黒バス(2012.10~2017.12)
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季節は夏を迎えていた。
バスケ部という新しい場所を見つけた真司にとって、それはあっという間で。
気付けば腕をまくり、下敷きで首元を流れる汗を冷やしている。
「ちょ、真司っち」
「何?」
「そんな胸元開けちゃダメっスよ!」
ぐいっと黄瀬の手が真司のワイシャツの胸元を掴む。
その暑苦しい手をぱしっと弾きながら、真司は横で平然としている黒子を横目で確認した。
涼しそうな髪色と相まって、涼しそうな顔をしている。
「…テツ君、暑くないの?」
「暑くないわけがないじゃないですか」
「あ、そうなんだ」
黒子のポーカーフェイスに驚かされるが、暑苦しい顔をされるよりはずっといい。
真司は少しだけ黒子の方に寄ると、風が黒子にも当たるように扇いだ。
「ありがとうございます、烏羽君」
「いえいえ」
「真司ーオレにも風くれ」
「青峰君は暑苦しいからヤダ」
「あ?んだよそれ」
こんな暑い日にも屋上に集まるという行為が間違っているのかもしれないが、落ち着いて食事がとれる場所は少ない。
それもこれも、黄瀬がすぐに女子に囲まれるからなのだが。
その黄瀬に視線を向けると何やら考えているようで、顎に手を当て眉間にシワを寄せている。
じっと見つめていると、黄瀬の口が小さく開いた。
「夏と言えば、で考えたんスけど」
黄瀬に三人の目が集中した。
一人は不思議そうに、かたや一人は面倒そうに、もう一人は興味すらなさそうだ。
「海!っスよね!」
きらきらと輝く瞳が三人に向けられる。
つまり黄瀬は海に行こうと言い出すつもりなのだろう。
「なんとも在り来りな線で来ましたね」
「絶対楽しいっスよ!」
「はぁ!?男だけで海行って、何が楽しいんだよ」
「水着美女にも会えるっスよ!!」
「よし行くか」
行くことが決定していたのかと疑う程に、突発的だった黄瀬の言葉に皆が同調していく。
そんな中、長い前髪で顔を覆った一人だけが沈黙を押し通していた。
「真司っち?真司っちも行きたいっスよねぇ、海!」
「え?いやその…」
「真司、どーした?」
もごもごと急に語彙力を失ったかのように、真司の言葉ははっきりしない。
黒子が身を屈めて覗き込むと、真司は頬を膨らませていた顔をふいっと背けた。
「烏羽君?どうかしたんですか?」
「いや、俺は、海ってのはどーかと思う」
「あ?なんでだよ」
「それはその………だから」
「?」
よく聞き取れない。
三人がぐっと真司との距離を縮めると、ぶつ切りの単語が少しずつ読み取れた。
水着やら泳ぎの後に否定の言葉が置かれる。
「水着、持ってないんスか?」
「…うん」
「カナヅチなのか?」
「……ん」
大体真司が何を言いたかったのか分かった彼等は、一斉にプッと吹き出した。
それで機嫌を悪くするのは、勿論真司だ。
「だ、だから言いたくなかったんだよ!悪かったな泳げなくて!」
「いやいやいや、悪くなんてないっスよ」
「ええ。でも、意外な弱点でしたね」
「俺は地に足ついてなきゃ駄目なんだよっ」
言わずと知れたことだが、真司は相当の負けず嫌いだ。
自分の苦手なことを曝す事は悔しさ以外の何物でもない。
「海なんて、絶対嫌だからな!」
機嫌を損ねてしまった真司は、先程よりも大げさに皆から顔を逸らした。
「真司っち…」
「ったく頬膨らませてガキかっつの」
「青峰君、余計なことは言わないでください」
さすがに三人はどうしたものかと顔を見合わせた。
皆で海、なんて今までなら望まなかっただろうが、今年は違う。
新しい仲間、可愛い友人の存在が海という場所を楽しみにさせているのだ。
黄瀬は一人ぐっと拳を作ると、真司の肩に手を置いた。
「…真司っち、泳ぐ必要なんてないっスよ」
「え?」
「海っスよ?楽しみ方なんて一杯あるんスから、ね」
「…そ、なの?」
ようやく真司の瞳が黄瀬を捕らえる。
「第一、オレも肌焼くわけにいかないし。一緒に違うことして遊ぼ!」
「黄瀬君…」
確かに黄瀬の言う通りだった。
黒子も横でこくこくと頷いている。かくいう黒子も別段泳ぎは得意としていない。
「あ、でも水着は欲しいっスねー」
「泳がないのに?」
「そ!こういうのは雰囲気ってのが大事なんスよ」
別に行くとはまだ言っていないのに、黄瀬は既にその気満々になっていた。
真司の水着はどんなものがいいか、なんて話もし始めて。どうやら真司の水着は黄瀬が選ぶつもりらしい。
「待ってよ、水着なんて買う金ないよ」
「まーま、その事はオレにどーんと任せて下さいっス」
「そ、んな」
どうしてそこまでするのか疑問を持たざるを得ない。しかし、黄瀬が気分良さそうにしているので、真司はそれ以上文句を口にすることを止めた。
それにしても不思議だ。
黄瀬の意見に青峰と黒子の二人までもが乗っているというのは。
何も言わずにじっと黒子を見つめていると、その視線に気付いた黒子と目が合った。
真司は何も言っていない。しかし、黒子は何か察したらしい。
「たまには皆で遊ぶというのも、楽しいのではないでしょうか」
「まー…それもそっか…」
黒子の正当な意見には反論する気にもなれない。
真司はとうとうほだされ、うんと頷いていた。
とはいえ。
「それは楽しみだな、紫原」
「え~、海とかめんどくない?」
「全く、そんな場所でうつつを抜かしている場合ではないのだよ」
部活を終えて着替えていた黄瀬はまさかの事態に呆然としていた。
いつの間にやら話が拡大している。
「ど、どーしてそれを」
「ん?黒子が教えてくれたぞ。皆で海に行く計画、だろう?」
「(黒子っちぃぃいい!)」
がくりと黄瀬が項垂れた。
黄瀬の目的はあくまで真司と海へ行くこと。そこにライバルとなる者がついてくるのは本末転倒というか。
決して悪気などなかった黒子は、そんな黄瀬の様子に瞬きを数回繰り返した。
「秘密だったんですか?」
「いや…いっスよ…大人数のが楽しいっスもんね」
「え、何?赤司君も海行きたいの?」
それまで話の外でそれを聞いていた真司は、ワイシャツのボタンを止めながら首を赤司の方へ向けた。
「ああ。そういう息抜きも悪くない」
「そっか。皆で行ったら楽しそうだね」
真司が嬉しそうに笑う。それに赤司も笑い返した。
未だ謎であるこの二人の関係。そしてそれを見る度に苦そうな顔をしている緑間も謎だった。
「はぁ」
まんまと踊らされた気がしてならない。
「なんだ、黄瀬。そんなにオレが嫌か?」
「め、滅相もございません」
「黄瀬ちんでも烏羽ちん独り占めは許さねーし」
「んなことするつもりないっス!」
そんなこんなで。
夏休みの予定“皆で海へ行こう”が決定事項となった。
青い空。青い海。
という聞いたことのあるフレーズがまさに似合う景色。
見上げると眩しい日差しが視界を眩ませて、真司は手で影を作った。
「良い天気になって良かったっスね!」
「そんなことよりも、皆の都合があったことが奇跡です」
「赤司、まじで良かったのか?」
「一日くらい構わないだろう」
青峰の言葉に、赤司はふっと笑った。
夏、大会をひかえているバスケ部には休みなどほとんどない。
赤司から許可が出る、それが既に奇跡を疑うレベルのことだった。
「さ、真司っち、一緒に海の方行こう」
「わ…」
「おい黄瀬、勝手に真司連れてくなっつの」
「え、ちょ」
黄瀬と青峰の二人に片手ずつ取られ、真司は困惑しながら二人を見上げた。
青峰は黒い体を晒し、反対に黄瀬は帽子にパーカーとモデルの体をしっかりと守っている。
真司はふと自分の体を見下ろした。
黄瀬に頂いた膝丈まである水着に、半袖の上着を羽織っている。その隙間から覗く肌は、見るからに不健康そうな白さと細さ。
「…」
「真司っち?」
「テツ君も、こっち来て」
「…何か失礼なことを考えていますね」
さくさくと歩く度に砂が音を立てる。
海、なんて随分と久しぶりだ。まだ父と母が生きていた頃、家族で遊びに来たことがあった。
懐かしい音と、懐かしい匂い。
「匂い…。紫原君、何食べてるの?」
微かに香った匂いに、真司は後ろを歩いていた紫原を振り返った。
その手には、こんがりと跡をつけたトウモロコシ。
「いつの間に…」
「烏羽ちんも食べる?」
「うん」
「こっちおいでー」
黄瀬と青峰の腕から逃れると、真司は紫原の手の中を覗き込んだ。
「はい、あーん」
「あ…、ん」
しょっぱさとトウモロコシの甘さが口に広がる。
自然と笑みがこぼれる真司を見て、紫原も嬉しそうに笑った。
「烏羽ちん、これから一緒に食べ歩きしない?」
「食べ歩き?そんなに食べるものがあるとは思えないけど」
「ここにあるもの制覇しよーよ」
紫原の指の先は、ちょんちょんと並ぶ海の家を指している。
かき氷やらソフトクリームなど夏らしいものから、焼きそば等の昼飯になりそうなものもあるようだ。
「それも楽しそーだね」
「でしょー?」
笑い合う二人の空気はふわふわとしていて、周りを寄せ付けない。
当然、真司と共に遊びたいと思っていた黄瀬はうぐぐと唸っていた。
「なんなんスか…この負けた感」
「さすがは紫原君ですね」
「油断なんねーっス」
じっと二人を眺めたまま、出ていくタイミングを失った黄瀬はもどかしそうにしている。
それを、青峰は何のためらいもなく前に出た。
「真司、食べんのは遊んでからにしよーぜ」
紫原とトウモロコシを貪っていた真司の腕を掴む。
真司は、これまた嬉しそうに笑い返した。
「ん…うん、そうだね」
「えー、烏羽ちん食べないのー?」
「遊んでお腹空いたらでいいや」
「そっかぁ…」
しゅんとした紫原に軽く手を振って、真司は青峰の背中を追う。
海は嫌だと反対していた癖に、真司は誰よりも楽しそうにしていた。
小さな背中が、いつもよりも元気に見えるのはそのせいだろう。
「烏羽ちん可愛いー」
背中をじっと見つめていた紫原が小さく呟いた。それに黒子もこくりと頷く。
「赤司君も、烏羽君には甘いですね」
「そうかもしれないな」
真司を見る目は、皆どことなく柔らかい。
だからこそ、彼等は皆が真司にどんな思いを抱いているのか分かってしまう。
「黄瀬君、ボク達も行きましょう」
「あ、はいっス」
複雑そうな顔をした黄瀬が、一瞬赤司を振り返る。
その時、意味ありげに赤司が笑ったのを黄瀬は見逃さなかった。
「…赤司っちって、何考えてんスかね」
後ろを赤司がついて来ていないことを確認して、黄瀬はぼそりと呟いた。
前方では、青峰と真司が浅瀬に足を踏み入れている。
「それをボクに言われても」
「なんか…怪しいっス」
「はぁ」
太陽の元晒されている細い足が海水を弄ぶ。
眩しい程の笑顔は前髪と眼鏡の下に隠されているけれど、それがどれ程美しいかなんて見ずともわかる。
その笑顔が、自分だけのものになればいいのに。
「…黄瀬涼太?」
はっとした時にはもう遅かった。
「やっぱり!黄瀬涼太だ!」
「嘘!キセリョ!?」
「やだ、私ファンなんだけど…っ」
いつの間にか女の子に囲まれている。
元より帽子ごときで隠せるとは思っていなかったが、思いの外早かった。
「黒子っちー…あれ?」
とにかく黒子は巻き込むまいと隣を確認すると、そこにいたはずの黒子の姿がなくなっている。
きょろきょろと見渡せば、女の子達の頭の向こうに見える水色の髪の毛。
さすがは黒子といったところか、まんまと巻き込まれる前に逃げていたようだ。
「あ…あー…今日はプライベートで来てるから、あんまり騒がないでくれますか」
黄瀬が口を開くだけで、黄色い声が飛び交う。
心の中では面倒だと思いながらも、黄瀬はファンを大事にする。それが黄瀬涼太という人間だった。
そして、そんな黄瀬に助け舟を出す人間などいない。
「うわー。黄瀬君囲まれてら」
「ったく、うっせぇな」
高い女性の声に、真司も青峰もそれに気付いたが、それを気にしたりはしない。もはや慣れっこだ。
黄瀬の方をちらりと見ただけで、すぐに足元の海に視線を戻す。
「なぁ、もっと奥まで行こうぜ」
「え!?」
急に腕を引かれ、真司は青峰の方へよろけた。
そのまま歩き続ける青峰に引かれ、どんどん海の奥の方へと連れて行かれる。
「ちょっと!この辺だけでいいって!」
「なーに言ってんだよ。全然まだ行けんだろ」
「へ、いきだけど…っ、」
足にかかる程度だった水面は、次第に膝を濡らし、水着をふわっと持ち上げる。
冷たさで、夏とはいえど体がぶるっと震えた。
「う、わわ…青峰君、ちょっと待って」
「あ?濡れてもいいだろ?」
「よ、良くない!俺、泳げないって…」
「泳ぐ深さじゃねーだろ」
深くなればなるほど、真司は後ろへ戻ろうと抵抗する。
そんな真司の様子に、青峰の悪戯心に火がついた。
「真司」
「な、に…」
にやっと笑う青峰に嫌な予感がした所で、それはもはや手遅れ。
手をぱっと放した青峰は、真司を乱暴に抱き上げた。
「わちょ!何!?」
「油断したな、真司」
「え?…っうわ…!」
真司の視界はぐるっと回って。次の瞬間、何も見えなくなっていた。
耳に聞こえる籠った音。つんとするのは鼻に水が入ったから。
浮いた足は行き場を失っていて、手を付く場所も見当たらない。
怖い、怖い、溺れる。
ばたばたと執拗に足をバタつかせても、地上がそこに無い。息がもたない。
ごぽっと口から泡が吐き出された。
「おーい。生きてるか?」
「げほっ、ッう、」
伸ばされた長い腕が真司の体を引き上げた。
真司はその腕にぎゅっとしがみついたまま、暫く嗚咽を繰り返す。
泳げない、ということはつまり、水に浮けないということだ。急に足がつかなくなった真司にそこから体勢を立て直す術は無い。
文句の一つも言えない程、真司は恐怖に体を震わせていた。
「ば、か…っ、泳げないって、言ったのにっ…」
「や、オレがいるし」
「その、君がッ…酷いよっ!」
ぱっと顔を上げて青峰を睨み付ける。その頬に伝う水は、海水ではなかった。
青峰はその瞬間、何かぞくりとするものを感じていた。
びしょ濡れになったその姿と、滲む涙。それが、何故か高揚させてくる。
「…っ、な、泣くなよ」
「泣いてねーし!」
「悪かったって、その…そんなびびるから面白くて」
「さいってーだな君はっ!」
真司は髪をかきあげて眼鏡を外すと、青峰を置いて岸の方へ歩き出した。
ずかずかと青峰から離れたかったのに、現実はそうはいかず。
視界の悪さと足場の悪さから、なかなか前に進まない。
「真司」
「…何」
「今度は放さねーから…抱っこしてやるよ」
「…君は信用ならない」
「絶対、放したりしねーから…」
返事も待たずに、青峰の腕が真司の体に回された。
「泣かせて、ごめん」
「だから、泣いてない…」
肌と肌がぶつかれば、その体温に自然と安心して。真司は岸に着くまで青峰の首に腕を回してしがみ付いていた。
ぱしゃ、と砂浜に上がると、待ち構えていた黒子が大きくため息を吐いた。
「君は…最低ですね」
じっと青峰と真司を見ていたらしい彼は、軽蔑の目を青峰に向けている。
「…もう謝ったっつの」
「謝ったからいいという問題ではないでしょう。烏羽君に何かあったら」
「ホント、もっと言ってやってよテツ君」
二人からの攻撃に、さすがに青峰は反省した心を手放し始めた。
しゅんとしていた顔はムッとしたものに変わっている。
自業自得だ。真司はふいっと青峰から視線を逸らした。
「あのー…」
「?」
とんっと肩に乗った手。その感触に青峰が振り返ると、そこには水着の女性が三人立っていた。
「私達と遊びません?」
「そっち、男三人ですよね?私達も三人で」
真司は急な出来事に眼鏡をかけ直した。
それで視界に映るのは、勿論見知らぬ女性達。
その女性の指の先には、青峰と真司と黒子、ではなく。
「緑間、お前いつからそこに」
「…い、今来たところなのだよ」
女性に黒子が見えていなかった。丁度こちらに近付いてきていた緑間が巻き込まれたらしい。
三人、とは青峰と真司と緑間のことで。緑間はさっさと断れ、という視線を青峰に送っている。
が、その女性は、巨乳だった。
「…」
青峰の視線はじっと女性を見つめて、それから何故か真司に移る。
「な、なんだよ」
「…」
「おい、青峰君」
青峰は口を閉ざしたまま。
黒子も真司も緑間も、青峰が誘惑されているのだと確信していた。
何せ相当の巨乳好きだ。このおっぱい三組に目を付けられて断る理由等ないだろう。
「悪ィ、他にも連れいっから」
だからこそ、青峰のこの返答には目を丸くせざるを得なかった。
「行こうぜ、真司」
「え、あ…うん」
青峰の手が真司の肩に乗せられる。
女性の反論にも耳を貸さず、青峰はさも興味が無いかのように女性の前から立ち去っていた。
肩を掴む青峰の手が、ぐいっと真司の体を引き寄せる。
そんな青峰の行動が余りにも意外で。真司はじっと青峰を見つめて、暫く何も言葉が出なかった。
色黒の肌に水がつたう。バスケによって磨かれた肉体と、元より整っている顔。
横に並べば当然のように劣等感にかられる。しかし、真司はそんな青峰が好きだった。
「…青峰君、せっかくのおっぱいを見過ごすなんて」
女性が諦めていなくなってから、真司はようやく口を開いた。
黒子も緑間もうんうんと頷いている。
「お前ら、オレをなんだと思ってんだ」
「おっぱい星人?」
「巨乳好きですね」
「なのだよ」
「おい…」
顔をひきつらせながらも言い返せはしないらしい。
青峰は丁度横にあった真司の頭をがしっと掴んだ。
「ちょ、」
「オレも…ナンパされた瞬間はちっと嬉しかったんだけどよー…」
「放せ馬鹿…っ」
「駄目なんだよな、真司の女装見てから」
「え?」
「あれ以来、どんな女も真司に劣って見えんだよ」
頭に手が乗っている為に青峰の方を向けない。
しかし、青峰の言葉でその場の空気が変わったのは分かった。
多分、黒子も緑間も驚いているはずだ。
「何、それ」
「…あー。なんでもねぇ。忘れろ」
ぱっと頭から重みが無くなる。
顔を上げると、青峰は真司達に背中を向けて歩き出していた。
どこに行くでもなく、ただ真司から離れる為に。
「…何、今の」
「ボク、青峰君を追いますね」
「あ、」
たたっと黒子が青峰の後を追って。そこには緑間と真司が二人残されてしまった。
「烏羽」
「ん?」
緑間の落ち着いた声が、今は酷く落ち着く。
ぱっと緑間の方へ顔を向けると、緑間は複雑そうな顔をして真司を見下ろしていた。
海の匂いが、全身から香る。べたべたとした感触に、真司は自分の頬を拭った。
「手を、出すのだよ」
「手?」
「あぁ」
「…こう?」
突然の緑間の提案に困惑しながらも、真司は右手の手のひらを上にして差し出した。
その手に、緑間の手が重ねられて、何かが乗せられる。
重さはない、小さくて可愛らしいもの。
「…貝殻…?」
「ピンクの貝殻、今日のお前のラッキーアイテムなのだよ」
「へぇ…?」
「も、もともと、海に来たのもラッキーアイテムの収拾になると思ってだな」
「うん、ありがと」
照れ臭そうに顔を背ける緑間。こんな緑間の仕草が真司は好きだった。
言葉にはしないけれど、緑間からの好意を感じることが出来るから。
「…タオルは持っていないのか?」
「今手元には…赤司君が持ってるかなぁ」
「…そうか」
びしょ濡れの真司の髪に触れて、緑間は深く溜め息を吐いた。
最近、緑間が妙に赤司を気にする。それは真司も気付いていた。
「ねぇ、赤司君と何かあった?」
「な、何故そう思うのだよ」
「なんとなくだけど」
じっと緑間を見つめれば、返事はなくとも何かあったのだと分かってしまう。
「俺に、相談してもいーんだよ?」
くるっと緑間に背中を向けて、真司は砂を蹴った。
以前緑間には助けられたことがある。その恩を返したいというのは、いつだって思っていたことだ。
しかし緑間はいや、と小さく否定の言葉を返した。
「お前には関係のないことだ」
いつだって救われてばかりだから、返したいのに、緑間にはほとんど隙がない。
「そっか…そりゃ残念だよ」
悔しくて、真司はもう一度砂を蹴り上げた。その足に、何かがぶつかった。
「…?」
屈んでそれを摘み上げれば、きらきらと光を反射して透き通る石のようなもの。
「烏羽?どうかしたのか」
「あ、いや、足元に…」
ただのガラス片だろうということは分かっていた。
海で流され岩にぶつかりながらここに辿り着いたガラス片は、丸みを帯びて綺麗な石のようになる。
しかし、真司はその透き通る石を緑間の手に乗せた。
「これ、あげる」
「は?」
「もしかしたら、おは朝のアイテムとして役に立つ日が来るかも!」
小さいもの、でも透明なもの、でも光るもの、でもなんでもいい。
真司は、何か緑間に返したい一心だった。
「…、別に、嬉しくない、かな」
「いや、…有難く受け取ってやるのだよ」
「そっか!」
緑間の手には真司が拾った石、真司の手には緑間が拾った貝殻。なんだか可愛らしいことをしている気がする。
そんなことを思って、真司がふふっと笑うと、ぼっという音が聞こえる程に緑間の顔が赤く染まった。
「緑間君?」
「っ、」
ぐいっと真司が緑間に顔を近付ける。
縦の差があるせいで、どうしても一定以上近付くことは出来ないが、緑間は後ろに下がった。
「そういえば…前髪が…」
「え?」
「お前のその姿は…、あまりに、…」
「…は?」
「と、とにかく!今日はその貝殻を大事に持っておけ!」
緑間が優しさをこのようにしか表現出来ない人間だということは周知の事実。
真司はふっと笑ってピンクの貝殻を手の中に収めた。
「緑間君ってさー、俺のこと好きだよねぇ」
「…あぁ、好きだ」
「え?」
驚いて顔を上げると、赤く染まった緑間の顔。
今度はその赤さの意味が、緑間の言葉とマッチしていた。
「お前が…赤司にこだわるのは、お門違いだということなのだよ」
「それ、は、その」
どういう意味か、聞こうと口を開いた時には、緑間が真司に背を向けていた。
「お、オレも…失礼する」
「え、緑間君!」
さっさっと音を立てながら緑間が去って行く。
真司は思わず手を伸ばしたが、緑間には届かなかった。
「…あ、れ…?」
いつの間にか一人になっている。
それに気が付いて、真司はその場に立ち竦んで顔だけを動かした。
様子がおかしい青峰と緑間、青峰を追った黒子、女の子に囲まれた黄瀬、食べ物にしか興味がない紫原とその付き添い赤司。
皆で来たって一人一人が個性的過ぎればこうなってしまうのか。
「…俺は、一人は嫌だ」
一人でも大丈夫な皆とは違う。
濡れてしまった上着を脱いでぎゅっと絞ると、染み込んだ海水が帰るべき場所へ戻っていく。
じりじりと太陽が痛いのは、白い肌に突き刺さっているから。
誰も守ってくれないから。
「真司っち!」
「…え」
明るい声に、眩しい髪色。
振り返りそこにあった笑顔に、真司はほっと胸を撫で下ろしていた。
「黄瀬君」
「なんで一人なんスか?皆は」
「…さあ」
「もー、皆して何してんスか全く」
いや、君に言われたくはない。
思ったその言葉を真司は飲み込んだ。今となってはそんなこと、どうでも良かった。
「手、繋ぎたい」
「え?」
「黄瀬君放さないでくれるよね」
貝殻を左手の中に納め、上着を左腕に抱え、真司は右手を差し出した。
二人の間を暖かい風が吹き抜ける。
「なんで、そんな無防備でいられるんスか」
「え?」
黄瀬はじっと真司を見下ろしていた。
真司の手が風を掴んでも黄瀬の手は現れない。
「オレ、一回あんなことしたのに…真司っち、自覚ないの?」
「自覚…」
「オレが、あんたに惚れてるってこと」
「…!」
びくっと震えた真司の手が引っ込められる前に今度は黄瀬の手が追いかける。
ぎゅっと掴まれた手は、思っていた以上に熱くて、苦しくて。
「ここじゃ目立つっスね。あっち行こう」
「っ、あ、」
ぐいぐいと引かれて、波に打たれている岩影に入る。
急にそこが今までいた場所とは区切られているかのように、静かになった。
とくんとくんと心臓の音が鳴り響く。
どうしてこんなに緊張しているのだろう。今日はなんだか、皆おかしい。
「真司っちは、どうなんスか?」
「何が?」
「赤司っちに惚れてる?それとも青峰っち?それとも…」
「ちょ、ちょっと待った、俺は…」
惚れてる?誰が誰を。
真司は黄瀬の手を振り払うと、その手をもう片方の手で抱き込んだ。
二人きりになると、時々黄瀬が怖い。
「俺は、誰にも…惚れてなんかない」
「はあ!?」
「皆好きだから、誰が特別とかそんなの分かんない」
「それって逃げっスよ」
「…」
恋とか愛とか。黄瀬が前に恋人になろうと言ったときも、何もピンと来なかった。
そういう肩書きが必要な意味が真司には知れないから。
黄瀬が呆れたように首を左右に振った。
「真司っち、変っスよ」
「うん、わかってる…」
「悪いけど、オレは真司っちが欲しい。皆の真司っちじゃ嫌なんスよ」
「…ごめん」
真司の頭が少しずつ下がっていく。
黄瀬の言うことが正しい。おかしいのは真司の方。それが分かっているからといって、真司にはどうすることも出来なかった。
好きになってくれることが純粋に嬉しくて。その気持ちは全部受け入れたかった。
好きな皆なら尚更。
「…」
「黙っちゃうんスね。いっスよ別に。オレは諦めねーから」
「うん」
「じゃ、遠慮なくいくっスよ」
「うん、…え」
黄瀬の顔がぐっと距離を縮めてくる。
そのまま、二人の唇がぴったりと重なりあった。
「っ、ん…」
角度を変えて、何度も何度も。
その熱い口付けからは、確かに愛を感じられた。
・・・
海に映るのは、沈み始めた赤い夕日。
美しいその様に真司は思わず目を細めた。
いろんなことが起こった一日だったと振り返る。
一度は皆ばらばらになったけれど、お腹が空いた頃には集まり始めて。
皆で海の家に行って、それからまた海に向かって、黒子と砂浜で遊んで、紫原に城を壊されて喧嘩して。
楽しかった。けれど、考えることもたくさんあった。
「疲れたのか?」
「…ううん、ただ綺麗だなって」
「そうか」
真司の横に立った赤司はとても優しい笑みを見せた。
知っている。赤司がこの顔を、他の人の前ではしていないということ。
「赤司君、俺は赤司君が好き」
「ああ」
「でも、黄瀬君も緑間君も…紫原君も青峰君も、テツ君も、皆好き。それじゃ、駄目なのかな」
「いいんじゃないか。それで」
後ろを振り返ると、まだ元気の有り余っている青峰と黄瀬がビーチバレーのようなことをしている。ただ、ビーチバレーとは思えない、凶器とかしたボールが飛び交っているように見えるが。
それを呆れながらも観戦している緑間と黒子。
紫原はもう疲れて眠ってしまっている。
この中で一人選べと言われたら、真司はむしろ皆から離れるかもしれない。
それほど、皆が好きだった。
「真司、愛しているよ」
「…俺も」
愛している。好きよりも強い言葉。
胸が痛くて熱くて、これがその感情なのだと分かる。
そして今日、これを黄瀬にも緑間にも感じた。つまり、そういうことなのだろう。
「おい、真司!お前もこっち来いよ!」
「えー」
「黄瀬を潰すぞ!」
「やるやるー」
「えー!真司っちの裏切り者ぉ!」
たたっと青峰の元へと走り出す。
青峰がいて、それに噛み付く黄瀬がいて、その隣には優しく見守ってくれる黒子がいる。
そして、それを傍観する緑間に、お菓子を食べている紫原、全てを見守る赤司。
この皆がいれば、毎日が輝く。
ずっと、輝いた日々が続くものだと、この時はまだ信じていた。
バスケ部という新しい場所を見つけた真司にとって、それはあっという間で。
気付けば腕をまくり、下敷きで首元を流れる汗を冷やしている。
「ちょ、真司っち」
「何?」
「そんな胸元開けちゃダメっスよ!」
ぐいっと黄瀬の手が真司のワイシャツの胸元を掴む。
その暑苦しい手をぱしっと弾きながら、真司は横で平然としている黒子を横目で確認した。
涼しそうな髪色と相まって、涼しそうな顔をしている。
「…テツ君、暑くないの?」
「暑くないわけがないじゃないですか」
「あ、そうなんだ」
黒子のポーカーフェイスに驚かされるが、暑苦しい顔をされるよりはずっといい。
真司は少しだけ黒子の方に寄ると、風が黒子にも当たるように扇いだ。
「ありがとうございます、烏羽君」
「いえいえ」
「真司ーオレにも風くれ」
「青峰君は暑苦しいからヤダ」
「あ?んだよそれ」
こんな暑い日にも屋上に集まるという行為が間違っているのかもしれないが、落ち着いて食事がとれる場所は少ない。
それもこれも、黄瀬がすぐに女子に囲まれるからなのだが。
その黄瀬に視線を向けると何やら考えているようで、顎に手を当て眉間にシワを寄せている。
じっと見つめていると、黄瀬の口が小さく開いた。
「夏と言えば、で考えたんスけど」
黄瀬に三人の目が集中した。
一人は不思議そうに、かたや一人は面倒そうに、もう一人は興味すらなさそうだ。
「海!っスよね!」
きらきらと輝く瞳が三人に向けられる。
つまり黄瀬は海に行こうと言い出すつもりなのだろう。
「なんとも在り来りな線で来ましたね」
「絶対楽しいっスよ!」
「はぁ!?男だけで海行って、何が楽しいんだよ」
「水着美女にも会えるっスよ!!」
「よし行くか」
行くことが決定していたのかと疑う程に、突発的だった黄瀬の言葉に皆が同調していく。
そんな中、長い前髪で顔を覆った一人だけが沈黙を押し通していた。
「真司っち?真司っちも行きたいっスよねぇ、海!」
「え?いやその…」
「真司、どーした?」
もごもごと急に語彙力を失ったかのように、真司の言葉ははっきりしない。
黒子が身を屈めて覗き込むと、真司は頬を膨らませていた顔をふいっと背けた。
「烏羽君?どうかしたんですか?」
「いや、俺は、海ってのはどーかと思う」
「あ?なんでだよ」
「それはその………だから」
「?」
よく聞き取れない。
三人がぐっと真司との距離を縮めると、ぶつ切りの単語が少しずつ読み取れた。
水着やら泳ぎの後に否定の言葉が置かれる。
「水着、持ってないんスか?」
「…うん」
「カナヅチなのか?」
「……ん」
大体真司が何を言いたかったのか分かった彼等は、一斉にプッと吹き出した。
それで機嫌を悪くするのは、勿論真司だ。
「だ、だから言いたくなかったんだよ!悪かったな泳げなくて!」
「いやいやいや、悪くなんてないっスよ」
「ええ。でも、意外な弱点でしたね」
「俺は地に足ついてなきゃ駄目なんだよっ」
言わずと知れたことだが、真司は相当の負けず嫌いだ。
自分の苦手なことを曝す事は悔しさ以外の何物でもない。
「海なんて、絶対嫌だからな!」
機嫌を損ねてしまった真司は、先程よりも大げさに皆から顔を逸らした。
「真司っち…」
「ったく頬膨らませてガキかっつの」
「青峰君、余計なことは言わないでください」
さすがに三人はどうしたものかと顔を見合わせた。
皆で海、なんて今までなら望まなかっただろうが、今年は違う。
新しい仲間、可愛い友人の存在が海という場所を楽しみにさせているのだ。
黄瀬は一人ぐっと拳を作ると、真司の肩に手を置いた。
「…真司っち、泳ぐ必要なんてないっスよ」
「え?」
「海っスよ?楽しみ方なんて一杯あるんスから、ね」
「…そ、なの?」
ようやく真司の瞳が黄瀬を捕らえる。
「第一、オレも肌焼くわけにいかないし。一緒に違うことして遊ぼ!」
「黄瀬君…」
確かに黄瀬の言う通りだった。
黒子も横でこくこくと頷いている。かくいう黒子も別段泳ぎは得意としていない。
「あ、でも水着は欲しいっスねー」
「泳がないのに?」
「そ!こういうのは雰囲気ってのが大事なんスよ」
別に行くとはまだ言っていないのに、黄瀬は既にその気満々になっていた。
真司の水着はどんなものがいいか、なんて話もし始めて。どうやら真司の水着は黄瀬が選ぶつもりらしい。
「待ってよ、水着なんて買う金ないよ」
「まーま、その事はオレにどーんと任せて下さいっス」
「そ、んな」
どうしてそこまでするのか疑問を持たざるを得ない。しかし、黄瀬が気分良さそうにしているので、真司はそれ以上文句を口にすることを止めた。
それにしても不思議だ。
黄瀬の意見に青峰と黒子の二人までもが乗っているというのは。
何も言わずにじっと黒子を見つめていると、その視線に気付いた黒子と目が合った。
真司は何も言っていない。しかし、黒子は何か察したらしい。
「たまには皆で遊ぶというのも、楽しいのではないでしょうか」
「まー…それもそっか…」
黒子の正当な意見には反論する気にもなれない。
真司はとうとうほだされ、うんと頷いていた。
とはいえ。
「それは楽しみだな、紫原」
「え~、海とかめんどくない?」
「全く、そんな場所でうつつを抜かしている場合ではないのだよ」
部活を終えて着替えていた黄瀬はまさかの事態に呆然としていた。
いつの間にやら話が拡大している。
「ど、どーしてそれを」
「ん?黒子が教えてくれたぞ。皆で海に行く計画、だろう?」
「(黒子っちぃぃいい!)」
がくりと黄瀬が項垂れた。
黄瀬の目的はあくまで真司と海へ行くこと。そこにライバルとなる者がついてくるのは本末転倒というか。
決して悪気などなかった黒子は、そんな黄瀬の様子に瞬きを数回繰り返した。
「秘密だったんですか?」
「いや…いっスよ…大人数のが楽しいっスもんね」
「え、何?赤司君も海行きたいの?」
それまで話の外でそれを聞いていた真司は、ワイシャツのボタンを止めながら首を赤司の方へ向けた。
「ああ。そういう息抜きも悪くない」
「そっか。皆で行ったら楽しそうだね」
真司が嬉しそうに笑う。それに赤司も笑い返した。
未だ謎であるこの二人の関係。そしてそれを見る度に苦そうな顔をしている緑間も謎だった。
「はぁ」
まんまと踊らされた気がしてならない。
「なんだ、黄瀬。そんなにオレが嫌か?」
「め、滅相もございません」
「黄瀬ちんでも烏羽ちん独り占めは許さねーし」
「んなことするつもりないっス!」
そんなこんなで。
夏休みの予定“皆で海へ行こう”が決定事項となった。
青い空。青い海。
という聞いたことのあるフレーズがまさに似合う景色。
見上げると眩しい日差しが視界を眩ませて、真司は手で影を作った。
「良い天気になって良かったっスね!」
「そんなことよりも、皆の都合があったことが奇跡です」
「赤司、まじで良かったのか?」
「一日くらい構わないだろう」
青峰の言葉に、赤司はふっと笑った。
夏、大会をひかえているバスケ部には休みなどほとんどない。
赤司から許可が出る、それが既に奇跡を疑うレベルのことだった。
「さ、真司っち、一緒に海の方行こう」
「わ…」
「おい黄瀬、勝手に真司連れてくなっつの」
「え、ちょ」
黄瀬と青峰の二人に片手ずつ取られ、真司は困惑しながら二人を見上げた。
青峰は黒い体を晒し、反対に黄瀬は帽子にパーカーとモデルの体をしっかりと守っている。
真司はふと自分の体を見下ろした。
黄瀬に頂いた膝丈まである水着に、半袖の上着を羽織っている。その隙間から覗く肌は、見るからに不健康そうな白さと細さ。
「…」
「真司っち?」
「テツ君も、こっち来て」
「…何か失礼なことを考えていますね」
さくさくと歩く度に砂が音を立てる。
海、なんて随分と久しぶりだ。まだ父と母が生きていた頃、家族で遊びに来たことがあった。
懐かしい音と、懐かしい匂い。
「匂い…。紫原君、何食べてるの?」
微かに香った匂いに、真司は後ろを歩いていた紫原を振り返った。
その手には、こんがりと跡をつけたトウモロコシ。
「いつの間に…」
「烏羽ちんも食べる?」
「うん」
「こっちおいでー」
黄瀬と青峰の腕から逃れると、真司は紫原の手の中を覗き込んだ。
「はい、あーん」
「あ…、ん」
しょっぱさとトウモロコシの甘さが口に広がる。
自然と笑みがこぼれる真司を見て、紫原も嬉しそうに笑った。
「烏羽ちん、これから一緒に食べ歩きしない?」
「食べ歩き?そんなに食べるものがあるとは思えないけど」
「ここにあるもの制覇しよーよ」
紫原の指の先は、ちょんちょんと並ぶ海の家を指している。
かき氷やらソフトクリームなど夏らしいものから、焼きそば等の昼飯になりそうなものもあるようだ。
「それも楽しそーだね」
「でしょー?」
笑い合う二人の空気はふわふわとしていて、周りを寄せ付けない。
当然、真司と共に遊びたいと思っていた黄瀬はうぐぐと唸っていた。
「なんなんスか…この負けた感」
「さすがは紫原君ですね」
「油断なんねーっス」
じっと二人を眺めたまま、出ていくタイミングを失った黄瀬はもどかしそうにしている。
それを、青峰は何のためらいもなく前に出た。
「真司、食べんのは遊んでからにしよーぜ」
紫原とトウモロコシを貪っていた真司の腕を掴む。
真司は、これまた嬉しそうに笑い返した。
「ん…うん、そうだね」
「えー、烏羽ちん食べないのー?」
「遊んでお腹空いたらでいいや」
「そっかぁ…」
しゅんとした紫原に軽く手を振って、真司は青峰の背中を追う。
海は嫌だと反対していた癖に、真司は誰よりも楽しそうにしていた。
小さな背中が、いつもよりも元気に見えるのはそのせいだろう。
「烏羽ちん可愛いー」
背中をじっと見つめていた紫原が小さく呟いた。それに黒子もこくりと頷く。
「赤司君も、烏羽君には甘いですね」
「そうかもしれないな」
真司を見る目は、皆どことなく柔らかい。
だからこそ、彼等は皆が真司にどんな思いを抱いているのか分かってしまう。
「黄瀬君、ボク達も行きましょう」
「あ、はいっス」
複雑そうな顔をした黄瀬が、一瞬赤司を振り返る。
その時、意味ありげに赤司が笑ったのを黄瀬は見逃さなかった。
「…赤司っちって、何考えてんスかね」
後ろを赤司がついて来ていないことを確認して、黄瀬はぼそりと呟いた。
前方では、青峰と真司が浅瀬に足を踏み入れている。
「それをボクに言われても」
「なんか…怪しいっス」
「はぁ」
太陽の元晒されている細い足が海水を弄ぶ。
眩しい程の笑顔は前髪と眼鏡の下に隠されているけれど、それがどれ程美しいかなんて見ずともわかる。
その笑顔が、自分だけのものになればいいのに。
「…黄瀬涼太?」
はっとした時にはもう遅かった。
「やっぱり!黄瀬涼太だ!」
「嘘!キセリョ!?」
「やだ、私ファンなんだけど…っ」
いつの間にか女の子に囲まれている。
元より帽子ごときで隠せるとは思っていなかったが、思いの外早かった。
「黒子っちー…あれ?」
とにかく黒子は巻き込むまいと隣を確認すると、そこにいたはずの黒子の姿がなくなっている。
きょろきょろと見渡せば、女の子達の頭の向こうに見える水色の髪の毛。
さすがは黒子といったところか、まんまと巻き込まれる前に逃げていたようだ。
「あ…あー…今日はプライベートで来てるから、あんまり騒がないでくれますか」
黄瀬が口を開くだけで、黄色い声が飛び交う。
心の中では面倒だと思いながらも、黄瀬はファンを大事にする。それが黄瀬涼太という人間だった。
そして、そんな黄瀬に助け舟を出す人間などいない。
「うわー。黄瀬君囲まれてら」
「ったく、うっせぇな」
高い女性の声に、真司も青峰もそれに気付いたが、それを気にしたりはしない。もはや慣れっこだ。
黄瀬の方をちらりと見ただけで、すぐに足元の海に視線を戻す。
「なぁ、もっと奥まで行こうぜ」
「え!?」
急に腕を引かれ、真司は青峰の方へよろけた。
そのまま歩き続ける青峰に引かれ、どんどん海の奥の方へと連れて行かれる。
「ちょっと!この辺だけでいいって!」
「なーに言ってんだよ。全然まだ行けんだろ」
「へ、いきだけど…っ、」
足にかかる程度だった水面は、次第に膝を濡らし、水着をふわっと持ち上げる。
冷たさで、夏とはいえど体がぶるっと震えた。
「う、わわ…青峰君、ちょっと待って」
「あ?濡れてもいいだろ?」
「よ、良くない!俺、泳げないって…」
「泳ぐ深さじゃねーだろ」
深くなればなるほど、真司は後ろへ戻ろうと抵抗する。
そんな真司の様子に、青峰の悪戯心に火がついた。
「真司」
「な、に…」
にやっと笑う青峰に嫌な予感がした所で、それはもはや手遅れ。
手をぱっと放した青峰は、真司を乱暴に抱き上げた。
「わちょ!何!?」
「油断したな、真司」
「え?…っうわ…!」
真司の視界はぐるっと回って。次の瞬間、何も見えなくなっていた。
耳に聞こえる籠った音。つんとするのは鼻に水が入ったから。
浮いた足は行き場を失っていて、手を付く場所も見当たらない。
怖い、怖い、溺れる。
ばたばたと執拗に足をバタつかせても、地上がそこに無い。息がもたない。
ごぽっと口から泡が吐き出された。
「おーい。生きてるか?」
「げほっ、ッう、」
伸ばされた長い腕が真司の体を引き上げた。
真司はその腕にぎゅっとしがみついたまま、暫く嗚咽を繰り返す。
泳げない、ということはつまり、水に浮けないということだ。急に足がつかなくなった真司にそこから体勢を立て直す術は無い。
文句の一つも言えない程、真司は恐怖に体を震わせていた。
「ば、か…っ、泳げないって、言ったのにっ…」
「や、オレがいるし」
「その、君がッ…酷いよっ!」
ぱっと顔を上げて青峰を睨み付ける。その頬に伝う水は、海水ではなかった。
青峰はその瞬間、何かぞくりとするものを感じていた。
びしょ濡れになったその姿と、滲む涙。それが、何故か高揚させてくる。
「…っ、な、泣くなよ」
「泣いてねーし!」
「悪かったって、その…そんなびびるから面白くて」
「さいってーだな君はっ!」
真司は髪をかきあげて眼鏡を外すと、青峰を置いて岸の方へ歩き出した。
ずかずかと青峰から離れたかったのに、現実はそうはいかず。
視界の悪さと足場の悪さから、なかなか前に進まない。
「真司」
「…何」
「今度は放さねーから…抱っこしてやるよ」
「…君は信用ならない」
「絶対、放したりしねーから…」
返事も待たずに、青峰の腕が真司の体に回された。
「泣かせて、ごめん」
「だから、泣いてない…」
肌と肌がぶつかれば、その体温に自然と安心して。真司は岸に着くまで青峰の首に腕を回してしがみ付いていた。
ぱしゃ、と砂浜に上がると、待ち構えていた黒子が大きくため息を吐いた。
「君は…最低ですね」
じっと青峰と真司を見ていたらしい彼は、軽蔑の目を青峰に向けている。
「…もう謝ったっつの」
「謝ったからいいという問題ではないでしょう。烏羽君に何かあったら」
「ホント、もっと言ってやってよテツ君」
二人からの攻撃に、さすがに青峰は反省した心を手放し始めた。
しゅんとしていた顔はムッとしたものに変わっている。
自業自得だ。真司はふいっと青峰から視線を逸らした。
「あのー…」
「?」
とんっと肩に乗った手。その感触に青峰が振り返ると、そこには水着の女性が三人立っていた。
「私達と遊びません?」
「そっち、男三人ですよね?私達も三人で」
真司は急な出来事に眼鏡をかけ直した。
それで視界に映るのは、勿論見知らぬ女性達。
その女性の指の先には、青峰と真司と黒子、ではなく。
「緑間、お前いつからそこに」
「…い、今来たところなのだよ」
女性に黒子が見えていなかった。丁度こちらに近付いてきていた緑間が巻き込まれたらしい。
三人、とは青峰と真司と緑間のことで。緑間はさっさと断れ、という視線を青峰に送っている。
が、その女性は、巨乳だった。
「…」
青峰の視線はじっと女性を見つめて、それから何故か真司に移る。
「な、なんだよ」
「…」
「おい、青峰君」
青峰は口を閉ざしたまま。
黒子も真司も緑間も、青峰が誘惑されているのだと確信していた。
何せ相当の巨乳好きだ。このおっぱい三組に目を付けられて断る理由等ないだろう。
「悪ィ、他にも連れいっから」
だからこそ、青峰のこの返答には目を丸くせざるを得なかった。
「行こうぜ、真司」
「え、あ…うん」
青峰の手が真司の肩に乗せられる。
女性の反論にも耳を貸さず、青峰はさも興味が無いかのように女性の前から立ち去っていた。
肩を掴む青峰の手が、ぐいっと真司の体を引き寄せる。
そんな青峰の行動が余りにも意外で。真司はじっと青峰を見つめて、暫く何も言葉が出なかった。
色黒の肌に水がつたう。バスケによって磨かれた肉体と、元より整っている顔。
横に並べば当然のように劣等感にかられる。しかし、真司はそんな青峰が好きだった。
「…青峰君、せっかくのおっぱいを見過ごすなんて」
女性が諦めていなくなってから、真司はようやく口を開いた。
黒子も緑間もうんうんと頷いている。
「お前ら、オレをなんだと思ってんだ」
「おっぱい星人?」
「巨乳好きですね」
「なのだよ」
「おい…」
顔をひきつらせながらも言い返せはしないらしい。
青峰は丁度横にあった真司の頭をがしっと掴んだ。
「ちょ、」
「オレも…ナンパされた瞬間はちっと嬉しかったんだけどよー…」
「放せ馬鹿…っ」
「駄目なんだよな、真司の女装見てから」
「え?」
「あれ以来、どんな女も真司に劣って見えんだよ」
頭に手が乗っている為に青峰の方を向けない。
しかし、青峰の言葉でその場の空気が変わったのは分かった。
多分、黒子も緑間も驚いているはずだ。
「何、それ」
「…あー。なんでもねぇ。忘れろ」
ぱっと頭から重みが無くなる。
顔を上げると、青峰は真司達に背中を向けて歩き出していた。
どこに行くでもなく、ただ真司から離れる為に。
「…何、今の」
「ボク、青峰君を追いますね」
「あ、」
たたっと黒子が青峰の後を追って。そこには緑間と真司が二人残されてしまった。
「烏羽」
「ん?」
緑間の落ち着いた声が、今は酷く落ち着く。
ぱっと緑間の方へ顔を向けると、緑間は複雑そうな顔をして真司を見下ろしていた。
海の匂いが、全身から香る。べたべたとした感触に、真司は自分の頬を拭った。
「手を、出すのだよ」
「手?」
「あぁ」
「…こう?」
突然の緑間の提案に困惑しながらも、真司は右手の手のひらを上にして差し出した。
その手に、緑間の手が重ねられて、何かが乗せられる。
重さはない、小さくて可愛らしいもの。
「…貝殻…?」
「ピンクの貝殻、今日のお前のラッキーアイテムなのだよ」
「へぇ…?」
「も、もともと、海に来たのもラッキーアイテムの収拾になると思ってだな」
「うん、ありがと」
照れ臭そうに顔を背ける緑間。こんな緑間の仕草が真司は好きだった。
言葉にはしないけれど、緑間からの好意を感じることが出来るから。
「…タオルは持っていないのか?」
「今手元には…赤司君が持ってるかなぁ」
「…そうか」
びしょ濡れの真司の髪に触れて、緑間は深く溜め息を吐いた。
最近、緑間が妙に赤司を気にする。それは真司も気付いていた。
「ねぇ、赤司君と何かあった?」
「な、何故そう思うのだよ」
「なんとなくだけど」
じっと緑間を見つめれば、返事はなくとも何かあったのだと分かってしまう。
「俺に、相談してもいーんだよ?」
くるっと緑間に背中を向けて、真司は砂を蹴った。
以前緑間には助けられたことがある。その恩を返したいというのは、いつだって思っていたことだ。
しかし緑間はいや、と小さく否定の言葉を返した。
「お前には関係のないことだ」
いつだって救われてばかりだから、返したいのに、緑間にはほとんど隙がない。
「そっか…そりゃ残念だよ」
悔しくて、真司はもう一度砂を蹴り上げた。その足に、何かがぶつかった。
「…?」
屈んでそれを摘み上げれば、きらきらと光を反射して透き通る石のようなもの。
「烏羽?どうかしたのか」
「あ、いや、足元に…」
ただのガラス片だろうということは分かっていた。
海で流され岩にぶつかりながらここに辿り着いたガラス片は、丸みを帯びて綺麗な石のようになる。
しかし、真司はその透き通る石を緑間の手に乗せた。
「これ、あげる」
「は?」
「もしかしたら、おは朝のアイテムとして役に立つ日が来るかも!」
小さいもの、でも透明なもの、でも光るもの、でもなんでもいい。
真司は、何か緑間に返したい一心だった。
「…、別に、嬉しくない、かな」
「いや、…有難く受け取ってやるのだよ」
「そっか!」
緑間の手には真司が拾った石、真司の手には緑間が拾った貝殻。なんだか可愛らしいことをしている気がする。
そんなことを思って、真司がふふっと笑うと、ぼっという音が聞こえる程に緑間の顔が赤く染まった。
「緑間君?」
「っ、」
ぐいっと真司が緑間に顔を近付ける。
縦の差があるせいで、どうしても一定以上近付くことは出来ないが、緑間は後ろに下がった。
「そういえば…前髪が…」
「え?」
「お前のその姿は…、あまりに、…」
「…は?」
「と、とにかく!今日はその貝殻を大事に持っておけ!」
緑間が優しさをこのようにしか表現出来ない人間だということは周知の事実。
真司はふっと笑ってピンクの貝殻を手の中に収めた。
「緑間君ってさー、俺のこと好きだよねぇ」
「…あぁ、好きだ」
「え?」
驚いて顔を上げると、赤く染まった緑間の顔。
今度はその赤さの意味が、緑間の言葉とマッチしていた。
「お前が…赤司にこだわるのは、お門違いだということなのだよ」
「それ、は、その」
どういう意味か、聞こうと口を開いた時には、緑間が真司に背を向けていた。
「お、オレも…失礼する」
「え、緑間君!」
さっさっと音を立てながら緑間が去って行く。
真司は思わず手を伸ばしたが、緑間には届かなかった。
「…あ、れ…?」
いつの間にか一人になっている。
それに気が付いて、真司はその場に立ち竦んで顔だけを動かした。
様子がおかしい青峰と緑間、青峰を追った黒子、女の子に囲まれた黄瀬、食べ物にしか興味がない紫原とその付き添い赤司。
皆で来たって一人一人が個性的過ぎればこうなってしまうのか。
「…俺は、一人は嫌だ」
一人でも大丈夫な皆とは違う。
濡れてしまった上着を脱いでぎゅっと絞ると、染み込んだ海水が帰るべき場所へ戻っていく。
じりじりと太陽が痛いのは、白い肌に突き刺さっているから。
誰も守ってくれないから。
「真司っち!」
「…え」
明るい声に、眩しい髪色。
振り返りそこにあった笑顔に、真司はほっと胸を撫で下ろしていた。
「黄瀬君」
「なんで一人なんスか?皆は」
「…さあ」
「もー、皆して何してんスか全く」
いや、君に言われたくはない。
思ったその言葉を真司は飲み込んだ。今となってはそんなこと、どうでも良かった。
「手、繋ぎたい」
「え?」
「黄瀬君放さないでくれるよね」
貝殻を左手の中に納め、上着を左腕に抱え、真司は右手を差し出した。
二人の間を暖かい風が吹き抜ける。
「なんで、そんな無防備でいられるんスか」
「え?」
黄瀬はじっと真司を見下ろしていた。
真司の手が風を掴んでも黄瀬の手は現れない。
「オレ、一回あんなことしたのに…真司っち、自覚ないの?」
「自覚…」
「オレが、あんたに惚れてるってこと」
「…!」
びくっと震えた真司の手が引っ込められる前に今度は黄瀬の手が追いかける。
ぎゅっと掴まれた手は、思っていた以上に熱くて、苦しくて。
「ここじゃ目立つっスね。あっち行こう」
「っ、あ、」
ぐいぐいと引かれて、波に打たれている岩影に入る。
急にそこが今までいた場所とは区切られているかのように、静かになった。
とくんとくんと心臓の音が鳴り響く。
どうしてこんなに緊張しているのだろう。今日はなんだか、皆おかしい。
「真司っちは、どうなんスか?」
「何が?」
「赤司っちに惚れてる?それとも青峰っち?それとも…」
「ちょ、ちょっと待った、俺は…」
惚れてる?誰が誰を。
真司は黄瀬の手を振り払うと、その手をもう片方の手で抱き込んだ。
二人きりになると、時々黄瀬が怖い。
「俺は、誰にも…惚れてなんかない」
「はあ!?」
「皆好きだから、誰が特別とかそんなの分かんない」
「それって逃げっスよ」
「…」
恋とか愛とか。黄瀬が前に恋人になろうと言ったときも、何もピンと来なかった。
そういう肩書きが必要な意味が真司には知れないから。
黄瀬が呆れたように首を左右に振った。
「真司っち、変っスよ」
「うん、わかってる…」
「悪いけど、オレは真司っちが欲しい。皆の真司っちじゃ嫌なんスよ」
「…ごめん」
真司の頭が少しずつ下がっていく。
黄瀬の言うことが正しい。おかしいのは真司の方。それが分かっているからといって、真司にはどうすることも出来なかった。
好きになってくれることが純粋に嬉しくて。その気持ちは全部受け入れたかった。
好きな皆なら尚更。
「…」
「黙っちゃうんスね。いっスよ別に。オレは諦めねーから」
「うん」
「じゃ、遠慮なくいくっスよ」
「うん、…え」
黄瀬の顔がぐっと距離を縮めてくる。
そのまま、二人の唇がぴったりと重なりあった。
「っ、ん…」
角度を変えて、何度も何度も。
その熱い口付けからは、確かに愛を感じられた。
・・・
海に映るのは、沈み始めた赤い夕日。
美しいその様に真司は思わず目を細めた。
いろんなことが起こった一日だったと振り返る。
一度は皆ばらばらになったけれど、お腹が空いた頃には集まり始めて。
皆で海の家に行って、それからまた海に向かって、黒子と砂浜で遊んで、紫原に城を壊されて喧嘩して。
楽しかった。けれど、考えることもたくさんあった。
「疲れたのか?」
「…ううん、ただ綺麗だなって」
「そうか」
真司の横に立った赤司はとても優しい笑みを見せた。
知っている。赤司がこの顔を、他の人の前ではしていないということ。
「赤司君、俺は赤司君が好き」
「ああ」
「でも、黄瀬君も緑間君も…紫原君も青峰君も、テツ君も、皆好き。それじゃ、駄目なのかな」
「いいんじゃないか。それで」
後ろを振り返ると、まだ元気の有り余っている青峰と黄瀬がビーチバレーのようなことをしている。ただ、ビーチバレーとは思えない、凶器とかしたボールが飛び交っているように見えるが。
それを呆れながらも観戦している緑間と黒子。
紫原はもう疲れて眠ってしまっている。
この中で一人選べと言われたら、真司はむしろ皆から離れるかもしれない。
それほど、皆が好きだった。
「真司、愛しているよ」
「…俺も」
愛している。好きよりも強い言葉。
胸が痛くて熱くて、これがその感情なのだと分かる。
そして今日、これを黄瀬にも緑間にも感じた。つまり、そういうことなのだろう。
「おい、真司!お前もこっち来いよ!」
「えー」
「黄瀬を潰すぞ!」
「やるやるー」
「えー!真司っちの裏切り者ぉ!」
たたっと青峰の元へと走り出す。
青峰がいて、それに噛み付く黄瀬がいて、その隣には優しく見守ってくれる黒子がいる。
そして、それを傍観する緑間に、お菓子を食べている紫原、全てを見守る赤司。
この皆がいれば、毎日が輝く。
ずっと、輝いた日々が続くものだと、この時はまだ信じていた。