ナツ夢(2012.02~2016.05)
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布団で目を開けて、暫く何があったのか思い出せなくてぼんやり。それから、はっとロアは起き上った。
「俺…サイアク。何やってんだよ…!」
髪を掻き上げて、ぐしゃぐしゃと頭をかく。自分の事情でファンタジアに出ず、誰にも何も言わず会わず電気を消した。
別に気分が悪かったとかそういうことではなく、ラクサスの思いを聞かされて驚いて…
嫌われていたり、好かれていたり、周りからの評価がわからなくなって、それは自分がナツばかりに夢中になりすぎていたからではないかと思ったら、どうしていいかわからなくなって。
「でも、だってナツが好きなんだ…」
しかし、ナツを好きなロアをラクサスは、フリードは好きになった。それが無性に申し訳なくなっている。
「違う、だから俺は…極端なんだって」
フェアリーテイルは皆家族、ナツだっていつも言っていることだ。だから、ナツばかりに夢中になるのは駄目だということであって。
「でも…そんなに器用じゃねーし…」
ベッドに腰掛けてロアは大きく息を吐き出した。こんなにいろんなことを一気に考えるのは久々だ。
頭を冷やすために、ロアは部屋を出た。
「お、ロア、体はもう平気か?」
「グレイ…おはよ」
部屋を出てすぐ、ロアの部屋に向かっていたのだろうグレイと鉢合わせた。相変わらず上半身を晒しているグレイさえ、今のロアには何を考えているか疑いの対象にしかならない。
「…えっと…」
「あ?どうしたんだよ」
「いや、あれだ…昨日はどうだった…?」
「…ファンタジアのことか?盛り上がったぜ。ラクサスも皆で見送った」
「そ…」
ラクサスの名前でぴく、とロアの筋肉が強張るのを、グレイは見逃さなかった。
「…ラクサスとなんかあった?」
「え!?」
「…お前の部屋、入れろよ。話聞く」
「いや、話すこととか別に…っておい!」
ずかずかと部屋に入って行くグレイの勢いに押され、ロアは出たばかりの部屋に再び戻ることになってしまった。
グレイは初めて入るロアの部屋を少し眺めると、ためらわずにベッドに腰掛けた。ベッドと机と、クローゼットがある。大きくなく、必要最小限のものしかない部屋。
「この部屋、人来ることあんの?」
「…いや、ミラくらいだけど…」
「へぇ…」
グレイの口元が嬉しそうに弧を描く。それに気付いてしまったロアは少し後ろに後ずさった。グレイの好意はずいぶん前から知っている、というかグレイは隠す気がないのだ。
「で?ラクサスにとうとう告られた?」
「は!?え、なんで!?」
「ロアを好きな者同士…何考えてっかわかるんだよなァ」
びくっと肩が震えた。今まで流せたことなのに、胸を締め付けてくるのは、ラクサスのあんな顔を見たせいだ。
「…そんな目で…見んな…」
グレイの視線が痛い。熱い視線が自分を捕らえていることに耐えられない。
「ナツが、そんなにいいのかよ」
「…それ、今関係な」
「関係あるだろ」
ベッドの軋む音、グレイの近づく足音。どうしてか心臓が煩い。人の好意を全く気に留めずにナツばかり考えていたときと違って、人の好意を正面から受け止めようとしてしまう。
ナツばかりにうつつを抜かすなと言われているような気分になって、罪悪感が募る。
「そんなスキばっかだとさ、手ェ出したくなんだけど」
「っ…」
グレイの手が頬に触れた。冷たい手が触れたのに、体が熱くなる。今までグレイとどうやって触れてきたのかわからない。グレイの自分への好意が肌から伝わって、頭が真っ白になった。
「っあ!」
「嫌なら逃げろよ」
「何言ってんだ、ここは俺の部屋だ…!」
とん、と背中に壁が当たる。グレイの手が服の中に入ってくるのを拒否することが出来なかった。
グレイの好意を利用しているのはわかっている。でも、こうしていれば、ナツのことを考えずに済むのではないかと思って。
「なんで逃げねーんだよ…」
「グレイ?」
「オレ、本気でロアのこと好きなんだぞ、わかってんのか?」
「それは…っ」
とんとん
ロアのすぐ横、扉が木の音を立てた。
「ロア、いんだろ?」
ナツの声だ。ロアの体にたまった熱がサッと冷めていく。
「入っていいか?」
「あ…ちょっと待っ…」
慌ててロアがグレイを押し返すと、服の中に入れられたグレイの手がすっと引かれる。冷たい手が離れて安心したロアの顔はグレイの方に向かされていた。
「…ん!?」
唇と唇が重なっているそれは、間違いなくキスというもので。初めてのその感触に目を開いたまま動けなくなったロアの横、その扉は開け放たれていた。
「…何、してんだ?」
ナツの声が耳の奥に重く響く。その、いつもより少し落ち着いている低めの声に、頭と胸がきしきしと嫌に痛んで、ゆっくりと頭をナツの方に動かした。
大きな目がじっとこちらを捕らえて離さない。
「ナツ…」
「昨日、ファンタジア出ねーで…朝から何やってんだよ」
「いや、これは…!」
グレイは何も言わずにじっとロアを見ている。ロアが何を言うのか待っているのだ。
そのロアはどう言い訳しようか考えていた。
ナツは恋人でもなんでもないのに。それはグレイだって同じで、キスをされただけで恋人でも、好きな相手というわけでもない。
もやもやとズキズキの繰り返し。
「べ…つに、ナツには…関係ない」
思わず出た言葉は、思っていたこととは全く違うもの。
「なんでだよ。関係ないことねーだろ」
「関係ないだろ…これは、プライベートのこと、なんだから」
ロアに何か言い返そうと開かれたナツの口は一度閉じられる。それから、そーかよと小さく呟いて、ナツはぱたんと部屋の外に出て行った。
ロアは壁に背を預けたまま、そこにぺたんと座り込んだ。自分でも、なんであんなことを言ってしまったのかわからない。
「ロア、良かったのか?」
「お前が…それ言うか?」
「そりゃそーだけどよ…やっぱりおかしいぜ、今のロア」
そう、おかしい。ナツへの自分の好意も、グレイやラクサスの好意も、何もかもが頭の中をめちゃくちゃにかき乱していく。
「ホント…どうかしてんな、俺…」
「…キスしたこと、怒んねーのか?」
「いいよ、今日は…俺が悪かった」
結局はっきりしないロアの態度にグレイが困っているのがわかる。気にしすぎ、考えすぎ。でも、考えなきゃいけなくて、このままではいられない。
「なぁ…グレイ、俺さ」
チーム抜けるわ。
グレイは少し悲しげに顔を歪めて、それから仕方ないなと笑った。
ロアは今まで一度も共に仕事をしたことのない人たちと過ごす時間を増やした。そうすることで、知らなかったギルドの情報や、関わったことのなかった者との交流も増える。自然とロアの人気は上昇した。
ロアが最強チームを抜けたらしい。
グレイに告げた一言は、すぐにギルド中に広がっていった。
「ロア、ナツたち仕事行くって言ってたわよ」
「へぇ、あいつら頑張ってんだな」
「そんな人事のように」
「人事だろ」
興味もないように薄い返事。最近ではロアにナツやグレイの話を振っても、いつもこんな感じだ。
「ナツのこと、なんともないの?」
「なんのことだ?」
ぱっと笑って、ロアは立ち上がった。そのままギルドの外へ歩いて行ってしまう。そのロアの背中を、ミラは心配そうにずっと見つめていた。
「…は、馬鹿みてぇ」
海沿いに立って、ロアは風になびく髪を押さえながら苦笑した。こんなの自分じゃない。わかっている、そんなこと。
「ナツは仕事かぁ」
最初はグレイが仕事に誘ってくれたけれど、断っているうちに誘わなくなった。ナツが一度も誘ってくれなかったことが地味に寂しい。
「ナツは…俺と離れてもなんともないのかな」
いや、それよりも前に、ナツにはグレイとキスしているところを見られている。それを見てどう思っただろう。
なんとも思わないのか、それとも気持ち悪いと思ったのか。
どちらにせよ、ロアにとっては切ないものだった。
「…はぁ」
前よりも、他の者の気持ちには近付いたけれど、ナツからは遠ざかった。それが目的であったはずなのに、それが辛い。
「…ロア」
ふわっとロアの肩に暖かいマントがかけられる。今、一番ロアにとって安心出来る存在…ミストガンだ。
「こんなところで…風邪をひくぞ」
「そんなにヤワじゃねぇよ」
ほとんど人前に姿を見せないミストガンが、こうして気を遣ってくれることは純粋に嬉しくて。ロアはミストガンの胸に額をのせた。
「ありがと…」
「いや、私が勝手にしていることだ。気にするな」
「いつも、ミストガンには助けられっぱなしだな、俺は…」
幼いロアの面倒をみてくれて、それからというもの、多くの場面で助けられた。
「そんなに辛いなら…ナツと話せばいい」
「…でも、今ナツに会ったら…っ」
我慢できない。せっかくここまでナツと距離をとって自分を変えようとしてきた全てが無駄になってしまう。
ロアは唇を噛んで、泣きそうになる目を細めた。
「ロア…私のところに来ないか…?」
「え?」
「暫く出る予定はない。…時間も、ない」
目が少し覗くだけのミストガンの顔。それでも、何か思い詰めたような表情をマスクの下に隠している気がして…ロアはミストガンの手を握り締めた。
・・・
・・
細い体に小さな身長。年齢はグレイよりも、エルザよりも上だというのに、もっと幼く見える少年。ロアはフェアリーテイルに来てからはかいがいしく皆に大切にされた。
「誰…?」
ロアとミストガンが初めて会ったのは、ロアが所属した後、一年経った頃だった。
「お前が、例の」
「え、例の…?」
ミストガンの耳にも入っていた光の力を持つ新入りのこと。確かに聞いていた通りの金色に目を細める。
「あ…、もしかして…ミストガンさん…?」
「…そうだが」
「聞いていた通りの風貌ですね」
「君も…聞いていた通りだ」
笑った顔は本当に可愛らしく、皆があれやそれやと噂するのもわかる。フェアリーテイルにはまさかいないだろうが、外に出したら簡単に取って喰われてしまいそうだ。
「あの、ミストガンさんは…忙しいです、よね」
「…それなりにはな」
「あ…、の。時間がある時だけでも…僕を強くしてくれませんか…?」
おどおどと顔を下げて、目線だけをミストガンに向けている。
ラクサスは怖い。ナツやグレイでは遊びになってしまう。エルザは強いけれど、自分より年下の女の子でなんとなく恥ずかしい。誰か強くて面倒を見てくれそうな人を、ロアは探していたのだ。
「…構わない」
「ほ、本当ですか!?」
こんなに弱々しく、可愛らしい少年をそのまま放っておくことなど、ミストガンに出来るはずもなく。
その日からロアと共にいる時間が増えていった。
可愛らしかった少年は、ナツやグレイ、エルザたちと関わっているためか、どんどん口悪く、性格もさばさばしたものになった。
しかし、その程度のことでロアの魅力がなくなることはなく。
光の力を使いこなしていくロアは美しかった。
・・
・・・
「な…マスク、取れよ…っ」
殺風景な部屋。そこにぽつんと置かれたベッドの上で、ロアは足を開いていた。
ロアが自分から誘うのは初めてだ。そんな行動に出てしまうほど、ロアは何かに焦っていた。
「マスク、取んなきゃ…キス出来ねぇじゃん…!」
「…っ」
「ぁ、あッ…なんで、そんな…!」
せっかく体を重ねているのに、ミストガンはロアの体を慈しむように触るだけで、キスすることも繋がろうともしなかった。
「俺…ミストガンなら、っいいよ?」
「ロア、お前は私を好きではない」
「男同士だろ、そんなのっ、ん…はぁ、あっ」
男同士なのだから細かいこと気にするな、と言いたいロアにミストガンの手が攻め込んで、ロアは歯を食いしばった。
気持ちいいことをしている間は、余計なことを考えずに済む。
「あ、あ…」
溺れていく。一人で喘いでいるのが悔しくて、ロアは体を起こしてミストガンの顔を覆うマスクを引いた。
「ロア…!」
ぱっと見えたミストガンの顔はやはり切なげで。焦ったように逸らされる。
それから一気に強くしごかれて、ミストガンのその様子が変であることを考える余裕など無くなってしまう。
「私のことはいい…」
「っん、ぁあ、っあ…!」
きゅっと先端を刺激されて、ロアはすぐにいかされた。
何度こうしても、気持ちいいのはやっている間で。終わった後の虚しさと、自分への絶望感はどうしようもなく高まっていくのだった。
・・・
・・
「…そ、そんなに見ないで…」
「なんで?すっげぇ綺麗なのに」
ロアの長い前髪を避けて顔を覗き込んでくるナツ。毎日毎日飽きないものかと思う。それくらい、ナツはいつでもロアの目を見たがった。
「痣、消えてきたな!」
「え…?」
「これからはオレが守るから、心配しなくていいんだぞ!」
「あ…ありがとう…」
ナツはいつだって欲しい言葉をくれた。生まれてから今まで、言ってもらえなかった言葉ばかり。
ロアからすれば、ナツの鮮やかな桃色とか、豊かな表情の方がよほど魅力的なのに。
「なぁ、前髪切ろうぜ」
「や、それは…」
「むー…じゃあこう、分けるとか…」
小さい手ですっすとナツがロアの前髪を横に分ける。開けた視界には真っ直ぐと自分を見つめるナツの顔があって。ロアの顔はかっと赤く染まった。
「おい、ナツ!ずりぃぞお前ばっかりロアを独占しやがって!」
「あ?うっせーよグレイ!」
「どけ、邪魔だナツ!」
「てめーこそ邪魔なんだよ!」
目の前で殴り合いを始めるナツとグレイ。二人の活発さが羨ましくて、楽しくて、ロアはふっと笑っていた。
・・
・・・
のそっとうつ伏せになって、枕を抱きしめる。
久々に見た昔の夢。何も考えずただただ毎日が楽しかったあの頃。
「俺は…あの笑顔に何度も救われたんだよな…」
ロアは既に何日か、ミストガンの家に居座っていた。
ミストガンは相変わらずいない時間が多い。ただ、余計なことには触れずに居場所をくれるミストガンと共にいるのは心地よかった。
そろそろナツたちも仕事から帰ってくる頃だ。フェアリーテイルに行くか迷うのは、会いたい思いと、会ったら思いを爆発させそうだという二つの異なる思い故。
今回ナツたちのチームが行った仕事は他のギルドと連合を組んで行うほどの厳しいものだと聞いている。
ナツが知らないところでロアの知らない人と関わっていく。それが少し切なくて。
「なんで俺、ナツのこと好きなんだろーな…」
いつから好きなのか思い出せないくらいずっと前から好き。
「あぁ…やばい、泣きそ…」
考えれば考えるほど思いが強まっていく。ナツばかり考える自分を捨てるために、もっと周りを見ようとした。
実際、今まで以上に話せる仲間は増えた、それは確か。誰と誰が仲良しで、どんな能力を持っているのか。たくさん知った。
それでも、ナツへの思いが無くなるはずはないのだ。
「っ…」
当初の目的とは違う方向に思いばかりが突き進んでいく。
「ミストガン…ごめん。俺の勝手に巻き込んで…」
「巻き込まれているなんて思っていない。頼ってくれて、嬉しい」
ぽん、と頭に手を置かれる。神出鬼没、でもミストガンはこうしていて欲しいときにいてくれた。だから、辛いときに縋りたくなってしまう。無条件で大事にしてくれるから。
「…ナツたちが帰ってきた」
「そう、なんだ」
「新しい仲間も連れてきたようだ」
「へぇ…」
「行かないのか」
じっとミストガンの目がロアを見つめる。
「私は、もう十分…ロアとの時間をもらった」
「な、何…?」
「早く、ナツに会いに行くんだ」
「どうしたんだよ、ミストガン…」
「…後悔するぞ」
何か、これから起こることを予期しているかのような強い言葉。ざわざわと心が騒ぐ。とん、と背中を押されて、ロアはようやく立ち上がると扉の方へ足を進めた。
「ミストガン、結局…俺を抱かなかったな」
「…」
「…ありがと」
パタン、と扉が閉まる。
久々に日差しが眩しくて、真っ直ぐギルドに足が動いた。
・・・
ギルドに近づくにつれて聞こえてくる楽しそうな声。ミストガンの言った新入りのおかげか、明らかに普通でない騒ぎ様にロアの足は一度止まった。
ギルドに入るのも何日ぶりか。妙に緊張してしまう。ごくりと唾をのんで、扉に手をかけた。
「…ただいま」
小さく漏らしたロアの声は騒がしいギルドの中に消された。ナツたちの任務成功と新入りを祝ってか、宴が始まっているようだ。
「あ、ロアこっちこっち!」
声をかけてくれたのは、入口の傍にいたレビィ。レビィが指した先に、見たことのない可愛らしい小さな少女がいる。
「…あの子が新入り?」
「そう!なんでも、天空のドラゴンスレイヤーなんだって!」
「ドラゴンスレイヤー!?」
「フェアリーテイルに三人も集まるなんて、なんだかすごいよね!」
そんな強い能力を持つ子には見えず、ロアは無意識にじっとその瞳に映し続けた。
「…ちょっと、ウェンディをそんな目で睨まないでくれる?」
その声は足元から聞こえて、ロアはぱっと視線を下にずらした。ちょこん、とそこにいるのはハッピーと酷似した小さな二足歩行の猫。
「え、え…?」
「何よ、文句ある?」
スカートをはいて、尻尾にはリボンをつけている猫。名をシャルルというその猫は、ウェンディ…新入りの少女のパートナーである。
「ずいぶんと…ナツに似ているんだな」
ぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほどに低く、ロアは思わず口を手で覆った。
ウェンディに嫉妬した心が表に出てしまっている。そんなこと知るはずもないシャルルは、不快そうにロアを見てから、ウェンディの元へ戻って行った。
「…ロア、何かあったの?」
レビィが心配そうにロアの顔を覗き込んだが、ロアは手で制して大丈夫と笑った。
しかしその目をもう一度輪の中心に移すと、ナツがルーシィの隣で笑っている姿が見えてしまって、再び心がザワつく。
「…っ、は…」
「え、ロア…顔青いよ?本当に大丈夫なの?」
「ん…平気。部屋…戻るわ」
「う、うん。お大事にね…?」
こんな変な気持ちでいたら、せっかく楽しそうにしている皆の気を悪くさせてしまうかもしれない。ロアはなるべく壁際を沿って階段を目指した。
「お、ロア!今までどこに行ってたんだ?」
誰にも気づかれずにこっそり部屋に向かいたかったのに、その願いは叶えられなかった。友人を増やしたせいか、ロアに気付いた者が声を上げる。それは当然、ナツやグレイの耳にも入った。
「あぁ…いや、ちょっと、な」
「なんだよ。つれねぇなあ」
ちらっと視界の端に入ったナツと一瞬目が合う。しかしその目はぱっと逸らされてしまった。
ズキン、と音が聞こえそうなくらい胸が痛くなる。
「…おい、ロア!お疲れの一言もねぇのか?」
「あ、あぁ、グレイ。おかえり」
グレイがナツの横を通りすぎてロアの傍に来た。
グレイはナツのその態度も、その態度に傷ついたロアにも気付いている。グレイが少し慰めるようにロアの頬に手をやったから、ロアにもそれはわかってしまった。
「おい、そんなに顔に出すな」
「え?」
「辛そうな顔すんなって」
「別にしてねぇよ」
「してんじゃねーか」
グレイの両手がロアの頭を掴んでわしゃわしゃと撫でまわした。撫でるという優しい動きではないが、そのおかげで下を向き、顔に髪がかかり、ロアの顔は周りに見えなくなる。
「…そんな情けない顔見せんな」
襲いたくなんだろ、と耳元でグレイの低い声が響く。
「はは…グレイ最低ー」
「おう、わかったらその顔なんとかしろ」
優しい。グレイもミストガンも優しすぎる。申し訳なくて、ロアはもう一度ギルドの外に出た。
ギルドの外に設置された蛇口をひねる。ばしゃばしゃと顔を濡らして、髪をどかしながら顔を上げた。
「…君は」
「あの、私…ウェンディっていいます」
「知ってるよ」
「ロアさん…ですよね」
先ほどレビィに聞いた新入りの少女。目の前に立たれて改めてその少女の幼さが際立つ。ワンピースから伸びる手足は小さく、頬もぷっくりとして可愛らしい、なかなかフェアリーテイルにはいないタイプだ。
「あの…ナツさんとグレイさんが、やけに貴方のことを気にしていたので…気になって」
「俺のことを…ナツとグレイが?」
「はい。その…喧嘩しているなら仲直りして欲しいなって」
年の割にはずいぶんと気が利くいい子らしい。
「…ありがとう。でも、喧嘩なんてしてないよ」
「え、そうなんですか!?ごめんなさい、私…勘違いを…」
「いや…でもいい線いってる」
「…?」
喧嘩なんて簡単なものなら修復はすぐに出来る。グレイとはたぶん問題ない。問題はナツだ。
相談も無しに、勝手にチームを抜けたから機嫌を悪くしたのだろう。それ以外にナツに顔を逸らされる原因など考えられない。
「その、ナツ…俺について何か言ってた?」
「あ、いえ…でも、名前を言っては頬を膨らませるような姿を何度か…」
「そっか…」
中途半端なロアの態度でナツを怒らせてしまった。それでも、謝るなんて選択肢はロアの中にはない。もう少し、自分の中でナツへの思いが落ちつくまでは、まだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー…大丈夫大丈夫…」
ナツにとって自分がどんな存在であっても、ナツの中に自分がいるなら、それだけでいい。離れている間にも自分を思っていた。それが今のロアには救いだった。
結局ナツとは話をすることもなく、数日が経った。自分の部屋で大人しくしていたロアの耳にも入ってきた鐘の音。
その日、フェアリーテイル最強と言われる男、ギルダーツが三年ぶりに帰ってきた。
ロアにとっても、ギルダーツは父親みたいな存在で、鐘の音を聞いてじっとしていることは出来なかった。
久々に足取り軽く階段を降りる。この際ナツとか気にしている場合ではない。
「あ、ロア。さすがに降りてきたわね」
「ミラ!ギルダーツ、帰ってくるんだろ?」
「えぇ。もう直に着くんじゃないかしら」
ロアだけじゃない。フェアリーテイルの皆がギルダーツの帰りを今か今かと大騒ぎしている。
「きた!」
ガシャガシャという音を鳴らしながら、ギルダーツの影がフェアリーテイルから見えた。いち早く反応したのはナツ。
「ギルダーツ!オレと勝負しろ!」
久しぶりの挨拶もなく、ギルダーツに勝負を挑むナツを、ギルダーツは片手で放り投げた。相変わらずの圧倒的な強さに、震える者、感動する者、様々だ。
「おかえりなさい!」
「お嬢さん、この辺りにフェアリーテイルってギルドがあるはずなんだが…」
「ここよ。それに私、ミラジェーン」
「ミラ?お前、ずいぶん変わったなぁ!つーかギルド新しくなったのかよ!」
三年という長い間離れていたために、変わった者も、新しく入った者も多くいる。ギルドさえも新しく変わっていたために、ギツダーツは嬉しそうに周りを見渡した。
「いやぁ、見ねぇ顔もあるし…変わったなぁ。ミラの隣にいるそいつも新入りか?」
ミラの隣。
ミラは横を見て、さっと顔を青ざめた。エルザもグレイも複雑な顔を浮かべ、その張本人も目を丸くしてギルダーツを見つめている。
「…俺、わかんない?ロア…だけど」
「ロアちゃん!?」
ギルダーツは驚くのと同時にロアの胸に手を当てた。
「…ギルダーツ?一応言っとくけど、胸はねぇよ…?」
「ロアちゃん、男だったのか…!」
言われて見れば綺麗な金の髪に瞳をしている…と顔を下げて残念そうにするギルダーツに、ロアは呆れてため息をついた。まさか、女だと思われていたとは。
「将来有望な子が入ってきたと思ったんだがなぁ」
「…エロ親父」
「ま、男の子でも可愛いからいいか」
女好きは相変わらずのギルダーツがロアの肩を抱いて引き寄せる。
「駄目よ、ロアにはナツがいるんだから」
「あ?ナツ?」
「おい、ミラ…!」
ミラの口を慌てて塞いだが、ギルダーツは吹っ飛んだナツを見ているし、そのナツにもミラの言葉は聞こえていた。じっとナツがロアを見ている。その視線が痛くて、ナツがどう思ったのか怖くて、ナツをそっと視界からはずした。
「違ェよ、ロアには…」
俯いて言ったナツの言葉は、あまりにも小さく、ロアの耳には届かなかった。
その後も、暫くはギルダーツの話題で持ちきり。ナツはギルダーツに呼ばれてギルドの外に出ていき、それを見て、ロアはギルドの中、いつものカウンターに腰掛けていた。
「ねぇ、ロア。ナツとちゃんと話してる?」
「…なんで?」
「なんだか、誤解してるみたいだから…」
ロアとナツの態度の変化は、誰もが気が付くほどに異常だった。顔を合わせれば二人の空気を作り出すほどに仲が良かったナツとロアだ。気が付かない方がおかしい。
「俺は…ナツに執着しないって決めたんだ」
「どうして?」
「俺、ナツさえいればとか…そんなだったから」
「でも、だからナツと話さないっていうのは…違うんじゃない?」
「…わかってるけど」
そう、今の状態は確かに間違っている。でも、今は駄目なんだ、止まらないから。今は好きすぎて、ナツに触れたくて仕方がないから。この思いが落ちつくまでは、我慢したい。
そんなこと、ミラに言えるわけもなく。ロアは視線を逸らして息を吐いた。
「よくわからないけど…誤解は解いた方がいいわよ」
「誤解?なんの…?」
ざーっと不吉な雨が叩き付ける。ミラから逸らしたロアの目に、ミストガンがギルドの外に出て行く姿が見えた。
「ナツ、ロアはグレイを」
「ごめん!ちょっと、出てくる!」
ミラが言いかけた言葉を遮って、ロアはミストガンの背中を追いかけた。最後、ミストガンに背中を押されて以来だ。話したい、ミストガンが何を思っているのか、どうしてあんな顏をしていたのか気になる。
傘も差さずに、ぱしゃっと水をはねさせながら、ロアは走った。
・・・
「ミストガン…と、ウェンディ…?」
追いかけた先には、マスクや頭に巻いていたものを取り、素顔を晒したミストガンと、ウェンディの二人がいた。接点など無さそうな二人なのに、深刻な雰囲気が漂っている。
泣きじゃくるウェンディはミストガンに向けて大きな声を上げた。
「ギルドの皆はどうなるの!?」
「…全員…死ぬということだ…」
衝撃的な言葉は、誰よりも信頼出来るミストガンから放たれた。思わず動揺して、後ずさる。地にたまった雨水は、足元でぱしゃ…と音を立てた。
「ロア…!?何故ここに…」
「な、何の話をしてるんだ…?」
「っ、ウェンディもロアも、早く街の外に出るんだ!」
ウェンディは大きく首を横に振って、皆に伝えるんだとギルドの方へ走り出した。茫然と立ちすくむロアの横を小さなウェンディの体が通り過ぎて行く。
「何、死ぬって…?」
「くそっ…!」
いつも落ち着いていたミストガンからは想像できないほど慌てている。悔しそうに顔を歪めると、ミストガンは立ち上がってロアに近づいてきた。
「せめて…お前だけでも」
ミストガンがロアの体を力強く抱きしめた。痛いほど、強く。その様子があまりにも辛そうで、ロアはその背中に手を回すことしか出来なかった。
それからのことは何もわからない。強い腕に抱かれたまま、空間は歪み、全てが消し去られた。
ギルドも、ロアの体も全て、そこから消えてなくなっていた。
重い体に少しずつ意識が戻ってくる。ロアは手に力が入ることを確認し、ゆっくりと体を起こした。
「…っ、ここは…」
じゃり、と手が小石を握る。周りは木で囲まれていて、明らかに知らない景色が広がっていた。
「ミストガン…ミストガンは…?」
きつく抱きしめたその感触はまだ体に残っている。ということは、ギルドの近くにいた時と今と、さほど時間は経っていないというわけで。ではここはギルドの近くなのか、というと違う気がする。
「何が、どうなって…」
ミストガンどころか誰もいやしない。ロアは膝に手を付きながらその場に立った。とにかく自分が一体どこにいるのか確かめたい。
ミストガンの切ない顔、そして今のよくわからない状況…今のロアにはわかることなど何もなかった。
木が生い茂る道を真っ直ぐ歩く。何か違うものが映ると信じて。
「離して…!」
ふいに、道から逸れた方向から高い声が聞こえてきた。その台詞と、もう一つ低い声があることから女の子が襲われているという予想は簡単につく。
ロアはそちらに向かって方向を変えた。
「いい加減諦めなって」
「い、や、ですっ」
「気の強いとこも好きだけど」
「ふざけないで!」
掴まれた腕を振りほどく。しかし男の手は簡単に少女の手をもう一度掴み取った。
「今日は魔法で抵抗しねェんだ?」
「あなたのために消費するほど、魔法に余裕はないわ」
「へぇ、なら潔くオレのモノに」
「しつこい男は嫌われるぞ」
会話の途中のようだったが、ロアは脇の茂みからぱっと、二人の前に出た。
もう少しかっこいい登場の仕方が出来たら良かったのに。少し後悔が残るが、頭に乗った葉を取りながらロアは少女をちらっと見た。
「「…え」」
その声は見事にかぶった。
金髪に金眼。なかなかいないその風貌を持った少女はどことなく…いや、ほぼそのままロアを女性にしたような容姿をしていた。
「スゲェ…ロアちゃんが二人…」
見つめ合っていた二人は、その男の声で現実に引き戻される。
「君、下がって」
少女の体を自分の後ろに庇う。少女はびくっと肩を震わせてからロアの背に身を隠した。
「お前、この子のストーカーかなんかか?」
「ストーカーとは失礼だな。彼女が欲しいだけだよ」
「欲しいって…この子は困ってんだろ」
「なら無理やりにでも連れて行くだけさ」
こいつ駄目だ。そう思ってロアは大きくため息をついた。少女の目はずっと目の前の男を睨み続けている。少女が嫌がっていないなら話は別だが、ここまで拒否している女の子に付き纏う男というのは良くない。
「あぁ…でもこの際男のロアでもいいや」
「…は?」
男が近付いてきて、息が重なるほど顔を寄せた。服の隙間に手を入れて直接肌に触れられる。さすがにイラッとして、ロアは魔法を使おうと手を構えた。
「…あれ」
魔力が体に全く巡っていない。手をグーパーとしてみても何もないことがわかるだけ。
ちらっと男を見ると、先ほどよりもにやっと口元を歪ませてこちらを見ていた。ぞくっと悪寒が走る。
「さ、おいで。ロア」
「あ、うわっ、ちょ…!」
ひょい、と簡単に体を担がれ、そのまま男は歩き出していた。
「あっ、あなたの狙いは私でしょ…!」
「そうだよ。ロアちゃんが来てくれれば男のロアは解放するよ」
「駄目だ!」
今にも“じゃあ私が”と言いそうなその口を遮って、ロアは声を上げた。女の子に庇われるなんて有り得ない。それなら潔く掴まってやろう。
少女に行け、と目で訴える。それを感じ取ったようで、戸惑いながらも少女は背を向けて走り出した。
金の髪が揺れている。自分の背を見ているような不思議な感覚。結局状況も理解出来ないまま、この世界の物語に巻き込まれていくのだった。
・・・
早くギルドへ、早く誰かに伝えなきゃ。金の髪はばさばさと激しく揺れる。そんなに体力に自信はないが、今ばかりはと一歩を早く踏み出そうと腕を振った。
あの王国の男…ヒューズが自分にそっくりの、それがたとえ男であったとしても黙っているとは思えない。もしかしたら、掴まってあんなことやそんなことや…
自分の考えに、大きく首を振る。駄目、そんなこと絶対。
「はっ、はぁ…っ」
整わぬ息のまま、目の前に現れたギルドに安心する。扉に手をかけようとすると、先にその扉の方が開け放たれた。
「いたっ」
扉に額を打って後ろに転ぶ。地味に痛む額を押さえながら、ロアは顔を上げた。
「…ナツ」
「あ?」
「ナツ!いつ帰ったの!?」
ずいぶんフェアリーテイルを離れていた愛しい人がそこに立っている。驚いて、でも嬉しくて、ロアはぱっと立ち上がってその手を掴んだ。
「…お前、誰だ?」
しかし、ナツの反応は想像していたものと全く違った。驚いて大きく目を開いたナツは、ロアの足の先から頭の上までまじまじと見ている。
「…ロア、じゃねーよな」
「え…?」
目を細めて見てくるナツを不思議に思って、その横に座っているルーシィに目を合わせた。そのルーシィはというとケラケラ楽しそうに笑っている。
「なぁナツ、そっちのロアってどんななんだ?」
「オレの知ってるロアは男だ」
状況が見えない。このナツは自分が知っているナツでないとでもいうのだろうか。
「こいつらは、アースランドっつー他の場所から来たフェアリーテイルのメンバーらしいんだ」
ルーシィの説明では、今ここにいるナツはエドラスとは違う場所から来た…別世界の人間。
理解に苦しむが、アースランドのウェンディだとルーシィが指すウェンディはまだ10代前半の少女。実際のウェンディとは10年ほど違いがありそうで。
ということはさっきの青年はそのアースランドのロアなのだろうか、という考えにたどり着く。
「あの…あなたは私の知らないナツ、なんですよね」
「ん?んー…そういうことらしいな」
「私、たぶんあなたの知っているロアに会いましたよ」
「本当か!?」
嬉しそうに顔を輝かせてから、急にしゅんっと縮んだ。知っているナツと顔はそっくりだが、どうやら本当に別人のようだ。ナツはこんなに表情をころころと変えたりしない。
「どうしたんですか?」
「いや…オレ今、ロアとどう接したらいいかわかんねぇんだ」
ぽつりと漏らしたナツの言葉にルーシィもロアも首を傾げた。
「喧嘩でもしてんのか?」
「いや…そんなんじゃねーけど」
やはり表情は見たことのないものもあるが、どこからどう見てもナツだ。違うと言われても胸が熱くなりそうになる。
と、そんな悠長なことをしている場合ではない。ナツを見たことで、後回しになってしまっていた本題を思い出す。
「こんな話をしている場合じゃないですよ!その、そちらのロアさん、ヒューズに捕まったら何をされるか…!」
相変わらず待ち伏せしてロアを口説いてくるエドラス王国軍第三魔戦部隊隊長、ヒューズ。
王国の人間でありながら、魔導師ギルドに所属するロアを口説いてくる、本当にタチの悪い男だ。
「ロア、またあいつに襲われてたのか?」
「うん、でも助けてもらって…。あの人、大丈夫か心配…」
無事逃げていればそれでいいのだが、ヒューズに捕まって王国にでも行ってしまっていたら、助け出すのも相当困難になってしまう。
アースランドのナツとウェンディも不安そうに顔を合わせた。
「もし…ロアさんも私たちと同じように魔法が使えない状態だったら…。私たちにはシャルルがいたから状況もわかったけど…ロアさん困ってるかも」
「む…」
「ナツさん…!」
「ロアを助けるぞ!」
「はい!」
意気込んだはいいものの、まだエドラスの魔法すら理解していないナツが王国に辿り着くのはまだまだ時間がかかるのだった。
「俺…サイアク。何やってんだよ…!」
髪を掻き上げて、ぐしゃぐしゃと頭をかく。自分の事情でファンタジアに出ず、誰にも何も言わず会わず電気を消した。
別に気分が悪かったとかそういうことではなく、ラクサスの思いを聞かされて驚いて…
嫌われていたり、好かれていたり、周りからの評価がわからなくなって、それは自分がナツばかりに夢中になりすぎていたからではないかと思ったら、どうしていいかわからなくなって。
「でも、だってナツが好きなんだ…」
しかし、ナツを好きなロアをラクサスは、フリードは好きになった。それが無性に申し訳なくなっている。
「違う、だから俺は…極端なんだって」
フェアリーテイルは皆家族、ナツだっていつも言っていることだ。だから、ナツばかりに夢中になるのは駄目だということであって。
「でも…そんなに器用じゃねーし…」
ベッドに腰掛けてロアは大きく息を吐き出した。こんなにいろんなことを一気に考えるのは久々だ。
頭を冷やすために、ロアは部屋を出た。
「お、ロア、体はもう平気か?」
「グレイ…おはよ」
部屋を出てすぐ、ロアの部屋に向かっていたのだろうグレイと鉢合わせた。相変わらず上半身を晒しているグレイさえ、今のロアには何を考えているか疑いの対象にしかならない。
「…えっと…」
「あ?どうしたんだよ」
「いや、あれだ…昨日はどうだった…?」
「…ファンタジアのことか?盛り上がったぜ。ラクサスも皆で見送った」
「そ…」
ラクサスの名前でぴく、とロアの筋肉が強張るのを、グレイは見逃さなかった。
「…ラクサスとなんかあった?」
「え!?」
「…お前の部屋、入れろよ。話聞く」
「いや、話すこととか別に…っておい!」
ずかずかと部屋に入って行くグレイの勢いに押され、ロアは出たばかりの部屋に再び戻ることになってしまった。
グレイは初めて入るロアの部屋を少し眺めると、ためらわずにベッドに腰掛けた。ベッドと机と、クローゼットがある。大きくなく、必要最小限のものしかない部屋。
「この部屋、人来ることあんの?」
「…いや、ミラくらいだけど…」
「へぇ…」
グレイの口元が嬉しそうに弧を描く。それに気付いてしまったロアは少し後ろに後ずさった。グレイの好意はずいぶん前から知っている、というかグレイは隠す気がないのだ。
「で?ラクサスにとうとう告られた?」
「は!?え、なんで!?」
「ロアを好きな者同士…何考えてっかわかるんだよなァ」
びくっと肩が震えた。今まで流せたことなのに、胸を締め付けてくるのは、ラクサスのあんな顔を見たせいだ。
「…そんな目で…見んな…」
グレイの視線が痛い。熱い視線が自分を捕らえていることに耐えられない。
「ナツが、そんなにいいのかよ」
「…それ、今関係な」
「関係あるだろ」
ベッドの軋む音、グレイの近づく足音。どうしてか心臓が煩い。人の好意を全く気に留めずにナツばかり考えていたときと違って、人の好意を正面から受け止めようとしてしまう。
ナツばかりにうつつを抜かすなと言われているような気分になって、罪悪感が募る。
「そんなスキばっかだとさ、手ェ出したくなんだけど」
「っ…」
グレイの手が頬に触れた。冷たい手が触れたのに、体が熱くなる。今までグレイとどうやって触れてきたのかわからない。グレイの自分への好意が肌から伝わって、頭が真っ白になった。
「っあ!」
「嫌なら逃げろよ」
「何言ってんだ、ここは俺の部屋だ…!」
とん、と背中に壁が当たる。グレイの手が服の中に入ってくるのを拒否することが出来なかった。
グレイの好意を利用しているのはわかっている。でも、こうしていれば、ナツのことを考えずに済むのではないかと思って。
「なんで逃げねーんだよ…」
「グレイ?」
「オレ、本気でロアのこと好きなんだぞ、わかってんのか?」
「それは…っ」
とんとん
ロアのすぐ横、扉が木の音を立てた。
「ロア、いんだろ?」
ナツの声だ。ロアの体にたまった熱がサッと冷めていく。
「入っていいか?」
「あ…ちょっと待っ…」
慌ててロアがグレイを押し返すと、服の中に入れられたグレイの手がすっと引かれる。冷たい手が離れて安心したロアの顔はグレイの方に向かされていた。
「…ん!?」
唇と唇が重なっているそれは、間違いなくキスというもので。初めてのその感触に目を開いたまま動けなくなったロアの横、その扉は開け放たれていた。
「…何、してんだ?」
ナツの声が耳の奥に重く響く。その、いつもより少し落ち着いている低めの声に、頭と胸がきしきしと嫌に痛んで、ゆっくりと頭をナツの方に動かした。
大きな目がじっとこちらを捕らえて離さない。
「ナツ…」
「昨日、ファンタジア出ねーで…朝から何やってんだよ」
「いや、これは…!」
グレイは何も言わずにじっとロアを見ている。ロアが何を言うのか待っているのだ。
そのロアはどう言い訳しようか考えていた。
ナツは恋人でもなんでもないのに。それはグレイだって同じで、キスをされただけで恋人でも、好きな相手というわけでもない。
もやもやとズキズキの繰り返し。
「べ…つに、ナツには…関係ない」
思わず出た言葉は、思っていたこととは全く違うもの。
「なんでだよ。関係ないことねーだろ」
「関係ないだろ…これは、プライベートのこと、なんだから」
ロアに何か言い返そうと開かれたナツの口は一度閉じられる。それから、そーかよと小さく呟いて、ナツはぱたんと部屋の外に出て行った。
ロアは壁に背を預けたまま、そこにぺたんと座り込んだ。自分でも、なんであんなことを言ってしまったのかわからない。
「ロア、良かったのか?」
「お前が…それ言うか?」
「そりゃそーだけどよ…やっぱりおかしいぜ、今のロア」
そう、おかしい。ナツへの自分の好意も、グレイやラクサスの好意も、何もかもが頭の中をめちゃくちゃにかき乱していく。
「ホント…どうかしてんな、俺…」
「…キスしたこと、怒んねーのか?」
「いいよ、今日は…俺が悪かった」
結局はっきりしないロアの態度にグレイが困っているのがわかる。気にしすぎ、考えすぎ。でも、考えなきゃいけなくて、このままではいられない。
「なぁ…グレイ、俺さ」
チーム抜けるわ。
グレイは少し悲しげに顔を歪めて、それから仕方ないなと笑った。
ロアは今まで一度も共に仕事をしたことのない人たちと過ごす時間を増やした。そうすることで、知らなかったギルドの情報や、関わったことのなかった者との交流も増える。自然とロアの人気は上昇した。
ロアが最強チームを抜けたらしい。
グレイに告げた一言は、すぐにギルド中に広がっていった。
「ロア、ナツたち仕事行くって言ってたわよ」
「へぇ、あいつら頑張ってんだな」
「そんな人事のように」
「人事だろ」
興味もないように薄い返事。最近ではロアにナツやグレイの話を振っても、いつもこんな感じだ。
「ナツのこと、なんともないの?」
「なんのことだ?」
ぱっと笑って、ロアは立ち上がった。そのままギルドの外へ歩いて行ってしまう。そのロアの背中を、ミラは心配そうにずっと見つめていた。
「…は、馬鹿みてぇ」
海沿いに立って、ロアは風になびく髪を押さえながら苦笑した。こんなの自分じゃない。わかっている、そんなこと。
「ナツは仕事かぁ」
最初はグレイが仕事に誘ってくれたけれど、断っているうちに誘わなくなった。ナツが一度も誘ってくれなかったことが地味に寂しい。
「ナツは…俺と離れてもなんともないのかな」
いや、それよりも前に、ナツにはグレイとキスしているところを見られている。それを見てどう思っただろう。
なんとも思わないのか、それとも気持ち悪いと思ったのか。
どちらにせよ、ロアにとっては切ないものだった。
「…はぁ」
前よりも、他の者の気持ちには近付いたけれど、ナツからは遠ざかった。それが目的であったはずなのに、それが辛い。
「…ロア」
ふわっとロアの肩に暖かいマントがかけられる。今、一番ロアにとって安心出来る存在…ミストガンだ。
「こんなところで…風邪をひくぞ」
「そんなにヤワじゃねぇよ」
ほとんど人前に姿を見せないミストガンが、こうして気を遣ってくれることは純粋に嬉しくて。ロアはミストガンの胸に額をのせた。
「ありがと…」
「いや、私が勝手にしていることだ。気にするな」
「いつも、ミストガンには助けられっぱなしだな、俺は…」
幼いロアの面倒をみてくれて、それからというもの、多くの場面で助けられた。
「そんなに辛いなら…ナツと話せばいい」
「…でも、今ナツに会ったら…っ」
我慢できない。せっかくここまでナツと距離をとって自分を変えようとしてきた全てが無駄になってしまう。
ロアは唇を噛んで、泣きそうになる目を細めた。
「ロア…私のところに来ないか…?」
「え?」
「暫く出る予定はない。…時間も、ない」
目が少し覗くだけのミストガンの顔。それでも、何か思い詰めたような表情をマスクの下に隠している気がして…ロアはミストガンの手を握り締めた。
・・・
・・
細い体に小さな身長。年齢はグレイよりも、エルザよりも上だというのに、もっと幼く見える少年。ロアはフェアリーテイルに来てからはかいがいしく皆に大切にされた。
「誰…?」
ロアとミストガンが初めて会ったのは、ロアが所属した後、一年経った頃だった。
「お前が、例の」
「え、例の…?」
ミストガンの耳にも入っていた光の力を持つ新入りのこと。確かに聞いていた通りの金色に目を細める。
「あ…、もしかして…ミストガンさん…?」
「…そうだが」
「聞いていた通りの風貌ですね」
「君も…聞いていた通りだ」
笑った顔は本当に可愛らしく、皆があれやそれやと噂するのもわかる。フェアリーテイルにはまさかいないだろうが、外に出したら簡単に取って喰われてしまいそうだ。
「あの、ミストガンさんは…忙しいです、よね」
「…それなりにはな」
「あ…、の。時間がある時だけでも…僕を強くしてくれませんか…?」
おどおどと顔を下げて、目線だけをミストガンに向けている。
ラクサスは怖い。ナツやグレイでは遊びになってしまう。エルザは強いけれど、自分より年下の女の子でなんとなく恥ずかしい。誰か強くて面倒を見てくれそうな人を、ロアは探していたのだ。
「…構わない」
「ほ、本当ですか!?」
こんなに弱々しく、可愛らしい少年をそのまま放っておくことなど、ミストガンに出来るはずもなく。
その日からロアと共にいる時間が増えていった。
可愛らしかった少年は、ナツやグレイ、エルザたちと関わっているためか、どんどん口悪く、性格もさばさばしたものになった。
しかし、その程度のことでロアの魅力がなくなることはなく。
光の力を使いこなしていくロアは美しかった。
・・
・・・
「な…マスク、取れよ…っ」
殺風景な部屋。そこにぽつんと置かれたベッドの上で、ロアは足を開いていた。
ロアが自分から誘うのは初めてだ。そんな行動に出てしまうほど、ロアは何かに焦っていた。
「マスク、取んなきゃ…キス出来ねぇじゃん…!」
「…っ」
「ぁ、あッ…なんで、そんな…!」
せっかく体を重ねているのに、ミストガンはロアの体を慈しむように触るだけで、キスすることも繋がろうともしなかった。
「俺…ミストガンなら、っいいよ?」
「ロア、お前は私を好きではない」
「男同士だろ、そんなのっ、ん…はぁ、あっ」
男同士なのだから細かいこと気にするな、と言いたいロアにミストガンの手が攻め込んで、ロアは歯を食いしばった。
気持ちいいことをしている間は、余計なことを考えずに済む。
「あ、あ…」
溺れていく。一人で喘いでいるのが悔しくて、ロアは体を起こしてミストガンの顔を覆うマスクを引いた。
「ロア…!」
ぱっと見えたミストガンの顔はやはり切なげで。焦ったように逸らされる。
それから一気に強くしごかれて、ミストガンのその様子が変であることを考える余裕など無くなってしまう。
「私のことはいい…」
「っん、ぁあ、っあ…!」
きゅっと先端を刺激されて、ロアはすぐにいかされた。
何度こうしても、気持ちいいのはやっている間で。終わった後の虚しさと、自分への絶望感はどうしようもなく高まっていくのだった。
・・・
・・
「…そ、そんなに見ないで…」
「なんで?すっげぇ綺麗なのに」
ロアの長い前髪を避けて顔を覗き込んでくるナツ。毎日毎日飽きないものかと思う。それくらい、ナツはいつでもロアの目を見たがった。
「痣、消えてきたな!」
「え…?」
「これからはオレが守るから、心配しなくていいんだぞ!」
「あ…ありがとう…」
ナツはいつだって欲しい言葉をくれた。生まれてから今まで、言ってもらえなかった言葉ばかり。
ロアからすれば、ナツの鮮やかな桃色とか、豊かな表情の方がよほど魅力的なのに。
「なぁ、前髪切ろうぜ」
「や、それは…」
「むー…じゃあこう、分けるとか…」
小さい手ですっすとナツがロアの前髪を横に分ける。開けた視界には真っ直ぐと自分を見つめるナツの顔があって。ロアの顔はかっと赤く染まった。
「おい、ナツ!ずりぃぞお前ばっかりロアを独占しやがって!」
「あ?うっせーよグレイ!」
「どけ、邪魔だナツ!」
「てめーこそ邪魔なんだよ!」
目の前で殴り合いを始めるナツとグレイ。二人の活発さが羨ましくて、楽しくて、ロアはふっと笑っていた。
・・
・・・
のそっとうつ伏せになって、枕を抱きしめる。
久々に見た昔の夢。何も考えずただただ毎日が楽しかったあの頃。
「俺は…あの笑顔に何度も救われたんだよな…」
ロアは既に何日か、ミストガンの家に居座っていた。
ミストガンは相変わらずいない時間が多い。ただ、余計なことには触れずに居場所をくれるミストガンと共にいるのは心地よかった。
そろそろナツたちも仕事から帰ってくる頃だ。フェアリーテイルに行くか迷うのは、会いたい思いと、会ったら思いを爆発させそうだという二つの異なる思い故。
今回ナツたちのチームが行った仕事は他のギルドと連合を組んで行うほどの厳しいものだと聞いている。
ナツが知らないところでロアの知らない人と関わっていく。それが少し切なくて。
「なんで俺、ナツのこと好きなんだろーな…」
いつから好きなのか思い出せないくらいずっと前から好き。
「あぁ…やばい、泣きそ…」
考えれば考えるほど思いが強まっていく。ナツばかり考える自分を捨てるために、もっと周りを見ようとした。
実際、今まで以上に話せる仲間は増えた、それは確か。誰と誰が仲良しで、どんな能力を持っているのか。たくさん知った。
それでも、ナツへの思いが無くなるはずはないのだ。
「っ…」
当初の目的とは違う方向に思いばかりが突き進んでいく。
「ミストガン…ごめん。俺の勝手に巻き込んで…」
「巻き込まれているなんて思っていない。頼ってくれて、嬉しい」
ぽん、と頭に手を置かれる。神出鬼没、でもミストガンはこうしていて欲しいときにいてくれた。だから、辛いときに縋りたくなってしまう。無条件で大事にしてくれるから。
「…ナツたちが帰ってきた」
「そう、なんだ」
「新しい仲間も連れてきたようだ」
「へぇ…」
「行かないのか」
じっとミストガンの目がロアを見つめる。
「私は、もう十分…ロアとの時間をもらった」
「な、何…?」
「早く、ナツに会いに行くんだ」
「どうしたんだよ、ミストガン…」
「…後悔するぞ」
何か、これから起こることを予期しているかのような強い言葉。ざわざわと心が騒ぐ。とん、と背中を押されて、ロアはようやく立ち上がると扉の方へ足を進めた。
「ミストガン、結局…俺を抱かなかったな」
「…」
「…ありがと」
パタン、と扉が閉まる。
久々に日差しが眩しくて、真っ直ぐギルドに足が動いた。
・・・
ギルドに近づくにつれて聞こえてくる楽しそうな声。ミストガンの言った新入りのおかげか、明らかに普通でない騒ぎ様にロアの足は一度止まった。
ギルドに入るのも何日ぶりか。妙に緊張してしまう。ごくりと唾をのんで、扉に手をかけた。
「…ただいま」
小さく漏らしたロアの声は騒がしいギルドの中に消された。ナツたちの任務成功と新入りを祝ってか、宴が始まっているようだ。
「あ、ロアこっちこっち!」
声をかけてくれたのは、入口の傍にいたレビィ。レビィが指した先に、見たことのない可愛らしい小さな少女がいる。
「…あの子が新入り?」
「そう!なんでも、天空のドラゴンスレイヤーなんだって!」
「ドラゴンスレイヤー!?」
「フェアリーテイルに三人も集まるなんて、なんだかすごいよね!」
そんな強い能力を持つ子には見えず、ロアは無意識にじっとその瞳に映し続けた。
「…ちょっと、ウェンディをそんな目で睨まないでくれる?」
その声は足元から聞こえて、ロアはぱっと視線を下にずらした。ちょこん、とそこにいるのはハッピーと酷似した小さな二足歩行の猫。
「え、え…?」
「何よ、文句ある?」
スカートをはいて、尻尾にはリボンをつけている猫。名をシャルルというその猫は、ウェンディ…新入りの少女のパートナーである。
「ずいぶんと…ナツに似ているんだな」
ぽつりと呟いた声は、自分でも驚くほどに低く、ロアは思わず口を手で覆った。
ウェンディに嫉妬した心が表に出てしまっている。そんなこと知るはずもないシャルルは、不快そうにロアを見てから、ウェンディの元へ戻って行った。
「…ロア、何かあったの?」
レビィが心配そうにロアの顔を覗き込んだが、ロアは手で制して大丈夫と笑った。
しかしその目をもう一度輪の中心に移すと、ナツがルーシィの隣で笑っている姿が見えてしまって、再び心がザワつく。
「…っ、は…」
「え、ロア…顔青いよ?本当に大丈夫なの?」
「ん…平気。部屋…戻るわ」
「う、うん。お大事にね…?」
こんな変な気持ちでいたら、せっかく楽しそうにしている皆の気を悪くさせてしまうかもしれない。ロアはなるべく壁際を沿って階段を目指した。
「お、ロア!今までどこに行ってたんだ?」
誰にも気づかれずにこっそり部屋に向かいたかったのに、その願いは叶えられなかった。友人を増やしたせいか、ロアに気付いた者が声を上げる。それは当然、ナツやグレイの耳にも入った。
「あぁ…いや、ちょっと、な」
「なんだよ。つれねぇなあ」
ちらっと視界の端に入ったナツと一瞬目が合う。しかしその目はぱっと逸らされてしまった。
ズキン、と音が聞こえそうなくらい胸が痛くなる。
「…おい、ロア!お疲れの一言もねぇのか?」
「あ、あぁ、グレイ。おかえり」
グレイがナツの横を通りすぎてロアの傍に来た。
グレイはナツのその態度も、その態度に傷ついたロアにも気付いている。グレイが少し慰めるようにロアの頬に手をやったから、ロアにもそれはわかってしまった。
「おい、そんなに顔に出すな」
「え?」
「辛そうな顔すんなって」
「別にしてねぇよ」
「してんじゃねーか」
グレイの両手がロアの頭を掴んでわしゃわしゃと撫でまわした。撫でるという優しい動きではないが、そのおかげで下を向き、顔に髪がかかり、ロアの顔は周りに見えなくなる。
「…そんな情けない顔見せんな」
襲いたくなんだろ、と耳元でグレイの低い声が響く。
「はは…グレイ最低ー」
「おう、わかったらその顔なんとかしろ」
優しい。グレイもミストガンも優しすぎる。申し訳なくて、ロアはもう一度ギルドの外に出た。
ギルドの外に設置された蛇口をひねる。ばしゃばしゃと顔を濡らして、髪をどかしながら顔を上げた。
「…君は」
「あの、私…ウェンディっていいます」
「知ってるよ」
「ロアさん…ですよね」
先ほどレビィに聞いた新入りの少女。目の前に立たれて改めてその少女の幼さが際立つ。ワンピースから伸びる手足は小さく、頬もぷっくりとして可愛らしい、なかなかフェアリーテイルにはいないタイプだ。
「あの…ナツさんとグレイさんが、やけに貴方のことを気にしていたので…気になって」
「俺のことを…ナツとグレイが?」
「はい。その…喧嘩しているなら仲直りして欲しいなって」
年の割にはずいぶんと気が利くいい子らしい。
「…ありがとう。でも、喧嘩なんてしてないよ」
「え、そうなんですか!?ごめんなさい、私…勘違いを…」
「いや…でもいい線いってる」
「…?」
喧嘩なんて簡単なものなら修復はすぐに出来る。グレイとはたぶん問題ない。問題はナツだ。
相談も無しに、勝手にチームを抜けたから機嫌を悪くしたのだろう。それ以外にナツに顔を逸らされる原因など考えられない。
「その、ナツ…俺について何か言ってた?」
「あ、いえ…でも、名前を言っては頬を膨らませるような姿を何度か…」
「そっか…」
中途半端なロアの態度でナツを怒らせてしまった。それでも、謝るなんて選択肢はロアの中にはない。もう少し、自分の中でナツへの思いが落ちつくまでは、まだ。
「あの、大丈夫ですか?」
「あー…大丈夫大丈夫…」
ナツにとって自分がどんな存在であっても、ナツの中に自分がいるなら、それだけでいい。離れている間にも自分を思っていた。それが今のロアには救いだった。
結局ナツとは話をすることもなく、数日が経った。自分の部屋で大人しくしていたロアの耳にも入ってきた鐘の音。
その日、フェアリーテイル最強と言われる男、ギルダーツが三年ぶりに帰ってきた。
ロアにとっても、ギルダーツは父親みたいな存在で、鐘の音を聞いてじっとしていることは出来なかった。
久々に足取り軽く階段を降りる。この際ナツとか気にしている場合ではない。
「あ、ロア。さすがに降りてきたわね」
「ミラ!ギルダーツ、帰ってくるんだろ?」
「えぇ。もう直に着くんじゃないかしら」
ロアだけじゃない。フェアリーテイルの皆がギルダーツの帰りを今か今かと大騒ぎしている。
「きた!」
ガシャガシャという音を鳴らしながら、ギルダーツの影がフェアリーテイルから見えた。いち早く反応したのはナツ。
「ギルダーツ!オレと勝負しろ!」
久しぶりの挨拶もなく、ギルダーツに勝負を挑むナツを、ギルダーツは片手で放り投げた。相変わらずの圧倒的な強さに、震える者、感動する者、様々だ。
「おかえりなさい!」
「お嬢さん、この辺りにフェアリーテイルってギルドがあるはずなんだが…」
「ここよ。それに私、ミラジェーン」
「ミラ?お前、ずいぶん変わったなぁ!つーかギルド新しくなったのかよ!」
三年という長い間離れていたために、変わった者も、新しく入った者も多くいる。ギルドさえも新しく変わっていたために、ギツダーツは嬉しそうに周りを見渡した。
「いやぁ、見ねぇ顔もあるし…変わったなぁ。ミラの隣にいるそいつも新入りか?」
ミラの隣。
ミラは横を見て、さっと顔を青ざめた。エルザもグレイも複雑な顔を浮かべ、その張本人も目を丸くしてギルダーツを見つめている。
「…俺、わかんない?ロア…だけど」
「ロアちゃん!?」
ギルダーツは驚くのと同時にロアの胸に手を当てた。
「…ギルダーツ?一応言っとくけど、胸はねぇよ…?」
「ロアちゃん、男だったのか…!」
言われて見れば綺麗な金の髪に瞳をしている…と顔を下げて残念そうにするギルダーツに、ロアは呆れてため息をついた。まさか、女だと思われていたとは。
「将来有望な子が入ってきたと思ったんだがなぁ」
「…エロ親父」
「ま、男の子でも可愛いからいいか」
女好きは相変わらずのギルダーツがロアの肩を抱いて引き寄せる。
「駄目よ、ロアにはナツがいるんだから」
「あ?ナツ?」
「おい、ミラ…!」
ミラの口を慌てて塞いだが、ギルダーツは吹っ飛んだナツを見ているし、そのナツにもミラの言葉は聞こえていた。じっとナツがロアを見ている。その視線が痛くて、ナツがどう思ったのか怖くて、ナツをそっと視界からはずした。
「違ェよ、ロアには…」
俯いて言ったナツの言葉は、あまりにも小さく、ロアの耳には届かなかった。
その後も、暫くはギルダーツの話題で持ちきり。ナツはギルダーツに呼ばれてギルドの外に出ていき、それを見て、ロアはギルドの中、いつものカウンターに腰掛けていた。
「ねぇ、ロア。ナツとちゃんと話してる?」
「…なんで?」
「なんだか、誤解してるみたいだから…」
ロアとナツの態度の変化は、誰もが気が付くほどに異常だった。顔を合わせれば二人の空気を作り出すほどに仲が良かったナツとロアだ。気が付かない方がおかしい。
「俺は…ナツに執着しないって決めたんだ」
「どうして?」
「俺、ナツさえいればとか…そんなだったから」
「でも、だからナツと話さないっていうのは…違うんじゃない?」
「…わかってるけど」
そう、今の状態は確かに間違っている。でも、今は駄目なんだ、止まらないから。今は好きすぎて、ナツに触れたくて仕方がないから。この思いが落ちつくまでは、我慢したい。
そんなこと、ミラに言えるわけもなく。ロアは視線を逸らして息を吐いた。
「よくわからないけど…誤解は解いた方がいいわよ」
「誤解?なんの…?」
ざーっと不吉な雨が叩き付ける。ミラから逸らしたロアの目に、ミストガンがギルドの外に出て行く姿が見えた。
「ナツ、ロアはグレイを」
「ごめん!ちょっと、出てくる!」
ミラが言いかけた言葉を遮って、ロアはミストガンの背中を追いかけた。最後、ミストガンに背中を押されて以来だ。話したい、ミストガンが何を思っているのか、どうしてあんな顏をしていたのか気になる。
傘も差さずに、ぱしゃっと水をはねさせながら、ロアは走った。
・・・
「ミストガン…と、ウェンディ…?」
追いかけた先には、マスクや頭に巻いていたものを取り、素顔を晒したミストガンと、ウェンディの二人がいた。接点など無さそうな二人なのに、深刻な雰囲気が漂っている。
泣きじゃくるウェンディはミストガンに向けて大きな声を上げた。
「ギルドの皆はどうなるの!?」
「…全員…死ぬということだ…」
衝撃的な言葉は、誰よりも信頼出来るミストガンから放たれた。思わず動揺して、後ずさる。地にたまった雨水は、足元でぱしゃ…と音を立てた。
「ロア…!?何故ここに…」
「な、何の話をしてるんだ…?」
「っ、ウェンディもロアも、早く街の外に出るんだ!」
ウェンディは大きく首を横に振って、皆に伝えるんだとギルドの方へ走り出した。茫然と立ちすくむロアの横を小さなウェンディの体が通り過ぎて行く。
「何、死ぬって…?」
「くそっ…!」
いつも落ち着いていたミストガンからは想像できないほど慌てている。悔しそうに顔を歪めると、ミストガンは立ち上がってロアに近づいてきた。
「せめて…お前だけでも」
ミストガンがロアの体を力強く抱きしめた。痛いほど、強く。その様子があまりにも辛そうで、ロアはその背中に手を回すことしか出来なかった。
それからのことは何もわからない。強い腕に抱かれたまま、空間は歪み、全てが消し去られた。
ギルドも、ロアの体も全て、そこから消えてなくなっていた。
重い体に少しずつ意識が戻ってくる。ロアは手に力が入ることを確認し、ゆっくりと体を起こした。
「…っ、ここは…」
じゃり、と手が小石を握る。周りは木で囲まれていて、明らかに知らない景色が広がっていた。
「ミストガン…ミストガンは…?」
きつく抱きしめたその感触はまだ体に残っている。ということは、ギルドの近くにいた時と今と、さほど時間は経っていないというわけで。ではここはギルドの近くなのか、というと違う気がする。
「何が、どうなって…」
ミストガンどころか誰もいやしない。ロアは膝に手を付きながらその場に立った。とにかく自分が一体どこにいるのか確かめたい。
ミストガンの切ない顔、そして今のよくわからない状況…今のロアにはわかることなど何もなかった。
木が生い茂る道を真っ直ぐ歩く。何か違うものが映ると信じて。
「離して…!」
ふいに、道から逸れた方向から高い声が聞こえてきた。その台詞と、もう一つ低い声があることから女の子が襲われているという予想は簡単につく。
ロアはそちらに向かって方向を変えた。
「いい加減諦めなって」
「い、や、ですっ」
「気の強いとこも好きだけど」
「ふざけないで!」
掴まれた腕を振りほどく。しかし男の手は簡単に少女の手をもう一度掴み取った。
「今日は魔法で抵抗しねェんだ?」
「あなたのために消費するほど、魔法に余裕はないわ」
「へぇ、なら潔くオレのモノに」
「しつこい男は嫌われるぞ」
会話の途中のようだったが、ロアは脇の茂みからぱっと、二人の前に出た。
もう少しかっこいい登場の仕方が出来たら良かったのに。少し後悔が残るが、頭に乗った葉を取りながらロアは少女をちらっと見た。
「「…え」」
その声は見事にかぶった。
金髪に金眼。なかなかいないその風貌を持った少女はどことなく…いや、ほぼそのままロアを女性にしたような容姿をしていた。
「スゲェ…ロアちゃんが二人…」
見つめ合っていた二人は、その男の声で現実に引き戻される。
「君、下がって」
少女の体を自分の後ろに庇う。少女はびくっと肩を震わせてからロアの背に身を隠した。
「お前、この子のストーカーかなんかか?」
「ストーカーとは失礼だな。彼女が欲しいだけだよ」
「欲しいって…この子は困ってんだろ」
「なら無理やりにでも連れて行くだけさ」
こいつ駄目だ。そう思ってロアは大きくため息をついた。少女の目はずっと目の前の男を睨み続けている。少女が嫌がっていないなら話は別だが、ここまで拒否している女の子に付き纏う男というのは良くない。
「あぁ…でもこの際男のロアでもいいや」
「…は?」
男が近付いてきて、息が重なるほど顔を寄せた。服の隙間に手を入れて直接肌に触れられる。さすがにイラッとして、ロアは魔法を使おうと手を構えた。
「…あれ」
魔力が体に全く巡っていない。手をグーパーとしてみても何もないことがわかるだけ。
ちらっと男を見ると、先ほどよりもにやっと口元を歪ませてこちらを見ていた。ぞくっと悪寒が走る。
「さ、おいで。ロア」
「あ、うわっ、ちょ…!」
ひょい、と簡単に体を担がれ、そのまま男は歩き出していた。
「あっ、あなたの狙いは私でしょ…!」
「そうだよ。ロアちゃんが来てくれれば男のロアは解放するよ」
「駄目だ!」
今にも“じゃあ私が”と言いそうなその口を遮って、ロアは声を上げた。女の子に庇われるなんて有り得ない。それなら潔く掴まってやろう。
少女に行け、と目で訴える。それを感じ取ったようで、戸惑いながらも少女は背を向けて走り出した。
金の髪が揺れている。自分の背を見ているような不思議な感覚。結局状況も理解出来ないまま、この世界の物語に巻き込まれていくのだった。
・・・
早くギルドへ、早く誰かに伝えなきゃ。金の髪はばさばさと激しく揺れる。そんなに体力に自信はないが、今ばかりはと一歩を早く踏み出そうと腕を振った。
あの王国の男…ヒューズが自分にそっくりの、それがたとえ男であったとしても黙っているとは思えない。もしかしたら、掴まってあんなことやそんなことや…
自分の考えに、大きく首を振る。駄目、そんなこと絶対。
「はっ、はぁ…っ」
整わぬ息のまま、目の前に現れたギルドに安心する。扉に手をかけようとすると、先にその扉の方が開け放たれた。
「いたっ」
扉に額を打って後ろに転ぶ。地味に痛む額を押さえながら、ロアは顔を上げた。
「…ナツ」
「あ?」
「ナツ!いつ帰ったの!?」
ずいぶんフェアリーテイルを離れていた愛しい人がそこに立っている。驚いて、でも嬉しくて、ロアはぱっと立ち上がってその手を掴んだ。
「…お前、誰だ?」
しかし、ナツの反応は想像していたものと全く違った。驚いて大きく目を開いたナツは、ロアの足の先から頭の上までまじまじと見ている。
「…ロア、じゃねーよな」
「え…?」
目を細めて見てくるナツを不思議に思って、その横に座っているルーシィに目を合わせた。そのルーシィはというとケラケラ楽しそうに笑っている。
「なぁナツ、そっちのロアってどんななんだ?」
「オレの知ってるロアは男だ」
状況が見えない。このナツは自分が知っているナツでないとでもいうのだろうか。
「こいつらは、アースランドっつー他の場所から来たフェアリーテイルのメンバーらしいんだ」
ルーシィの説明では、今ここにいるナツはエドラスとは違う場所から来た…別世界の人間。
理解に苦しむが、アースランドのウェンディだとルーシィが指すウェンディはまだ10代前半の少女。実際のウェンディとは10年ほど違いがありそうで。
ということはさっきの青年はそのアースランドのロアなのだろうか、という考えにたどり着く。
「あの…あなたは私の知らないナツ、なんですよね」
「ん?んー…そういうことらしいな」
「私、たぶんあなたの知っているロアに会いましたよ」
「本当か!?」
嬉しそうに顔を輝かせてから、急にしゅんっと縮んだ。知っているナツと顔はそっくりだが、どうやら本当に別人のようだ。ナツはこんなに表情をころころと変えたりしない。
「どうしたんですか?」
「いや…オレ今、ロアとどう接したらいいかわかんねぇんだ」
ぽつりと漏らしたナツの言葉にルーシィもロアも首を傾げた。
「喧嘩でもしてんのか?」
「いや…そんなんじゃねーけど」
やはり表情は見たことのないものもあるが、どこからどう見てもナツだ。違うと言われても胸が熱くなりそうになる。
と、そんな悠長なことをしている場合ではない。ナツを見たことで、後回しになってしまっていた本題を思い出す。
「こんな話をしている場合じゃないですよ!その、そちらのロアさん、ヒューズに捕まったら何をされるか…!」
相変わらず待ち伏せしてロアを口説いてくるエドラス王国軍第三魔戦部隊隊長、ヒューズ。
王国の人間でありながら、魔導師ギルドに所属するロアを口説いてくる、本当にタチの悪い男だ。
「ロア、またあいつに襲われてたのか?」
「うん、でも助けてもらって…。あの人、大丈夫か心配…」
無事逃げていればそれでいいのだが、ヒューズに捕まって王国にでも行ってしまっていたら、助け出すのも相当困難になってしまう。
アースランドのナツとウェンディも不安そうに顔を合わせた。
「もし…ロアさんも私たちと同じように魔法が使えない状態だったら…。私たちにはシャルルがいたから状況もわかったけど…ロアさん困ってるかも」
「む…」
「ナツさん…!」
「ロアを助けるぞ!」
「はい!」
意気込んだはいいものの、まだエドラスの魔法すら理解していないナツが王国に辿り着くのはまだまだ時間がかかるのだった。