八乙女楽(IDOLiSH7)
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CDショップの店頭で流れるミュージックビデオ。
そこに映し出された青年は、少し長かった襟足をハサミで切り落とし、歌いながら歩き出した。
解き放て、自分をさらけ出せ。あらゆる疑惑を打ち消すかのように叫び歌う。
「賛美両論あるとは思うけど、男っぽいサツキ最高って声も多いみたいだね」
「もともとファン層は若い女性に偏りつつあったからね。ところで、どうして突然方向性を変えたか聞いてもいいのかな」
前方に大きなカメラ。横にRe:valeの百と千。
華やかなセットの中、弾力のあるソファで小さく身動ぎしたサツキは、台本通りの言葉に頷き返した。
「俺の意志で変えさせてもらいました。最初は事務所の方針でやってたんですけど、俺としてはその……偽ることへと罪悪感みたいなものがずっとあったんです」
牧野サツキがデビューしてからの短い期間には不釣り合いな言葉だ。
しかし、サツキがレールを辿って歩いてきた時間は、決して短くはなかった。
「今回、俺のことでややこしい問題も起きてしまって、これ以上、誰かに迷惑をかけてまで続けるのは俺自身も耐えられないなと……その、事務所に直談判してきました」
サツキの発言に、Re:valeの二人はおろかカメラマンまでも小さく「おお」と声を漏らす。
今まで一度も明言しなかった八乙女事務所の裏話だ。新曲が物語っていたとはいえ、サツキの口から告げられた事実は、この生放送の最中にもトッブニュースになるだろう。
「じゃあ、この流れでもう一個聞くけど……サツキと八乙女楽が兄弟っていうのは?」
「事実です。俺は養子で、血の繋がりはないんですけど」
多くを語らずとも、これだけ言えば八乙女家の事情が明らかになったも同然だ。
八乙女宗介は素質のある子供を養子にし、いつかのデビューのために手塩にかけて育て上げた。不仲説のあった実の息子とは別に。
零れた溜息は、誰のものだったか。
Re:valeサイドのスタッフ、それともサツキをよく知る者。
しばしの沈黙にサツキが視線を落とすのと同時に、百が「ああっ」と声を高くした。
「やっと言えるんだ! 俺、何か話題になる度に言いたくて言いたくて!」
「サツキを含めて、彼らとは親しくさせてもらってたからね。でもモモ、一応初めて聞くって設定、最後まで守って欲しかったな」
ソファに深く沈んだ百が、バタバタと足を泳がせる。その横で「お行儀が悪いよ」と千が母親のようにたしなめた。
心地よいテンポの掛け合いだ。
ふっと肩の力が抜けたサツキは、画角の外で緊張した様子の姉鷺に微笑みかけた。
Re:valeのインターネット冠番組の収録は、およそ一時間で終わった。
Re:valeの二人やお世話になったスタッフへの挨拶も満足にしないまま、サツキはすぐに姉鷺の車に乗り込む。
ツクモプロダクションによるサツキ拉致事件以降、サツキの自由な時間は無いに等しい。仕事が終わればそのまま事務所か自宅へ。その自宅には、必ず家政婦か父親がいる。
「さて。アンタのスケジュールだけど、明日は雑誌の撮影と歌番組。明後日はラジオのゲスト……まぁとにかく、暫くは更に過密になるの、覚悟しなさいね」
「はい、いえ……嬉しいです。これからも宜しくお願いします」
TRIGGERのいない仕事にも、どんどん慣れていく。八乙女楽がいない生活にも、次第に順応していく。
サツキは背もたれに寄りかかり、ふーっと瞼を伏せながら深く息を吐いた。
疲れを感じているうちは気が楽だ。余計なことを考える余裕もなく、時間が過ぎてくれるから。
「……もう一つ。この仕事は断っても良いって、先に伝えておくわね」
珍しい前置きに、サツキは思わず眉をひそめた。
運転席にかけた姉鷺も、同じように顔に暗いトーンをさしている。
「以前、女性向けの雑誌の企画で龍之介と撮影したの、覚えてるかしら。それの続編の依頼が来てるんだけど……」
「色っぽい感じのやつですか? それなら問題ないですよ」
「相手が、御堂虎於なのよ」
姉鷺は「あの因縁の」と気だるそうに言ったのを、サツキはミラー越しに見ていた。
続々と入る仕事には、サツキの男問題やTRIGGERの裏話といった根も葉もない週刊誌の記事に触れるようなものもある。それでも、サツキが仕事を選ぶことは無かった。
しかし、たった一人の名前がサツキの体に無数の針を突き刺し、体を強ばらせる。
御堂虎於。サツキを騙し、脅し、TRIGGERを潰そうとした男だ。TRIGGERが事務所を退所すると聞かされて以降、一度も会っていない。
会いたくもないし会う気もなかった。
だからこそ、サツキはゆっくりと頷いた。
「……なぜあんな酷いことが出来たのか、話したいと思ってたところです。大丈夫です、やります」
「そ。アンタ、結構男前ね。あの子達の方が黙ってなさそうだけど」
サツキは座席に背をあずけ、眠るように目を閉じた。
あれから、TRIGGERの三人にも会っていない。会いたくなるのを分かっているから、あえて彼らのことを知ろうともしていなかった。
姉鷺はサツキのマネージャーを務めながら、“ あの子達”つまりTRIGGERのマネジメントも続けているという。姉鷺だけは、TRIGGERが、楽が、今どうしているか知っているのだ。
「……仕事ですから、割り切りますよ。共演NGとか、言えるほど偉くなんてないですし」
「そうね。このタイミングでŹOOĻのメンバーと撮影できるのは悪くないと思うわ。なんたって国民的アイドルなんだから」
最後の一言は皮肉だろう。それに辛うじて微笑を返したサツキは、悪いことばかり考える頭にコツンと拳を押し当てた。
歌わない牧野サツキの価値とは。こんなことをしてまで、しがみつく必要があるのだろうか。ただの男に戻った牧野サツキの存在理由はなんなのだろう。
楽は失望するだろうか。
「……姉鷺さんは、俺の事好きですか?」
姉鷺の視線が一瞬サツキをとらえる。
それからフッと小さく息を吐くと、呆れたように「アンタねえ」と零した。
「好きじゃないヤツののマネージャーなんてお断りよ」
独り言のように、細く微かな声がそう言う。
そうだろう、だからこそ、姉鷺は電話連絡だけででもTRIGGERのマネジメントを密かに続けているし、本当は事務所を退社してでも傍にいたいはずだ。
サツキは車窓から、覇気のない自身の顔を眺めていた。
・・・
撮影場所に入る人数は絞り、スタッフには八乙女事務所の者を一定数入れること。そんな我儘な条件のもと、その日の撮影は始まった。
撮影の直前、スタジオに入ると、顔見知りのスタッフ達がサツキを出迎える。制作メンバーは以前と同じなのだろう。龍之介と撮った時との違いは、相手役に御堂虎於がいることくらいだ。
その御堂は、サツキの顔を見るなり片方の口角を二ィと釣り上げてみせた。
「久しぶりだな」
「……お久しぶりです」
一時は友人だった彼へ、サツキの表情と声には嫌悪が滲む。
そんなサツキに対して、御堂の態度にはほんの変化もなかった。
「前に撮影した時の相手、龍之介なんだってな」
「……そうですけど」
「そう拗ねんなよ。お前に合うのは、龍之介じゃなくて俺だ。撮影すれば自ずと分かる」
そう言うなり、御堂はカメラの前に立ち上着を脱いだ。
御堂は悔しいほど生意気に、腹立たしいほど艶っぽく演じる。露出された肌は、CMやMVで見る機会があったとはいえ、息を呑むほど均整な筋肉で引き締まっている。油断すれば呑まれる、そんな空気だ。
続けて御堂のもとへ向かったサツキは、自身の腕を彼の首へと絡めながら、そっと、首元へ頬を預けた。
色白なサツキの肌に対して、御堂は男らしく健康的な肌の色をしている。重なれば、お互いを引き立てるようなコントラストが生まれる。
それは、龍之介との撮影でも感じたことだった。
「なぁおまえ……狗丸トウマ、知ってんだろ」
この距離でなら、彼にしか聞こえない悪態でもついてしまおうか。
そう思っていた矢先、御堂が掠れた声をサツキの耳に落とした。
「え……知ってます、けど」
「お前のせいで、アイツの立場、どうなったと思う」
狗丸トウマ、TRIGGERの場所を奪い取った、ŹOOĻのメンバーだ。
だというのに、御堂の悪行からサツキを助けようとした、唯一ツクモプロダクションの中で信頼出来そうな人。
サツキは一瞬ぴくりと体を揺らし、体勢を変えずに「どういうことです、それ」と吐息で問いかけた。
追加日:2020/12/20