宮地と小さなクラスメイト(黒バス)
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4.仲違い
放課後、体育館に響くボールの擦れる音が少しずつ減って行く。
部活としての時間を終えた今、残っているのはやる気のあるスタメン他数名だけだ。
さて、そろそろボールを回収して先輩を帰さねば。
時計を確認してそう思い至った高尾は、いつものように体育館の外に目を向けた。
きっとあの辺りに、子犬みたいに待っている小さな先輩が…
「…あり?」
体育館の出入り口を確認して、思わず声が出る。
いつも見える小さなシルエットがない。
「宮地さーん、今日はあの小学生、いないんすね?」
特に興味があるわけではないが、気付いてしまった手前宮地へそう呼びかける。
ボールを片手に姿勢良くそこに立っていた宮地は、その声に眉をひくと吊り上げた。
「…別に、約束してるわけじゃねぇよ」
「いやそりゃ知ってっすけど…、珍しいと思って…」
風邪でもひいて休んでたとか。今日は予定があって先に帰ったとか。
考えられる余地はいくらでもあったが、高尾は宮地の顔色から察してしまった。
「ちょ、え、もしかして喧嘩でもしたんですか?」
高い位置にある顔を覗き込んだ高尾の顔が、みるみるうちに赤くなる。
次第に膨らんだ頬は、耐え切れずブハッと吐き出された。
「け、喧嘩!喧嘩するっしょ!むしろ今までなかったんすか!?あれで!?」
「っ、うっせえ!テメェ刺す!」
「絶対性格合わねーじゃないすか!あのうっさい小学生と!ようやく喧嘩!?」
高尾が腹を押さえてヒィヒィと呼吸を繰り返す。
宮地は咄嗟に持っていたボールを投げつけたが、高尾持前の反射神経でそれをひょいと避けられてしまった。
「別に喧嘩じゃねぇ。アイツか無神経だからちょっと説教しただけだ」
「それで、言いすぎだのか」
「、大坪…」
割り込んできた声に、宮地が返答を詰まらせる。
転がったボールを拾い上げた大坪は、何かを悟った顔で宮地を見ていた。
「最近お前、根詰めてたからな。それを人にぶつけたって仕方ないだろう」
「そりゃ、ちょっと苛立ってたのぶつけちまったのは…いやでもオレは悪くねぇ」
「宮地…」
「み、宮地さ…っブフ…ッ」
哀れみの視線も、笑いをこらえた面も、腹が立って仕方がない。
それでも宮地は自分が悪くないと胸を張って言えた。
確かにちょっと最近イライラしていたのもあるが、それはきっかけに過ぎない。
今日のとある授業の後、ついに爆発したのは、奴の態度が原因だった。
・・・
「うう…何だよこれ、多すぎだろー…」
宮地の前の席で、小さい頭が左右に揺れている。
先の授業で教師から言われたのは、「来週テストするぞ」という普通の生徒なら共通に青くなる言葉だった。
人より真っ青になっている咲哉が気にしているのはそのテスト範囲だ。
指示されたページの頭から最後を摘み、ぱたんぱたんと倒している。
頭の揺れは、その動きとの連動だ。
「はっ!」
しかしすぐさま泣き言を手で押さえて、咲哉は振り返った。
その目は宮地を見つめてギラと光る。
「このテストは、絶対お前に勝つから!」
スポーツでも勉強でも、咲哉がとにかく宮地に噛みつくのはもう癖のようなものだ。
今回もそう、いつもと同じようにただ言うだけ。
本気で勝つ為の努力なんてしないくせに吠えるだけだ。
「…お前さあ」
それは、いつもの宮地なら「うっせえ」とか「言ってろ」とか軽く返せるものだった。
しかし、この日の宮地は額を押さえ、咲哉の口先だけの言葉に溜め息を吐いていた。
本当は一番嫌いなのだ。
努力しない奴。そのくせ声ばっかり大きい奴。
「努力もしてねぇくせに口だけのそれ、いい加減にしろよ」
「え、」
「負けねぇ努力、してねぇだろ。だからずっと結果変わんねーじゃねぇか。イラつくんだよそういう舐めた奴」
咲哉の目が大きく開かれる。
小さく開いたままの口はぱくぱくと音もなく開閉を繰り返し、言い返す言葉を探しているようだった。
「は…はぁ?な、何、怒ってんだよ」
結局咲哉から返ってくるのは誤魔化すような、へらへらとした笑いだけ。
宮地は咲哉から目を逸らし、はあっと露骨に溜め息を吐いてみせた。
ちょっと潤んだ瞳に、言い過ぎたかなんて罪悪感が膨らみかけたけど、謝ってたまるか。
悪いのは咲哉だ。間違ったことは言っていない。
「…っ、なんだよ、ばか…」
その捨て台詞が泣いているように聞こえ、思わずチラと横目で様子をうかがう。
咲哉は机に突っ伏し、顔を腕の中に埋めていた。
怒りが冷めた宮地に残るのは、自分のきつい口調への反省。
それでも、きっとすぐに負けを認めて頭を下げるだろうからと、自ら声をかけることはしなかった。
それがまさか、数日に渡る絶交期間をもたらすとも知らず。
・・・
高尾の視線は体育館の外。
次いで向ける視線の先は、ここ最近傷心モードの宮地だ。
部活にストイックで割と隙のない男と思われた宮地が、友人の小さい男の喧嘩したのはもう数日前になる。
高尾ももはや高笑いできず、遠目に見守り「今日も駄目だったらしい」を確認するだけだ。
しかし、そんな高尾の気遣い虚しく、宮地は苛立った様子でボールをゴールへと放り投げた。
ガンッと強い音のあと、ボールは跳ね返りあらぬ方向へ跳んでいく。
「…っクソ!」
「ひ…ひぇ~…宮地先輩コワいんすけど!!」
高尾は同学年の緑間の影に隠れ、宮地を人差指でさした。
その高尾の腕を弾き下ろさせた緑間も、ちらと大坪に目を向ける。
先輩の荒れ方に、助けを求めるような後輩の視線。
大坪は溜め息一つ吐いた後、宮地に聞こえない程度の声で問いかけた。
「あれから何日だ?」
「月曜が最初だから、もう五日目なんすよ!」
今度はパーに開いた手を高尾が高々と上げる。
五日間、咲哉は一度も練習を終えた体育館に足を運ばなかったのだ。
そして宮地の心労は日に日に大きくなっていく。
「オレ、もしかしてからかい過ぎた!?」
「お前は人のことを気にし過ぎなのだよ」
「で、でもだって、おもしれーじゃん…」
失礼な後輩の会話すら、ゴールを見つめたまま動かない当人の耳には入っていないらしい。
大坪はそんな木偶の坊に見兼ね、腰に手を当てつつ近付いた。
「おい、宮地」
「っ、大坪…何だよ」
「全く。そんな調子じゃ困るぞ、本当に」
大坪が見つめるのは、宮地の手を離れた切り転がったままのバスケットボール。
宮地はそれで自分がぼうっとしていたことに気付き、決まりの悪そうに視線を落とした。
「お前の私生活に口出すつもりはないけどな、こうも集中出来ないようじゃ」
「わ、悪い、もう大丈夫だ」
「全く…。昨日の試験も、お前大丈夫だったろうな?補習なんぞ喰らったら困るぞ」
さらりと大坪の口から出てきた現実に、宮地は一瞬渋い顔を見せた。
そもそもこの状況になるきっかけになった試験の話だ。
「や…補習はない、絶対にそれはない!」
「宮地…」
「っ…あーくそ、まじで悪い。オレどうかしてるよな」
勉強も手が付かず、一番真剣なバスケすら疎かになっていく。
宮地は自身の頭をぶんっと大きく横に振り、はあっと一度大きく息を吐き出した。
「…まさかお前が、あの少年にここまで振り回されるとはな」
「はあ…おかしいって自分でも分かってるよ…」
「ん?いやそこまでは」
「なんつーか、アイツに懐かれて、実は結構嬉しかったんだよ…たぶん…」
現状に落ち込んでいる原因を分析すれば、自然とそういう答えになる。
自分から声をかけなくても、気付けば隣にあった小さい体。
「ったく、アイツが無視なんてしやがるから…」
「無視?それは良くないな」
「あーいや…無視っつか、いなくなんだよ。休み時間も放課後も…朝も来んのおせーし」
チャイムと同時に逃げるように教室を出ていく咲哉が行く先なんて知らない。
ただそうして避けるから、謝るどころか話すことすら出来ないのだ。
「まあ、なんだ。時間が解決しなかったんだから、来週にはちゃんと自分で何とかしろよ」
「悪い。余計な心配かけて」
「はは。むしろ少し楽しませてもらってるよ。お前のプライベートの悩みなんて、なかなか聞けないからな」
「けっ、お前もかよ。高尾といいタチ悪ぃ」
大坪の冗談めいた発言に、宮地は口元に笑みを浮かべて肩をすくめた。
その背後で、後輩がほっと一息ついている。
苛立って無自覚だったが、かなり周りに心配をかけてしまった。
宮地はどこか納得いかない気持ちも残したまま、咲哉の背中を思い出して眉を下げた。
「…やっぱ、泣いてたよな…」
運動部で扱かれた経験のない奴には、言い過ぎたという自覚はある。
来週、ちゃんと話してあの頭を撫でてやろう。
もう怒ってないからと言えば、きっと安心して笑ってくれるはずだ。
「よっし、おら高尾、笑って見てねぇでさっさとその辺片せよ!」
「え!?急に!?つかなんでオレだけ!」
高尾のオーバーなリアクションを堪能してからその日が終わる。
咲哉との会話がなくなって丁度一週間。月曜に勝負は持ち越されることとなった。
・・・
チャイムが鳴るたびそわっと体が落ち着かない。
覚悟を決めた月曜日、それを繰り返し、気付けば手元には先週末行われたテストが返されていた。
思っていた通り結果は宜しくなかった。
さすがに補習は免れているだろうが、今までの宮地としては有り得ない点数だ。
「はあ…」
結局例の問題についても、昼休み時点で進展ゼロ。
案の定咲哉の方からは何のアクションもないときた。
「…あー…」
でもこのままではまた部活に支障出る、それは間違いない。
宮地は恐る恐ると伸ばした手で、小さな背中に触った。
「咲哉?」
一度びくりと大きく震えた肩。それからゆっくりと振り返る。
その咲哉の目は少し俯き気味で、宮地を見なかった。
「おい」
なるべく声のトーンを下げずに再度呼びかける。
咲哉ははっと息を吸いこみ、机の上にあった紙をぐしゃっと机の中にしまい込んだ。
「いい加減止めようぜ、こういうさ、やな空気。もう十分だろ」
「…、でも」
「でもじゃねえ。…つか、オレの口が悪いのなんて知ってんだろ?」
なんであんな一回で。
そう続くはずだった宮地の言葉は、首を横に振る咲哉によって途切れる。
宮地の思っていた通り、咲哉の目は微かに濡れて揺れていた。
「…でも、俺…やっぱ駄目だったから」
「は?」
「ちゃんと成果出してからじゃないと…何言っても、また甘えてるみたいになるから…」
宮地は咲哉が何を言っているのか分からずに首を傾けた。
その様子に、咲哉はおずおずとシワだらけの答案用紙を宮地の机に広げる。
「…宮地に言われてから、俺、それなりに頑張って…。ちゃんと、努力して結果出してから、宮地に改めて挑もうと思って…」
「お前、それ」
「でもやっぱ駄目だ…こんな点数じゃ、宮地には頑張ったぜ!って…言えねーし…」
咲哉の汚い字の上には、丸とバツと、それから点数がしっかり書かれている。
赤い字で書かれた数字は73。
中途半端な点数なのは、なんとかたくさん書いて、おまけでもらった点数があるからだろう。
「あー…いや」
宮地は目を逸らして頭をかいた。
「今回はお前の勝ちだよ」
「え?」
「ほら」
咲哉の答案の横にひらっと並べれば赤い数字が二つ並ぶ。
73、そして65。その勝敗は数字として明確になっていた。
「っ…な、なんでこんな点数?ま、まさか俺に気遣って…」
「あ?遣うかバカ」
「じゃあなんで…ぐ、具合悪かったとか?」
咲哉が驚き目を丸くして宮地を見つめる。
大きな瞳に宮地が映っている。その久しぶりの感覚に、宮地は少し気恥ずかしくて視線を机の上に落とした。
「お前がそんな、…あんなだったから、調子狂ったんだよ」
「俺?」
「っても、お前やりゃ出来んじゃねぇか。今までは手抜いてやがったなコラ」
週の頭から勉強して金曜にこれなら決して馬鹿ではない。
宮地は唇を尖らせ、改めてチラと咲哉の顔を視界に映した。
「…咲哉?」
宮地の言葉に間髪入れず返してくる悪態はない。
黙り込んだままの咲哉は、唇を噛んで机の上で両手をぎゅっと握りしめている。
「あ…あー…無視、したってのは、別に怒ってねぇから。オレがそもそも」
「ごめん!俺、これ以上嫌われたくなくって…っ」
咲哉が宮地の声を遮り主張する。
その言葉の意味が分からず、思わず「何?」と聞き直せば、咲哉は言いづらそうに口を一度閉じた。
「……だって、俺…さすがに嫌われたと思って…!」
「は、はあ?」
「お前に釣り合うくらいにならなきゃ…だって俺、馬鹿だし、うるさいし、口ばっかだし!」
「はあ!?」
宮地の口から出た大きな声に、一瞬教室の空気がざわっと変わる。
そもそもずっとべったりだった二人の険悪モードに、ほとんどのクラスメイトが口には出さずとも気にしていたのだ。
触れてはこないが、注目を集めている。
宮地は居心地の悪さを感じながら、咲哉のシワの寄った額に人差し指を押し当てた。
「オレ嫌じゃねェって言ったよな?」
「い、言ったけど…!さすがに呆れられたって思うじゃん!急にあんな…怒るから…」
もごもごと少しずつ声が小さくなる。
肩をすくめて、いつにも増して小さく見える男に、宮地は頬杖ついて顔を近付けた。
「……それについては悪かったよ。イライラしてたの、お前にぶつけただけだ」
「…、でも」
「お前らしい顔見せろって。なんか落ち着かねぇし。ほら」
「う、わわ」
少々乱暴に顔を手で挟み、左右に揺さぶる。
咲哉はされるがまま頭を振った後、赤くなった頬を掌で擦りつつ上目で宮地を見上げた。
「…じゃあ、今日また…待ってていい?」
こっぱずかしい告白みたいに、震える唇で返される。
宮地はふっと頬を緩め、小さな頭に手を乗せた。
・・・
放課後、一日机に向かっていたせいで多少なりとも疲れた表情も垣間見える部員が集まる。
部長である大坪は、先週から調子の悪い宮地に近付き、「大丈夫か?」と声をかけようと口を開いた。
「…大丈夫、そうだな?」
「は?」
宮地の顔を見るなり、大坪は口をついた言葉をさっと切り替えた。
先週はどこかぼんやりだった男の目は、本来の男前に戻っている。
「なんだ、心配して損したな」
「わ、分かるか?」
「ああ、かなり顔に出てるぞ」
指摘を受け、宮地は咄嗟に自分の掌を頬に重ねた。
どう顔に出ているかは分からないが、安堵していることは間違いない。
「ほっとしたっつか、やっぱこうじゃねーとっていうさ、日常が戻ってきた感じなんだよな」
「良かったな。でも、そんな緩んだ顔してたら、高尾にからかわれるぞ」
「…そんな緩んでっかな」
そう言いながらも口の端が吊り上り、宮地はさり気なく口の前に手をやった。
「久しぶりに真正面から見たら、やっぱコイツ可愛いなーって」
「そうか」
「しかもただの馬鹿だと思ってたのに、結構いろいろ考えてて、オレの為に必死になっててさ」
宮地を見上げれば、咲哉は自然と上目使いになる。
吸い込まれそうなくらい大きな瞳。澄んだ色は素直で、宮地を映すと嬉しそうに輝くのだ。
「なんか分かんねぇんだけど、お前そんなじゃねぇだろってくらい今日は可愛くて…」
「そ、そうか…?」
「ブフォッ!!」
咲哉のことを語り出して止まらない宮地に、大坪がそろそろ困った顔をし始めた頃。
少し遅れて体育館に入ってきた高尾が、盛大に吹き出した。
「け、喧嘩してたと思ったら…っ、今度はなんすか、何なんすか宮地サン…っ!」
「なっ、てめ、馬鹿にしてんな!?」
「いやいやいや、するっしょ!!」
止まらない笑いのせいで、高尾の目には涙が浮かんでいる。
宮地は頬を赤くしたまま高尾を思い切り殴ると、「笑うな!」と無茶なことを叫んだ。
「…いいから、さっさと準備しろ…」
頭を抱える大坪の声は、誰の耳にも届いていなかった。
(第四話・終)
追加日:2017/11/06
移動前:2016/04/30
放課後、体育館に響くボールの擦れる音が少しずつ減って行く。
部活としての時間を終えた今、残っているのはやる気のあるスタメン他数名だけだ。
さて、そろそろボールを回収して先輩を帰さねば。
時計を確認してそう思い至った高尾は、いつものように体育館の外に目を向けた。
きっとあの辺りに、子犬みたいに待っている小さな先輩が…
「…あり?」
体育館の出入り口を確認して、思わず声が出る。
いつも見える小さなシルエットがない。
「宮地さーん、今日はあの小学生、いないんすね?」
特に興味があるわけではないが、気付いてしまった手前宮地へそう呼びかける。
ボールを片手に姿勢良くそこに立っていた宮地は、その声に眉をひくと吊り上げた。
「…別に、約束してるわけじゃねぇよ」
「いやそりゃ知ってっすけど…、珍しいと思って…」
風邪でもひいて休んでたとか。今日は予定があって先に帰ったとか。
考えられる余地はいくらでもあったが、高尾は宮地の顔色から察してしまった。
「ちょ、え、もしかして喧嘩でもしたんですか?」
高い位置にある顔を覗き込んだ高尾の顔が、みるみるうちに赤くなる。
次第に膨らんだ頬は、耐え切れずブハッと吐き出された。
「け、喧嘩!喧嘩するっしょ!むしろ今までなかったんすか!?あれで!?」
「っ、うっせえ!テメェ刺す!」
「絶対性格合わねーじゃないすか!あのうっさい小学生と!ようやく喧嘩!?」
高尾が腹を押さえてヒィヒィと呼吸を繰り返す。
宮地は咄嗟に持っていたボールを投げつけたが、高尾持前の反射神経でそれをひょいと避けられてしまった。
「別に喧嘩じゃねぇ。アイツか無神経だからちょっと説教しただけだ」
「それで、言いすぎだのか」
「、大坪…」
割り込んできた声に、宮地が返答を詰まらせる。
転がったボールを拾い上げた大坪は、何かを悟った顔で宮地を見ていた。
「最近お前、根詰めてたからな。それを人にぶつけたって仕方ないだろう」
「そりゃ、ちょっと苛立ってたのぶつけちまったのは…いやでもオレは悪くねぇ」
「宮地…」
「み、宮地さ…っブフ…ッ」
哀れみの視線も、笑いをこらえた面も、腹が立って仕方がない。
それでも宮地は自分が悪くないと胸を張って言えた。
確かにちょっと最近イライラしていたのもあるが、それはきっかけに過ぎない。
今日のとある授業の後、ついに爆発したのは、奴の態度が原因だった。
・・・
「うう…何だよこれ、多すぎだろー…」
宮地の前の席で、小さい頭が左右に揺れている。
先の授業で教師から言われたのは、「来週テストするぞ」という普通の生徒なら共通に青くなる言葉だった。
人より真っ青になっている咲哉が気にしているのはそのテスト範囲だ。
指示されたページの頭から最後を摘み、ぱたんぱたんと倒している。
頭の揺れは、その動きとの連動だ。
「はっ!」
しかしすぐさま泣き言を手で押さえて、咲哉は振り返った。
その目は宮地を見つめてギラと光る。
「このテストは、絶対お前に勝つから!」
スポーツでも勉強でも、咲哉がとにかく宮地に噛みつくのはもう癖のようなものだ。
今回もそう、いつもと同じようにただ言うだけ。
本気で勝つ為の努力なんてしないくせに吠えるだけだ。
「…お前さあ」
それは、いつもの宮地なら「うっせえ」とか「言ってろ」とか軽く返せるものだった。
しかし、この日の宮地は額を押さえ、咲哉の口先だけの言葉に溜め息を吐いていた。
本当は一番嫌いなのだ。
努力しない奴。そのくせ声ばっかり大きい奴。
「努力もしてねぇくせに口だけのそれ、いい加減にしろよ」
「え、」
「負けねぇ努力、してねぇだろ。だからずっと結果変わんねーじゃねぇか。イラつくんだよそういう舐めた奴」
咲哉の目が大きく開かれる。
小さく開いたままの口はぱくぱくと音もなく開閉を繰り返し、言い返す言葉を探しているようだった。
「は…はぁ?な、何、怒ってんだよ」
結局咲哉から返ってくるのは誤魔化すような、へらへらとした笑いだけ。
宮地は咲哉から目を逸らし、はあっと露骨に溜め息を吐いてみせた。
ちょっと潤んだ瞳に、言い過ぎたかなんて罪悪感が膨らみかけたけど、謝ってたまるか。
悪いのは咲哉だ。間違ったことは言っていない。
「…っ、なんだよ、ばか…」
その捨て台詞が泣いているように聞こえ、思わずチラと横目で様子をうかがう。
咲哉は机に突っ伏し、顔を腕の中に埋めていた。
怒りが冷めた宮地に残るのは、自分のきつい口調への反省。
それでも、きっとすぐに負けを認めて頭を下げるだろうからと、自ら声をかけることはしなかった。
それがまさか、数日に渡る絶交期間をもたらすとも知らず。
・・・
高尾の視線は体育館の外。
次いで向ける視線の先は、ここ最近傷心モードの宮地だ。
部活にストイックで割と隙のない男と思われた宮地が、友人の小さい男の喧嘩したのはもう数日前になる。
高尾ももはや高笑いできず、遠目に見守り「今日も駄目だったらしい」を確認するだけだ。
しかし、そんな高尾の気遣い虚しく、宮地は苛立った様子でボールをゴールへと放り投げた。
ガンッと強い音のあと、ボールは跳ね返りあらぬ方向へ跳んでいく。
「…っクソ!」
「ひ…ひぇ~…宮地先輩コワいんすけど!!」
高尾は同学年の緑間の影に隠れ、宮地を人差指でさした。
その高尾の腕を弾き下ろさせた緑間も、ちらと大坪に目を向ける。
先輩の荒れ方に、助けを求めるような後輩の視線。
大坪は溜め息一つ吐いた後、宮地に聞こえない程度の声で問いかけた。
「あれから何日だ?」
「月曜が最初だから、もう五日目なんすよ!」
今度はパーに開いた手を高尾が高々と上げる。
五日間、咲哉は一度も練習を終えた体育館に足を運ばなかったのだ。
そして宮地の心労は日に日に大きくなっていく。
「オレ、もしかしてからかい過ぎた!?」
「お前は人のことを気にし過ぎなのだよ」
「で、でもだって、おもしれーじゃん…」
失礼な後輩の会話すら、ゴールを見つめたまま動かない当人の耳には入っていないらしい。
大坪はそんな木偶の坊に見兼ね、腰に手を当てつつ近付いた。
「おい、宮地」
「っ、大坪…何だよ」
「全く。そんな調子じゃ困るぞ、本当に」
大坪が見つめるのは、宮地の手を離れた切り転がったままのバスケットボール。
宮地はそれで自分がぼうっとしていたことに気付き、決まりの悪そうに視線を落とした。
「お前の私生活に口出すつもりはないけどな、こうも集中出来ないようじゃ」
「わ、悪い、もう大丈夫だ」
「全く…。昨日の試験も、お前大丈夫だったろうな?補習なんぞ喰らったら困るぞ」
さらりと大坪の口から出てきた現実に、宮地は一瞬渋い顔を見せた。
そもそもこの状況になるきっかけになった試験の話だ。
「や…補習はない、絶対にそれはない!」
「宮地…」
「っ…あーくそ、まじで悪い。オレどうかしてるよな」
勉強も手が付かず、一番真剣なバスケすら疎かになっていく。
宮地は自身の頭をぶんっと大きく横に振り、はあっと一度大きく息を吐き出した。
「…まさかお前が、あの少年にここまで振り回されるとはな」
「はあ…おかしいって自分でも分かってるよ…」
「ん?いやそこまでは」
「なんつーか、アイツに懐かれて、実は結構嬉しかったんだよ…たぶん…」
現状に落ち込んでいる原因を分析すれば、自然とそういう答えになる。
自分から声をかけなくても、気付けば隣にあった小さい体。
「ったく、アイツが無視なんてしやがるから…」
「無視?それは良くないな」
「あーいや…無視っつか、いなくなんだよ。休み時間も放課後も…朝も来んのおせーし」
チャイムと同時に逃げるように教室を出ていく咲哉が行く先なんて知らない。
ただそうして避けるから、謝るどころか話すことすら出来ないのだ。
「まあ、なんだ。時間が解決しなかったんだから、来週にはちゃんと自分で何とかしろよ」
「悪い。余計な心配かけて」
「はは。むしろ少し楽しませてもらってるよ。お前のプライベートの悩みなんて、なかなか聞けないからな」
「けっ、お前もかよ。高尾といいタチ悪ぃ」
大坪の冗談めいた発言に、宮地は口元に笑みを浮かべて肩をすくめた。
その背後で、後輩がほっと一息ついている。
苛立って無自覚だったが、かなり周りに心配をかけてしまった。
宮地はどこか納得いかない気持ちも残したまま、咲哉の背中を思い出して眉を下げた。
「…やっぱ、泣いてたよな…」
運動部で扱かれた経験のない奴には、言い過ぎたという自覚はある。
来週、ちゃんと話してあの頭を撫でてやろう。
もう怒ってないからと言えば、きっと安心して笑ってくれるはずだ。
「よっし、おら高尾、笑って見てねぇでさっさとその辺片せよ!」
「え!?急に!?つかなんでオレだけ!」
高尾のオーバーなリアクションを堪能してからその日が終わる。
咲哉との会話がなくなって丁度一週間。月曜に勝負は持ち越されることとなった。
・・・
チャイムが鳴るたびそわっと体が落ち着かない。
覚悟を決めた月曜日、それを繰り返し、気付けば手元には先週末行われたテストが返されていた。
思っていた通り結果は宜しくなかった。
さすがに補習は免れているだろうが、今までの宮地としては有り得ない点数だ。
「はあ…」
結局例の問題についても、昼休み時点で進展ゼロ。
案の定咲哉の方からは何のアクションもないときた。
「…あー…」
でもこのままではまた部活に支障出る、それは間違いない。
宮地は恐る恐ると伸ばした手で、小さな背中に触った。
「咲哉?」
一度びくりと大きく震えた肩。それからゆっくりと振り返る。
その咲哉の目は少し俯き気味で、宮地を見なかった。
「おい」
なるべく声のトーンを下げずに再度呼びかける。
咲哉ははっと息を吸いこみ、机の上にあった紙をぐしゃっと机の中にしまい込んだ。
「いい加減止めようぜ、こういうさ、やな空気。もう十分だろ」
「…、でも」
「でもじゃねえ。…つか、オレの口が悪いのなんて知ってんだろ?」
なんであんな一回で。
そう続くはずだった宮地の言葉は、首を横に振る咲哉によって途切れる。
宮地の思っていた通り、咲哉の目は微かに濡れて揺れていた。
「…でも、俺…やっぱ駄目だったから」
「は?」
「ちゃんと成果出してからじゃないと…何言っても、また甘えてるみたいになるから…」
宮地は咲哉が何を言っているのか分からずに首を傾けた。
その様子に、咲哉はおずおずとシワだらけの答案用紙を宮地の机に広げる。
「…宮地に言われてから、俺、それなりに頑張って…。ちゃんと、努力して結果出してから、宮地に改めて挑もうと思って…」
「お前、それ」
「でもやっぱ駄目だ…こんな点数じゃ、宮地には頑張ったぜ!って…言えねーし…」
咲哉の汚い字の上には、丸とバツと、それから点数がしっかり書かれている。
赤い字で書かれた数字は73。
中途半端な点数なのは、なんとかたくさん書いて、おまけでもらった点数があるからだろう。
「あー…いや」
宮地は目を逸らして頭をかいた。
「今回はお前の勝ちだよ」
「え?」
「ほら」
咲哉の答案の横にひらっと並べれば赤い数字が二つ並ぶ。
73、そして65。その勝敗は数字として明確になっていた。
「っ…な、なんでこんな点数?ま、まさか俺に気遣って…」
「あ?遣うかバカ」
「じゃあなんで…ぐ、具合悪かったとか?」
咲哉が驚き目を丸くして宮地を見つめる。
大きな瞳に宮地が映っている。その久しぶりの感覚に、宮地は少し気恥ずかしくて視線を机の上に落とした。
「お前がそんな、…あんなだったから、調子狂ったんだよ」
「俺?」
「っても、お前やりゃ出来んじゃねぇか。今までは手抜いてやがったなコラ」
週の頭から勉強して金曜にこれなら決して馬鹿ではない。
宮地は唇を尖らせ、改めてチラと咲哉の顔を視界に映した。
「…咲哉?」
宮地の言葉に間髪入れず返してくる悪態はない。
黙り込んだままの咲哉は、唇を噛んで机の上で両手をぎゅっと握りしめている。
「あ…あー…無視、したってのは、別に怒ってねぇから。オレがそもそも」
「ごめん!俺、これ以上嫌われたくなくって…っ」
咲哉が宮地の声を遮り主張する。
その言葉の意味が分からず、思わず「何?」と聞き直せば、咲哉は言いづらそうに口を一度閉じた。
「……だって、俺…さすがに嫌われたと思って…!」
「は、はあ?」
「お前に釣り合うくらいにならなきゃ…だって俺、馬鹿だし、うるさいし、口ばっかだし!」
「はあ!?」
宮地の口から出た大きな声に、一瞬教室の空気がざわっと変わる。
そもそもずっとべったりだった二人の険悪モードに、ほとんどのクラスメイトが口には出さずとも気にしていたのだ。
触れてはこないが、注目を集めている。
宮地は居心地の悪さを感じながら、咲哉のシワの寄った額に人差し指を押し当てた。
「オレ嫌じゃねェって言ったよな?」
「い、言ったけど…!さすがに呆れられたって思うじゃん!急にあんな…怒るから…」
もごもごと少しずつ声が小さくなる。
肩をすくめて、いつにも増して小さく見える男に、宮地は頬杖ついて顔を近付けた。
「……それについては悪かったよ。イライラしてたの、お前にぶつけただけだ」
「…、でも」
「お前らしい顔見せろって。なんか落ち着かねぇし。ほら」
「う、わわ」
少々乱暴に顔を手で挟み、左右に揺さぶる。
咲哉はされるがまま頭を振った後、赤くなった頬を掌で擦りつつ上目で宮地を見上げた。
「…じゃあ、今日また…待ってていい?」
こっぱずかしい告白みたいに、震える唇で返される。
宮地はふっと頬を緩め、小さな頭に手を乗せた。
・・・
放課後、一日机に向かっていたせいで多少なりとも疲れた表情も垣間見える部員が集まる。
部長である大坪は、先週から調子の悪い宮地に近付き、「大丈夫か?」と声をかけようと口を開いた。
「…大丈夫、そうだな?」
「は?」
宮地の顔を見るなり、大坪は口をついた言葉をさっと切り替えた。
先週はどこかぼんやりだった男の目は、本来の男前に戻っている。
「なんだ、心配して損したな」
「わ、分かるか?」
「ああ、かなり顔に出てるぞ」
指摘を受け、宮地は咄嗟に自分の掌を頬に重ねた。
どう顔に出ているかは分からないが、安堵していることは間違いない。
「ほっとしたっつか、やっぱこうじゃねーとっていうさ、日常が戻ってきた感じなんだよな」
「良かったな。でも、そんな緩んだ顔してたら、高尾にからかわれるぞ」
「…そんな緩んでっかな」
そう言いながらも口の端が吊り上り、宮地はさり気なく口の前に手をやった。
「久しぶりに真正面から見たら、やっぱコイツ可愛いなーって」
「そうか」
「しかもただの馬鹿だと思ってたのに、結構いろいろ考えてて、オレの為に必死になっててさ」
宮地を見上げれば、咲哉は自然と上目使いになる。
吸い込まれそうなくらい大きな瞳。澄んだ色は素直で、宮地を映すと嬉しそうに輝くのだ。
「なんか分かんねぇんだけど、お前そんなじゃねぇだろってくらい今日は可愛くて…」
「そ、そうか…?」
「ブフォッ!!」
咲哉のことを語り出して止まらない宮地に、大坪がそろそろ困った顔をし始めた頃。
少し遅れて体育館に入ってきた高尾が、盛大に吹き出した。
「け、喧嘩してたと思ったら…っ、今度はなんすか、何なんすか宮地サン…っ!」
「なっ、てめ、馬鹿にしてんな!?」
「いやいやいや、するっしょ!!」
止まらない笑いのせいで、高尾の目には涙が浮かんでいる。
宮地は頬を赤くしたまま高尾を思い切り殴ると、「笑うな!」と無茶なことを叫んだ。
「…いいから、さっさと準備しろ…」
頭を抱える大坪の声は、誰の耳にも届いていなかった。
(第四話・終)
追加日:2017/11/06
移動前:2016/04/30