リクオ夢(2011.10~2015.03)
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奴良組本家。
一度再び集った妖怪達は、現状を報告し合い、そして今後すべきことを確認し合っていた。
晴明の根城は葵螺旋城。つまり、すべきことは一つ、準備が出来次第、葵螺旋城へ向かい鵺を倒すこと。
その為に花開院の協力も得て、後は残りわずかの準備時間を有意義に過ごすだけだった。
そんな大事な話し合いが行われていることなど露知らず。
狐ノ依は一人、布団の上で静かに体を起こした。頭がぼんやりとしていて記憶が鮮明でない。
頭を押さえて何とか記憶を追ってみれば、四国での戦いが薄らと思い出されるだけ。
「…!リクオ様!」
「そんな焦らんでも、大丈夫やって」
焦って立ち上がろうとした狐ノ依の腕はやんわりと掴まれていた。
はっとして横を向けば、いつから居たのか、共に戦ったゆらがそこに座っている。
「…ゆらちゃん」
「なんで残念そうな顔するん」
恐らく奴良組に一時帰還したのだろう。
何となく見覚えのあるような景色に安心しつつ、状況が分からず困惑する。
リクオは、玉章や獺祭はどこに。
「今は妖怪達の会議中や」
「え…?」
「帰ってきてすぐ、奴良くんは妖怪を集めろってでっかい部屋に向かったで」
「そ、それなら、ボクも」
「何言うてんねん。今は次の戦いに備えて休むんが先決やろ」
ぐいっと肩を押されて、狐ノ依は再びぱたんと布団に背中を預けた。
暖かい布団。自分はどれほどの間ここで眠り呆けていたのか。
狐ノ依はもぞもぞと体を動かし、布団の中に顔を埋めた。
「悔しい…っ」
リクオの役に立ちたい。リクオの傍にいられなくても、役に立てるならそれでいい。
その為にはこの妖狐の力が必要なのに、すぐに倒れてしまうなんて。
「晴明…鵺は葵城跡の上空にある葵螺旋城におる」
ぽつりと、上から声が聞こえた。
「…?」
「でも螺旋には結界が張られてて簡単には入れへん。だから…それは花開院が解いてみせる」
急に語り出したゆらを不思議に思い、布団から目を出してみる。
狐ノ依の目には、ゆらのぎゅっと握り締めた手が震えているのが見えた。
「自分らの土地である京も妖に守られてしもた。今んとこ花開院はいいとこなしや…」
「そ、そんな事ない。リクオ様と共に戦ったのはゆらちゃんだ」
「妖怪の力を借りなきゃいけない事自体、めっちゃ嫌や、本当は」
そういえば、元々ゆらは妖怪を毛嫌いしていた。昔の事に思えるのは、最近いろいろありすぎたからだ。
学校で、奴良家で皆と話したり睨み合ったり。その横には必ずリクオがいた。
「めーっちゃ嫌やけど、私は奴良くんの力を信じてる」
「…」
「陰陽師でさえ信じてるんやで、狐ノ依くんはもっと信じてえぇと思う」
リクオを信じない日なんて無かった。
何があっても、リクオを。本当に、信じていただろうか、自分は。
「…ボクは、」
「何や難しい事になってるようやけど、信じるに値する男やで、奴良くんは」
「そんなこと…分かってるよ…ボクが一番、リクオ様を見て来たんだから…」
狐ノ依はゆっくりと体を起こし、ゆらの顔を正面から見つめた。
何の意図を持ってそんな事を言っているのか、考えたって分からない。
しかし、それは正しくて、受け入れなければならないものだ。それは分かる。
「…有難う」
「な、何や急に」
「なんでゆらちゃんにそんな事言われるのか分かんないけど、そう…そうだね。その通りだ」
リクオに嫌われたくない。リクオの為に。
そんな事ばっかりで、リクオの意志がしっかり見えていなかったのかもしれない。
リクオは自分を見てくれている。そんな気張らなくたっていいのだろう、本当は。
「でも、ボクはリクオ様の世界を守りたいから。ずっと主にくっ付いてばかりでは、何の役にも立たない狐になってしまうから」
「狐ノ依くんも…いろいろ考えてるっちゅーこと?」
「うん。今は我慢するんだ。戦いが終わればきっと、またリクオ様の横にいられるから」
ゆらから目を逸らして、狐ノ依は外を眺めた。
その行動に特に意味はなかったが、会議は終わったのか…リクオが丁度門の方へと駆けて行くのが見えた。
そんなリクオにつららが上着をかけて。そんなリクオの笑みは、カナや清継ら友人達へ。
「あれ、何で皆…!?」
「ゆらちゃん、ボク達も行こう」
「へ、いやでも、狐ノ依くん体調は」
「大丈夫。むしろ…リクオ様の傍にいるのが一番良い」
重たい体を布団から抜いて立ち上がる。
縁側から庭へと出ると、すぐにこちらに振り返った清継が向かってきた。
「狐ノ依くん!おや、ゆらくんも」
「私はついでかい」
「やっぱり妖怪だと知って見つめてみるとこう…神秘的な美しさだね」
清継はうっとりと潤ませた瞳を狐ノ依に近付けた。
元々人並み外れた容姿の持ち主ではあったが、愛らしい耳と尾を揺らす姿は何とも。
「…本格的なコスプレのようにも見えるね」
「こすぷれ?」
「いやいやいや、一部の人間を虜にしてしまいそうだという懸念がだね!」
「清継くん、あんま狐ノ依くん困らせると奴良くんに怒られるで」
じとっとした目を清継に向けるゆらに、清継はこほんと軽く咳払いをして、それから手に持っていた紙の束をばさりと揺らした。
「ボクもね、君達の役に立ちたいと思って…いろいろと調べたんだ!」
「そうなの?」
「こんな事しか出来ないんだけどね」
「その気持ちだけで十分だよ」
今までなら上辺だけだったろう言葉を、狐ノ依が柔らかく微笑みながら言う。
その破壊力にまたうっとりとしつつ、清継は視線をゆらに移した。
「じゃあ、ボクは奴良くんの元へ戻るよ!」
「え、あ、じゃあ私も。狐ノ依くんも、行くんやろ?」
くるりと向きを変えて、清継が友人達と群れるリクオの方へと歩き出す。
それについて行こうとしたゆらは、動かない狐ノ依に対して不思議そうに首を傾げた。
リクオの傍に。少し前まで当たり前のようにしていたことだ。
なのに、それが今とても緊張して、足が止まってしまった。
「狐ノ依くん?」
「あ、っと…先に、行ってて」
「…なんやその顔。いじらし…ちゅうかやらしい!」
ゆらは一人で顔を赤くして叫ぶと、ずかずかと清継を追って行った。
ついでに「やっぱ来んな!」と叫んだゆらの心情は、船の上でのリクオの言葉を思い出してのものだったが、狐ノ依が知る由もない。
きょとんと目を丸くした狐ノ依は、意味も分からずふっと笑い、そして縁側に腰掛けた。
「リクオ様…」
気付けば随分遠いところまで来てしまった。
リクオや玉章、獺祭は無事帰ってこれたが、今尚青田坊や黒田坊は奴良家を離れて戦っている。
そんな事を繰り返して、一人一人とばらばらになっていくのだろうか。
「…いつ終わるのかな」
一日でも早く終わればいい。
そんなこと願わなくても明日には終わるのかもしれない。何もかも。
そこにリクオや狐ノ依が立っているかどうか…それすら定かではないなんて。
「…」
赤くなった顔も自然と冷めていく。
暗いことを考えたって仕方がないのに、いつの間にやらかなりのネガティブ思考が定着したようだ。
「はぁ…」
「あら、狐ノ依ちゃん、もう大丈夫なの?」
そんな狐ノ依の気分とは裏腹に、明るい声が後ろから聞こえて来た。
歳はいくつになったのか知らないが、恐らく歳の割にはかなり若い。まだまだ元気な奥様。
「…若菜様」
「あまり無茶ばかりしちゃ駄目よ。貴方のことになるとリクオったら大変なんだから」
「申し訳ございません。ですが、そのリクオ様も無茶ばかりするお方なので」
「ふふ。そうね、そうなのよねぇ」
リクオの母親で、愛する鯉伴の愛した人。
若菜は少し困ったように笑うと、目をリクオの方へと向けた。
愛しい、我が子を見る瞳。
しかし、その目に映るのは、我が子というにはあまりにも立派な、奴良組三代目の姿だった。
「若菜様…」
「あ、そうだ!狐ノ依ちゃんのお兄さん、出て行っちゃったわよ。止めないでくれって、切羽詰まった様子で…」
「あぁ…そうですか、やっぱり」
ということは、羽衣狐は復活したということだろう。
自然とそう結びつけて、不安からか視線が落ちる。
ぴょこんと垂れ下がった耳に、若菜は心配そうに覗き込み、そしてぽんぽんと頭に手を置いた。
「話、しよっか」
「え」
「リクオー!!」
「!?」
にこり、と優しく微笑んだ若菜に顔を上げた直後。
若菜はぶんっと手を振り上げて、向こうで友人達と共にいるリクオに呼びかけていた。
「わ、若菜様、一体、何を」
「リクオとね、話をするつもりだったの。狐ノ依ちゃんも私の息子同然だし、同席してくれる?」
「…は、はい…」
“息子同然”に嬉しいやら申し訳ないやら複雑な感情を渦巻かせつつ。
飽きれた様子でこちらにやってくるリクオに、狐ノ依も慌てて立ち上がった。
「二人とも、そこに座っててね」
のほほんとした雰囲気で、若菜が用意した湯呑にお茶を注ぐ。
その手元と若菜の顔とを落ち着かない様子で見ている狐ノ依の耳は、ぴこぴこと忙しなく動いた。
「フフ、改めてその姿のリクオと話すのは初めてかも?」
「え、そうだったのですか?」
「なかなかこういう機会なかったからねー。はい、お茶はーいった」
フフフ、と楽しげに笑う若菜を、狐ノ依は不思議と感心して見ていた。
これから大事な仲間達と家族が戦いに出るというのに、彼女の態度は普段と何ら変わりない。
「突然話そうなんてね、別に何の意味のない話をするつもりじゃないのよ」
「さすがにこの状況で無意味な話されちゃたまんねーよ」
「あら、フフ。じゃあ早速本題。お父さんに頼まれてたことを思い出したの」
お父さん。その言葉に反応したのはリクオだけでなかった。
狐ノ依の耳が、これまで以上にピンと立つ。
一度だって忘れたことは無い。愛しい我が主、だった人だ。
「もしリクオ、あなたが百鬼夜行の主となったとき、話してやってくれって。半妖の里の事を…」
「半妖の…里?」
聞いた事の無い里だ。
リクオと狐ノ依は一度顔を合わせ、それから若菜に視線を戻した。
「お父さんね、今その半妖の里に眠っているの」
「え…!?」
「あ、眠っているっていっても、お墓があるという意味だけど。不思議な力がある場所なんだって」
がばっと身を乗り出してしまった狐ノ依は、少し恥ずかしそうに顔を俯かせて座り直した。
鯉伴が亡くなっていることなど理解している。今更そこに期待したって仕方がないのに。
「お父さんとね、結婚するとき二人で行ったの。きっと見せたかったんだと思うな。人と妖が結ばれるってこと…」
「人と…妖が…」
「そう。そして、これがオレの理想の世界なんだって、言いたかったんだと思う」
人と妖。そこを復唱したリクオの気持ちが気になり、狐ノ依はちらとリクオを見た。
横顔は、髪の毛がかかり表情までは良く見えない。
「そこの里に…いる人は…幸せなのか?」
「いろんな人がいるけど、皆笑ってたわ。だってみんな好きでくっついてるんだもん、幸せに決まってるわ」
そうか、とぽつりと漏らしたリクオの声は、どこか嬉しそうで。
狐ノ依は何も言わずに俯いた。鯉伴が愛する人に見せた景色、勿論知りたい、見てみたい、けれど。
「リクオ…好きよ、大好き…死なないでね」
「若菜様、安心してください。絶対にリクオ様はお守りしますから」
「フフ、有難う。でも狐ノ依ちゃんも、」
「大丈夫です、ご心配なく」
ちゃぶ台の上に乗せられた若菜の手に自分の手を重ねて握り締める。
更にその上に重ねられた大きなリクオの手は、二人の手を丸ごと包み込んだ。
「母さん…オレ、終わったらその半妖の里に行ってみるよ。父さんが母さんに見せたかった景色を…この目で見たいんだ」
「…うん、行っといで!」
本当は不安もあるだろうに、若菜は満面の笑みを返した。
こういう不安を見せずに帰りを待っていられる強さが、鯉伴の求めたものだったのだろうか。
ぼんやりと若菜を見つめて目を細める。
その狐ノ依の目と若菜の目が合い、やはり若菜は優しく微笑んだ。
「じゃあ今度は狐ノ依ちゃんと大事な話しちゃおうかな」
「え…?」
「ほら、リクオはさっさと戻る!」
「お、おお…?」
立ち上がったリクオの背をぐいぐいと押して、部屋を出たところでぴしゃりと襖を閉める。
リクオが立ったことで釣られてその場に立ってしまった狐ノ依は、若菜の手でやんわりと再び座らされた。
「ごめんね、リクオの傍にいたいだろうけど」
「いえ…そこまででは」
「あら、そうだったかしら?強がらなくて良いのよ」
相変わらずフフフと笑う若菜に対して、狐ノ依は緊張していた。
先程までも二人程余裕がなかったのは確かだ。しかし、何を言われるのか、想像するとどうにも。
「ねえ、狐ノ依ちゃん。こんな事言うのは今更だけど…ちゃんと二人のこと知ってるから」
「え…?」
「狐ノ依ちゃんはリクオが大好きで、リクオも狐ノ依ちゃんが大好きだってこと」
ね、と言われて、狐ノ依は何も答えられなかった。
サッと顔が青ざめる。バレていないとは思っていないにしても、母親を前にしてそれを言われて、平常心でいられる程許されることだとも思っていない。
「す、すみません…っ」
「どうして謝るの?悪いことだと言いたいんじゃないの。二人とも大事な子だし…二人が選ぶ道だもの」
「ですが…!ボクは…!」
頭に引っかかり続けている、リクオと自分が結ばれることで壊される未来。
狐ノ依はきょとんとする若菜に対して、震える口を開いた。
「…もしも、ボクと、リクオ様の間に子供が…出来るようなことがあったら…」
「素敵なことじゃない。きっととっても可愛い子でしょうね!」
「でもそれは…」
「なあに?何がそんなに不安?」
きっと可愛い子だろう。可愛い、妖狐だ。
狐ノ依はぎゅっと握った手をゆっくりと開き、立ち上がって若菜の隣に移動した。
この無垢な瞳を裏切れない。
「若菜様…ボクはリクオ様を愛しています。それに、鯉伴様も…若菜様も」
「フフ、私と一緒ね」
「行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい!」
若菜の首に手を回して、その柔い頬に自分の頬をすり寄せる。
これが最後になってもいい。狐ノ依の中で生まれた決心が、固まりつつあった。
・・・
襖をぱたんと出ると、落ち着かない様子で足踏みをするつららが待ち構えていた。
狐ノ依の顔を見るなり、「あああ」と意味のない言葉を発して腕を掴む。
「大変よ!敵が!もうここまで!」
「え…!?」
「と、とにかく来て!」
つららの言葉は何の脈絡もなかったものの、狐ノ依には十分理解出来ていた。
手を引かれて走り出し、逆につららを引っ張って外に出る。
空を覆い尽くす魑魅魍魎。もう戦いは始まっていたのだ。
天を埋め尽くす妖怪に、本家で待機していた妖怪達は焦り惑っていた。
つららに引っ張られ庭に出たはいいが、その光景に狐ノ依の足も止まる。
「そうだ、リクオ様は…!?」
しかし、すぐに我に返って飛び出そうとした狐ノ依の腕を掴んだのは、リクオに良く似た人だった。
「っと、危ないのう」
「え…あ、貴方は…!?」
死角から仕掛けられた攻撃を持っていた刀で跳ねのけ、更にその妖怪をも切裂く。
不敵な笑みを狐ノ依に向けて見せたのは、総大将であるぬらりひょん。その嘗ての姿だ。
「総大将…いつの間に、そんな」
「格好良いじゃろう」
「え、っと、はい、とても格好良いです」
戸惑いながらもそう返したのは、やはり若い姿のぬらりひょんがリクオにも、そして鯉伴にも良く似ていたからだ。
隣で茫然としているつららも口をぱくぱくと動かし、驚きを隠せていない。
「…あの、自分は…」
「分かっとる。リクオについていくんだろう?」
とんっと背中を押され、一歩前に出る。
すると、いつからそこに立っていたのか、リクオの腕に抱かれていた。
「てめー…」
「迂闊じゃのう。そんなでは大事な物を失うぞ」
「…」
ぬらりひょんの言葉にリクオの腕に少し力がこもる。
それも束の間、迷うことなくリクオはぬらりひょんに背を向けた。
「リクオ様?」
「オレ達は鵺を目指す。それで、いいんだろう?」
ちらりと振り返りぬらりひょんを見ると、彼もニッと笑っていた。
「ああ、ここは任せて行け!」
その言葉に背を押されるようにして走り出すリクオに、自然とついてくる妖怪達。
向かうは螺旋城。鵺が待ち構える場所だ。
・・・
天へと続く階段を駆け上る、本当ならば仲間をたくさん引き連れて鵺の元へと辿り着くはずだった。
登れど登れども襲い掛かる敵に、道を開くのは奴良組の妖怪達。
気付けばリクオに付き従うのは、寄り添うように先頭を走っていたつららと狐ノ依だけになっていた。
「あの離宮を突破したら、最上階だな…」
呟くリクオに、つららが強く頷く。
狐ノ依はぼんやりと、その厳かなで古めかしい、宙に浮く建物を見上げていた。
こうしてリクオについて来られたのは、他の皆がそう導いてくれたからだ。
黒田坊と青田坊には背中を押され、玉章には主を守れと言葉をもらった。
「…狐ノ依、大丈夫?」
「え?」
「なんかぼーっとしているように見えたから…」
リクオの隣に立つつららが振り返って狐ノ依を見ている。
狐ノ依はその光景をやはりぼーっと眺めながら「ウン」と返した。
「大丈夫…皆の為にも、早く行きましょう」
「ああ。狐ノ依、お前は後ろに」
「…はい」
ここまで共に来てしまったが、狐ノ依が戦いでリクオを助けることは出来ないだろう。
だから後ろで、少しでもリクオやつららの傷を癒すのが役目。その為にここまで来た。
「…狐ノ依、一つ頼みがある」
「はい、何ですか?」
「むやみに力を使おうとするな」
「……え」
しかし狐ノ依の意思を、リクオの言葉が砕いた。
開いた口を塞げずに言葉を失う狐ノ依に、リクオはふっと微笑んで頭を撫でる。
「…オレはそう簡単にはやられねぇ。だから、皆の為にその力を取っといてくれ」
「わ、分かっています。ボクは、リクオ様だけでなく皆を守る為にここまで来ました…」
「ああ。でも、狐ノ依が先にくたばっちゃあ意味がねえ。それを分かってくれ」
な?と優しい声で囁かれる。
狐ノ依は軽く身震いしてから、こくこくと首を縦に動かした。
「よし。じゃあ行くか」
「は、はい…!」
「もう…私がいること、忘れないで下さいよ…」
「忘れちゃいねぇよ。つらら、頼んだぜ」
階段を上がりながらそう言うリクオに、ふくれっ面のつららの頬が緩む。
「任せて下さい!」と意気込んで返したつららを、少し羨ましく感じながら、狐ノ依は一歩後ろを続いた。
階段を上がり、建物に足を踏み入れる。
そこにはたくさんの墓石がありそしてその中心に一人の男が立っていた。
明らかに強そうな男。その男は少し顔を上げ、低い声を響かせた。
「…妖よ、陰陽の均整が最も美しかったあの時代を…この時代に晴明様が再建される。ここは通さぬ」
静かな声。しかし確かな意思が込められた、力強い言葉だ。
「私の名は安倍吉平。晴明様の実子である」
「っあぶねぇ!」
空に雲が集まり、凄まじい雷が落ちる。
それをつららを抱えながらさらりと避けたリクオは、吉平から目を逸らすことなく刀を抜いた。
「オレは、負けるわけにはいかねーんだ。オレは…人と妖の、梯にならなきゃなんねーんだからな」
「人と妖の梯…?おぬし、半妖か」
「正確には、四分の一の妖怪だがな」
リクオが不敵に笑いながら立ち上がる。
しかし、吉平は険しい顔つきを変えることなく、纏う空気を更に重いものへと変えた。
「小さいころから、人でも妖でもないこの身体に悩まされた。この血は謂わば呪い…」
「…まさか、てめぇも…」
「お前も本当は知っているのだろう、この身が幸福な存在ではないのだと!」
低く大きな声がビリビリと地を震わせる。
吉平の頭には獣の耳が、そして背中からは大きな尾がはみ出て揺れていた。
「そんな…この男も、リクオ様と同じ…!」
「…同じ、だけど…違うよ、彼は…」
刀同士がぶつからないのに、空間の引き裂かれるかのような振動に狐ノ依とつららとが身を寄せる。
妖怪と人間との間に生まれながら、自らの意思を尊重して生きてきたリクオ。
吉平は、晴明という父親の意思に縛られ、苦しみながらもこの場に立っている。
それが分かるからこそ、リクオも力強く刀を握り締めて吉平にぶつかった。
「オレだって、たくさんブレてきた。でももうブレない」
リクオの胸を吉平の刀が切裂く。
舞った赤に、狐ノ依は思わず駆け寄ろうと身を乗り出した。
しかし、リクオは怯むことも立ち止まることもしなかった。
「人も妖も、みんなの意志をこの刃に背負うと、自分自身で決めたんだ!」
一瞬重なって見えたリクオの二つの姿。
リクオと吉平の畏れと刀とがぶつかり、二人ともに膝をつく。
けれど、切り裂かれていたのは吉平だけだった。
「…呪わぬのか…己の血を…」
「ああ」
信じるものの強さの差だろうか。
リクオの眼差しとその芯のある声に、吉平は初めてふっと笑った。
「オレは千年…ただあの人の言葉を守っていた…あれでも父だ、認めて欲しかったんだろうな…」
強さを見せた男の本音。
リクオは共感せずとも理解はしていた。余りにも境遇の似た男、リクオがなっていたかもしれない姿だ。
「楽しみだ、お前が…父の前でそのまなざしをどれだけつらぬけるか…」
「むろん、やってやるさ」
「ふ…ゆけ…!」
息を絶え絶えに、吉平はそれでも強い声でリクオの背中を押す。
頷き階段の先を見据えたリクオに、その背中を追いかけるつらら。
狐ノ依はすっと息を吸い込んでから、足を吉平の方へと向かわせた。
「リクオ様…先に、行って下さい」
「狐ノ依…?」
「自分は、彼に…彼を送ります」
もう立つ力もないのだろう、戦意を失くした吉平は狐ノ依に視線だけを向けた。
その彼の前でしゃがみ、狐火を纏う。
それを見たリクオは、何か察したのか、「分かった」と言ってつららの背中を押した。
「え、い、いいのですか!?」
「ああ。狐ノ依、何かあっても無茶すんじゃねえぞ」
「はい。すぐに後を追います」
リクオが背を向けて歩き出す。
それを気にしないように顔を背け、狐ノ依は吉平の顔の前に手をかざした。
「…何を、するつもりだ…?」
「ボクの手を見て」
このまま見捨てて通り過ぎたら、この男はここで一人息絶えるのを待つだけだっただろう。
そうしてはいけないと思ったのは、吉平にもリクオの望む未来を見せたいと思ったからだ。
この闘いが終わった後、必ずリクオが作り出すだろう妖怪と人間の住む世界。
「貴方にも…リクオ様がこれからもたらす平和な世界を、夢見て欲しいんだ」
幻想の炎が辺りを埋め尽くす。
無数の墓を青く照らし、その炎の光は吉平の瞳に見ることの出来なかった未来を映していた。
「妖怪と…人間…か」
最後に一言零された彼の声。
彼が救われたと、そう確信することは出来ないけれど。
狐ノ依の青い炎が男の影を呑み込み、全てを天へと舞い上がらせた。
「……ち、違う…これは、ボクが、作り出した幻想…」
炎だけが包み込む空間で、一人になった狐ノ依の声は震えていた。
吉平に見せたその炎に映ったのは、狐ノ依が見せようとした見た事の無い半妖の里。
人間も妖怪も皆が等しく暮らすそこを、優しい瞳で見つめるリクオ。
その横に、リクオを支えるように立っていたのはつららだった。
「…」
先程見た背中に意識がいっていたから、そう見えてしまったのかもしれない。
決してこれが本当に訪れる未来ではない。
…未来ではないと、自分で認めてしまって良いわけがない。
「…り、リクオ様は…戦いに勝利して…それで、鯉伴様が愛した里へ行くんだ…」
そこに、つららを連れて。
「…」
息を呑み、そのまま言葉が出てこなかった。
そうあるだろうと自分が想像できる範囲の幻想でしかない。
それでも、自分の目に映った幻想を信じられないだなんて。
「そっか…そう…それが、一番いいって、ボクも…分かってたんだ」
信じられないけれど、これが望むべき未来なのだ。
狐ノ依は胸を押さえて静かに涙を落とした。
そして広がっていた炎を全て消し去って立ち上がる。震える足を一度叩いてから階段を見据えた狐ノ依の目は、既に揺らいではいなかった。
決意が固まった。
リクオと、リクオの為に戦っている皆を死なせはしない。
自分を犠牲にしてでも。
一度再び集った妖怪達は、現状を報告し合い、そして今後すべきことを確認し合っていた。
晴明の根城は葵螺旋城。つまり、すべきことは一つ、準備が出来次第、葵螺旋城へ向かい鵺を倒すこと。
その為に花開院の協力も得て、後は残りわずかの準備時間を有意義に過ごすだけだった。
そんな大事な話し合いが行われていることなど露知らず。
狐ノ依は一人、布団の上で静かに体を起こした。頭がぼんやりとしていて記憶が鮮明でない。
頭を押さえて何とか記憶を追ってみれば、四国での戦いが薄らと思い出されるだけ。
「…!リクオ様!」
「そんな焦らんでも、大丈夫やって」
焦って立ち上がろうとした狐ノ依の腕はやんわりと掴まれていた。
はっとして横を向けば、いつから居たのか、共に戦ったゆらがそこに座っている。
「…ゆらちゃん」
「なんで残念そうな顔するん」
恐らく奴良組に一時帰還したのだろう。
何となく見覚えのあるような景色に安心しつつ、状況が分からず困惑する。
リクオは、玉章や獺祭はどこに。
「今は妖怪達の会議中や」
「え…?」
「帰ってきてすぐ、奴良くんは妖怪を集めろってでっかい部屋に向かったで」
「そ、それなら、ボクも」
「何言うてんねん。今は次の戦いに備えて休むんが先決やろ」
ぐいっと肩を押されて、狐ノ依は再びぱたんと布団に背中を預けた。
暖かい布団。自分はどれほどの間ここで眠り呆けていたのか。
狐ノ依はもぞもぞと体を動かし、布団の中に顔を埋めた。
「悔しい…っ」
リクオの役に立ちたい。リクオの傍にいられなくても、役に立てるならそれでいい。
その為にはこの妖狐の力が必要なのに、すぐに倒れてしまうなんて。
「晴明…鵺は葵城跡の上空にある葵螺旋城におる」
ぽつりと、上から声が聞こえた。
「…?」
「でも螺旋には結界が張られてて簡単には入れへん。だから…それは花開院が解いてみせる」
急に語り出したゆらを不思議に思い、布団から目を出してみる。
狐ノ依の目には、ゆらのぎゅっと握り締めた手が震えているのが見えた。
「自分らの土地である京も妖に守られてしもた。今んとこ花開院はいいとこなしや…」
「そ、そんな事ない。リクオ様と共に戦ったのはゆらちゃんだ」
「妖怪の力を借りなきゃいけない事自体、めっちゃ嫌や、本当は」
そういえば、元々ゆらは妖怪を毛嫌いしていた。昔の事に思えるのは、最近いろいろありすぎたからだ。
学校で、奴良家で皆と話したり睨み合ったり。その横には必ずリクオがいた。
「めーっちゃ嫌やけど、私は奴良くんの力を信じてる」
「…」
「陰陽師でさえ信じてるんやで、狐ノ依くんはもっと信じてえぇと思う」
リクオを信じない日なんて無かった。
何があっても、リクオを。本当に、信じていただろうか、自分は。
「…ボクは、」
「何や難しい事になってるようやけど、信じるに値する男やで、奴良くんは」
「そんなこと…分かってるよ…ボクが一番、リクオ様を見て来たんだから…」
狐ノ依はゆっくりと体を起こし、ゆらの顔を正面から見つめた。
何の意図を持ってそんな事を言っているのか、考えたって分からない。
しかし、それは正しくて、受け入れなければならないものだ。それは分かる。
「…有難う」
「な、何や急に」
「なんでゆらちゃんにそんな事言われるのか分かんないけど、そう…そうだね。その通りだ」
リクオに嫌われたくない。リクオの為に。
そんな事ばっかりで、リクオの意志がしっかり見えていなかったのかもしれない。
リクオは自分を見てくれている。そんな気張らなくたっていいのだろう、本当は。
「でも、ボクはリクオ様の世界を守りたいから。ずっと主にくっ付いてばかりでは、何の役にも立たない狐になってしまうから」
「狐ノ依くんも…いろいろ考えてるっちゅーこと?」
「うん。今は我慢するんだ。戦いが終わればきっと、またリクオ様の横にいられるから」
ゆらから目を逸らして、狐ノ依は外を眺めた。
その行動に特に意味はなかったが、会議は終わったのか…リクオが丁度門の方へと駆けて行くのが見えた。
そんなリクオにつららが上着をかけて。そんなリクオの笑みは、カナや清継ら友人達へ。
「あれ、何で皆…!?」
「ゆらちゃん、ボク達も行こう」
「へ、いやでも、狐ノ依くん体調は」
「大丈夫。むしろ…リクオ様の傍にいるのが一番良い」
重たい体を布団から抜いて立ち上がる。
縁側から庭へと出ると、すぐにこちらに振り返った清継が向かってきた。
「狐ノ依くん!おや、ゆらくんも」
「私はついでかい」
「やっぱり妖怪だと知って見つめてみるとこう…神秘的な美しさだね」
清継はうっとりと潤ませた瞳を狐ノ依に近付けた。
元々人並み外れた容姿の持ち主ではあったが、愛らしい耳と尾を揺らす姿は何とも。
「…本格的なコスプレのようにも見えるね」
「こすぷれ?」
「いやいやいや、一部の人間を虜にしてしまいそうだという懸念がだね!」
「清継くん、あんま狐ノ依くん困らせると奴良くんに怒られるで」
じとっとした目を清継に向けるゆらに、清継はこほんと軽く咳払いをして、それから手に持っていた紙の束をばさりと揺らした。
「ボクもね、君達の役に立ちたいと思って…いろいろと調べたんだ!」
「そうなの?」
「こんな事しか出来ないんだけどね」
「その気持ちだけで十分だよ」
今までなら上辺だけだったろう言葉を、狐ノ依が柔らかく微笑みながら言う。
その破壊力にまたうっとりとしつつ、清継は視線をゆらに移した。
「じゃあ、ボクは奴良くんの元へ戻るよ!」
「え、あ、じゃあ私も。狐ノ依くんも、行くんやろ?」
くるりと向きを変えて、清継が友人達と群れるリクオの方へと歩き出す。
それについて行こうとしたゆらは、動かない狐ノ依に対して不思議そうに首を傾げた。
リクオの傍に。少し前まで当たり前のようにしていたことだ。
なのに、それが今とても緊張して、足が止まってしまった。
「狐ノ依くん?」
「あ、っと…先に、行ってて」
「…なんやその顔。いじらし…ちゅうかやらしい!」
ゆらは一人で顔を赤くして叫ぶと、ずかずかと清継を追って行った。
ついでに「やっぱ来んな!」と叫んだゆらの心情は、船の上でのリクオの言葉を思い出してのものだったが、狐ノ依が知る由もない。
きょとんと目を丸くした狐ノ依は、意味も分からずふっと笑い、そして縁側に腰掛けた。
「リクオ様…」
気付けば随分遠いところまで来てしまった。
リクオや玉章、獺祭は無事帰ってこれたが、今尚青田坊や黒田坊は奴良家を離れて戦っている。
そんな事を繰り返して、一人一人とばらばらになっていくのだろうか。
「…いつ終わるのかな」
一日でも早く終わればいい。
そんなこと願わなくても明日には終わるのかもしれない。何もかも。
そこにリクオや狐ノ依が立っているかどうか…それすら定かではないなんて。
「…」
赤くなった顔も自然と冷めていく。
暗いことを考えたって仕方がないのに、いつの間にやらかなりのネガティブ思考が定着したようだ。
「はぁ…」
「あら、狐ノ依ちゃん、もう大丈夫なの?」
そんな狐ノ依の気分とは裏腹に、明るい声が後ろから聞こえて来た。
歳はいくつになったのか知らないが、恐らく歳の割にはかなり若い。まだまだ元気な奥様。
「…若菜様」
「あまり無茶ばかりしちゃ駄目よ。貴方のことになるとリクオったら大変なんだから」
「申し訳ございません。ですが、そのリクオ様も無茶ばかりするお方なので」
「ふふ。そうね、そうなのよねぇ」
リクオの母親で、愛する鯉伴の愛した人。
若菜は少し困ったように笑うと、目をリクオの方へと向けた。
愛しい、我が子を見る瞳。
しかし、その目に映るのは、我が子というにはあまりにも立派な、奴良組三代目の姿だった。
「若菜様…」
「あ、そうだ!狐ノ依ちゃんのお兄さん、出て行っちゃったわよ。止めないでくれって、切羽詰まった様子で…」
「あぁ…そうですか、やっぱり」
ということは、羽衣狐は復活したということだろう。
自然とそう結びつけて、不安からか視線が落ちる。
ぴょこんと垂れ下がった耳に、若菜は心配そうに覗き込み、そしてぽんぽんと頭に手を置いた。
「話、しよっか」
「え」
「リクオー!!」
「!?」
にこり、と優しく微笑んだ若菜に顔を上げた直後。
若菜はぶんっと手を振り上げて、向こうで友人達と共にいるリクオに呼びかけていた。
「わ、若菜様、一体、何を」
「リクオとね、話をするつもりだったの。狐ノ依ちゃんも私の息子同然だし、同席してくれる?」
「…は、はい…」
“息子同然”に嬉しいやら申し訳ないやら複雑な感情を渦巻かせつつ。
飽きれた様子でこちらにやってくるリクオに、狐ノ依も慌てて立ち上がった。
「二人とも、そこに座っててね」
のほほんとした雰囲気で、若菜が用意した湯呑にお茶を注ぐ。
その手元と若菜の顔とを落ち着かない様子で見ている狐ノ依の耳は、ぴこぴこと忙しなく動いた。
「フフ、改めてその姿のリクオと話すのは初めてかも?」
「え、そうだったのですか?」
「なかなかこういう機会なかったからねー。はい、お茶はーいった」
フフフ、と楽しげに笑う若菜を、狐ノ依は不思議と感心して見ていた。
これから大事な仲間達と家族が戦いに出るというのに、彼女の態度は普段と何ら変わりない。
「突然話そうなんてね、別に何の意味のない話をするつもりじゃないのよ」
「さすがにこの状況で無意味な話されちゃたまんねーよ」
「あら、フフ。じゃあ早速本題。お父さんに頼まれてたことを思い出したの」
お父さん。その言葉に反応したのはリクオだけでなかった。
狐ノ依の耳が、これまで以上にピンと立つ。
一度だって忘れたことは無い。愛しい我が主、だった人だ。
「もしリクオ、あなたが百鬼夜行の主となったとき、話してやってくれって。半妖の里の事を…」
「半妖の…里?」
聞いた事の無い里だ。
リクオと狐ノ依は一度顔を合わせ、それから若菜に視線を戻した。
「お父さんね、今その半妖の里に眠っているの」
「え…!?」
「あ、眠っているっていっても、お墓があるという意味だけど。不思議な力がある場所なんだって」
がばっと身を乗り出してしまった狐ノ依は、少し恥ずかしそうに顔を俯かせて座り直した。
鯉伴が亡くなっていることなど理解している。今更そこに期待したって仕方がないのに。
「お父さんとね、結婚するとき二人で行ったの。きっと見せたかったんだと思うな。人と妖が結ばれるってこと…」
「人と…妖が…」
「そう。そして、これがオレの理想の世界なんだって、言いたかったんだと思う」
人と妖。そこを復唱したリクオの気持ちが気になり、狐ノ依はちらとリクオを見た。
横顔は、髪の毛がかかり表情までは良く見えない。
「そこの里に…いる人は…幸せなのか?」
「いろんな人がいるけど、皆笑ってたわ。だってみんな好きでくっついてるんだもん、幸せに決まってるわ」
そうか、とぽつりと漏らしたリクオの声は、どこか嬉しそうで。
狐ノ依は何も言わずに俯いた。鯉伴が愛する人に見せた景色、勿論知りたい、見てみたい、けれど。
「リクオ…好きよ、大好き…死なないでね」
「若菜様、安心してください。絶対にリクオ様はお守りしますから」
「フフ、有難う。でも狐ノ依ちゃんも、」
「大丈夫です、ご心配なく」
ちゃぶ台の上に乗せられた若菜の手に自分の手を重ねて握り締める。
更にその上に重ねられた大きなリクオの手は、二人の手を丸ごと包み込んだ。
「母さん…オレ、終わったらその半妖の里に行ってみるよ。父さんが母さんに見せたかった景色を…この目で見たいんだ」
「…うん、行っといで!」
本当は不安もあるだろうに、若菜は満面の笑みを返した。
こういう不安を見せずに帰りを待っていられる強さが、鯉伴の求めたものだったのだろうか。
ぼんやりと若菜を見つめて目を細める。
その狐ノ依の目と若菜の目が合い、やはり若菜は優しく微笑んだ。
「じゃあ今度は狐ノ依ちゃんと大事な話しちゃおうかな」
「え…?」
「ほら、リクオはさっさと戻る!」
「お、おお…?」
立ち上がったリクオの背をぐいぐいと押して、部屋を出たところでぴしゃりと襖を閉める。
リクオが立ったことで釣られてその場に立ってしまった狐ノ依は、若菜の手でやんわりと再び座らされた。
「ごめんね、リクオの傍にいたいだろうけど」
「いえ…そこまででは」
「あら、そうだったかしら?強がらなくて良いのよ」
相変わらずフフフと笑う若菜に対して、狐ノ依は緊張していた。
先程までも二人程余裕がなかったのは確かだ。しかし、何を言われるのか、想像するとどうにも。
「ねえ、狐ノ依ちゃん。こんな事言うのは今更だけど…ちゃんと二人のこと知ってるから」
「え…?」
「狐ノ依ちゃんはリクオが大好きで、リクオも狐ノ依ちゃんが大好きだってこと」
ね、と言われて、狐ノ依は何も答えられなかった。
サッと顔が青ざめる。バレていないとは思っていないにしても、母親を前にしてそれを言われて、平常心でいられる程許されることだとも思っていない。
「す、すみません…っ」
「どうして謝るの?悪いことだと言いたいんじゃないの。二人とも大事な子だし…二人が選ぶ道だもの」
「ですが…!ボクは…!」
頭に引っかかり続けている、リクオと自分が結ばれることで壊される未来。
狐ノ依はきょとんとする若菜に対して、震える口を開いた。
「…もしも、ボクと、リクオ様の間に子供が…出来るようなことがあったら…」
「素敵なことじゃない。きっととっても可愛い子でしょうね!」
「でもそれは…」
「なあに?何がそんなに不安?」
きっと可愛い子だろう。可愛い、妖狐だ。
狐ノ依はぎゅっと握った手をゆっくりと開き、立ち上がって若菜の隣に移動した。
この無垢な瞳を裏切れない。
「若菜様…ボクはリクオ様を愛しています。それに、鯉伴様も…若菜様も」
「フフ、私と一緒ね」
「行ってきます」
「ええ、いってらっしゃい!」
若菜の首に手を回して、その柔い頬に自分の頬をすり寄せる。
これが最後になってもいい。狐ノ依の中で生まれた決心が、固まりつつあった。
・・・
襖をぱたんと出ると、落ち着かない様子で足踏みをするつららが待ち構えていた。
狐ノ依の顔を見るなり、「あああ」と意味のない言葉を発して腕を掴む。
「大変よ!敵が!もうここまで!」
「え…!?」
「と、とにかく来て!」
つららの言葉は何の脈絡もなかったものの、狐ノ依には十分理解出来ていた。
手を引かれて走り出し、逆につららを引っ張って外に出る。
空を覆い尽くす魑魅魍魎。もう戦いは始まっていたのだ。
天を埋め尽くす妖怪に、本家で待機していた妖怪達は焦り惑っていた。
つららに引っ張られ庭に出たはいいが、その光景に狐ノ依の足も止まる。
「そうだ、リクオ様は…!?」
しかし、すぐに我に返って飛び出そうとした狐ノ依の腕を掴んだのは、リクオに良く似た人だった。
「っと、危ないのう」
「え…あ、貴方は…!?」
死角から仕掛けられた攻撃を持っていた刀で跳ねのけ、更にその妖怪をも切裂く。
不敵な笑みを狐ノ依に向けて見せたのは、総大将であるぬらりひょん。その嘗ての姿だ。
「総大将…いつの間に、そんな」
「格好良いじゃろう」
「え、っと、はい、とても格好良いです」
戸惑いながらもそう返したのは、やはり若い姿のぬらりひょんがリクオにも、そして鯉伴にも良く似ていたからだ。
隣で茫然としているつららも口をぱくぱくと動かし、驚きを隠せていない。
「…あの、自分は…」
「分かっとる。リクオについていくんだろう?」
とんっと背中を押され、一歩前に出る。
すると、いつからそこに立っていたのか、リクオの腕に抱かれていた。
「てめー…」
「迂闊じゃのう。そんなでは大事な物を失うぞ」
「…」
ぬらりひょんの言葉にリクオの腕に少し力がこもる。
それも束の間、迷うことなくリクオはぬらりひょんに背を向けた。
「リクオ様?」
「オレ達は鵺を目指す。それで、いいんだろう?」
ちらりと振り返りぬらりひょんを見ると、彼もニッと笑っていた。
「ああ、ここは任せて行け!」
その言葉に背を押されるようにして走り出すリクオに、自然とついてくる妖怪達。
向かうは螺旋城。鵺が待ち構える場所だ。
・・・
天へと続く階段を駆け上る、本当ならば仲間をたくさん引き連れて鵺の元へと辿り着くはずだった。
登れど登れども襲い掛かる敵に、道を開くのは奴良組の妖怪達。
気付けばリクオに付き従うのは、寄り添うように先頭を走っていたつららと狐ノ依だけになっていた。
「あの離宮を突破したら、最上階だな…」
呟くリクオに、つららが強く頷く。
狐ノ依はぼんやりと、その厳かなで古めかしい、宙に浮く建物を見上げていた。
こうしてリクオについて来られたのは、他の皆がそう導いてくれたからだ。
黒田坊と青田坊には背中を押され、玉章には主を守れと言葉をもらった。
「…狐ノ依、大丈夫?」
「え?」
「なんかぼーっとしているように見えたから…」
リクオの隣に立つつららが振り返って狐ノ依を見ている。
狐ノ依はその光景をやはりぼーっと眺めながら「ウン」と返した。
「大丈夫…皆の為にも、早く行きましょう」
「ああ。狐ノ依、お前は後ろに」
「…はい」
ここまで共に来てしまったが、狐ノ依が戦いでリクオを助けることは出来ないだろう。
だから後ろで、少しでもリクオやつららの傷を癒すのが役目。その為にここまで来た。
「…狐ノ依、一つ頼みがある」
「はい、何ですか?」
「むやみに力を使おうとするな」
「……え」
しかし狐ノ依の意思を、リクオの言葉が砕いた。
開いた口を塞げずに言葉を失う狐ノ依に、リクオはふっと微笑んで頭を撫でる。
「…オレはそう簡単にはやられねぇ。だから、皆の為にその力を取っといてくれ」
「わ、分かっています。ボクは、リクオ様だけでなく皆を守る為にここまで来ました…」
「ああ。でも、狐ノ依が先にくたばっちゃあ意味がねえ。それを分かってくれ」
な?と優しい声で囁かれる。
狐ノ依は軽く身震いしてから、こくこくと首を縦に動かした。
「よし。じゃあ行くか」
「は、はい…!」
「もう…私がいること、忘れないで下さいよ…」
「忘れちゃいねぇよ。つらら、頼んだぜ」
階段を上がりながらそう言うリクオに、ふくれっ面のつららの頬が緩む。
「任せて下さい!」と意気込んで返したつららを、少し羨ましく感じながら、狐ノ依は一歩後ろを続いた。
階段を上がり、建物に足を踏み入れる。
そこにはたくさんの墓石がありそしてその中心に一人の男が立っていた。
明らかに強そうな男。その男は少し顔を上げ、低い声を響かせた。
「…妖よ、陰陽の均整が最も美しかったあの時代を…この時代に晴明様が再建される。ここは通さぬ」
静かな声。しかし確かな意思が込められた、力強い言葉だ。
「私の名は安倍吉平。晴明様の実子である」
「っあぶねぇ!」
空に雲が集まり、凄まじい雷が落ちる。
それをつららを抱えながらさらりと避けたリクオは、吉平から目を逸らすことなく刀を抜いた。
「オレは、負けるわけにはいかねーんだ。オレは…人と妖の、梯にならなきゃなんねーんだからな」
「人と妖の梯…?おぬし、半妖か」
「正確には、四分の一の妖怪だがな」
リクオが不敵に笑いながら立ち上がる。
しかし、吉平は険しい顔つきを変えることなく、纏う空気を更に重いものへと変えた。
「小さいころから、人でも妖でもないこの身体に悩まされた。この血は謂わば呪い…」
「…まさか、てめぇも…」
「お前も本当は知っているのだろう、この身が幸福な存在ではないのだと!」
低く大きな声がビリビリと地を震わせる。
吉平の頭には獣の耳が、そして背中からは大きな尾がはみ出て揺れていた。
「そんな…この男も、リクオ様と同じ…!」
「…同じ、だけど…違うよ、彼は…」
刀同士がぶつからないのに、空間の引き裂かれるかのような振動に狐ノ依とつららとが身を寄せる。
妖怪と人間との間に生まれながら、自らの意思を尊重して生きてきたリクオ。
吉平は、晴明という父親の意思に縛られ、苦しみながらもこの場に立っている。
それが分かるからこそ、リクオも力強く刀を握り締めて吉平にぶつかった。
「オレだって、たくさんブレてきた。でももうブレない」
リクオの胸を吉平の刀が切裂く。
舞った赤に、狐ノ依は思わず駆け寄ろうと身を乗り出した。
しかし、リクオは怯むことも立ち止まることもしなかった。
「人も妖も、みんなの意志をこの刃に背負うと、自分自身で決めたんだ!」
一瞬重なって見えたリクオの二つの姿。
リクオと吉平の畏れと刀とがぶつかり、二人ともに膝をつく。
けれど、切り裂かれていたのは吉平だけだった。
「…呪わぬのか…己の血を…」
「ああ」
信じるものの強さの差だろうか。
リクオの眼差しとその芯のある声に、吉平は初めてふっと笑った。
「オレは千年…ただあの人の言葉を守っていた…あれでも父だ、認めて欲しかったんだろうな…」
強さを見せた男の本音。
リクオは共感せずとも理解はしていた。余りにも境遇の似た男、リクオがなっていたかもしれない姿だ。
「楽しみだ、お前が…父の前でそのまなざしをどれだけつらぬけるか…」
「むろん、やってやるさ」
「ふ…ゆけ…!」
息を絶え絶えに、吉平はそれでも強い声でリクオの背中を押す。
頷き階段の先を見据えたリクオに、その背中を追いかけるつらら。
狐ノ依はすっと息を吸い込んでから、足を吉平の方へと向かわせた。
「リクオ様…先に、行って下さい」
「狐ノ依…?」
「自分は、彼に…彼を送ります」
もう立つ力もないのだろう、戦意を失くした吉平は狐ノ依に視線だけを向けた。
その彼の前でしゃがみ、狐火を纏う。
それを見たリクオは、何か察したのか、「分かった」と言ってつららの背中を押した。
「え、い、いいのですか!?」
「ああ。狐ノ依、何かあっても無茶すんじゃねえぞ」
「はい。すぐに後を追います」
リクオが背を向けて歩き出す。
それを気にしないように顔を背け、狐ノ依は吉平の顔の前に手をかざした。
「…何を、するつもりだ…?」
「ボクの手を見て」
このまま見捨てて通り過ぎたら、この男はここで一人息絶えるのを待つだけだっただろう。
そうしてはいけないと思ったのは、吉平にもリクオの望む未来を見せたいと思ったからだ。
この闘いが終わった後、必ずリクオが作り出すだろう妖怪と人間の住む世界。
「貴方にも…リクオ様がこれからもたらす平和な世界を、夢見て欲しいんだ」
幻想の炎が辺りを埋め尽くす。
無数の墓を青く照らし、その炎の光は吉平の瞳に見ることの出来なかった未来を映していた。
「妖怪と…人間…か」
最後に一言零された彼の声。
彼が救われたと、そう確信することは出来ないけれど。
狐ノ依の青い炎が男の影を呑み込み、全てを天へと舞い上がらせた。
「……ち、違う…これは、ボクが、作り出した幻想…」
炎だけが包み込む空間で、一人になった狐ノ依の声は震えていた。
吉平に見せたその炎に映ったのは、狐ノ依が見せようとした見た事の無い半妖の里。
人間も妖怪も皆が等しく暮らすそこを、優しい瞳で見つめるリクオ。
その横に、リクオを支えるように立っていたのはつららだった。
「…」
先程見た背中に意識がいっていたから、そう見えてしまったのかもしれない。
決してこれが本当に訪れる未来ではない。
…未来ではないと、自分で認めてしまって良いわけがない。
「…り、リクオ様は…戦いに勝利して…それで、鯉伴様が愛した里へ行くんだ…」
そこに、つららを連れて。
「…」
息を呑み、そのまま言葉が出てこなかった。
そうあるだろうと自分が想像できる範囲の幻想でしかない。
それでも、自分の目に映った幻想を信じられないだなんて。
「そっか…そう…それが、一番いいって、ボクも…分かってたんだ」
信じられないけれど、これが望むべき未来なのだ。
狐ノ依は胸を押さえて静かに涙を落とした。
そして広がっていた炎を全て消し去って立ち上がる。震える足を一度叩いてから階段を見据えた狐ノ依の目は、既に揺らいではいなかった。
決意が固まった。
リクオと、リクオの為に戦っている皆を死なせはしない。
自分を犠牲にしてでも。