高尾と保健室の先生(黒バス)
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
7.両想い
少し冷え込んだ秋の朝、車を止めて校舎へと向かう。
通り過ぎる生徒達は仲良さそうに談笑しながらも、咲哉を見て礼儀正しく頭を下げる。
「おはよう、今日も元気だね」
「今日は寒いね、風邪ひかないように」
「前見て歩かないと危ないよ」
そんな何気ない日々の会話に、平和を実感する。
良かった、今日も変な噂は広がっていない。
咲哉の心に影をさすのは、自身の未熟さ故に芽生えてしまった恋心。
彼は大丈夫だろうか。せめて咎められるのは自分だけであれ。
そう願いながら保健室の椅子へ腰掛ける日々。
高尾と顔を合わせなくなって、既に1ヶ月が経とうとしていた。
「失礼します」
ある日の昼休み、保健室を訪れたのは背の高い男子生徒だった。
姿勢がよく毅然とした立ち姿。
高校生らしからぬ見た目に、咲哉は顔を上げて一瞬呆然とした。
「…えっと、どうしたのかな」
「いえ、自分は健康ですのでご心配なく」
椅子へ招こうとしたのを感じ取ったのだろう、男子生徒が静かに手で立ち上がろうとした咲哉を制す。
どうやら、その指に巻かれたテーピングは関係ないらしい。
「…今日の放課後、体育館でバスケ部の練習試合があります」
「そうなんだ…、え、バスケ部ってことは」
もしかしてと聞くまでもなく、眼鏡をした真面目そうな男子生徒はこくりと頷いた。
「毎日のように保健室の教諭について聞かされて、急に黙ったと思えば今度はうじうじ、見ていられないのだよ」
「そ、それはそれは…」
「だから今日、見に来て下さい。高尾の事を心配してくれるのならば」
穏やかな声に潜む、どことなく苛立ちを感じさせる棘。
高尾の友人なのだろう彼は「用はそれだけです」と頭を下げた。
そうか自分は、高尾君の友人関係も知らないのだ。
クラスメイト、部活の仲間、仲の良い友人と過ごす学生としての姿も何もかも。
「有難う。そうだね、時間があったら」
「…失礼します」
それだけ言って背を向けた男子生徒が去って行く。
友人の為に保健室に足を運んでくれた心優しい友人のことは後で高尾から聞こう。
「行くしかないじゃないか…」
何も知らないうちに結論は出せない。
何より高尾の友人の心意気に応えなくては。
頬杖に隠した口元が緩んでいる。本当は、ただ高尾に会う理由が見つかったことが嬉しかったのだ。
・・・
普段よりも騒がしい体育館へ足を運ぶ。
やはり授業で行われる試合などとは緊張感が違う。ピリッとした雰囲気は独特なもので、咲哉は一呼吸置いてから階段を上がった。
広い体育館を一望できる観覧用の2階。
バスケ部の強さは有名なようで、女子生徒も割と見に来ていた。
「あれ、先生?」
その中には、よく保健室を訪れる女子生徒もいたらしい。
「先生も試合見にきたんですか?」
「まあ、ね」
「高尾君見に来たんでしょ。こっち、よく見えるよ」
「へ!?あ、ありがとう…」
あっさりと目的を言い当てられ、思わず声が上ずる。
せめて顔には動揺を出さないようにと浮かべた愛想笑いは、女子生徒に違和感なく受け取ってもらえたようだ。
「何してんの、せんせ。早く!」
楽しげにコートを見下ろす女子生徒を横目に、正直なところ詳しくないバスケの試合へ目を向ける。
高尾の姿はすぐに見つける事が出来た。
「試合、出るんだ…。格好良いな…」
髪をばさばさと揺らし、汗を飛ばしながら走る姿はかなり魅力的だ。
そもそもこの強豪校で、一年生ながらレギュラーを勝ち取るのはすごいことなのだろう。
「…」
高尾から目が離せない。
応援に来ている女子の人数から察するに、格好良いバスケ部員は他にもいるのだろう。
それでも、高尾しか目に入らない。
「…君達は、よく試合見に来るのかな」
咲哉は何気なく、そう近くにいる女子生徒達に問いかけていた。
「どうして?」
「あ…いや、高尾君ってどうなのかな…って思ったり…?」
「あはは!先生ホント高尾君お気に入りだねー」
無邪気な女子生徒達に咲哉の下心はばれていない。
それは間違いないのに、彼女の言葉にドキッとしたのは、視界に高尾がいたからだろう。
「高尾君には空間把握能力?があるとかだっけ」
「うん。コートを上から見れる目を持ってるんだって」
「へぇ…、よく分からないけど凄いんだ」
レギュラーですから、と微笑んだ少女は自分の事かのように嬉しそうだ。
きっと余程優れた目を持っているのだろう。
何気なく考えた咲哉は、はっと息を呑んで後ずさった。
「…それは」
「何?先生どうかした?」
「いや……」
ここに来た時点でばれるのは時間の問題だ。
しかし、高尾の目を意識した途端、見られているようで落ち着かなくなってしまった。
自意識過剰だ、気にしなくていいはず。
「…」
「って先生熱い?顔赤くなってるよ」
「…ごめん、熱気にやられちゃった、かもしれない」
試合中、まさか観客にまで目が行くわけがない。
なのに架空の視線が咲哉を捕らえて放さない。
「あれ、先生行っちゃうの?」
「うん。後で…結果だけ教えてね」
咲哉はそれっぽいことを言って誤魔化し、その場を離れた。
だめだ、意識しすぎている。緊張でおかしくなりそうだ。
女の子達の後ろを、そそくさと通り抜ける。
「あ、高尾君こっち見たよ!」
その直後聞こえてきた声に、咲哉は逃げるように体育館を出ていった。
・・・
保健室に戻りベッドに腰掛けて、咲哉はようやく大きな息を吐き出した。
まだドキドキの胸を打つ音が止まらない。
久々に見た彼の姿は、この思いを自覚したせいか今まで以上に素敵に見えた。
「はぁ…。駄目だな、本当に…」
会いたかったのは事実だ。顔が見れるだけでも良かった。
高尾の気持ちに応えられないとか考えつつも、自分の気持ちに嘘もつけなかったのだ。
「馬鹿だな僕は…」
未だうるさい胸を押し付けるようにベッドに横たわる。
白衣も着たまま。シワになるとか考える余裕もない。
どうして好きになってしまった。いやむしろ、どうして好きになられてしまったんだ。
「…っ」
考えたって仕方がない。
理屈じゃないのだ、ただ惹かれる存在だったそれだけのこと。
「本当に…ろくな恋をしないな…」
さっさと合コンでもして結婚でもしてしまえばこうはならなかったのだろうか。
そんな現実味の無いことを考えていなければ、高尾への感情でどうにかなってしまいそうだった。
好きだ。
無邪気な笑顔が、時折見せる切なげな表情が、低いけれど子供らしい声が、容赦なく触れてくる手が。
「好き、…」
目を閉じて、顔を布団に埋める。
もう彼に近づくのはやめよう。気づいてしまった以上、もう顔に出さずにはいられないから。
「本人に言えっての」
荒く息の混ざった声が聞こえた瞬間、咲哉の膨れ上がった熱が一気に冷めきった。
「…、え…?」
「なんで逃げんだよ、先生」
今ここから聞こえてくるはずの無い声に、咲哉は体を硬直させ、ゆっくりと起き上がる。
開いたままの白いカーテンの間に見える、白とオレンジのユニフォーム。
「高尾君…」
「気付かねーと思った?試合中だって見えるよ、先生の事なら」
高尾は後ろ手にカーテンを閉めて、咲哉を見下ろしていた。
カーテンの内側、薄暗いせいで咲哉の位置から高尾の顔はよく見えない。
「…怒ってる?」
「今オレが怒ってるかとか、んな事はどーでもいいから。なぁ、先生、オレがどんな気持ちで待ってたと思う?」
「…、」
高尾に返す言葉はすぐに見つからなかった。
開いたままの口をぱくぱくと動かし、喉の奥が乾いていく。
「アンタがオレを好きだって確信持ったから、だから待ってるって言ったってのにさ…。来ねぇって…連絡も無しって酷くね?」
「それは…君が心変わりするかもしれないって…それまでこのまま」
「オレが子供だからって舐めてんだろ先生、そんなもんじゃねーんだって…なんで分かってくんないかな…」
高尾の声は、普段の姿からは想像できないほど弱弱しく震えている。
今にも泣きだしそうに歪んだ顔も初めて見る。
何故考えなかったのだろう。自分の行動で高尾が悲しむという事を。
「オレだって、男で生徒でさ、こんな気持ち…迷惑かけるかなとか考えたよ」
「うん…」
「それでも好きなのはどーしたらいいんだよ…大人なら教えてって先生…」
そこに膝をついた高尾の顔が、咲哉の膝に乗せられた。
高尾の切ない声が胸を切裂くようだった。
それなのに罪悪感以上に愛情が募る。小さくなって縋る彼が愛しくてたまらない。
「…高尾君、僕は君の気持ちに応えちゃいけないと思ってた。君はまだ…これからもっと出会いに満ちてるから」
「んなの…」
「ごめんな、君の気持ちを軽んじてた。我慢するのは僕だけだと、思い込んでたのかも」
なめらかな黒髪をぽんぽんと撫でる。
その咲哉の動きに反応して上げられた高尾の顔は、やはり不安を拭えていない。
笑顔をもう一度見たい。
咲哉はふうっと深呼吸をしてから高尾の頬に手を重ねた。
「でも、もう一度考えて。君が好きだと言っている相手は、君にふさわしくないよ」
「そうかもしんねーけど、オレは先生が好きだ」
この気持ちに応えてしまったら、大人としても人間としても駄目になる。
そして、高尾を駄目にしてしまう。
「…後悔しないって、誓える?」
「何…」
「僕を選んで」
「するわけねーじゃん…っ」
しかし、理性は吹き飛んだ。
男として高尾を求めたいという気持ちは、もう胸の奥に根を張ってしまった。
「高尾君、ごめんね」
「…っ」
「たぶん、手放してあげられなくなるけど」
「…!」
咲哉の思いとは裏腹に、 嬉しそうにばっと立ち上がると、高尾は咲哉の肩を掴んで抱き寄せた。
今まで会わなかった分、と言わんばかりに強く。
「オレの気持ち舐めんなってマジで」
「ん…そうだねごめん」
「先生、聞かせてよ。ちゃんと」
「……好きだよ」
言葉に出してしまった以上、もう戻れない。
振り切れた愛情が止まらなくなって、咲哉は高尾の胸に顔を寄せた。
ユニフォームに染み込んだ高尾の汗の匂いすらも愛しくて、しっとりとした高尾の体に腕を回す。
「…待たせてごめん」
たぶん、いつかどこかで後悔する日は来るだろう。
選んだ事を、応えた事を、好きになったことを。
せめてその日までは、静かに、ひっそりと二人の時間を大事に出来れば良い。
小さくても、少しでも、幸せを感じられるなら。
「さ、終わり。高尾君、離れて」
「え!?ここから良い流れくるんじゃねーの!?」
「こうなった以上、学校では執拗に近付かないこと」
ぐいっと体を引き剥がすと、高尾はしょんぼりと眉を下げた。
しかし、先程までの悲しさは帯びていない。
「ていうか高尾君、試合は終わったの?」
「…途中で抜けてきた」
「ば…っ!早く戻りなさい!」
「は、はーい!」
背中を押せば、名残惜しそうにしながらも立ち上がる。
その高尾の手は咲哉の手をぎゅっと掴んだ。
暖かい、幸せな温度だ。
「また明日、先生」
「ああ。また明日」
たたっと駆け出す背中に、今は愛しさしか感じない。
もう謝らない。もう後ろは見ない。
「有難う…」
好きになってくれたことに感謝して。
咲哉はゆっくり立ち上がると、明日からの日々を想って微笑んでいた。
(第七話・終)
追加日:2017/11/12
移動前:2013/11/22
少し冷え込んだ秋の朝、車を止めて校舎へと向かう。
通り過ぎる生徒達は仲良さそうに談笑しながらも、咲哉を見て礼儀正しく頭を下げる。
「おはよう、今日も元気だね」
「今日は寒いね、風邪ひかないように」
「前見て歩かないと危ないよ」
そんな何気ない日々の会話に、平和を実感する。
良かった、今日も変な噂は広がっていない。
咲哉の心に影をさすのは、自身の未熟さ故に芽生えてしまった恋心。
彼は大丈夫だろうか。せめて咎められるのは自分だけであれ。
そう願いながら保健室の椅子へ腰掛ける日々。
高尾と顔を合わせなくなって、既に1ヶ月が経とうとしていた。
「失礼します」
ある日の昼休み、保健室を訪れたのは背の高い男子生徒だった。
姿勢がよく毅然とした立ち姿。
高校生らしからぬ見た目に、咲哉は顔を上げて一瞬呆然とした。
「…えっと、どうしたのかな」
「いえ、自分は健康ですのでご心配なく」
椅子へ招こうとしたのを感じ取ったのだろう、男子生徒が静かに手で立ち上がろうとした咲哉を制す。
どうやら、その指に巻かれたテーピングは関係ないらしい。
「…今日の放課後、体育館でバスケ部の練習試合があります」
「そうなんだ…、え、バスケ部ってことは」
もしかしてと聞くまでもなく、眼鏡をした真面目そうな男子生徒はこくりと頷いた。
「毎日のように保健室の教諭について聞かされて、急に黙ったと思えば今度はうじうじ、見ていられないのだよ」
「そ、それはそれは…」
「だから今日、見に来て下さい。高尾の事を心配してくれるのならば」
穏やかな声に潜む、どことなく苛立ちを感じさせる棘。
高尾の友人なのだろう彼は「用はそれだけです」と頭を下げた。
そうか自分は、高尾君の友人関係も知らないのだ。
クラスメイト、部活の仲間、仲の良い友人と過ごす学生としての姿も何もかも。
「有難う。そうだね、時間があったら」
「…失礼します」
それだけ言って背を向けた男子生徒が去って行く。
友人の為に保健室に足を運んでくれた心優しい友人のことは後で高尾から聞こう。
「行くしかないじゃないか…」
何も知らないうちに結論は出せない。
何より高尾の友人の心意気に応えなくては。
頬杖に隠した口元が緩んでいる。本当は、ただ高尾に会う理由が見つかったことが嬉しかったのだ。
・・・
普段よりも騒がしい体育館へ足を運ぶ。
やはり授業で行われる試合などとは緊張感が違う。ピリッとした雰囲気は独特なもので、咲哉は一呼吸置いてから階段を上がった。
広い体育館を一望できる観覧用の2階。
バスケ部の強さは有名なようで、女子生徒も割と見に来ていた。
「あれ、先生?」
その中には、よく保健室を訪れる女子生徒もいたらしい。
「先生も試合見にきたんですか?」
「まあ、ね」
「高尾君見に来たんでしょ。こっち、よく見えるよ」
「へ!?あ、ありがとう…」
あっさりと目的を言い当てられ、思わず声が上ずる。
せめて顔には動揺を出さないようにと浮かべた愛想笑いは、女子生徒に違和感なく受け取ってもらえたようだ。
「何してんの、せんせ。早く!」
楽しげにコートを見下ろす女子生徒を横目に、正直なところ詳しくないバスケの試合へ目を向ける。
高尾の姿はすぐに見つける事が出来た。
「試合、出るんだ…。格好良いな…」
髪をばさばさと揺らし、汗を飛ばしながら走る姿はかなり魅力的だ。
そもそもこの強豪校で、一年生ながらレギュラーを勝ち取るのはすごいことなのだろう。
「…」
高尾から目が離せない。
応援に来ている女子の人数から察するに、格好良いバスケ部員は他にもいるのだろう。
それでも、高尾しか目に入らない。
「…君達は、よく試合見に来るのかな」
咲哉は何気なく、そう近くにいる女子生徒達に問いかけていた。
「どうして?」
「あ…いや、高尾君ってどうなのかな…って思ったり…?」
「あはは!先生ホント高尾君お気に入りだねー」
無邪気な女子生徒達に咲哉の下心はばれていない。
それは間違いないのに、彼女の言葉にドキッとしたのは、視界に高尾がいたからだろう。
「高尾君には空間把握能力?があるとかだっけ」
「うん。コートを上から見れる目を持ってるんだって」
「へぇ…、よく分からないけど凄いんだ」
レギュラーですから、と微笑んだ少女は自分の事かのように嬉しそうだ。
きっと余程優れた目を持っているのだろう。
何気なく考えた咲哉は、はっと息を呑んで後ずさった。
「…それは」
「何?先生どうかした?」
「いや……」
ここに来た時点でばれるのは時間の問題だ。
しかし、高尾の目を意識した途端、見られているようで落ち着かなくなってしまった。
自意識過剰だ、気にしなくていいはず。
「…」
「って先生熱い?顔赤くなってるよ」
「…ごめん、熱気にやられちゃった、かもしれない」
試合中、まさか観客にまで目が行くわけがない。
なのに架空の視線が咲哉を捕らえて放さない。
「あれ、先生行っちゃうの?」
「うん。後で…結果だけ教えてね」
咲哉はそれっぽいことを言って誤魔化し、その場を離れた。
だめだ、意識しすぎている。緊張でおかしくなりそうだ。
女の子達の後ろを、そそくさと通り抜ける。
「あ、高尾君こっち見たよ!」
その直後聞こえてきた声に、咲哉は逃げるように体育館を出ていった。
・・・
保健室に戻りベッドに腰掛けて、咲哉はようやく大きな息を吐き出した。
まだドキドキの胸を打つ音が止まらない。
久々に見た彼の姿は、この思いを自覚したせいか今まで以上に素敵に見えた。
「はぁ…。駄目だな、本当に…」
会いたかったのは事実だ。顔が見れるだけでも良かった。
高尾の気持ちに応えられないとか考えつつも、自分の気持ちに嘘もつけなかったのだ。
「馬鹿だな僕は…」
未だうるさい胸を押し付けるようにベッドに横たわる。
白衣も着たまま。シワになるとか考える余裕もない。
どうして好きになってしまった。いやむしろ、どうして好きになられてしまったんだ。
「…っ」
考えたって仕方がない。
理屈じゃないのだ、ただ惹かれる存在だったそれだけのこと。
「本当に…ろくな恋をしないな…」
さっさと合コンでもして結婚でもしてしまえばこうはならなかったのだろうか。
そんな現実味の無いことを考えていなければ、高尾への感情でどうにかなってしまいそうだった。
好きだ。
無邪気な笑顔が、時折見せる切なげな表情が、低いけれど子供らしい声が、容赦なく触れてくる手が。
「好き、…」
目を閉じて、顔を布団に埋める。
もう彼に近づくのはやめよう。気づいてしまった以上、もう顔に出さずにはいられないから。
「本人に言えっての」
荒く息の混ざった声が聞こえた瞬間、咲哉の膨れ上がった熱が一気に冷めきった。
「…、え…?」
「なんで逃げんだよ、先生」
今ここから聞こえてくるはずの無い声に、咲哉は体を硬直させ、ゆっくりと起き上がる。
開いたままの白いカーテンの間に見える、白とオレンジのユニフォーム。
「高尾君…」
「気付かねーと思った?試合中だって見えるよ、先生の事なら」
高尾は後ろ手にカーテンを閉めて、咲哉を見下ろしていた。
カーテンの内側、薄暗いせいで咲哉の位置から高尾の顔はよく見えない。
「…怒ってる?」
「今オレが怒ってるかとか、んな事はどーでもいいから。なぁ、先生、オレがどんな気持ちで待ってたと思う?」
「…、」
高尾に返す言葉はすぐに見つからなかった。
開いたままの口をぱくぱくと動かし、喉の奥が乾いていく。
「アンタがオレを好きだって確信持ったから、だから待ってるって言ったってのにさ…。来ねぇって…連絡も無しって酷くね?」
「それは…君が心変わりするかもしれないって…それまでこのまま」
「オレが子供だからって舐めてんだろ先生、そんなもんじゃねーんだって…なんで分かってくんないかな…」
高尾の声は、普段の姿からは想像できないほど弱弱しく震えている。
今にも泣きだしそうに歪んだ顔も初めて見る。
何故考えなかったのだろう。自分の行動で高尾が悲しむという事を。
「オレだって、男で生徒でさ、こんな気持ち…迷惑かけるかなとか考えたよ」
「うん…」
「それでも好きなのはどーしたらいいんだよ…大人なら教えてって先生…」
そこに膝をついた高尾の顔が、咲哉の膝に乗せられた。
高尾の切ない声が胸を切裂くようだった。
それなのに罪悪感以上に愛情が募る。小さくなって縋る彼が愛しくてたまらない。
「…高尾君、僕は君の気持ちに応えちゃいけないと思ってた。君はまだ…これからもっと出会いに満ちてるから」
「んなの…」
「ごめんな、君の気持ちを軽んじてた。我慢するのは僕だけだと、思い込んでたのかも」
なめらかな黒髪をぽんぽんと撫でる。
その咲哉の動きに反応して上げられた高尾の顔は、やはり不安を拭えていない。
笑顔をもう一度見たい。
咲哉はふうっと深呼吸をしてから高尾の頬に手を重ねた。
「でも、もう一度考えて。君が好きだと言っている相手は、君にふさわしくないよ」
「そうかもしんねーけど、オレは先生が好きだ」
この気持ちに応えてしまったら、大人としても人間としても駄目になる。
そして、高尾を駄目にしてしまう。
「…後悔しないって、誓える?」
「何…」
「僕を選んで」
「するわけねーじゃん…っ」
しかし、理性は吹き飛んだ。
男として高尾を求めたいという気持ちは、もう胸の奥に根を張ってしまった。
「高尾君、ごめんね」
「…っ」
「たぶん、手放してあげられなくなるけど」
「…!」
咲哉の思いとは裏腹に、 嬉しそうにばっと立ち上がると、高尾は咲哉の肩を掴んで抱き寄せた。
今まで会わなかった分、と言わんばかりに強く。
「オレの気持ち舐めんなってマジで」
「ん…そうだねごめん」
「先生、聞かせてよ。ちゃんと」
「……好きだよ」
言葉に出してしまった以上、もう戻れない。
振り切れた愛情が止まらなくなって、咲哉は高尾の胸に顔を寄せた。
ユニフォームに染み込んだ高尾の汗の匂いすらも愛しくて、しっとりとした高尾の体に腕を回す。
「…待たせてごめん」
たぶん、いつかどこかで後悔する日は来るだろう。
選んだ事を、応えた事を、好きになったことを。
せめてその日までは、静かに、ひっそりと二人の時間を大事に出来れば良い。
小さくても、少しでも、幸せを感じられるなら。
「さ、終わり。高尾君、離れて」
「え!?ここから良い流れくるんじゃねーの!?」
「こうなった以上、学校では執拗に近付かないこと」
ぐいっと体を引き剥がすと、高尾はしょんぼりと眉を下げた。
しかし、先程までの悲しさは帯びていない。
「ていうか高尾君、試合は終わったの?」
「…途中で抜けてきた」
「ば…っ!早く戻りなさい!」
「は、はーい!」
背中を押せば、名残惜しそうにしながらも立ち上がる。
その高尾の手は咲哉の手をぎゅっと掴んだ。
暖かい、幸せな温度だ。
「また明日、先生」
「ああ。また明日」
たたっと駆け出す背中に、今は愛しさしか感じない。
もう謝らない。もう後ろは見ない。
「有難う…」
好きになってくれたことに感謝して。
咲哉はゆっくり立ち上がると、明日からの日々を想って微笑んでいた。
(第七話・終)
追加日:2017/11/12
移動前:2013/11/22