高尾と保健室の先生(黒バス)
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・後日談⑤ 特別な呼び方
青空の下、高尾はその晴天に負けない笑顔で立っていた。
会場の前、行き交う選手やその友人・家族を気にする事なく、自身の携帯をじいと見つめる。
彼の声が聞こえてくるような文面。ようやくトークアプリを使えるようになった恋人からの返事は、既読から少し遅れて返って来る。
「ずいぶん楽しそうですね。誰か来るんですか?」
「フフーン、分かる?分かっちゃう?」
「…すみません。やっぱり聞かなかったことにして下さい」
「なーんで!もっと聞いて聞いて!」
元々人前では常にハイテンションを保てることが特技である高尾だが、今日はいつも以上に高揚していた。
それもそのはず、今日は初めてあの人が来る事になっている。
「高尾君!」
もうすぐ着くという通知が来たのは今から5分程前のこと。
そして連絡通りに5分で目の前に現れた人に、高尾はふにゃと緩んだ笑みを向けた。
いつも学校で会う時とは違う、しかしラフ過ぎないシンプルな私服。軽く振られる手の向く先には、言わずもがな高尾がいる。
「はは、先生早かったじゃん」
「はぁっ…待ってるなんて言われたら、急ぐに決まってるだろ…!」
肩で大きく呼吸をして、頬をつたう汗を片手で拭う。
秀徳高校の養護教諭である咲哉は、心なしか怒った顔を高尾へ突き付けた。
前々から今日の試合について伝えてはいたが、特別これといった約束は交わさなかった。
「行けたら行くね」なんて曖昧な返事は、どうせ当日「やっぱり行けない」と返す為の常套句。
高尾はそれが出来ないよう、今朝になって突然「会場前で待ってから」と身勝手な連絡を送り付けたのだ。
「あんな無理言わなくたって、今日はちゃんと来る気だったのに」
「そう言って、今まで何度も急に断ったりしてきたじゃん」
「それは…俺だって結構忙しんだから…申し訳ないとは、思ってたよ」
咲哉は絶対に高尾と外で会う約束は交わさなかった。
必要な警戒だ。先生と生徒がこれからもずっと一緒に居る為に仕方のない事。
だからこそ、公式試合は外で会っても不自然ではない、貴重なイベントなのだ。
「…と、先生、こっち誠凛高校のオレの友達?てかライバルな黒子君でっす」
「え…?え!?」
「どうも」
ここでようやく高尾の手はゆるりと右に傾いた。
咲哉の目はその手を追いかけ、そこに佇む青年を捉える。
適当な紹介に従って初めから隣にいた黒子が頭を下げると、咲哉の顔にじわっと汗が滲んだ。
「ご、ごめんね…い、いつから」
「ぶはっ!最初っからっつか、気付かなくて当然だから仕方ねーって…ふ、ふふ」
「それは…どういう…」
咲哉は困惑した様子で、黒子をまじまじと見つめている。
毎度の事ながら黒子の存在感の薄さは、見事に人々を驚かせてくれる。
ずっと高尾の隣にいた黒子だが、咲哉には突然沸いて出たように見えているだろう。
「あ…えっと、いつも高尾君がお世話になってます」
「いえこちらこそ。高尾君には面倒な旧友がお世話になっています」
「あー先生、こいつ中学ン時真ちゃんとチームメイトで」
「へぇ、緑間君が…!そっか、そんなこともあるんだね」
落ち着きを取り戻した咲哉は、先生としての顔を黒子に向けた。
柔らかな微笑みと、穏やかな口調、聞きやすい声。全て高尾が大好きなものだ。
「でもそれって辛くない?お友達なんだよね?」
「いいえ、むしろ好都合です」
「そうなんだ。すごく格好良い考え方だね」
人好きする笑みを見せながら、いつもの調子で黒子の頭を軽く撫でる。
いや、それは黒子向けの対応じゃねーな、と思うのが高尾の知る黒子像。
しかし黒子は嫌がる素振りなく、にこりと微笑み返した。
「そんな風に評価されるのは初めてです。有難うございます」
「いえいえ」
なんだか和やかな空気だ。
本来ならむしろこれから試合だって感じでピリピリし出す頃なのに。
「…おいコラ魔性」
「ん?高尾君何か言った?」
「いーや、何でも?」
生徒がメロメロになるわけだ、勿論自分を含めて。
高尾はさり気なく溜め息を吐いて、自慢の恋人を恨めしく見つめた。
性格的に黒子とは気が合いそうだ。別に嫉妬なんてしてない。
「と…じゃあお邪魔しちゃ悪いし、僕は先に席の方に行ってるよ」
「え?何だよ気にすんなって。まだ時間あるし」
「いやいや他校の友人なんだろ?高尾君も、それに黒子君も頑張ってね」
咲哉は高尾の頭に手を乗せ、それから黒子へ手を振った。
人に見られた事を少なからず気にしたのだろう、振り返ることなく会場の中へ消えた咲哉を見送る高尾は、内心膨れっ面だ。
外で会える機会なんて滅多にないし、正直黒子との時間より大事なんだけど。
そんな高尾の気持ちなど知る由もない黒子は、咲哉の姿が見えなくなるとすぐさま高尾の顔を覗き込んだ。
「素敵な先生ですね。担任の方ですか?」
「いんや、なんつったかな…保健室のセンセ的な?」
「随分と仲良しなんですね」
素敵な…なんて褒め言葉が、何故か他人事ではない。
高尾は気分が良くなるのを感じながら、にやけないように唇を結んだ。
「…目が良い人は怪我しにくいものだと思ってました」
「いやいや、んなことねーよ、先生と仲良くなったのもオレが足くじいたのきっかけだし」
もう懐かしくも感じる、運命の日だ。
練習に足を挫き、初めて彼を見た瞬間、高尾はあっという間に恋に落ちた。
「保健室となれば尚更、なんというか小説に出てくるような…理想を象ったような方ですね」
「だろ?こんなに生徒に構ってくれる優しい先生他にいねーしな」
「ボク、自分の学校の保健室の先生なんてほとんど記憶にもないです」
「それがフツーだろ」
優越感。誰から見ても理想の先生。女子生徒の憧れで男子生徒も親しみをもつ。
そんな先生の心は、本当の姿は誰も知らない。高尾だけのものだ。
「おい黒子!いい加減にしねーと監督がキレる!」
そんな高尾の良い気分を吹き飛ばしたのは、どたどたと忙しなく駆け込んできた誠凛高校のエース。
会場から走って出て来たらしい彼は、慌てた様子で黒子の腕を掴んだ。
「おー火神じゃん、おっすー」
「おっすーじゃねー。そろそろ行くぞ黒子」
「はい。高尾君、失礼しますね」
「おう、またなー」
嵐のようにやってきた火神によって黒子が連行される。
こんなことなら、もうちょっと咲哉を引き止めておくんだった。
一瞬そんなことを考えた高尾の前に、続けて先輩である宮地が現れた。
「おい高尾!」
「あっれ、宮地先輩。もう時間っすか?」
「あ?いやそうじゃねーよ。咲哉ちゃん呼んだのお前だろ」
一瞬、高尾の思考は停止した。
「えっと…咲哉ちゃん?」
「今そこですれ違ったんだよ。親しくしてんのは知ってっけど、ったく迷惑かけんじゃねーよ」
鈴木咲哉。
うっかり外で呼んでしまわないように封印してきた彼の名前だ。
何か頬に伝う冷たさを感じながら、高尾はへらっとした笑顔を貼り付けた。
「あー…いや、先生バスケ見たいって言ってくれたし?」
「気ィ遣ってくれてんだろ?話したことあっけどスポーツは分かんないってずっと言ってたし」
「へぇ?じゃあオレと仲良くなって興味持ってくれたんすねぇ」
「オイオイお前…あんま調子乗ってっと轢くぞ」
宮地はそう言うなり高尾の頭に拳骨をくらわす。
それに対してイテテとふざけて返しながら、高尾はかなり動揺していた。
なんだよ聞いたことねーよそんなの。
「ま、こうなったもんは仕方ねーけど。おら、行くぞ」
「へーい」
大して親しくもない宮地が当然のように咲哉を“咲哉ちゃん”と呼ぶ。
つまり、3年生の間で浸透したニックネームなのだろう。
もやと胸に広がった黒い感情を仕舞い込み、高尾は宮地の後ろを軽やかなステップでついて行く。
先生が来てんだ、まずは試合に集中して勝たないと。そう言い聞かせながら、高尾の握った拳はキリリと自身の掌に食い込んでいた。
・・・
試合明けの平日、迎えた最初の昼休み。
ガララッと少し荒っぽく保健室のドアを開くと、咲哉はびくと体を揺らしながら顔を上げた。
チャイムが鳴ると同時に走り込んだ保健室には、まだ他に怪我人もファンもいない。
「…高尾君、君はホントに…休み時間に一緒にいる友人はいないのかな」
先生心配だよ、と嘆く咲哉の顔は養護教諭そのものだ。
学校にいる限りは高尾の前だろうと、二人きりであろうと「先生」であろうとする。
高尾は保健室を見渡した後、すたすたと咲哉に近付いた。
「咲哉ちゃん」
「え…!?」
「先生さ、咲哉ちゃんって呼ばれてんだって?」
咲哉の顔が、一瞬引きつった。
高尾から視線を逸らして、そのままぐるっと目が泳いで、再び高尾へと戻ってくる。
高尾はそんな咲哉の反応に、口元をニヤつかせながらカーテンの開けられたベッドに腰掛けた。
「あ、ああ。3年生の誰かに聞いたんだろ。なんかいつの間にか浸透してたんだよ、それ」
「じゃあオレもそう呼んでいい?咲哉ちゃん」
「や…それは、ちょっと…嫌だ」
咲哉が躊躇いがちに目を伏せる。
はっきりとした拒否に、高尾は思わずベッドの足を自身の踵でガツンと蹴った。
「だって皆呼んでんだろ?学校だけでもさ、いーじゃん」
「…駄目だ」
「なんで?それは何、俺だから嫌なの?それとも本当は基本的に嫌なあだ名なわけ?」
自然とトゲトゲしくなる声に、咲哉が眉を下げて吐息を零す。
暫く返答出来ず俯いていた咲哉は、ゆっくりと重そうに腰を上げた。
「あまり学校でこういうことを言いたくはないんだけど…」
「何?」
「僕としては…君に名前で呼ばれるのは、二人きりの時だけ、でいい」
高尾の前まで歩み寄り、そのまま腰を屈めて高尾の顔に自身の顔を寄せる。
軽く触れるだけ。触れるだけの静かな口付け。
しかし学校という場所、少し消毒臭い空間が、いつも以上に体を緊張させた。
「な、な、なん、だよ…先生、」
「高尾君さ…ちょっと特別な時にだけ、名前呼んでくれるだろ?あれ、結構嬉しくて」
「は…」
突然訪れた甘ったるい空気に、高尾は言葉を失い咲哉を見上げた。
さらっと男前なことをしてくれた先生の顔があっという間に色付く。
照れ臭そうに視線を彷徨わせ、とすんと高尾の隣に腰掛けた咲哉は、高尾の方を向こうともしない。
「だから…その、呼び方については、今のままで結構僕としては満足しているというか…」
「センセ…」
「名前は、高尾君にだけは、大事にして欲しい…というか」
高尾は足の先からぞくぞくと何か湧き上がるのを感じて、掌で自分の口を覆った。
なんで今学校なんだ。ベッドがあるのに、我慢しなければならないなんて。
「あー…、悪ィ、先生、今日は俺の負け」
「…何?」
「先生が可愛かったから許す」
ちょっとからかうだけのつもりだった。
先輩が知らない呼び方で呼ぶから、少し嫉妬して、困らせようとしただけだ。
高尾はぱっと立ち上がり、熱い頬が見られないように咲哉に背を向けた。
「んじゃ、先生!また放課後!」
軽く手を上げて、でも名残惜しくて軽く振り返る。
ベッドに腰掛けたままの咲哉は、もう先生に戻った様子で高尾に手を振り返していた。
「敵わねーな、ホント…」
ぽつりと呟き、手の甲で口元を隠す。
柔らかな感触も、ほのかな甘い香りも、まだ高尾の体に染みついている。
からからと静かにドアを閉めた高尾は、背を預けたまま暫く立ち尽くしていた。
(後日談⑤ 特別な呼び方・終)
追加日:2018/07/22
移動前:2016/06/05
青空の下、高尾はその晴天に負けない笑顔で立っていた。
会場の前、行き交う選手やその友人・家族を気にする事なく、自身の携帯をじいと見つめる。
彼の声が聞こえてくるような文面。ようやくトークアプリを使えるようになった恋人からの返事は、既読から少し遅れて返って来る。
「ずいぶん楽しそうですね。誰か来るんですか?」
「フフーン、分かる?分かっちゃう?」
「…すみません。やっぱり聞かなかったことにして下さい」
「なーんで!もっと聞いて聞いて!」
元々人前では常にハイテンションを保てることが特技である高尾だが、今日はいつも以上に高揚していた。
それもそのはず、今日は初めてあの人が来る事になっている。
「高尾君!」
もうすぐ着くという通知が来たのは今から5分程前のこと。
そして連絡通りに5分で目の前に現れた人に、高尾はふにゃと緩んだ笑みを向けた。
いつも学校で会う時とは違う、しかしラフ過ぎないシンプルな私服。軽く振られる手の向く先には、言わずもがな高尾がいる。
「はは、先生早かったじゃん」
「はぁっ…待ってるなんて言われたら、急ぐに決まってるだろ…!」
肩で大きく呼吸をして、頬をつたう汗を片手で拭う。
秀徳高校の養護教諭である咲哉は、心なしか怒った顔を高尾へ突き付けた。
前々から今日の試合について伝えてはいたが、特別これといった約束は交わさなかった。
「行けたら行くね」なんて曖昧な返事は、どうせ当日「やっぱり行けない」と返す為の常套句。
高尾はそれが出来ないよう、今朝になって突然「会場前で待ってから」と身勝手な連絡を送り付けたのだ。
「あんな無理言わなくたって、今日はちゃんと来る気だったのに」
「そう言って、今まで何度も急に断ったりしてきたじゃん」
「それは…俺だって結構忙しんだから…申し訳ないとは、思ってたよ」
咲哉は絶対に高尾と外で会う約束は交わさなかった。
必要な警戒だ。先生と生徒がこれからもずっと一緒に居る為に仕方のない事。
だからこそ、公式試合は外で会っても不自然ではない、貴重なイベントなのだ。
「…と、先生、こっち誠凛高校のオレの友達?てかライバルな黒子君でっす」
「え…?え!?」
「どうも」
ここでようやく高尾の手はゆるりと右に傾いた。
咲哉の目はその手を追いかけ、そこに佇む青年を捉える。
適当な紹介に従って初めから隣にいた黒子が頭を下げると、咲哉の顔にじわっと汗が滲んだ。
「ご、ごめんね…い、いつから」
「ぶはっ!最初っからっつか、気付かなくて当然だから仕方ねーって…ふ、ふふ」
「それは…どういう…」
咲哉は困惑した様子で、黒子をまじまじと見つめている。
毎度の事ながら黒子の存在感の薄さは、見事に人々を驚かせてくれる。
ずっと高尾の隣にいた黒子だが、咲哉には突然沸いて出たように見えているだろう。
「あ…えっと、いつも高尾君がお世話になってます」
「いえこちらこそ。高尾君には面倒な旧友がお世話になっています」
「あー先生、こいつ中学ン時真ちゃんとチームメイトで」
「へぇ、緑間君が…!そっか、そんなこともあるんだね」
落ち着きを取り戻した咲哉は、先生としての顔を黒子に向けた。
柔らかな微笑みと、穏やかな口調、聞きやすい声。全て高尾が大好きなものだ。
「でもそれって辛くない?お友達なんだよね?」
「いいえ、むしろ好都合です」
「そうなんだ。すごく格好良い考え方だね」
人好きする笑みを見せながら、いつもの調子で黒子の頭を軽く撫でる。
いや、それは黒子向けの対応じゃねーな、と思うのが高尾の知る黒子像。
しかし黒子は嫌がる素振りなく、にこりと微笑み返した。
「そんな風に評価されるのは初めてです。有難うございます」
「いえいえ」
なんだか和やかな空気だ。
本来ならむしろこれから試合だって感じでピリピリし出す頃なのに。
「…おいコラ魔性」
「ん?高尾君何か言った?」
「いーや、何でも?」
生徒がメロメロになるわけだ、勿論自分を含めて。
高尾はさり気なく溜め息を吐いて、自慢の恋人を恨めしく見つめた。
性格的に黒子とは気が合いそうだ。別に嫉妬なんてしてない。
「と…じゃあお邪魔しちゃ悪いし、僕は先に席の方に行ってるよ」
「え?何だよ気にすんなって。まだ時間あるし」
「いやいや他校の友人なんだろ?高尾君も、それに黒子君も頑張ってね」
咲哉は高尾の頭に手を乗せ、それから黒子へ手を振った。
人に見られた事を少なからず気にしたのだろう、振り返ることなく会場の中へ消えた咲哉を見送る高尾は、内心膨れっ面だ。
外で会える機会なんて滅多にないし、正直黒子との時間より大事なんだけど。
そんな高尾の気持ちなど知る由もない黒子は、咲哉の姿が見えなくなるとすぐさま高尾の顔を覗き込んだ。
「素敵な先生ですね。担任の方ですか?」
「いんや、なんつったかな…保健室のセンセ的な?」
「随分と仲良しなんですね」
素敵な…なんて褒め言葉が、何故か他人事ではない。
高尾は気分が良くなるのを感じながら、にやけないように唇を結んだ。
「…目が良い人は怪我しにくいものだと思ってました」
「いやいや、んなことねーよ、先生と仲良くなったのもオレが足くじいたのきっかけだし」
もう懐かしくも感じる、運命の日だ。
練習に足を挫き、初めて彼を見た瞬間、高尾はあっという間に恋に落ちた。
「保健室となれば尚更、なんというか小説に出てくるような…理想を象ったような方ですね」
「だろ?こんなに生徒に構ってくれる優しい先生他にいねーしな」
「ボク、自分の学校の保健室の先生なんてほとんど記憶にもないです」
「それがフツーだろ」
優越感。誰から見ても理想の先生。女子生徒の憧れで男子生徒も親しみをもつ。
そんな先生の心は、本当の姿は誰も知らない。高尾だけのものだ。
「おい黒子!いい加減にしねーと監督がキレる!」
そんな高尾の良い気分を吹き飛ばしたのは、どたどたと忙しなく駆け込んできた誠凛高校のエース。
会場から走って出て来たらしい彼は、慌てた様子で黒子の腕を掴んだ。
「おー火神じゃん、おっすー」
「おっすーじゃねー。そろそろ行くぞ黒子」
「はい。高尾君、失礼しますね」
「おう、またなー」
嵐のようにやってきた火神によって黒子が連行される。
こんなことなら、もうちょっと咲哉を引き止めておくんだった。
一瞬そんなことを考えた高尾の前に、続けて先輩である宮地が現れた。
「おい高尾!」
「あっれ、宮地先輩。もう時間っすか?」
「あ?いやそうじゃねーよ。咲哉ちゃん呼んだのお前だろ」
一瞬、高尾の思考は停止した。
「えっと…咲哉ちゃん?」
「今そこですれ違ったんだよ。親しくしてんのは知ってっけど、ったく迷惑かけんじゃねーよ」
鈴木咲哉。
うっかり外で呼んでしまわないように封印してきた彼の名前だ。
何か頬に伝う冷たさを感じながら、高尾はへらっとした笑顔を貼り付けた。
「あー…いや、先生バスケ見たいって言ってくれたし?」
「気ィ遣ってくれてんだろ?話したことあっけどスポーツは分かんないってずっと言ってたし」
「へぇ?じゃあオレと仲良くなって興味持ってくれたんすねぇ」
「オイオイお前…あんま調子乗ってっと轢くぞ」
宮地はそう言うなり高尾の頭に拳骨をくらわす。
それに対してイテテとふざけて返しながら、高尾はかなり動揺していた。
なんだよ聞いたことねーよそんなの。
「ま、こうなったもんは仕方ねーけど。おら、行くぞ」
「へーい」
大して親しくもない宮地が当然のように咲哉を“咲哉ちゃん”と呼ぶ。
つまり、3年生の間で浸透したニックネームなのだろう。
もやと胸に広がった黒い感情を仕舞い込み、高尾は宮地の後ろを軽やかなステップでついて行く。
先生が来てんだ、まずは試合に集中して勝たないと。そう言い聞かせながら、高尾の握った拳はキリリと自身の掌に食い込んでいた。
・・・
試合明けの平日、迎えた最初の昼休み。
ガララッと少し荒っぽく保健室のドアを開くと、咲哉はびくと体を揺らしながら顔を上げた。
チャイムが鳴ると同時に走り込んだ保健室には、まだ他に怪我人もファンもいない。
「…高尾君、君はホントに…休み時間に一緒にいる友人はいないのかな」
先生心配だよ、と嘆く咲哉の顔は養護教諭そのものだ。
学校にいる限りは高尾の前だろうと、二人きりであろうと「先生」であろうとする。
高尾は保健室を見渡した後、すたすたと咲哉に近付いた。
「咲哉ちゃん」
「え…!?」
「先生さ、咲哉ちゃんって呼ばれてんだって?」
咲哉の顔が、一瞬引きつった。
高尾から視線を逸らして、そのままぐるっと目が泳いで、再び高尾へと戻ってくる。
高尾はそんな咲哉の反応に、口元をニヤつかせながらカーテンの開けられたベッドに腰掛けた。
「あ、ああ。3年生の誰かに聞いたんだろ。なんかいつの間にか浸透してたんだよ、それ」
「じゃあオレもそう呼んでいい?咲哉ちゃん」
「や…それは、ちょっと…嫌だ」
咲哉が躊躇いがちに目を伏せる。
はっきりとした拒否に、高尾は思わずベッドの足を自身の踵でガツンと蹴った。
「だって皆呼んでんだろ?学校だけでもさ、いーじゃん」
「…駄目だ」
「なんで?それは何、俺だから嫌なの?それとも本当は基本的に嫌なあだ名なわけ?」
自然とトゲトゲしくなる声に、咲哉が眉を下げて吐息を零す。
暫く返答出来ず俯いていた咲哉は、ゆっくりと重そうに腰を上げた。
「あまり学校でこういうことを言いたくはないんだけど…」
「何?」
「僕としては…君に名前で呼ばれるのは、二人きりの時だけ、でいい」
高尾の前まで歩み寄り、そのまま腰を屈めて高尾の顔に自身の顔を寄せる。
軽く触れるだけ。触れるだけの静かな口付け。
しかし学校という場所、少し消毒臭い空間が、いつも以上に体を緊張させた。
「な、な、なん、だよ…先生、」
「高尾君さ…ちょっと特別な時にだけ、名前呼んでくれるだろ?あれ、結構嬉しくて」
「は…」
突然訪れた甘ったるい空気に、高尾は言葉を失い咲哉を見上げた。
さらっと男前なことをしてくれた先生の顔があっという間に色付く。
照れ臭そうに視線を彷徨わせ、とすんと高尾の隣に腰掛けた咲哉は、高尾の方を向こうともしない。
「だから…その、呼び方については、今のままで結構僕としては満足しているというか…」
「センセ…」
「名前は、高尾君にだけは、大事にして欲しい…というか」
高尾は足の先からぞくぞくと何か湧き上がるのを感じて、掌で自分の口を覆った。
なんで今学校なんだ。ベッドがあるのに、我慢しなければならないなんて。
「あー…、悪ィ、先生、今日は俺の負け」
「…何?」
「先生が可愛かったから許す」
ちょっとからかうだけのつもりだった。
先輩が知らない呼び方で呼ぶから、少し嫉妬して、困らせようとしただけだ。
高尾はぱっと立ち上がり、熱い頬が見られないように咲哉に背を向けた。
「んじゃ、先生!また放課後!」
軽く手を上げて、でも名残惜しくて軽く振り返る。
ベッドに腰掛けたままの咲哉は、もう先生に戻った様子で高尾に手を振り返していた。
「敵わねーな、ホント…」
ぽつりと呟き、手の甲で口元を隠す。
柔らかな感触も、ほのかな甘い香りも、まだ高尾の体に染みついている。
からからと静かにドアを閉めた高尾は、背を預けたまま暫く立ち尽くしていた。
(後日談⑤ 特別な呼び方・終)
追加日:2018/07/22
移動前:2016/06/05
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