八乙女楽(IDOLiSH7)
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10.線引き
「サツキがストーカー被害!?」
事務所内の一室で響いた声。
サツキは慌てて人差し指を立てると、それを十龍之介の口へ近付けた。
「声が大きいです…」
「あ、ああ、ご、ごめん!」
わたわたと意味もなく手を動かしながら自分の口を押さえた龍之介に、サツキは「驚かせてすみません」と頭を下げた。
今日、サツキはTRIGGERとは別件で事務所に来ていた。
TRIGGERのミーティング室にサツキが来たのは、マネージャーから休憩がてらTRIGGERに挨拶しておいでと背を押されたからだ。
その真意は、先輩からアドバイスをもらって来いというものだろう。
丁度TRIGGERも打ち合わせの終わるタイミングだったらしく、快く招き入れられた今。
素直に事情を相談したサツキは、早速後悔に苛まれている。
TRIGGERの3人を思い悩ませるのは、全くもって不本意だ。
「そ、そんなに大したことじゃないんですけど…だけど…どうしたらいいのか…」
「でも駅で待ち伏せされたんでしょ。もう大層なことだよ。一人で抱え込むべき問題じゃない」
しかし心を読まれたかのように天に指摘され、サツキはぐっと声を詰まらせた。
駅で待ち伏せに始まり、連絡先を手渡され、一応挨拶の連絡を入れたが最後。
毎日鳴る電話に、サツキの心労は日に増していく。
一番厄介なのは、その相手が他事務所の女優ということだ。
「言いづらいかもしれないけど、やっぱりちゃんとお断りしないと…。個人的な付き合いは事務所に許されてませんって」
「う、うん…」
「マネージャーには相談したんだよね?」
「したんだけど…いつか飽きられるのを待てって」
告白されたわけでも酷く迫られたわけでもない。
一度番組で共演して、気に入ってもらえただけのことだ。
そんな状況で下手に何かしたら、悪者になるのは恐らくサツキの方だ。
「…ごめんなさい、本当は自分で何とかすべきなのに」
サツキは重々しく溜息をつき、がくりと頭を落とした。
戸惑った様子の龍之介の手が、サツキの頭をぽんぽんと撫でる。
「そんなことないよ、お互い助け合おう?でも、どうしたらいいかな…ずっと一緒にいてあげられたらいいんだけど…」
「ん…そう思ってくれるだけで嬉しい…有難う、龍」
マネージャーからの事務的な助言よりも、ずっと心が軽くなる。
緊張していた頬がようやく緩み、サツキははにかみながら肩を小さく上げた。
「うう…どうしよう、天。サツキが可愛くて可哀想だ…っ、あとすっごく良い匂いがする…!」
「ふざけてる場合じゃないんだけど」
噛み締めるように目を閉じた龍之介をばっさりと切り捨てた天は、ちらと楽を見やった。
楽は椅子に腰掛け腕を組んだままだ。サツキが悩みを打ち明けてからずっと。
「今まで楽はどうしてた?女優に迫られたことくらいあるんでしょ」
「…は?そんなん、迷惑だからやめろっつって終わりだろ」
「最低」
楽の声は心なしか普段より低い。
慌てて顔を上げたサツキは、気遣うように頭を撫でる龍之介と顔を突き合わせた。
「サツキは相手の方が先輩だから、断るに断れないんだよな」
「う、うん…。下手に断るのはやめてってマネージャーも言ってて…」
事実だとしても言い訳がましくなってしまう。
サツキは楽の顔が見れず、視線を足元に落とした。
楽の溜め息が、やけに大きく聞こえてくる。
「とにかく、暫く一人では移動すんな。サツキのマネージャーが忙しいんなら姉鷺にも頼むか?」
「そ、そんなのダメだよ!マネージャーに送ってもらうようにするね」
元々姉鷺にはあまり好ましく思われていない。
その理由も、TRIGGERに面倒を掛けすぎているからだ。
やはり言うべきではなかったのだ。サツキは血の味のする唇をきゅっと噛んだ。
「…サツキ、そのやばい携帯も置いてけよ」
楽の言葉にサツキの手が震えるポケットに重なった。
私用のものだ、無くても仕事に影響はない。
「俺が預かっとく」
「…分かった」
サツキは楽の代わりに手を差し出した龍之介にそれを渡すと、小さく頭を下げた。
宜しくお願いします。心配かけてごめんなさい。心配してくれて有難う。
それを全部詰め込みゆっくりと顔を上げ、サツキは「失礼しました」と告げて先輩達の部屋を後にした。
ぱたんっとドアが閉まり、龍之介がふーっと息を吐き出す。
異様な緊張感は、天の堂々とした態度と楽の何故か苛立った態度のせいだ。
「サツキがあんな様子だっていうのに、楽は何を怒ってるんだ?」
当然抱いた疑問をぶつけながら、楽へサツキの携帯を手渡す。
むすっとしたままの楽は、慣れた様子でサツキの携帯の画面を付けた。兄は弟の暗証番号も知っているようだ。
「…お兄ちゃんは自分じゃなくてTRIGGERが頼りにされたのが悔しいんでしょ」
「え?それってどういう…」
「家で二人きりの時に相談すりゃいいのに…って顔が言ってる」
さらりと言ってのける天に、楽の唇が尖る。
不貞腐れ顔のまま携帯を操作していた楽は、ハァッと息を吐き出した。
「だってこれ、一番古い着信5日前だぜ。顔合わせてんのに言わねえとか…ショックだろ」
楽の声は、既に怒りから落胆に色を変えている。
龍之介は「そういうことか!」と手を打ち、楽に向けて優しい笑みを浮かべた。
「兄と過ごす夜は、楽しい時間にしたかったんじゃないか?そもそも、楽といる時間は楽しくて忘れちゃってたとか」
「心配かけたくねぇとか、余計なこと考えてたに決まってんだろ」
サツキの性格を知っている手前、龍之介の笑顔は愛想笑いに変わる。
十中八九、楽の言う通りの理由だろう。
「こっち見ねえで龍ばっか見てっし」
「あー、はは、それは俺も気付いてた」
そしてサツキも楽の気持ちに気付いていたから、楽から目を逸らし続けた。
互いをよく理解した兄弟だ。
二人を大事に思っている龍之介には微笑ましく感じられる程。
「つか龍!サツキが良い匂いするとか今更言ってんじゃねぇよ」
「え、」
「俺がサツキに一番合うシャンプー選んでんだ。当たり前だろ」
「…うわ」
突然の楽の主張に、龍之介が目を瞬かせ、天が嫌悪に目を細める。
それきり携帯を睨みつけたまま黙り込んだ楽を他所に、二人は目を合わせて囁いた。
「サツキのあの匂い…女物、だよな…?」
「弟に女用使わせるとか、兄としてあり得ないんだけど」
「まあでもサツキだからアリなんだろうな…」
サツキの纏う香りは、多少甘くて丁度良い。
それほど可愛く愛らしいと思っていたサツキが、女性に追い回される日が来ようとは。
「いや、可愛いだけじゃないよな…」
「何?」
「サツキって、優しくて笑顔が素敵で寂しがりで。そういうところ、モテそうだなって」
少し隙があるところもきっと。そう本音を漏らした龍之介は、ハッとして楽に目を向けた。
下手なことを言うと楽の地雷を踏むことになりそうだ。
しかし、楽はサツキの携帯をじっと見つめたまま、天と龍之介の会話には全く気が付かなかった。
・・・
マネージャーに家まで送ってもらったサツキは、落ち着かずに楽の帰宅を待っていた。
楽が不機嫌だった。
楽に相談をしなかったからだ。
職人の勘のように自然とそう確信していたサツキは、ドアが開く音がすると反射的に立ち上がった。
慌てて玄関へと走り、靴を脱いでいる楽を出迎える。
「楽、おかえりなさい…!」
楽は軽く目をサツキに向け、「ただいま」と言った。
返事があっただけで少しほっとする。
「あの…まだ、怒ってる…よね」
しかしサツキの問いかけに返事はなかった。
楽はサツキを置いて先にリビングへと入っていく。
普段なら有り得ない態度に、サツキはしゅんと頭を下げて彼を追いかけた。
「俺が何言いたいか、分かってんだろ」
「…楽に、言わなかった」
「だよな?どうして黙ってた」
部屋に入るなり低い声に詰問され、サツキは肩をびくと揺らした。
「ごめんなさい…」
心配かけたくなくて。
自分で何とか出来ると思って。
どちらも余計に怒らせるだけだと分かるから、ただ謝ることしか出来ない。
「どうして謝んだよ」
「楽を、怒らせたから…」
ふうん、と冷たい声。
サツキはきゅっと唇を結び、俯いたまま楽の言葉を待った。
「別に、怒ってるわけじゃねぇよ。ムカつくけどな」
続いた声に、サツキは「嘘だ」と思った。
明らかにまだ怒気を含む声色に、サツキの顔は伏せたままだ。
「俺ってまだそうやって線引かれてんだと思ってさ」
「…線?」
「お前が気にしてんのは、TRIGGERだろ。兄でも恋人でもなく、お前にとって八乙女楽はTRIGGERなんだと思って」
低い声が掠れて飛散する。
サツキは声色の変化に気付くと、慌てて顔を上げた。
「愛してる奴ことくらい、俺の手で守らせろよ」
すぐそこまで近付いていた楽の手が、包み込むようにサツキの頬を覆う。
そのまま額を合わせると、軽く鼻先が触れ合った。
「しかも女に付き纏われてるとか、最悪だ」
「ごめん…」
「いや。今のは嫉妬みてぇなもんだから謝んな」
互いの傷を舐め合うみたいに、軽く唇が重なる。
その瞬間だけ目を閉じたサツキは、視界を開くのと同時に後退した。
そこに一枚壁を置くような距離に、楽の目は訝しむように細められる。
「でも…俺は、これからも楽には相談しない」
「は?なんでだよ」
「楽は俺のためなら何だってしてくれるから」
恥ずかしい程の自惚れだ。
しかしそれも間違いなく真実だった。
楽が「当たり前だろ」と口を挟み、サツキの口元が少し緩む。
「さっき楽が言ったんだよ、愛してる奴のことくらい守らせてって。それは俺も同じ」
「サツキ…」
「その代わり、本当に辛くなったら言うから。だからその時は…助けてくれる…?」
「…はぁ。俺譲りの頑固は厄介だな」
既に互いの気持ちは理解し合っていた。
というより、互いに対する気持ちは同じだった。だからこそ、認めざるを得ない。
「分かったよ」
楽はため息混じりに呟くと、眉を下げたまま口にだけ笑みを作った。
納得はしていないものの、言い負かされてくれたのだろう。
「でも、今回のことは首突っ込むから」
「えぇ…」
「えーじゃねえ」
楽は親指と中指を重ねた額を弾く準備万端の手を、サツキの顔へと近付けた。
デコピンされる!瞬時にそれを察して目を閉じるサツキへ、その覚悟した刺激はなかなか訪れない。
待ちきれず薄く目を開くと、変わらず楽の顔がそこにあるだけだった。
「…辛くないか?」
悲痛に歪む顔。
IDOLiSH7との事件以降は見なかった表情だ。
「ちょっとだけ。でもまだ平気だよ」
「龍も言ってたけど、俺達はすぐに駆けつけてやれねぇ事もあるからさ…。だから、溜め込むのだけは勘弁してくれ」
「…分かった」
今度はサツキが頷く。
それに呼応して頷いた楽は、そっとサツキの背に腕を回した。
壊れ物を腕に抱えるみたいに、楽は優しくサツキを包み込む。
この時、楽にとってサツキは確かに壊れ物だった。
脆く、儚く、あまりにも繊細な。
「楽の匂い安心する…。うちの柔軟剤の匂い。俺とおんなじ、俺が選んでる匂い」
「えっ、マジ?」
「ふふ、マジだよ。だけど何でだろうね?楽だけの、男らしい香りもしてドキドキする」
サツキは楽の首元に顔を埋め、すんっと息を吸いこんだ。
男らしくて少しエロチック。まさにTRIGGERの八乙女楽が想起される香りだ。
楽の言う通り、八乙女楽がただの兄だったなら、ただの恋人だったなら何だって話したかもしれない。
「俺が助けてって言っても、もしそれがTRIGGERの枷になるなら…俺を切り捨ててね」
楽は「分かった」とは言わなかった。
サツキは「お願い」ともう一度告げてから、委ねるように彼に寄りかかった。
(第十話・終)
追加日:2018/03/11
「サツキがストーカー被害!?」
事務所内の一室で響いた声。
サツキは慌てて人差し指を立てると、それを十龍之介の口へ近付けた。
「声が大きいです…」
「あ、ああ、ご、ごめん!」
わたわたと意味もなく手を動かしながら自分の口を押さえた龍之介に、サツキは「驚かせてすみません」と頭を下げた。
今日、サツキはTRIGGERとは別件で事務所に来ていた。
TRIGGERのミーティング室にサツキが来たのは、マネージャーから休憩がてらTRIGGERに挨拶しておいでと背を押されたからだ。
その真意は、先輩からアドバイスをもらって来いというものだろう。
丁度TRIGGERも打ち合わせの終わるタイミングだったらしく、快く招き入れられた今。
素直に事情を相談したサツキは、早速後悔に苛まれている。
TRIGGERの3人を思い悩ませるのは、全くもって不本意だ。
「そ、そんなに大したことじゃないんですけど…だけど…どうしたらいいのか…」
「でも駅で待ち伏せされたんでしょ。もう大層なことだよ。一人で抱え込むべき問題じゃない」
しかし心を読まれたかのように天に指摘され、サツキはぐっと声を詰まらせた。
駅で待ち伏せに始まり、連絡先を手渡され、一応挨拶の連絡を入れたが最後。
毎日鳴る電話に、サツキの心労は日に増していく。
一番厄介なのは、その相手が他事務所の女優ということだ。
「言いづらいかもしれないけど、やっぱりちゃんとお断りしないと…。個人的な付き合いは事務所に許されてませんって」
「う、うん…」
「マネージャーには相談したんだよね?」
「したんだけど…いつか飽きられるのを待てって」
告白されたわけでも酷く迫られたわけでもない。
一度番組で共演して、気に入ってもらえただけのことだ。
そんな状況で下手に何かしたら、悪者になるのは恐らくサツキの方だ。
「…ごめんなさい、本当は自分で何とかすべきなのに」
サツキは重々しく溜息をつき、がくりと頭を落とした。
戸惑った様子の龍之介の手が、サツキの頭をぽんぽんと撫でる。
「そんなことないよ、お互い助け合おう?でも、どうしたらいいかな…ずっと一緒にいてあげられたらいいんだけど…」
「ん…そう思ってくれるだけで嬉しい…有難う、龍」
マネージャーからの事務的な助言よりも、ずっと心が軽くなる。
緊張していた頬がようやく緩み、サツキははにかみながら肩を小さく上げた。
「うう…どうしよう、天。サツキが可愛くて可哀想だ…っ、あとすっごく良い匂いがする…!」
「ふざけてる場合じゃないんだけど」
噛み締めるように目を閉じた龍之介をばっさりと切り捨てた天は、ちらと楽を見やった。
楽は椅子に腰掛け腕を組んだままだ。サツキが悩みを打ち明けてからずっと。
「今まで楽はどうしてた?女優に迫られたことくらいあるんでしょ」
「…は?そんなん、迷惑だからやめろっつって終わりだろ」
「最低」
楽の声は心なしか普段より低い。
慌てて顔を上げたサツキは、気遣うように頭を撫でる龍之介と顔を突き合わせた。
「サツキは相手の方が先輩だから、断るに断れないんだよな」
「う、うん…。下手に断るのはやめてってマネージャーも言ってて…」
事実だとしても言い訳がましくなってしまう。
サツキは楽の顔が見れず、視線を足元に落とした。
楽の溜め息が、やけに大きく聞こえてくる。
「とにかく、暫く一人では移動すんな。サツキのマネージャーが忙しいんなら姉鷺にも頼むか?」
「そ、そんなのダメだよ!マネージャーに送ってもらうようにするね」
元々姉鷺にはあまり好ましく思われていない。
その理由も、TRIGGERに面倒を掛けすぎているからだ。
やはり言うべきではなかったのだ。サツキは血の味のする唇をきゅっと噛んだ。
「…サツキ、そのやばい携帯も置いてけよ」
楽の言葉にサツキの手が震えるポケットに重なった。
私用のものだ、無くても仕事に影響はない。
「俺が預かっとく」
「…分かった」
サツキは楽の代わりに手を差し出した龍之介にそれを渡すと、小さく頭を下げた。
宜しくお願いします。心配かけてごめんなさい。心配してくれて有難う。
それを全部詰め込みゆっくりと顔を上げ、サツキは「失礼しました」と告げて先輩達の部屋を後にした。
ぱたんっとドアが閉まり、龍之介がふーっと息を吐き出す。
異様な緊張感は、天の堂々とした態度と楽の何故か苛立った態度のせいだ。
「サツキがあんな様子だっていうのに、楽は何を怒ってるんだ?」
当然抱いた疑問をぶつけながら、楽へサツキの携帯を手渡す。
むすっとしたままの楽は、慣れた様子でサツキの携帯の画面を付けた。兄は弟の暗証番号も知っているようだ。
「…お兄ちゃんは自分じゃなくてTRIGGERが頼りにされたのが悔しいんでしょ」
「え?それってどういう…」
「家で二人きりの時に相談すりゃいいのに…って顔が言ってる」
さらりと言ってのける天に、楽の唇が尖る。
不貞腐れ顔のまま携帯を操作していた楽は、ハァッと息を吐き出した。
「だってこれ、一番古い着信5日前だぜ。顔合わせてんのに言わねえとか…ショックだろ」
楽の声は、既に怒りから落胆に色を変えている。
龍之介は「そういうことか!」と手を打ち、楽に向けて優しい笑みを浮かべた。
「兄と過ごす夜は、楽しい時間にしたかったんじゃないか?そもそも、楽といる時間は楽しくて忘れちゃってたとか」
「心配かけたくねぇとか、余計なこと考えてたに決まってんだろ」
サツキの性格を知っている手前、龍之介の笑顔は愛想笑いに変わる。
十中八九、楽の言う通りの理由だろう。
「こっち見ねえで龍ばっか見てっし」
「あー、はは、それは俺も気付いてた」
そしてサツキも楽の気持ちに気付いていたから、楽から目を逸らし続けた。
互いをよく理解した兄弟だ。
二人を大事に思っている龍之介には微笑ましく感じられる程。
「つか龍!サツキが良い匂いするとか今更言ってんじゃねぇよ」
「え、」
「俺がサツキに一番合うシャンプー選んでんだ。当たり前だろ」
「…うわ」
突然の楽の主張に、龍之介が目を瞬かせ、天が嫌悪に目を細める。
それきり携帯を睨みつけたまま黙り込んだ楽を他所に、二人は目を合わせて囁いた。
「サツキのあの匂い…女物、だよな…?」
「弟に女用使わせるとか、兄としてあり得ないんだけど」
「まあでもサツキだからアリなんだろうな…」
サツキの纏う香りは、多少甘くて丁度良い。
それほど可愛く愛らしいと思っていたサツキが、女性に追い回される日が来ようとは。
「いや、可愛いだけじゃないよな…」
「何?」
「サツキって、優しくて笑顔が素敵で寂しがりで。そういうところ、モテそうだなって」
少し隙があるところもきっと。そう本音を漏らした龍之介は、ハッとして楽に目を向けた。
下手なことを言うと楽の地雷を踏むことになりそうだ。
しかし、楽はサツキの携帯をじっと見つめたまま、天と龍之介の会話には全く気が付かなかった。
・・・
マネージャーに家まで送ってもらったサツキは、落ち着かずに楽の帰宅を待っていた。
楽が不機嫌だった。
楽に相談をしなかったからだ。
職人の勘のように自然とそう確信していたサツキは、ドアが開く音がすると反射的に立ち上がった。
慌てて玄関へと走り、靴を脱いでいる楽を出迎える。
「楽、おかえりなさい…!」
楽は軽く目をサツキに向け、「ただいま」と言った。
返事があっただけで少しほっとする。
「あの…まだ、怒ってる…よね」
しかしサツキの問いかけに返事はなかった。
楽はサツキを置いて先にリビングへと入っていく。
普段なら有り得ない態度に、サツキはしゅんと頭を下げて彼を追いかけた。
「俺が何言いたいか、分かってんだろ」
「…楽に、言わなかった」
「だよな?どうして黙ってた」
部屋に入るなり低い声に詰問され、サツキは肩をびくと揺らした。
「ごめんなさい…」
心配かけたくなくて。
自分で何とか出来ると思って。
どちらも余計に怒らせるだけだと分かるから、ただ謝ることしか出来ない。
「どうして謝んだよ」
「楽を、怒らせたから…」
ふうん、と冷たい声。
サツキはきゅっと唇を結び、俯いたまま楽の言葉を待った。
「別に、怒ってるわけじゃねぇよ。ムカつくけどな」
続いた声に、サツキは「嘘だ」と思った。
明らかにまだ怒気を含む声色に、サツキの顔は伏せたままだ。
「俺ってまだそうやって線引かれてんだと思ってさ」
「…線?」
「お前が気にしてんのは、TRIGGERだろ。兄でも恋人でもなく、お前にとって八乙女楽はTRIGGERなんだと思って」
低い声が掠れて飛散する。
サツキは声色の変化に気付くと、慌てて顔を上げた。
「愛してる奴ことくらい、俺の手で守らせろよ」
すぐそこまで近付いていた楽の手が、包み込むようにサツキの頬を覆う。
そのまま額を合わせると、軽く鼻先が触れ合った。
「しかも女に付き纏われてるとか、最悪だ」
「ごめん…」
「いや。今のは嫉妬みてぇなもんだから謝んな」
互いの傷を舐め合うみたいに、軽く唇が重なる。
その瞬間だけ目を閉じたサツキは、視界を開くのと同時に後退した。
そこに一枚壁を置くような距離に、楽の目は訝しむように細められる。
「でも…俺は、これからも楽には相談しない」
「は?なんでだよ」
「楽は俺のためなら何だってしてくれるから」
恥ずかしい程の自惚れだ。
しかしそれも間違いなく真実だった。
楽が「当たり前だろ」と口を挟み、サツキの口元が少し緩む。
「さっき楽が言ったんだよ、愛してる奴のことくらい守らせてって。それは俺も同じ」
「サツキ…」
「その代わり、本当に辛くなったら言うから。だからその時は…助けてくれる…?」
「…はぁ。俺譲りの頑固は厄介だな」
既に互いの気持ちは理解し合っていた。
というより、互いに対する気持ちは同じだった。だからこそ、認めざるを得ない。
「分かったよ」
楽はため息混じりに呟くと、眉を下げたまま口にだけ笑みを作った。
納得はしていないものの、言い負かされてくれたのだろう。
「でも、今回のことは首突っ込むから」
「えぇ…」
「えーじゃねえ」
楽は親指と中指を重ねた額を弾く準備万端の手を、サツキの顔へと近付けた。
デコピンされる!瞬時にそれを察して目を閉じるサツキへ、その覚悟した刺激はなかなか訪れない。
待ちきれず薄く目を開くと、変わらず楽の顔がそこにあるだけだった。
「…辛くないか?」
悲痛に歪む顔。
IDOLiSH7との事件以降は見なかった表情だ。
「ちょっとだけ。でもまだ平気だよ」
「龍も言ってたけど、俺達はすぐに駆けつけてやれねぇ事もあるからさ…。だから、溜め込むのだけは勘弁してくれ」
「…分かった」
今度はサツキが頷く。
それに呼応して頷いた楽は、そっとサツキの背に腕を回した。
壊れ物を腕に抱えるみたいに、楽は優しくサツキを包み込む。
この時、楽にとってサツキは確かに壊れ物だった。
脆く、儚く、あまりにも繊細な。
「楽の匂い安心する…。うちの柔軟剤の匂い。俺とおんなじ、俺が選んでる匂い」
「えっ、マジ?」
「ふふ、マジだよ。だけど何でだろうね?楽だけの、男らしい香りもしてドキドキする」
サツキは楽の首元に顔を埋め、すんっと息を吸いこんだ。
男らしくて少しエロチック。まさにTRIGGERの八乙女楽が想起される香りだ。
楽の言う通り、八乙女楽がただの兄だったなら、ただの恋人だったなら何だって話したかもしれない。
「俺が助けてって言っても、もしそれがTRIGGERの枷になるなら…俺を切り捨ててね」
楽は「分かった」とは言わなかった。
サツキは「お願い」ともう一度告げてから、委ねるように彼に寄りかかった。
(第十話・終)
追加日:2018/03/11