾を引っ張った。
「いっつも宮地ばっか上から見下ろしやがって…たまには俺にもキスさせろ!」
「……は!?」
その場にいた数えきれないほどの部員の目が、宮地と咲哉に集まる。
時間が止まったかのように、誰一人として動けなくなったのは一瞬。
その直後、一人は腹を抱えて体育館を転げまわり、一人は額を押さえて溜め息を吐いた。
「ブッ、でたでた、夫婦漫才…」
「はぁ…もういい加減にしてくれ」
手から零れ落ちたボールはてんてんと音を立てて転がる。
拾い上げた小さな手は、満面の笑みを浮かべて彼を見上げた。
「俺の勝ち!」
(宮地と小さなクラスメイト・終)
追加日:2017/12/04
移動前:2017/02/05
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