八乙女楽(IDOLiSH7)
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サツキが部屋を出ていって数分。
胸騒ぎを助長するかのようにスマートフォンが小さく震え、龍之介は自身のポケットをまさぐった。
匿名からの通知、メッセージはなく画像だけが添付されている。
その瞬間、龍之介はマネージャーが「時々嫌がらせのグロい画像があったりするのよ」と言っていたことを思い出し、しまったと手を止めた。
普通なら公になっていない個人の携帯に来るはずのない悪戯……時既に遅く、その画像はメッセージアプリに大きく表示されている。
「……これ、は」
龍之介の目に入ったそれは、グロテスクなものではなかった。
よくあるオフィスビルの一室を写したもの。中心に人物が写されているそれは、所謂週刊誌に載る密会のスクープ写真のように見える。
部屋の中で抱き合っている二人。
米粒のように小さく写されたその人影を、龍之介は恐る恐る、人差し指と中指とで画面を滑らせ拡大した。
「どうして……!?」
龍之介は眼前の窓と、背後の出入口とを交互に見た後で、ガタガタッと数歩後ずさった。
窓はマジックミラー使用になっているから、向こうの建物からでも中を撮影することは出来ないはずだ。
強いて言うならば、あの開いた窓からならば。
「窓がどうして……最初に来たのは、俺だったはず……」
もしも初めから開いていたのなら。その隙間からシャッターチャンスを待ち構えられていたのなら。
サツキがいなくなったタイミングを見計らって写真を送ってきたのなら?
龍之介は駆け寄った窓を荒々しく閉めると、カバンを肩にかけて走り出した。ポケットからスマートフォンを取り出し、発信履歴からサツキへと電話をかける。
(頼むから、変なことに巻き込まれていないでくれ……!)
“自分が受けたような仕打ち”をサツキまで受けていたら、取り返しのつかないことになってしまうかもしれない。
柄にもなく、繋がらない電話に「クソッ」と荒々しい声が漏れる。
それでももう一度電話をかけると、今度は数回のコールを経て発信音が途切れた。
『もしもし?』
予期せぬ低い声に、龍之介はゴクリと唾を飲む。
その相手は低く唸るような声で「本当に十龍之介か?」と問いかけてきた。
・・・
「サツキ!」
見知らぬ声に導かれて、とあるビジネスホテルの前にある広場に足を運んだ龍之介は、ベンチにその人影をとらえた。
ぱっと顔を上げたサツキは、心底安堵した様子で破顔する。そのサツキの姿に、龍之介もまたほっと胸をなで下ろした。
「良かった、何ともないみたいで……」
「龍……心配かけちゃってごめんね。でもどうして……?」
「嫌な予感がして……。でもやっぱり、追いかけて良かった」
サツキに駆け寄るなり、龍之介は傍に立っている男性に視線を向けた。
電話に出たのはこの人だろう。男性はサツキに優しい眼差しを向けていたかと思うと、龍之介の視線に気付いて眉をつり上げた。
「おい、ちゃんと見張ってろよ。何かあったらどうすんだ」
「へ? あ、えっとすみません。サツキのこと、有難うございます」
男性はチッと舌を打ち、つまらなそうに龍之介から目をそらす。
「サツキ、彼は……?」
龍之介が耳打ちして問いかけると、サツキは眉を八の字にしながらも微笑んだ。
心配はない、しかし実はよく知らない人だ。
数分前、御堂からの電話の指示通りにホテルを目指したサツキは、この広場の前で腕を掴まれた。
振り返ったそこにいたのがこの男性……サツキはその顔すら知らなかったが、以前にサツキを慰めてくれたその人だと確信している。
「いいからこっち来い!」とベンチまでサツキを引っ張った後、男性は悔しそうに眉を寄せた。また苦しめてごめん、と頭を下げながら。
「本当に、有難うございます。俺の方こそ……また」
「そんな顔すんなって。アイツの事は俺がなんとかするって、前にも言っただろ」
言われた通りにしないと写真がばらまかれてしまう。その最大の不安は解消されないままだが、この男性はしきりに「大丈夫だ」と言う。
それを信じられるわけもなく首を振ったサツキだが、薄らと赤みがかった瞳が印象的な彼は、優しくサツキの頭を撫でた。
龍之介がこうして迎えに来るまでずっと、この男性はサツキに寄り添い、優しい声音で励まし続けたのだ。
「アイツって、誰のこと? サツキは一体、何に巻き込まれているんだ」
「……龍」
「お願いだ、サツキ。一人で抱え込むのはやめてくれ。俺も楽も……皆、心配する」
龍之介は眉をひそめ、サツキの肩に乗せた手を力ませる。
痛む程ではないが、肩への圧力にサツキが顔をしかめると、後ろに立っていた男性はサツキの横に立ち、その手を弾き飛ばした。
「コイツに乱暴すんな」
「君っ……君は一体何を知って……あれ? どこかで……あ!」
割って入った男の顔をじっと見つめた龍之介が、とんっと手を打つ。
彼の容姿に見覚えがある。そう、一年ほど前だ。髪型や表情、全体的な雰囲気は変わっているが、確かに龍之介は彼の姿を見ている。
「君はそうだ、アイドルの……! 俺達が立つ前の王者だった……確か、狗丸トウマさん」
「ッ違ぇ!」
NO MADのボーカル、狗丸トウマ。TRIGGERが王者として名を広げたステージの前年王者だ。
当時、ライバルとして意識していた龍之介の記憶に、しっかりと重なるその容姿。
反発するように否定されたが、龍之介につられて彼を凝視したサツキもまた、大きく目を見開いた。
「そうだ、俺も思い出しました。貴方は、あの時の……舞台袖で、お話ししましたよね」
「え……お、お前、覚えてんのか」
「勿論です。そっか、そうだったんですね……またお会いできて、嬉しいです」
サツキがゆっくりと手を差し出すと、トウマは慌てて自身の服で拭ってから、その手で握手に応えた。
ぎゅっと握り合うと、トウマの冷えていた手がじわじわと熱を宿す。
あの日の悲しさと悔しさと、初めての胸の痛み。サツキはトウマを見上げて、泣きそうな顔で微笑んだ。
一年で一番大きな舞台。その年の王者を決めるそのステージで、観客の心を掴んだのはトリを務めたTRIGGERだった。
今年出てきたばかりの新人であるTRIGGER。大きな事務所、親の七光り、コネ。
実力なら絶対に負けない、このステージでそれを思い知らせてやる……そう意気込んでいた熱い思いも、次第にガラガラと砕け落ちていく。
努力も実力も何もかも無駄なのだ。この業界で生き残るのは、事務所の力があるものだけ。
『……クソ。なんだってんだ、負けてねぇ……負けてねぇのに……!』
ふつふつと湧き上がる理不尽への苛立ち。
NO MADは解散だ、二度と真面目になんて歌ってたまるか。トウマの心の叫びへ同調する、スタッフやメンバーの嘆き。
その中で、ただ一人、静かにすすり泣く声が袖の端から聞こえてきた。
『お前、何泣いてんだよ』
今、ステージでは王者に輝いたTRIGGERが声援に応えている。
その雰囲気に逆らうように頭を垂れていたその人は、涙と共にこぼれ落ちそうな大きな瞳にトウマを映した。
『悲しい、です。歌で、勝ち負けを決めるなんて……』
トウマは言葉を失って、その人を見つめた。
黒い髪と黒い瞳。涙の似合う美しい女性が、心地の良い声を紡ぐ。
『TRIGGERの歌が好きな人もいます。でも、貴方の歌の方が好きだって、思う人もいるんです』
『……でも、結果はこうなった』
『それでも私は、貴方の声が、歌が好きです。このステージに立った事を、悲しい思い出にしないで欲しいんです……』
ぽろぽろと透き通った雫が落ちる。ライトを浴びて虹色に光るそれを、トウマは片手で受け止めていた。
騒がしいTRIGGERの声も観客の黄色い声も聞こえない。
『 ……アンタが、見ていてくれるなら』
立ち止まってはいけない、変えなきゃいけないのだ、この理不尽な世界を。
それから一年後、NO MADのボーカルではなくなった狗丸トウマはテレビで彼女を知る。
彼女が嘆いた世界で、天使の如く歌う、牧野サツキのその姿を。
「俺は、お前をこの世界から解放してやりたい。でも、こんなやり方は認めねぇ」
「狗丸さん……」
「あの日のこと、忘れろってのはきっと無理だろうしな……せめて何かあったら、俺を頼ってくれ。写真のことなら、大丈夫だから」
TRIGGERではなく、俺を。力強くサツキの手を両手で包み込んだトウマは、視線を上を移動させた。
視線の先には、ホテルの一室、向こう側の見えない窓。
待ち構えていた男は、更なる絶望を突きつけるべく、おぞましいシナリオを描いているに違いない。
「待ってくれ、写真……、写真って何のことだ……?」
二人に何かしらの信頼関係があることを察して見守っていた龍之介は、思わず口を挟んでいた。
ポケットの中にあるスマートフォンを握りしめる。
写真……ついさっき撮られた一枚は、今龍之介の手元にもある。
「龍……巻き込みたくなかったんだけど、ここまで巻き込んじゃったから……。俺、その、良くない写真を撮られてて……」
「良くない……?」
「……男性と、関係があるようなやつ」
言いづらそうに、言いたくなさそうに。サツキが小さな口から発した微かな声に、龍之介は頭を鈍器で打たれたような衝撃を受けた。
その言い方やトウマとの関係を見るに、今日に始まったことでないのは間違いない。
「あぁ……サツキ、ごめん……。実はさっきも、撮られてたんだ」
「え? さ、さっき? さっきって何!?」
サツキが驚き龍之介の腕に縋り付く。
龍之介はポケットから取り出したスマートフォンを、ゆっくりとサツキの目の前に掲げた。
「な、何これ!?」
龍之介のスマートフォンの画面に、抱き合う二人が見える。一見、愛し合う二人の密会にも見えるそれに、当然覚えはない。
「っ! 十龍之介、お前本当にコイツとそういう……っ」
「ち、違う違う! さっきよろけたサツキを支えただけだよ。それを、まるでそうみたいに撮られていたんだ」
「……、そんな……」
顔を青白くしたサツキは、膝から折れるようにベンチに座り込んだ。
真実がどうあれ、この写真を見たファンがどう感じるかは想像に容易い。
サツキへの失望ならまだいい。龍之介と、TRIGGERへの悪評に繋がるとしたら、サツキが描いた最悪の結末だ。
「クソッ……油断も隙もねぇな……」
悔しそうに宙を殴ったトウマを見れば、この写真の行く末も想像出来てしまう。
初めから、敵は御堂虎於だけではなかった。ツクモプロそのものが立ち塞がっていたのだ。今更それに気付いたところで、データが消えることはない。
サツキは龍之介を見上げ「ごめんなさい」と声を震わせた。
「いや……。とにかくマネージャーに連絡する。すぐに事務所へ戻ろう、サツキ」
龍之介の低い声が、状況の深刻さを表すようだった。
(第十八話・終)
追加日:2019/01/07