八乙女楽(IDOLiSH7)
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6.miss you...
小鳥遊事務所内にあるレッスン室。
その部屋の前に立つサツキは、極度の緊張に顔を強張らせていた。
ついさっきレッスンは終わったようで、「お先に」と素早く出て行った壮五を見送ったばかりだ。
その際に肩に乗せられた手から感じた威圧感。
今部屋の中にいるのは環だけ。壮五の狙いは、サツキと環が和解すること。
「ちょっと、そーちゃん。なんでそんな急いでー…」
そんなことになっているとは露知らず、環がぴょこと顔を覗かせた。
まだ心の準備の整っていないサツキと環の視線が合う。
「あ…っ、た、環君…あの、ごめんね、話がしたくて…」
サツキを映した目が、大きく見開かれる。
何か言わなきゃと頭が真っ白なまま紡いだ言葉は、環の耳に入らなかったらしい。
環は慌てた様子で部屋の中に戻ると、再びドアを閉めてしまった。
「環君!!ま、待って、話だけでも聞いて…!」
咄嗟に伸ばしたサツキの手は、阻んだドアを虚しく叩く。
また拒否された。それでも、サツキは逃げずに掌をドアに押し当てた。
「俺の顔、見たくないならそのままでいいから…話、聞いて下さい」
これでまた諦めてしまったら、今度こそ関係の修復は不可能なほど歪んでしまうだろう。
震える息に言葉を乗せて、サツキはドアの向こうの環を見つめた。
「俺のこと嫌いでいい。後で気が済むまで殴ってもいいから…お願い、一度だけ、一緒に歌おう?」
今の願いはそれだけだ。
サツキはすんと息を吸い込んで、緊張と息苦しさから一筋涙をこぼした。
「環君…ごめんねずっと、ホントに…ごめんなさい」
きっと言わなければ伝わらないことがたくさんある。
言いたいことだって山ほどある。
サツキは嘗て兄だった時のように、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「俺、見てたよ。環君のこと。デビューする前から、ステージ観に行ってた」
噂を聞きつけて、まだ人の集まらない野外ライブに足を運んだ。
その日の景色を忘れることはないだろう。
「安心したんだ、環君が今は一人じゃなくて、仲間に恵まれてて…俺より、歌上手いし」
「何言ってんだよ。サツキ君の方が、上手い」
ドアの向こう、すぐ近くから声が返ってきた。
環の低い声。サツキがずっと歌を聴かせた少年とは異なる声だ。
「ファンの子が、言ってた。牧野サツキは俺とそーちゃん、二人合わせたみたいな、優しくて迫力ある歌声って」
「…そうなんだ」
「信じらんなくて、牧野サツキが歌ってる映像見て、サツキ君だって、確信して」
ほんの少しの沈黙。
その後、ドアの向こうから聞こえてきたのは、押し殺したような、擦れた声だった。
「悲しかった」
「え…?」
「いつか、また、あの時みたいに…兄弟になれるって、信じてたから」
それは、初めて聞く“今の”環の本音だった。
想像もしなかったこと。いや、想像しようとしていなかった。
「女の子みたいなの、ヤダって言ってたのに、なんか、受け入れてるし」
「…そ、」
「もう、皆の牧野サツキになったんだって、すげぇ悔しかった」
姿の見えない環の本音に、サツキはきゅっと自分の胸元を掴んでいた。
環がこんなに成長しているなんて。それが嬉しくて、少し寂しい。
「怒ってないの…?」
「あの時は、ごめん。この前も、ごめん。俺の知らないサツキ君が、俺のこと知らないみたいに話しかけてくるから、怒鳴った」
「え、あ、理ちゃんのことは」
焦りに大きくなった声は、ずっと恐れていた事を環に向けていた。
環の妹、理と環を引き裂いたのはサツキだと、そう叫んだのは環だ。過去の環は、それで怒っていたのに。
「それも、腹立ってたけど、サツキ君も、あの時は子供だったんだし」
「でも、」
「サツキ君が悪くないの、もう分かってる」
きいと小さく扉が開き、環が今度はしっかりと顔を見せる。
サツキよりもずっと高い位置にある、男らしい顔だ。
「だから、仲直り。一緒に、歌お」
目を細めて微笑む顔は、昔とあまり変わらないように見えた。
懐っこくて、愛らしくて、無邪気で、でも今はそれだけじゃない。
「…大きく、なったね、環君」
「サツキ君は、すげぇ可愛くなった」
「やめてよ、恥ずかしいなあ」
ふっと微笑んで環の胸を叩く。
久しぶりに触れた環は、怒ることなく嬉しそうに笑ってサツキの手を掴んだ。
そのままぐいと引っ張り、部屋の中に招き入れる。
「なんか、歌ってよ」
「…え?えっと、じゃあ、ピアノ、借りていい?」
懐かしいフレーズに胸の奥がじんとするのを感じながら、サツキは部屋の中にあったピアノに近付いた。
綺麗なピアノだ。指を乗せると、家のピアノ程ではないけれどしっかりと良い音が響く。
「じゃあ…MEZZO"の歌…」
ピアノの伴奏に馴染むメロディーに、声を乗せる。。
環は茫然と耳を傾け、部屋の前では壮五も言葉を失い聴き入っていた。
「…やっぱ、すげえ」
「本当に、素敵な歌声…」
天使の歌声と称すにふさわしい、柔らかく暖かい声。
それまでの険悪な雰囲気など嘘だったかのように、部屋の中の空気が澄み渡っていく。
「一緒に、最高のステージを作りましょうね」
鍵盤から手を離し、サツキは二人を見上げて微笑んだ。
笑顔とは裏腹に零れた涙は、喜びに溢れた暖かいものだった。
・・・
サウンドシップ当日。
サツキは歌詞の書かれた紙を眺めて、誰にも聞こえないくらいの声で繰り返し読み上げていた。
もう本番だ。
それを少し寂しく思うほどには、楽しい練習時間を重ねて歌を完成させた。
「牧野さん、大丈夫ですか?」
「はい、行けます」
「頑張ろう」
壮五と環と目を合わせてこくりと頷く。
同じ現場にIDOLiSH7とTRIGGERがいるせいか、サツキは解れない緊張を抱えたまま背筋を伸ばした。
「よし、行こう」
壮五が率先して歩き出し、光射しこむステージに出て行く。
キャアアという高い歓声は、サツキ一人では浴びたことのないアイドル達への歓声だ。
間もなくして流れる前奏に、落ち着いた様子でリズムに乗る二人。
サツキはすうっと息を吸い込むと、壮五と環の歌に自分の声を流し込んだ。
ごめんね、好きなんだ。
歌詞の向こうに、誰か、影が見える。
見えそうで見えない背中、無意識に手を前に伸ばしたサツキの目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
・・・
拍手の音と、悲鳴にも似た歓声。
ステージの脇へとはけたサツキは、頬を伝う涙を拭いながら振り返った。
「ん…、なんか、すみませんでした…」
「いえ。いつも歌ってる曲なのに、牧野さんにつられて泣いちゃいそうでしたよ」
感動しました、なんて笑って言う壮五は、どこか気恥ずかし気に肩をすくめる。
ステージの上で、感じてしまった恋の痛み。
サツキの思いは涙に変わって溢れてしまった。
「俺も…まさか自分がこんな気持ちになるなんて、思いませんでした…」
「さすがに環君が牧野さんを抱き締めたのは…かなり驚いたけど」
「それは、俺もびっくりしました」
歌い切った安堵で更に涙が溢れた時、サツキの体は環に抱き締められていた。
その瞬間聞こえた悲鳴に近い声が、恐らく環のファンのものだろう。
「全く…環君、どうしてあんなこと」
「感動したから」
けろっと何も気にしていない様子で、環はサツキの顔を覗き込んだ。
「サツキ君の歌、すっごくて、オレ達には出来ない歌になってたから」
まあそれはそうだけど、そうじゃなくて。
と壮五が呆れた様子で返した言葉は聞こえていないのか、環はじっとサツキから目を逸らさない。
「…好きな人、いんの?」
「え?」
「そういう思い、抱えてっから、泣けたんだろ」
それどころか、環はサツキに問いかける。
ステージは歓声が鳴り止み、司会者が何か言っているのに、何も聞き取れなかった。
「誰?」
「え…だ、誰って」
そんなこと知らない。
小さく首を横に振ったサツキに、環はむすっと唇を尖らせた。
「サツキ君のこと、連れてった奴?」
「え…」
「あんま顔、覚えてねーけど、中学生くらいの…俺のこと睨んでた奴」
サツキのことを環の前から連れて行った。そんなことをした人間はただ一人だ。
脳裏に浮かぶ顔。優しく寄り添ってくれる暖かさと、優しい声と。
それを思い出した瞬間ぶわと風が吹き抜けるような、妙な感覚に襲われたサツキは、自分の手を薄い胸に重ねていた。
「これが…」
これが、まさか。
驚き開いた目で環を見つめる。
その環の目線が、サツキから外れた。
「よお、サツキ、お疲れ」
その声に、しゃきっと背筋を伸ばした壮五がぺこりと頭を下げる。
振り返ったサツキの視界に映るのは、紛れもなく大好きな人だ。
「楽…」
「MEZZO"も、お疲れ」
アイドルとしての先輩らしい堂々とした姿。
いつも見ているはずのその姿に、サツキは呆然としたまま「お疲れ」の一言も返せなかった。
楽はサツキの隣に立つと、サツキの肩を抱き寄せる。
「ああ、あんたか。喚き散らしてサツキを追い出したガキ」
「…!」
「行くぞ、サツキ」
楽のその言葉の意味に気付いたのか、はっと環が目を見開く。
それをいつもの余裕の笑みで流し、楽はサツキの手を取った。
ぐいと引っ張られ、そのまま控え室へと押し込まれる。誰もいない、TRIGGERの控え室。
「…ったく、何泣いてんだよ」
サツキを見下ろした楽の指先が、既に乾いた目元に触れる。
こんなのだってよくあるスキンシップのはずなのに、サツキは熱くなる顔を隠すように俯いた。
「こ、これは、その…き、緊張して…?」
「嘘つくなよ。アイツと一緒にパフォーマンス出来たのが、嬉しかったんだろ?」
「…そ…」
違う、理由はもう明白だった。
環が言った通りだ。
「ち、違うよ楽、そんな理由じゃなくって…」
「ん?」
「俺、きっと、好きな人が…」
目の前にいる楽に、胸の奥が熱くてたまらなくなる。
恥ずかしくて顔を見られたくないのに、楽の顔は見たくて仕方がない。
耐え切れずぱっと顔を上げると、楽は目を細め、眉間にしわを寄せていた。
「それは、聞いてやれない」
「え?」
「俺に、それは言うな」
楽の人差し指がサツキの唇に軽く触れる。
サツキはさっと血の気が引くのを感じながら数歩後ずさった。
初めての、楽からの拒絶だ。
「……、ご、ごめん」
どうして、当然のように答えてくれると思ってしまったのだろう。
兄弟なのに、男同士なのに。貴方のことが好きですと、言ってしまいそうだった。
楽から離れてきゅっと口を結ぶ。
楽と二人の時間を重く感じるのは、たぶん初めてだった。
無意識に誰か助けてと、そう願う。
誰か、早く来て。
「楽!!」
その思いに応えるように、ばたんっとドアが開いた。
天と龍之介が立っている。その後ろに、スタッフらしき男性。
「なんだよ、でけぇ声出して」
「…、社長が、僕達をステージに上げないって、言ってる」
「…はあ!?」
部屋の中の空気は、サツキの願い通りにガラリと変えられた。
しかしそれは、まださっきまでの方が良かったと思えるような、あまりにも重い空気。
その日、TRIGGERの三人がステージに立つことはなかった。
代わりに彼等の歌を歌ったIDOLiSH7。
TRIGGERの歌を完璧に、独自のダンスで魅せた彼等に向けられたのはTRIGGERのファンからのブーイング。
ただ外側から見ていることしかできなかったサツキは、ある言葉を反芻していた。
俺達の歌、返せよ。怒った環が発した言葉だ。
サツキは目を開いたまま、茫然と息を止めてその解き放たれたパフォーマンスを目に焼き付けていた。
(第六話・終)
追加日:2017/11/18
移動前:2016/03/05
小鳥遊事務所内にあるレッスン室。
その部屋の前に立つサツキは、極度の緊張に顔を強張らせていた。
ついさっきレッスンは終わったようで、「お先に」と素早く出て行った壮五を見送ったばかりだ。
その際に肩に乗せられた手から感じた威圧感。
今部屋の中にいるのは環だけ。壮五の狙いは、サツキと環が和解すること。
「ちょっと、そーちゃん。なんでそんな急いでー…」
そんなことになっているとは露知らず、環がぴょこと顔を覗かせた。
まだ心の準備の整っていないサツキと環の視線が合う。
「あ…っ、た、環君…あの、ごめんね、話がしたくて…」
サツキを映した目が、大きく見開かれる。
何か言わなきゃと頭が真っ白なまま紡いだ言葉は、環の耳に入らなかったらしい。
環は慌てた様子で部屋の中に戻ると、再びドアを閉めてしまった。
「環君!!ま、待って、話だけでも聞いて…!」
咄嗟に伸ばしたサツキの手は、阻んだドアを虚しく叩く。
また拒否された。それでも、サツキは逃げずに掌をドアに押し当てた。
「俺の顔、見たくないならそのままでいいから…話、聞いて下さい」
これでまた諦めてしまったら、今度こそ関係の修復は不可能なほど歪んでしまうだろう。
震える息に言葉を乗せて、サツキはドアの向こうの環を見つめた。
「俺のこと嫌いでいい。後で気が済むまで殴ってもいいから…お願い、一度だけ、一緒に歌おう?」
今の願いはそれだけだ。
サツキはすんと息を吸い込んで、緊張と息苦しさから一筋涙をこぼした。
「環君…ごめんねずっと、ホントに…ごめんなさい」
きっと言わなければ伝わらないことがたくさんある。
言いたいことだって山ほどある。
サツキは嘗て兄だった時のように、ふっと柔らかな笑みを浮かべた。
「俺、見てたよ。環君のこと。デビューする前から、ステージ観に行ってた」
噂を聞きつけて、まだ人の集まらない野外ライブに足を運んだ。
その日の景色を忘れることはないだろう。
「安心したんだ、環君が今は一人じゃなくて、仲間に恵まれてて…俺より、歌上手いし」
「何言ってんだよ。サツキ君の方が、上手い」
ドアの向こう、すぐ近くから声が返ってきた。
環の低い声。サツキがずっと歌を聴かせた少年とは異なる声だ。
「ファンの子が、言ってた。牧野サツキは俺とそーちゃん、二人合わせたみたいな、優しくて迫力ある歌声って」
「…そうなんだ」
「信じらんなくて、牧野サツキが歌ってる映像見て、サツキ君だって、確信して」
ほんの少しの沈黙。
その後、ドアの向こうから聞こえてきたのは、押し殺したような、擦れた声だった。
「悲しかった」
「え…?」
「いつか、また、あの時みたいに…兄弟になれるって、信じてたから」
それは、初めて聞く“今の”環の本音だった。
想像もしなかったこと。いや、想像しようとしていなかった。
「女の子みたいなの、ヤダって言ってたのに、なんか、受け入れてるし」
「…そ、」
「もう、皆の牧野サツキになったんだって、すげぇ悔しかった」
姿の見えない環の本音に、サツキはきゅっと自分の胸元を掴んでいた。
環がこんなに成長しているなんて。それが嬉しくて、少し寂しい。
「怒ってないの…?」
「あの時は、ごめん。この前も、ごめん。俺の知らないサツキ君が、俺のこと知らないみたいに話しかけてくるから、怒鳴った」
「え、あ、理ちゃんのことは」
焦りに大きくなった声は、ずっと恐れていた事を環に向けていた。
環の妹、理と環を引き裂いたのはサツキだと、そう叫んだのは環だ。過去の環は、それで怒っていたのに。
「それも、腹立ってたけど、サツキ君も、あの時は子供だったんだし」
「でも、」
「サツキ君が悪くないの、もう分かってる」
きいと小さく扉が開き、環が今度はしっかりと顔を見せる。
サツキよりもずっと高い位置にある、男らしい顔だ。
「だから、仲直り。一緒に、歌お」
目を細めて微笑む顔は、昔とあまり変わらないように見えた。
懐っこくて、愛らしくて、無邪気で、でも今はそれだけじゃない。
「…大きく、なったね、環君」
「サツキ君は、すげぇ可愛くなった」
「やめてよ、恥ずかしいなあ」
ふっと微笑んで環の胸を叩く。
久しぶりに触れた環は、怒ることなく嬉しそうに笑ってサツキの手を掴んだ。
そのままぐいと引っ張り、部屋の中に招き入れる。
「なんか、歌ってよ」
「…え?えっと、じゃあ、ピアノ、借りていい?」
懐かしいフレーズに胸の奥がじんとするのを感じながら、サツキは部屋の中にあったピアノに近付いた。
綺麗なピアノだ。指を乗せると、家のピアノ程ではないけれどしっかりと良い音が響く。
「じゃあ…MEZZO"の歌…」
ピアノの伴奏に馴染むメロディーに、声を乗せる。。
環は茫然と耳を傾け、部屋の前では壮五も言葉を失い聴き入っていた。
「…やっぱ、すげえ」
「本当に、素敵な歌声…」
天使の歌声と称すにふさわしい、柔らかく暖かい声。
それまでの険悪な雰囲気など嘘だったかのように、部屋の中の空気が澄み渡っていく。
「一緒に、最高のステージを作りましょうね」
鍵盤から手を離し、サツキは二人を見上げて微笑んだ。
笑顔とは裏腹に零れた涙は、喜びに溢れた暖かいものだった。
・・・
サウンドシップ当日。
サツキは歌詞の書かれた紙を眺めて、誰にも聞こえないくらいの声で繰り返し読み上げていた。
もう本番だ。
それを少し寂しく思うほどには、楽しい練習時間を重ねて歌を完成させた。
「牧野さん、大丈夫ですか?」
「はい、行けます」
「頑張ろう」
壮五と環と目を合わせてこくりと頷く。
同じ現場にIDOLiSH7とTRIGGERがいるせいか、サツキは解れない緊張を抱えたまま背筋を伸ばした。
「よし、行こう」
壮五が率先して歩き出し、光射しこむステージに出て行く。
キャアアという高い歓声は、サツキ一人では浴びたことのないアイドル達への歓声だ。
間もなくして流れる前奏に、落ち着いた様子でリズムに乗る二人。
サツキはすうっと息を吸い込むと、壮五と環の歌に自分の声を流し込んだ。
ごめんね、好きなんだ。
歌詞の向こうに、誰か、影が見える。
見えそうで見えない背中、無意識に手を前に伸ばしたサツキの目からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
・・・
拍手の音と、悲鳴にも似た歓声。
ステージの脇へとはけたサツキは、頬を伝う涙を拭いながら振り返った。
「ん…、なんか、すみませんでした…」
「いえ。いつも歌ってる曲なのに、牧野さんにつられて泣いちゃいそうでしたよ」
感動しました、なんて笑って言う壮五は、どこか気恥ずかし気に肩をすくめる。
ステージの上で、感じてしまった恋の痛み。
サツキの思いは涙に変わって溢れてしまった。
「俺も…まさか自分がこんな気持ちになるなんて、思いませんでした…」
「さすがに環君が牧野さんを抱き締めたのは…かなり驚いたけど」
「それは、俺もびっくりしました」
歌い切った安堵で更に涙が溢れた時、サツキの体は環に抱き締められていた。
その瞬間聞こえた悲鳴に近い声が、恐らく環のファンのものだろう。
「全く…環君、どうしてあんなこと」
「感動したから」
けろっと何も気にしていない様子で、環はサツキの顔を覗き込んだ。
「サツキ君の歌、すっごくて、オレ達には出来ない歌になってたから」
まあそれはそうだけど、そうじゃなくて。
と壮五が呆れた様子で返した言葉は聞こえていないのか、環はじっとサツキから目を逸らさない。
「…好きな人、いんの?」
「え?」
「そういう思い、抱えてっから、泣けたんだろ」
それどころか、環はサツキに問いかける。
ステージは歓声が鳴り止み、司会者が何か言っているのに、何も聞き取れなかった。
「誰?」
「え…だ、誰って」
そんなこと知らない。
小さく首を横に振ったサツキに、環はむすっと唇を尖らせた。
「サツキ君のこと、連れてった奴?」
「え…」
「あんま顔、覚えてねーけど、中学生くらいの…俺のこと睨んでた奴」
サツキのことを環の前から連れて行った。そんなことをした人間はただ一人だ。
脳裏に浮かぶ顔。優しく寄り添ってくれる暖かさと、優しい声と。
それを思い出した瞬間ぶわと風が吹き抜けるような、妙な感覚に襲われたサツキは、自分の手を薄い胸に重ねていた。
「これが…」
これが、まさか。
驚き開いた目で環を見つめる。
その環の目線が、サツキから外れた。
「よお、サツキ、お疲れ」
その声に、しゃきっと背筋を伸ばした壮五がぺこりと頭を下げる。
振り返ったサツキの視界に映るのは、紛れもなく大好きな人だ。
「楽…」
「MEZZO"も、お疲れ」
アイドルとしての先輩らしい堂々とした姿。
いつも見ているはずのその姿に、サツキは呆然としたまま「お疲れ」の一言も返せなかった。
楽はサツキの隣に立つと、サツキの肩を抱き寄せる。
「ああ、あんたか。喚き散らしてサツキを追い出したガキ」
「…!」
「行くぞ、サツキ」
楽のその言葉の意味に気付いたのか、はっと環が目を見開く。
それをいつもの余裕の笑みで流し、楽はサツキの手を取った。
ぐいと引っ張られ、そのまま控え室へと押し込まれる。誰もいない、TRIGGERの控え室。
「…ったく、何泣いてんだよ」
サツキを見下ろした楽の指先が、既に乾いた目元に触れる。
こんなのだってよくあるスキンシップのはずなのに、サツキは熱くなる顔を隠すように俯いた。
「こ、これは、その…き、緊張して…?」
「嘘つくなよ。アイツと一緒にパフォーマンス出来たのが、嬉しかったんだろ?」
「…そ…」
違う、理由はもう明白だった。
環が言った通りだ。
「ち、違うよ楽、そんな理由じゃなくって…」
「ん?」
「俺、きっと、好きな人が…」
目の前にいる楽に、胸の奥が熱くてたまらなくなる。
恥ずかしくて顔を見られたくないのに、楽の顔は見たくて仕方がない。
耐え切れずぱっと顔を上げると、楽は目を細め、眉間にしわを寄せていた。
「それは、聞いてやれない」
「え?」
「俺に、それは言うな」
楽の人差し指がサツキの唇に軽く触れる。
サツキはさっと血の気が引くのを感じながら数歩後ずさった。
初めての、楽からの拒絶だ。
「……、ご、ごめん」
どうして、当然のように答えてくれると思ってしまったのだろう。
兄弟なのに、男同士なのに。貴方のことが好きですと、言ってしまいそうだった。
楽から離れてきゅっと口を結ぶ。
楽と二人の時間を重く感じるのは、たぶん初めてだった。
無意識に誰か助けてと、そう願う。
誰か、早く来て。
「楽!!」
その思いに応えるように、ばたんっとドアが開いた。
天と龍之介が立っている。その後ろに、スタッフらしき男性。
「なんだよ、でけぇ声出して」
「…、社長が、僕達をステージに上げないって、言ってる」
「…はあ!?」
部屋の中の空気は、サツキの願い通りにガラリと変えられた。
しかしそれは、まださっきまでの方が良かったと思えるような、あまりにも重い空気。
その日、TRIGGERの三人がステージに立つことはなかった。
代わりに彼等の歌を歌ったIDOLiSH7。
TRIGGERの歌を完璧に、独自のダンスで魅せた彼等に向けられたのはTRIGGERのファンからのブーイング。
ただ外側から見ていることしかできなかったサツキは、ある言葉を反芻していた。
俺達の歌、返せよ。怒った環が発した言葉だ。
サツキは目を開いたまま、茫然と息を止めてその解き放たれたパフォーマンスを目に焼き付けていた。
(第六話・終)
追加日:2017/11/18
移動前:2016/03/05