ナツ夢(2012.02~2016.05)
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船の上。そこにいる彼等はフェアリーテイルの聖地、天狼島を目指していた。
ロアはというと、乗り物酔いに苦しむナツを助けたいのに助けてあげられないもどかしさと葛藤している。
助けてあげられない、誰かの手助けをすることを許されない。既に彼等の戦いは始まっているのだ。
「ねぇ、ロア。他の皆は?」
「ん?」
「ミラさんとか、エルザとか…」
ルーシィが並べるのは、皆S級魔導士ばかり。
それもそのはず、その船上に見慣れたメンバーであるエルザやミラがいないからだ。
S級魔導士たちは先に天狼島にいるからなのだが。
「皆先に行って準備してるんだよ、きっと」
「ロアは?いいの?」
「俺はー…マスターが過保護だからさぁ」
ロアは風で吹き上がる金の髪を手で抑えながら、前方に見えるマカロフを見つめた。
天狼島について知っている者は少ない。というのも、フェアリーテイルの聖地だとか呼びながら、普段一切行くことなどないから。
では何故聖地と呼ばれているのか。それは、フェアリーテイル初代マスターであるメイビス・ヴァーミリオンが眠る地だからだそうだ。
この事実を、以前行ったことがある為にロアは知っていた。
そして以前も今回も、天狼島に行く目的は同じ。
「…懐かしいなぁ、S級魔導士昇格試験」
「そっか、ロアはこの道を通って来たんだもんね」
「おー、すごいだろ」
S級魔導士昇格試験。その名の通り、S級魔導士になるチャンスが与えられる場である。
そして今回そのチャンスを与えられたのは、ナツ、グレイ、ジュビア、エルフマン、カナ、フリード、レビィ、メストの八人。
それぞれパートナーを一人選んで連れてきている。
言わずもがな、既にS級の者はそのパートナーになることが出来ない。
「なーにナツのこと見つめてんのよ」
「え、見つめてねーし…」
「パートナーになれなくて悔しいんでしょ」
「…そういうルーシィはよくもまぁ、まんまとくっ付いて来たもんだよ」
ルーシィはカナのパートナーとして今回参加している。
ちなみに、ナツのパートナーはハッピーだ。
そして恋敵であるリサーナはジュビアのパートナーとしてついて来ている。
「…」
「ロアー?」
「ん?何、ルーシィ」
「何じゃないわよ、もう。ナツのこと気になるなら話に行けばー?」
ルーシィに指摘され、ロアの頬はぼうっと熱くなった。
こんなに気になるのは、S級昇格試験にナツが出るから、というだけではなく。
ここ最近、ナツに全然相手をしてもらっていなかったからだ。
昇格試験前は、皆それぞれ一人で頑張り出す。
昇格試験に選ばれる為に、良いところを見せておきたい、というのが理由だ。
それは当然ナツも同じで。
「ナツ…」
せめて頑張れの一声ぐらいは。
そう思ってナツに一歩近付いた瞬間、ロアの前に一人の男が立ち塞がった。
「…お前」
「ん?なんだロアか」
その男は、前回の昇格試験にも参加していたメストだ。
丁度動くタイミングが同じだっただけで、特に用があったわけではなかったらしい。
「何だよー。せっかく俺が決心したとこだったのに」
「なんか、悪かったな?」
メストとはギルドで関わったことがほとんどない。そのせいか、前回の昇格試験では惜しいところまでいった優秀な魔導士、ということしか記憶にない。
ような気もするし、大いに関わっていたような気もする。
曖昧すぎる自分の記憶に、ロアは首を傾げてメストを見上げた。
「…メストって、普段何してるっけ?」
「なんだそれは」
「や…なんか、俺と関わったことあった?」
「無いかもな。君の周りはナツやグレイで騒がしいことが多いようだし」
まぁ確かに。
基本的にロアと共にいる面子はワンパターンだ。
それもそうかと頷きつつ、ロアはメストから視線を逸らした。
「それに、オレはミストガンの弟子だったからな。ほとんどギルドにはいなかった」
「へぇ……え…?」
逸らした視線をばっとメストに戻す。
ミストガンの弟子で、関わりが無かったはずが無い。ミストガンの弟子はこちらも同じ。
「ロア?どうかしたか?」
「い、いや…」
なんだこの違和感は。
メストへの不信感が募る。これは、見過ごしていいのか。
じっとメストを見つめていると、メストも困ったように苦笑いを浮かべて首を傾げた。
「なぁ…お前…」
メストへ一歩詰め寄る。
しかしその時、船が進むのを止めた。
「これより一次試験の内容を発表する」
なんというタイミング。
ロアは唇を尖らせながらも高い所に立っているマカロフを見上げた。
天狼島に設けられた八つの通路。
それぞれの道に一組ずつ入ることが出来、またそこを突破した者だけが一次試験の合格を認められる。
八組のうち二組がぶつかり戦わなければならない道、待ち構えているS級の魔道士を倒さなければならない道、誰とも戦わずに突破できる道。
武力と運が試される試験である。
「さあ、試験開始じゃ!」
マカロフがばっと手を広げるが、そこはまだ海の上。
ゆっくりと船は進んでいるものの、まだ天狼島まで距離はある。
「なるほど、そーいうことか!行くぞハッピー!」
「あい!」
そう、試験は島についてからスタート、だなんて甘いものではないのだ。
すぐさまマカロフの意図に気付いたナツが船から飛び出そうとする。
「あ…!」
ナツに、一言だけでも。ロアが思わず声を漏らすと、ナツがぱっと振り返った。
「ロア?」
「あ…、ナツ、待ってるから!」
「おう!」
ナツがニカッと笑う。それに応えるように、ロアもニッと笑い返した。
ハッピーに掴まったナツが船から飛び立って遠ざかる。それを見た他のメンバーも海に飛び込んで島を目指して行動を始めた。
言って良かった。ナツの笑顔が見れただけで十分。
ロアはS級昇格を目指して意気込む彼等の背中を見つめながら、吹き上がる髪を片手で押さえた。
「ロアよ」
「…マスター」
先ほどまでの厳格な表情を崩したマカロフが、足元でくっくと笑っている。
「やはり一押しはナツか?」
「んー…皆頑張って欲しいけど、やっぱりナツにはここまで来て欲しい、ですね」
「うむうむ」
にやにやと笑っているマカロフは、ロアのナツへの思いがどんなものなのか知っているようだ。
素直に話したことが急に恥ずかしいことに思えてきて。
「…俺も、後を追います」
光を足に集中させて、ロアは船の上から跳び上がった。
島の中心の大きな樹木は天まで届きそうな程に太い幹を伸ばして。木の天井がもう一つの島のようになっている。
神秘的な姿。島の上に島があるようなその姿に、ロアは思わず見惚れていた。
「ここで…始まるんだ」
見守るしか出来ない、彼等の闘いが。
いつもロアに対して過保護なマカロフも、フェアリーテイルの聖地では少し気が緩んでいるらしい。
天狼島の大きな木。その上に作られたもう一つの島の上。
そこに造られたメイビスの墓石の横に、マカロフとロアが居た。
「マスター…」
「なんじゃ?」
「…暇、ですね」
ずずっと茶をすする音が耳を掠める。
マカロフはそこにある岩の上に座って、ただ茶を飲んで時間を潰していた。
「何を言っておる。ワシはここの神聖な空気を味わっておるのじゃ」
「はぁ」
「ロアにはまだわからんかも知れんのう」
そしてまたずずっと茶をすする。
確かに、自然以外の他に何もないこの場所の空気は良い。
すっと息を深く吸って、目を閉じる。吹き抜ける風が気持ち良くて、ロアはふっと笑みを浮かべた。
「ロア、お前は本当に綺麗じゃのう」
「…はい?」
「自慢の息子じゃ」
ほっほと笑うマスターは何を考えているのか知らないが、ロアは胸が暖かくなるのを感じた。
何も考えていないようで、マカロフはいつも様々なことを考えている。
そして、それに何度も助けられてきた。
ロアの体に宿る光の力も、マカロフのおかげで好きになれた。
「マスターは、俺の自慢の親父ですよ」
「そうかそうか」
茶を置いて、すっとマカロフが立ち上がる。
「暫くはここで様子見じゃな」
「…そうですね」
「ロアは自由にこの島を散策して来て良いぞ」
「…」
ふうっと息を吐いたマカロフは、背中から酒瓶を取り出した。
さりげなく、ロアがここを去りやすい空気を作ってくれたのだろう。
ロアはこくりと頷いて、手を太陽にかざした。
暖かい、ロアの力の源。
そんな暖かい空気とは見合わない砂煙がところどころで上がるのは、どこかで戦闘が行われているからだ。
ロアは真っ直ぐにナツの元へと向かって移動を始めた。
S級魔導士として、挑戦者の相手をすることになっているのは、エルザとミラとギルダーツ。
S級の名をもらっているロアも勝てる気がしない三人に、勝てる奴などいるとは思えない。
ミラとギルダーツは挑戦者に甘くしてくれそうだが、エルザは。
「エルザと当たった奴は、運が悪かったとしか言えないな…」
エルザは手を抜く、ということを知らない。
ロアは思わずぷっと笑って、挑戦者の進む道のりを逆に進んだ。
「あーロアだ!」
一次試験を抜けた先のゴール地点。そこには、一次試験を既に終えた一チームが到着していた。
「レビィとガジルか。もしかして当たり引いた?」
「うん!“静”のルートだったよ!」
レビィは運よく誰もいない、ただ抜ければ良いだけの道を選べたようだ。
退屈そうにレビィの横に座っているガジルは、戦いたかった、とでも思っているのだろう。
「ロアは今回は何もしないの?」
「多分」
「そっかぁ。ロアと戦ってみたいって思ってる人もいっぱいいるだろうにね」
「えー?そうかな」
ここ最近のロアの戦歴といったら、ろくなものがない。
そろそろSランク剥奪とか、リアルに有り得る頃だと自分でも思う。
「そーいや、ガジルとは手合せしたことないかもな」
「相手してくれんのか?」
「いや、しねーけど」
ここまで戦闘無しで越してしまったガジルはやる気満々のようだが、残念ながらそんなルール外のことは出来ない。
というのは建前で、ガジルの攻撃は当たったら洒落にならなそうなので遠慮したかった。
「じゃ、俺は適当に覗きに行ってくるわ」
「ナツが気になるんでしょー?」
「うっせ」
どうやらロアのナツへの好意は公認らしい。
恥ずかしいような、でも少し嬉しいような複雑な気持ちだ。
「ねぇ、ロア」
背中を向けて歩き出そうとしたロアをレビィが呼び止めた。
「最近元気なかったの、もしかしてリサーナのこと気にしてた?」
「え…」
元気なかった、だろうか。
いや確かにリサーナとナツが話している間はあまり近寄らなかったけれど。
「…もしかして、俺…顔に出てた…?」
「ふふ、大丈夫だよ。リサーナとナツは、そんなじゃないから」
「や、めろよ。俺がなんか、すげぇ心狭いみたいじゃん…」
レビィに気付かれているとなると、もしかしてギルドのほとんどの奴にも感づかれていたのではないか。
急に自分が恥ずかしくなって、ロアは意味もなくレビィの頭を小突いた。
「いたっ」
「余計なこと言うなっ」
「もー。照れ隠し!」
「ばーかレビィのばーか」
べっと舌を出して、今度こそレビィに背中を向ける。
はぁ、とガジルのため息。それは聞こえなかったことにした。
木々の生い茂った中に入り込む。
幻想的、というかなんというか。見たことのない生物もそこには存在している。
それを何気なく眺めながら、ロアは心を落ち着かせていた。
不思議と、ナツがどこにいるかわかる。
八つも道がそこから繋がっているのに、ロアは迷うことなく道を選択していた。
暫く進んだ頃だった。
空気がざわっと揺れるのを感じて、ロアは立ち止まった。
強すぎる魔力に空気が振動している。
もしこの先にナツがいるのだとしたら、ナツが当たったのは…
「ギルダーツ…」
これほどの魔力は、エルザにもミラにも無い。やはりギルダーツの強さは群を抜いているのだと改めて実感した。
そして、これを目の前で浴びたナツは、無事ではいないだろう。
「…ナツ!」
重い足をなんとか踏み出して、ロアはナツを目指した。
とにかくナツが心配で、ギルダーツの魔力で震える腕を胸に押さえ付ける。
木々を抜けて少し開けた場所に出ると、そこには凛とした面持ちで立っているギルダーツ。
そして、そのギルダーツを前にして膝をついているナツ。
「…っ」
駆け寄りそうになるのをぐっと堪えた。
邪魔はしちゃ駄目だ。ギルダーツの判断を仰いでから出ないと。
ギルダーツは、ゆっくりと視線をロアに移した。そして深く頷く。
「…?」
後は任せた、ということで良いのだろうか。
ギルダーツは何も言わずに黒く長いマントを翻してロアの方へ近付いて来た。
ギルダーツの大きな手が、ロアの細い肩にとんと乗る。
「ナツは大丈夫だ」
「あ…」
「ちょっといじめちまったがな」
「…」
ちょっとじゃねーだろ。
ロアは軽くギルダーツを睨んでからナツへと駆け寄って行った。
ナツのことだ、ロアが来たことには気付いているはず。それでも、膝をついたまま動かない。
「…ナツ」
近付いても、声をかけても反応が無い。
余程のショックを受けたのか、それとも落ち込んでいるのか。なんて、ナツの辞書にはないような事ばかりが浮かんでしまう。
「…ナツ、顔見せて」
ロアの言葉に、ナツは小さく首を横に振った。その瞬間に地面を濡らしたのは、ナツの涙。
ロアはナツの前でしゃがむと、小刻みに震えるナツの肩を掴んだ。
どうしようもなく込み上げる愛しさ。ナツが弱い部分を見せることなんて滅多にない。
いや、未だ嘗て無かったかもしれない。
「…ごめん、ナツ」
突然謝ったロアに、ナツの顔が少し上がる。
有ろうことか、ロアはそのナツの唇に自分の唇を重ねていた。
「ロア…」
「ナツ」
「な、何してんだ…?」
「え、…あ…!」
ナツの言葉で我に返る。
ロアは掴んでいたナツの肩を自分から引き剥がした。
ナツの弱い部分を目の当たりにして気分が高揚したからって、まさかこんな。
熱が一気に顔に集中する。
ぽかんと見つめてくるナツの顔が見れない。
「…っ!!」
「あ、おい…!」
恥ずかしさのあまり、ロアは上空へと逃げ出していた。
生い茂る木々の間をすり抜けて、試験場所として使っていない方へと向かう。
「俺、俺今…!」
自分の頬を押さえて、自分の行動を顧みる。
一番してはいけないことをしてしまった。驚いたナツの顔と、暖かかった唇が忘れられない。
「やっちまった…」
ずっと今まで我慢してきたことが、こんなことで崩れてしまうなんて。
足への集中が途切れて、ロアは地面へと体を叩き付けた。木に引っかかったおかげで大きな怪我は無かったものの、小さなかすり傷が肌に刻まれる。
仰向けになったまま、ロアは自分の顔を両手で覆った。
「あ、あ…」
自分への嫌悪感と同時に、ナツへの思いで高鳴る鼓動を抑え込むことが出来ない。
好きで好きで堪らない。誰にもナツを渡したくない。リサーナにもルーシィにも。
抑えきれなくなった思いは増して行くばかりで。
自分の行動に混乱していたロアは、そこに忍び寄る人影に気付くことが出来なかった。
レビィとガジルがいち早く到着していた場所に、勝利した者達が集まっていた。
メストとウェンディに勝利したグレイとロキ。
フリードとビックスローを破ったルーシィとカナ。
ミラジェーンを策略により突破したエルフマンとエバーグリーン。
そして、ギルダーツに背中を押されたナツ。
「ねぇ、ナツってばどうしたの?」
ずっと何かを考えるように俯いたままでいるナツを、ルーシィが覗き込んだ。いつも煩いほどのナツがこうも大人しいと、気持ち悪くて仕方がない。
それでも全く反応を示さないナツに、さすがに心配になってしまった。
「ギルダーツと当たったんだろ?ナツがギルダーツに勝ったとは思えねーしなぁ」
グレイがにやっと口角を上げる。
しかしやはりナツに反応はなく。何故かその横にいるハッピーが頬を赤く染めた。
「ナツ、いつまで落ち込んでんの。それとも照れてるの?」
「いや…ちょっと考え事…」
ハッピーの問いかけにも、ナツの反応は薄い。
考え事、その内容はやはりギルダーツのことと、ロアのこと。
ギルダーツを己の弱さを知る事も大事だと言った。そして、S級になって来いと言ってくれた。
とまあ、それだけならここまで悩まなかっただろう。
「…ロア」
見たことない程近くにあったロアの顔。
経験はないが、その行為がどういうものかということくらい、ナツだって知っている。
グレイとロアがしているところを見かけて、怒りを感じたこともあった。
「なぁ、ハッピー」
「んー?」
「あれってつまり、それだよな」
「それはやっぱりあれだと思うよ!」
「…」
何言ってんだ、とルーシィもグレイも顔をしかめた。
ナツの頭の中にはさっきの映像がこびり付いている。
自惚れそうになる。自惚れていいのだろうか。慰めてくれただけ、という可能性もある。
「…あー!駄目だわかんねぇ!」
急に大きな声を上げてナツが立ち上がると、心配そうにナツを見ていたメンバーもびくっと震えて目を丸くした。
「とにかく、S級になってロアに告る!それでいいんだろ!」
そしてその雄叫びに、皆が言葉を失った。
今更そのナツの思いに驚くものなど居はしないが、まさかここまでオープンに来るとは。
「誰がS級魔導士になるか勝負だ!」
グレイとレビィとカナとエルフマンに向けられたナツの指先。
彼等は、ナツにだけは負けたくない、という思いを共有し合っていた。
そんな流れで始まった二次試験。
その内容は、この天狼島のどこかにある初代ギルドマスターであるメイビスの墓を探す、ということ。六時間という制限時間付きだ。
ここからは完全に自由に島を動き回ることが許される。
彼等はそれぞれ墓を探して走り出した。
・・・
顔を覆って、自分の心臓の音だけを聞く。
どれほどそれを続けていたかわからなくなった頃、がさっという音が聞こえてロアはようやく体を起き上がらせた。
「…誰だ?」
集まっていた熱が拡散していく。
この島はフェアリーテイルの聖地。フェアリーテイル以外の人間がいることは、有り得ない。はずなのに。
「…こんなところに、人が…。ここなら誰もいないと思っていたのに…」
ロアの目の前にいる妙な格好をした男は、ぼそぼそと一人言を呟いている。
ぼんやりとした顔に敵意は見えない。
しかし、念の為に警戒心と解かず、ロアは立ち上がった。
「ここは、フェアリーテイルの管理する島だけど?あんた、どうやって入ったんだ?」
「そうか…ここはギルドの管理する島だったのか…」
「あんたは誰だ?」
一歩、その男に近付く。
それに合わせて男は二、三歩後ずさった。
「駄目だ、ボクに近付いちゃいけない」
「何言ってんだ…?」
「島からは出て行く。だからボクに近付かないで」
「いや、そういう訳にもいかねーんだけど」
「あ…あ…」
男は頭を抱えて辛そうにしている。
なんだか、こちらが悪いことをしている気分になってしまうが、余所者を放っておくことは出来ない。
しかし、もう一歩ロアが男に近付いた瞬間、ざわっと木々が騒ぎ出した。
「…?」
「死の…捕食が…」
死の捕食。訳の分からないことを男が呟いた直後。
男を中心に辺りの生物が死んでいった。植物、動物、全ての生きる者が。
「な…!」
何か行動を起こすよりも驚きの方が大きくて、ロアはその“死の捕食”から逃げることが出来なかった。
目を閉じて、顔の前に手をかざす。恐らく意味の成さない抵抗。
しかし、ロアの体には異変は無かった。
何か嫌な黒いものが通り過ぎた感触だけが過ぎ去って行く。
「な、なんだったんだ…?」
枯れ果てた荒地となったその周辺を見渡して、ロアはその男を睨み付けた。
今のは、間違いなくこの男の発動した魔法だ。
「おい、お前!」
「…え…君は、一体…。そうか、君が…光の力を持つ魔導士…」
この男がやった、ということは間違いないのに、やはり敵意はなく。それどころか、ロアを見てきょとんとしている。
そんな男の態度にロアの方がどうしたら良いのかわからなくなってしまった。
「おい、なんなんだよお前…」
「君、そうか…君が…」
「え、ちょっと、おい」
ロアを見た男の目からはぼろぼろと涙が溢れ出して。そして初めて男の方からこちらに向かってきた。
明らかな敵意があるならばやりやすいのに。
困惑したロアは逆に一歩も動くことが出来なかった。
「君だけが…光の者だけが…ボクを受け止めることが出来る」
「な、何言ってるんだよ…」
「会いたかった…」
手の届く距離まで近付くと、男はロアの頬に触れた。
その手を弾かなかったのは、その手が慈しむように触れてきたから。その男が余りにも悲しそうに、そして嬉しそうにするから。
「ボクはもう…誰も殺したくない…」
「…」
「この、ボクの力…少し預かってくれないだろうか」
「…は?」
うっかり同情しそうになって、そして抵抗することを忘れていた。
近付き過ぎた距離に力が加わることで、二人の距離は近付き過ぎて。なんの嫌がらせか、奇妙だが綺麗な男の口付けを受けることとなっていた。
「っ、!?」
「謝っても許されないと思う…。でも、君しかいないんだ…」
「は、はな、せ…っ」
「ごめん…ごめん…」
頭に回された手がキスを強要する。
深く重なった途端、体に巡る熱い感覚。
「ぁ、あっ、」
びくっとロアの体が震えた。内側から浸食されていくような、痛みと快感とが混ざったような。
この程度のことなら、男を殴って抵抗することは出来ただろう。
それをしなかったのは、ロアが既にこの男に同情してしまったのが原因だった。
殺したくない、この力を手放したい。
その思いを正面から受けてしまったから。
「んん…っ!」
ぱっと唇が離れ、ロアはその場にがくりと項垂れた。
「ぁ…はぁ…っ」
体に力が入らない。自分と違う、別の人間の魔力が体を浸食しているせいだろう。
初対面の男の妙な力を受け入れてしまったことを今更ながら後悔して、ロアは薄く瞼を持ち上げた。
「ごめんなさい、…っ、まさか、こんなことになってしまうなんて…」
「え…?」
「光の人…どうか君の名前を教えてくれないだろうか…」
「、ロア…じゃなくて、お前は誰なんだよ」
ぐずぐずと涙で濡らした顔を袖で拭ってやると、男はほんの少しだけ笑顔を見せた。
それも一瞬で、すぐに申し訳なさそうな表情に戻る。
頬に触れていた男の手がするりと移動してロアの髪を梳いた時、ロアは初めて自分の体に起きている違和感に気付いた。
「待て…俺、の髪…」
目の前に映ったロアの髪は、きらきらと輝く金の髪は。
「黒…」
男の顔がくしゃっと歪んだ。
ゆっくりと恐る恐る自分の手で髪の束を掴んで、晒されたのは真っ黒な髪。
「ロア、ボクを許さなくていい…」
「あんたの魔法って…」
「ボクは…ゼレフ」
黒魔導士ゼレフ。
それは、魔法界の歴史上、最も凶悪だったと言われる魔導士の名前だった。
ロアはというと、乗り物酔いに苦しむナツを助けたいのに助けてあげられないもどかしさと葛藤している。
助けてあげられない、誰かの手助けをすることを許されない。既に彼等の戦いは始まっているのだ。
「ねぇ、ロア。他の皆は?」
「ん?」
「ミラさんとか、エルザとか…」
ルーシィが並べるのは、皆S級魔導士ばかり。
それもそのはず、その船上に見慣れたメンバーであるエルザやミラがいないからだ。
S級魔導士たちは先に天狼島にいるからなのだが。
「皆先に行って準備してるんだよ、きっと」
「ロアは?いいの?」
「俺はー…マスターが過保護だからさぁ」
ロアは風で吹き上がる金の髪を手で抑えながら、前方に見えるマカロフを見つめた。
天狼島について知っている者は少ない。というのも、フェアリーテイルの聖地だとか呼びながら、普段一切行くことなどないから。
では何故聖地と呼ばれているのか。それは、フェアリーテイル初代マスターであるメイビス・ヴァーミリオンが眠る地だからだそうだ。
この事実を、以前行ったことがある為にロアは知っていた。
そして以前も今回も、天狼島に行く目的は同じ。
「…懐かしいなぁ、S級魔導士昇格試験」
「そっか、ロアはこの道を通って来たんだもんね」
「おー、すごいだろ」
S級魔導士昇格試験。その名の通り、S級魔導士になるチャンスが与えられる場である。
そして今回そのチャンスを与えられたのは、ナツ、グレイ、ジュビア、エルフマン、カナ、フリード、レビィ、メストの八人。
それぞれパートナーを一人選んで連れてきている。
言わずもがな、既にS級の者はそのパートナーになることが出来ない。
「なーにナツのこと見つめてんのよ」
「え、見つめてねーし…」
「パートナーになれなくて悔しいんでしょ」
「…そういうルーシィはよくもまぁ、まんまとくっ付いて来たもんだよ」
ルーシィはカナのパートナーとして今回参加している。
ちなみに、ナツのパートナーはハッピーだ。
そして恋敵であるリサーナはジュビアのパートナーとしてついて来ている。
「…」
「ロアー?」
「ん?何、ルーシィ」
「何じゃないわよ、もう。ナツのこと気になるなら話に行けばー?」
ルーシィに指摘され、ロアの頬はぼうっと熱くなった。
こんなに気になるのは、S級昇格試験にナツが出るから、というだけではなく。
ここ最近、ナツに全然相手をしてもらっていなかったからだ。
昇格試験前は、皆それぞれ一人で頑張り出す。
昇格試験に選ばれる為に、良いところを見せておきたい、というのが理由だ。
それは当然ナツも同じで。
「ナツ…」
せめて頑張れの一声ぐらいは。
そう思ってナツに一歩近付いた瞬間、ロアの前に一人の男が立ち塞がった。
「…お前」
「ん?なんだロアか」
その男は、前回の昇格試験にも参加していたメストだ。
丁度動くタイミングが同じだっただけで、特に用があったわけではなかったらしい。
「何だよー。せっかく俺が決心したとこだったのに」
「なんか、悪かったな?」
メストとはギルドで関わったことがほとんどない。そのせいか、前回の昇格試験では惜しいところまでいった優秀な魔導士、ということしか記憶にない。
ような気もするし、大いに関わっていたような気もする。
曖昧すぎる自分の記憶に、ロアは首を傾げてメストを見上げた。
「…メストって、普段何してるっけ?」
「なんだそれは」
「や…なんか、俺と関わったことあった?」
「無いかもな。君の周りはナツやグレイで騒がしいことが多いようだし」
まぁ確かに。
基本的にロアと共にいる面子はワンパターンだ。
それもそうかと頷きつつ、ロアはメストから視線を逸らした。
「それに、オレはミストガンの弟子だったからな。ほとんどギルドにはいなかった」
「へぇ……え…?」
逸らした視線をばっとメストに戻す。
ミストガンの弟子で、関わりが無かったはずが無い。ミストガンの弟子はこちらも同じ。
「ロア?どうかしたか?」
「い、いや…」
なんだこの違和感は。
メストへの不信感が募る。これは、見過ごしていいのか。
じっとメストを見つめていると、メストも困ったように苦笑いを浮かべて首を傾げた。
「なぁ…お前…」
メストへ一歩詰め寄る。
しかしその時、船が進むのを止めた。
「これより一次試験の内容を発表する」
なんというタイミング。
ロアは唇を尖らせながらも高い所に立っているマカロフを見上げた。
天狼島に設けられた八つの通路。
それぞれの道に一組ずつ入ることが出来、またそこを突破した者だけが一次試験の合格を認められる。
八組のうち二組がぶつかり戦わなければならない道、待ち構えているS級の魔道士を倒さなければならない道、誰とも戦わずに突破できる道。
武力と運が試される試験である。
「さあ、試験開始じゃ!」
マカロフがばっと手を広げるが、そこはまだ海の上。
ゆっくりと船は進んでいるものの、まだ天狼島まで距離はある。
「なるほど、そーいうことか!行くぞハッピー!」
「あい!」
そう、試験は島についてからスタート、だなんて甘いものではないのだ。
すぐさまマカロフの意図に気付いたナツが船から飛び出そうとする。
「あ…!」
ナツに、一言だけでも。ロアが思わず声を漏らすと、ナツがぱっと振り返った。
「ロア?」
「あ…、ナツ、待ってるから!」
「おう!」
ナツがニカッと笑う。それに応えるように、ロアもニッと笑い返した。
ハッピーに掴まったナツが船から飛び立って遠ざかる。それを見た他のメンバーも海に飛び込んで島を目指して行動を始めた。
言って良かった。ナツの笑顔が見れただけで十分。
ロアはS級昇格を目指して意気込む彼等の背中を見つめながら、吹き上がる髪を片手で押さえた。
「ロアよ」
「…マスター」
先ほどまでの厳格な表情を崩したマカロフが、足元でくっくと笑っている。
「やはり一押しはナツか?」
「んー…皆頑張って欲しいけど、やっぱりナツにはここまで来て欲しい、ですね」
「うむうむ」
にやにやと笑っているマカロフは、ロアのナツへの思いがどんなものなのか知っているようだ。
素直に話したことが急に恥ずかしいことに思えてきて。
「…俺も、後を追います」
光を足に集中させて、ロアは船の上から跳び上がった。
島の中心の大きな樹木は天まで届きそうな程に太い幹を伸ばして。木の天井がもう一つの島のようになっている。
神秘的な姿。島の上に島があるようなその姿に、ロアは思わず見惚れていた。
「ここで…始まるんだ」
見守るしか出来ない、彼等の闘いが。
いつもロアに対して過保護なマカロフも、フェアリーテイルの聖地では少し気が緩んでいるらしい。
天狼島の大きな木。その上に作られたもう一つの島の上。
そこに造られたメイビスの墓石の横に、マカロフとロアが居た。
「マスター…」
「なんじゃ?」
「…暇、ですね」
ずずっと茶をすする音が耳を掠める。
マカロフはそこにある岩の上に座って、ただ茶を飲んで時間を潰していた。
「何を言っておる。ワシはここの神聖な空気を味わっておるのじゃ」
「はぁ」
「ロアにはまだわからんかも知れんのう」
そしてまたずずっと茶をすする。
確かに、自然以外の他に何もないこの場所の空気は良い。
すっと息を深く吸って、目を閉じる。吹き抜ける風が気持ち良くて、ロアはふっと笑みを浮かべた。
「ロア、お前は本当に綺麗じゃのう」
「…はい?」
「自慢の息子じゃ」
ほっほと笑うマスターは何を考えているのか知らないが、ロアは胸が暖かくなるのを感じた。
何も考えていないようで、マカロフはいつも様々なことを考えている。
そして、それに何度も助けられてきた。
ロアの体に宿る光の力も、マカロフのおかげで好きになれた。
「マスターは、俺の自慢の親父ですよ」
「そうかそうか」
茶を置いて、すっとマカロフが立ち上がる。
「暫くはここで様子見じゃな」
「…そうですね」
「ロアは自由にこの島を散策して来て良いぞ」
「…」
ふうっと息を吐いたマカロフは、背中から酒瓶を取り出した。
さりげなく、ロアがここを去りやすい空気を作ってくれたのだろう。
ロアはこくりと頷いて、手を太陽にかざした。
暖かい、ロアの力の源。
そんな暖かい空気とは見合わない砂煙がところどころで上がるのは、どこかで戦闘が行われているからだ。
ロアは真っ直ぐにナツの元へと向かって移動を始めた。
S級魔導士として、挑戦者の相手をすることになっているのは、エルザとミラとギルダーツ。
S級の名をもらっているロアも勝てる気がしない三人に、勝てる奴などいるとは思えない。
ミラとギルダーツは挑戦者に甘くしてくれそうだが、エルザは。
「エルザと当たった奴は、運が悪かったとしか言えないな…」
エルザは手を抜く、ということを知らない。
ロアは思わずぷっと笑って、挑戦者の進む道のりを逆に進んだ。
「あーロアだ!」
一次試験を抜けた先のゴール地点。そこには、一次試験を既に終えた一チームが到着していた。
「レビィとガジルか。もしかして当たり引いた?」
「うん!“静”のルートだったよ!」
レビィは運よく誰もいない、ただ抜ければ良いだけの道を選べたようだ。
退屈そうにレビィの横に座っているガジルは、戦いたかった、とでも思っているのだろう。
「ロアは今回は何もしないの?」
「多分」
「そっかぁ。ロアと戦ってみたいって思ってる人もいっぱいいるだろうにね」
「えー?そうかな」
ここ最近のロアの戦歴といったら、ろくなものがない。
そろそろSランク剥奪とか、リアルに有り得る頃だと自分でも思う。
「そーいや、ガジルとは手合せしたことないかもな」
「相手してくれんのか?」
「いや、しねーけど」
ここまで戦闘無しで越してしまったガジルはやる気満々のようだが、残念ながらそんなルール外のことは出来ない。
というのは建前で、ガジルの攻撃は当たったら洒落にならなそうなので遠慮したかった。
「じゃ、俺は適当に覗きに行ってくるわ」
「ナツが気になるんでしょー?」
「うっせ」
どうやらロアのナツへの好意は公認らしい。
恥ずかしいような、でも少し嬉しいような複雑な気持ちだ。
「ねぇ、ロア」
背中を向けて歩き出そうとしたロアをレビィが呼び止めた。
「最近元気なかったの、もしかしてリサーナのこと気にしてた?」
「え…」
元気なかった、だろうか。
いや確かにリサーナとナツが話している間はあまり近寄らなかったけれど。
「…もしかして、俺…顔に出てた…?」
「ふふ、大丈夫だよ。リサーナとナツは、そんなじゃないから」
「や、めろよ。俺がなんか、すげぇ心狭いみたいじゃん…」
レビィに気付かれているとなると、もしかしてギルドのほとんどの奴にも感づかれていたのではないか。
急に自分が恥ずかしくなって、ロアは意味もなくレビィの頭を小突いた。
「いたっ」
「余計なこと言うなっ」
「もー。照れ隠し!」
「ばーかレビィのばーか」
べっと舌を出して、今度こそレビィに背中を向ける。
はぁ、とガジルのため息。それは聞こえなかったことにした。
木々の生い茂った中に入り込む。
幻想的、というかなんというか。見たことのない生物もそこには存在している。
それを何気なく眺めながら、ロアは心を落ち着かせていた。
不思議と、ナツがどこにいるかわかる。
八つも道がそこから繋がっているのに、ロアは迷うことなく道を選択していた。
暫く進んだ頃だった。
空気がざわっと揺れるのを感じて、ロアは立ち止まった。
強すぎる魔力に空気が振動している。
もしこの先にナツがいるのだとしたら、ナツが当たったのは…
「ギルダーツ…」
これほどの魔力は、エルザにもミラにも無い。やはりギルダーツの強さは群を抜いているのだと改めて実感した。
そして、これを目の前で浴びたナツは、無事ではいないだろう。
「…ナツ!」
重い足をなんとか踏み出して、ロアはナツを目指した。
とにかくナツが心配で、ギルダーツの魔力で震える腕を胸に押さえ付ける。
木々を抜けて少し開けた場所に出ると、そこには凛とした面持ちで立っているギルダーツ。
そして、そのギルダーツを前にして膝をついているナツ。
「…っ」
駆け寄りそうになるのをぐっと堪えた。
邪魔はしちゃ駄目だ。ギルダーツの判断を仰いでから出ないと。
ギルダーツは、ゆっくりと視線をロアに移した。そして深く頷く。
「…?」
後は任せた、ということで良いのだろうか。
ギルダーツは何も言わずに黒く長いマントを翻してロアの方へ近付いて来た。
ギルダーツの大きな手が、ロアの細い肩にとんと乗る。
「ナツは大丈夫だ」
「あ…」
「ちょっといじめちまったがな」
「…」
ちょっとじゃねーだろ。
ロアは軽くギルダーツを睨んでからナツへと駆け寄って行った。
ナツのことだ、ロアが来たことには気付いているはず。それでも、膝をついたまま動かない。
「…ナツ」
近付いても、声をかけても反応が無い。
余程のショックを受けたのか、それとも落ち込んでいるのか。なんて、ナツの辞書にはないような事ばかりが浮かんでしまう。
「…ナツ、顔見せて」
ロアの言葉に、ナツは小さく首を横に振った。その瞬間に地面を濡らしたのは、ナツの涙。
ロアはナツの前でしゃがむと、小刻みに震えるナツの肩を掴んだ。
どうしようもなく込み上げる愛しさ。ナツが弱い部分を見せることなんて滅多にない。
いや、未だ嘗て無かったかもしれない。
「…ごめん、ナツ」
突然謝ったロアに、ナツの顔が少し上がる。
有ろうことか、ロアはそのナツの唇に自分の唇を重ねていた。
「ロア…」
「ナツ」
「な、何してんだ…?」
「え、…あ…!」
ナツの言葉で我に返る。
ロアは掴んでいたナツの肩を自分から引き剥がした。
ナツの弱い部分を目の当たりにして気分が高揚したからって、まさかこんな。
熱が一気に顔に集中する。
ぽかんと見つめてくるナツの顔が見れない。
「…っ!!」
「あ、おい…!」
恥ずかしさのあまり、ロアは上空へと逃げ出していた。
生い茂る木々の間をすり抜けて、試験場所として使っていない方へと向かう。
「俺、俺今…!」
自分の頬を押さえて、自分の行動を顧みる。
一番してはいけないことをしてしまった。驚いたナツの顔と、暖かかった唇が忘れられない。
「やっちまった…」
ずっと今まで我慢してきたことが、こんなことで崩れてしまうなんて。
足への集中が途切れて、ロアは地面へと体を叩き付けた。木に引っかかったおかげで大きな怪我は無かったものの、小さなかすり傷が肌に刻まれる。
仰向けになったまま、ロアは自分の顔を両手で覆った。
「あ、あ…」
自分への嫌悪感と同時に、ナツへの思いで高鳴る鼓動を抑え込むことが出来ない。
好きで好きで堪らない。誰にもナツを渡したくない。リサーナにもルーシィにも。
抑えきれなくなった思いは増して行くばかりで。
自分の行動に混乱していたロアは、そこに忍び寄る人影に気付くことが出来なかった。
レビィとガジルがいち早く到着していた場所に、勝利した者達が集まっていた。
メストとウェンディに勝利したグレイとロキ。
フリードとビックスローを破ったルーシィとカナ。
ミラジェーンを策略により突破したエルフマンとエバーグリーン。
そして、ギルダーツに背中を押されたナツ。
「ねぇ、ナツってばどうしたの?」
ずっと何かを考えるように俯いたままでいるナツを、ルーシィが覗き込んだ。いつも煩いほどのナツがこうも大人しいと、気持ち悪くて仕方がない。
それでも全く反応を示さないナツに、さすがに心配になってしまった。
「ギルダーツと当たったんだろ?ナツがギルダーツに勝ったとは思えねーしなぁ」
グレイがにやっと口角を上げる。
しかしやはりナツに反応はなく。何故かその横にいるハッピーが頬を赤く染めた。
「ナツ、いつまで落ち込んでんの。それとも照れてるの?」
「いや…ちょっと考え事…」
ハッピーの問いかけにも、ナツの反応は薄い。
考え事、その内容はやはりギルダーツのことと、ロアのこと。
ギルダーツを己の弱さを知る事も大事だと言った。そして、S級になって来いと言ってくれた。
とまあ、それだけならここまで悩まなかっただろう。
「…ロア」
見たことない程近くにあったロアの顔。
経験はないが、その行為がどういうものかということくらい、ナツだって知っている。
グレイとロアがしているところを見かけて、怒りを感じたこともあった。
「なぁ、ハッピー」
「んー?」
「あれってつまり、それだよな」
「それはやっぱりあれだと思うよ!」
「…」
何言ってんだ、とルーシィもグレイも顔をしかめた。
ナツの頭の中にはさっきの映像がこびり付いている。
自惚れそうになる。自惚れていいのだろうか。慰めてくれただけ、という可能性もある。
「…あー!駄目だわかんねぇ!」
急に大きな声を上げてナツが立ち上がると、心配そうにナツを見ていたメンバーもびくっと震えて目を丸くした。
「とにかく、S級になってロアに告る!それでいいんだろ!」
そしてその雄叫びに、皆が言葉を失った。
今更そのナツの思いに驚くものなど居はしないが、まさかここまでオープンに来るとは。
「誰がS級魔導士になるか勝負だ!」
グレイとレビィとカナとエルフマンに向けられたナツの指先。
彼等は、ナツにだけは負けたくない、という思いを共有し合っていた。
そんな流れで始まった二次試験。
その内容は、この天狼島のどこかにある初代ギルドマスターであるメイビスの墓を探す、ということ。六時間という制限時間付きだ。
ここからは完全に自由に島を動き回ることが許される。
彼等はそれぞれ墓を探して走り出した。
・・・
顔を覆って、自分の心臓の音だけを聞く。
どれほどそれを続けていたかわからなくなった頃、がさっという音が聞こえてロアはようやく体を起き上がらせた。
「…誰だ?」
集まっていた熱が拡散していく。
この島はフェアリーテイルの聖地。フェアリーテイル以外の人間がいることは、有り得ない。はずなのに。
「…こんなところに、人が…。ここなら誰もいないと思っていたのに…」
ロアの目の前にいる妙な格好をした男は、ぼそぼそと一人言を呟いている。
ぼんやりとした顔に敵意は見えない。
しかし、念の為に警戒心と解かず、ロアは立ち上がった。
「ここは、フェアリーテイルの管理する島だけど?あんた、どうやって入ったんだ?」
「そうか…ここはギルドの管理する島だったのか…」
「あんたは誰だ?」
一歩、その男に近付く。
それに合わせて男は二、三歩後ずさった。
「駄目だ、ボクに近付いちゃいけない」
「何言ってんだ…?」
「島からは出て行く。だからボクに近付かないで」
「いや、そういう訳にもいかねーんだけど」
「あ…あ…」
男は頭を抱えて辛そうにしている。
なんだか、こちらが悪いことをしている気分になってしまうが、余所者を放っておくことは出来ない。
しかし、もう一歩ロアが男に近付いた瞬間、ざわっと木々が騒ぎ出した。
「…?」
「死の…捕食が…」
死の捕食。訳の分からないことを男が呟いた直後。
男を中心に辺りの生物が死んでいった。植物、動物、全ての生きる者が。
「な…!」
何か行動を起こすよりも驚きの方が大きくて、ロアはその“死の捕食”から逃げることが出来なかった。
目を閉じて、顔の前に手をかざす。恐らく意味の成さない抵抗。
しかし、ロアの体には異変は無かった。
何か嫌な黒いものが通り過ぎた感触だけが過ぎ去って行く。
「な、なんだったんだ…?」
枯れ果てた荒地となったその周辺を見渡して、ロアはその男を睨み付けた。
今のは、間違いなくこの男の発動した魔法だ。
「おい、お前!」
「…え…君は、一体…。そうか、君が…光の力を持つ魔導士…」
この男がやった、ということは間違いないのに、やはり敵意はなく。それどころか、ロアを見てきょとんとしている。
そんな男の態度にロアの方がどうしたら良いのかわからなくなってしまった。
「おい、なんなんだよお前…」
「君、そうか…君が…」
「え、ちょっと、おい」
ロアを見た男の目からはぼろぼろと涙が溢れ出して。そして初めて男の方からこちらに向かってきた。
明らかな敵意があるならばやりやすいのに。
困惑したロアは逆に一歩も動くことが出来なかった。
「君だけが…光の者だけが…ボクを受け止めることが出来る」
「な、何言ってるんだよ…」
「会いたかった…」
手の届く距離まで近付くと、男はロアの頬に触れた。
その手を弾かなかったのは、その手が慈しむように触れてきたから。その男が余りにも悲しそうに、そして嬉しそうにするから。
「ボクはもう…誰も殺したくない…」
「…」
「この、ボクの力…少し預かってくれないだろうか」
「…は?」
うっかり同情しそうになって、そして抵抗することを忘れていた。
近付き過ぎた距離に力が加わることで、二人の距離は近付き過ぎて。なんの嫌がらせか、奇妙だが綺麗な男の口付けを受けることとなっていた。
「っ、!?」
「謝っても許されないと思う…。でも、君しかいないんだ…」
「は、はな、せ…っ」
「ごめん…ごめん…」
頭に回された手がキスを強要する。
深く重なった途端、体に巡る熱い感覚。
「ぁ、あっ、」
びくっとロアの体が震えた。内側から浸食されていくような、痛みと快感とが混ざったような。
この程度のことなら、男を殴って抵抗することは出来ただろう。
それをしなかったのは、ロアが既にこの男に同情してしまったのが原因だった。
殺したくない、この力を手放したい。
その思いを正面から受けてしまったから。
「んん…っ!」
ぱっと唇が離れ、ロアはその場にがくりと項垂れた。
「ぁ…はぁ…っ」
体に力が入らない。自分と違う、別の人間の魔力が体を浸食しているせいだろう。
初対面の男の妙な力を受け入れてしまったことを今更ながら後悔して、ロアは薄く瞼を持ち上げた。
「ごめんなさい、…っ、まさか、こんなことになってしまうなんて…」
「え…?」
「光の人…どうか君の名前を教えてくれないだろうか…」
「、ロア…じゃなくて、お前は誰なんだよ」
ぐずぐずと涙で濡らした顔を袖で拭ってやると、男はほんの少しだけ笑顔を見せた。
それも一瞬で、すぐに申し訳なさそうな表情に戻る。
頬に触れていた男の手がするりと移動してロアの髪を梳いた時、ロアは初めて自分の体に起きている違和感に気付いた。
「待て…俺、の髪…」
目の前に映ったロアの髪は、きらきらと輝く金の髪は。
「黒…」
男の顔がくしゃっと歪んだ。
ゆっくりと恐る恐る自分の手で髪の束を掴んで、晒されたのは真っ黒な髪。
「ロア、ボクを許さなくていい…」
「あんたの魔法って…」
「ボクは…ゼレフ」
黒魔導士ゼレフ。
それは、魔法界の歴史上、最も凶悪だったと言われる魔導士の名前だった。