八乙女楽(IDOLiSH7)
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八乙女楽は事務所に持ち込んだ小さなアルバムに没頭していた。
この後ミーティングにやって来る姉鷺に渡す予定のものだ。片面に二つのポケット、見開きに四枚入るその写真たちには、暖かみを感じる手書きのメモが一枚ずつ張り付けられている。
日付とそのシーンを伝える一言。カッコ書きでその時のサツキの年齢も書かれている。
その丁寧さと写真に写るサツキの笑顔が、愛され育まれていたのだと楽に痛感させた。
「ハッ……すげぇいい笑顔」
まるで天使のように愛らしいサツキが、目尻を下げ、崩れる程に破顔している。
自然とつられて笑みを浮かべた楽は、アルバムを開いたままテーブルに下ろし、自身の口元を掌で覆った。
ここ最近、サツキの様子は明らかにおかしい。それは事実だ。しかし、果たしてそれは、“ここ最近”だけに限定出来る変化だろうか。
(そういえば、うち来て暫く経った頃……今よりももっと、目に見えて落ち込んでいた時があったな)
思い出すのは、施設からサツキを引き取って暫く経った頃。楽がサツキに対し、兄を演じられるようになった頃のことだ。
まだ小学生だったサツキは、目の前にある大きな背中、父へ渇望の目を向けていた。
『サツキ、今日は随分嬉しそうだな』
その日、学校から帰宅したサツキは、ぴょんぴょんと誰が見ても分かるように歓喜を体で表していた。
その愛らしさを指摘した楽に、サツキは「わかる?」と更に嬉しそうに笑みを湛える。
『今日ね、音楽の授業で一番をもらったんだ。俺、頭悪いから、一番もらえたの嬉しくって』
『へぇ!すごいな!でも頭だって悪くないだろ。この前、五番以内に入ったって言ってなかったか?』
『う、うん、でも……お父さんに、五番なんかで喜ぶなって怒られちゃったから』
日が雲に隠れるかのように、サツキの顔から笑みが消えた。
父である八乙女宗助は芸能事務所の社長を務めている。もとよりサツキを引き取ったのも、自分の駒を一つ増やすためだ。
厳格な父……いや、あれは、子供の世話など面倒だと煙たがっているだけだ。
『クソオヤジのことなんか、気にする必要ねぇよ。サツキ、一番も五番も凄ぇよ!俺がめいっぱい褒めてやる』
そう言いながら、楽はサツキの頭をくしゃくしゃと少し乱暴に撫でまわした。
サツキの顔に、また可憐な花が咲き誇る。
しかし、それでもサツキは、まだ父親に褒められるという一大イベントを諦めていなかったのだ。
その夜、宗助が帰宅すると、サツキは玄関まで出迎えた。ぺたぺたと後ろをついて歩き、疲れた様子でリビングの椅子に腰かけた宗助のためにコップへ水を注ぐ。
『あっ、あの、お父さん。今日、学校の歌のテストで……一番をもらったんです』
言い出すタイミングは、それなりに計ったつもりだった。
宗助が一息も二息もつける間をあけたし、水を渡した時には「すまないな」と声も返って来たのだ。
だから大丈夫。サツキはもじもじと手を体の前で擦り合わせ、大きな瞳で父を見上げた。
『当たり前だろう。お前が歌で誰かに負けるはずなどない。お前のその才能は、俺が一番分かっている』
返って来た言葉は、今までのような叱責ではなかった。
しかし、サツキは唖然として口を噤む。サツキが欲しかったのは「よくやったな」というほんの少しの称賛だけ。
サツキはようやく得た家族という枠組みの中で、自然と父親からの愛情を求めたのだ。
しかし、サツキの無言の訴えに、あの父親が気付くことはなかった。
『……お父さんは、俺のこと、どう思ってるのかな』
『あんな男の事、サツキが気にすることねぇよ。サツキには、俺がいる……な?』
あの頃の楽は、その自分の言葉でサツキを救えると信じて疑わなかった。
あんな小さな体で、父親の穴埋めなど出来るはずがないのに。
(あのクソオヤジのことだ、今のサツキの状況だって知らねぇんだろうな)
楽は静かにアルバムを閉じた。
こうなることは、サツキを引き取る前から分かっていたのだ。
自分が守ればいい……そんな、当時の安易な考えが、こうしてサツキから笑顔を奪っていく。
「お待たせー……って、あらやだ、お通夜」
予定通りにやって来た姉鷺は、淀んだ空気を祓うようにパタパタと手で扇いだ。
そのまま楽の正面の椅子に腰かけ、楽の様子に突っ込むことなくフンッと鼻息を零す。
「ひとまず、今回の作戦は順調よ。アンチがゼロってわけにはいかないけど、今までよりずっと平和ね」
「……それ、どっちの話?」
「どっちも。ちなみに幼少期の写真は、TRIGGERでも見たいって意見がかなり多いわよ」
そっちもこれから検討ね、という姉鷺の言葉に、楽は無理だろうなと苦く笑った。
TRIGGERの三人の幼少期は、恐らく今売り出しているイメージと大きく異なるものしか出てこないだろう。
楽はともかく、九条天は複雑な家庭である以上表には出せないし、十龍之介はセクシー路線に反してヤンチャな琉球男子だ。
そんな身にならない話は早々に切り上げ、楽は姉鷺にアルバムを渡すと急いで帰路へついた。
サツキの悩みの正体が分からずとも出来ることはある。
「ただいま」
自宅の玄関にサツキの靴があることを確認した楽は、少し大きな声で呼びかけた。
パタパタと玄関へ飛び出してきたサツキに、楽は有無言わず腕を伸ばす。
「おかえり!え、うわっ……!な、何、どうしたの!?」
エプロンの似合う細い腰を抱き寄せ、背へ回した手で肩を掴む。
暫く困惑した様子で宙を泳いだサツキの手は、暫くして恐る恐る楽の背に回された。
「楽が、俺に甘えるなんて珍しいね?お疲れ様?」
「あぁ。サツキが足んねぇ。飯食って、風呂入ったら……今日は、甘えさせろよ」
泣いていい、甘えていい、打ち明けていい、胸の内を晒せ。どれを言ったって、サツキは困った顔をして笑うのだ。
今、言葉を引き出すことはできない。根本的な解決にはならない。
それでも、サツキは愛情を求める普通の子供だった。そしてそれは、今でも変わらないサツキの一面だ。
「サツキ、好きだ。すげぇ好き」
「本当にどうしたの……?とりあえず、部屋に行こうよ」
とんとんと背中をあやすように撫でられ、楽は渋々腕を外した。
サツキは真っ赤になった顔を隠すことなく、楽を見上げてニッコリと微笑む。
「もう……疲れた顔してないじゃん。心配しちゃった」
「疲れてなきゃ甘えちゃ駄目ってのか?」
「まっ、まさか!いつだって甘えてくれていいよ?俺も嬉しいし」
決して喜ばせる意図があるわけでもなく、自然とそう言って、サツキは楽の腕に手を絡めた。
恥ずかしそうに、けれどしっかりと楽の目を見つめ、顔を近付ける。楽もサツキの頬に手を添えると、応えるように腰を屈めた。
「―……んっ……」
鼻から抜けるようなサツキの声が、楽の耳をくすぐる。
続いた唾液をすするような水音と、後追いするみたいに楽の下唇を食んだサツキの赤い唇。
それを目の当たりにして、楽はこの作戦の致命的な弱点に今更気が付いた。
「悪ィ……駄目だな、こんなつもりじゃなかったってのに……抱きたくなってきた」
楽よりもサツキの方が余程、禁欲に長けている。楽は既に崩落しかけた理性で、辛うじてサツキの肩を掴んで剥がした。
「まずは食事、次は風呂な」
「……俺が、先でもいいよ」
サツキを視線から外した楽の瞳が、躊躇いながらサツキへと戻る。
相変わらず真っ赤な顔のまま、見上げるサツキの瞳は、真っ直ぐに楽をとらえている。
「お前な。そこまで甘やかさなくていいっつの」
「ち、違うよ、これは、俺のため……楽が触ってくれたら、俺も、ヤなこと、忘れられると思って……」
駄目だ……と気付いた頃にはもう遅く、楽はサツキを抱き合げ、ソファへと寝かせていた。
唇を奪い、エプロンを剥ぎ取り、服を捲って、露わになった胸に舌を這わす。
聞いた方が身悶えしたくなるような吐息に、「がく」と舌足らずな声が混ざった。それだけで、心臓が掴まれたように息苦しくなる。愛される歓びを実感する。
「サツキ」
「ん……楽、もっと、呼んで……、楽の声で、俺を、繋いでいて……」
とろけたサツキの声に、楽は繰り返す口付けの最中、確信した。
やっぱり相当だ。こんな風に、はじめから素直に楽へ縋るサツキの姿は、そう見れたものではない。
「サツキ、俺が誰よりもお前を見てる。サツキは誰よりも綺麗だ。顔がって話じゃねぇ、心も含めて全部でな」
「……違うよ、俺なんて……」
「俺の言葉が信じらんねぇのか?」
ただ励ましたい一心で、サツキ頬を両手で包み込む。
しかしサツキは楽から目を逸らし、楽の手を弾かない程度に、小さく首を横に振った。
「楽よりも、俺が一番俺の事わかってる。楽の知らない俺も、全部見えてるから」
「だから信じられねぇのか」
今度は、サツキの首が縦に動く。思わず眉を寄せた楽に、サツキは「でも」と続けた。
「楽が好きで、楽も俺が好き……それだけは、本当に本当」
「そうだな。愛してる、サツキ」
サツキは何度も頷き、楽の首に腕を回した。もう一度唇を重ね、熱い余韻に浸りながら、頬と頬を擦り合わせる。
意図したわけでなく、楽の息がサツキのみみを掠めると、サツキは「うわっ」と声を上げて楽の肩を押し退けた。
「ご、ごめん、くすぐったくて、びっくりして……」
「へぇ……?」
「あっ、だ、駄目だからね!そういうの、しなくていいから!」
楽がニヤと口角を上げると、何か察したサツキが自身の耳を手で覆い隠す。
「いいのか?それじゃ、俺の声が聞こえないだろ」
「ちゃんと聞こえるし、楽が変なことしないなら、外すよ」
「変な事?これは変な事じゃねぇんだ?」
楽の手はサツキの露わになった胸を揉み、ツンと立った中心を指で挟んだ。それを繰り返せば、サツキは反射的に耳から手を外し、楽の腕を掴む。
「い、意地悪……」
「でもヤじゃねぇ、だろ?ほら、隙あり」
フッと吹きかけた息に、サツキは「あっ」と声を上げて身を捩った。
勿論、くすぐったいだけだと知ってはいるが、楽の目に映るその姿は妙に悩ましい。
「楽っ、そんなことするなら、やっぱり退いて!ご飯とお風呂!」
「はは、怒んなって。怒った顔も可愛いけどな」
「何言ってるんだよ、もう!」
膨れたサツキの顔が、ふっと綻ぶ。それは、写真に残された満面の笑みにはまだ遠いが、楽はようやく安堵してサツキの頭を撫でた。
まだ、自分にはサツキを笑わせることが出来る。
今はこのたった一本の救いの糸が、サツキを確かに支えていた。
(第十七話・終)
追加日:2018/12/02