ナツ夢(2012.02~2016.05)
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妙な風が吹き抜ける。
ざわめく木々の音が何か嫌なことを示唆しているようで、ロアはごくりと唾を飲んだ。
「ゼレフ…?ゼレフって…」
「君には、申し訳ないことをした…本当に」
風が吹く度に、黒い髪がなびいて視界に映る。
それに気味悪さを感じながらも、目の前にいる男を恨む気にはなれなくて。
何故初対面の男をこうまで受け入れられているのか、自分でも不思議なくらいだった。
「あんた、一体」
単刀直入に問おうとした時、がさっと後ろの茂みが鳴った。
「誰だ?」
その低い声に振り返ると、エルフマンとエバーグリーンが立っている。
まさか、その「誰」という質問が、自分にも向けられていたとは知らずに。
「ここはウチのギルドの者しか入れないのよ」
「わ、わかってる!すぐ出て行かせるから」
「え…?まさか、あんたロア?」
エバーグリーンの目が怪訝そうに細められ、エルフマンは大きく目を見開いた。
暫く、何故こんな反応をされるのか分からなくて。しかし、髪が視界に入った瞬間、ロアはぱっと両手で頭を押さえた。
「っ、俺…!」
顔や声が同じでも、ロアを表す何よりも大きな存在だった金の髪。
それが無くて、エルフマンとエバーグリーンは困惑しているのだろう。
一歩下がって、ロアはゼレフと名乗った男を背中に隠した。素性が分からない男。敵意は無いものの、危険なことには変わりない。
しかし、ゼレフは自分の肩を抱いて震えだした。
「駄目、だ…一つの器では…死の捕食は…」
「お、い。お前、まさか」
「う…っ」
「エルフマン!エバーグリーン!今すぐここから離れてくれ!」
何故だか、この男から離れる気にはならなくて、ロアは叫んでいた。
さっきと同じ黒い魔法が放たれたら、辺りは死に包まれる。
彼の慌てようから察するに、それは人間にも及ぼすもののはずだ。
しかし、その不審な願いを二人は受け入れてくれなかった。
「駄目だやめろ!」
ロアがゼレフに飛びかかり押し倒す。
「ふせろ!」
同時に、もう一つ声が重なった。
黒い魔法がゼレフを中心に食らい尽くして行く。
どうやら、ロアの体はその黒い魔法の受け入れ態勢が出来てしまったようだ。
体が痺れる痛みのような感覚と同時に、それが中まで入り込んでくる。
「…ッ、く…」
それは先程口で受けたのとは違い、痛めつけてくるような不快な感覚で。
歯を食いしばることで堪えたロアは、魔法の発動が終わったのを感じるとゼレフの手をとって起き上がった。
「ボクはまた…すまない」
「いや、俺はいいけどさぁ」
今のはフェアリーテイルに喧嘩を売ったような印象を与えてしまうのではないか。
美しかった景色があっという間に朽ちてしまった。それを目で辿り、そのまま視界に巻き込まれたエルフマンとエバーグリーンを映す。
そこにもう一人、二人を守ってくれたのだろうナツが険しい表情を浮かべて立っていた。
先程同時に聞こえた声はナツのものだったようだ。
「不気味なニオイがして来てみれば…あいつは一体誰なんだよ」
「わからないわ…ただロアが」
「ロア?」
ナツの当然の疑問に二人は首を傾げ、その怪訝な視線はロアに向けられた。
ナツはようやくロアの存在に気付いたらしい。数回瞬きを繰り返し、それでも困惑して目を細めている。
「…ロア…お前、その髪」
「あ、これはその」
「そいつの仕業なのか!?」
「いや、えっと…!」
ゼレフの仕業、と言えば間違いなくそうで。
咄嗟に言い訳を思い浮かばず、思わず饒舌ではなさそうなゼレフに助けを求めようと振り返ったロアは言葉を失った。
開かれた目は涙で揺れている。そしてその口が、小さく動いた。
「…ナツ」
どうしてナツの名前を。
そんな疑問を口にする前に、怒りに表情を変えたナツが大股で近付いて来ていた。
「お前は…誰なんだ!」
「ナツ、大きく…なったね…」
聞かなくても分かった。ナツはゼレフを知らない。何故か、ゼレフはナツのことを知っている。
そして、ナツに対して何らかの希望を抱いている。
「会いたかったよ…ナツ…」
「お前なんか知らねぇ!名乗れ!」
振りかぶったナツの腕がゼレフの顔を捕らえた。本気のナツの拳が飛んでくる。
ゼレフの傍に立っているのにそれを見過ごすことも出来なくて、ロアはそのナツの手を受け止めていた。
「ナツ!落ち着けよ!」
「っ、ロア…!でもお前、なんでそんな…っ」
戸惑いからか、ナツは泣きそうにも見える程に眉を下げている。
髪の色が変わろうが、ロア自身の目にはその変化がよく分からない。自分の姿など、目には見えないのだから。
しかし、ナツにとっては余りにも酷い有様に映っているのかもしれない。
「ナツ…んな顔すんなよ」
「でも、そいつ…」
「悪い奴じゃないんだ。ちょっと変な力持ってるけど」
ちらっとゼレフを見ると、こっちはこっちで顔を歪ませて俯いていて。
どうしたもんか、と頭を抱えそうになったロアの背中がとんっと押された。
「は…離れて…」
「お前、またかよ…!?」
「もう…君を傷つけたく…っ」
「ナツ!エルフマンもエバーグリーンも早く逃げろ!」
ナツの体を突き飛ばして、ゼレフの腕を掴む。
ナツとゼレフの二人が驚いたのが、空気の変動で読み取れた。
「待て、ロアは」
「俺は大丈夫だから、早く!」
「な、何言ってんだよ!?」
ナツもエルフマンもエバーグリーンも、一度見たことでこの男の能力がどんなものか理解したらしい。
魔法を浴びたモノへもたらされる死。草も木も動物も見た朽ち果てる。
「おい!ロア…!」
ナツの手がロアの足を掠める。
ロアはそれに名残惜しさと愛しさを感じながら、上空へと飛び出して行った。
足が地から離れてすぐにゼレフの魔法が辺りを包み込んだ。
ナツや皆が心配で下を見るも、砂煙のせいで様子がうかがえない。
「すまない…」
ロアの心境を察してか、何度目かの謝罪と共に背中に手が回された。
それに応えるように、ロアも腕の力を強くする。
しかし、自分より背の高い男を抱えて跳ぶにはロアの力は足りなくて。
ゼレフの魔法が途切れたのが分かると、ロアはすぐに誰もいない地面へと足を降ろした。
「うわ、わ…っ」
二人の足の着くタイミングが異なっていた為に、バランスを崩してそこに倒れる。
ごんっと明らかに痛そうな音がしたにも関わらず、ゼレフは目を閉じたまま何も言わなかった。
「…大丈夫か?」
反応は無い。しかし、ロアの腰を抱くその手にはしっかりと力が加わったまま。
別に願ってなった体勢ではないのだが、まんまとロアがゼレフの上に乗る形になってしまった。
改めて至近距離で見るゼレフの容姿はやはり端正なもので。
「なぁ…そろそろ離して欲しいんだけど」
「あと少しだけ…このまま…」
「そ、そう…」
何やら妙な緊張を感じながら、首が疲れたロアはゼレフの胸に頭を乗せた。
「有難う…ロア」
背中に回っていた力が弱まって、ロアはゆっくりと顔を上げた。
胸に置いている手には確かに温もりがあるのに、ゼレフには今にも崩れ落ちそうな儚さがある。
というのはロアの、個人的な印象でしかないのだが。
「もう大丈夫なのか?」
「君には、申し訳ないことをしてしまった…」
「いや、それはいいけどさ」
十分に説明する時間も知識もなくて、ナツに心配をかけてしまった。
変な誤解が生まれていたらどうしよう。いや、その点はゼレフの立場次第で誤解ではなくなってしまうだろうが。
「お前のこと、聞かせろよ」
「…?」
「ゼレフっていったら…嘗て最も凶悪だったとされている魔導士の名前だ」
彼について、ロアはこの“ゼレフ”という名前しか聞いていない。
「お前がさっき使った魔法は、黒魔法なのか?だとしたら本当に…」
「…」
「なぁ、何か言ってくれよ」
もし、本当にこの男が“あのゼレフ”なのだとしたら。ロアはもしかしたら相当マズイことに首を突っ込んでいるのかもしれない。
今自分の髪の色を変えている正体。それがゼレフの一部で、凶悪な黒魔法と同じだったら。
「巻き込まれてやってるんだぞ、俺は」
「すまない…」
「いや、謝らなくていいから」
しゅん、と頭を下げてしまったゼレフにかける言葉を探す。
事実責めているわけではないのだ。切っ掛けはゼレフによる口付けだったとしても、自ら首を突っ込んだようなものなのだから。
「…じゃあ、質問を変える。お前は、望んでさっきの魔法を使っているわけではないんだな?」
「すまない…上手く、力を制御できないんだ…」
「どうして」
「命の尊さを…知ってしまったから…」
ゼレフは目の前にかざした自分の手のひらを見つめた。
苦しそうな、自虐的な視線。
ロアの中に元々あった、黒魔導士ゼレフについての知識。それが全て音を立てて崩れていく。
このゼレフが本当にゼレフだったとしても、ロアは受け入れられる気がした。
彼は、歴史に残る凶悪な存在なんかじゃない。
「ゼレフ…お前は…」
ロアの口が薄く開かれる。
その直後、ぱんっという音と共に空へと上がる信号弾が視界に映った。
「…!」
「今のは…?」
ゼレフも不思議そうに頭上に目を向ける。
今のは、赤い信号弾。フェアリーテイルでは敵襲を知らせるものとして使う。
「まさか…お前のことじゃないだろうな…」
「…?」
「悪い、ちょっと様子見てくる」
ロアはぱっと立ち上がって、信号弾が上がった方向へ体を向けた。
このままゼレフを放っておくのも不安だが、連れて行く方がもっと問題がありそうなので仕方がない。
ロアは躊躇いながらも駆け出して行った。
「敵襲って…どういうことだよ…」
この島はフェアリーテイルの聖地。
そりゃあ、今まさに侵入者であるゼレフと共にいたが、そう簡単に余所者が入ってこれる場所ではないのだ。
今までだって、一度もなかった。
「まさか、やっぱりゼレフに関係ある…とか?」
ぽつぽつと疑問を呟いたところで、返ってくる答えはない。全ては独り言だ。
しかし、呟けば呟く程ゼレフを一人にしたのは失敗だったような気がしてくる。
「様子を見て、すぐに戻ろう」
ロアはうん、と一人で頷くと、更にスピードを上げた。
木が生い茂る道。景色が変わらない為に、やけに時間がかかっているように感じられる。
いや、気のせいでは無い。実際にいつも以上に時間がかかっている。
「光の力が…使えない…!」
先程ゼレフを抱えて高く跳ぶことが出来た。しかし、その時も光に乗っていたわけではなかったのだ。高さも速さもいつも全く違う。
それでも何とか走って、がさっと木々の間を抜けた。
「あ…!」
恐らく信号弾が放たれた下まで来たのだろう。
そこにはエルザとジュビア、そしてヤギのような顔をしている見知らぬ男が倒れていた。
察するに、敵というのが今そこで倒れている男だろう。
「何があったんだ?」
何となく深刻そうな雰囲気の中、ロアはぽつりと声を漏らした。
途端に皆の視線がロアに集まる。それも、不審なものを見る目で。
「誰だ!?」
「え」
「まさか、お前が七眷属の一人か!?」
身構えるようにして、エルザがロアと向き合った。
そう、視界に入らない為に忘れがちだが、今ロアは金の髪と目を失っているのだ。
「ま、待って、エルザ。俺だよ、ロア」
「ロア…?まさか…」
「ちょっとワケ有りで。そんなことより、何があったんだよ。七眷属って?」
顔の横に両手を上げて、ゆっくりとエルザに近付く。
暫くは疑いからか目を細めてロアを見ていたエルザも、髪と目以外は知っているロアと一致したのだろう。警戒を解き、剣を下ろした。
「今そこで気絶している奴から聞いたのだが…ここにこいつの仲間、“煉獄の七眷属”が来るそうだ」
「煉獄の七眷属…?」
「正体は分からない。しかし、こうして敵の侵入を許している」
「すぐに、もっとたくさんの敵が襲ってくる…ってことか」
そして、それは強い力を持っている可能性が高い。
だから、エルザは赤い信号弾を上げたのだ。今後起こり得る襲撃を予測して。
「でも、なんだってこの天狼島に…」
「黒魔導士ゼレフがここにいるらしい。それが奴等の目的のようだ」
「…!」
ロアは大きく目を見開いて、さっき置いて来た男を思い出した。
「ゼレフは400年も前に存在したとされる魔導士…。それが、生きていたらしいんです」
ジュビアがエルザの言葉に付け足す。しかし、そんな説明は不要だった。
ロアに、ゼレフの存在を疑うことは出来ない。
「それはそうと、ロア。その髪と瞳はどうした」
「…っ、俺、戻らなきゃ」
「ロア?」
「悪い!それは後でちゃんと説明するから!」
ここに来た時と同じように、ロアは後ろを振り返るとすぐに走り出した。
ゼレフを敵に渡すわけにはいかない。
それは、敵にあの力を利用されると危険だから、とかそんな気持ちからではなく。
既に湧いてしまった情が、衝動的にロアを動かしていた。
息を切らしながら、木々の間を抜けて行く。
やはりゼレフを一人置いていったのは間違いだった。
今、天狼島がどんな状況に置かれているのか知らないが、もしかしたら既に多くの敵が乗り込んできているのかもしれない。
ゼレフはあの黒魔導士だ。簡単に捕まるとは思えないが、それでも嫌な想像ばかりが膨らんでしまう。
「はぁっ、は…っ、ゼレフ…!」
ゼレフが背中を預けていた木が見えて、ロアは彼の名を呼んだ。
しかし、返事はいつまで経っても返ってこない。
駆け寄って覗き込んだそこに、やはりゼレフの姿は見えなかった。
「くそっ…遅かった!」
意味もなく辺りを見渡して、呼吸を整える。
まだ悪い想像をするには早い。ふらふらと一人でどこかに行ったという可能性も残っている。
なんて、しょうもない事を考えながらがしがしと頭をかくと、自分のモノとは思えない黒い髪が指に絡み付いた。
「…はぁ、こうなった以上…最後まで付き合うしかないだろーが…」
この黒がゼレフの魔力の浸食によるものならば、敵の目はロアにも向くはずだ。
今のゼレフが完全でない、ということなのだから。
まんまとやられたって感じだ。それもこれも、今更何を言ったって仕方ないこと。
ロアは居なくなったゼレフを探して再び走り出した。
吹き付ける風が熱い。自然に生まれる風と違うのは、どこかで戦いが起こっているからだろう。
「…!?」
突然、耳に爆音が届き、目の前に炎の柱が上がった。
それとほぼ同時だったか、別の方向には巨大化したマカロフが映る。
マカロフも、フェアリーテイルの聖域を守る為に戦っているのだろう。
「くそ…俺も、戦わなきゃ…!」
思わずゼレフのことも忘れて、炎を見上げる。
すると、どういうことだか大量の人間が落ちてくるのが見えた。
「はぁ!?」
一人ひとり、武器を握り締めている彼等は、考えるまでもなく敵襲。
ロアは彼等が地に降りる前に倒そうと、手に力を込めた。
「…出ない」
光の刀が出ない。
「やば…!」
ロアは降り注ぐ敵にどうすることも出来ず、目をきつく閉じた。
「ロア!伏せろ!」
直後聞こえたその声は、失われた光が戻って来たかのような希望に溢れていて。
咄嗟にロアは言葉通りに頭を抱えてそこに伏せた。
頭の上を包み込んだのは、暖かさを感じる炎の渦。
「…ナツ」
「ロア、大丈夫だったか!?」
「うん、有難う」
伸ばされたナツの手を掴んで立ち上がる。
大量にいたはずの敵は、今の炎で一人残らず倒しきったようだ。
「さっきロアが一緒にいた奴はどこいった?」
「あ…そうだ。彼を探してるんだ」
「やっぱりアイツが!?」
「ううん、それは違う。今ここに攻めて来てるのは煉獄の七眷属っていうらしい」
ナツは頭にハテナを浮かべて首を傾げると、まいっかと軽く言ってのけた。
確かに、今は細かいことなどどうでも良い。
「ナツ、向こうが気になる。早く行こう!」
「あぁ!炎が上がった方だな!」
ナツがロアを手を引く。
その瞬間、安心したのと同時に、酷く嫌な予感に襲われた。
「ロア?」
振り返って、後ろを見る。
マカロフの大きな背中はどこに行った?
「ごめん、ナツ。やっぱり俺、あっちに行く」
「…じっちゃんなら、絶対に大丈夫だぞ」
「うん。分かってる。でも、気になるんだ」
「…分かった。気を付けろよ!」
ナツが一人、前に進んでいく。
ロアはそれとは反対に走って行った。
マカロフが戦っていたはずの場所から、大きな揺れが起こっている。それは、敵の力の大きさを鮮明に表しているものだ。
ざわざわと、胸を締めつけてくるこの不安はなんだ。
マカロフは強い、誰よりも、圧倒的な強さを持っている。なのに。
「…なんで、こんなに…」
黒い髪が風になびいて揺れる。
闇が怖かった。目の前にはずっと闇しか無くて、希望の光なんてとうに失われていて。
そこに差しのべられた暖かい光。それが、フェアリーテイルの大事な家族だった。
「マスター!」
ロアの叫び声は、ドンッという叩き付けるような音に掻き消されていた。
爆風がロアにも襲い掛かる。
顔の前に手をやりながら重い足を進めて抜けた先は、殺風景な荒地と化した木々の生い茂っていたはずの場所。
そこに、ぽつりと見える影は。
「マスター…!?」
ロアは目を見開き、足を止めていた。
そこにいるのは、そこに倒れているのは、見たことも無い程深く傷つけられたマカロフ。
「来ちゃいかん…!ロア…っ」
「おや、君が光のロア…?」
「早く、逃げるんじゃ、ロア…」
起き上ろうとしたマカロフの体は、そこにいた年老いた男に叩かれ再び地面に突っ伏した。
「君が光のロアなのだとしたら、ゼレフと接触しているな」
「…き、さま…」
「なるほど、力を分断したのか…。とすると、君を手に入れる必要があるらしい」
「貴様…ッ!!」
湧き上がったのは、黒く、冷たい感情。
怒りに溢れた心はもはや自分でもコントロールが効かなくなっていた。
頭が真っ白になる。何もかもがどうでも良くなって、壊したくて、破壊し尽したくて。
辺りを埋め尽くしたのは、ゼレフが恐れていた黒い力だった。
・・・
辺りを黒い炎が包み込む。その禍々しい炎の出所は分かっていた。
“ザンクロウ様”と呼ばれ、自らを神殺し…ゴッドスレイヤーと名乗った男。
ロアと分かれた後、炎の発生源に向かったナツは、この男と対峙することとなった。
「竜狩りの力はこんなもんかよ」
同じ炎の力を持つ相手、しかし、それはナツの力を上回っているようだった。
一発。二発、三発。何度も何度も攻撃を与えるが、ザンクロウはナツのそれを笑いながら受け止める。
「何がゴッドスレイヤーだ。神様に教えてもらったってか!?」
「マスターハデスをあるいは神と呼べるなら、まさにそうだろうな」
「何だ、人に教えてもらったんじゃねーか!」
本物のドラゴンに育てられたナツからすれば、その程度、大したことでは無い。
しかし、何故かナツは奴に押されていた。
「火竜の煌炎!」
「炎神のカグツチ!」
同時に炎の魔法をぶつけ合えば、凄まじい熱気に回りにいた者達が吹き飛ばされる。
それだけでは済まず、奴の言う“炎神”はナツの魔法までも押しやっていた。
「ぐあっ!」
違和感はその時に感じられた。
炎であることには変わりないのに、性質が違うのだろう。
その炎はナツでさえ喰らうことが出来なかったのだ。
「くそ…っ」
「知ってるか?人に火という知性を与えたのは竜じゃねぇ。神だ」
「っ!?」
ナツの炎を、ザンクロウが大口開けて喰らっている。
神がなんだ。そう言える程の余裕は、もうナツに残っていない。
倍返しと言わんばかりに吐き出された炎をまともに受けたナツの体は、あっという間に後方へと吹き飛ばされていった。
「くっそ…久しぶりに焼かれたぜ…」
炎のぶつかり合いの間にハッピーとは既にはぐれてしまっている。
いや、無事ならいい。
ナツは足を震えさせながら立ち上がり、ぐるっと周囲を見渡した。そして違和感を覚えた。
「…なんだ?」
背中に妙な寒気を感じる。そう、先程ロアと一緒にいた男の魔法と同じような。
「ロア…じっちゃん…!」
向こうにはロアとマカロフがいるはずだ。そしてあの力は死をもたらすもののはず。
ナツは背筋がぞっとするのを覚え、迷わず敵に背を向け走り出していた。
茂みを抜けて、嫌な臭いのする方へ駆け抜ける。
そうして辿り着いた場所に、マカロフは倒れていた。
「じっちゃん!?」
「ナツ…」
「大丈夫か、ってうわ!」
まさか、本当にマカロフがやられてしまうなんて。
そう思い駆け寄ろうとしたナツの体は、巨大化したマカロフの手によって包まれていた。
「だ、大丈夫なのか!?つか何すんだよじっちゃん!」
「ロアが…」
「ロア…?そういやロアはどこに…」
残りの力もわずかなのだろう、マカロフの手がいつもの大きさに戻る。
その瞬間、黒い影がすれ違うように通り過ぎた。
手をナツが今来た方へと伸ばしている。そしてその手から放たれたのは、黒い力、死の捕食だった。
「な、何がどうなって…」
本当に一瞬の出来事だった。
目を丸くしている間に全てが無くなった。木々も小さな動物も…恐らく、ナツを追ってきていただろうザンクロウも。
「ロアが力を使いこなせず、暴走しておる…」
「ロア!?」
驚いてそこにいる黒い影に目を向ける。確かに、そこにいるのは黒い髪のロアだった。
しかし、体から溢れ出る魔力は明らかにロアのものとは違う。
「どうやら…本当にゼレフはいるようじゃな…」
「ゼレフ…」
「闇の力をロアが持っている理由は…他に考えられん」
そう言って咳き込んだマカロフは、かなり消耗していた。
今の状況から分かるのは、マカロフ以上の力を持つ魔導士がいるということ。そして、ゼレフがいるということ。
そしてロアが闇の力に包まれているということ。
「じっちゃん…」
「今は…ロアを…」
「っ、分かった!」
ナツは意識があるのかないのか、ゆっくりと歩き遠ざかっていくロアの腕を掴んだ。
触れた部分から酷く軋むような痛みが伝わって来る。
「ロア!」
「…ナツ?」
「ロア止めろ!」
「やめる?ふざけんな…俺は敵を皆殺さなきゃ気が済まねぇ…」
見開かれるロアの目は深い黒で満たされていた。
ロアの声色は落ち着いている。しかし、心は怒りでしかない。
「っ…ロア…、けど…この力は駄目だ…!」
「…」
「こんなの、ロアじゃねぇ…!」
普段からキレやすい所はあった。そうなったらナツにもなかなか止められない。
しかし、こんな禍々しい力を纏っている彼は、本当にロアではないかのようで。
「頼むロア!オレを、見ろ…っ!」
痛みで視界が歪む。
それでも、ナツは力の限りロアを抱き締めた。
「放せナツ!」
「嫌だ放すもんか!オレは…っこんなロア好きじゃねぇ…!」
「っ…」
「怒りに呑まれるような、そんな弱い心じゃねーはずだ!ロア!」
ロアの見開かれた瞳が揺れる。
ナツの言葉は確実にロアの心に届いていた。
それでも、怒りを向ける場所はそこにしかなかったのだ。
「見ただろナツだって!マスターをあんなにされたんだ!」
「んなこた分かってる…!でもこれは違ぇだろ!」
「じゃあどうしろってんだよ!黙ってマスターやられんの見てろってのか!?」
怒りと、微かな悲しみ。叫ぶロアの顔は、どちらにも歪んでいる。
自分の無力さ、そして守れなかった悔しさ。そして敵への怒り。
「ロア、一緒だ」
「あ?」
「オレも、同じだ。だから、一緒に戦うんだろ、オレ達、フェアリーテイルで」
抱き締めていた手を緩め、ロアと向き合う。
がっちりとロアの顔を両手で押さえ、ナツは額と額をごつんとぶつけた。
「大丈夫だ、ロア」
「何が…」
「オレがぶっ倒す。そんで一緒に帰るんだ」
痛みなど感じさせない笑顔で、ロアに呼びかける。
その言葉は、今度こそしっかりとロアに伝わっていた。
「ナツ…」
広がっていた闇の力がロアの体の中に戻って行く。
途端に今にも泣き出しそうな顔に変わったロアがずるりと膝から崩れ落ちた。
「ナツ…っ」
「ん?」
「ごめん…有難う…」
「気にすんなって。ロアが怒ってくれたから、オレが怒らずに済んだしな!」
そう言って笑うナツの体は、ロアのせいで余計にボロボロになっていて。
余計に悲しくなったロアの瞳からは耐えかねた涙が零れ落ちていた。
涙を拭う為に伸ばされたナツの手がロアの頬に重なる。
どうしてこんなに暖かいのだろう。
込み上げる愛しさに、ロアは情けなく濡れる顔を上げた。
「ナツ、俺…」
「悪ィ…ロア、もう駄目だ…」
「え…?」
すぐ近くにあったナツの顔がロアの方に倒れてくる。
咄嗟に抱き留めたナツの体には、既にほとんど力が入っていなかった。
「ナツ!」
戦いがあったとはいえ、ロアを抱き締めてくれるナツの腕の力は強かったのに。
ロアの黒い力。それに真正面からぶつかったダメージが大きかったのだ。
「俺のせい…?俺のせいで…っ、ナツ…!」
「オレはいい…じっちゃんが…」
ナツの首が小さく動く。
その方向には確かにマカロフが傷だらけの状態で倒れているが、具合の程度からすればどちらも大差ない。
そしてそんな二人を選ぶことなんて出来ないし、何よりロアには治癒魔法という大層なものは備わっていなかった。
「どうすりゃいんだよ…!ナツ、マスター…!」
一度引っ込んだ涙がまた溢れ出そうになる。
こんなところで立ち止まっている場合じゃないのに。皆戦っているのに。
「ロア!?ロアだよね!?」
絶望に拳をきつく握り締めた時。
聞こえてきた高い声は、上空から一気にロアの元へ近付いてきた。
「ハッピー…?」
「良かった!ロアだ!ってナツ!?」
ぱたぱたと舞い降りてきたハッピーは、ロアに寄りかかるようにして倒れているナツに気付き、真ん丸の目を更に丸く見開いた。
ゆっくりとナツを地面に横たわらせると、閉じてしまった目はもう開かない。
「ナツ…!どうしてこんなことに!?」
「ごめん、ハッピー…俺のせいだ」
「え?」
卑屈になりそうになる。自分を責めて、強く殴って欲しい気分だ。
しかし、くじけてはいられない。
ロアはハッピーの小さな手をぎゅっと掴んだ。
「頼む…ハッピー、ウェンディを連れてきてくれ…」
「え…」
「ナツもマスターも…俺じゃ救えないんだ…っ」
悔しいけれど、ここまで傷ついてしまった彼等を救えるのは、天空の、治癒の力を持つウェンディだけだろう。
今は彼女に託すしかない。
「わ、分かったよ…ねぇ、でもその前に聞いてもいい?」
「ん?」
「ロアは、どこに行っちゃうの?」
ハッピーの揺れている瞳がロアを捕らえる。
黒くなってしまった髪が、何か不吉なものを感じさせたのか。
ロアは一瞬目を丸くして、それからふっと笑いかけた。
「大丈夫。俺は…ちょっと、やらなきゃいけないことがあるだけだよ」
「ホントに?帰ってくるよね?」
「あぁ。大丈夫、だから、ナツを頼む」
「…うん!」
きりっと眉を吊り上げて頷いたハッピーが勢いよく飛び立っていく。
それを暫く目で追って、それからロアは迷うことなく立ち上がった。
「ごめん、ナツ…きっとハッピーが、ウェンディを連れて来てくれるから…」
ここにナツとマカロフを置いていくのはとても不安だが、見守っていてもロアに出来ることはない。
とにかく今は、自分のすべきことをしなければ。
「…ゼレフ」
どうか、まだ見つかっていませんように。
ロアは後ろ髪ひかれる思いをなんとか振り切り走り出した。
彼の力が体に宿っているからだろうか、微かに感じる気配が居場所を教えてくれる。
そんな根拠のない感覚を目指して、ロアは黒い髪を揺らしながら足を進めて行った。
どこで誰が戦っているのか。今、誰がどこで傷ついているのか。
何もわからないことが怖くて、自然と足が早まる。
「…誰も、やられてねぇだろうな…」
そもそもここに来たフェアリーテイルのメンバーは皆強い。
しかし、既にマスターがやられたのを知ってしまっているせいで、不安ばかりが大きくなってしまう。
とはいえだ。
“ゼレフがやられる”などという想像は全くしていなかった。
「ゼレフ?」
心配があるとすれば、何も知らない彼が敵に手を貸してしまうという状況。
ゼレフは強い力を持つ者だと思っていたからだ。
「貴方から来てくれるとは思わなかったわ。“光のロア”」
「誰だテメェ…!」
ゼレフの気配を追って辿り着いた場所。
そこで待ち構えていたのは、ゼレフを大事そうに抱きかかえている女だった。
「私は七眷属の長、ウルティア」
「七眷属…。グリモアハート…。お前達は何がしたいんだよ、なんでこんなことをする!?」
ここはフェアリーテイルの聖地。
そして、今はSランクの試験をしている、それだけのはずだったのに。
「どうして、マスターを、ナツ達をこんな目に合わせる…!」
「悪いけど、貴方達に用はないの。私はただゼレフが欲しいだけ…」
「じゃあなんで」
「なんで?ついで、といったところでしょうね」
理解出来るはずもない。
いや、理解などする必要ないのだろう。
彼等グリモアハートは闇ギルド。ただこの期にフェアリーテイルを潰したかっただけ。
「…もう一つ聞かせろ、そのゼレフを手に入れてどうするつもりだ」
「ふふ、知らないの?ゼレフがこの世界の王となる時、大魔法世界が誕生すると」
「大魔法世界…?」
「魔導士だけの理想郷よ」
ウルティアの言葉が頭にがんがんと響いていた。
あぁ、どこの世界もそうなのだ。ミストガンの世界、エドラスが永遠の魔法を求めたように、こちらも魔導士だけの世界を求めるか。
「…そんなものの為に」
「そんなもの?貴方は何も知らない。この世界の不条理を」
「俺は、お前を許さない…!」
「残念ね、でも今の貴方は私の敵じゃない!ゼレフがそうだったようにね!」
構えた拳がウルティアのそれと交わる。
ウルティアの腕からどさりと地面へ落ちたゼレフは、目を開けなかった。
「ゼレフ!何してんだ目ェ開けろ!」
「無駄よ。ゼレフもそして貴方も不完全、力を使いこなせていない」
「くそ…っ!なんで、こんな…!」
確かに、ウルティアの言う通りだった。
そしてゼレフの力を体に宿すロアもまた、まだ力を使いこなせる状態にない。
「さぁ、貴方も私の手に!」
「くっ…!」
怒りに身を任せてはいけない。
この力を使いこなさないと勝てない。
焦りはロアの行動を乱し、そして相手に攻撃の隙を与えさせてしまった。
体を貫く氷の感触。
何故だろう、ウルティアの魔法はグレイと同じで、ただそれよりも冷え切った痛みを感じた。
・・・
「あ!大丈夫ですか!?」
がばっと起き上った体を見て、ウェンディは嬉しそうに手を合わせた。
その横で両手を挙げて喜んだハッピーはすぐさま彼の体に抱き着く。
「ナツ!今回は本当に駄目かと思ったよ!良かったぁ…!」
「…、オレ…そうだ!じっちゃんは!?」
「ここにいるよ!」
焦った様子で辺りを見渡したナツの体は、すっかり完治している。
蓄積されていた怪我も全てウェンディの力によって治されたようだ。
「ありがとな、ウェンディ」
「いえ」
自分の体とマカロフの様子とを確認したナツが、にこりと笑う。
しかし、ナツはすぐに焦ったように顔を上げた。
「そうだ、ロアは!?」
「ロアは…何かすることがあるって、行っちゃった」
不吉な黒い髪を揺らして、どこか遠くを見ていたロア。
不安を感じながらも、ハッピーはロアを見ている事が出来なかった。
「ねぇ、ナツ…ロア、大丈夫だよね」
「…ロアはフェアリーテイルのSランク魔導士だぞ。大丈夫に決まってる」
「でも、やっぱり心配だよ。ロア、いつも無茶するし」
最近、急激に外へ出ることが多くなった。
狙われる程、捕まってしまう程弱くないけれど、ロアはどこか危ういところがある。
それが分かっているからか、ナツの手にも力がこもった。
「嫌な臭いがすんだよな…」
ぽつりとナツが呟く。
ウェンディも空を見上げて眉を寄せた。
「どうなるんでしょう…」
「戦うしかねーだろ」
「そうですよね…」
ばっと立ち上がったナツが、迷いなく足を進め始める。
嫌な臭いがする方へ。戦いの、敵の匂いがする場所へ。
がくんと膝が折れる。
痛みを感じられないくらい朦朧とする中、なんとか目を開いて見上げた。
「待て…、お前、誰なんだ…?」
ウルティア、そう名乗った女。
釣り目で、少し派手な顔つき、一般的に見れば美しいそのプロポーションと容姿。
いや、そこはどうでも良いのだ。問題は、その魔法。
「グレイと、同じ…お前の魔法は…」
「あぁ、そのこと?私の母はグレイの師なのよ」
「そ…んな」
グレイの小さい頃の話はあまり聞いたことがない。
しかし、グレイがその師を慕っているということは分かっている。
ただ、もう亡くなってしまっているけれど。
「良い勘ね。まあ分かったところで貴方には何も出来ないでしょうけど」
「な、」
「ふふ、利用させてもらうわ、彼の優しさをね」
綺麗な顔が不敵な笑みを作る。
そんなことをさせるわけにはいかない、そう思ったのに体は思うように動かなかった。
その追い打ちをかけるかのように、彼女の足はロアの体を蹴りつける。
「ぐっ…!」
「大人しくそこで寝ていなさい」
倒れたロアの腹部にもう一度重い蹴りが入って。
ロアは思い切り後ろにあった木にぶつかると、今後こそ動くことが出来なかった。
視界には離れていくウルティアと、木の幹に背中を預けたまま動かないゼレフ。
「…、んで…俺は…」
自分に出来る事。
唯一ゼレフと接点を得たからこそ、彼が彼女達の手に渡ることを防がなければ。
そう思っているのに、戦うことも守ることも出来ない。
(…悔しい、皆を、ゼレフを守りたいのに)
せめて、この闇の力を使いこなすことが出来れば。
光の力を、取り戻すことが出来れば。
震える手を伸ばして、ゼレフの手に自分の手を重ねる。
冷たい手だ。痛みや悲しみが伝わってくるような錯覚に陥る程冷え切った体。
「ゼレフ…お前を理解出来たら、…この力を、扱えるようになんのかな…」
命の大切さを知ってしまった、だから今は力がコントロールできない、ゼレフはそう言っていた。
なら、命の尊さを忘れれば良いのか?
「駄目だ、そんなの…ッ」
ロアはぐっと手に力を込め、ゆっくりと足を立たせた。
胸が苦しくて、何度か咳き込み血を吐き出す。
どんなに体がぼろぼろになったって構わない。分かっていて動けないなんて、そんなの耐えられなかった。
・・・
今何がこの島で起こっているのか、正直なところ良く分かっていなかった。
だから偶然見かけたフェアリーテイルではない人間、そして師であるウルに良く似ている女を追いかけていた。
「…見失っちまったか」
いつの間にか降り注ぎ始めた雨、暗い空は何か今後を暗示しているようで、嫌な予感がする。
まだ遠くにはいっていないだろう、謎の女を再び見つけるべく、グレイは途方もなく足を進めた。
「私に何か用?」
「っ!?」
しかし、その声は後ろから聞こえてきた。
ばっと振り返ると、目的の女…やはりどう見てもウルそっくりである女がそこに立っている。
「お前…まさか、ウルの」
「そう、私はあなたの師であるウルの娘、ウルティアよ。グレイ、ずっとあなたに会いたかった」
ウルは死んだ。それは弟子であったグレイの甘さが招いたことでもあった。
だからこそ、その娘であるウルティアは、自分を恨んでいると考えた方がまだ現実味があるというのに。
「会いたかった…?」
「そう。私とウルの意志…それを叶えることが出来るのはあなただけ、だから」
「意志?」
「私の父はグリモアハートのマスター、ハデスに殺されたの。母は仇を討つ為に水面下でグリモアハートを追っていたわ」
悲しげに眉を寄せて、ウルティアがグレイに近付く。
そして差し出した手はグレイの手をぎゅっと握り締めていた。
「私もグリモアハートに潜入したけれど、ハデスの魔力は想像以上で…ウルもそれを知っていたからアイスドシェルを習得したのよ」
「アイスドシェル!?」
「私の知る限り、今ハデスを倒せる魔法はアイスドシェルしかないわ。でも私には習得出来なかった…」
アイスドシェル、術者の身を犠牲にして敵を永遠の冷凍状態にしてしまう魔法だ。
最強の氷魔法…それを使える魔導士はウル亡き今、恐らくグレイしか存在しない。
「…オレならハデスを倒せる」
「でも、術者のあなたが」
「それは構わない。一度それでウルを犠牲にしたオレが、文句を言えることじゃねぇからな…」
ウルティアの事も勿論だが、今のこの現状を打破するためにはハデスを倒すしかないのだ。
それを思えば、自分の身の事など大した問題ではなかった。
「アイスドシェルを使う。それは…お前の為じゃない、フェアリーテイルの為だ」
「…どんな理由でもいいわ。有難う、グレイ」
そう決めたのなら、行動は早い方がいい。
どうやら既にグリモアハートとの戦いでかなり犠牲は出ているらしい。
ならばすぐにでも。その意志の元グレイはウルティアに背を向けようとして、ぴたりと固まった。
「だめ、だ。グレイ、そいつの言葉を真に受けるな…っ」
自分を呼ぶ微かな声。ウルティアの後ろにその人は立っていた。
濡れた黒髪をはりつけ辛そうに歪められた顔は、見紛うはずもないロアのそれ。
「グレイ、…っ、」
「ロア、お前…?」
傷だらけの彼を前にしてグレイが動けなかったのは、何よりも疑問の方が大きかったからだ。
綺麗な金の髪と瞳は一体どこへ。
「…まだ動けたのね」
「大事な、仲間んとこ行くって分かって…じっとしてられっかよ…っ!」
一歩踏み込んで弱弱しい拳を振り上げる。
そんなロアの攻撃はさらりとかわされ、それどころかウルティアの拳を腹に受けることとなった。
「う…っ、」
苦痛の声すらもくぐもって表に出てこない。
どさっと地面に膝をついたロアは、それでも目は強くグレイを見つめていた。
「お前は、ロアなんだな…」
その視線に応えるようにグレイが呟く。
その言葉に、ロアはただ強く首を縦に動かした。
「なら、悪いけどアンタには応えられない」
「…愛する師の意志を裏切るというの」
「確かにウルは大事な師だ。けど、今のオレにはもっと愛する人がいる」
ウルティアの目がグレイの視線を追う。
グレイのウルへ揺れた思いが、今は真っ直ぐに仲間を捕らえていた。
「なるほどね…仕方ないわ、人は光を恋い焦がれるものだものね。だけど」
ウルティアの手がそこに崩れたロアの腕を掴む。
そのままぐいと引き寄せると、無理矢理立たせたロアの首にナイフを押し当てた。
「グレイ、貴方も自分の立場を分かっていない」
「ロア!」
「この子は人質。さぁ、グレイ、貴方はハデスを倒すのよ!」
悔しいけれど、もうウルティアに対抗する力はロアの中に残っていなかった。
力の入らない自身の掌を見下ろすも、光は体の奥そこに眠ったまま流れてこない。
駄目だグレイ、逃げてくれ。戦わなくていい。その言葉さえも擦れて息に変わってしまう。
「テメェ…!正々堂々来いよ!母親に代わって説教してやる!」
「私は煉獄の七眷属が長…貴方ごときが抗える相手じゃない!」
悔しい。どうしてこんなことに。
ウルティアの魔法とグレイの魔法とがぶつかる瞬間、ロアは目を閉じてしまった。
見ていられなくて。グレイが自分のせいで傷つくのが怖くて。
しかし、展開は思わぬ方向へ転がった。
「ロア!」
ウルティアの腕を離れて倒れる寸前だったロアの体をグレイが抱き留める。
膝をついたのはウルティアの方だった。
「え…」
「大丈夫だ。オレだって強くなってる。あんな女には負けねぇ」
グレイの手がロアの頬を撫で、そしてニッと力強く笑う。
それからゆっくりとロアの体を離すと、グレイはすぐにウルティアと対峙した。
「ぐれ、…」
「待ってろ、アイツ倒して戻ってくっから」
「っ、」
待って、と伸ばした手はグレイには届かない。
グレイはウルティアの首に腕をかけると、そのまま崖に飛び込んで行った。
ざわめく木々の音が何か嫌なことを示唆しているようで、ロアはごくりと唾を飲んだ。
「ゼレフ…?ゼレフって…」
「君には、申し訳ないことをした…本当に」
風が吹く度に、黒い髪がなびいて視界に映る。
それに気味悪さを感じながらも、目の前にいる男を恨む気にはなれなくて。
何故初対面の男をこうまで受け入れられているのか、自分でも不思議なくらいだった。
「あんた、一体」
単刀直入に問おうとした時、がさっと後ろの茂みが鳴った。
「誰だ?」
その低い声に振り返ると、エルフマンとエバーグリーンが立っている。
まさか、その「誰」という質問が、自分にも向けられていたとは知らずに。
「ここはウチのギルドの者しか入れないのよ」
「わ、わかってる!すぐ出て行かせるから」
「え…?まさか、あんたロア?」
エバーグリーンの目が怪訝そうに細められ、エルフマンは大きく目を見開いた。
暫く、何故こんな反応をされるのか分からなくて。しかし、髪が視界に入った瞬間、ロアはぱっと両手で頭を押さえた。
「っ、俺…!」
顔や声が同じでも、ロアを表す何よりも大きな存在だった金の髪。
それが無くて、エルフマンとエバーグリーンは困惑しているのだろう。
一歩下がって、ロアはゼレフと名乗った男を背中に隠した。素性が分からない男。敵意は無いものの、危険なことには変わりない。
しかし、ゼレフは自分の肩を抱いて震えだした。
「駄目、だ…一つの器では…死の捕食は…」
「お、い。お前、まさか」
「う…っ」
「エルフマン!エバーグリーン!今すぐここから離れてくれ!」
何故だか、この男から離れる気にはならなくて、ロアは叫んでいた。
さっきと同じ黒い魔法が放たれたら、辺りは死に包まれる。
彼の慌てようから察するに、それは人間にも及ぼすもののはずだ。
しかし、その不審な願いを二人は受け入れてくれなかった。
「駄目だやめろ!」
ロアがゼレフに飛びかかり押し倒す。
「ふせろ!」
同時に、もう一つ声が重なった。
黒い魔法がゼレフを中心に食らい尽くして行く。
どうやら、ロアの体はその黒い魔法の受け入れ態勢が出来てしまったようだ。
体が痺れる痛みのような感覚と同時に、それが中まで入り込んでくる。
「…ッ、く…」
それは先程口で受けたのとは違い、痛めつけてくるような不快な感覚で。
歯を食いしばることで堪えたロアは、魔法の発動が終わったのを感じるとゼレフの手をとって起き上がった。
「ボクはまた…すまない」
「いや、俺はいいけどさぁ」
今のはフェアリーテイルに喧嘩を売ったような印象を与えてしまうのではないか。
美しかった景色があっという間に朽ちてしまった。それを目で辿り、そのまま視界に巻き込まれたエルフマンとエバーグリーンを映す。
そこにもう一人、二人を守ってくれたのだろうナツが険しい表情を浮かべて立っていた。
先程同時に聞こえた声はナツのものだったようだ。
「不気味なニオイがして来てみれば…あいつは一体誰なんだよ」
「わからないわ…ただロアが」
「ロア?」
ナツの当然の疑問に二人は首を傾げ、その怪訝な視線はロアに向けられた。
ナツはようやくロアの存在に気付いたらしい。数回瞬きを繰り返し、それでも困惑して目を細めている。
「…ロア…お前、その髪」
「あ、これはその」
「そいつの仕業なのか!?」
「いや、えっと…!」
ゼレフの仕業、と言えば間違いなくそうで。
咄嗟に言い訳を思い浮かばず、思わず饒舌ではなさそうなゼレフに助けを求めようと振り返ったロアは言葉を失った。
開かれた目は涙で揺れている。そしてその口が、小さく動いた。
「…ナツ」
どうしてナツの名前を。
そんな疑問を口にする前に、怒りに表情を変えたナツが大股で近付いて来ていた。
「お前は…誰なんだ!」
「ナツ、大きく…なったね…」
聞かなくても分かった。ナツはゼレフを知らない。何故か、ゼレフはナツのことを知っている。
そして、ナツに対して何らかの希望を抱いている。
「会いたかったよ…ナツ…」
「お前なんか知らねぇ!名乗れ!」
振りかぶったナツの腕がゼレフの顔を捕らえた。本気のナツの拳が飛んでくる。
ゼレフの傍に立っているのにそれを見過ごすことも出来なくて、ロアはそのナツの手を受け止めていた。
「ナツ!落ち着けよ!」
「っ、ロア…!でもお前、なんでそんな…っ」
戸惑いからか、ナツは泣きそうにも見える程に眉を下げている。
髪の色が変わろうが、ロア自身の目にはその変化がよく分からない。自分の姿など、目には見えないのだから。
しかし、ナツにとっては余りにも酷い有様に映っているのかもしれない。
「ナツ…んな顔すんなよ」
「でも、そいつ…」
「悪い奴じゃないんだ。ちょっと変な力持ってるけど」
ちらっとゼレフを見ると、こっちはこっちで顔を歪ませて俯いていて。
どうしたもんか、と頭を抱えそうになったロアの背中がとんっと押された。
「は…離れて…」
「お前、またかよ…!?」
「もう…君を傷つけたく…っ」
「ナツ!エルフマンもエバーグリーンも早く逃げろ!」
ナツの体を突き飛ばして、ゼレフの腕を掴む。
ナツとゼレフの二人が驚いたのが、空気の変動で読み取れた。
「待て、ロアは」
「俺は大丈夫だから、早く!」
「な、何言ってんだよ!?」
ナツもエルフマンもエバーグリーンも、一度見たことでこの男の能力がどんなものか理解したらしい。
魔法を浴びたモノへもたらされる死。草も木も動物も見た朽ち果てる。
「おい!ロア…!」
ナツの手がロアの足を掠める。
ロアはそれに名残惜しさと愛しさを感じながら、上空へと飛び出して行った。
足が地から離れてすぐにゼレフの魔法が辺りを包み込んだ。
ナツや皆が心配で下を見るも、砂煙のせいで様子がうかがえない。
「すまない…」
ロアの心境を察してか、何度目かの謝罪と共に背中に手が回された。
それに応えるように、ロアも腕の力を強くする。
しかし、自分より背の高い男を抱えて跳ぶにはロアの力は足りなくて。
ゼレフの魔法が途切れたのが分かると、ロアはすぐに誰もいない地面へと足を降ろした。
「うわ、わ…っ」
二人の足の着くタイミングが異なっていた為に、バランスを崩してそこに倒れる。
ごんっと明らかに痛そうな音がしたにも関わらず、ゼレフは目を閉じたまま何も言わなかった。
「…大丈夫か?」
反応は無い。しかし、ロアの腰を抱くその手にはしっかりと力が加わったまま。
別に願ってなった体勢ではないのだが、まんまとロアがゼレフの上に乗る形になってしまった。
改めて至近距離で見るゼレフの容姿はやはり端正なもので。
「なぁ…そろそろ離して欲しいんだけど」
「あと少しだけ…このまま…」
「そ、そう…」
何やら妙な緊張を感じながら、首が疲れたロアはゼレフの胸に頭を乗せた。
「有難う…ロア」
背中に回っていた力が弱まって、ロアはゆっくりと顔を上げた。
胸に置いている手には確かに温もりがあるのに、ゼレフには今にも崩れ落ちそうな儚さがある。
というのはロアの、個人的な印象でしかないのだが。
「もう大丈夫なのか?」
「君には、申し訳ないことをしてしまった…」
「いや、それはいいけどさ」
十分に説明する時間も知識もなくて、ナツに心配をかけてしまった。
変な誤解が生まれていたらどうしよう。いや、その点はゼレフの立場次第で誤解ではなくなってしまうだろうが。
「お前のこと、聞かせろよ」
「…?」
「ゼレフっていったら…嘗て最も凶悪だったとされている魔導士の名前だ」
彼について、ロアはこの“ゼレフ”という名前しか聞いていない。
「お前がさっき使った魔法は、黒魔法なのか?だとしたら本当に…」
「…」
「なぁ、何か言ってくれよ」
もし、本当にこの男が“あのゼレフ”なのだとしたら。ロアはもしかしたら相当マズイことに首を突っ込んでいるのかもしれない。
今自分の髪の色を変えている正体。それがゼレフの一部で、凶悪な黒魔法と同じだったら。
「巻き込まれてやってるんだぞ、俺は」
「すまない…」
「いや、謝らなくていいから」
しゅん、と頭を下げてしまったゼレフにかける言葉を探す。
事実責めているわけではないのだ。切っ掛けはゼレフによる口付けだったとしても、自ら首を突っ込んだようなものなのだから。
「…じゃあ、質問を変える。お前は、望んでさっきの魔法を使っているわけではないんだな?」
「すまない…上手く、力を制御できないんだ…」
「どうして」
「命の尊さを…知ってしまったから…」
ゼレフは目の前にかざした自分の手のひらを見つめた。
苦しそうな、自虐的な視線。
ロアの中に元々あった、黒魔導士ゼレフについての知識。それが全て音を立てて崩れていく。
このゼレフが本当にゼレフだったとしても、ロアは受け入れられる気がした。
彼は、歴史に残る凶悪な存在なんかじゃない。
「ゼレフ…お前は…」
ロアの口が薄く開かれる。
その直後、ぱんっという音と共に空へと上がる信号弾が視界に映った。
「…!」
「今のは…?」
ゼレフも不思議そうに頭上に目を向ける。
今のは、赤い信号弾。フェアリーテイルでは敵襲を知らせるものとして使う。
「まさか…お前のことじゃないだろうな…」
「…?」
「悪い、ちょっと様子見てくる」
ロアはぱっと立ち上がって、信号弾が上がった方向へ体を向けた。
このままゼレフを放っておくのも不安だが、連れて行く方がもっと問題がありそうなので仕方がない。
ロアは躊躇いながらも駆け出して行った。
「敵襲って…どういうことだよ…」
この島はフェアリーテイルの聖地。
そりゃあ、今まさに侵入者であるゼレフと共にいたが、そう簡単に余所者が入ってこれる場所ではないのだ。
今までだって、一度もなかった。
「まさか、やっぱりゼレフに関係ある…とか?」
ぽつぽつと疑問を呟いたところで、返ってくる答えはない。全ては独り言だ。
しかし、呟けば呟く程ゼレフを一人にしたのは失敗だったような気がしてくる。
「様子を見て、すぐに戻ろう」
ロアはうん、と一人で頷くと、更にスピードを上げた。
木が生い茂る道。景色が変わらない為に、やけに時間がかかっているように感じられる。
いや、気のせいでは無い。実際にいつも以上に時間がかかっている。
「光の力が…使えない…!」
先程ゼレフを抱えて高く跳ぶことが出来た。しかし、その時も光に乗っていたわけではなかったのだ。高さも速さもいつも全く違う。
それでも何とか走って、がさっと木々の間を抜けた。
「あ…!」
恐らく信号弾が放たれた下まで来たのだろう。
そこにはエルザとジュビア、そしてヤギのような顔をしている見知らぬ男が倒れていた。
察するに、敵というのが今そこで倒れている男だろう。
「何があったんだ?」
何となく深刻そうな雰囲気の中、ロアはぽつりと声を漏らした。
途端に皆の視線がロアに集まる。それも、不審なものを見る目で。
「誰だ!?」
「え」
「まさか、お前が七眷属の一人か!?」
身構えるようにして、エルザがロアと向き合った。
そう、視界に入らない為に忘れがちだが、今ロアは金の髪と目を失っているのだ。
「ま、待って、エルザ。俺だよ、ロア」
「ロア…?まさか…」
「ちょっとワケ有りで。そんなことより、何があったんだよ。七眷属って?」
顔の横に両手を上げて、ゆっくりとエルザに近付く。
暫くは疑いからか目を細めてロアを見ていたエルザも、髪と目以外は知っているロアと一致したのだろう。警戒を解き、剣を下ろした。
「今そこで気絶している奴から聞いたのだが…ここにこいつの仲間、“煉獄の七眷属”が来るそうだ」
「煉獄の七眷属…?」
「正体は分からない。しかし、こうして敵の侵入を許している」
「すぐに、もっとたくさんの敵が襲ってくる…ってことか」
そして、それは強い力を持っている可能性が高い。
だから、エルザは赤い信号弾を上げたのだ。今後起こり得る襲撃を予測して。
「でも、なんだってこの天狼島に…」
「黒魔導士ゼレフがここにいるらしい。それが奴等の目的のようだ」
「…!」
ロアは大きく目を見開いて、さっき置いて来た男を思い出した。
「ゼレフは400年も前に存在したとされる魔導士…。それが、生きていたらしいんです」
ジュビアがエルザの言葉に付け足す。しかし、そんな説明は不要だった。
ロアに、ゼレフの存在を疑うことは出来ない。
「それはそうと、ロア。その髪と瞳はどうした」
「…っ、俺、戻らなきゃ」
「ロア?」
「悪い!それは後でちゃんと説明するから!」
ここに来た時と同じように、ロアは後ろを振り返るとすぐに走り出した。
ゼレフを敵に渡すわけにはいかない。
それは、敵にあの力を利用されると危険だから、とかそんな気持ちからではなく。
既に湧いてしまった情が、衝動的にロアを動かしていた。
息を切らしながら、木々の間を抜けて行く。
やはりゼレフを一人置いていったのは間違いだった。
今、天狼島がどんな状況に置かれているのか知らないが、もしかしたら既に多くの敵が乗り込んできているのかもしれない。
ゼレフはあの黒魔導士だ。簡単に捕まるとは思えないが、それでも嫌な想像ばかりが膨らんでしまう。
「はぁっ、は…っ、ゼレフ…!」
ゼレフが背中を預けていた木が見えて、ロアは彼の名を呼んだ。
しかし、返事はいつまで経っても返ってこない。
駆け寄って覗き込んだそこに、やはりゼレフの姿は見えなかった。
「くそっ…遅かった!」
意味もなく辺りを見渡して、呼吸を整える。
まだ悪い想像をするには早い。ふらふらと一人でどこかに行ったという可能性も残っている。
なんて、しょうもない事を考えながらがしがしと頭をかくと、自分のモノとは思えない黒い髪が指に絡み付いた。
「…はぁ、こうなった以上…最後まで付き合うしかないだろーが…」
この黒がゼレフの魔力の浸食によるものならば、敵の目はロアにも向くはずだ。
今のゼレフが完全でない、ということなのだから。
まんまとやられたって感じだ。それもこれも、今更何を言ったって仕方ないこと。
ロアは居なくなったゼレフを探して再び走り出した。
吹き付ける風が熱い。自然に生まれる風と違うのは、どこかで戦いが起こっているからだろう。
「…!?」
突然、耳に爆音が届き、目の前に炎の柱が上がった。
それとほぼ同時だったか、別の方向には巨大化したマカロフが映る。
マカロフも、フェアリーテイルの聖域を守る為に戦っているのだろう。
「くそ…俺も、戦わなきゃ…!」
思わずゼレフのことも忘れて、炎を見上げる。
すると、どういうことだか大量の人間が落ちてくるのが見えた。
「はぁ!?」
一人ひとり、武器を握り締めている彼等は、考えるまでもなく敵襲。
ロアは彼等が地に降りる前に倒そうと、手に力を込めた。
「…出ない」
光の刀が出ない。
「やば…!」
ロアは降り注ぐ敵にどうすることも出来ず、目をきつく閉じた。
「ロア!伏せろ!」
直後聞こえたその声は、失われた光が戻って来たかのような希望に溢れていて。
咄嗟にロアは言葉通りに頭を抱えてそこに伏せた。
頭の上を包み込んだのは、暖かさを感じる炎の渦。
「…ナツ」
「ロア、大丈夫だったか!?」
「うん、有難う」
伸ばされたナツの手を掴んで立ち上がる。
大量にいたはずの敵は、今の炎で一人残らず倒しきったようだ。
「さっきロアが一緒にいた奴はどこいった?」
「あ…そうだ。彼を探してるんだ」
「やっぱりアイツが!?」
「ううん、それは違う。今ここに攻めて来てるのは煉獄の七眷属っていうらしい」
ナツは頭にハテナを浮かべて首を傾げると、まいっかと軽く言ってのけた。
確かに、今は細かいことなどどうでも良い。
「ナツ、向こうが気になる。早く行こう!」
「あぁ!炎が上がった方だな!」
ナツがロアを手を引く。
その瞬間、安心したのと同時に、酷く嫌な予感に襲われた。
「ロア?」
振り返って、後ろを見る。
マカロフの大きな背中はどこに行った?
「ごめん、ナツ。やっぱり俺、あっちに行く」
「…じっちゃんなら、絶対に大丈夫だぞ」
「うん。分かってる。でも、気になるんだ」
「…分かった。気を付けろよ!」
ナツが一人、前に進んでいく。
ロアはそれとは反対に走って行った。
マカロフが戦っていたはずの場所から、大きな揺れが起こっている。それは、敵の力の大きさを鮮明に表しているものだ。
ざわざわと、胸を締めつけてくるこの不安はなんだ。
マカロフは強い、誰よりも、圧倒的な強さを持っている。なのに。
「…なんで、こんなに…」
黒い髪が風になびいて揺れる。
闇が怖かった。目の前にはずっと闇しか無くて、希望の光なんてとうに失われていて。
そこに差しのべられた暖かい光。それが、フェアリーテイルの大事な家族だった。
「マスター!」
ロアの叫び声は、ドンッという叩き付けるような音に掻き消されていた。
爆風がロアにも襲い掛かる。
顔の前に手をやりながら重い足を進めて抜けた先は、殺風景な荒地と化した木々の生い茂っていたはずの場所。
そこに、ぽつりと見える影は。
「マスター…!?」
ロアは目を見開き、足を止めていた。
そこにいるのは、そこに倒れているのは、見たことも無い程深く傷つけられたマカロフ。
「来ちゃいかん…!ロア…っ」
「おや、君が光のロア…?」
「早く、逃げるんじゃ、ロア…」
起き上ろうとしたマカロフの体は、そこにいた年老いた男に叩かれ再び地面に突っ伏した。
「君が光のロアなのだとしたら、ゼレフと接触しているな」
「…き、さま…」
「なるほど、力を分断したのか…。とすると、君を手に入れる必要があるらしい」
「貴様…ッ!!」
湧き上がったのは、黒く、冷たい感情。
怒りに溢れた心はもはや自分でもコントロールが効かなくなっていた。
頭が真っ白になる。何もかもがどうでも良くなって、壊したくて、破壊し尽したくて。
辺りを埋め尽くしたのは、ゼレフが恐れていた黒い力だった。
・・・
辺りを黒い炎が包み込む。その禍々しい炎の出所は分かっていた。
“ザンクロウ様”と呼ばれ、自らを神殺し…ゴッドスレイヤーと名乗った男。
ロアと分かれた後、炎の発生源に向かったナツは、この男と対峙することとなった。
「竜狩りの力はこんなもんかよ」
同じ炎の力を持つ相手、しかし、それはナツの力を上回っているようだった。
一発。二発、三発。何度も何度も攻撃を与えるが、ザンクロウはナツのそれを笑いながら受け止める。
「何がゴッドスレイヤーだ。神様に教えてもらったってか!?」
「マスターハデスをあるいは神と呼べるなら、まさにそうだろうな」
「何だ、人に教えてもらったんじゃねーか!」
本物のドラゴンに育てられたナツからすれば、その程度、大したことでは無い。
しかし、何故かナツは奴に押されていた。
「火竜の煌炎!」
「炎神のカグツチ!」
同時に炎の魔法をぶつけ合えば、凄まじい熱気に回りにいた者達が吹き飛ばされる。
それだけでは済まず、奴の言う“炎神”はナツの魔法までも押しやっていた。
「ぐあっ!」
違和感はその時に感じられた。
炎であることには変わりないのに、性質が違うのだろう。
その炎はナツでさえ喰らうことが出来なかったのだ。
「くそ…っ」
「知ってるか?人に火という知性を与えたのは竜じゃねぇ。神だ」
「っ!?」
ナツの炎を、ザンクロウが大口開けて喰らっている。
神がなんだ。そう言える程の余裕は、もうナツに残っていない。
倍返しと言わんばかりに吐き出された炎をまともに受けたナツの体は、あっという間に後方へと吹き飛ばされていった。
「くっそ…久しぶりに焼かれたぜ…」
炎のぶつかり合いの間にハッピーとは既にはぐれてしまっている。
いや、無事ならいい。
ナツは足を震えさせながら立ち上がり、ぐるっと周囲を見渡した。そして違和感を覚えた。
「…なんだ?」
背中に妙な寒気を感じる。そう、先程ロアと一緒にいた男の魔法と同じような。
「ロア…じっちゃん…!」
向こうにはロアとマカロフがいるはずだ。そしてあの力は死をもたらすもののはず。
ナツは背筋がぞっとするのを覚え、迷わず敵に背を向け走り出していた。
茂みを抜けて、嫌な臭いのする方へ駆け抜ける。
そうして辿り着いた場所に、マカロフは倒れていた。
「じっちゃん!?」
「ナツ…」
「大丈夫か、ってうわ!」
まさか、本当にマカロフがやられてしまうなんて。
そう思い駆け寄ろうとしたナツの体は、巨大化したマカロフの手によって包まれていた。
「だ、大丈夫なのか!?つか何すんだよじっちゃん!」
「ロアが…」
「ロア…?そういやロアはどこに…」
残りの力もわずかなのだろう、マカロフの手がいつもの大きさに戻る。
その瞬間、黒い影がすれ違うように通り過ぎた。
手をナツが今来た方へと伸ばしている。そしてその手から放たれたのは、黒い力、死の捕食だった。
「な、何がどうなって…」
本当に一瞬の出来事だった。
目を丸くしている間に全てが無くなった。木々も小さな動物も…恐らく、ナツを追ってきていただろうザンクロウも。
「ロアが力を使いこなせず、暴走しておる…」
「ロア!?」
驚いてそこにいる黒い影に目を向ける。確かに、そこにいるのは黒い髪のロアだった。
しかし、体から溢れ出る魔力は明らかにロアのものとは違う。
「どうやら…本当にゼレフはいるようじゃな…」
「ゼレフ…」
「闇の力をロアが持っている理由は…他に考えられん」
そう言って咳き込んだマカロフは、かなり消耗していた。
今の状況から分かるのは、マカロフ以上の力を持つ魔導士がいるということ。そして、ゼレフがいるということ。
そしてロアが闇の力に包まれているということ。
「じっちゃん…」
「今は…ロアを…」
「っ、分かった!」
ナツは意識があるのかないのか、ゆっくりと歩き遠ざかっていくロアの腕を掴んだ。
触れた部分から酷く軋むような痛みが伝わって来る。
「ロア!」
「…ナツ?」
「ロア止めろ!」
「やめる?ふざけんな…俺は敵を皆殺さなきゃ気が済まねぇ…」
見開かれるロアの目は深い黒で満たされていた。
ロアの声色は落ち着いている。しかし、心は怒りでしかない。
「っ…ロア…、けど…この力は駄目だ…!」
「…」
「こんなの、ロアじゃねぇ…!」
普段からキレやすい所はあった。そうなったらナツにもなかなか止められない。
しかし、こんな禍々しい力を纏っている彼は、本当にロアではないかのようで。
「頼むロア!オレを、見ろ…っ!」
痛みで視界が歪む。
それでも、ナツは力の限りロアを抱き締めた。
「放せナツ!」
「嫌だ放すもんか!オレは…っこんなロア好きじゃねぇ…!」
「っ…」
「怒りに呑まれるような、そんな弱い心じゃねーはずだ!ロア!」
ロアの見開かれた瞳が揺れる。
ナツの言葉は確実にロアの心に届いていた。
それでも、怒りを向ける場所はそこにしかなかったのだ。
「見ただろナツだって!マスターをあんなにされたんだ!」
「んなこた分かってる…!でもこれは違ぇだろ!」
「じゃあどうしろってんだよ!黙ってマスターやられんの見てろってのか!?」
怒りと、微かな悲しみ。叫ぶロアの顔は、どちらにも歪んでいる。
自分の無力さ、そして守れなかった悔しさ。そして敵への怒り。
「ロア、一緒だ」
「あ?」
「オレも、同じだ。だから、一緒に戦うんだろ、オレ達、フェアリーテイルで」
抱き締めていた手を緩め、ロアと向き合う。
がっちりとロアの顔を両手で押さえ、ナツは額と額をごつんとぶつけた。
「大丈夫だ、ロア」
「何が…」
「オレがぶっ倒す。そんで一緒に帰るんだ」
痛みなど感じさせない笑顔で、ロアに呼びかける。
その言葉は、今度こそしっかりとロアに伝わっていた。
「ナツ…」
広がっていた闇の力がロアの体の中に戻って行く。
途端に今にも泣き出しそうな顔に変わったロアがずるりと膝から崩れ落ちた。
「ナツ…っ」
「ん?」
「ごめん…有難う…」
「気にすんなって。ロアが怒ってくれたから、オレが怒らずに済んだしな!」
そう言って笑うナツの体は、ロアのせいで余計にボロボロになっていて。
余計に悲しくなったロアの瞳からは耐えかねた涙が零れ落ちていた。
涙を拭う為に伸ばされたナツの手がロアの頬に重なる。
どうしてこんなに暖かいのだろう。
込み上げる愛しさに、ロアは情けなく濡れる顔を上げた。
「ナツ、俺…」
「悪ィ…ロア、もう駄目だ…」
「え…?」
すぐ近くにあったナツの顔がロアの方に倒れてくる。
咄嗟に抱き留めたナツの体には、既にほとんど力が入っていなかった。
「ナツ!」
戦いがあったとはいえ、ロアを抱き締めてくれるナツの腕の力は強かったのに。
ロアの黒い力。それに真正面からぶつかったダメージが大きかったのだ。
「俺のせい…?俺のせいで…っ、ナツ…!」
「オレはいい…じっちゃんが…」
ナツの首が小さく動く。
その方向には確かにマカロフが傷だらけの状態で倒れているが、具合の程度からすればどちらも大差ない。
そしてそんな二人を選ぶことなんて出来ないし、何よりロアには治癒魔法という大層なものは備わっていなかった。
「どうすりゃいんだよ…!ナツ、マスター…!」
一度引っ込んだ涙がまた溢れ出そうになる。
こんなところで立ち止まっている場合じゃないのに。皆戦っているのに。
「ロア!?ロアだよね!?」
絶望に拳をきつく握り締めた時。
聞こえてきた高い声は、上空から一気にロアの元へ近付いてきた。
「ハッピー…?」
「良かった!ロアだ!ってナツ!?」
ぱたぱたと舞い降りてきたハッピーは、ロアに寄りかかるようにして倒れているナツに気付き、真ん丸の目を更に丸く見開いた。
ゆっくりとナツを地面に横たわらせると、閉じてしまった目はもう開かない。
「ナツ…!どうしてこんなことに!?」
「ごめん、ハッピー…俺のせいだ」
「え?」
卑屈になりそうになる。自分を責めて、強く殴って欲しい気分だ。
しかし、くじけてはいられない。
ロアはハッピーの小さな手をぎゅっと掴んだ。
「頼む…ハッピー、ウェンディを連れてきてくれ…」
「え…」
「ナツもマスターも…俺じゃ救えないんだ…っ」
悔しいけれど、ここまで傷ついてしまった彼等を救えるのは、天空の、治癒の力を持つウェンディだけだろう。
今は彼女に託すしかない。
「わ、分かったよ…ねぇ、でもその前に聞いてもいい?」
「ん?」
「ロアは、どこに行っちゃうの?」
ハッピーの揺れている瞳がロアを捕らえる。
黒くなってしまった髪が、何か不吉なものを感じさせたのか。
ロアは一瞬目を丸くして、それからふっと笑いかけた。
「大丈夫。俺は…ちょっと、やらなきゃいけないことがあるだけだよ」
「ホントに?帰ってくるよね?」
「あぁ。大丈夫、だから、ナツを頼む」
「…うん!」
きりっと眉を吊り上げて頷いたハッピーが勢いよく飛び立っていく。
それを暫く目で追って、それからロアは迷うことなく立ち上がった。
「ごめん、ナツ…きっとハッピーが、ウェンディを連れて来てくれるから…」
ここにナツとマカロフを置いていくのはとても不安だが、見守っていてもロアに出来ることはない。
とにかく今は、自分のすべきことをしなければ。
「…ゼレフ」
どうか、まだ見つかっていませんように。
ロアは後ろ髪ひかれる思いをなんとか振り切り走り出した。
彼の力が体に宿っているからだろうか、微かに感じる気配が居場所を教えてくれる。
そんな根拠のない感覚を目指して、ロアは黒い髪を揺らしながら足を進めて行った。
どこで誰が戦っているのか。今、誰がどこで傷ついているのか。
何もわからないことが怖くて、自然と足が早まる。
「…誰も、やられてねぇだろうな…」
そもそもここに来たフェアリーテイルのメンバーは皆強い。
しかし、既にマスターがやられたのを知ってしまっているせいで、不安ばかりが大きくなってしまう。
とはいえだ。
“ゼレフがやられる”などという想像は全くしていなかった。
「ゼレフ?」
心配があるとすれば、何も知らない彼が敵に手を貸してしまうという状況。
ゼレフは強い力を持つ者だと思っていたからだ。
「貴方から来てくれるとは思わなかったわ。“光のロア”」
「誰だテメェ…!」
ゼレフの気配を追って辿り着いた場所。
そこで待ち構えていたのは、ゼレフを大事そうに抱きかかえている女だった。
「私は七眷属の長、ウルティア」
「七眷属…。グリモアハート…。お前達は何がしたいんだよ、なんでこんなことをする!?」
ここはフェアリーテイルの聖地。
そして、今はSランクの試験をしている、それだけのはずだったのに。
「どうして、マスターを、ナツ達をこんな目に合わせる…!」
「悪いけど、貴方達に用はないの。私はただゼレフが欲しいだけ…」
「じゃあなんで」
「なんで?ついで、といったところでしょうね」
理解出来るはずもない。
いや、理解などする必要ないのだろう。
彼等グリモアハートは闇ギルド。ただこの期にフェアリーテイルを潰したかっただけ。
「…もう一つ聞かせろ、そのゼレフを手に入れてどうするつもりだ」
「ふふ、知らないの?ゼレフがこの世界の王となる時、大魔法世界が誕生すると」
「大魔法世界…?」
「魔導士だけの理想郷よ」
ウルティアの言葉が頭にがんがんと響いていた。
あぁ、どこの世界もそうなのだ。ミストガンの世界、エドラスが永遠の魔法を求めたように、こちらも魔導士だけの世界を求めるか。
「…そんなものの為に」
「そんなもの?貴方は何も知らない。この世界の不条理を」
「俺は、お前を許さない…!」
「残念ね、でも今の貴方は私の敵じゃない!ゼレフがそうだったようにね!」
構えた拳がウルティアのそれと交わる。
ウルティアの腕からどさりと地面へ落ちたゼレフは、目を開けなかった。
「ゼレフ!何してんだ目ェ開けろ!」
「無駄よ。ゼレフもそして貴方も不完全、力を使いこなせていない」
「くそ…っ!なんで、こんな…!」
確かに、ウルティアの言う通りだった。
そしてゼレフの力を体に宿すロアもまた、まだ力を使いこなせる状態にない。
「さぁ、貴方も私の手に!」
「くっ…!」
怒りに身を任せてはいけない。
この力を使いこなさないと勝てない。
焦りはロアの行動を乱し、そして相手に攻撃の隙を与えさせてしまった。
体を貫く氷の感触。
何故だろう、ウルティアの魔法はグレイと同じで、ただそれよりも冷え切った痛みを感じた。
・・・
「あ!大丈夫ですか!?」
がばっと起き上った体を見て、ウェンディは嬉しそうに手を合わせた。
その横で両手を挙げて喜んだハッピーはすぐさま彼の体に抱き着く。
「ナツ!今回は本当に駄目かと思ったよ!良かったぁ…!」
「…、オレ…そうだ!じっちゃんは!?」
「ここにいるよ!」
焦った様子で辺りを見渡したナツの体は、すっかり完治している。
蓄積されていた怪我も全てウェンディの力によって治されたようだ。
「ありがとな、ウェンディ」
「いえ」
自分の体とマカロフの様子とを確認したナツが、にこりと笑う。
しかし、ナツはすぐに焦ったように顔を上げた。
「そうだ、ロアは!?」
「ロアは…何かすることがあるって、行っちゃった」
不吉な黒い髪を揺らして、どこか遠くを見ていたロア。
不安を感じながらも、ハッピーはロアを見ている事が出来なかった。
「ねぇ、ナツ…ロア、大丈夫だよね」
「…ロアはフェアリーテイルのSランク魔導士だぞ。大丈夫に決まってる」
「でも、やっぱり心配だよ。ロア、いつも無茶するし」
最近、急激に外へ出ることが多くなった。
狙われる程、捕まってしまう程弱くないけれど、ロアはどこか危ういところがある。
それが分かっているからか、ナツの手にも力がこもった。
「嫌な臭いがすんだよな…」
ぽつりとナツが呟く。
ウェンディも空を見上げて眉を寄せた。
「どうなるんでしょう…」
「戦うしかねーだろ」
「そうですよね…」
ばっと立ち上がったナツが、迷いなく足を進め始める。
嫌な臭いがする方へ。戦いの、敵の匂いがする場所へ。
がくんと膝が折れる。
痛みを感じられないくらい朦朧とする中、なんとか目を開いて見上げた。
「待て…、お前、誰なんだ…?」
ウルティア、そう名乗った女。
釣り目で、少し派手な顔つき、一般的に見れば美しいそのプロポーションと容姿。
いや、そこはどうでも良いのだ。問題は、その魔法。
「グレイと、同じ…お前の魔法は…」
「あぁ、そのこと?私の母はグレイの師なのよ」
「そ…んな」
グレイの小さい頃の話はあまり聞いたことがない。
しかし、グレイがその師を慕っているということは分かっている。
ただ、もう亡くなってしまっているけれど。
「良い勘ね。まあ分かったところで貴方には何も出来ないでしょうけど」
「な、」
「ふふ、利用させてもらうわ、彼の優しさをね」
綺麗な顔が不敵な笑みを作る。
そんなことをさせるわけにはいかない、そう思ったのに体は思うように動かなかった。
その追い打ちをかけるかのように、彼女の足はロアの体を蹴りつける。
「ぐっ…!」
「大人しくそこで寝ていなさい」
倒れたロアの腹部にもう一度重い蹴りが入って。
ロアは思い切り後ろにあった木にぶつかると、今後こそ動くことが出来なかった。
視界には離れていくウルティアと、木の幹に背中を預けたまま動かないゼレフ。
「…、んで…俺は…」
自分に出来る事。
唯一ゼレフと接点を得たからこそ、彼が彼女達の手に渡ることを防がなければ。
そう思っているのに、戦うことも守ることも出来ない。
(…悔しい、皆を、ゼレフを守りたいのに)
せめて、この闇の力を使いこなすことが出来れば。
光の力を、取り戻すことが出来れば。
震える手を伸ばして、ゼレフの手に自分の手を重ねる。
冷たい手だ。痛みや悲しみが伝わってくるような錯覚に陥る程冷え切った体。
「ゼレフ…お前を理解出来たら、…この力を、扱えるようになんのかな…」
命の大切さを知ってしまった、だから今は力がコントロールできない、ゼレフはそう言っていた。
なら、命の尊さを忘れれば良いのか?
「駄目だ、そんなの…ッ」
ロアはぐっと手に力を込め、ゆっくりと足を立たせた。
胸が苦しくて、何度か咳き込み血を吐き出す。
どんなに体がぼろぼろになったって構わない。分かっていて動けないなんて、そんなの耐えられなかった。
・・・
今何がこの島で起こっているのか、正直なところ良く分かっていなかった。
だから偶然見かけたフェアリーテイルではない人間、そして師であるウルに良く似ている女を追いかけていた。
「…見失っちまったか」
いつの間にか降り注ぎ始めた雨、暗い空は何か今後を暗示しているようで、嫌な予感がする。
まだ遠くにはいっていないだろう、謎の女を再び見つけるべく、グレイは途方もなく足を進めた。
「私に何か用?」
「っ!?」
しかし、その声は後ろから聞こえてきた。
ばっと振り返ると、目的の女…やはりどう見てもウルそっくりである女がそこに立っている。
「お前…まさか、ウルの」
「そう、私はあなたの師であるウルの娘、ウルティアよ。グレイ、ずっとあなたに会いたかった」
ウルは死んだ。それは弟子であったグレイの甘さが招いたことでもあった。
だからこそ、その娘であるウルティアは、自分を恨んでいると考えた方がまだ現実味があるというのに。
「会いたかった…?」
「そう。私とウルの意志…それを叶えることが出来るのはあなただけ、だから」
「意志?」
「私の父はグリモアハートのマスター、ハデスに殺されたの。母は仇を討つ為に水面下でグリモアハートを追っていたわ」
悲しげに眉を寄せて、ウルティアがグレイに近付く。
そして差し出した手はグレイの手をぎゅっと握り締めていた。
「私もグリモアハートに潜入したけれど、ハデスの魔力は想像以上で…ウルもそれを知っていたからアイスドシェルを習得したのよ」
「アイスドシェル!?」
「私の知る限り、今ハデスを倒せる魔法はアイスドシェルしかないわ。でも私には習得出来なかった…」
アイスドシェル、術者の身を犠牲にして敵を永遠の冷凍状態にしてしまう魔法だ。
最強の氷魔法…それを使える魔導士はウル亡き今、恐らくグレイしか存在しない。
「…オレならハデスを倒せる」
「でも、術者のあなたが」
「それは構わない。一度それでウルを犠牲にしたオレが、文句を言えることじゃねぇからな…」
ウルティアの事も勿論だが、今のこの現状を打破するためにはハデスを倒すしかないのだ。
それを思えば、自分の身の事など大した問題ではなかった。
「アイスドシェルを使う。それは…お前の為じゃない、フェアリーテイルの為だ」
「…どんな理由でもいいわ。有難う、グレイ」
そう決めたのなら、行動は早い方がいい。
どうやら既にグリモアハートとの戦いでかなり犠牲は出ているらしい。
ならばすぐにでも。その意志の元グレイはウルティアに背を向けようとして、ぴたりと固まった。
「だめ、だ。グレイ、そいつの言葉を真に受けるな…っ」
自分を呼ぶ微かな声。ウルティアの後ろにその人は立っていた。
濡れた黒髪をはりつけ辛そうに歪められた顔は、見紛うはずもないロアのそれ。
「グレイ、…っ、」
「ロア、お前…?」
傷だらけの彼を前にしてグレイが動けなかったのは、何よりも疑問の方が大きかったからだ。
綺麗な金の髪と瞳は一体どこへ。
「…まだ動けたのね」
「大事な、仲間んとこ行くって分かって…じっとしてられっかよ…っ!」
一歩踏み込んで弱弱しい拳を振り上げる。
そんなロアの攻撃はさらりとかわされ、それどころかウルティアの拳を腹に受けることとなった。
「う…っ、」
苦痛の声すらもくぐもって表に出てこない。
どさっと地面に膝をついたロアは、それでも目は強くグレイを見つめていた。
「お前は、ロアなんだな…」
その視線に応えるようにグレイが呟く。
その言葉に、ロアはただ強く首を縦に動かした。
「なら、悪いけどアンタには応えられない」
「…愛する師の意志を裏切るというの」
「確かにウルは大事な師だ。けど、今のオレにはもっと愛する人がいる」
ウルティアの目がグレイの視線を追う。
グレイのウルへ揺れた思いが、今は真っ直ぐに仲間を捕らえていた。
「なるほどね…仕方ないわ、人は光を恋い焦がれるものだものね。だけど」
ウルティアの手がそこに崩れたロアの腕を掴む。
そのままぐいと引き寄せると、無理矢理立たせたロアの首にナイフを押し当てた。
「グレイ、貴方も自分の立場を分かっていない」
「ロア!」
「この子は人質。さぁ、グレイ、貴方はハデスを倒すのよ!」
悔しいけれど、もうウルティアに対抗する力はロアの中に残っていなかった。
力の入らない自身の掌を見下ろすも、光は体の奥そこに眠ったまま流れてこない。
駄目だグレイ、逃げてくれ。戦わなくていい。その言葉さえも擦れて息に変わってしまう。
「テメェ…!正々堂々来いよ!母親に代わって説教してやる!」
「私は煉獄の七眷属が長…貴方ごときが抗える相手じゃない!」
悔しい。どうしてこんなことに。
ウルティアの魔法とグレイの魔法とがぶつかる瞬間、ロアは目を閉じてしまった。
見ていられなくて。グレイが自分のせいで傷つくのが怖くて。
しかし、展開は思わぬ方向へ転がった。
「ロア!」
ウルティアの腕を離れて倒れる寸前だったロアの体をグレイが抱き留める。
膝をついたのはウルティアの方だった。
「え…」
「大丈夫だ。オレだって強くなってる。あんな女には負けねぇ」
グレイの手がロアの頬を撫で、そしてニッと力強く笑う。
それからゆっくりとロアの体を離すと、グレイはすぐにウルティアと対峙した。
「ぐれ、…」
「待ってろ、アイツ倒して戻ってくっから」
「っ、」
待って、と伸ばした手はグレイには届かない。
グレイはウルティアの首に腕をかけると、そのまま崖に飛び込んで行った。