八乙女楽(IDOLiSH7)
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22.別れ
流行り廃り、興味と嫌悪。羨望に嫉妬、愛憎。
誰の胸にも潜んでいる裏の感情は、何かを境に突如として表へと現れる。
時の人であった人気男性アイドル TRIGGERも例に漏れず、瞬く間に黒い感情の餌食となった。
メンバーの女性問題、暴かれた本来の姿、家族構成とエトセトラ。八乙女事務所との契約を切り、フリーとなった彼等の真実を知るのは当事者だけだ。
それでも、人気者の転落していく様は、一部の人間にとっての娯楽。
それを商売とする者がいる以上、根も葉もない話は拡散され、事実をねじ曲げていった。
「よし、こんなもんか。はは、意外と持ち出すもんって少ないな」
パンパンッと手を打ち腰を伸ばした楽の声音は普段通りだ。
朝が始まり、仕事に出て、夜には帰って来る。まるで、そんな日が始まるかのよう。
サツキは部屋を見渡して、とすっとソファに腰を下ろした。
「……寂しいな」
楽は、この家を出ていく。
あの事件の日、八乙女社長はTRIGGERへ契約解消を告げた。そうなった以上、八乙女事務所との関係は全て切る。そうしなければ、わずかな隙を月雲に突かれるだろう。
だから、ここにはいられない。昨晩、サツキが楽から散々説明されたことだ。
「俺、一人になったら何もしなくなっちゃうかも。食べ物も買えばいいし、洗い物もためちゃいそう」
「それでもいいんじゃねぇか。今まで、苦労かけたし」
「……そう、かな」
どこかで、やっぱり辞めると言ってもらえる事を期待している。
サツキは自分の女々しさに顔をしかめ、ソファのカバーをきつく握り締めた。
「……どこに住むかも、教えてくれないんだ」
「言ったらお前来るだろ」
「俺のこと、心配じゃないんだね」
「あんなことがあって、オヤジの方がピリピリしてっからな」
楽はそう言うと視線をサツキの後ろへとやった。
淡い色の瞳が向く先では、何を見せられているんだと姉鷺が顔をしかめている。
サツキの次のマネージャーが決まるまで、一番信頼のおける姉鷺が傍にいてくれるらしい。
更には「来客は知り合い以外出るな」「仕事は必ず姉鷺を同行すること」「行動は逐一姉鷺と社長に報告」と事細かに防犯対策を聞かされている。
「社長も、サツキを一人にはさせないって豪語してるし、心配しなくても大丈夫よ」
「あぁ、だな」
姉鷺の言葉は方便でも出まかせでもない。そうでもなければ、サツキのこととなると殊更心配性な楽が出ていくなど、有り得ない選択だっただろう。
楽が出ていくということは、むしろサツキの安全が確保された証拠だ。
「……、」
そんな約束、守る保証ないよと、何度駄々をこねたかったか。
サツキは喉まで出かけた幼稚な想いを呑み込み、楽の顔を見上げて瞳を揺らした。
あの日。
ツクモから帰還したサツキは、真っ先に駆け寄って来た楽の胸に吸い込まれた。
楽の触り心地の良いシャツに額を押し付けて、スンッと一度大きく息を吸い込む。
ついさっきまでの悪夢が、頭から、体から、洗い流されていくような感覚だ。それと同時に帰って来た実感がサツキの目頭を熱くさせる。歓びと安堵。それ以上の罪悪感があった。
『俺がもっとしっかりしてれば良かったのに……。こんなことも自分でなんとかできないなんて、……』
つい泣き言を漏らし、慌てて口を噤む。
顔を埋めたままのサツキの肩に、とんと細い指がかかった。
『それは違うよ。君は巻き込まれただけなんだから』
『あぁ、天の言う通りだ。初めから、奴らの狙いは俺達だったんだよ。月雲は俺らを潰すためにサツキを使いやがったんだ』
『え、ううん、俺は……』
『悪かった。今日ほど……お前をこの世界に引き込んだことを、悔やんだことは無い』
楽がサツキから体を離し、悔やむように目を細める。
咄嗟に首を横に振ったサツキに、楽はやんわりと「でもな」と続けた。
『今更、お前に辞めろなんて言うつもりはねぇよ。お前を知ってる奴は皆、お前の味方だからな。それって、スゲェ才能だろ』
『今回のことも、匿名の誰かが教えてくれたんだって。きっと月雲も、サツキの味方の多さに、手を出せないってことに気付いたはずだよ』
サツキなら大丈夫だと、龍之介が楽に同調する。
それが暗雲を晴らすようで、サツキはゆっくりと顔を上げた。
『有難う。あの……さっき、外でTRIGGERのラジオを聞いたよ。みんなに迷惑かけたくなくて、本当は家を、出て行こうかと思ってて……』
楽が心なしか眉根を寄せる。
しかし驚く様子はなく、楽は小さく頷いてサツキの言葉を待った。
『だから、皆の言葉を聞いて安心したし、嬉しかったし、やっぱり離れたくないなって思った……けど。俺今、すごく変なこと考えてる』
サツキの暗かった道には光が灯っている。しかし、まだそこにTRIGGERの姿が見えない。
『TRIGGERは、どこに行こうとしてるの……?』
問う声は、辛うじて震えることなく吐き出された。
サツキの眼前、真っ直ぐに続く道に、三色の灯りがない。どうかそれが思い違いであってくれ、そう願うサツキの背中から、するりと楽の手が離れた。
『姉鷺、あと任せていいか』
『え、楽……?』
楽はさりげなくサツキの体をドアの方へと向かせると、そこに立っていた姉鷺へサツキを引き渡した。
一言問いかける間も無く、姉鷺は「行くわよ」とサツキの腕を引き外へと出る。
『これから、TRIGGERは大事な打合せなの。とりあえず……別室でお茶でもどう?』
サツキはただ静かに頷くしかなかった。
そうして、楽達から離れたサツキは、テレビ画面を通して事の行く末を知ることになる。
TRIGGERは八乙女事務所をクビになったのだ、と。
「……サツキ」
サツキはハッと跳ねるように顔を上げた。
荷物をまとめ終えた楽が、物言いたげな面持ちでサツキを見下ろしている。
「泣くか?」
「泣いたらここに居てくれるって言うなら……ううん、なんでもない。泣かないよ、子供じゃないんだから」
「ハハ、そうだな」
泣こうが、怒ろうが、楽の決意を変えることはできないだろう。それどころか、ただ困らせるだけ。
サツキは上目でおずと楽を見ると、息苦しさを覚える胸に、更に息を流し込んだ。
「俺と楽は、どうなるの……」
どんなに離れても、二人が家族である事実は変わらない。しかし、恋人という不確かなカタチは、距離と時間で変わってしまうのかもしれない。
ど、ど、と心臓の音が頭の中で響く。
楽がわずかに口を開くと同時に、サツキはごくりと唾を呑み、眉根をきゅっとひそめた。
「少なくとも、TRIGGERが八乙女事務所から退所した以上、戻ってくるまでサツキとは会わないな」
「そ……、じゃあ、連絡はとっていい……」
「いや、会いたくなるから止めてくれ」
楽の返答に、サツキは唖然として目を見開いた。
「悪い。八乙女事務所との繋がりを少しでも疑われたら、退所した意味もなくなっちまうからさ」
サツキの言葉を待たずに、楽はそう言って苦く笑う。
会えず、連絡も出来ず。そんな日がいつまで続くかは誰にも分からない。
また悪夢が始まったのかと、サツキは思わずきつく目を閉じた。
楽は表情を変えずに、ただじっとサツキを見つめている。そんな楽に、サツキには返す言葉一つ見つからない。
「……待つ必要、ねぇからな」
そうしている間にかけられた一言に、サツキはズキンと強い痛みを胸に感じた。
せめて「待っててくれ」と言ってくれたなら、どんなに良かったか。その想いを叫べば楽を困らせるのだろう、サツキはハッと小さく息を吸い込み、ゆっくりと目を開いた。
「分かった。楽、今まで有難う。俺、一人でも頑張るから、楽も負けないでね」
「ん。ありがとな」
「じゃあ……、姉鷺さん、次の俺の仕事のこと、教えてくれますか」
サツキは楽を見てしまわないように、床をつたって姉鷺に視線を移した。
一瞬顔色を曇らせた姉鷺は、すぐに手帳を取り出して「これから大変よ」と笑う。
その後ろで、重そうな足音が遠ざかっていくのが分かった。暫くしてガチャ、とドアが開き、そして閉まる。
後ろ髪を引かれて振り返ったそこには、既に楽の痕跡一つ残っていなかった。
追加日:2020/09/13
流行り廃り、興味と嫌悪。羨望に嫉妬、愛憎。
誰の胸にも潜んでいる裏の感情は、何かを境に突如として表へと現れる。
時の人であった人気男性アイドル TRIGGERも例に漏れず、瞬く間に黒い感情の餌食となった。
メンバーの女性問題、暴かれた本来の姿、家族構成とエトセトラ。八乙女事務所との契約を切り、フリーとなった彼等の真実を知るのは当事者だけだ。
それでも、人気者の転落していく様は、一部の人間にとっての娯楽。
それを商売とする者がいる以上、根も葉もない話は拡散され、事実をねじ曲げていった。
「よし、こんなもんか。はは、意外と持ち出すもんって少ないな」
パンパンッと手を打ち腰を伸ばした楽の声音は普段通りだ。
朝が始まり、仕事に出て、夜には帰って来る。まるで、そんな日が始まるかのよう。
サツキは部屋を見渡して、とすっとソファに腰を下ろした。
「……寂しいな」
楽は、この家を出ていく。
あの事件の日、八乙女社長はTRIGGERへ契約解消を告げた。そうなった以上、八乙女事務所との関係は全て切る。そうしなければ、わずかな隙を月雲に突かれるだろう。
だから、ここにはいられない。昨晩、サツキが楽から散々説明されたことだ。
「俺、一人になったら何もしなくなっちゃうかも。食べ物も買えばいいし、洗い物もためちゃいそう」
「それでもいいんじゃねぇか。今まで、苦労かけたし」
「……そう、かな」
どこかで、やっぱり辞めると言ってもらえる事を期待している。
サツキは自分の女々しさに顔をしかめ、ソファのカバーをきつく握り締めた。
「……どこに住むかも、教えてくれないんだ」
「言ったらお前来るだろ」
「俺のこと、心配じゃないんだね」
「あんなことがあって、オヤジの方がピリピリしてっからな」
楽はそう言うと視線をサツキの後ろへとやった。
淡い色の瞳が向く先では、何を見せられているんだと姉鷺が顔をしかめている。
サツキの次のマネージャーが決まるまで、一番信頼のおける姉鷺が傍にいてくれるらしい。
更には「来客は知り合い以外出るな」「仕事は必ず姉鷺を同行すること」「行動は逐一姉鷺と社長に報告」と事細かに防犯対策を聞かされている。
「社長も、サツキを一人にはさせないって豪語してるし、心配しなくても大丈夫よ」
「あぁ、だな」
姉鷺の言葉は方便でも出まかせでもない。そうでもなければ、サツキのこととなると殊更心配性な楽が出ていくなど、有り得ない選択だっただろう。
楽が出ていくということは、むしろサツキの安全が確保された証拠だ。
「……、」
そんな約束、守る保証ないよと、何度駄々をこねたかったか。
サツキは喉まで出かけた幼稚な想いを呑み込み、楽の顔を見上げて瞳を揺らした。
あの日。
ツクモから帰還したサツキは、真っ先に駆け寄って来た楽の胸に吸い込まれた。
楽の触り心地の良いシャツに額を押し付けて、スンッと一度大きく息を吸い込む。
ついさっきまでの悪夢が、頭から、体から、洗い流されていくような感覚だ。それと同時に帰って来た実感がサツキの目頭を熱くさせる。歓びと安堵。それ以上の罪悪感があった。
『俺がもっとしっかりしてれば良かったのに……。こんなことも自分でなんとかできないなんて、……』
つい泣き言を漏らし、慌てて口を噤む。
顔を埋めたままのサツキの肩に、とんと細い指がかかった。
『それは違うよ。君は巻き込まれただけなんだから』
『あぁ、天の言う通りだ。初めから、奴らの狙いは俺達だったんだよ。月雲は俺らを潰すためにサツキを使いやがったんだ』
『え、ううん、俺は……』
『悪かった。今日ほど……お前をこの世界に引き込んだことを、悔やんだことは無い』
楽がサツキから体を離し、悔やむように目を細める。
咄嗟に首を横に振ったサツキに、楽はやんわりと「でもな」と続けた。
『今更、お前に辞めろなんて言うつもりはねぇよ。お前を知ってる奴は皆、お前の味方だからな。それって、スゲェ才能だろ』
『今回のことも、匿名の誰かが教えてくれたんだって。きっと月雲も、サツキの味方の多さに、手を出せないってことに気付いたはずだよ』
サツキなら大丈夫だと、龍之介が楽に同調する。
それが暗雲を晴らすようで、サツキはゆっくりと顔を上げた。
『有難う。あの……さっき、外でTRIGGERのラジオを聞いたよ。みんなに迷惑かけたくなくて、本当は家を、出て行こうかと思ってて……』
楽が心なしか眉根を寄せる。
しかし驚く様子はなく、楽は小さく頷いてサツキの言葉を待った。
『だから、皆の言葉を聞いて安心したし、嬉しかったし、やっぱり離れたくないなって思った……けど。俺今、すごく変なこと考えてる』
サツキの暗かった道には光が灯っている。しかし、まだそこにTRIGGERの姿が見えない。
『TRIGGERは、どこに行こうとしてるの……?』
問う声は、辛うじて震えることなく吐き出された。
サツキの眼前、真っ直ぐに続く道に、三色の灯りがない。どうかそれが思い違いであってくれ、そう願うサツキの背中から、するりと楽の手が離れた。
『姉鷺、あと任せていいか』
『え、楽……?』
楽はさりげなくサツキの体をドアの方へと向かせると、そこに立っていた姉鷺へサツキを引き渡した。
一言問いかける間も無く、姉鷺は「行くわよ」とサツキの腕を引き外へと出る。
『これから、TRIGGERは大事な打合せなの。とりあえず……別室でお茶でもどう?』
サツキはただ静かに頷くしかなかった。
そうして、楽達から離れたサツキは、テレビ画面を通して事の行く末を知ることになる。
TRIGGERは八乙女事務所をクビになったのだ、と。
「……サツキ」
サツキはハッと跳ねるように顔を上げた。
荷物をまとめ終えた楽が、物言いたげな面持ちでサツキを見下ろしている。
「泣くか?」
「泣いたらここに居てくれるって言うなら……ううん、なんでもない。泣かないよ、子供じゃないんだから」
「ハハ、そうだな」
泣こうが、怒ろうが、楽の決意を変えることはできないだろう。それどころか、ただ困らせるだけ。
サツキは上目でおずと楽を見ると、息苦しさを覚える胸に、更に息を流し込んだ。
「俺と楽は、どうなるの……」
どんなに離れても、二人が家族である事実は変わらない。しかし、恋人という不確かなカタチは、距離と時間で変わってしまうのかもしれない。
ど、ど、と心臓の音が頭の中で響く。
楽がわずかに口を開くと同時に、サツキはごくりと唾を呑み、眉根をきゅっとひそめた。
「少なくとも、TRIGGERが八乙女事務所から退所した以上、戻ってくるまでサツキとは会わないな」
「そ……、じゃあ、連絡はとっていい……」
「いや、会いたくなるから止めてくれ」
楽の返答に、サツキは唖然として目を見開いた。
「悪い。八乙女事務所との繋がりを少しでも疑われたら、退所した意味もなくなっちまうからさ」
サツキの言葉を待たずに、楽はそう言って苦く笑う。
会えず、連絡も出来ず。そんな日がいつまで続くかは誰にも分からない。
また悪夢が始まったのかと、サツキは思わずきつく目を閉じた。
楽は表情を変えずに、ただじっとサツキを見つめている。そんな楽に、サツキには返す言葉一つ見つからない。
「……待つ必要、ねぇからな」
そうしている間にかけられた一言に、サツキはズキンと強い痛みを胸に感じた。
せめて「待っててくれ」と言ってくれたなら、どんなに良かったか。その想いを叫べば楽を困らせるのだろう、サツキはハッと小さく息を吸い込み、ゆっくりと目を開いた。
「分かった。楽、今まで有難う。俺、一人でも頑張るから、楽も負けないでね」
「ん。ありがとな」
「じゃあ……、姉鷺さん、次の俺の仕事のこと、教えてくれますか」
サツキは楽を見てしまわないように、床をつたって姉鷺に視線を移した。
一瞬顔色を曇らせた姉鷺は、すぐに手帳を取り出して「これから大変よ」と笑う。
その後ろで、重そうな足音が遠ざかっていくのが分かった。暫くしてガチャ、とドアが開き、そして閉まる。
後ろ髪を引かれて振り返ったそこには、既に楽の痕跡一つ残っていなかった。
追加日:2020/09/13