ナツ夢(2012.02~2016.05)
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大魔闘演武。
予選を勝ち抜いた八つのギルドがポイントを稼ぎ優勝を目指す、魔導士ギルド最大のイベントである。
一日に行われるのは毎日内容の変わる競技と、発表された者同士が戦うバトル。
一日目は元々期待値も高かったセイバートゥースが一位。
一方期待されていなかったフェアリーテイルは、ある意味期待通りにBチーム、Aチームと最下位に並んでいる。
そしてむかえた大魔闘演武二日目。
ロアはナツが眠っているベッドに寄り添ってため息を吐いた。
「…ったく、運の悪い奴」
そう呟いたロアの脳裏には、未だ先程の競技のことが残っている。
ドラゴンスレイヤー同士何か目配せがあったのか、競技パートではナツとガジルとセイバートゥースのスティングが名乗り出た。
そしてその競技内容は、「連結された戦車の上から落ちずにゴール」というもの。
「ナツ、大丈夫そう?」
「ま、大丈夫だろ。特に怪我してるとかじゃねーし、いつもの乗り物酔いだって」
「そっか…それなら良かった」
ナツを運んできてくれたルーシィに、ロアは笑いながら返す。
ナツは苦しそうに唸っているが、まあ過去にもよく見た姿だ。
一瞬安心したように顔を緩ませたルーシィは、すぐさまポーリュシカに目を向けて眉を寄せた。
「あの、ポーリュシカさん。ウェンディの様子はどうですか…?」
「もうほとんど治ってるよ」
「…そうですか!」
シャルルはもう調子良さそうに起き上っているし、医務室に世話になるのも後少しだろう。
今度こそルーシィは息を吐いて、意味も無くぽんっと自分の腰を叩いた。
「それじゃあ私戻るから、あと宜しくね!」
「おー。そっちも頑張れよ」
ゆっくりする間もなく会場に戻るルーシィに、少し申し訳なさを感じながら手を振る。
今日は念の為と朝からウェンディの傍についていたせいで、まだ何も成果はないのだ。
何か動き出したいものだが、やはり苦しそうなナツを目の前に傍にいたい思いもあって。
「…アンタは…ここに誰かが運ばれる度にそんな顔する気かい?」
うーんと顎に手を当てて考えていると、ポーリュシカが突然そう呟いた。
それが自分に向けられた言葉だと気付かず、ぽかんとしたまま顔を上げる。
「大魔闘演武、魔導士同士の闘いで怪我人が出るのは当たり前だ。今の所まだマシな方だよ」
「え…あ、」
「ゼレフがどうこう以前の問題…アンタ、魔導士に向いてないね」
普段ほとんど口を利こうとしないポーリュシカの声に、ロアは聞き入っていた。
その口ぶりはやはり少しキツイものだが、どこか優しさも感じる。
「あ…ありがとうございます…?」
「別に褒めちゃいないよ。とにかく部屋が辛気臭くなる。出て行きな」
「…はい、すみませんでした」
ばっさりと切り捨てられてしまったが、ロアを思ってくれていることには違いない。
年長者の言葉に、ロアは素直に立ち上がった。
「じゃあ…ウェンディと、ナツのことお願いします」
「言われなくてもそのつもりだよ」
悔しいものだが、苦しそうなナツの為にロアが出来る事はない。
木造の軽い扉を開いて外に出て、ロアはすーっと深く息を吸い込んでいた。
薬の匂いがする医務室にいたせいか、この街の花の香りが酷く心地よい。
「確かに…俺が暗い顔してちゃ駄目だよな…」
ぱんぱんと頬を叩いて、商店の方へと歩き出す。
街の方に伝わる石橋の方に抜けると、街が広く見渡せる。そういえばこの道を真っ直ぐ行くと城の方にも行けるのか。
気分転換ついでに何か情報を集めよう。
「ひ、…」
そう思っていたロアの耳に、小さな悲鳴が入り込んだ。
ぱっと顔を上げると、横を通り過ぎた男のうちの一人が口を手のひらで覆っている。
「……俺が、何か?」
「い、いえ!」
そそくさと通り過ぎようとした男に声をかければ、何か焦ったような声を上げて足早に立ち去ろうとする。
ここは真っ直ぐ医務室に繋がる道だ。フェアリーテイル以外の者が用あって来る場所には思えないが。
「……」
何か、妙だ。
街中を歩くには怪しい程に顔まで隠れた服装。
三人揃って同じ格好と言うことはどこぞのギルドの人間か。だとしたら尚更ここに用などないはず。
ロアは光の力を集中させて、ゆっくりとその後を付けて歩き出した。
・・・
2日目バトルパート。
レイヴンテイルの男と戦い勝利したエルフマンは、体中傷を負って医務室に運ばれていた。
それを囲むのはフェアリーテイルAチームの面々と、雷神衆の3人だ。
「さ…次の試合がもう始まってる、さっさと行きな」
「…ばっちゃん、気を付けてな」
その手当も済み、ポーリュシカが彼等を追い出す。
しかしナツが心配そうにポーリュシカを振り返ったのは、先程の事件の事がまだ引っかかっていたからだ。
「それにしても…レイヴンテイルの奴等、やり方汚ぇな」
医務室を出るなりそう呟いたグレイも、同じことを考えていた。
先程の事件…医務室にいたウェンディとポーリュシカ、そしてシャルルが攫われかけたというもの。
実行犯は山賊ギルドだったが、彼等が言ったのだ。「レイヴンテイルに頼まれた」のだと。
「それなんだけど…少し引っかかることがあるのよ」
ドムス・フラウを目指して歩き出す彼等の後ろ、シャルルが足を止めた。
その言葉に、全員が目を丸くして振り返る。
「レイヴンテイルには魔力を一瞬で0にさせる能力を持つ者がいるのに、どうしてその魔道士を使わず捕獲を試みたのかしら」
ウェンディもシャルルも、ポーリュシカも、皆既に回復している。
間違いなく、初めにウェンディを襲った者と実行犯が異なっているのだ。
それを聞いて、ナツもそういえばと口を開いた。
「奴等…“依頼は医務室にいた少女”って言ったんだ」
「いた…って過去形?」
去り際にそう言った山賊ギルドの連中。
依頼主はレイヴンテイルだとしても、その対象はかなり曖昧だったように思える。
「ウェンディはずっと医務室にいる…とすると、本当の対象は…」
「ナツを医務室に連れてきた、ルーシィか…?」
グレイとエルザとが真剣な顔つきで推測する。
そこに、もう一つの足音がとんっと近付いた。
「さすが、その読みで正解だよ」
「ロア!!」
いつからそこにいたのか、突然彼等の前に現れたロアは、少し疲れた様子で頬の汗を拭っている。
だだっと近付いたナツはそのロアの様子を不思議に思いながら、大きな瞳で覗き込んだ。
「そういやお前、どこ行ってたんだ?ばーちゃんがロアは直前に出てってたから巻き込まれてないって…」
「まあそうなんだけど…実は奴等のこと付けてたんだ、俺」
「え!?」
「ナツがすげぇ勢いで追い掛けて来た時は驚いた」
笑って言うロアに集まる視線が少し緊張している。
待ちきれず口を開いたのは、失敗したとはいえ狙われたルーシィだった。
「それで…どうして私が狙われるの!?」
早口でそうロアに問いかけたルーシィに、ロアは一度目を開いて口を噤む。
答え辛い、というよりは、説明がし辛い。
「ルーシィが狙われたってのは…何か、星霊魔道士に秘密があるらしい」
「秘密?」
「それはさっぱり…。何かの計画に必要らしい、としか」
続けて「悪い」と頭を下げたロアに、いやいやと全員が首を横に振る。
それが分かっただけでも十分だ。
エルザは数歩全員より前に出て、くるっと振り返った。
「いずれにせよ、私達を場外でも狙うつもりなら…警戒を怠ることなく、一人にならないようにしよう」
芯のある声で告げられ、皆顔つきを変えて強く頷く。
実際のところそれ以外に事が起こる前に出来ることはないだろう。
「ロア、よくやってくれた」
そして続けられた声に、ロアは目を丸くして、今度は首を横に振った。
「いや…結局はっきり言えなくて、」
「謙遜することはない。ナツも気が付かなかったのだろう?さすがだロア」
「あ、ありがと…」
エルザに真っ直ぐ褒められ、恥ずかしそうに頭を下げて頬をかく。
ようやく自分らしい動きが出来たようだ、それは素直に嬉しい。
けれど、ロアは皆が先に歩き出しても俯いたまま固まっていた。
・・・
・・
少し前の事だ。
山賊ギルドの連中は、ナツによって倒され、そのまま王国の騎士に引き渡された。
「後はこちらに任せて」と告げられ、ナツや攫われかけたウェンディ、シャルル、ポーリュシカは素直に引き返す。
皆、大した怪我もなく良かった。そう思いながら、ロアはその場を動かなかった。
その時はただ、更にレイヴンテイルの狙いを聞くことが出来るのではないかと、その機会を待ちたかったからだ。
しかし、山賊ギルドの連中が牢へと押しやられた後、騎士団長へと報告に行った騎士の言葉にロアは耳を疑った。
「作戦は失敗です」
「バカモノ。そもそも対象を間違えるとは…外見の特徴は伝えなかったのか?」
広い部屋、反響する声にロアは息を呑んだ。
まさか、山賊ギルドを雇ったのが王国騎士だったなんて。
「まあよい、計画をプランBに移行するだけのこと…バレてはいまいな」
「は!依頼主はレイヴンテイルということに」
騎士の足音に重ねるようにして入り込んだ部屋。本来なら一般の魔導士など入る事の出来ない城の中だ。
ロアは両手で口を覆って、乱れそうになる息を抑え込んだ。
姿は見えていないはずだ、絶対に静かにしていれば気付かれない。
「フェアリーテイルとレイヴンテイルの確執はこのように使わねば。その隙に我々は星霊魔道士を手に入れる」
大きな体の男、騎士団長の言葉は全て信じられないものだった。
ああ、やはりフェアリーテイルとレイヴンテイルは意図的にぶつけられていたのか。
「エクリプス計画の為に……」
呼吸も胸も何もかもが苦しくなって、ほんの一歩足を下げる。
その踵が、壁にとんとぶつかった。
「…誰かいるのか?」
騎士がぱっとこちらを振り返る。
ロアは全身を固くして、ただ事が静かになるのを待って耐えることしか出来なかった。
大魔闘演武、二日目の夜。
現在の1位はレイヴンテイル。そして続くのはセイバートゥースだ。
フェアリーテイルはAチームもBチームもバトルでは勝利したものの、さすがに1日目の失態を覆す程には至らず、相変わらず下に二つ名前を並べている。
「…やっぱり優勝はきつそうだな…」
なんて、言えるのは参加していないからだろうか。
街のモニターに映し出される今日までの結果から目を逸らし、ロアは頭をかいて歩き出した。
もうジェラールへの報告も済ませた。
結局今日も気配を感じなかったというのは互いに同じ、新たな情報は得られなかったのだが。
そのままいつもの宿に向かって足を進める。
上手くいけばまた参加者の誰かに会えるかもしれない。
「と…あれ、ナツ?」
そう考えていたロアの眼前、宿からナツが飛び出した。
何か慌てたような様子で、ロアとは反対方向に走り出そうとしている。
「おい!ナツ!?」
「んあ?おお!ロア、いいところに!」
呼びかけに振り返ったナツは、嬉しそうに笑ってこちらに体を向けた。
「実は今セイバートゥースの奴が来てたんだけど…いい奴だったんだ!」
「はあ…?」
「だから追い掛ける!」
「え、ちょ、ちょっと待てよ!」
ぐっと拳を作って嬉しそうに走り出すナツに、ロアも思わずその後を追う。
ぱたぱたと隣を飛ぶハッピーはロアを見てニシシと笑った。
「今日のバトルに出てた可愛い女の子だよ!」
「…ああ、あの負けた女の子」
「ふふ、気になるでしょ」
「はあ?別に?」
女の子に嫉妬なんて今更しないっつの。
と少し強めに構えてハッピーの額にデコピンを向ける。
前方を行くナツは、既に大きく手を挙げて、それをぶんぶんと左右に振っていた。
お目当ての相手はもうそこにいるらしい。
「おーい!待ってくれー!!」
「ナツ様…それに、ハッピー様と…ロア様」
「さ、様…?」
少女の妙な落ち着きぶりに、ロアは目を丸くして足を止めた。
肩に付かないくらいの短い髪は真っ白で、少しリサーナと似ている可愛らしい人だ。
「悪ィ悪ィ、お前悪い奴じゃなかったんだな!」
「ナツってばセイバートゥースってだけで悪者だって決めつけちゃってさ」
「だからこうして謝りに来たんだろーが」
ナツとハッピーとが少女に話しかける。
今日のバトルパートに参加していたセイバートゥースのユキノ・アグリア。
二つの星霊の鍵を手にしていた、ルーシィと同じ星霊魔道士だ。
「…わざわざ、その為だけに私を追って…?」
「お前ずいぶん暗い顔してっからさ、オレ…気分悪くさせちまったかなって」
「いいえ…すみません」
ナツの言う通り、ユキナはしゅんと眉を下げ俯いていた。
小さく首を横に振って、けれど何か言いたそうに目をこちらに向ける。
「…何か言いたいことあるなら言っときな。こいつ馬鹿だから、全部受け止めてくれるよ」
「ひっでぇな、ロア」
「ホントのことだろ?」
和ませるつもりでロアが少し軽い口調で言うと、ユキノはロアの期待通りにクスッと肩で小さく笑った。
それからゆっくりと顔を上げ、その儚げな視線をナツへと向ける。
「私…今日の試合で負けてしまって…。もう…帰れないんです…」
「え…」
「大勢の前で裸にされて…自らの手で紋章を消さねばならなくて…」
想像以上に壮絶なことを言って、ユキノは自分の体を抱き締めるようにして小さくなった。
咄嗟に慰めの言葉も出て来ず、ロアは恐る恐るとナツへ目を向ける。
「自尊心も思い出も、全部壊されちゃって…それなのに、私には帰る場所がなくて…っ」
ナツも言葉を失った様子で、小さく口を開いたまま固まっていた。
ギルドのメンバーに白い目で見られるのは、尋常じゃなく辛いものだ。
ロアはそれが分かるからこそ胸が詰まるようで、苦しくて、言葉が出なくて。
「…悪ィけど、他のギルドの事情は分からねぇ」
そんなロアの横、ナツが一歩前に出た。
「けど、同じ魔道士としてならわかるぞ。辱められて紋章消されて、悔しいよな」
「ナツ様…」
「仲間を泣かせるギルドなんて、そんなのギルドじゃねえ!」
自分のことかのように怒るナツに、今度はユキノまでも目を丸くしている。
そう、ナツはこういう奴だ。
けれど、これで明らかになった。セイバートゥースはやはり酷いギルドだ。
湧き上がる怒り、それはナツを行動させるには十分だった。
「ロア!そいつ頼む!」
「…は?え、ナツまさか…!」
「オレの気が済まねぇ!!」
「オイラも行くよ!」
ロアの口が静止の言葉を紡ぐ間もなく、ナツはロアの肩をぽんと叩き、そのまま走り出していた。
茫然としている間にもナツの背中は遠くなっていく。
「あ…、おい、大会中にいいのかよ馬鹿…」
「すみません、私のせいで…」
「い、いや、アンタのせいじゃ…」
ユキノと二人残され、何だか急に気まずい空気になってしまった。
ロアは居た堪れない様子で俯いたままのユキノに、少し戸惑い辺りを見渡す。
すぐ後ろには見慣れた宿。
「…そういや、どうしてここに?もしかしてフェアリーテイルに何か…」
「あ、いえ、もう用は済みました。実は…ルーシィ様に私の鍵を託そうと思い…、断られてしまいましたが」
星霊魔道士の、星霊を呼び出すための鍵。
ロアははっと先日の事件を思い出して、ユキノの腕を掴んだ。
「なあ、アンタ、フェアリーテイルに来ないか!?」
「え…」
「帰る場所がないってなら尚更。星霊魔道士が、その、王国騎士の策略でさらわれかけたんだ」
「エクリプス計画」それが何かは知らないが、星霊魔道士が巻き込まれる可能性は大きい。
しかし、ユキノは驚いた様子もなく口を開いた。
「……ロア様、ご存じなのですか…?」
「え?」
ユキナはただ少しだけ目を丸くしてロアを見つめ返している。
それに対し、ロアの方が驚き一瞬言葉を失った。
「…いえ、お気遣い有難うございます。けれど、私は自分にしか出来ない役目を果たすつもりです」
「…役目…?それって、」
「噂でゼレフと関わっているだとか聞いていましたが、優しい方だったのですね。ロア様も、お気をつけて」
ロアの言葉を待つことなく、小さく頭を下げる。
彼女は恐らく王国騎士の策略を知っている。知っていて、力を貸すつもりなのだろう。
危険だ、そう思ってもロアは彼女を止めることは出来なかった。
その瞳に、強い意志が宿っていたから。
・・・
大魔闘演武、三日目。
この日は珍しく、ロアは観客席で大会の様子を眺めていた。
本日の競技パートは既にエルザの圧勝で終えている。
バトルパートに入った頃からだ、微かではあるが、ゼレフと似た魔力の気配が会場のどこかから感じられていた。
「…」
それが気になって、視線は現在行われているバトルではなく観客席を泳ぐ。
すると、隣にいたリサーナがつんとロアの腕を突いた。
「ロア?さっきから上の空だけどどうかした?」
現在フィールドではウェンディとラミアスケイルの少女が戦っている。
その可愛らしくも激しい戦いに多くの人が目を奪われているところだ、ロアの姿が異様に映ったのだろう。
「あ、いや。大丈夫、ちょっと気になる事があって」
「もう、ちゃんと見てあげてよ」
「そりゃあそうしたいけど…残念ながらすぐ席外すことになるかも…」
ふーん?と不思議そうに声を漏らして、再び視線をフィールドへ戻す。
そのリサーナにつられて、ロアも一度フィールドへ目を向けた。
ロアと同じように会場を警戒しているジェラールは、今ウェンディと戦っている少女を怪しんでいるらしい。
もしもそうならウェンディが危険にさらされかねないが、ロアは眉間にシワを寄せ、首をひねった。
「…」
はっきりとはしないが、少女ではない気がする。
どこか別に気配の正体がある、ような。
「…あ!」
「わ、びっくりしたあ。ロア?」
「ごめん、ちょっと行ってくる!」
「え?」
会場から、微かな気配が遠ざかる。
慌てて辺りを見渡せば、ジェラールもそれに気が付いたようで、人混みをかき分け始めていた。
そしてその後ろには、評議員の者と思しき姿。
「ってあれ、怪しまれてんじゃ…!」
すぐさまロアも会場の出口を目指して、人をかき分ける。
会場を出て、少し長い通路を通り抜けて、それから広場に抜けて。
「おい!ミストガン!」
咄嗟に声をかければ、振り返ったジェラールが安心したように目を細めたのが分かった。
その正面には評議員と思われる男。
ジェラールの深く被っていたフードが取られ、顔を見られている。かなりマズイ状況だ。
「…光のロアか」
「あー、えっと。ミストガンが何かしましたか…って、アンタどっかで見た顔だな」
評議員に知り合いなんていないはずだが、その男には何か見覚えがあった。
短髪黒髪、真面目そうな風貌だが、顔には大きな傷跡があり、目つきが悪い。
「…メスト、といえば分かるか」
「メスト…?って、もしかして天狼島の時の…」
「グランバルトだ」
ロアは「ああ!」と思わず手を打っていた。
天狼島で行われたS級魔導士昇格試験。そこに紛れ込んでいた評議員の男だ。
結局悪い奴ではなく、話が分かる奴だと分かっている手前、ロアはほっと息を吐いた。
「光のロア、君は分かっているはずだ。そいつはジェラール…君達もこいつの被害に」
「いや、コイツは間違いなくミストガンだよ」
ロアの迷いのない返答に、グランバルトが怪訝そうに目を細める。
それに気付いていながら、ロアはすぐに続けた。
「何て言えばいいかな…エドラスっていうここと似たもう一つの世界があって、そこには同じ顔した人間が存在してんだ」
「…彼が、その世界の者だと?」
「そ。ミストガンは、ジェラールと同じ顔をしてる。俺に似た女だってエドラスにはいたんだぜ?」
グランバルトの顔は、明らかにロアの言葉を疑っている。
それでも、今は認めてもらうしかない。
「…信じられないかもしれないけど、俺が証人ってことで、分かってもらえないかな…」
ジェラールより前に出て、正面からグランバルトを見つめる。
きっと、ここにいるのがナツだったら、エルザだったら違っただろう。
今のロアは、評議員にとっても嫌悪される存在のはずだから。
「…分かった。今は見逃そう」
「って、それ信じてねぇだろ。ホントだからな?」
「…」
じっとロアを見つめ返す瞳は、ロアを見ているのか、それとも内側の魔力か。
ロアはその視線から逃れるように、ジェラールの腕を掴んだ。
「…行こう、ミストガン」
「ああ…すまない」
まだ何か言いたそうに口を開いていたグランバルトの横を通り過ぎる。
追いつかれないように普段よりも速足で、大きな通りを抜けて、人の少ない路地へと入る。
そこでようやく足を止めると、ロアは振り返ってジェラールの顔を見上げた。
「危なかったな?」
「…助かった、礼を言う」
「いいって。それより…アンタも感じたんだろ、魔力」
「ああ…確かに姿を捕らえたんだが…。すまない、見失ってしまった」
今までどこにいたのか、今どこにいるのか、既に気配は感じられない。
意味もなくロアは一度辺りを見渡して、きゅっと唇を噛んだ。
ゼレフそのものではない気配。けれど、ゼレフに似た強い魔力の気配だということは確かだった。
「やっぱり気になるから…俺、もう少し向こう、気配を追い掛けてみる」
「無茶はするなよ」
「分かってる。アンタこそ」
そんな感情を隠すように、ロアはニッと笑ってジェラールの横を通り過ぎた。
ゼレフに似た気配。それがこんなに恐ろしいものだなんて。
ゼレフは信用している、好意すら抱いている。それなのに、ゼレフの手を離れた魔力は、やはり大きく禍々しい。
「…まだ、感じる」
ほんの微かであるが、その気配の方向を見る。
ロアはごくりと唾を飲み、その気配の方、細い道に足を進めた。
少し行くと、フードを被った怪しげな背中が視界に映る。
「お前、ちょっと待て…!」
曲がり角で見えなくなった背中を、慌てて走って追いかけ道を抜ける。
その男は、待ち構えていたかのように、そこに立っていた。
先程まで多くの人でにぎわっていた華の街。
それが路地に入ればこうも違うものか、とロアは吐き出した息を震わせた。
体のラインの見えない、フードつきのマントを被った人影がすぐ近くにある。
背筋がぞくっとしたのは、明らかにゼレフの気配が近いからだ。
「お前、何者だ…?」
ロアの声に、その人影の顔がこちらを向く。
逃げる気はないらしい。それどころか、じゃりと音を立てて近付いてきた。
「セイバートゥースのローグ…と言えば分かるか?」
「は?え、あのドラゴンスレイヤーの?全然雰囲気違うじゃ…」
セイバートゥースのドラゴンスレイヤー。まともに話したのは大魔闘演武開始前の少しだけだ。
それでも明らかに異なる雰囲気から、とうていその“ローグ”であるとは思えないのに、解かれたフードの下にあった顔には見覚えがあった。
「…どういうことだ?」
「7年後、ここより先の…未来から来た」
「…え」
真面目な顔で、そんなことを言う男の言葉に、ロアはぽかんと口を開けた。
「ちょ、ちょっと待てよ、未来ってそんなこと有り得んのか?っていうか何で…」
今度は戸惑いと尽きない疑問で早口にそう問う。
そんなロアに、男は飽きれたように眉を寄せた。
「この大魔闘演武の最終日…1万を超えるドラゴンの群れがここを襲う」
「…は…?」
「オレが未来から来たのは…そのドラゴンを従える為だ」
未来から来た、それだけでも現実味がないのに。
更に重ねられた発言に、やはりロアは何も言い返す事が出来なくなった。
あまりにも、突飛な話だ。
「オレがいた7年後の世界では…アクノロギアによって支配されている」
「っアクノロギア…!」
「アクノロギアを倒せるのは、竜だけだ。もう、方法はこれしかない」
その黒い瞳には、何か思い出しているのか力強い意志が垣間見える。
それでもまだ、信じる事は出来なかった。
アクノロギアが支配する世界、それはもしかしたら事実なのかもしれない。だとしてもだ。
「この世界に一万のドラゴンが来る?そんなの、どうやって信じろってんだ」
ただロアを、フェアリーテイルを混乱させる為の虚言とも考えられる。
未来人だと言うこと自体嘘かもしれない。
しかし、ロアはもう一つ視界に映った影に、今度こそ信じざるを得なくなった。
「後は俺が話す」
少し長い黒髪が顔にかかっている男。
やけに聞き覚えのある声にロアは思わず目を凝らして、そして目を疑った。
「ま、まさか…お前…」
見覚えがある、ではない。
鏡の前に立っているかのような、不思議な感覚。
「ロア・コーランド。俺はお前だよ」
恐らく、その顔つきも表情も、雰囲気も何もかも違う。
全く別人のような姿なのに、その男は紛れもなくロアだった。
「お、お前も、7年後から来たってのかよ…」
「そうだよ。そいつと目的は違うけどな」
この世界に現れるドラゴンの支配、それが一人の目的として。
ロアは目の前にいる自分をじっと見つめた。
自分と同じ顔をした男が、何を考えているのか分からない。
「じゃあなんで…」
「…」
襲ってくるドラゴンから守る為、というわけではないのだろう。
その虚ろな瞳からそれだけは想像出来る。
そんなロアの予想を裏付けるかのように、男は吐き捨てるように言った。
「…まだ、この頃の俺は何も分かっていないんだろうな」
「な、何だよ、そんなに…状況は深刻なのか…?」
「深刻なんてもんじゃない」
ぐいと近付いてきた男の腕がロアの腕をきつく掴む。
その勢いのまま力強く壁に背をうち、ロアは小さく途切れた息を吐いた。
「っ、」
「お前は何も出来ない。何も出来ないまま…全部終わるんだよ」
「…そ、んな、分かってるなら…何か、防ぐ方法は…」
ぎりぎりと食い込む爪に、ロアは顔をしかめた。
痛い。けれど、目の前の自分の方が痛そうな顔をしているのは何故だろう。
「防ぐ必要なんてない。どうせ、…」
掠れた声が、何か言い掛けて口を閉ざす。
そのまま何も言わずに背を向けた男は、それでも何か言いたそうで。
「ま、待てよ…!俺はどうしたらいいんだ!?」
咄嗟に手を伸ばしてその背中に触れようとする。
しかしそれは呆気なく片手で弾かれ、ロアはただ茫然と彼等が遠ざかるのを見ていることしか出来なかった。
「…っ、」
立ち尽くすロアの頭には、整理されていない未来のことばかり。
信じる根拠はない。けれど彼等の表情は、嘘を言っているように見えなかった。
「…1万を超えるドラゴン…?有り得るのか、そんなことが…」
有り得ない。そんなことがあるはずはない。
そう思いたいのに、事実目の前には有り得ない未来の自分が立って話していた。
自分だと思いたくない、真っ黒な目と髪で、同じ顔の男。
「…まさか…7年後にはもう…皆…」
いや、7年後どころか、この大魔闘演武の最終日には。
恐ろしい想像に、思わず自分の腕で体を抱き込む。そんなはずない、と本当に言えるのだろうか。
「ここにいたか、ロア!」
突然飛び込んできた声に、ロアははっと顔を上げた。
ジェラールが心配そうに眉を寄せてそこに立っている。
「この辺りからゼレフに似た気配を感じたが…まさか、何かされたか!?」
「…俺に、会った」
「…何?」
きっと、こんなこと言ったって誰も信じないだろう。
ロア自身も、まだ何も信じられていないのだから。
「…いや、ごめん、逃した」
「それは構わないが…」
「平気。心配かけて、ごめん」
静かに首を横に振るジェラールの腕から離れて、先に路地を抜ける。
信じない、信じられない、そう思うのに、ロアはぎゅっと握りしめた拳を開くことが出来なかった。
・・・
この日、フェアリーテイルは良い成績で終えた。
そのおかげもあって、いつものバーに集まった面々は楽しそうに今日の話で盛り上がっていた。
何でもレイヴンテイルの罠も、ラクサス一人で破ったらしい。もうレイヴンテイルのことは心配する必要ないそうだ。
「…」
尚更、ロアは一人隅の席に腰掛け溜め息を吐いた。
自分は何も出来ていない。それなのに、ラクサスはあっさりと一つの問題を解決させてみせた。
「くそ…」
悔しい、のか。それとも焦っているのか。
ロアは額に手を当てて、俯いたまま首を横に振った。
駄目だ、こんな調子じゃまた心配かけてしまう。
「ロア!」
突然椅子がカタンと後ろに傾き、ロアは驚きテーブルに手を付いた。
「あ、危ないな…」
「これから私達、プールに行くんだけど、ロアも一緒に行くわよね?」
「…え?プール…?」
ロアの座っている椅子に手を乗せて、身を乗り出したルーシィが横からロアを覗き込む。
今日の結果もあって浮かれているのか、ずいぶんと楽しそうだ。
「皆行くって。今日は競技もバトルもいい感じだったし!」
「皆…」
「あ、勿論ナツも行くってよ?」
ルーシィがそのまま引っ張っていく勢いでロアの手を掴む。
誘ってくれたのは嬉しい。そう感じてはいるのに、ロアは数回首を横に振って、ルーシィの手を弾いた。
「ロア?」
「あ…ごめん、いや、俺は、いいや」
「ええ!なんで!?ナツも行くのに?」
がたがたっと大げさに後ろに下がったルーシィに、少し遠くで騒いでいたナツが顔を上げた。
それから驚いた様子でだだだっと近付いてくる。
「ロア、疲れてんのか?顔色良くねーぞ」
「あー…そう、みたい。今日はもう休むつもり」
ロアの顔を心配そうに見下ろすナツに、何故かきゅっと胸が痛んだ。
無茶している、ナツに心配をかけている。そして、嘘を吐いている。
それを自覚しているからだ。
「ロア、オレ、一緒にいっぞ?」
「え?何言ってんだよ、心配し過ぎだって」
「…」
ナツは怪訝そうに眉間にしわを寄せながらも、「そっか」と小さく零した。
きっと納得などしていないだろうナツがルーシィを連れて歩き出す。
これでいい。まだ何とか出来る。まだ自分で確認しなきゃいけないことがある。
ロアはテーブルに額をつけて、視界を閉ざした。
予選を勝ち抜いた八つのギルドがポイントを稼ぎ優勝を目指す、魔導士ギルド最大のイベントである。
一日に行われるのは毎日内容の変わる競技と、発表された者同士が戦うバトル。
一日目は元々期待値も高かったセイバートゥースが一位。
一方期待されていなかったフェアリーテイルは、ある意味期待通りにBチーム、Aチームと最下位に並んでいる。
そしてむかえた大魔闘演武二日目。
ロアはナツが眠っているベッドに寄り添ってため息を吐いた。
「…ったく、運の悪い奴」
そう呟いたロアの脳裏には、未だ先程の競技のことが残っている。
ドラゴンスレイヤー同士何か目配せがあったのか、競技パートではナツとガジルとセイバートゥースのスティングが名乗り出た。
そしてその競技内容は、「連結された戦車の上から落ちずにゴール」というもの。
「ナツ、大丈夫そう?」
「ま、大丈夫だろ。特に怪我してるとかじゃねーし、いつもの乗り物酔いだって」
「そっか…それなら良かった」
ナツを運んできてくれたルーシィに、ロアは笑いながら返す。
ナツは苦しそうに唸っているが、まあ過去にもよく見た姿だ。
一瞬安心したように顔を緩ませたルーシィは、すぐさまポーリュシカに目を向けて眉を寄せた。
「あの、ポーリュシカさん。ウェンディの様子はどうですか…?」
「もうほとんど治ってるよ」
「…そうですか!」
シャルルはもう調子良さそうに起き上っているし、医務室に世話になるのも後少しだろう。
今度こそルーシィは息を吐いて、意味も無くぽんっと自分の腰を叩いた。
「それじゃあ私戻るから、あと宜しくね!」
「おー。そっちも頑張れよ」
ゆっくりする間もなく会場に戻るルーシィに、少し申し訳なさを感じながら手を振る。
今日は念の為と朝からウェンディの傍についていたせいで、まだ何も成果はないのだ。
何か動き出したいものだが、やはり苦しそうなナツを目の前に傍にいたい思いもあって。
「…アンタは…ここに誰かが運ばれる度にそんな顔する気かい?」
うーんと顎に手を当てて考えていると、ポーリュシカが突然そう呟いた。
それが自分に向けられた言葉だと気付かず、ぽかんとしたまま顔を上げる。
「大魔闘演武、魔導士同士の闘いで怪我人が出るのは当たり前だ。今の所まだマシな方だよ」
「え…あ、」
「ゼレフがどうこう以前の問題…アンタ、魔導士に向いてないね」
普段ほとんど口を利こうとしないポーリュシカの声に、ロアは聞き入っていた。
その口ぶりはやはり少しキツイものだが、どこか優しさも感じる。
「あ…ありがとうございます…?」
「別に褒めちゃいないよ。とにかく部屋が辛気臭くなる。出て行きな」
「…はい、すみませんでした」
ばっさりと切り捨てられてしまったが、ロアを思ってくれていることには違いない。
年長者の言葉に、ロアは素直に立ち上がった。
「じゃあ…ウェンディと、ナツのことお願いします」
「言われなくてもそのつもりだよ」
悔しいものだが、苦しそうなナツの為にロアが出来る事はない。
木造の軽い扉を開いて外に出て、ロアはすーっと深く息を吸い込んでいた。
薬の匂いがする医務室にいたせいか、この街の花の香りが酷く心地よい。
「確かに…俺が暗い顔してちゃ駄目だよな…」
ぱんぱんと頬を叩いて、商店の方へと歩き出す。
街の方に伝わる石橋の方に抜けると、街が広く見渡せる。そういえばこの道を真っ直ぐ行くと城の方にも行けるのか。
気分転換ついでに何か情報を集めよう。
「ひ、…」
そう思っていたロアの耳に、小さな悲鳴が入り込んだ。
ぱっと顔を上げると、横を通り過ぎた男のうちの一人が口を手のひらで覆っている。
「……俺が、何か?」
「い、いえ!」
そそくさと通り過ぎようとした男に声をかければ、何か焦ったような声を上げて足早に立ち去ろうとする。
ここは真っ直ぐ医務室に繋がる道だ。フェアリーテイル以外の者が用あって来る場所には思えないが。
「……」
何か、妙だ。
街中を歩くには怪しい程に顔まで隠れた服装。
三人揃って同じ格好と言うことはどこぞのギルドの人間か。だとしたら尚更ここに用などないはず。
ロアは光の力を集中させて、ゆっくりとその後を付けて歩き出した。
・・・
2日目バトルパート。
レイヴンテイルの男と戦い勝利したエルフマンは、体中傷を負って医務室に運ばれていた。
それを囲むのはフェアリーテイルAチームの面々と、雷神衆の3人だ。
「さ…次の試合がもう始まってる、さっさと行きな」
「…ばっちゃん、気を付けてな」
その手当も済み、ポーリュシカが彼等を追い出す。
しかしナツが心配そうにポーリュシカを振り返ったのは、先程の事件の事がまだ引っかかっていたからだ。
「それにしても…レイヴンテイルの奴等、やり方汚ぇな」
医務室を出るなりそう呟いたグレイも、同じことを考えていた。
先程の事件…医務室にいたウェンディとポーリュシカ、そしてシャルルが攫われかけたというもの。
実行犯は山賊ギルドだったが、彼等が言ったのだ。「レイヴンテイルに頼まれた」のだと。
「それなんだけど…少し引っかかることがあるのよ」
ドムス・フラウを目指して歩き出す彼等の後ろ、シャルルが足を止めた。
その言葉に、全員が目を丸くして振り返る。
「レイヴンテイルには魔力を一瞬で0にさせる能力を持つ者がいるのに、どうしてその魔道士を使わず捕獲を試みたのかしら」
ウェンディもシャルルも、ポーリュシカも、皆既に回復している。
間違いなく、初めにウェンディを襲った者と実行犯が異なっているのだ。
それを聞いて、ナツもそういえばと口を開いた。
「奴等…“依頼は医務室にいた少女”って言ったんだ」
「いた…って過去形?」
去り際にそう言った山賊ギルドの連中。
依頼主はレイヴンテイルだとしても、その対象はかなり曖昧だったように思える。
「ウェンディはずっと医務室にいる…とすると、本当の対象は…」
「ナツを医務室に連れてきた、ルーシィか…?」
グレイとエルザとが真剣な顔つきで推測する。
そこに、もう一つの足音がとんっと近付いた。
「さすが、その読みで正解だよ」
「ロア!!」
いつからそこにいたのか、突然彼等の前に現れたロアは、少し疲れた様子で頬の汗を拭っている。
だだっと近付いたナツはそのロアの様子を不思議に思いながら、大きな瞳で覗き込んだ。
「そういやお前、どこ行ってたんだ?ばーちゃんがロアは直前に出てってたから巻き込まれてないって…」
「まあそうなんだけど…実は奴等のこと付けてたんだ、俺」
「え!?」
「ナツがすげぇ勢いで追い掛けて来た時は驚いた」
笑って言うロアに集まる視線が少し緊張している。
待ちきれず口を開いたのは、失敗したとはいえ狙われたルーシィだった。
「それで…どうして私が狙われるの!?」
早口でそうロアに問いかけたルーシィに、ロアは一度目を開いて口を噤む。
答え辛い、というよりは、説明がし辛い。
「ルーシィが狙われたってのは…何か、星霊魔道士に秘密があるらしい」
「秘密?」
「それはさっぱり…。何かの計画に必要らしい、としか」
続けて「悪い」と頭を下げたロアに、いやいやと全員が首を横に振る。
それが分かっただけでも十分だ。
エルザは数歩全員より前に出て、くるっと振り返った。
「いずれにせよ、私達を場外でも狙うつもりなら…警戒を怠ることなく、一人にならないようにしよう」
芯のある声で告げられ、皆顔つきを変えて強く頷く。
実際のところそれ以外に事が起こる前に出来ることはないだろう。
「ロア、よくやってくれた」
そして続けられた声に、ロアは目を丸くして、今度は首を横に振った。
「いや…結局はっきり言えなくて、」
「謙遜することはない。ナツも気が付かなかったのだろう?さすがだロア」
「あ、ありがと…」
エルザに真っ直ぐ褒められ、恥ずかしそうに頭を下げて頬をかく。
ようやく自分らしい動きが出来たようだ、それは素直に嬉しい。
けれど、ロアは皆が先に歩き出しても俯いたまま固まっていた。
・・・
・・
少し前の事だ。
山賊ギルドの連中は、ナツによって倒され、そのまま王国の騎士に引き渡された。
「後はこちらに任せて」と告げられ、ナツや攫われかけたウェンディ、シャルル、ポーリュシカは素直に引き返す。
皆、大した怪我もなく良かった。そう思いながら、ロアはその場を動かなかった。
その時はただ、更にレイヴンテイルの狙いを聞くことが出来るのではないかと、その機会を待ちたかったからだ。
しかし、山賊ギルドの連中が牢へと押しやられた後、騎士団長へと報告に行った騎士の言葉にロアは耳を疑った。
「作戦は失敗です」
「バカモノ。そもそも対象を間違えるとは…外見の特徴は伝えなかったのか?」
広い部屋、反響する声にロアは息を呑んだ。
まさか、山賊ギルドを雇ったのが王国騎士だったなんて。
「まあよい、計画をプランBに移行するだけのこと…バレてはいまいな」
「は!依頼主はレイヴンテイルということに」
騎士の足音に重ねるようにして入り込んだ部屋。本来なら一般の魔導士など入る事の出来ない城の中だ。
ロアは両手で口を覆って、乱れそうになる息を抑え込んだ。
姿は見えていないはずだ、絶対に静かにしていれば気付かれない。
「フェアリーテイルとレイヴンテイルの確執はこのように使わねば。その隙に我々は星霊魔道士を手に入れる」
大きな体の男、騎士団長の言葉は全て信じられないものだった。
ああ、やはりフェアリーテイルとレイヴンテイルは意図的にぶつけられていたのか。
「エクリプス計画の為に……」
呼吸も胸も何もかもが苦しくなって、ほんの一歩足を下げる。
その踵が、壁にとんとぶつかった。
「…誰かいるのか?」
騎士がぱっとこちらを振り返る。
ロアは全身を固くして、ただ事が静かになるのを待って耐えることしか出来なかった。
大魔闘演武、二日目の夜。
現在の1位はレイヴンテイル。そして続くのはセイバートゥースだ。
フェアリーテイルはAチームもBチームもバトルでは勝利したものの、さすがに1日目の失態を覆す程には至らず、相変わらず下に二つ名前を並べている。
「…やっぱり優勝はきつそうだな…」
なんて、言えるのは参加していないからだろうか。
街のモニターに映し出される今日までの結果から目を逸らし、ロアは頭をかいて歩き出した。
もうジェラールへの報告も済ませた。
結局今日も気配を感じなかったというのは互いに同じ、新たな情報は得られなかったのだが。
そのままいつもの宿に向かって足を進める。
上手くいけばまた参加者の誰かに会えるかもしれない。
「と…あれ、ナツ?」
そう考えていたロアの眼前、宿からナツが飛び出した。
何か慌てたような様子で、ロアとは反対方向に走り出そうとしている。
「おい!ナツ!?」
「んあ?おお!ロア、いいところに!」
呼びかけに振り返ったナツは、嬉しそうに笑ってこちらに体を向けた。
「実は今セイバートゥースの奴が来てたんだけど…いい奴だったんだ!」
「はあ…?」
「だから追い掛ける!」
「え、ちょ、ちょっと待てよ!」
ぐっと拳を作って嬉しそうに走り出すナツに、ロアも思わずその後を追う。
ぱたぱたと隣を飛ぶハッピーはロアを見てニシシと笑った。
「今日のバトルに出てた可愛い女の子だよ!」
「…ああ、あの負けた女の子」
「ふふ、気になるでしょ」
「はあ?別に?」
女の子に嫉妬なんて今更しないっつの。
と少し強めに構えてハッピーの額にデコピンを向ける。
前方を行くナツは、既に大きく手を挙げて、それをぶんぶんと左右に振っていた。
お目当ての相手はもうそこにいるらしい。
「おーい!待ってくれー!!」
「ナツ様…それに、ハッピー様と…ロア様」
「さ、様…?」
少女の妙な落ち着きぶりに、ロアは目を丸くして足を止めた。
肩に付かないくらいの短い髪は真っ白で、少しリサーナと似ている可愛らしい人だ。
「悪ィ悪ィ、お前悪い奴じゃなかったんだな!」
「ナツってばセイバートゥースってだけで悪者だって決めつけちゃってさ」
「だからこうして謝りに来たんだろーが」
ナツとハッピーとが少女に話しかける。
今日のバトルパートに参加していたセイバートゥースのユキノ・アグリア。
二つの星霊の鍵を手にしていた、ルーシィと同じ星霊魔道士だ。
「…わざわざ、その為だけに私を追って…?」
「お前ずいぶん暗い顔してっからさ、オレ…気分悪くさせちまったかなって」
「いいえ…すみません」
ナツの言う通り、ユキナはしゅんと眉を下げ俯いていた。
小さく首を横に振って、けれど何か言いたそうに目をこちらに向ける。
「…何か言いたいことあるなら言っときな。こいつ馬鹿だから、全部受け止めてくれるよ」
「ひっでぇな、ロア」
「ホントのことだろ?」
和ませるつもりでロアが少し軽い口調で言うと、ユキノはロアの期待通りにクスッと肩で小さく笑った。
それからゆっくりと顔を上げ、その儚げな視線をナツへと向ける。
「私…今日の試合で負けてしまって…。もう…帰れないんです…」
「え…」
「大勢の前で裸にされて…自らの手で紋章を消さねばならなくて…」
想像以上に壮絶なことを言って、ユキノは自分の体を抱き締めるようにして小さくなった。
咄嗟に慰めの言葉も出て来ず、ロアは恐る恐るとナツへ目を向ける。
「自尊心も思い出も、全部壊されちゃって…それなのに、私には帰る場所がなくて…っ」
ナツも言葉を失った様子で、小さく口を開いたまま固まっていた。
ギルドのメンバーに白い目で見られるのは、尋常じゃなく辛いものだ。
ロアはそれが分かるからこそ胸が詰まるようで、苦しくて、言葉が出なくて。
「…悪ィけど、他のギルドの事情は分からねぇ」
そんなロアの横、ナツが一歩前に出た。
「けど、同じ魔道士としてならわかるぞ。辱められて紋章消されて、悔しいよな」
「ナツ様…」
「仲間を泣かせるギルドなんて、そんなのギルドじゃねえ!」
自分のことかのように怒るナツに、今度はユキノまでも目を丸くしている。
そう、ナツはこういう奴だ。
けれど、これで明らかになった。セイバートゥースはやはり酷いギルドだ。
湧き上がる怒り、それはナツを行動させるには十分だった。
「ロア!そいつ頼む!」
「…は?え、ナツまさか…!」
「オレの気が済まねぇ!!」
「オイラも行くよ!」
ロアの口が静止の言葉を紡ぐ間もなく、ナツはロアの肩をぽんと叩き、そのまま走り出していた。
茫然としている間にもナツの背中は遠くなっていく。
「あ…、おい、大会中にいいのかよ馬鹿…」
「すみません、私のせいで…」
「い、いや、アンタのせいじゃ…」
ユキノと二人残され、何だか急に気まずい空気になってしまった。
ロアは居た堪れない様子で俯いたままのユキノに、少し戸惑い辺りを見渡す。
すぐ後ろには見慣れた宿。
「…そういや、どうしてここに?もしかしてフェアリーテイルに何か…」
「あ、いえ、もう用は済みました。実は…ルーシィ様に私の鍵を託そうと思い…、断られてしまいましたが」
星霊魔道士の、星霊を呼び出すための鍵。
ロアははっと先日の事件を思い出して、ユキノの腕を掴んだ。
「なあ、アンタ、フェアリーテイルに来ないか!?」
「え…」
「帰る場所がないってなら尚更。星霊魔道士が、その、王国騎士の策略でさらわれかけたんだ」
「エクリプス計画」それが何かは知らないが、星霊魔道士が巻き込まれる可能性は大きい。
しかし、ユキノは驚いた様子もなく口を開いた。
「……ロア様、ご存じなのですか…?」
「え?」
ユキナはただ少しだけ目を丸くしてロアを見つめ返している。
それに対し、ロアの方が驚き一瞬言葉を失った。
「…いえ、お気遣い有難うございます。けれど、私は自分にしか出来ない役目を果たすつもりです」
「…役目…?それって、」
「噂でゼレフと関わっているだとか聞いていましたが、優しい方だったのですね。ロア様も、お気をつけて」
ロアの言葉を待つことなく、小さく頭を下げる。
彼女は恐らく王国騎士の策略を知っている。知っていて、力を貸すつもりなのだろう。
危険だ、そう思ってもロアは彼女を止めることは出来なかった。
その瞳に、強い意志が宿っていたから。
・・・
大魔闘演武、三日目。
この日は珍しく、ロアは観客席で大会の様子を眺めていた。
本日の競技パートは既にエルザの圧勝で終えている。
バトルパートに入った頃からだ、微かではあるが、ゼレフと似た魔力の気配が会場のどこかから感じられていた。
「…」
それが気になって、視線は現在行われているバトルではなく観客席を泳ぐ。
すると、隣にいたリサーナがつんとロアの腕を突いた。
「ロア?さっきから上の空だけどどうかした?」
現在フィールドではウェンディとラミアスケイルの少女が戦っている。
その可愛らしくも激しい戦いに多くの人が目を奪われているところだ、ロアの姿が異様に映ったのだろう。
「あ、いや。大丈夫、ちょっと気になる事があって」
「もう、ちゃんと見てあげてよ」
「そりゃあそうしたいけど…残念ながらすぐ席外すことになるかも…」
ふーん?と不思議そうに声を漏らして、再び視線をフィールドへ戻す。
そのリサーナにつられて、ロアも一度フィールドへ目を向けた。
ロアと同じように会場を警戒しているジェラールは、今ウェンディと戦っている少女を怪しんでいるらしい。
もしもそうならウェンディが危険にさらされかねないが、ロアは眉間にシワを寄せ、首をひねった。
「…」
はっきりとはしないが、少女ではない気がする。
どこか別に気配の正体がある、ような。
「…あ!」
「わ、びっくりしたあ。ロア?」
「ごめん、ちょっと行ってくる!」
「え?」
会場から、微かな気配が遠ざかる。
慌てて辺りを見渡せば、ジェラールもそれに気が付いたようで、人混みをかき分け始めていた。
そしてその後ろには、評議員の者と思しき姿。
「ってあれ、怪しまれてんじゃ…!」
すぐさまロアも会場の出口を目指して、人をかき分ける。
会場を出て、少し長い通路を通り抜けて、それから広場に抜けて。
「おい!ミストガン!」
咄嗟に声をかければ、振り返ったジェラールが安心したように目を細めたのが分かった。
その正面には評議員と思われる男。
ジェラールの深く被っていたフードが取られ、顔を見られている。かなりマズイ状況だ。
「…光のロアか」
「あー、えっと。ミストガンが何かしましたか…って、アンタどっかで見た顔だな」
評議員に知り合いなんていないはずだが、その男には何か見覚えがあった。
短髪黒髪、真面目そうな風貌だが、顔には大きな傷跡があり、目つきが悪い。
「…メスト、といえば分かるか」
「メスト…?って、もしかして天狼島の時の…」
「グランバルトだ」
ロアは「ああ!」と思わず手を打っていた。
天狼島で行われたS級魔導士昇格試験。そこに紛れ込んでいた評議員の男だ。
結局悪い奴ではなく、話が分かる奴だと分かっている手前、ロアはほっと息を吐いた。
「光のロア、君は分かっているはずだ。そいつはジェラール…君達もこいつの被害に」
「いや、コイツは間違いなくミストガンだよ」
ロアの迷いのない返答に、グランバルトが怪訝そうに目を細める。
それに気付いていながら、ロアはすぐに続けた。
「何て言えばいいかな…エドラスっていうここと似たもう一つの世界があって、そこには同じ顔した人間が存在してんだ」
「…彼が、その世界の者だと?」
「そ。ミストガンは、ジェラールと同じ顔をしてる。俺に似た女だってエドラスにはいたんだぜ?」
グランバルトの顔は、明らかにロアの言葉を疑っている。
それでも、今は認めてもらうしかない。
「…信じられないかもしれないけど、俺が証人ってことで、分かってもらえないかな…」
ジェラールより前に出て、正面からグランバルトを見つめる。
きっと、ここにいるのがナツだったら、エルザだったら違っただろう。
今のロアは、評議員にとっても嫌悪される存在のはずだから。
「…分かった。今は見逃そう」
「って、それ信じてねぇだろ。ホントだからな?」
「…」
じっとロアを見つめ返す瞳は、ロアを見ているのか、それとも内側の魔力か。
ロアはその視線から逃れるように、ジェラールの腕を掴んだ。
「…行こう、ミストガン」
「ああ…すまない」
まだ何か言いたそうに口を開いていたグランバルトの横を通り過ぎる。
追いつかれないように普段よりも速足で、大きな通りを抜けて、人の少ない路地へと入る。
そこでようやく足を止めると、ロアは振り返ってジェラールの顔を見上げた。
「危なかったな?」
「…助かった、礼を言う」
「いいって。それより…アンタも感じたんだろ、魔力」
「ああ…確かに姿を捕らえたんだが…。すまない、見失ってしまった」
今までどこにいたのか、今どこにいるのか、既に気配は感じられない。
意味もなくロアは一度辺りを見渡して、きゅっと唇を噛んだ。
ゼレフそのものではない気配。けれど、ゼレフに似た強い魔力の気配だということは確かだった。
「やっぱり気になるから…俺、もう少し向こう、気配を追い掛けてみる」
「無茶はするなよ」
「分かってる。アンタこそ」
そんな感情を隠すように、ロアはニッと笑ってジェラールの横を通り過ぎた。
ゼレフに似た気配。それがこんなに恐ろしいものだなんて。
ゼレフは信用している、好意すら抱いている。それなのに、ゼレフの手を離れた魔力は、やはり大きく禍々しい。
「…まだ、感じる」
ほんの微かであるが、その気配の方向を見る。
ロアはごくりと唾を飲み、その気配の方、細い道に足を進めた。
少し行くと、フードを被った怪しげな背中が視界に映る。
「お前、ちょっと待て…!」
曲がり角で見えなくなった背中を、慌てて走って追いかけ道を抜ける。
その男は、待ち構えていたかのように、そこに立っていた。
先程まで多くの人でにぎわっていた華の街。
それが路地に入ればこうも違うものか、とロアは吐き出した息を震わせた。
体のラインの見えない、フードつきのマントを被った人影がすぐ近くにある。
背筋がぞくっとしたのは、明らかにゼレフの気配が近いからだ。
「お前、何者だ…?」
ロアの声に、その人影の顔がこちらを向く。
逃げる気はないらしい。それどころか、じゃりと音を立てて近付いてきた。
「セイバートゥースのローグ…と言えば分かるか?」
「は?え、あのドラゴンスレイヤーの?全然雰囲気違うじゃ…」
セイバートゥースのドラゴンスレイヤー。まともに話したのは大魔闘演武開始前の少しだけだ。
それでも明らかに異なる雰囲気から、とうていその“ローグ”であるとは思えないのに、解かれたフードの下にあった顔には見覚えがあった。
「…どういうことだ?」
「7年後、ここより先の…未来から来た」
「…え」
真面目な顔で、そんなことを言う男の言葉に、ロアはぽかんと口を開けた。
「ちょ、ちょっと待てよ、未来ってそんなこと有り得んのか?っていうか何で…」
今度は戸惑いと尽きない疑問で早口にそう問う。
そんなロアに、男は飽きれたように眉を寄せた。
「この大魔闘演武の最終日…1万を超えるドラゴンの群れがここを襲う」
「…は…?」
「オレが未来から来たのは…そのドラゴンを従える為だ」
未来から来た、それだけでも現実味がないのに。
更に重ねられた発言に、やはりロアは何も言い返す事が出来なくなった。
あまりにも、突飛な話だ。
「オレがいた7年後の世界では…アクノロギアによって支配されている」
「っアクノロギア…!」
「アクノロギアを倒せるのは、竜だけだ。もう、方法はこれしかない」
その黒い瞳には、何か思い出しているのか力強い意志が垣間見える。
それでもまだ、信じる事は出来なかった。
アクノロギアが支配する世界、それはもしかしたら事実なのかもしれない。だとしてもだ。
「この世界に一万のドラゴンが来る?そんなの、どうやって信じろってんだ」
ただロアを、フェアリーテイルを混乱させる為の虚言とも考えられる。
未来人だと言うこと自体嘘かもしれない。
しかし、ロアはもう一つ視界に映った影に、今度こそ信じざるを得なくなった。
「後は俺が話す」
少し長い黒髪が顔にかかっている男。
やけに聞き覚えのある声にロアは思わず目を凝らして、そして目を疑った。
「ま、まさか…お前…」
見覚えがある、ではない。
鏡の前に立っているかのような、不思議な感覚。
「ロア・コーランド。俺はお前だよ」
恐らく、その顔つきも表情も、雰囲気も何もかも違う。
全く別人のような姿なのに、その男は紛れもなくロアだった。
「お、お前も、7年後から来たってのかよ…」
「そうだよ。そいつと目的は違うけどな」
この世界に現れるドラゴンの支配、それが一人の目的として。
ロアは目の前にいる自分をじっと見つめた。
自分と同じ顔をした男が、何を考えているのか分からない。
「じゃあなんで…」
「…」
襲ってくるドラゴンから守る為、というわけではないのだろう。
その虚ろな瞳からそれだけは想像出来る。
そんなロアの予想を裏付けるかのように、男は吐き捨てるように言った。
「…まだ、この頃の俺は何も分かっていないんだろうな」
「な、何だよ、そんなに…状況は深刻なのか…?」
「深刻なんてもんじゃない」
ぐいと近付いてきた男の腕がロアの腕をきつく掴む。
その勢いのまま力強く壁に背をうち、ロアは小さく途切れた息を吐いた。
「っ、」
「お前は何も出来ない。何も出来ないまま…全部終わるんだよ」
「…そ、んな、分かってるなら…何か、防ぐ方法は…」
ぎりぎりと食い込む爪に、ロアは顔をしかめた。
痛い。けれど、目の前の自分の方が痛そうな顔をしているのは何故だろう。
「防ぐ必要なんてない。どうせ、…」
掠れた声が、何か言い掛けて口を閉ざす。
そのまま何も言わずに背を向けた男は、それでも何か言いたそうで。
「ま、待てよ…!俺はどうしたらいいんだ!?」
咄嗟に手を伸ばしてその背中に触れようとする。
しかしそれは呆気なく片手で弾かれ、ロアはただ茫然と彼等が遠ざかるのを見ていることしか出来なかった。
「…っ、」
立ち尽くすロアの頭には、整理されていない未来のことばかり。
信じる根拠はない。けれど彼等の表情は、嘘を言っているように見えなかった。
「…1万を超えるドラゴン…?有り得るのか、そんなことが…」
有り得ない。そんなことがあるはずはない。
そう思いたいのに、事実目の前には有り得ない未来の自分が立って話していた。
自分だと思いたくない、真っ黒な目と髪で、同じ顔の男。
「…まさか…7年後にはもう…皆…」
いや、7年後どころか、この大魔闘演武の最終日には。
恐ろしい想像に、思わず自分の腕で体を抱き込む。そんなはずない、と本当に言えるのだろうか。
「ここにいたか、ロア!」
突然飛び込んできた声に、ロアははっと顔を上げた。
ジェラールが心配そうに眉を寄せてそこに立っている。
「この辺りからゼレフに似た気配を感じたが…まさか、何かされたか!?」
「…俺に、会った」
「…何?」
きっと、こんなこと言ったって誰も信じないだろう。
ロア自身も、まだ何も信じられていないのだから。
「…いや、ごめん、逃した」
「それは構わないが…」
「平気。心配かけて、ごめん」
静かに首を横に振るジェラールの腕から離れて、先に路地を抜ける。
信じない、信じられない、そう思うのに、ロアはぎゅっと握りしめた拳を開くことが出来なかった。
・・・
この日、フェアリーテイルは良い成績で終えた。
そのおかげもあって、いつものバーに集まった面々は楽しそうに今日の話で盛り上がっていた。
何でもレイヴンテイルの罠も、ラクサス一人で破ったらしい。もうレイヴンテイルのことは心配する必要ないそうだ。
「…」
尚更、ロアは一人隅の席に腰掛け溜め息を吐いた。
自分は何も出来ていない。それなのに、ラクサスはあっさりと一つの問題を解決させてみせた。
「くそ…」
悔しい、のか。それとも焦っているのか。
ロアは額に手を当てて、俯いたまま首を横に振った。
駄目だ、こんな調子じゃまた心配かけてしまう。
「ロア!」
突然椅子がカタンと後ろに傾き、ロアは驚きテーブルに手を付いた。
「あ、危ないな…」
「これから私達、プールに行くんだけど、ロアも一緒に行くわよね?」
「…え?プール…?」
ロアの座っている椅子に手を乗せて、身を乗り出したルーシィが横からロアを覗き込む。
今日の結果もあって浮かれているのか、ずいぶんと楽しそうだ。
「皆行くって。今日は競技もバトルもいい感じだったし!」
「皆…」
「あ、勿論ナツも行くってよ?」
ルーシィがそのまま引っ張っていく勢いでロアの手を掴む。
誘ってくれたのは嬉しい。そう感じてはいるのに、ロアは数回首を横に振って、ルーシィの手を弾いた。
「ロア?」
「あ…ごめん、いや、俺は、いいや」
「ええ!なんで!?ナツも行くのに?」
がたがたっと大げさに後ろに下がったルーシィに、少し遠くで騒いでいたナツが顔を上げた。
それから驚いた様子でだだだっと近付いてくる。
「ロア、疲れてんのか?顔色良くねーぞ」
「あー…そう、みたい。今日はもう休むつもり」
ロアの顔を心配そうに見下ろすナツに、何故かきゅっと胸が痛んだ。
無茶している、ナツに心配をかけている。そして、嘘を吐いている。
それを自覚しているからだ。
「ロア、オレ、一緒にいっぞ?」
「え?何言ってんだよ、心配し過ぎだって」
「…」
ナツは怪訝そうに眉間にしわを寄せながらも、「そっか」と小さく零した。
きっと納得などしていないだろうナツがルーシィを連れて歩き出す。
これでいい。まだ何とか出来る。まだ自分で確認しなきゃいけないことがある。
ロアはテーブルに額をつけて、視界を閉ざした。