八乙女楽(IDOLiSH7)
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2.和泉兄弟
暖かい日差し。
朝の涼しい風と共に、緑の匂いがする。
この気持ちの良い空間で、ひょろりと細い足を折り曲げて座る少年は自分だ。
そして隣には、見知らぬ男の子。
「ねえ、なんかうたってよ」
自分より小さい男の子は、唐突にそんなことを言ってきた。
サツキを下から覗き込んで、眠たいのか大きな目を細めている。
「…うた?どうして?」
「こえがすきだから」
男の子の人差し指が、ちょいと自分の方へ向けられる。
声に対して好意的な言葉を向けられるのは初めてだった。
すぐさま返す言葉が浮かばなかったのは、その感動のせいだ。
「…ふふ、いいよ。なにうたう?」
「なんでもいい」
「んーと、じゃあ…」
きっと君も知ってるやつね、と最近歌ったばかりの童謡を口ずさむ。
その子はただずっと何も言わずにその歌声を聞いていた。
一曲歌いきって、恥ずかしながら「どうだった?」と聞き返す。
その問への返答は、柔らかな笑顔だった。
「うた、じょうず」
「え?そうかなあ、ありがとう」
自分の歌声で、少年が笑顔になったくれた。
子供ながらに嬉しかったあの日のことを、一度たりとも忘れたことはない。
きっとあれがきっかけだったのだろう。
あの日、牧野サツキという存在が生まれたのだ。
・・・
瞼の向こうの白さに、サツキは身を捩った。
柔らかなシーツを指でかいて、重たい瞼を上げる。
「ん…」
そのまま掠れた声を喉の奥で鳴らし、サツキはゆっくりと体を起こした。
開いた視界に広がるのは、いつもと違う景色。
いつの間に寝てしまったのか、楽に話を聞いてもらってその後、自分部屋に戻らず眠ってしまったらしい。
掴んだシーツは、楽のベッドのものだ。
「…しまった…」
やってしまった。
TRIGGERは朝から仕事なのだろう、既にこの部屋の主の姿がない。
「…起こしてくれていいのに…」
サツキはベッドから足を降ろすと、ずり落ちた布団を戻して部屋を後にした。
今日は久々のオフだ。しかし、TRIGGERは仕事。
今までのようにTRIGGERにくっついているわけにもいかないし、一人の時間は増えるばかりだ。
「大丈夫、寂しくなんかないよ」
そう自分に言い聞かせて、気晴らしに外へと出る。
近所の小さい公園、昔よくここに来たっけ。
何気なくブランコに腰かけ、ぼうっと空を眺めてから目を閉じる。
懐かしい日々、まだ歌を歌って生きていくなんて思っていなかった頃。
まだ、楽に手を引かれて歩いていた頃の記憶だ。
「う、うぇ…」
古い記憶に手を伸ばした最中聞こえて来たか細い声に、サツキはぱっと目を開いた。
男の子がしゃがみ込んでいる。肩を震わせて、泣いているように見える。
サツキはブランコから降りて、その男の子の横に寄り添った。
「…どうしたの?」
ぐすっと鼻を吸った男の子が顔を上げる。
大きな瞳からはやっぱり涙が零れていた。
「…友達と、けんかした…」
「喧嘩?」
こくりと小さな頭が上下に動く。
サツキは怖がらせないように微笑み、顔を男の子の高さに合わせた。
「喧嘩は仲が良いほど出来るんだよ。君とその友達が仲良しの証拠だね」
「でも…」
「でも、悔しいよね、悲しいね」
サツキの言葉に、きゅっと唇を結んだ男の子は俯いてしまった。
納得がいかない喧嘩なのか、それとも仲直りできるか不安なのか。
分からない、けど、どうにか笑って欲しくて。
「…ドーはドーナツのドー」
「え?」
「知ってる?」
「しってる…」
不思議そうな視線に、ニコリと笑って返し、そのまま歌を続ける。
男の子は、茫然とサツキを見つめていた。
理想では、途中からでも一緒に歌い出して欲しかったのだけれど。
懐かしい感覚だ。
昔も、隣でサツキの歌を聞く男の子は、一緒に歌ってはくれなかった。
それでも、不安そうに揺れていた瞳は、次第に輝きを増していく。
「うた、じょうずだね!」
何曲終えた頃だろうか。
目をキラキラとさせた男の子が、サツキを見上げて言った。
「有難う。君は、おうた嫌い?」
「んー、うたうのはやだ。だって、女の子のがじょうずだもん」
「え?そうかなあ」
うーんと首を捻って、不服そうに口を噤む男の子を見下ろす。
その男の子の靴には、流行りの戦隊ものの絵が描かれていた。
「好きな歌はある?」
「すきなうた?」
「じゃあー…トリプルレンジャーの主題歌は?」
「好き!」
ぱっと、今まで悲しそうだった男の子の顔が輝く。
そのまま口ずさんだアップテンポなメロディーには、男の子の声が重なっていた。
高い声だ。サツキよりもずっと高くて、可愛らしい声。
一緒に歌い終わった時には、男の子の目の涙はすっかり乾いていた。
「おうた、楽しいよね?」
「うーん…でも学校だと女の子が」
「男の子でも大丈夫だよ。俺だって、男の子だけどおうた歌うし」
「え、お姉ちゃんおとこのこだったの?」
一瞬頷くのに躊躇って、でもすぐ「そうだよ」と返す。
男の子は嬉しそうに笑うと、ぱっと立ち上がった。
「じゃあね!おうたがじょうずなお兄ちゃん!」
「うん、気を付けて帰ってね」
ぶんと大きく振られた手に、釣られて手を振り返す。
こういう時に、酷く実感する。歌が好きで、歌が歌えて良かったと。
その小さな背が見えなくなるまで見送って、ふうと息を吐く。
そして振り返ると、二人の青年がサツキをじいっと見つめていた。
「…いくら男の子相手とはいえ、そんなに簡単に性別を明かしてしまって良かったのですか」
「え…」
そのうちの一人、背の大きな青年が声をかけてくる。
するともう一人の小さな青年は「おい一織…」と複雑そうに声を出す。
一織。聞き覚えのある名前だ。
そう言えばその二人の姿には見覚えもある。
「って、もしかして和泉一織さん…と三月さんですか!」
「そうです。初めまして、牧野さん」
「悪い、立ち聞きするつもりはなかったんだけど…」
顔色一つ変えない一織と、申し訳なさそうに眉を下げる三月。
イメージ通りの二人を前に、サツキはいろんな感情を押さえるべく口をぱっと覆った。
じっと、モニターの向こうでしか見たことのない二人に見られている。
サツキはごくりと唾を呑み、緊張のせいか少し震える唇を開いた。
「ええと…どこから見られていたのでしょうか…」
「レンジャー歌い出したあたりからです」
「ふふ、なら一緒に歌っていただけたら良かったのに」
お恥ずかしい、と呟いてへらと笑う。
そんなサツキに、一織は呆れたようなため息を吐いて近付いてきた。
「そんなことはいいんです。男児とはいえ、一人に知られた情報はいくらでも広がる可能性があります。貴方は、それで良いのですか」
「それは……性別のことですか?」
「そうです。テレビに出ている貴方を見て、彼が母親に言うかもしれない。男だったよと」
そこからあっという間に情報は広がっていく。たかだかキャラづくり。されどキャラづくりだろうに。
そう鋭い口調で言ってきた一織の横で、三月が手のひらを立てて「悪い」と頭を下げた。
「甘いですよ、牧野さん」
「こら、一織…」
「そう、ですね。確かにその通りです。ご忠告有難うございます」
素直にぺこりと深く頭を下げたサツキに、一織は驚いて口を噤んだ。
言い返してくると思っていたのだろうか、三月もぽかんと口を開けている。
「でも俺は、自分のキャラなんかより…その時、俺の歌で元気になってくれる人がいるなら、その方が大事です」
「…」
「今、俺が男であることは、必要なことだったんです」
自分を女性だと思い込んだままだったなら、男の子は「やっぱり歌は女の子の方が上手だ」と思い続けていたかもしれない。
それでは、悲しいから。
「……可愛い人ですね」
ふと、聞き間違いか、一織から優しい声が聞こえた。
「いえ、それなら結構です。安心してください、私達は今日の事を誰かに話したりしませんから」
「え…あ、有難うございます…?」
「それでは、失礼します」
礼儀正しく頭を下げて、すっすと歩き去って行く。
そんな一織を何故か一緒に見送った三月は、たたっとサツキに駆け寄ってきた。
「正直感動したよ。お前、いい奴だな」
「え…」
「オレ、あんたのファンになった。きっと一織も」
背の高くないサツキよりも更に小さい位置で、ふわりと三月が微笑む。
テレビの向こうでしか見たことないアイドルの素顔に、今更ながらドキリと胸が鳴る。
そんなサツキの緊張など知る由もない三月は、小さな手で作った拳をサツキの腕に押し付けた。
「キャラづくりとか、オレはよくわかんねーけど、頑張ってな!」
「あ…有難うございます…っ」
「じゃあな!」
先程の子供のように、ぶんぶんと手を振りながら走り去った三月に、サツキはまた手を振り返す。
見た目のイメージ通り、人懐っこい人だ。
一織の威圧感で多少なりとも萎縮した胸の奥が暖かくなっている。
それなのに。
公園に一人残されたサツキの口から零れたのはため息だった。
「…歌へのコンプレックスも…友達との喧嘩も…全部全部俺が言えたことじゃないのにな」
そもそも友達との喧嘩なんて、したこともない。
大事な友人とは、口もきかなくなった。
喧嘩、みたいに言葉をぶつけ合えたなら、どんなに良かったか。
「怖くて、聞けなかったな…」
この前のテレビ、見ましたかと。
誰か、自分のことを知るメンバーは、いませんでしたかと。
「…帰ろう」
サツキは一度大きく深呼吸すると、俯いたまま帰路に戻った。
・・・
事務所のドアがばたんと勢いよく開け放たれる。
その音に驚き振り返った小鳥遊紡と七瀬陸は、いつもより少し遅い到着の二人に目を丸くした。
「あ、おはよう。一織、三月」
「おー!おはよう!」
「おはようございます。あの、何かあったんですか?」
紡の口から出た質問は、そのドアの勢いと彼等の表情の様子のおかしさから出たものだ。
三月はともかく、一織の口元がもごと緩んでいるように見える。
「いやぁ、今日はいいもん見ちまってさ!な、一織!」
「そ…べ、別に私は」
なんなのだろう。紡と陸は顔を見合わせて首をかしげる。
その後ろで、光を放つテレビから、爽やかな声が通った。
『おはようございます、牧野サツキです』
「お、すげえ!タイムリー!」
その声にいち早く反応した三月が、ばっとテレビに駆け寄ってソファに腰掛ける。
その目がキラキラと輝いていて、陸はぽかんと口を開いた。
「あ、あれ?三月って牧野サツキのファンだった?」
「いやー、実はここ来る前に会ったんだよ、牧野サツキ!」
「え!?」
驚きの声が重なる。
紡と陸は顔を見合わせてから、同時に三月の方へ振り返った。
「すっげえいい奴だったんだよ、牧野サツキ。な、一織!」
その三月が一織を見るものだから、つられて紡と陸も一織に注目する。
一織の表情は妙、というか緩んでいた。頬やら口もとやらが、にんまりと。
「一織…?」
「…想定外でした」
「そ、想定外?」
ぼそぼそと口を動かした一織に、陸が怪訝そうに眉をしかめる。
詳細など話す気のない一織に対し、三月が未だ興奮気味に口を開いていた。
「助言するついでに、本性暴いてやるとか思ってたんだろ!」
「そ…そんなことは…」
「それが結局良い所しか引き出せなくて、見直しましたって感じか?だよな?」
ん?と覗き込むと、一織は「そんなんじゃない」と呟く。
残念ながら、その顔は明らかに三月の証言を肯定しているようなものだった。
「一織の…顔が赤い…」
「み、見ないで下さい!」
この一織をこんな風にしてしまうなんて。
紡は言葉にならないような感嘆の声を漏らし、今まさに登場しているその人に目を向けた。
『牧野さんと言えばあのTRIGGERと同じ事務所なわけですが、どなたか仲の良いメンバーはいますか?』
爽やかな笑顔が一瞬かたまったように見えた。
この手の質問はかなり多い。どうしても絶対的存在として付き纏うTRIGGER、きっと複雑な気持ちなのだろう。
そう思い眉を寄せた紡は、無意識にテレビに集中していた。
『楽…、あ、八乙女楽さんには、お世話になっています』
だからか、その一瞬もらした呟きに気付いてしまった。
「今…」
思わずテレビを指さして、未だに一織をからかっていたらしい三人に目を向ける。
その視線に気付いた陸は、不思議そうに紡に視線を移した。
「マネージャー?」
「いえ今…牧野さん、TRIGGERの八乙女さんのことを“楽”と呼びましたよね」
「さすがにそれはないでしょう。事務所の先輩で、あの八乙女楽をですか?」
やはり三人の耳には入っていなかったらしい。
有り得ない話ではない、八乙女楽と本当に親しくしているのかもしれない。それはそれとして。
「…大丈夫、なんでしょうか…」
この業界を見てきたマネージャーとして、アイドルの一ファンとして。
紡はぎゅっと胸の前で手を握りしめ、じっとテレビの向こうで微笑む人を見つめていた。
(第二話・終)
追加日:2017/09/27
移動前:2015/10/17
暖かい日差し。
朝の涼しい風と共に、緑の匂いがする。
この気持ちの良い空間で、ひょろりと細い足を折り曲げて座る少年は自分だ。
そして隣には、見知らぬ男の子。
「ねえ、なんかうたってよ」
自分より小さい男の子は、唐突にそんなことを言ってきた。
サツキを下から覗き込んで、眠たいのか大きな目を細めている。
「…うた?どうして?」
「こえがすきだから」
男の子の人差し指が、ちょいと自分の方へ向けられる。
声に対して好意的な言葉を向けられるのは初めてだった。
すぐさま返す言葉が浮かばなかったのは、その感動のせいだ。
「…ふふ、いいよ。なにうたう?」
「なんでもいい」
「んーと、じゃあ…」
きっと君も知ってるやつね、と最近歌ったばかりの童謡を口ずさむ。
その子はただずっと何も言わずにその歌声を聞いていた。
一曲歌いきって、恥ずかしながら「どうだった?」と聞き返す。
その問への返答は、柔らかな笑顔だった。
「うた、じょうず」
「え?そうかなあ、ありがとう」
自分の歌声で、少年が笑顔になったくれた。
子供ながらに嬉しかったあの日のことを、一度たりとも忘れたことはない。
きっとあれがきっかけだったのだろう。
あの日、牧野サツキという存在が生まれたのだ。
・・・
瞼の向こうの白さに、サツキは身を捩った。
柔らかなシーツを指でかいて、重たい瞼を上げる。
「ん…」
そのまま掠れた声を喉の奥で鳴らし、サツキはゆっくりと体を起こした。
開いた視界に広がるのは、いつもと違う景色。
いつの間に寝てしまったのか、楽に話を聞いてもらってその後、自分部屋に戻らず眠ってしまったらしい。
掴んだシーツは、楽のベッドのものだ。
「…しまった…」
やってしまった。
TRIGGERは朝から仕事なのだろう、既にこの部屋の主の姿がない。
「…起こしてくれていいのに…」
サツキはベッドから足を降ろすと、ずり落ちた布団を戻して部屋を後にした。
今日は久々のオフだ。しかし、TRIGGERは仕事。
今までのようにTRIGGERにくっついているわけにもいかないし、一人の時間は増えるばかりだ。
「大丈夫、寂しくなんかないよ」
そう自分に言い聞かせて、気晴らしに外へと出る。
近所の小さい公園、昔よくここに来たっけ。
何気なくブランコに腰かけ、ぼうっと空を眺めてから目を閉じる。
懐かしい日々、まだ歌を歌って生きていくなんて思っていなかった頃。
まだ、楽に手を引かれて歩いていた頃の記憶だ。
「う、うぇ…」
古い記憶に手を伸ばした最中聞こえて来たか細い声に、サツキはぱっと目を開いた。
男の子がしゃがみ込んでいる。肩を震わせて、泣いているように見える。
サツキはブランコから降りて、その男の子の横に寄り添った。
「…どうしたの?」
ぐすっと鼻を吸った男の子が顔を上げる。
大きな瞳からはやっぱり涙が零れていた。
「…友達と、けんかした…」
「喧嘩?」
こくりと小さな頭が上下に動く。
サツキは怖がらせないように微笑み、顔を男の子の高さに合わせた。
「喧嘩は仲が良いほど出来るんだよ。君とその友達が仲良しの証拠だね」
「でも…」
「でも、悔しいよね、悲しいね」
サツキの言葉に、きゅっと唇を結んだ男の子は俯いてしまった。
納得がいかない喧嘩なのか、それとも仲直りできるか不安なのか。
分からない、けど、どうにか笑って欲しくて。
「…ドーはドーナツのドー」
「え?」
「知ってる?」
「しってる…」
不思議そうな視線に、ニコリと笑って返し、そのまま歌を続ける。
男の子は、茫然とサツキを見つめていた。
理想では、途中からでも一緒に歌い出して欲しかったのだけれど。
懐かしい感覚だ。
昔も、隣でサツキの歌を聞く男の子は、一緒に歌ってはくれなかった。
それでも、不安そうに揺れていた瞳は、次第に輝きを増していく。
「うた、じょうずだね!」
何曲終えた頃だろうか。
目をキラキラとさせた男の子が、サツキを見上げて言った。
「有難う。君は、おうた嫌い?」
「んー、うたうのはやだ。だって、女の子のがじょうずだもん」
「え?そうかなあ」
うーんと首を捻って、不服そうに口を噤む男の子を見下ろす。
その男の子の靴には、流行りの戦隊ものの絵が描かれていた。
「好きな歌はある?」
「すきなうた?」
「じゃあー…トリプルレンジャーの主題歌は?」
「好き!」
ぱっと、今まで悲しそうだった男の子の顔が輝く。
そのまま口ずさんだアップテンポなメロディーには、男の子の声が重なっていた。
高い声だ。サツキよりもずっと高くて、可愛らしい声。
一緒に歌い終わった時には、男の子の目の涙はすっかり乾いていた。
「おうた、楽しいよね?」
「うーん…でも学校だと女の子が」
「男の子でも大丈夫だよ。俺だって、男の子だけどおうた歌うし」
「え、お姉ちゃんおとこのこだったの?」
一瞬頷くのに躊躇って、でもすぐ「そうだよ」と返す。
男の子は嬉しそうに笑うと、ぱっと立ち上がった。
「じゃあね!おうたがじょうずなお兄ちゃん!」
「うん、気を付けて帰ってね」
ぶんと大きく振られた手に、釣られて手を振り返す。
こういう時に、酷く実感する。歌が好きで、歌が歌えて良かったと。
その小さな背が見えなくなるまで見送って、ふうと息を吐く。
そして振り返ると、二人の青年がサツキをじいっと見つめていた。
「…いくら男の子相手とはいえ、そんなに簡単に性別を明かしてしまって良かったのですか」
「え…」
そのうちの一人、背の大きな青年が声をかけてくる。
するともう一人の小さな青年は「おい一織…」と複雑そうに声を出す。
一織。聞き覚えのある名前だ。
そう言えばその二人の姿には見覚えもある。
「って、もしかして和泉一織さん…と三月さんですか!」
「そうです。初めまして、牧野さん」
「悪い、立ち聞きするつもりはなかったんだけど…」
顔色一つ変えない一織と、申し訳なさそうに眉を下げる三月。
イメージ通りの二人を前に、サツキはいろんな感情を押さえるべく口をぱっと覆った。
じっと、モニターの向こうでしか見たことのない二人に見られている。
サツキはごくりと唾を呑み、緊張のせいか少し震える唇を開いた。
「ええと…どこから見られていたのでしょうか…」
「レンジャー歌い出したあたりからです」
「ふふ、なら一緒に歌っていただけたら良かったのに」
お恥ずかしい、と呟いてへらと笑う。
そんなサツキに、一織は呆れたようなため息を吐いて近付いてきた。
「そんなことはいいんです。男児とはいえ、一人に知られた情報はいくらでも広がる可能性があります。貴方は、それで良いのですか」
「それは……性別のことですか?」
「そうです。テレビに出ている貴方を見て、彼が母親に言うかもしれない。男だったよと」
そこからあっという間に情報は広がっていく。たかだかキャラづくり。されどキャラづくりだろうに。
そう鋭い口調で言ってきた一織の横で、三月が手のひらを立てて「悪い」と頭を下げた。
「甘いですよ、牧野さん」
「こら、一織…」
「そう、ですね。確かにその通りです。ご忠告有難うございます」
素直にぺこりと深く頭を下げたサツキに、一織は驚いて口を噤んだ。
言い返してくると思っていたのだろうか、三月もぽかんと口を開けている。
「でも俺は、自分のキャラなんかより…その時、俺の歌で元気になってくれる人がいるなら、その方が大事です」
「…」
「今、俺が男であることは、必要なことだったんです」
自分を女性だと思い込んだままだったなら、男の子は「やっぱり歌は女の子の方が上手だ」と思い続けていたかもしれない。
それでは、悲しいから。
「……可愛い人ですね」
ふと、聞き間違いか、一織から優しい声が聞こえた。
「いえ、それなら結構です。安心してください、私達は今日の事を誰かに話したりしませんから」
「え…あ、有難うございます…?」
「それでは、失礼します」
礼儀正しく頭を下げて、すっすと歩き去って行く。
そんな一織を何故か一緒に見送った三月は、たたっとサツキに駆け寄ってきた。
「正直感動したよ。お前、いい奴だな」
「え…」
「オレ、あんたのファンになった。きっと一織も」
背の高くないサツキよりも更に小さい位置で、ふわりと三月が微笑む。
テレビの向こうでしか見たことないアイドルの素顔に、今更ながらドキリと胸が鳴る。
そんなサツキの緊張など知る由もない三月は、小さな手で作った拳をサツキの腕に押し付けた。
「キャラづくりとか、オレはよくわかんねーけど、頑張ってな!」
「あ…有難うございます…っ」
「じゃあな!」
先程の子供のように、ぶんぶんと手を振りながら走り去った三月に、サツキはまた手を振り返す。
見た目のイメージ通り、人懐っこい人だ。
一織の威圧感で多少なりとも萎縮した胸の奥が暖かくなっている。
それなのに。
公園に一人残されたサツキの口から零れたのはため息だった。
「…歌へのコンプレックスも…友達との喧嘩も…全部全部俺が言えたことじゃないのにな」
そもそも友達との喧嘩なんて、したこともない。
大事な友人とは、口もきかなくなった。
喧嘩、みたいに言葉をぶつけ合えたなら、どんなに良かったか。
「怖くて、聞けなかったな…」
この前のテレビ、見ましたかと。
誰か、自分のことを知るメンバーは、いませんでしたかと。
「…帰ろう」
サツキは一度大きく深呼吸すると、俯いたまま帰路に戻った。
・・・
事務所のドアがばたんと勢いよく開け放たれる。
その音に驚き振り返った小鳥遊紡と七瀬陸は、いつもより少し遅い到着の二人に目を丸くした。
「あ、おはよう。一織、三月」
「おー!おはよう!」
「おはようございます。あの、何かあったんですか?」
紡の口から出た質問は、そのドアの勢いと彼等の表情の様子のおかしさから出たものだ。
三月はともかく、一織の口元がもごと緩んでいるように見える。
「いやぁ、今日はいいもん見ちまってさ!な、一織!」
「そ…べ、別に私は」
なんなのだろう。紡と陸は顔を見合わせて首をかしげる。
その後ろで、光を放つテレビから、爽やかな声が通った。
『おはようございます、牧野サツキです』
「お、すげえ!タイムリー!」
その声にいち早く反応した三月が、ばっとテレビに駆け寄ってソファに腰掛ける。
その目がキラキラと輝いていて、陸はぽかんと口を開いた。
「あ、あれ?三月って牧野サツキのファンだった?」
「いやー、実はここ来る前に会ったんだよ、牧野サツキ!」
「え!?」
驚きの声が重なる。
紡と陸は顔を見合わせてから、同時に三月の方へ振り返った。
「すっげえいい奴だったんだよ、牧野サツキ。な、一織!」
その三月が一織を見るものだから、つられて紡と陸も一織に注目する。
一織の表情は妙、というか緩んでいた。頬やら口もとやらが、にんまりと。
「一織…?」
「…想定外でした」
「そ、想定外?」
ぼそぼそと口を動かした一織に、陸が怪訝そうに眉をしかめる。
詳細など話す気のない一織に対し、三月が未だ興奮気味に口を開いていた。
「助言するついでに、本性暴いてやるとか思ってたんだろ!」
「そ…そんなことは…」
「それが結局良い所しか引き出せなくて、見直しましたって感じか?だよな?」
ん?と覗き込むと、一織は「そんなんじゃない」と呟く。
残念ながら、その顔は明らかに三月の証言を肯定しているようなものだった。
「一織の…顔が赤い…」
「み、見ないで下さい!」
この一織をこんな風にしてしまうなんて。
紡は言葉にならないような感嘆の声を漏らし、今まさに登場しているその人に目を向けた。
『牧野さんと言えばあのTRIGGERと同じ事務所なわけですが、どなたか仲の良いメンバーはいますか?』
爽やかな笑顔が一瞬かたまったように見えた。
この手の質問はかなり多い。どうしても絶対的存在として付き纏うTRIGGER、きっと複雑な気持ちなのだろう。
そう思い眉を寄せた紡は、無意識にテレビに集中していた。
『楽…、あ、八乙女楽さんには、お世話になっています』
だからか、その一瞬もらした呟きに気付いてしまった。
「今…」
思わずテレビを指さして、未だに一織をからかっていたらしい三人に目を向ける。
その視線に気付いた陸は、不思議そうに紡に視線を移した。
「マネージャー?」
「いえ今…牧野さん、TRIGGERの八乙女さんのことを“楽”と呼びましたよね」
「さすがにそれはないでしょう。事務所の先輩で、あの八乙女楽をですか?」
やはり三人の耳には入っていなかったらしい。
有り得ない話ではない、八乙女楽と本当に親しくしているのかもしれない。それはそれとして。
「…大丈夫、なんでしょうか…」
この業界を見てきたマネージャーとして、アイドルの一ファンとして。
紡はぎゅっと胸の前で手を握りしめ、じっとテレビの向こうで微笑む人を見つめていた。
(第二話・終)
追加日:2017/09/27
移動前:2015/10/17