八乙女楽(IDOLiSH7)
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小さい頃、何の違和感もなく過ごしていた施設での生活。
ずっと一人、何気なく外で空を見上げていることが多かったサツキに、彩を与えてくれたのは四葉環だった。
「サツキくん、うたって」
「いいけど、たまには環くんも歌ってよ」
「えー…」
毎日、特に楽しい事をして遊んだりしたわけではない。
ただ一緒にいるだけで楽しかった。
「サツキくんのうたがいい」
「俺は、環くんの歌も聴きたいな」
「…上手くないもん」
気に食わないことがあると、すぐとがってしまう唇。
感情を分かりやすく表に出す彼といるのは居心地が良い。
サツキはしょうがないなあと笑い、毎日歌を歌った。
「今度は環くんも歌ってね?」
「ん…」
年下で、小さくて可愛い男の子。
当たり前のように一緒にいて、弟のように可愛がっていて、ずっと一緒にいられるものだと思っていた。
「サツキ君、明日迎えに来てくれるからね。とても優しい人達だから、大丈夫よ」
だから、突然のその言葉に、サツキは頭が真っ白になってしまった。
環よりはお兄さん、けれどまだ10歳になって間もない子供。
そんなサツキには、その悲しさや怒りに似た感情をコントロール出来なかった。
「やだ!環くんと、離れたくない!環くんと一緒じゃなきゃやだ!」
「サツキくん…!」
「ぜったいやだ!!」
その日、サツキは初めて環を置いて外へ飛び出した。
嫌だと叫んで逃げ出せば、大人は意見を変えてくれると思っていたのだ。
逃げ込んだのは近くの公園。
小さな土管の中に身を隠し、蹲って時間が経つのを待つ。
一日、二日。もっともっと長く感じた。
夜の暗さが静けさが怖くて、じっと身を小さくして膝を抱える。
「…っ、」
自分で飛び出した癖に、気付けばサツキを襲うのは恐怖のみ。
恐怖を紛らわせる方法なんて、一つしか知らない。
サツキは小さく口を開き、静かに歌を口ずさんだ。
反響する音が心地よいものに変わっていく。
だんだん自分の声が響くのが楽しくなって、夢中で歌い続けて。
「……そこにいるのか?」
突然、土管の外から声が聞こえ、サツキは小さな体をびくりと震わせた。
咄嗟に口を手で覆い、息を殺して体を小さくする。
見つけて欲しかった。でも見つかるわけにはいかない。そんな葛藤のせいで体が動かない。
「…サツキ」
名前を呼ぶということは、追手だ。
しかし、やっぱり怖いという気持ちが勝り、サツキは恐る恐る顔を上げた。
「ああ…良かった。こんな時間に一人は危ないから、出て来いよ」
「…、あ、あの、」
「大丈夫、怖くないから」
その人は、中学生くらいのお兄さんだった。
大人じゃない。それで途端に安堵に満たされ、ぶわっと目から溢れ出す涙を拭う事も忘れて外に出る。
サツキを抱き留めたお兄さんは、サツキの背中を繰り返し撫でた。
「もう大丈夫だ…」
低すぎない暖かい声色。
すっぽりとサツキを抱き締める腕の力強さ。
すっかり心を解されたサツキは、お兄さんの手に支えられたまま隣に並んだ。
「牧野サツキ君だな」
見知らぬ男性が近付いてくる。
怖い顔をしたおじさん。しかし隣に優しくしてくれたお兄さんがいるから怖くない。
「ついて来なさい」
その一言に、サツキは何のためらいもなくついていった。
それから暫くは、裕福な逃亡生活。
優しいお兄さんと広い家と贅沢な食事に、サツキは施設に置いて来た環のことを頭の隅に追いやっていた。
・・・
広い部屋にあるグランドピアノ、奏者は綺麗で優しいお兄さんだ。
近付きたいけどもっと聴いていたい。
忍び足で近付いたサツキに、彼はぴたと手を止め振り返った。
「あっ…邪魔しちゃってごめんなさい…」
「邪魔なんかじゃない。おいで」
にこりと微笑まれるときゅっと胸の奥が熱くなる。
手招かれるまま近付くと、お兄さんの手はサツキの頭をやんわりと撫でた。
「どうした?ピアノが気になるのか?」
「う、うん」
気になるのは、ピアノというよりも綺麗なお兄さんの方。
そんな言葉は子供ながらに恥ずかしく、口に出さず赤らんだ頬のまま頷いた。
誤魔化すように、ピアノの鍵盤に触れ、ポンと音を鳴らしてみる。
「何か弾こうか?」
「あ…うん!俺、お兄ちゃんの音好き。もっとー…」
それは、何気なく出た言葉だった。
しかしその瞬間サツキは思い出した。
あまりにも居心地が良くてすっかり頭の隅に追いやっていたこと。
「環くん…」
「ん?」
「俺、環くんおいて来ちゃったんだった…!」
思い出してしまえば、途端にいても立っても居られなくなる。
サツキはお兄さんの腕を掴んで、くいと力無い手で引っ張った。
「俺、行かなきゃ、施設に帰らなきゃ…っ」
「サツキ…」
細められた悲しげな視線に気付くことはない。
「じゃあ行ってみるか」と立ち上がったお兄さんに、サツキはホッとしてその手を握り締めた。
お兄さんの持つ携帯で場所を調べ、手を引かれて施設への‟帰路”を進む。
次第に感じる懐かしさ。視界に映る見慣れた景色。
サツキは施設を見つけると、手を離して駆け出した。
「環くん…!」
施設の外、いつもサツキが歌を聴かせた場所で、少年は膝を抱えていた。
声に気付いた環が顔を上げる。
その瞳は、怒りに震えていた。
「アンタの、せい…アンタのせいで、理が…!」
「あ、あやちゃん…?」
「アンタの代わりに、連れてかれた!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにし、怒りで顔が真っ赤になっている。
その手に握られた人形はサツキへと投げつけられた。
「アンタが逃げたから…!!」
「た、たまきくん…」
「嫌いだ!サツキくんなんて、嫌いだ!」
元々怒らせたら厄介なタイプだった環だが、こんなのは初めてだ。
投げるものを失った環は、足元の砂利をぎゅっと掴んでサツキの方に投げつける。
痛みなんてない。でも胸の奥がずきずきと痛い。
「…帰ろう、サツキ」
「お、おにいちゃん…」
「俺達の家に、帰るぞ」
大きな手がサツキへと差し出される。
ああ、もう帰る場所はここじゃなかったんだ。
それに気づいた途端、心を満たした充実感。
逃げて良いという安堵に、サツキはその手を握り締めていた。
「…帰る」
「ああ、行こう」
膝を抱えて、頭を埋めて泣いている環に背を向ける。
小さかったサツキにはそれしかできなかった。お兄さんの暖かさに逃げてしまったのだ。
・・・
サツキは静かに息を吸い込んでから、水の入ったグラスを手に取った。
一度喉を潤して、今度は息を吐き出す。
「…これが、俺と環君の全てです」
四葉環とサツキの繋がり。環がサツキを恨んでいる理由。
カランと氷の揺れたグラスを置いて、テーブルの上で軽く手を握りしめる。
静かに耳を傾けていた壮五は、「でも」と口を開いた。
「牧野さんは悪くないじゃないですか、だってきっとそれは」
「はい、俺のせいで環君の妹が連れて行かれたんじゃないって、分かっているんです」
「え…」
「…理ちゃんのことは、偶然が重なっただけだろうって」
今まさに指摘しようとした事を先に言われて、壮五が言葉を詰まらせる。
真実は分からないけど、幼い環の言葉が誤解だってことくらい、今のサツキには分かっていた。
遅かれ早かれサツキは施設から出ることになったのだろう。
環の妹も、きっとサツキとは関係なく環と離れることになった。
「でも…妹を失って一人になった環君を…俺まで、一人にしてしまったんです」
「牧野さん」
「あの時の俺は…環君とちゃんと話して、寄り添わなきゃいけなかった」
少しでも誤解を解いて、仲直りしてからサヨウナラが出来ていたなら。
けれど、サツキは環から逃げた。
大好きだったはずの弟を置いて、優しくしてくれるお兄さんの元へと。
「ちゃんと、謝りたかったんですけど…でも…あそこまで嫌われてたなんて、甘かったですね」
雰囲気を悪くしてしまった責任もある。
だからもし本気でサウンドシップを辞退するというのなら、それは自分が。
そう言おうとしたサツキの決意は、壮五の声で遮られていた。
「牧野さん。実は僕、環君から貴方のこと聞いていました」
「え」
「牧野さんは勘違いしています。環君は貴方のこと嫌ってなんかいません」
「…そんなはず…!だってあんなに怒ってたじゃないですか」
最後別れた日と同じように、環の目はサツキを睨んでいた。
それを目の前で見たというのに、壮五は静かに首を横に振った。
「ちゃんと、話さなきゃダメです。環君と話してください」
「で、でも」
「サウンドシップ成功させるためにも」
重ねられた手がぎゅっとサツキの手を掴む。
その手は、思っていた以上に強くサツキの手を締め付けた。
「っ!?」
「…お願いしますよ、牧野さん」
「え、あ、あの」
「お二人の勝手な都合で辞退なんて、絶対に許しませんから」
壮五がにこりと微笑んでいる。
しかし笑顔とは裏腹に、ぞくりと背筋が震えるような威圧感に襲われる。
「丁度明日明後日とMEZZO"だけのレッスンを事務所でするんで、来て下さい」
「え、え」
「二人きりの時間、用意しますから、ね」
サツキは横に振りかけた首をぴたと固めた。
優しい笑顔の奥にある鋭さに、自然と首が縦に動く。
どうやら自分は逢坂壮五という人間を誤解していたらしい。
それに気付いたところで、もう目の前の優しい男から逃げる事は出来そうになかった。
・・・
シャワーを浴びて、髪の毛先から零れる水をタオルで受け止める。
素直に壮五へ連絡先を教えてしまったサツキは、自分の部屋のベッドに腰掛け深く溜め息を吐いた。
逃げたい、なんて思ってなかったはずなのに。
それでもまた逃げようとした自分が恥ずかしい。
「っ、…ああもう!」
少し大き目に声を上げて、ばふっとベッドに倒れ込む。
ようやく掴んだチャンス…それは歌手活動としてだけでなく、環との関係改善も望んでのことだった。
それが、今は諦めてしまいたいと思っている。もうあの目で見られるのは嫌だ。
「うう…こんなじゃ駄目だ、もっと、前向きにならなきゃ…」
「おい、サツキ?」
自分の唸り声に、低い声が重なる。
枕に押し付けていた顔を上げると、怪訝そうな顔をした楽が部屋を覗き込む姿が視界に入った。
「変な声出して、どうしたんだよ」
「楽…」
思わず出てしまった声が、部屋の外にも聞こえていたらしい。
もそっとベッドに腰掛ける形で起き上がり、照れ隠しに目を擦る。
部屋に入ってきた楽は、サツキの顔を見て何か察したように「ああ」と零した。
「今日小鳥遊事務所行って来たんだろ?」
「…うん、ちょっと失敗しちゃって…。また明日行く、と思う」
「なるほどな。お前、泣いたろ」
目の前で床に膝をついた楽が、サツキの顔を覗き込む。
見抜くような鋭い視線から逃れたくて顔を逸らすと、白く細い指がサツキの目元をなぞった。
「ったく、顔腫らすような泣き方してんじゃねえよ」
「ご、ごめん。またマネージャーに怒られちゃうね」
「擦んな馬鹿」
慌てて目元を擦った手が、楽によって引き剥がされる。
その楽の方こそ、悲しそうに顔を歪めていた。
「…お前があの日の事で泣くのは、俺も耐えらんねえから」
「え、なんで…」
「俺のせい…みたいなもんだろ」
「そんな、楽は何も悪くないよ。俺が…優しさに甘えただけだし」
今度はサツキが楽の手を握り締める。
楽はその繋がりを確かめた後、ゆっくり体を前に倒し、サツキの腹部に頭を預けた。
「楽、どうしたの?」
「…そんな顔してでも会いに行く程…あのガキが好きなのか?」
押し殺したような楽の声。
サツキは不思議に思いながら、楽の柔らかい髪に指を差し込んだ。
「好きだよ…だって、俺にとっては弟みたいな存在だから」
「弟…」
「楽が俺のこと大事に思ってくれてるのと、同じだよ」
ふわふわの髪に掌を重ね、梳くように頭を撫でる。
楽は数回首を横に振り、そのまま顔をぱっと上げた。
「…違ぇ」
「え?」
「違ぇよ、俺は…」
サツキの目の前にあるのは、綺麗過ぎるその容姿と、少し濡れた瞳。
いつもと違って楽を見下ろしているせいか、妙に胸が高鳴った。
ドラマのヒロインになった気分だ。楽の、恋人役に自分がなったような。
「ち、違う…って、何…」
顔が近い。近いのに、もっと近付いてくる。
距離が少し縮まるごとに、心臓が大きく胸を叩いて、何か期待するように早まっていって。
「ったく」
しかし、そんな甘さを含んだ時間も束の間。
楽は人差し指でサツキのおでこをピシっと叩くと、いつもと涼しい視線でサツキを見下ろした。
「いたっ」
「さっさと解決して、当日までのレッスン頑張れよ」
「え、あ、うん、有難う…」
ぼうっとしたまま楽を見上げる。
まだ心臓が煩い。まだ熱を帯びた頬が治まらない。
それなのに、楽は「じゃあな」と言うとサツキを振り返ることなく部屋を出て行った。
「…俺」
楽の背中を見送って、暫く茫然と何もないドアを見つめる。
吐き出す息が震えていた。
楽の顔を見ている間、息を止めていた。無意識に、何かを期待した。
「期待…?」
何を。
サツキは一人首を傾げ、首にかけていたタオルをぎゅっと掴んだ。
(第五話・終)
追加日:2017/10/15
移動前:2016/01/03