八乙女楽(IDOLiSH7)
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14.男と女
顔に触れる細い指。
羽のような柔らかな感触に、サツキの瞼は緊張して小刻みに震えた。
顔全体、それから目元に頬に唇。満遍なく触れられて、どれほど経っただろうか。
自分のものではない髪の毛が頬に触れた後、終わりの合図となる高い声が弾んだ。
「あぁやっぱり!すっごく可愛いです…!!」
ぱちぱちと何を賞賛しているのか分からない拍手に目を開く。
視界に映ったのは、愛らしい金髪の少女ではなく、肩につく程度の髪でサツキと同じ顔をした女性。
「…え、あ…これ、俺だ…」
「どうですか?私の想像以上の出来になりました!」
鏡の横からヒョイと顔を覗かせたIDOLiSH7のマネージャーである小鳥遊紡は、誇らしげに胸を張って笑っている。
サツキは一度自分の頬に手を当ててから、くるりと後ろを振り返った。
「ど…どうでしょうか…っ」
大きく開いた瞳がいくつもサツキに向けられている。
ぽかんと開いたままの口、見開いた目、揃いも揃って同じ表情。
そのうち一人はずいと一歩踏み出し、サツキの髪の毛らしきものを指で摘まんだ。
「すっげー、これ何?」
「ウィッグです。サツキさんと同じ色のものを選んだので、ほとんど違和感はないかと!」
「ちょー可愛い。すっっげぇ可愛い。惚れそう」
嬉しそうに薄っすらと染めた頬を緩ませるのは四葉環だ。
その大きな手はサツキの頬を包み込み、真正面からじいとサツキを見つめ続けた。
「おーいタマ、見えねぇだろ。独り占めすんにはまだ早いぞー」
「元から可愛いから似合うだろうとは思ってたけど…見事なもんだよなあ」
「そうなんです!実はそんなにいじってないんですよ…!肌も綺麗ですしファンデーションも薄めで、アイラインを少し…」
IDOLiSH7のメンバーが揃う、小鳥遊事務所。
今までも何度か足を運んだこの場所に、サツキは今日もプライベートで訪れていた。
今サツキが装っている女性の恰好、女性のメイクは全て小鳥遊紡が施してくれたものだ。
「それで、どうしてこんなことになったんでしたっけ…?」
腕を組み、険しい顔をした和泉一織がそう呟く。
サツキは照れ臭さから、無意識に紡を見上げて眉を下げた。
決して面白半分でやっているわけではない。理由は、数日前に受けた仕事の内容にあった。
・・・
・・
思い出すのは一週間ほど前。
サツキに舞い込んだ新しい仕事は、化粧品メーカーのCMだった。
女の子の恰好をして男性を惹きつける姿。
男の恰好で女性を魅了する姿。
双方を一人で演じるのだと聞かされたサツキは、さすがに困惑して暫く鏡と睨み合う事となった。
今までも女性のように見せたことはあったが、女装はおろか女性を演じた経験は当然ながらない。
たとえ数秒のCMであっても、完璧な女の子を演じたい。
新人として当然の決意をしたものの、サツキはやはり鏡を見て唸るしかなかった。
「…女の子か…。そういえば、あんまり知らないよな…」
間近で女の子を見て習えたら…などと思ってしまう程度には、サツキの私生活に‟女性”の影がない。
協力を頼める女性なんているわけないし。目を閉じて記憶をさかのぼったサツキは、はっと目を開き携帯を手に取った。
「お忙しいところすみません、小鳥遊さん…。今、大丈夫ですか?」
小鳥遊紡。彼女はサツキにとってただ一人、プライベートでも何度か会っている女性だ。
TRIGGERにとってはライバルともいえるだろう小鳥遊事務所の人。
「一日でいいんです…小鳥遊さんのそばで女性の仕草とか、表情とか、学ばせてもらえませんか…?」
それでもサツキは事情を掻い摘んで説明し、電話越しながら頭を下げた。
自分勝手なお願いどころか、女性に対して失礼なことだろう。
しかし紡は「わあ!」と感嘆の声を上げ、少し興奮気味に捲し立てた。
『すごいです!私でいいんでしょうか?いえ、でももし協力させていただけるなら、私も全力でご協力いたします!』
そんな不安を吹き飛ばす、心底嬉しそうな明るい声。
サツキはほっと一息吐き、自然と笑みを浮かべて、電話の向こうに意識を向けた。
『あの、でしたら一つ、こちらからもお願いがありまして…』
「ど、どうぞどうぞ!」
『女の子の恰好で、一緒にお出かけしませんか?』
可愛らしい声の突飛な提案に、サツキは無意識に快く返事をしていた。
また後日詳細を決めましょうね、なんて軽く交わして電話を切る。
番組の企画提案みたいな内容だが、マネージャーゆえの職業病的なものが現れたのかもしれない。
サツキは頬を指先で軽くかき、ぽすんとソファに腰かけた。
「…今、紡と電話してたか?」
直後聞こえて来た、紡の声とは対照的な低い声。
部屋へと入ってきた楽に、サツキはぱっと顔を上げた。
「今度のCMの話したでしょ?それで小鳥遊さんに女の子の何たるかを教えてもらおうかと」
「は?何たるか?」
「仕草とか、表情の見せ方とか…。俺、女の子を演じるのは初めてだから…」
何だか真面目アピールみたいで恥ずかしい。
咄嗟に顔を伏せると、楽はふっと吐息で笑ってからサツキの隣に腰かけた。
「そんなの、お前の得意分野だろ」
「得意じゃないよ…!俺、本当に女の子のこと全然知らないんだから…」
眉を下げ、声は次第に小さくなる。
そんなサツキの態度に不安を感じ取った楽は、サツキの頭にぽんと手を重ねた。
大きくて暖かくて優しい掌だ。サツキは安心して楽の肩へともたれかかる。
「小鳥遊さん、女の子の恰好しておでかけしようって。さすがマネージャーやってるだけあって発想が独特だよね」
「…出かけ?紡と二人でか?」
「たぶん?さすがに恥ずかしいけど、いい経験になりそう」
肩をすくめて笑うサツキの頭から楽の手が離れる。
その動作が妙に不自然で、サツキは伺うように楽の顔を覗き込んだ。
楽の鋭い目はじいとサツキを見下ろし、眉間のしわを更に深くしている。
「……なーんも、考えてねぇなその顔」
「え」
「何でもねぇよ。そのカッコ、ぜってぇ俺にも見せろよな」
今度はがしがしと乱暴に頭を撫でる楽の手。
それだけで吹き飛んだ不安はその後も募ることなく、その日を迎えるのだった。
・・
・・・
「あー…えっと、牧野さん?どうです?これで外出れそうですか?」
「え!あ、はい!」
視界に映りこんだ可愛らしい顔に、サツキはしゃんと背を伸ばしてこくこくと首を縦に動かした。
驚いた、女性特有の甘い香りがした。
「は?まさか本気でそのまま出かける気なのか?」
「牧野さんの女子力アップ企画なので!」
「ま、まじで!?撮影したらすげぇ売れそう!」
大和と三月が目を丸くし、ゲラゲラと声を上げて笑い出す。恐らくこれが正しい反応なのだろう。
サツキはチラと紡を見上げ、目が合った彼女へ頭を下げた。
貴重なオフを巻き込んでいるのだ、笑われようが真剣に取り組まなければいけない。
「小鳥遊さん…すみません、宜しくお願いします」
「こ、こちらこそ…本当に無茶言ってしまってすみません…」
「いえ!今日は学ばせていただきます…!」
ぱっと立ち上げった瞬間、ひらとスカートがふくらはぎ辺りを撫でる。
丈の長いスカートとはいえ、初めての感覚にぶると腕が震えた。同時にサツキの背筋を震わせたのは、こんな事がバレたらどうなるのだろうという不安。
それを悟った紡はポンと小さな手をサツキの肩へ乗せた。
「絶対大丈夫です。私の後ろを歩いて、歩き方とか見ていてくださいね!」
「…ありがとう」
彼女が動くたびに揺れる柔らかそうな髪、細い肩幅は小さな手はそれだけ愛らしいのに、それでいてこんなにも心強い。
サツキは紡の一歩後ろを続き、足元で揺れるスカートと慣れない長さの髪を気にしながら事務所を後にした。
ぱたんと閉まるドア。
途端に事務所に広がるのは、二人を心配する溜め息だった。
「いくらなんでも…牧野さん、大丈夫かな…」
「サツキくん、もっと見てたかった」
「ま、バレないとは思うけどな…むしろ普通に男が声かけそう」
「それ…まずいんじゃないですか…!?マネージャーにも危険が」
そんな会話の中、一人が何も言わずに上着を片手にばたばたと走り出す。
それに気付いた大和は「ま、ボディガードが出てったから大丈夫だろ」とコーヒーに手を伸ばした。
・・・
様々な店が並ぶショッピングモール。
牧野サツキだとバレたらどうしよう…そんな不安は店員の「お姉さん背が高いですね」なんて言葉を聞いてからは薄れていた。
普段入らないような女性服の店に始まり、化粧品、アクセサリー。
次々見て歩けば時間なんてあっという間だ。ちらと腕時計を見下ろした紡は、長い髪を耳に掛けながらサツキを見上げた。
「牧野さん、疲れてませんか?」
「え、全然!楽しいし勉強にもなるし…小鳥遊さんは本当に可愛いね」
「そんなお世辞いいですよ!」
恥ずかしそうに握りしめた手で唇に触れる。
細い指、絶妙な指の曲げ方。一日気にして見ていた女性的な仕草は、サツキが思っていた以上に諸所に見られた。
今のままでは全然足りない。
無意識に彼女を真似をするように指を動かし、悔しさに口を結ぶ。
そんなサツキの前で、紡は自身の鞄から慌てて携帯電話を取り出した。
「あ…と、すみません、たぶん仕事の電話です」
「いいよ、ここで待ってるから、静かなところで出ておいで」
「す、すみません、有難うございます…!」
申し訳なさそうにへこへこと腰を折りながら、紡が慌ただしくその場を離れていく。
一世を風靡するIDOLiSH7のマネージャーだ、本当は忙しい日々を送っているに違いない。
ぱたぱたとあまり腕を振らずに走る姿を目に焼き付け、サツキは無意識に頬を緩めた。
何気ない仕草全てに隙が無い。
そういえば楽は、彼女を‟紡”と親し気に呼んでいたっけ。
「…」
チクと急に胸に何か刺さった。
彼女が素敵な女性だと知れば知るほど感動ともやもやが胸の内を覆っていく。
彼女の体はサツキよりずっと小さくて、愛らしかった。
「寂しそうだね」
突然肩に乗せられた手に、サツキはばっと顔を上げた。
全く知らない男の人がサツキを見下ろしている。
「え…?わ、私ですか?」
「そう君、すごくかわいいね。どうしたの?」
馴れ馴れしく触れてくる手と声。
サツキを挟み込むようにもう一人が反対側から来た瞬間、サツキは背筋がぞっとするのを感じた。
まさかこれは、所謂ナンパというやつじゃ。
「一人?よかったら俺等と一緒に時間潰さない?」
「いえ。一人じゃないです」
「でも今一人で溜め息吐いてただろ?なあ」
手慣れているのか、サツキは見事に逃げ道を失っていた。
ぐいと腕を掴んだその力は、明らかに女性に対して優しく接しようとする人間のものではない。
「っ…!」
腰に触れる節操のない手が、次第に下がっていく。
どうする、どうしたらいい。
男だと言ったら解決するのだろうか。いやそもそもこんな状況で牧野サツキだとバレるのが一番まずい。
「一緒に遊ぶよな?」
「…、」
声を上げたらバレるかもしれない、そんな不安がサツキの喉を塞いだ。
早く切り抜けなければ、紡を巻き込んでしまうかもしれない。
彼女が戻って来る前に、早く何とかしないと。
「すみません!」
ふと、目の前の男達とは違う澄み切った声が響いた。
「彼女は俺の連れなので!」
男と男の間から伸びてきた手がサツキの腕を掴み引っ張り出す。
サツキを抱き留めた細い体。
そのままサツキの腕を引っ張り走り出した彼の、綺麗な赤い髪が目の前で揺れていた。
「あ、おい、お前待てよ!」
「っ待ちません!!」
男の荒げた声に、澄んだ声が少し裏返る。
その怒涛の展開に、サツキは涙の乾いた瞳で自分の腕を掴む手を見下ろした。
「な…七瀬さん…」
「ごめん!いろいろと説明は後で!とりあえずここ離れます!」
じわと手に汗が滲んでいる。
少しずつ遠ざかってはいるが、後ろから怒声が聞こえるたび、その手の力が強まった。
怖い、でも、今は怖くない。
「大丈夫です!マネージャーにも、移動するって、連絡してあるから…!」
「え…っ」
サツキは驚きを隠せないまま、ぱっと一度振り返った。
男達は人目のあるショッピングモールで騒ぎを起こす気はないらしい。
「な、七瀬さん、もう…大丈夫、です」
「え!?来てない!?後ろ平気!?」
「はい…!」
ばたばたと重なる足音を止める。
一度膝に手をつき呼吸を整えた陸は、気遣うようにサツキの背中に手を添えた。
暖かい掌だ。それに、太陽のような笑顔。
そのまま近くにあった喫茶店へ足を運び、奥の席に腰かけると、二人は大きく息を吐き出し脱力していた。
「ははは…まさか本当にあんなことになるなんて…ついてきて良かったです…」
陸がテーブルに頬をくっつける。
そんな陸に、サツキは上がらない頭を同じように低くした。
「あ、有難うございました…その、でもどうして…」
「えっと…俺、実はずっと後ろつけてました。マネージャーが、あ、いや、二人が心配で…」
「そうだったんですか…!?全く気が付きませんでした」
もし彼がついてきていなかったなら、今頃どうなっていたか。
改めてもう一度感謝を告げようと口を開いたサツキは、正面に座る陸の様子に首を傾げた。
「七瀬さん?あの…すみません、怒ってますか…?」
陸は眉を寄せ、唇を少し尖らせ、壁の方に顔を向けてしまっている。
怒られても仕方がない。頼りない男で申し訳ないばかりだ。
しかし、陸はサツキの想像とは裏腹に首をぶんぶんと激しく横に振ると、体を乗り出した。
「…牧野さんは、今日、どうしてマネージャーに声かけたんですか?」
「え?それは…すみません、女性の知り合いがいなくて…頼る人が他にいなかったと言いますか」
「じゃ、じゃあ…マネージャーのこと、す、好きとかそういう…」
「え…!?」
思わず大きな声が出たサツキに、陸が立てた人差指をサツキに近付ける。
その行動の意図が一瞬分からなくなるほど、サツキは驚き目を開いたまま固まってしまった。
陸の言うマネージャーは小鳥遊紡のことだ。
小鳥遊紡を好き。誰が。牧野サツキが?
「ち、違いますよ…!そんな、本当に他意はなくて…」
「で、でも…少し、気になる、とか」
陸は不安そうに自身の手を擦り合わせ、縋るような瞳でサツキを見上げている。
陸がこうしてサツキと紡を追いかけていたのは、少なからず紡への思いがあるからだろう。
「あの、七瀬さん。俺…恋人いるんです。だから、小鳥遊さんとのことは本当になんでもなくて」
「え!?こ…っ」
「七瀬さん、シーッ…」
今度はサツキが陸に向けて人差指を立てる。
陸はハッと肩をすくめ、それから安心したように椅子へ背中を預けた。
「で、でもじゃあ、尚更マネージャーを誘うのって…まずくないですか」
「え?」
「だって、男女が二人でって…デート、みたいなことに…。恋人さん、大丈夫なんですか?」
体は脱力させたままだが、‟七瀬陸”らしくない真剣な面持ちでサツキを見据えている。
真っ直ぐ見つめられたサツキは、暫く陸の言葉を考え声を詰まらせた。
男女二人、約束して出かけたのだ。デートなどと疑われても仕方がないことをした。
それを一切意識しなかったのは、自分が男であるという意識を失っていたからだ。
「ああ…俺…普段から女の子みたいな立ち位置で…今日もこんな恰好で感覚がおかしくなっていたのかも…」
「そ、そうですよ!ダメですよ!相手の方だって、きっと心配しちゃいますよ…!」
「そっか…だから、妙な顔してたのか…」
楽に小鳥遊紡と二人で出かけると伝えたとき、明らかに妙な反応を示した恋人。
サツキは「あーっ」と言葉にならない声を上げ、頭を抱えてから目線を陸へ向けた。
「七瀬さん、有難う…」
「陸でいいよ、俺もサツキって呼ぶ。友達になろう?」
「り、陸君…!」
目の前で見せた陸の笑顔は、アイドルそのものだ。しかし親しみやすさがあり、友達と心から認められたような気分になる。
思わず陸の手を両手で包み込むと、それを合図にしたかのようにカランと喫茶店の入り口で音が鳴った。
「ああ良かった、二人とも無事ですか…!?」
「マネージャー!」
顔を輝かせた陸がその場に立ち上がり、走ってきたのだろう、少し息を荒くした紡を迎える。
サツキは罪悪感に苛まれながらも、おずおずと紡を見上げた。
「女の子を置いていってしまって、すみませんでした…小鳥遊さんこそ、何もなかったですか?」
「はい、私は全然…本当に七瀬さんがいて良かった…」
紡の言葉に、陸が照れくさそうに頬をかく。
そんな分かりやすい青年の恋模様に思わずサツキの頬が緩み、陸の隣に腰かけた紡も安心したように微笑んだ。
(続く)
追加日:2018/07/29
移動前:2017/04/16
顔に触れる細い指。
羽のような柔らかな感触に、サツキの瞼は緊張して小刻みに震えた。
顔全体、それから目元に頬に唇。満遍なく触れられて、どれほど経っただろうか。
自分のものではない髪の毛が頬に触れた後、終わりの合図となる高い声が弾んだ。
「あぁやっぱり!すっごく可愛いです…!!」
ぱちぱちと何を賞賛しているのか分からない拍手に目を開く。
視界に映ったのは、愛らしい金髪の少女ではなく、肩につく程度の髪でサツキと同じ顔をした女性。
「…え、あ…これ、俺だ…」
「どうですか?私の想像以上の出来になりました!」
鏡の横からヒョイと顔を覗かせたIDOLiSH7のマネージャーである小鳥遊紡は、誇らしげに胸を張って笑っている。
サツキは一度自分の頬に手を当ててから、くるりと後ろを振り返った。
「ど…どうでしょうか…っ」
大きく開いた瞳がいくつもサツキに向けられている。
ぽかんと開いたままの口、見開いた目、揃いも揃って同じ表情。
そのうち一人はずいと一歩踏み出し、サツキの髪の毛らしきものを指で摘まんだ。
「すっげー、これ何?」
「ウィッグです。サツキさんと同じ色のものを選んだので、ほとんど違和感はないかと!」
「ちょー可愛い。すっっげぇ可愛い。惚れそう」
嬉しそうに薄っすらと染めた頬を緩ませるのは四葉環だ。
その大きな手はサツキの頬を包み込み、真正面からじいとサツキを見つめ続けた。
「おーいタマ、見えねぇだろ。独り占めすんにはまだ早いぞー」
「元から可愛いから似合うだろうとは思ってたけど…見事なもんだよなあ」
「そうなんです!実はそんなにいじってないんですよ…!肌も綺麗ですしファンデーションも薄めで、アイラインを少し…」
IDOLiSH7のメンバーが揃う、小鳥遊事務所。
今までも何度か足を運んだこの場所に、サツキは今日もプライベートで訪れていた。
今サツキが装っている女性の恰好、女性のメイクは全て小鳥遊紡が施してくれたものだ。
「それで、どうしてこんなことになったんでしたっけ…?」
腕を組み、険しい顔をした和泉一織がそう呟く。
サツキは照れ臭さから、無意識に紡を見上げて眉を下げた。
決して面白半分でやっているわけではない。理由は、数日前に受けた仕事の内容にあった。
・・・
・・
思い出すのは一週間ほど前。
サツキに舞い込んだ新しい仕事は、化粧品メーカーのCMだった。
女の子の恰好をして男性を惹きつける姿。
男の恰好で女性を魅了する姿。
双方を一人で演じるのだと聞かされたサツキは、さすがに困惑して暫く鏡と睨み合う事となった。
今までも女性のように見せたことはあったが、女装はおろか女性を演じた経験は当然ながらない。
たとえ数秒のCMであっても、完璧な女の子を演じたい。
新人として当然の決意をしたものの、サツキはやはり鏡を見て唸るしかなかった。
「…女の子か…。そういえば、あんまり知らないよな…」
間近で女の子を見て習えたら…などと思ってしまう程度には、サツキの私生活に‟女性”の影がない。
協力を頼める女性なんているわけないし。目を閉じて記憶をさかのぼったサツキは、はっと目を開き携帯を手に取った。
「お忙しいところすみません、小鳥遊さん…。今、大丈夫ですか?」
小鳥遊紡。彼女はサツキにとってただ一人、プライベートでも何度か会っている女性だ。
TRIGGERにとってはライバルともいえるだろう小鳥遊事務所の人。
「一日でいいんです…小鳥遊さんのそばで女性の仕草とか、表情とか、学ばせてもらえませんか…?」
それでもサツキは事情を掻い摘んで説明し、電話越しながら頭を下げた。
自分勝手なお願いどころか、女性に対して失礼なことだろう。
しかし紡は「わあ!」と感嘆の声を上げ、少し興奮気味に捲し立てた。
『すごいです!私でいいんでしょうか?いえ、でももし協力させていただけるなら、私も全力でご協力いたします!』
そんな不安を吹き飛ばす、心底嬉しそうな明るい声。
サツキはほっと一息吐き、自然と笑みを浮かべて、電話の向こうに意識を向けた。
『あの、でしたら一つ、こちらからもお願いがありまして…』
「ど、どうぞどうぞ!」
『女の子の恰好で、一緒にお出かけしませんか?』
可愛らしい声の突飛な提案に、サツキは無意識に快く返事をしていた。
また後日詳細を決めましょうね、なんて軽く交わして電話を切る。
番組の企画提案みたいな内容だが、マネージャーゆえの職業病的なものが現れたのかもしれない。
サツキは頬を指先で軽くかき、ぽすんとソファに腰かけた。
「…今、紡と電話してたか?」
直後聞こえて来た、紡の声とは対照的な低い声。
部屋へと入ってきた楽に、サツキはぱっと顔を上げた。
「今度のCMの話したでしょ?それで小鳥遊さんに女の子の何たるかを教えてもらおうかと」
「は?何たるか?」
「仕草とか、表情の見せ方とか…。俺、女の子を演じるのは初めてだから…」
何だか真面目アピールみたいで恥ずかしい。
咄嗟に顔を伏せると、楽はふっと吐息で笑ってからサツキの隣に腰かけた。
「そんなの、お前の得意分野だろ」
「得意じゃないよ…!俺、本当に女の子のこと全然知らないんだから…」
眉を下げ、声は次第に小さくなる。
そんなサツキの態度に不安を感じ取った楽は、サツキの頭にぽんと手を重ねた。
大きくて暖かくて優しい掌だ。サツキは安心して楽の肩へともたれかかる。
「小鳥遊さん、女の子の恰好しておでかけしようって。さすがマネージャーやってるだけあって発想が独特だよね」
「…出かけ?紡と二人でか?」
「たぶん?さすがに恥ずかしいけど、いい経験になりそう」
肩をすくめて笑うサツキの頭から楽の手が離れる。
その動作が妙に不自然で、サツキは伺うように楽の顔を覗き込んだ。
楽の鋭い目はじいとサツキを見下ろし、眉間のしわを更に深くしている。
「……なーんも、考えてねぇなその顔」
「え」
「何でもねぇよ。そのカッコ、ぜってぇ俺にも見せろよな」
今度はがしがしと乱暴に頭を撫でる楽の手。
それだけで吹き飛んだ不安はその後も募ることなく、その日を迎えるのだった。
・・
・・・
「あー…えっと、牧野さん?どうです?これで外出れそうですか?」
「え!あ、はい!」
視界に映りこんだ可愛らしい顔に、サツキはしゃんと背を伸ばしてこくこくと首を縦に動かした。
驚いた、女性特有の甘い香りがした。
「は?まさか本気でそのまま出かける気なのか?」
「牧野さんの女子力アップ企画なので!」
「ま、まじで!?撮影したらすげぇ売れそう!」
大和と三月が目を丸くし、ゲラゲラと声を上げて笑い出す。恐らくこれが正しい反応なのだろう。
サツキはチラと紡を見上げ、目が合った彼女へ頭を下げた。
貴重なオフを巻き込んでいるのだ、笑われようが真剣に取り組まなければいけない。
「小鳥遊さん…すみません、宜しくお願いします」
「こ、こちらこそ…本当に無茶言ってしまってすみません…」
「いえ!今日は学ばせていただきます…!」
ぱっと立ち上げった瞬間、ひらとスカートがふくらはぎ辺りを撫でる。
丈の長いスカートとはいえ、初めての感覚にぶると腕が震えた。同時にサツキの背筋を震わせたのは、こんな事がバレたらどうなるのだろうという不安。
それを悟った紡はポンと小さな手をサツキの肩へ乗せた。
「絶対大丈夫です。私の後ろを歩いて、歩き方とか見ていてくださいね!」
「…ありがとう」
彼女が動くたびに揺れる柔らかそうな髪、細い肩幅は小さな手はそれだけ愛らしいのに、それでいてこんなにも心強い。
サツキは紡の一歩後ろを続き、足元で揺れるスカートと慣れない長さの髪を気にしながら事務所を後にした。
ぱたんと閉まるドア。
途端に事務所に広がるのは、二人を心配する溜め息だった。
「いくらなんでも…牧野さん、大丈夫かな…」
「サツキくん、もっと見てたかった」
「ま、バレないとは思うけどな…むしろ普通に男が声かけそう」
「それ…まずいんじゃないですか…!?マネージャーにも危険が」
そんな会話の中、一人が何も言わずに上着を片手にばたばたと走り出す。
それに気付いた大和は「ま、ボディガードが出てったから大丈夫だろ」とコーヒーに手を伸ばした。
・・・
様々な店が並ぶショッピングモール。
牧野サツキだとバレたらどうしよう…そんな不安は店員の「お姉さん背が高いですね」なんて言葉を聞いてからは薄れていた。
普段入らないような女性服の店に始まり、化粧品、アクセサリー。
次々見て歩けば時間なんてあっという間だ。ちらと腕時計を見下ろした紡は、長い髪を耳に掛けながらサツキを見上げた。
「牧野さん、疲れてませんか?」
「え、全然!楽しいし勉強にもなるし…小鳥遊さんは本当に可愛いね」
「そんなお世辞いいですよ!」
恥ずかしそうに握りしめた手で唇に触れる。
細い指、絶妙な指の曲げ方。一日気にして見ていた女性的な仕草は、サツキが思っていた以上に諸所に見られた。
今のままでは全然足りない。
無意識に彼女を真似をするように指を動かし、悔しさに口を結ぶ。
そんなサツキの前で、紡は自身の鞄から慌てて携帯電話を取り出した。
「あ…と、すみません、たぶん仕事の電話です」
「いいよ、ここで待ってるから、静かなところで出ておいで」
「す、すみません、有難うございます…!」
申し訳なさそうにへこへこと腰を折りながら、紡が慌ただしくその場を離れていく。
一世を風靡するIDOLiSH7のマネージャーだ、本当は忙しい日々を送っているに違いない。
ぱたぱたとあまり腕を振らずに走る姿を目に焼き付け、サツキは無意識に頬を緩めた。
何気ない仕草全てに隙が無い。
そういえば楽は、彼女を‟紡”と親し気に呼んでいたっけ。
「…」
チクと急に胸に何か刺さった。
彼女が素敵な女性だと知れば知るほど感動ともやもやが胸の内を覆っていく。
彼女の体はサツキよりずっと小さくて、愛らしかった。
「寂しそうだね」
突然肩に乗せられた手に、サツキはばっと顔を上げた。
全く知らない男の人がサツキを見下ろしている。
「え…?わ、私ですか?」
「そう君、すごくかわいいね。どうしたの?」
馴れ馴れしく触れてくる手と声。
サツキを挟み込むようにもう一人が反対側から来た瞬間、サツキは背筋がぞっとするのを感じた。
まさかこれは、所謂ナンパというやつじゃ。
「一人?よかったら俺等と一緒に時間潰さない?」
「いえ。一人じゃないです」
「でも今一人で溜め息吐いてただろ?なあ」
手慣れているのか、サツキは見事に逃げ道を失っていた。
ぐいと腕を掴んだその力は、明らかに女性に対して優しく接しようとする人間のものではない。
「っ…!」
腰に触れる節操のない手が、次第に下がっていく。
どうする、どうしたらいい。
男だと言ったら解決するのだろうか。いやそもそもこんな状況で牧野サツキだとバレるのが一番まずい。
「一緒に遊ぶよな?」
「…、」
声を上げたらバレるかもしれない、そんな不安がサツキの喉を塞いだ。
早く切り抜けなければ、紡を巻き込んでしまうかもしれない。
彼女が戻って来る前に、早く何とかしないと。
「すみません!」
ふと、目の前の男達とは違う澄み切った声が響いた。
「彼女は俺の連れなので!」
男と男の間から伸びてきた手がサツキの腕を掴み引っ張り出す。
サツキを抱き留めた細い体。
そのままサツキの腕を引っ張り走り出した彼の、綺麗な赤い髪が目の前で揺れていた。
「あ、おい、お前待てよ!」
「っ待ちません!!」
男の荒げた声に、澄んだ声が少し裏返る。
その怒涛の展開に、サツキは涙の乾いた瞳で自分の腕を掴む手を見下ろした。
「な…七瀬さん…」
「ごめん!いろいろと説明は後で!とりあえずここ離れます!」
じわと手に汗が滲んでいる。
少しずつ遠ざかってはいるが、後ろから怒声が聞こえるたび、その手の力が強まった。
怖い、でも、今は怖くない。
「大丈夫です!マネージャーにも、移動するって、連絡してあるから…!」
「え…っ」
サツキは驚きを隠せないまま、ぱっと一度振り返った。
男達は人目のあるショッピングモールで騒ぎを起こす気はないらしい。
「な、七瀬さん、もう…大丈夫、です」
「え!?来てない!?後ろ平気!?」
「はい…!」
ばたばたと重なる足音を止める。
一度膝に手をつき呼吸を整えた陸は、気遣うようにサツキの背中に手を添えた。
暖かい掌だ。それに、太陽のような笑顔。
そのまま近くにあった喫茶店へ足を運び、奥の席に腰かけると、二人は大きく息を吐き出し脱力していた。
「ははは…まさか本当にあんなことになるなんて…ついてきて良かったです…」
陸がテーブルに頬をくっつける。
そんな陸に、サツキは上がらない頭を同じように低くした。
「あ、有難うございました…その、でもどうして…」
「えっと…俺、実はずっと後ろつけてました。マネージャーが、あ、いや、二人が心配で…」
「そうだったんですか…!?全く気が付きませんでした」
もし彼がついてきていなかったなら、今頃どうなっていたか。
改めてもう一度感謝を告げようと口を開いたサツキは、正面に座る陸の様子に首を傾げた。
「七瀬さん?あの…すみません、怒ってますか…?」
陸は眉を寄せ、唇を少し尖らせ、壁の方に顔を向けてしまっている。
怒られても仕方がない。頼りない男で申し訳ないばかりだ。
しかし、陸はサツキの想像とは裏腹に首をぶんぶんと激しく横に振ると、体を乗り出した。
「…牧野さんは、今日、どうしてマネージャーに声かけたんですか?」
「え?それは…すみません、女性の知り合いがいなくて…頼る人が他にいなかったと言いますか」
「じゃ、じゃあ…マネージャーのこと、す、好きとかそういう…」
「え…!?」
思わず大きな声が出たサツキに、陸が立てた人差指をサツキに近付ける。
その行動の意図が一瞬分からなくなるほど、サツキは驚き目を開いたまま固まってしまった。
陸の言うマネージャーは小鳥遊紡のことだ。
小鳥遊紡を好き。誰が。牧野サツキが?
「ち、違いますよ…!そんな、本当に他意はなくて…」
「で、でも…少し、気になる、とか」
陸は不安そうに自身の手を擦り合わせ、縋るような瞳でサツキを見上げている。
陸がこうしてサツキと紡を追いかけていたのは、少なからず紡への思いがあるからだろう。
「あの、七瀬さん。俺…恋人いるんです。だから、小鳥遊さんとのことは本当になんでもなくて」
「え!?こ…っ」
「七瀬さん、シーッ…」
今度はサツキが陸に向けて人差指を立てる。
陸はハッと肩をすくめ、それから安心したように椅子へ背中を預けた。
「で、でもじゃあ、尚更マネージャーを誘うのって…まずくないですか」
「え?」
「だって、男女が二人でって…デート、みたいなことに…。恋人さん、大丈夫なんですか?」
体は脱力させたままだが、‟七瀬陸”らしくない真剣な面持ちでサツキを見据えている。
真っ直ぐ見つめられたサツキは、暫く陸の言葉を考え声を詰まらせた。
男女二人、約束して出かけたのだ。デートなどと疑われても仕方がないことをした。
それを一切意識しなかったのは、自分が男であるという意識を失っていたからだ。
「ああ…俺…普段から女の子みたいな立ち位置で…今日もこんな恰好で感覚がおかしくなっていたのかも…」
「そ、そうですよ!ダメですよ!相手の方だって、きっと心配しちゃいますよ…!」
「そっか…だから、妙な顔してたのか…」
楽に小鳥遊紡と二人で出かけると伝えたとき、明らかに妙な反応を示した恋人。
サツキは「あーっ」と言葉にならない声を上げ、頭を抱えてから目線を陸へ向けた。
「七瀬さん、有難う…」
「陸でいいよ、俺もサツキって呼ぶ。友達になろう?」
「り、陸君…!」
目の前で見せた陸の笑顔は、アイドルそのものだ。しかし親しみやすさがあり、友達と心から認められたような気分になる。
思わず陸の手を両手で包み込むと、それを合図にしたかのようにカランと喫茶店の入り口で音が鳴った。
「ああ良かった、二人とも無事ですか…!?」
「マネージャー!」
顔を輝かせた陸がその場に立ち上がり、走ってきたのだろう、少し息を荒くした紡を迎える。
サツキは罪悪感に苛まれながらも、おずおずと紡を見上げた。
「女の子を置いていってしまって、すみませんでした…小鳥遊さんこそ、何もなかったですか?」
「はい、私は全然…本当に七瀬さんがいて良かった…」
紡の言葉に、陸が照れくさそうに頬をかく。
そんな分かりやすい青年の恋模様に思わずサツキの頬が緩み、陸の隣に腰かけた紡も安心したように微笑んだ。
(続く)
追加日:2018/07/29
移動前:2017/04/16