八乙女楽(IDOLiSH7)
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4.偽りと本音
事務所の広い部屋で、サツキは大きなモニターを見つめていた。
サツキの目に映るのは、大きな会場でパフォーマンスをしているTRIGGER。
圧倒的なオーラ、しなやかな動き、男らしい躍動感。
映像なのに、その迫力に圧倒されて胸が熱くなる。
手の届かない存在であるはずの、TRIGGERのあるべき姿だ。
「…こんなとこで研究か?」
唐突に耳に飛び込んできた現実は、サツキが何を考えているかなんて知る由もない低い声。
サツキがここにいると聞いて足を運んでくれたのだろう、モニターにも映る色男が部屋に入ってくる。
振り返ったサツキは、そこに立つTRIGGERのリーダー・八乙女楽を見上げて肩をすくめた。
「楽…。俺、少し前までは、ただのTRIGGERのファンだったんだよね」
「何だよ、今は違うって?」
「そうだよ。ファンだけど、でもそれだけじゃなくて…。俺はTRIGGERの後輩だし、TRIGGERは仕事の仲間で、先輩」
こうして改まって楽に対して先輩と言葉をかけたのは初めてだったかもしれない。
楽もそこに違和感があったのか、暫く首を傾げてサツキを見下ろし、それからハッと笑った。
「ああ…もしかして天に何か言われたのか?」
「え?」
「デビューしてから、天のこと“九条さん”って呼ぶようになったの、アイツに言われたからなんだろ」
楽の推察に、サツキは一度口を噤んでから目線を下げた。
確かに天には直接言われたことだ。「サツキは素直だから、普段から変えないと危なそうだ」と。
「それ…やっぱり大事なことだったみたい」
「ん?」
「八乙女さん…」
上目で見上げ、初めて彼をそう呼んでみる。
楽は苛立ったように眉を寄せ「あのなあ」と呟いた。
「やめろよ、仕事中はともかく、普段からそんなのやめてくれ」
「そう、したいんだけど…」
「なんだよ。何か、あったのか?」
何かあった。というほどではない。
けれど、サツキ自身はかなり反省したし、変わらなきゃいけないと思ったのは事実だ。
「…聞いてくれる?」
「何だよ改まって。今更俺に隠すことなんてねぇだろ、なんでも聞くぜ」
「うん…。あの、」
「…サツキ!」
しかし、そのサツキの言葉は続かなかった。
ばたんっと部屋に駆けこんできた天の声に、楽が驚いて振り返る。
そこには、天と、龍之介が少し息を切らして立っていた。
「なんだよ、騒がしいな」
「話がある。楽も、聞いて」
天はそのままサツキの目の前にまで歩み寄り、龍之介は手に持っていた紙を楽へと渡した。
妙な雰囲気だ。龍之介が、今にも泣き出しそう目でサツキを見つめている。
「サツキ、この前やってた朝の番組で、自分が口走ったこと覚えてる?」
「…っ!」
サツキを細めた目で見下ろしたままそう告げた天に、サツキは背筋が凍るのを感じた。
今まさに、考えていたことだ。
「だから言ったんだよ、気を付けてって」
「ご、ごめんなさい…。ちゃんとすぐ、報告するべきだったよね」
「別に…それはいいよ。あの失言はそこまで問題じゃないから」
怒られると思っていた手前、サツキは驚いて天を見つめ返した。
思いの外優しい声で、怒っているというよりは悲しげに眉を寄せている。
そんな天と龍之介の妙な雰囲気に、楽は「ちょっと待て」と口を挟んでいた。
「なんのことだ?」
「楽は知らない?サツキが朝の番組で『楽に世話になってます』とか言ったの」
「…どこが問題なんだよ」
「うっかりね、『楽』って呼び捨てた、それだけだよ」
尚更どうして、と言いたげに楽が目を細める。
龍之介も納得がいっていないのか、天を見つめて言葉を待っているようだった。
「サツキ、顔を上げて」
「…はい」
「問題は君じゃない。ただTRIGGERの…楽のファンの目に、留まってしまった」
ゆっくりと顔を上げると、天が眉を下げて微笑んでいた。
良く頑張った、そう言うかのように、サツキの頭にぽんと手を乗せる。
「サツキは名前を口走った後、八乙女楽は自分の兄のようだと、フォローを自分で入れてる。よく対処したよ」
「、でも」
「そう、でも。楽の一部のファンは、君のことを認めてない」
天の言葉に、龍之介が「あっ」と声を漏らした。
「そっか…サツキは女の子かもしれないんだもんな」
「僕等の関係を知らない僕等のファンから見れば、サツキは邪魔に見えるかもしれない」
八乙女楽を含め、TRIGGERの人気は今更確認する間でもない。女性ファンが多いのも周知の事実だ。
サツキがもし女で、同じ事務所で八乙女楽と親しくしていたなら、きっとファンは不安を感じるのだろう。
「仕方ないことだよ。サツキは何事もなかったかのように今まで通りすればいい」
「そんな…」
「余計な事言っても騒ぎを大きくするだけだから。楽も、フォローするようなことしないで」
だからこそ、何もせず様子を見るなんて。
そう不服さを尖らせた唇に乗せたサツキに、天はふうっと腰に手をあて溜め息を吐いた。
「何を言ったって、全員を納得させることは出来ないんだから。わかるでしょ」
「…はい」
「サツキは分かったってよ、楽」
天の目は、サツキから逸らされ楽を見つめた。
楽はというと、龍之介から手渡された紙をじっと眺め、苛立った様子でそれをクシャと握りしめる。
「わかってる、けどな」
楽は指を開いてその紙を放ると、サツキの頭へ手を乗せた。
怪訝そうにした天を余所に、楽がサツキの頭をそっと自分の方へ抱き寄せる。
「コイツになにかあった時には、きっと黙っていられねぇ」
「何?どうするつもり?兄弟ですとでも言う?馬鹿言わないで。サツキだってそれは望まないはずだよ」
ね、という天の声に、サツキは手を楽の胸に押し当てた。
ぐっと押し返せば、思いの外容易く体が放される。
「…、楽。ホントに、俺平気だから」
「サツキ」
「お願いだから、俺をTRIGGERの枷にしないで」
自分のことは平気だ、嫌われたっていい。怖くなんかない。けれど、悔しかった。
自分の失敗が、こうしてTRIGGERの皆に迷惑をかけてしまったことが何よりも。
「本当に…すみませんでした」
「謝ってんじゃねえよ、サツキ。お前は何も」
「…っ失礼します」
今は優しい言葉でも目が熱くなってしまう。
サツキは慌てて俯き顔を隠し、ドアに向かって足を進めた。
「サツキ、君は悪くないよ」
そんなサツキに追い打ちをかける、天の優しい声。
ぽろりと耐えきれない涙がこぼれて、サツキは逃げるように部屋を飛び出した。
ばたんっとドアが閉まり、三人残された部屋が静かに時計の音だけを鳴らす。
たったの数秒が長く感じられるようだ。
「…サツキ、可哀相に」
息苦しい沈黙の中、龍之介が押し殺した声で呟く。
TRIGGERがデビューする前から一緒にいた。誰よりも応援してくれる大事な友人であり、家族みたいにすら思っているのに。
「…ちょっと事態が早くなっただけだよ。遅かれ早かれこうなった。結構前からネットじゃいろいろ言われてたみたいだし」
「そう、なのか…。枷になっているのは…きっと俺たちの方なのにな…」
TRIGGERを使って売名している、TRIGGERに手を出している、TRIGGERとの関係は。
全部全部独り歩きした噂のような、信憑性のないものばかり。
楽が手から落とした紙を拾い上げ、天は眉間のシワを深くした。
「…酷いよね。根拠も理由もない罵詈雑言」
「俺達のファンに、こんなことを言う人がいるなんて…思いたくないけど」
今まではネットを巡るだけの噂。
テレビのサツキの発言をきっかけに、とうとう黙っていられないファンを煽ってしまったのだ。
「…」
何も言わずに歩き出した楽が、部屋から出て行く。
それを無言で見送った龍之介と天は目を合わせて溜め息を吐いた。
「楽。辛いだろうな。一緒にプロ目指してやってきて…こんな風に言われるなんて」
「楽は分かってたよ。分かっててサツキをここまで連れてきた」
だから余計に辛いのか。それとも既に覚悟は出来ていたことなのか。
どちらにせよ、きっと忠告なんて聞いていないのだろう。
天はやれやれと息を吐き、壁に背中を預けて目を閉じた。
・・・
TRIGGERと別の仕事が入っていて良かった。初めてそんな事を感じながら、サツキは鞄を肩にかけた。
雑誌のインタビューを終え、後は一人で平気だからとまだ仕事の残っているマネージャーより先に建物を出る。
TRIGGERの皆から直接話を聞いた翌日。
昨日のこと、片時も頭を離れなかった。
最初は反省して、自分が駄目だったと思い詰めて。
けれどどうして素直に生きちゃいけないんだろうと、次第に納得のいかない気持ちが湧き上がってきたりして。
サツキははあっと大きく溜め息を吐き、俯いたまま狭い道を歩いた。
「あの、牧野サツキさんですか」
「…え」
声をかけられ、顔を上げたそこに女の子が三人。
待ち構えていたかのように、サツキの姿を確認するなり近付いてきた。
咄嗟に身構えたのは、彼女達が明らかにサツキを嫌悪の瞳で見上げていたからだ。
その瞳を見返すのが怖い。彼女達の口から放たれる言葉を聞くのが怖い。でも、逃げるわけにはいかない。
「TRIGGERで売名するの、やめてください」
そうして立ち向かったサツキに飛び込んで来た声。
その言葉には、迷いの一つもなかった。
「ばい、めい…?」
「同じ事務所だからって調子に乗ってるんじゃないですか」
「TRIGGERのファンには、あなたがすごく邪魔なんです」
覚悟していた想像通りの指摘だ。
TRIGGERを利用しているように見えるだろう、TRIGGERを応援する彼女達にはさぞ邪魔だろう。
「私達、ずっと、デビューの前からTRIGGERのファンなのに」
「TRIGGERの皆さんが優しいからって甘えてるんじゃないですか?」
「突然出てきた貴方にTRIGGERを語られるの、すっごく嫌なんですけど」
棘のような言葉に、情けなくも恐怖で足がすくむ。
けれどやはり納得して受け止めることなんて出来そうになかった。
だって、自分はもっとずっと前からTRIGGERと一緒にいるのに。
彼女達がTRIGGERを知る前からずっと。
「TRIGGERの皆さん、迷惑してますよ」
だから、その一言を契機に、サツキの胸に引っかかっていた思いが溢れ出してしまった。
「ちょっと待って…それは酷いんじゃないかな」
「はい?」
言い返しちゃいけないと、ちゃんと分かっていたのに。
一度口をついてしまった思いは、もう抑え込めなくなってしまった。
「貴女達の言いたい事はわかります。全部受け入れるし反省もしてる、けど…それは聞けません」
「何…」
「貴女達にとって邪魔だってのは分かってます。けど、TRIGGERの皆の気持ちを勝手に決めつけないで…!」
サツキとTRIGGERの関係は、一ファンの彼女達とは違う。
もっとずっと前からTRIGGERの皆を見ていた自分だから、彼等が迷惑だと思っていないことは知っているのだ。
「そもそも…TRIGGERがそんなことを思う人達だと、貴女方は思っているのですか?」
「なんなのさっきから…っ」
「天も、楽も龍も、皆そんなことで迷惑だなんて思ったりしない。優しい人達なのに…っ」
サツキが全部言い切る前に、目の前で腕が振り上げられていた。
それでなくてもサツキに対して怒りを抱いている彼女達に、更に怒らせるようなことを言ってしまったのだ。
叩かれる、でもそれでもいい。そう思って目を閉じる。
直後、想像していた通りのパチンと冷たい音が聞こえた。しかし、音に見合った痛みはない。
薄らと目を開けると、目の前に広い背中があった。
「…ったく、サツキの顔に傷でもついたらどうしてくれんだよ」
圧倒的なオーラとその特徴的な声。
ぱっと振り返ったその人は、サツキの手を掴むだけでサツキの心と体を救い出した。
「…帰りが遅いから迎えに来た」
「え…」
「帰るぞ」
サングラスをして、帽子を深く被った人。
しかしそんなカモフラージュの甲斐なく、目の前の女の子達がキャッと高い声を上げる。
「…、今の声…っ」
八乙女楽だ、と。そう三人の口が紡いでしまう前に、楽は力強くサツキの手を引いた。
彼女達が慌てて追いかけるような、そんな思考が働く前に、大股で歩き出した楽にサツキが慌てて足を動かす。
何も言わずに景色がどんどん通り過ぎていく。
真っ白だった頭は、次第に状況を理解し始め、帽子の下で揺れる銀の髪を見上げた。
「ま、待って、なんで…っ、きっと気付かれた…!」
「仕方ないだろ」
「仕方なくないよ、九条さんだってこんなの許さない…」
「これは、俺の意志だ。お前を守るのは俺しかいないだろ」
サツキの腕を掴んでいた手が離れ、ぽんと頭の上に乗せられる。
いつもの優しい、八乙女楽の手。サツキしか知らない、暖かい掌だ。
「今の俺は、TRIGGERとは関係ない。八乙女楽だ」
「…八乙女楽とTRIGGERは、切り離せないよ」
「ああ、周りから見ればそうだろうな」
楽の言葉はそれ以上続かなかった。
でも、何が言いたいか分かる。
周りの目なんて関係ない。誰が何と言おうと、八乙女楽と牧野サツキの関係が変わることはない。
「…兄弟、だから?」
「大事だからだ」
くしゃと、改めて楽の手がサツキの頭を撫でる。
肩に回った手はサツキを抱き寄せ、力強くぽんと元気づけるように叩いた。
「今はお前のことを一番大事に思っている、ただの八乙女楽だ」
込み上げる熱に、視界が揺れた。
ぎゅっと唇を噛んで、頑張って堪えようとした涙がぽろぽろと落ちて地面に消える。
「何泣いてんだよ、怖かったか?」
「ん…っ、怖かった、し、情けなくて…っ」
「情けない?何が」
「俺が…、結局、楽に助けられて…」
しかもそれで嬉しくなっているなんて。
「ファン相手にムキになって、俺最低だ…」
楽が来なかったら本当に叩かれていただろう。
振り上げられていた女の子の手を思い出す。
それから、同時に聞こえていた音を思い出し、サツキは慌てて顔を上げた。
「が、楽、大丈夫!?」
「俺?」
「た、叩かれたりしてない?」
パチンと乾いた音は、明らかに彼女の手が肌にぶつかった音だ。
楽は「ああ」と小さく声を漏らし、サツキを安心させるように笑った。
「手で止めたから、大丈夫だ」
「よ…良かった…楽こそ、顔に傷がついたら大変なことに…」
「俺は別に、お前ほど顔で売っちゃねぇし。気にすんな」
売ってるとか売ってないとか、そういう問題ではない。
自分のことで、楽を巻き込むのが何よりも嫌なのだ。
嫌なのに、来てくれて嬉しい。
矛盾がサツキの頭を熱くさせて、顔が熱くて、止まらなくて。
「ねえ、楽…。俺、楽の事大好きだよ」
思わず、そう口に出していた。
「…サツキ、」
「仲間として、友人として、家族として、誰よりも…」
伝えずにはいられなかった。
あの瞬間、楽がサツキの手を引いた瞬間の安堵、胸の奥が締め付けられるような喜び。
「俺も」
「…楽も?」
「ああ。お前を一番に愛してる」
すっと耳に入ってくる優しい音が、一番欲しい言葉をくれる。
「だから、負けんな」
「…ふ、なんだそりゃ」
目を細めて微笑む楽に、つられて頬が緩んだ。
何の変哲もない、何の根拠もない言葉なのに、さっきまでの恐怖が消え去って行く。
「うん、でも…もう大丈夫」
楽がいてくれるから。
誰が何と言おうと、楽はこうして支えてくれるから。
「やっぱり、楽のファンの子には嫌われちゃうかもだけど」
「仲が良くて何が悪いんだって、思ってりゃいいよ」
楽の言葉に「そうだね」と軽く返す。
ああ、でも、天にはまた怒られちゃう。そう思いながらも、込み上げる思いにサツキは絶えず笑顔を浮かべていた。
(第四話・終)
追加日:2017/10/01
移動前:2015/12/02
事務所の広い部屋で、サツキは大きなモニターを見つめていた。
サツキの目に映るのは、大きな会場でパフォーマンスをしているTRIGGER。
圧倒的なオーラ、しなやかな動き、男らしい躍動感。
映像なのに、その迫力に圧倒されて胸が熱くなる。
手の届かない存在であるはずの、TRIGGERのあるべき姿だ。
「…こんなとこで研究か?」
唐突に耳に飛び込んできた現実は、サツキが何を考えているかなんて知る由もない低い声。
サツキがここにいると聞いて足を運んでくれたのだろう、モニターにも映る色男が部屋に入ってくる。
振り返ったサツキは、そこに立つTRIGGERのリーダー・八乙女楽を見上げて肩をすくめた。
「楽…。俺、少し前までは、ただのTRIGGERのファンだったんだよね」
「何だよ、今は違うって?」
「そうだよ。ファンだけど、でもそれだけじゃなくて…。俺はTRIGGERの後輩だし、TRIGGERは仕事の仲間で、先輩」
こうして改まって楽に対して先輩と言葉をかけたのは初めてだったかもしれない。
楽もそこに違和感があったのか、暫く首を傾げてサツキを見下ろし、それからハッと笑った。
「ああ…もしかして天に何か言われたのか?」
「え?」
「デビューしてから、天のこと“九条さん”って呼ぶようになったの、アイツに言われたからなんだろ」
楽の推察に、サツキは一度口を噤んでから目線を下げた。
確かに天には直接言われたことだ。「サツキは素直だから、普段から変えないと危なそうだ」と。
「それ…やっぱり大事なことだったみたい」
「ん?」
「八乙女さん…」
上目で見上げ、初めて彼をそう呼んでみる。
楽は苛立ったように眉を寄せ「あのなあ」と呟いた。
「やめろよ、仕事中はともかく、普段からそんなのやめてくれ」
「そう、したいんだけど…」
「なんだよ。何か、あったのか?」
何かあった。というほどではない。
けれど、サツキ自身はかなり反省したし、変わらなきゃいけないと思ったのは事実だ。
「…聞いてくれる?」
「何だよ改まって。今更俺に隠すことなんてねぇだろ、なんでも聞くぜ」
「うん…。あの、」
「…サツキ!」
しかし、そのサツキの言葉は続かなかった。
ばたんっと部屋に駆けこんできた天の声に、楽が驚いて振り返る。
そこには、天と、龍之介が少し息を切らして立っていた。
「なんだよ、騒がしいな」
「話がある。楽も、聞いて」
天はそのままサツキの目の前にまで歩み寄り、龍之介は手に持っていた紙を楽へと渡した。
妙な雰囲気だ。龍之介が、今にも泣き出しそう目でサツキを見つめている。
「サツキ、この前やってた朝の番組で、自分が口走ったこと覚えてる?」
「…っ!」
サツキを細めた目で見下ろしたままそう告げた天に、サツキは背筋が凍るのを感じた。
今まさに、考えていたことだ。
「だから言ったんだよ、気を付けてって」
「ご、ごめんなさい…。ちゃんとすぐ、報告するべきだったよね」
「別に…それはいいよ。あの失言はそこまで問題じゃないから」
怒られると思っていた手前、サツキは驚いて天を見つめ返した。
思いの外優しい声で、怒っているというよりは悲しげに眉を寄せている。
そんな天と龍之介の妙な雰囲気に、楽は「ちょっと待て」と口を挟んでいた。
「なんのことだ?」
「楽は知らない?サツキが朝の番組で『楽に世話になってます』とか言ったの」
「…どこが問題なんだよ」
「うっかりね、『楽』って呼び捨てた、それだけだよ」
尚更どうして、と言いたげに楽が目を細める。
龍之介も納得がいっていないのか、天を見つめて言葉を待っているようだった。
「サツキ、顔を上げて」
「…はい」
「問題は君じゃない。ただTRIGGERの…楽のファンの目に、留まってしまった」
ゆっくりと顔を上げると、天が眉を下げて微笑んでいた。
良く頑張った、そう言うかのように、サツキの頭にぽんと手を乗せる。
「サツキは名前を口走った後、八乙女楽は自分の兄のようだと、フォローを自分で入れてる。よく対処したよ」
「、でも」
「そう、でも。楽の一部のファンは、君のことを認めてない」
天の言葉に、龍之介が「あっ」と声を漏らした。
「そっか…サツキは女の子かもしれないんだもんな」
「僕等の関係を知らない僕等のファンから見れば、サツキは邪魔に見えるかもしれない」
八乙女楽を含め、TRIGGERの人気は今更確認する間でもない。女性ファンが多いのも周知の事実だ。
サツキがもし女で、同じ事務所で八乙女楽と親しくしていたなら、きっとファンは不安を感じるのだろう。
「仕方ないことだよ。サツキは何事もなかったかのように今まで通りすればいい」
「そんな…」
「余計な事言っても騒ぎを大きくするだけだから。楽も、フォローするようなことしないで」
だからこそ、何もせず様子を見るなんて。
そう不服さを尖らせた唇に乗せたサツキに、天はふうっと腰に手をあて溜め息を吐いた。
「何を言ったって、全員を納得させることは出来ないんだから。わかるでしょ」
「…はい」
「サツキは分かったってよ、楽」
天の目は、サツキから逸らされ楽を見つめた。
楽はというと、龍之介から手渡された紙をじっと眺め、苛立った様子でそれをクシャと握りしめる。
「わかってる、けどな」
楽は指を開いてその紙を放ると、サツキの頭へ手を乗せた。
怪訝そうにした天を余所に、楽がサツキの頭をそっと自分の方へ抱き寄せる。
「コイツになにかあった時には、きっと黙っていられねぇ」
「何?どうするつもり?兄弟ですとでも言う?馬鹿言わないで。サツキだってそれは望まないはずだよ」
ね、という天の声に、サツキは手を楽の胸に押し当てた。
ぐっと押し返せば、思いの外容易く体が放される。
「…、楽。ホントに、俺平気だから」
「サツキ」
「お願いだから、俺をTRIGGERの枷にしないで」
自分のことは平気だ、嫌われたっていい。怖くなんかない。けれど、悔しかった。
自分の失敗が、こうしてTRIGGERの皆に迷惑をかけてしまったことが何よりも。
「本当に…すみませんでした」
「謝ってんじゃねえよ、サツキ。お前は何も」
「…っ失礼します」
今は優しい言葉でも目が熱くなってしまう。
サツキは慌てて俯き顔を隠し、ドアに向かって足を進めた。
「サツキ、君は悪くないよ」
そんなサツキに追い打ちをかける、天の優しい声。
ぽろりと耐えきれない涙がこぼれて、サツキは逃げるように部屋を飛び出した。
ばたんっとドアが閉まり、三人残された部屋が静かに時計の音だけを鳴らす。
たったの数秒が長く感じられるようだ。
「…サツキ、可哀相に」
息苦しい沈黙の中、龍之介が押し殺した声で呟く。
TRIGGERがデビューする前から一緒にいた。誰よりも応援してくれる大事な友人であり、家族みたいにすら思っているのに。
「…ちょっと事態が早くなっただけだよ。遅かれ早かれこうなった。結構前からネットじゃいろいろ言われてたみたいだし」
「そう、なのか…。枷になっているのは…きっと俺たちの方なのにな…」
TRIGGERを使って売名している、TRIGGERに手を出している、TRIGGERとの関係は。
全部全部独り歩きした噂のような、信憑性のないものばかり。
楽が手から落とした紙を拾い上げ、天は眉間のシワを深くした。
「…酷いよね。根拠も理由もない罵詈雑言」
「俺達のファンに、こんなことを言う人がいるなんて…思いたくないけど」
今まではネットを巡るだけの噂。
テレビのサツキの発言をきっかけに、とうとう黙っていられないファンを煽ってしまったのだ。
「…」
何も言わずに歩き出した楽が、部屋から出て行く。
それを無言で見送った龍之介と天は目を合わせて溜め息を吐いた。
「楽。辛いだろうな。一緒にプロ目指してやってきて…こんな風に言われるなんて」
「楽は分かってたよ。分かっててサツキをここまで連れてきた」
だから余計に辛いのか。それとも既に覚悟は出来ていたことなのか。
どちらにせよ、きっと忠告なんて聞いていないのだろう。
天はやれやれと息を吐き、壁に背中を預けて目を閉じた。
・・・
TRIGGERと別の仕事が入っていて良かった。初めてそんな事を感じながら、サツキは鞄を肩にかけた。
雑誌のインタビューを終え、後は一人で平気だからとまだ仕事の残っているマネージャーより先に建物を出る。
TRIGGERの皆から直接話を聞いた翌日。
昨日のこと、片時も頭を離れなかった。
最初は反省して、自分が駄目だったと思い詰めて。
けれどどうして素直に生きちゃいけないんだろうと、次第に納得のいかない気持ちが湧き上がってきたりして。
サツキははあっと大きく溜め息を吐き、俯いたまま狭い道を歩いた。
「あの、牧野サツキさんですか」
「…え」
声をかけられ、顔を上げたそこに女の子が三人。
待ち構えていたかのように、サツキの姿を確認するなり近付いてきた。
咄嗟に身構えたのは、彼女達が明らかにサツキを嫌悪の瞳で見上げていたからだ。
その瞳を見返すのが怖い。彼女達の口から放たれる言葉を聞くのが怖い。でも、逃げるわけにはいかない。
「TRIGGERで売名するの、やめてください」
そうして立ち向かったサツキに飛び込んで来た声。
その言葉には、迷いの一つもなかった。
「ばい、めい…?」
「同じ事務所だからって調子に乗ってるんじゃないですか」
「TRIGGERのファンには、あなたがすごく邪魔なんです」
覚悟していた想像通りの指摘だ。
TRIGGERを利用しているように見えるだろう、TRIGGERを応援する彼女達にはさぞ邪魔だろう。
「私達、ずっと、デビューの前からTRIGGERのファンなのに」
「TRIGGERの皆さんが優しいからって甘えてるんじゃないですか?」
「突然出てきた貴方にTRIGGERを語られるの、すっごく嫌なんですけど」
棘のような言葉に、情けなくも恐怖で足がすくむ。
けれどやはり納得して受け止めることなんて出来そうになかった。
だって、自分はもっとずっと前からTRIGGERと一緒にいるのに。
彼女達がTRIGGERを知る前からずっと。
「TRIGGERの皆さん、迷惑してますよ」
だから、その一言を契機に、サツキの胸に引っかかっていた思いが溢れ出してしまった。
「ちょっと待って…それは酷いんじゃないかな」
「はい?」
言い返しちゃいけないと、ちゃんと分かっていたのに。
一度口をついてしまった思いは、もう抑え込めなくなってしまった。
「貴女達の言いたい事はわかります。全部受け入れるし反省もしてる、けど…それは聞けません」
「何…」
「貴女達にとって邪魔だってのは分かってます。けど、TRIGGERの皆の気持ちを勝手に決めつけないで…!」
サツキとTRIGGERの関係は、一ファンの彼女達とは違う。
もっとずっと前からTRIGGERの皆を見ていた自分だから、彼等が迷惑だと思っていないことは知っているのだ。
「そもそも…TRIGGERがそんなことを思う人達だと、貴女方は思っているのですか?」
「なんなのさっきから…っ」
「天も、楽も龍も、皆そんなことで迷惑だなんて思ったりしない。優しい人達なのに…っ」
サツキが全部言い切る前に、目の前で腕が振り上げられていた。
それでなくてもサツキに対して怒りを抱いている彼女達に、更に怒らせるようなことを言ってしまったのだ。
叩かれる、でもそれでもいい。そう思って目を閉じる。
直後、想像していた通りのパチンと冷たい音が聞こえた。しかし、音に見合った痛みはない。
薄らと目を開けると、目の前に広い背中があった。
「…ったく、サツキの顔に傷でもついたらどうしてくれんだよ」
圧倒的なオーラとその特徴的な声。
ぱっと振り返ったその人は、サツキの手を掴むだけでサツキの心と体を救い出した。
「…帰りが遅いから迎えに来た」
「え…」
「帰るぞ」
サングラスをして、帽子を深く被った人。
しかしそんなカモフラージュの甲斐なく、目の前の女の子達がキャッと高い声を上げる。
「…、今の声…っ」
八乙女楽だ、と。そう三人の口が紡いでしまう前に、楽は力強くサツキの手を引いた。
彼女達が慌てて追いかけるような、そんな思考が働く前に、大股で歩き出した楽にサツキが慌てて足を動かす。
何も言わずに景色がどんどん通り過ぎていく。
真っ白だった頭は、次第に状況を理解し始め、帽子の下で揺れる銀の髪を見上げた。
「ま、待って、なんで…っ、きっと気付かれた…!」
「仕方ないだろ」
「仕方なくないよ、九条さんだってこんなの許さない…」
「これは、俺の意志だ。お前を守るのは俺しかいないだろ」
サツキの腕を掴んでいた手が離れ、ぽんと頭の上に乗せられる。
いつもの優しい、八乙女楽の手。サツキしか知らない、暖かい掌だ。
「今の俺は、TRIGGERとは関係ない。八乙女楽だ」
「…八乙女楽とTRIGGERは、切り離せないよ」
「ああ、周りから見ればそうだろうな」
楽の言葉はそれ以上続かなかった。
でも、何が言いたいか分かる。
周りの目なんて関係ない。誰が何と言おうと、八乙女楽と牧野サツキの関係が変わることはない。
「…兄弟、だから?」
「大事だからだ」
くしゃと、改めて楽の手がサツキの頭を撫でる。
肩に回った手はサツキを抱き寄せ、力強くぽんと元気づけるように叩いた。
「今はお前のことを一番大事に思っている、ただの八乙女楽だ」
込み上げる熱に、視界が揺れた。
ぎゅっと唇を噛んで、頑張って堪えようとした涙がぽろぽろと落ちて地面に消える。
「何泣いてんだよ、怖かったか?」
「ん…っ、怖かった、し、情けなくて…っ」
「情けない?何が」
「俺が…、結局、楽に助けられて…」
しかもそれで嬉しくなっているなんて。
「ファン相手にムキになって、俺最低だ…」
楽が来なかったら本当に叩かれていただろう。
振り上げられていた女の子の手を思い出す。
それから、同時に聞こえていた音を思い出し、サツキは慌てて顔を上げた。
「が、楽、大丈夫!?」
「俺?」
「た、叩かれたりしてない?」
パチンと乾いた音は、明らかに彼女の手が肌にぶつかった音だ。
楽は「ああ」と小さく声を漏らし、サツキを安心させるように笑った。
「手で止めたから、大丈夫だ」
「よ…良かった…楽こそ、顔に傷がついたら大変なことに…」
「俺は別に、お前ほど顔で売っちゃねぇし。気にすんな」
売ってるとか売ってないとか、そういう問題ではない。
自分のことで、楽を巻き込むのが何よりも嫌なのだ。
嫌なのに、来てくれて嬉しい。
矛盾がサツキの頭を熱くさせて、顔が熱くて、止まらなくて。
「ねえ、楽…。俺、楽の事大好きだよ」
思わず、そう口に出していた。
「…サツキ、」
「仲間として、友人として、家族として、誰よりも…」
伝えずにはいられなかった。
あの瞬間、楽がサツキの手を引いた瞬間の安堵、胸の奥が締め付けられるような喜び。
「俺も」
「…楽も?」
「ああ。お前を一番に愛してる」
すっと耳に入ってくる優しい音が、一番欲しい言葉をくれる。
「だから、負けんな」
「…ふ、なんだそりゃ」
目を細めて微笑む楽に、つられて頬が緩んだ。
何の変哲もない、何の根拠もない言葉なのに、さっきまでの恐怖が消え去って行く。
「うん、でも…もう大丈夫」
楽がいてくれるから。
誰が何と言おうと、楽はこうして支えてくれるから。
「やっぱり、楽のファンの子には嫌われちゃうかもだけど」
「仲が良くて何が悪いんだって、思ってりゃいいよ」
楽の言葉に「そうだね」と軽く返す。
ああ、でも、天にはまた怒られちゃう。そう思いながらも、込み上げる思いにサツキは絶えず笑顔を浮かべていた。
(第四話・終)
追加日:2017/10/01
移動前:2015/12/02