リクオ夢(2011.10~2015.03)
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あの誰もが恐れた土蜘蛛が、黒焦げになって座り込んでいる。
相手は御門院家、水蛭子(ひるこ)と名乗ったドレッドヘアの少年。彼は体が五行で出来ていて、使う術は恐ろしい爆発力を持っていた。
「…土蜘蛛、お前阿呆やなぁ」
誰に言うでもなく、花開院ゆらは呟いた。
水蛭子は土蜘蛛の一族を滅ぼしたのだという。
しかし、ゆらは先程たくさんの土蜘蛛に会った。
どうやら今いる場所は土蜘蛛の隠れ里らしく、ここに生き残りが集まっていたようだ。
「避ければ何とかなったかもやで?」
明らかに危ない技に対し、土蜘蛛は果敢に挑んで負けた。
それが今の、ゴミのように黒くなった姿を招いた原因だ。
正直、勝てる気がしない。相手はかなりの実力者だ。
だからゆらは今ここで敵から身を隠している。
「でも…いつまでも隠れているわけには…」
兄達も皆戦っているのに。
ぎゅっと、情けない自分の手をきつく握り締めた。
その直後だった。
激しい音と共に、宙に放り出される土蜘蛛たち。驚いて顔を上げると、大きな蛇が顔を鋭い牙をむき出していた。
「っ!」
「ん?テメーさっきの…まだ生きてたのかよ」
その蛇の上に乗っている少年がにやりと笑う。
水蛭子、その両腕は既に片方ずつ、炎と水の相反する力を纏っていた。
しかも驚くべきは、後ろに更に二人の御門院を連れているということ。
「他にもおったんか…」
「残党狩りのついでだ。テメーは楽しませてくれんだろーなァ!?」
「しま…っ!」
咄嗟の事に反応しきれない。
ゆらは飛んでくる火の塊と、それによって崩壊する木々や瓦礫から逃れきれず、後ろへと飛ばされてしまった。
一体どうすれば良かったというのか。突破口など一瞬の隙さえ見えなかったのに。
ゆらは諦めて目を閉じ、体を抱き締める大きな手に身を寄せた。
「…え?」
驚いて顔を上げたゆらの目に、見慣れた妖怪の姿が映る。
「な、んで…なんでここにいるんや、奴良くん!?」
「おめーこそ…なんでここにいんだよ、ゆら」
小さなゆらの体を守るように抱きかかえているのは、紛れも無く奴良リクオだ。
その後ろから狐ノ依も顔を覗かせている。
「怪我は」
「いや、大丈夫そうだ…な?ゆら」
「え、え…まぁ」
「そうですか、良かったですね」
口元にだけ笑みをつくった狐ノ依の手がゆらの頬に伸びる。
軽く指が頬に触れると、そこに作られていたかすり傷が綺麗に無くなった。
「そいつぁ誰だい?」
「こいつぁーオレのダチだ。な、ゆら」
「え!?」
更に後ろから二人の妖怪が現れて、ゆらが無意識に体を強張らせる。
玉章と獺祭は大して人間がいる事に驚いてはいないらしい。
すぐに目の前にいる御門院だろう三人に目を向けた。
「てめえらが御門院当主だな…まずはてめぇらを止める!」
「へぇ…」
歯を見せて怪しげな笑みを浮かべている水蛭子は、己に相当の自信があるようだ。
「三対三か…丁度いい」
「はぁ!?皆まとめてオレがやる!そこどきな!」
「なめるな、水蛭子。我々が一人ずつ相手をしよう」
威勢のいい水蛭子に対し、他二人は冷静にそれぞれ分かれた。それに従って玉章と獺祭も離れていく。
結果、この場に残ったのは水蛭子とリクオ、そして狐ノ依とゆらとなった。
「狐ノ依、ゆらを頼んでいいか」
「何言ってんねん!私はまだ戦える!」
水蛭子と対峙するリクオとゆらは、そんな会話をしながらも狐ノ依の前に立った。
これではむしろ狐ノ依が守られているかのようだ。
(違う…気のせいなんかじゃない)
二人は狐ノ依を庇うようにして立っている。
妖狐は戦闘向きではない。それは何より自分がよく分かっているし、それをリクオにも訴えたつもりだ。
しかし、いざこうして庇われるのは、何とももどかしいものだ。
「…分かりました。リクオ様、どうかボクを守って下さい」
「狐ノ依」
「自分はここで皆さんを守ります」
ぎゅっと手に力を込めて、もどかしさを抑え込む。
この前に使った大きな力。あれが再び出来たなら、リクオもゆらも、更には少し離れた場所に移動した玉章や獺祭も守れるかもしれない。
「ここで守る…?何を言ってるんや、狐ノ依くん」
「分かった。狐ノ依、無茶すんなよ」
「リクオ様も」
思いを認め合って頷く。
それを合図にしたかのように、リクオは水蛭子に向かって地を蹴った。
「別れの挨拶は終わったのかよ?」
「別れなんざこねーよ。オレはお前を倒して晴明も倒す」
「ハッ、晴明様を倒す?やれるもんならやってみな!」
勢いに任せて突っ込んだように見えて、リクオも水蛭子も互いの力をうかがい合っている。
あの土蜘蛛を戦闘不能にさせた程の力は伊達じゃないらしい。
「っ!」
突然起こった大きな揺れに、狐ノ依は思わず地に手をついた。
顔を出した大きな蛇が、辺りを無差別に破壊しているのだ。
「おい水蛭子!やめさせろ!」
「構うなよ、楽しもーぜ?」
水蛭子はリクオとの戦いを楽しんでいるようだが、本来の目的である土蜘蛛狩りを怠る気もないのだろう。
「おら、捕まえた!」
水蛭子から咄嗟に目を逸らしてしまったリクオに隙が出来る。
水蛭子の体から出てくるツタのようなものがリクオの方へと伸ばされていた。
それを防いだのは、ゆらの術だった。
「助かったぜ、ゆら」
「呼び捨てにすんな!」
もはやこんな事にいちいち反応しているようではいられない。
分かっていても、ズキンと痛んだ胸を押さえた狐ノ依の目は揺らいだ。
「まずあの大蛇を落とさねぇとな…」
「そやな…水蛭子と同時に相手は出来ん。二人で協力していくで!」
「おっ、オレと協力してくれんのかい?」
軽いやり取りも、狐ノ依の発達した耳には届いてしまう。
背中を合わせた二人。うっかり思考を止めそうになる頭をぶんぶんと振る。
それから意識を集中させると、体に青白い光を纏った。
作戦は、ゆらの大きな術を発動する為の時間をリクオが稼ぐ、という事でまとまったらしい。
リクオが水蛭子へ特攻し、ゆらが後ろで集中している。とはいえ、ゆらの“それ”に大した時間はかからなかった。
「どきィ、奴良くん!大蛇を滅します!」
その声に振り返ったリクオの目に映ったのは、身長より長い髪の毛、神々しくも見える狩衣を纏った少女。
「…ゆら?」
今までとは似ても似つかない姿をしたゆらの手から放たれた弓矢は、その言葉通りに大蛇を一撃で葬っていた。
「てめぇええ!許さねぇ!」
「おいおい、その“てめぇ”ってのはオレのはずだろ」
力を使い果たし、ゆらは地面に膝をついた。
後はリクオに託すしかない。そう思い見上げれば、水蛭子が太い糸で動きを封じられている。
「九十九夜行!?」
「関東の若いのよ…。我らの里だ。我らが守らんでどーする!」
いつの間にやら、蜘蛛の一族達が水蛭子を囲むようにそこにいた。
水蛭子の体を縛るのは、蜘蛛達の糸だ。
「こんな糸でオレをひっとらえられると思ってんのか!?」
しかし、やはり容易く糸は水蛭子の体から解かれてしまう。それでも止めることなく、蜘蛛達は糸を伸ばし続けた。
「…チマチマと…うぜぇんだよ…」
そんな中、今まで声を荒げていた水蛭子が小さく呟いた。
怒りに満ちた声。体から、まだそれ程の力があったのかと驚愕する程の力が溢れている。
「もう終いにする…九州はこれで本当に散ってもらう…!」
守る事は不可能。あまりにも強大な力がそこに落とされる。
辺りは一瞬で光に包まれ、敵も味方も何もかも見えなくなった。
恐らく、全ての妖怪が目を閉じたことだろう。
眩しさと、受け入れられない現実から逃れる為に。
あれ程の衝撃では、何もかもが飛び散ってもおかしくは無い。そんな予想は容易かった。
「…どうなった…?」
ぽつりと呟かれたリクオの声に、近くにいたゆらも恐る恐る目を開く。
まず自分の体の無事を確認して、それからゆっくりと視線を回すると茫然と目を開いた。
脳裏に描いた壊滅的な状況はどこにも見られない。いや、それどころか特に異常は無いらしい。
「ゆら、怪我はねぇか」
「あらへん…。なんで、助かってるんや…?」
「不発…いや、そんなはずはねぇ」
確かに水蛭子の技だろう光は目にしたのだ。その中で何故無事でいられたのか。
二人で顔を見合わせ、この状況の真相を探ろうと視線を彷徨わせると、視界に大きな体が入り込んだ。
「やられっぱなしは趣味じゃねぇ…」
上から聞こえたその低い声の主はよく知っている。
リクオもかつて戦った、最強の妖怪。
「土蜘蛛…まさか、あれを防いだのか」
ぽつりとリクオが呟く。それに続いてゆらもその存在に気付いた。
水蛭子から皆を守るようにそこに立っているのは、紛れもなく土蜘蛛だ。
「な…!あんた、無事やったんか…?」
「分かんねぇ。が、今は随分と調子がいいなァ…」
「どうして、あんなにボロボロだったのに…」
土蜘蛛はついさっき、この水蛭子にやられてボロボロになっていたはずだ。
それが、どういうわけか今はぴんぴんしている。怪我一つない状態で。
「狐ノ依…」
「え?」
「狐ノ依の力が救ったのか」
リクオは自分に流れる狐ノ依の妖気に目を細めた。
一度味わった暖かい力。また“あの力”を使っているのだろう。
でなければ無傷では済まなかったはずだ。土蜘蛛も、そしてリクオもゆらも。
「…今がチャンスだ」
「奴良くん?」
「一気に叩く!土蜘蛛、協力してくれ!」
周りの土蜘蛛達も狐ノ依の力で一切の傷が無くなっている。
狐ノ依が力を使ってくれたのだ、この期を逃す手は無い。
リクオはぱっと立ち上がると、驚いて目を丸くしている水蛭子へ突っ込んで行った。
・・・
光に包まれてから止んだ戦闘音が再び始まった。
あの力はかなり凶悪なものに思えたが、どうやら壊滅には至らなかったようだ。
狐ノ依は耳を揺らし、リクオの妖気を探り当てると大きく息を吐き出した。
そう、大事な主が無事ならそれでいい。他はどうでも。
そう思う反面、一定の範囲の者を全て癒す力を使うのは、リクオの意志に忠実でありたいからだ。
「あ…」
リクオの無事に安心すると、狐ノ依の体はふらっと傾いた。
無理をしたつもりは無かったが、対象が多かった為に負担となったのかもしれない。
もはや体を守る為の手一本動かす事すら億劫だ。となればそのまま地面に激突するのを待つだけ。
しかし狐ノ依の体は、そこに現れた人によって抱き留められていた。
「大丈夫かい」
「…え」
重い首を何とか上げると、優しい目が狐ノ依を見ている事に気付く。
リクオと分かれて他の御門院と戦っていたはずの玉章だ。
「玉章様…。あ、敵は…?」
「倒したよ。何ということもない相手だった」
「そ、ですか…」
何ということもない、なんて嘘だ。
相手が弱いのではなく、玉章が余程強くなっていたのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えながらも、力の入らない体を玉章へと預ける。
「君の妖気、感じたよ。暖かい炎だね」
「届いた、んですか…。良かった…」
「リクオは」
「まだ…でも、もうきっとすぐに」
今の力の差は知らないが、嘗ては玉章を倒した妖怪だ。
玉章だけではない、何度も苦境を乗り越えてきたリクオが、こんな所で負けるはずがない。
そう信じて目を閉じた狐ノ依は、触れる熱に違和感を覚えて耳をぴくりと立てた。
「…狐ノ依」
「は、…え」
玉章の手が狐ノ依の頬に触れている。
それを弾くことなく受け入れた狐ノ依は、前触れもなく唇を塞がれていた。
「、ん…!?」
暖かくて柔らかい、少しカサついた感触。
リクオのとは違う唇が、狐ノ依の唇をなぞっている。
こんな事受け入れてはいけないのに、力が入らず抵抗出来ない。
それでも何とか首を動かすと、ようやく玉章の顔が離れた。
「な、にしてるんですか…」
「君が欲しい」
「だ…駄目、です。あげません」
ぐっと手で玉章の胸を押す。
犬の匂いがする彼は以前よりかなり近付きやすい雰囲気をしているのに、今は何か嫌な予感がしてならない。
「狐ノ依、手に力が入っていないよ」
「っ…」
「血を飲めば、治るのかな」
「…!だ、駄目…!」
玉章が、自分の口内を噛んだのが分かった。
そして再び近付いてくる端正な顔に、狐ノ依の体が冷えていく。
「約束しました…っ、ボクはリクオ様だけの…!」
「そう」
「い、や…」
玉章は止まってくれない。
首を横に向けても手で頬を挟まれて玉章の方へ向かされてしまう。
「玉章さ…っ!」
それだけは絶対に駄目だ。大事な大事な主と約束を交わしたのだから。
しかしそんな狐ノ依の心とは裏腹に、玉章は狐ノ依の開いた口を躊躇う事なく塞いだ。
「ん、…っ」
声ごと呑み込まれて、流れてくる熱さに頭がぼうっとする。
抵抗しなければいけないのに、リクオと約束したのに。
玉章を押していた狐ノ依の震える手は、いつの間にか玉章の着物にしがみ付いていた。
「…ふ、ボクの血を美味しそうに飲んでいたのは…嘘じゃなかったんだね」
彼が何を言っているのか良く分からない。
口から伝って体に渡る感覚に酔い痴れて、熱くて。
「た、まずき…さ、」
「可愛いね、狐ノ依」
玉章のその甘い声さえも狐ノ依の体をビリビリと刺激する。
疲労と甘さが狐ノ依の思考を惑わせていたのだろう。でなければ、こんな事許すはずが無かった。
「おい、何してんだ…?」
玉章とは違う低い声が耳を掠める。
あぁ、だから駄目だと言ったのに。
ゆっくりと声の方に振り返った狐ノ依の口の端を、艶やかな赤が飾っていた。
「玉章、てめぇ…」
「おっと」
ずかずかと歩み寄ってきたリクオが玉章の胸倉を掴む。
玉章は大して表情を変えることなく、むしろふっと口元に笑みを浮かべた。
「ボクがいなければ、狐はどうなっていたか分からないよ」
「何?」
「随分と消耗していたけど…。主である君は何をしていたのかな」
玉章の言葉にリクオがはっと目を開く。
確かに先の闘いでも狐ノ依の力を感じた。それはリクオにだけでなく、ゆらや土蜘蛛さえも守る力だった。
「また無茶しやがったのか、狐ノ依」
「…自分に出来る事をしただけです」
「だからって自分が倒れたら意味ねーだろ…!」
リクオの眉が吊り上っている。
どうしてそんなに怒る必要があるのだろう、ぼんやりと考えて、狐ノ依は玉章から少し離れた。
「自分は戦えないけれど、リクオ様を守れます。でも、リクオ様だけ守ってもリクオ様は喜びません」
「狐ノ依…」
「これが…これしかボクには出来ないんです、リクオ様…」
どうか許して欲しい、そう願いリクオを見上げる。
それでもリクオは眉間のシワを深くしたままで。狐ノ依ははっとして頭を深々と下げた。
「でも、玉章様とのことは全て自分に落ち度がありました…。罰は、受けます…」
約束した直後だ、こればかりは言い訳も出来ない。
自分の手をぎゅっと握りしめてリクオの言葉を待つ。
リクオの眉間のシワは深まり、玉章はふふと余裕そうに微笑んだ。
「ボクとのこと?言っておくけど、この子に血を与えるのはこれが初めてではないからね」
「…知ってる。だがな、玉章、何があっても狐ノ依はオレのものだ」
「そうらしいね」
「二度と手ェ出すなよ」
狐ノ依の体が、リクオの低い声にぞくっと震える。
やはり怒っているのだ。恐る恐る顔を上げると、呆れたように眉を寄せて苦笑いをするリクオと目が合った。
「あ、あの…」
「おいで」
「え…?」
それでも消える事のない罪悪感におずおずと近付いて、伸ばされた手を取る。
リクオの手は力強く狐ノ依を引き寄せ、そのままひょいと抱き上げていた。
「悪い、狐ノ依。お前がオレの事考えてくれてるってのは、分かってんだけどな…」
「リクオ様…自分は、でも、約束を破ってしまって…」
「狐ノ依を縛り付けるような約束、しちゃいけないってのも分かってんだ。駄目だな…手放したくねぇってのが出過ぎた」
リクオの指が狐ノ依の口元をなぞり、残っていた血をふき取る。
怒っていない、のか。むしろ、リクオは許すどころか狐ノ依に謝っている。
困惑の中、狐ノ依はリクオの首に手を回してしがみ付いた。
「なぁ、狐ノ依。せめて戦いでない時くらいは、傍にいさせてくれよ」
「リクオ様が…許して下さるのなら…」
「あぁ。頼む」
元々、リクオにくっ付きすぎるわけにいかないから離れようと頑張っていたのに。
リクオにそう願われたのなら、応えるしかない。
そんな風に考えながら、リクオにしがみ付く腕に力を込めた。
「本当は、離れたくなんてないです…リクオ様…っ」
「ありがとな…狐ノ依」
優しく頭を撫でられて、喜びに耳がぴくぴくと揺れる。あぁ、やっぱり好きだ、大好きだ。自分は恵まれている。
リクオの匂いに包まれて、狐ノ依は目を閉じた。
「…全く、こんなつもりではなかったのだけどね」
はぁ、とため息を吐いた玉章は、図らずも二人をくっ付ける切っ掛けを作ってしまったことに嘆いていたが、それすら今の二人には聞こえていなかった。
・・・
来た時と同じように船に乗る。来た時と違うのは花開院ゆらもそこにいるということだ。
狐ノ依はというと、ようやく力が抜けたのか、リクオの腕の中ですやすやと眠りについている。
それを下ろすことなく、リクオは狐ノ依を抱き上げたまま風に髪を揺らして立っていた。
「狐ノ依くん、どうしてしもたん?」
「あぁ、力を使いすぎて眠っているだけだ」
「土蜘蛛を復活させたアレか。まさか妖狐にあんだけの力があるとはなぁ」
元々丸い目を更に丸くさせたゆらが、ひょいと高い位置にある狐ノ依の顔を覗き込む。
言わずもがな、整った綺麗な顔。少し前までは可愛いと思っていたものだが、リクオの成長と共に体は大きくなっているらしい。
今はどちらかというと綺麗、という方が似合っている。
「何や変わったな、狐ノ依くんは」
「あぁ、変わった。狐ノ依は一人、歩き出そうとしてる」
「それは…どういう意味や?」
自分の思った事と違う事を言ったリクオに、ゆらは不思議そうに首を傾げた。
そこから少し離れた位置で話を聞いていた玉章がふっと息を漏らしたのは、その意味を理解していたからだろう。
「オレは…狐ノ依と対等であれると思っていた」
「対等?主と部下で対等ってのは難しいんじゃねーのかい」
聞いていた獺祭がずいと話に入ってくる。
その理屈としては正しい獺祭に、リクオは寂しそうに眉を下げて笑った。
「オレはこいつの隣にいてぇんだ。一歩先を行くんじゃなく、隣を」
「あー。なるほど、リクオはこいつに惚れてんのか」
獺祭が楽しそうに笑いながら酒に口をつける。
そんな楽しい話じゃねぇんだが。そう苦笑いを浮かべたリクオは、閉じられた狐ノ依の瞼に軽く唇を寄せた。
「こんなにこいつだけを愛してるってのにな…なかなか上手く伝わらねぇのは何でなんだろうな」
「な…!」
「今すぐ抱いて夜な夜な愛を囁き続けてやりたいものだが」
「ちょ、な、なな…!」
「こいつはそれをも望みはしないんだろう…」
ゆらの顔が真っ赤に染まっていく。
しかしそんな事見えていないかのように、リクオは切なげに狐ノ依を見下ろしていた。
自分の意思だけを貫くなら、どんな時も狐ノ依の傍に。そう出来ないのはリクオが奴良組三代目だからだ。
「…狐ノ依がいれば、多くの者を救える。それを狐ノ依は分かってる」
「そんなに難しく考える事なのかねぇ」
「そんぐれぇ大事な戦いだから、仕方ねぇだろ」
割りきらなければいけない。昔とは違う。
そう言い聞かせて、狐ノ依の意志を尊重する。それが一番良い選択なのだ。
「本当に、それでいいのかい」
足音を立てずに後ろから近付いてきた玉章が、とんとリクオの肩に手を置いた。
「君が頼りにしているその力で、今この子は眠っている」
「そう、だな。力の加減は覚えさせる」
「…君は、本当にこの子の事を理解していないね」
「何?」
怪訝そうに目を細めるリクオに、玉章の表情は変わらない。
ただふっと馬鹿にしたように息を漏らすと、胸に抱く子犬の頭を撫でた。
「そんなだと、一番大事なものを失う事になるよ」
その玉章の意味深な言葉を、理解出来ないリクオではなかった。
だからって、玉章にそんな事をわざわざ言われる覚えも無し。
リクオは既に後ろを向いていた玉章を見据えたまま、狐ノ依を抱く腕に力を入れた。
相手は御門院家、水蛭子(ひるこ)と名乗ったドレッドヘアの少年。彼は体が五行で出来ていて、使う術は恐ろしい爆発力を持っていた。
「…土蜘蛛、お前阿呆やなぁ」
誰に言うでもなく、花開院ゆらは呟いた。
水蛭子は土蜘蛛の一族を滅ぼしたのだという。
しかし、ゆらは先程たくさんの土蜘蛛に会った。
どうやら今いる場所は土蜘蛛の隠れ里らしく、ここに生き残りが集まっていたようだ。
「避ければ何とかなったかもやで?」
明らかに危ない技に対し、土蜘蛛は果敢に挑んで負けた。
それが今の、ゴミのように黒くなった姿を招いた原因だ。
正直、勝てる気がしない。相手はかなりの実力者だ。
だからゆらは今ここで敵から身を隠している。
「でも…いつまでも隠れているわけには…」
兄達も皆戦っているのに。
ぎゅっと、情けない自分の手をきつく握り締めた。
その直後だった。
激しい音と共に、宙に放り出される土蜘蛛たち。驚いて顔を上げると、大きな蛇が顔を鋭い牙をむき出していた。
「っ!」
「ん?テメーさっきの…まだ生きてたのかよ」
その蛇の上に乗っている少年がにやりと笑う。
水蛭子、その両腕は既に片方ずつ、炎と水の相反する力を纏っていた。
しかも驚くべきは、後ろに更に二人の御門院を連れているということ。
「他にもおったんか…」
「残党狩りのついでだ。テメーは楽しませてくれんだろーなァ!?」
「しま…っ!」
咄嗟の事に反応しきれない。
ゆらは飛んでくる火の塊と、それによって崩壊する木々や瓦礫から逃れきれず、後ろへと飛ばされてしまった。
一体どうすれば良かったというのか。突破口など一瞬の隙さえ見えなかったのに。
ゆらは諦めて目を閉じ、体を抱き締める大きな手に身を寄せた。
「…え?」
驚いて顔を上げたゆらの目に、見慣れた妖怪の姿が映る。
「な、んで…なんでここにいるんや、奴良くん!?」
「おめーこそ…なんでここにいんだよ、ゆら」
小さなゆらの体を守るように抱きかかえているのは、紛れも無く奴良リクオだ。
その後ろから狐ノ依も顔を覗かせている。
「怪我は」
「いや、大丈夫そうだ…な?ゆら」
「え、え…まぁ」
「そうですか、良かったですね」
口元にだけ笑みをつくった狐ノ依の手がゆらの頬に伸びる。
軽く指が頬に触れると、そこに作られていたかすり傷が綺麗に無くなった。
「そいつぁ誰だい?」
「こいつぁーオレのダチだ。な、ゆら」
「え!?」
更に後ろから二人の妖怪が現れて、ゆらが無意識に体を強張らせる。
玉章と獺祭は大して人間がいる事に驚いてはいないらしい。
すぐに目の前にいる御門院だろう三人に目を向けた。
「てめえらが御門院当主だな…まずはてめぇらを止める!」
「へぇ…」
歯を見せて怪しげな笑みを浮かべている水蛭子は、己に相当の自信があるようだ。
「三対三か…丁度いい」
「はぁ!?皆まとめてオレがやる!そこどきな!」
「なめるな、水蛭子。我々が一人ずつ相手をしよう」
威勢のいい水蛭子に対し、他二人は冷静にそれぞれ分かれた。それに従って玉章と獺祭も離れていく。
結果、この場に残ったのは水蛭子とリクオ、そして狐ノ依とゆらとなった。
「狐ノ依、ゆらを頼んでいいか」
「何言ってんねん!私はまだ戦える!」
水蛭子と対峙するリクオとゆらは、そんな会話をしながらも狐ノ依の前に立った。
これではむしろ狐ノ依が守られているかのようだ。
(違う…気のせいなんかじゃない)
二人は狐ノ依を庇うようにして立っている。
妖狐は戦闘向きではない。それは何より自分がよく分かっているし、それをリクオにも訴えたつもりだ。
しかし、いざこうして庇われるのは、何とももどかしいものだ。
「…分かりました。リクオ様、どうかボクを守って下さい」
「狐ノ依」
「自分はここで皆さんを守ります」
ぎゅっと手に力を込めて、もどかしさを抑え込む。
この前に使った大きな力。あれが再び出来たなら、リクオもゆらも、更には少し離れた場所に移動した玉章や獺祭も守れるかもしれない。
「ここで守る…?何を言ってるんや、狐ノ依くん」
「分かった。狐ノ依、無茶すんなよ」
「リクオ様も」
思いを認め合って頷く。
それを合図にしたかのように、リクオは水蛭子に向かって地を蹴った。
「別れの挨拶は終わったのかよ?」
「別れなんざこねーよ。オレはお前を倒して晴明も倒す」
「ハッ、晴明様を倒す?やれるもんならやってみな!」
勢いに任せて突っ込んだように見えて、リクオも水蛭子も互いの力をうかがい合っている。
あの土蜘蛛を戦闘不能にさせた程の力は伊達じゃないらしい。
「っ!」
突然起こった大きな揺れに、狐ノ依は思わず地に手をついた。
顔を出した大きな蛇が、辺りを無差別に破壊しているのだ。
「おい水蛭子!やめさせろ!」
「構うなよ、楽しもーぜ?」
水蛭子はリクオとの戦いを楽しんでいるようだが、本来の目的である土蜘蛛狩りを怠る気もないのだろう。
「おら、捕まえた!」
水蛭子から咄嗟に目を逸らしてしまったリクオに隙が出来る。
水蛭子の体から出てくるツタのようなものがリクオの方へと伸ばされていた。
それを防いだのは、ゆらの術だった。
「助かったぜ、ゆら」
「呼び捨てにすんな!」
もはやこんな事にいちいち反応しているようではいられない。
分かっていても、ズキンと痛んだ胸を押さえた狐ノ依の目は揺らいだ。
「まずあの大蛇を落とさねぇとな…」
「そやな…水蛭子と同時に相手は出来ん。二人で協力していくで!」
「おっ、オレと協力してくれんのかい?」
軽いやり取りも、狐ノ依の発達した耳には届いてしまう。
背中を合わせた二人。うっかり思考を止めそうになる頭をぶんぶんと振る。
それから意識を集中させると、体に青白い光を纏った。
作戦は、ゆらの大きな術を発動する為の時間をリクオが稼ぐ、という事でまとまったらしい。
リクオが水蛭子へ特攻し、ゆらが後ろで集中している。とはいえ、ゆらの“それ”に大した時間はかからなかった。
「どきィ、奴良くん!大蛇を滅します!」
その声に振り返ったリクオの目に映ったのは、身長より長い髪の毛、神々しくも見える狩衣を纏った少女。
「…ゆら?」
今までとは似ても似つかない姿をしたゆらの手から放たれた弓矢は、その言葉通りに大蛇を一撃で葬っていた。
「てめぇええ!許さねぇ!」
「おいおい、その“てめぇ”ってのはオレのはずだろ」
力を使い果たし、ゆらは地面に膝をついた。
後はリクオに託すしかない。そう思い見上げれば、水蛭子が太い糸で動きを封じられている。
「九十九夜行!?」
「関東の若いのよ…。我らの里だ。我らが守らんでどーする!」
いつの間にやら、蜘蛛の一族達が水蛭子を囲むようにそこにいた。
水蛭子の体を縛るのは、蜘蛛達の糸だ。
「こんな糸でオレをひっとらえられると思ってんのか!?」
しかし、やはり容易く糸は水蛭子の体から解かれてしまう。それでも止めることなく、蜘蛛達は糸を伸ばし続けた。
「…チマチマと…うぜぇんだよ…」
そんな中、今まで声を荒げていた水蛭子が小さく呟いた。
怒りに満ちた声。体から、まだそれ程の力があったのかと驚愕する程の力が溢れている。
「もう終いにする…九州はこれで本当に散ってもらう…!」
守る事は不可能。あまりにも強大な力がそこに落とされる。
辺りは一瞬で光に包まれ、敵も味方も何もかも見えなくなった。
恐らく、全ての妖怪が目を閉じたことだろう。
眩しさと、受け入れられない現実から逃れる為に。
あれ程の衝撃では、何もかもが飛び散ってもおかしくは無い。そんな予想は容易かった。
「…どうなった…?」
ぽつりと呟かれたリクオの声に、近くにいたゆらも恐る恐る目を開く。
まず自分の体の無事を確認して、それからゆっくりと視線を回すると茫然と目を開いた。
脳裏に描いた壊滅的な状況はどこにも見られない。いや、それどころか特に異常は無いらしい。
「ゆら、怪我はねぇか」
「あらへん…。なんで、助かってるんや…?」
「不発…いや、そんなはずはねぇ」
確かに水蛭子の技だろう光は目にしたのだ。その中で何故無事でいられたのか。
二人で顔を見合わせ、この状況の真相を探ろうと視線を彷徨わせると、視界に大きな体が入り込んだ。
「やられっぱなしは趣味じゃねぇ…」
上から聞こえたその低い声の主はよく知っている。
リクオもかつて戦った、最強の妖怪。
「土蜘蛛…まさか、あれを防いだのか」
ぽつりとリクオが呟く。それに続いてゆらもその存在に気付いた。
水蛭子から皆を守るようにそこに立っているのは、紛れもなく土蜘蛛だ。
「な…!あんた、無事やったんか…?」
「分かんねぇ。が、今は随分と調子がいいなァ…」
「どうして、あんなにボロボロだったのに…」
土蜘蛛はついさっき、この水蛭子にやられてボロボロになっていたはずだ。
それが、どういうわけか今はぴんぴんしている。怪我一つない状態で。
「狐ノ依…」
「え?」
「狐ノ依の力が救ったのか」
リクオは自分に流れる狐ノ依の妖気に目を細めた。
一度味わった暖かい力。また“あの力”を使っているのだろう。
でなければ無傷では済まなかったはずだ。土蜘蛛も、そしてリクオもゆらも。
「…今がチャンスだ」
「奴良くん?」
「一気に叩く!土蜘蛛、協力してくれ!」
周りの土蜘蛛達も狐ノ依の力で一切の傷が無くなっている。
狐ノ依が力を使ってくれたのだ、この期を逃す手は無い。
リクオはぱっと立ち上がると、驚いて目を丸くしている水蛭子へ突っ込んで行った。
・・・
光に包まれてから止んだ戦闘音が再び始まった。
あの力はかなり凶悪なものに思えたが、どうやら壊滅には至らなかったようだ。
狐ノ依は耳を揺らし、リクオの妖気を探り当てると大きく息を吐き出した。
そう、大事な主が無事ならそれでいい。他はどうでも。
そう思う反面、一定の範囲の者を全て癒す力を使うのは、リクオの意志に忠実でありたいからだ。
「あ…」
リクオの無事に安心すると、狐ノ依の体はふらっと傾いた。
無理をしたつもりは無かったが、対象が多かった為に負担となったのかもしれない。
もはや体を守る為の手一本動かす事すら億劫だ。となればそのまま地面に激突するのを待つだけ。
しかし狐ノ依の体は、そこに現れた人によって抱き留められていた。
「大丈夫かい」
「…え」
重い首を何とか上げると、優しい目が狐ノ依を見ている事に気付く。
リクオと分かれて他の御門院と戦っていたはずの玉章だ。
「玉章様…。あ、敵は…?」
「倒したよ。何ということもない相手だった」
「そ、ですか…」
何ということもない、なんて嘘だ。
相手が弱いのではなく、玉章が余程強くなっていたのだろう。
ぼんやりとそんな事を考えながらも、力の入らない体を玉章へと預ける。
「君の妖気、感じたよ。暖かい炎だね」
「届いた、んですか…。良かった…」
「リクオは」
「まだ…でも、もうきっとすぐに」
今の力の差は知らないが、嘗ては玉章を倒した妖怪だ。
玉章だけではない、何度も苦境を乗り越えてきたリクオが、こんな所で負けるはずがない。
そう信じて目を閉じた狐ノ依は、触れる熱に違和感を覚えて耳をぴくりと立てた。
「…狐ノ依」
「は、…え」
玉章の手が狐ノ依の頬に触れている。
それを弾くことなく受け入れた狐ノ依は、前触れもなく唇を塞がれていた。
「、ん…!?」
暖かくて柔らかい、少しカサついた感触。
リクオのとは違う唇が、狐ノ依の唇をなぞっている。
こんな事受け入れてはいけないのに、力が入らず抵抗出来ない。
それでも何とか首を動かすと、ようやく玉章の顔が離れた。
「な、にしてるんですか…」
「君が欲しい」
「だ…駄目、です。あげません」
ぐっと手で玉章の胸を押す。
犬の匂いがする彼は以前よりかなり近付きやすい雰囲気をしているのに、今は何か嫌な予感がしてならない。
「狐ノ依、手に力が入っていないよ」
「っ…」
「血を飲めば、治るのかな」
「…!だ、駄目…!」
玉章が、自分の口内を噛んだのが分かった。
そして再び近付いてくる端正な顔に、狐ノ依の体が冷えていく。
「約束しました…っ、ボクはリクオ様だけの…!」
「そう」
「い、や…」
玉章は止まってくれない。
首を横に向けても手で頬を挟まれて玉章の方へ向かされてしまう。
「玉章さ…っ!」
それだけは絶対に駄目だ。大事な大事な主と約束を交わしたのだから。
しかしそんな狐ノ依の心とは裏腹に、玉章は狐ノ依の開いた口を躊躇う事なく塞いだ。
「ん、…っ」
声ごと呑み込まれて、流れてくる熱さに頭がぼうっとする。
抵抗しなければいけないのに、リクオと約束したのに。
玉章を押していた狐ノ依の震える手は、いつの間にか玉章の着物にしがみ付いていた。
「…ふ、ボクの血を美味しそうに飲んでいたのは…嘘じゃなかったんだね」
彼が何を言っているのか良く分からない。
口から伝って体に渡る感覚に酔い痴れて、熱くて。
「た、まずき…さ、」
「可愛いね、狐ノ依」
玉章のその甘い声さえも狐ノ依の体をビリビリと刺激する。
疲労と甘さが狐ノ依の思考を惑わせていたのだろう。でなければ、こんな事許すはずが無かった。
「おい、何してんだ…?」
玉章とは違う低い声が耳を掠める。
あぁ、だから駄目だと言ったのに。
ゆっくりと声の方に振り返った狐ノ依の口の端を、艶やかな赤が飾っていた。
「玉章、てめぇ…」
「おっと」
ずかずかと歩み寄ってきたリクオが玉章の胸倉を掴む。
玉章は大して表情を変えることなく、むしろふっと口元に笑みを浮かべた。
「ボクがいなければ、狐はどうなっていたか分からないよ」
「何?」
「随分と消耗していたけど…。主である君は何をしていたのかな」
玉章の言葉にリクオがはっと目を開く。
確かに先の闘いでも狐ノ依の力を感じた。それはリクオにだけでなく、ゆらや土蜘蛛さえも守る力だった。
「また無茶しやがったのか、狐ノ依」
「…自分に出来る事をしただけです」
「だからって自分が倒れたら意味ねーだろ…!」
リクオの眉が吊り上っている。
どうしてそんなに怒る必要があるのだろう、ぼんやりと考えて、狐ノ依は玉章から少し離れた。
「自分は戦えないけれど、リクオ様を守れます。でも、リクオ様だけ守ってもリクオ様は喜びません」
「狐ノ依…」
「これが…これしかボクには出来ないんです、リクオ様…」
どうか許して欲しい、そう願いリクオを見上げる。
それでもリクオは眉間のシワを深くしたままで。狐ノ依ははっとして頭を深々と下げた。
「でも、玉章様とのことは全て自分に落ち度がありました…。罰は、受けます…」
約束した直後だ、こればかりは言い訳も出来ない。
自分の手をぎゅっと握りしめてリクオの言葉を待つ。
リクオの眉間のシワは深まり、玉章はふふと余裕そうに微笑んだ。
「ボクとのこと?言っておくけど、この子に血を与えるのはこれが初めてではないからね」
「…知ってる。だがな、玉章、何があっても狐ノ依はオレのものだ」
「そうらしいね」
「二度と手ェ出すなよ」
狐ノ依の体が、リクオの低い声にぞくっと震える。
やはり怒っているのだ。恐る恐る顔を上げると、呆れたように眉を寄せて苦笑いをするリクオと目が合った。
「あ、あの…」
「おいで」
「え…?」
それでも消える事のない罪悪感におずおずと近付いて、伸ばされた手を取る。
リクオの手は力強く狐ノ依を引き寄せ、そのままひょいと抱き上げていた。
「悪い、狐ノ依。お前がオレの事考えてくれてるってのは、分かってんだけどな…」
「リクオ様…自分は、でも、約束を破ってしまって…」
「狐ノ依を縛り付けるような約束、しちゃいけないってのも分かってんだ。駄目だな…手放したくねぇってのが出過ぎた」
リクオの指が狐ノ依の口元をなぞり、残っていた血をふき取る。
怒っていない、のか。むしろ、リクオは許すどころか狐ノ依に謝っている。
困惑の中、狐ノ依はリクオの首に手を回してしがみ付いた。
「なぁ、狐ノ依。せめて戦いでない時くらいは、傍にいさせてくれよ」
「リクオ様が…許して下さるのなら…」
「あぁ。頼む」
元々、リクオにくっ付きすぎるわけにいかないから離れようと頑張っていたのに。
リクオにそう願われたのなら、応えるしかない。
そんな風に考えながら、リクオにしがみ付く腕に力を込めた。
「本当は、離れたくなんてないです…リクオ様…っ」
「ありがとな…狐ノ依」
優しく頭を撫でられて、喜びに耳がぴくぴくと揺れる。あぁ、やっぱり好きだ、大好きだ。自分は恵まれている。
リクオの匂いに包まれて、狐ノ依は目を閉じた。
「…全く、こんなつもりではなかったのだけどね」
はぁ、とため息を吐いた玉章は、図らずも二人をくっ付ける切っ掛けを作ってしまったことに嘆いていたが、それすら今の二人には聞こえていなかった。
・・・
来た時と同じように船に乗る。来た時と違うのは花開院ゆらもそこにいるということだ。
狐ノ依はというと、ようやく力が抜けたのか、リクオの腕の中ですやすやと眠りについている。
それを下ろすことなく、リクオは狐ノ依を抱き上げたまま風に髪を揺らして立っていた。
「狐ノ依くん、どうしてしもたん?」
「あぁ、力を使いすぎて眠っているだけだ」
「土蜘蛛を復活させたアレか。まさか妖狐にあんだけの力があるとはなぁ」
元々丸い目を更に丸くさせたゆらが、ひょいと高い位置にある狐ノ依の顔を覗き込む。
言わずもがな、整った綺麗な顔。少し前までは可愛いと思っていたものだが、リクオの成長と共に体は大きくなっているらしい。
今はどちらかというと綺麗、という方が似合っている。
「何や変わったな、狐ノ依くんは」
「あぁ、変わった。狐ノ依は一人、歩き出そうとしてる」
「それは…どういう意味や?」
自分の思った事と違う事を言ったリクオに、ゆらは不思議そうに首を傾げた。
そこから少し離れた位置で話を聞いていた玉章がふっと息を漏らしたのは、その意味を理解していたからだろう。
「オレは…狐ノ依と対等であれると思っていた」
「対等?主と部下で対等ってのは難しいんじゃねーのかい」
聞いていた獺祭がずいと話に入ってくる。
その理屈としては正しい獺祭に、リクオは寂しそうに眉を下げて笑った。
「オレはこいつの隣にいてぇんだ。一歩先を行くんじゃなく、隣を」
「あー。なるほど、リクオはこいつに惚れてんのか」
獺祭が楽しそうに笑いながら酒に口をつける。
そんな楽しい話じゃねぇんだが。そう苦笑いを浮かべたリクオは、閉じられた狐ノ依の瞼に軽く唇を寄せた。
「こんなにこいつだけを愛してるってのにな…なかなか上手く伝わらねぇのは何でなんだろうな」
「な…!」
「今すぐ抱いて夜な夜な愛を囁き続けてやりたいものだが」
「ちょ、な、なな…!」
「こいつはそれをも望みはしないんだろう…」
ゆらの顔が真っ赤に染まっていく。
しかしそんな事見えていないかのように、リクオは切なげに狐ノ依を見下ろしていた。
自分の意思だけを貫くなら、どんな時も狐ノ依の傍に。そう出来ないのはリクオが奴良組三代目だからだ。
「…狐ノ依がいれば、多くの者を救える。それを狐ノ依は分かってる」
「そんなに難しく考える事なのかねぇ」
「そんぐれぇ大事な戦いだから、仕方ねぇだろ」
割りきらなければいけない。昔とは違う。
そう言い聞かせて、狐ノ依の意志を尊重する。それが一番良い選択なのだ。
「本当に、それでいいのかい」
足音を立てずに後ろから近付いてきた玉章が、とんとリクオの肩に手を置いた。
「君が頼りにしているその力で、今この子は眠っている」
「そう、だな。力の加減は覚えさせる」
「…君は、本当にこの子の事を理解していないね」
「何?」
怪訝そうに目を細めるリクオに、玉章の表情は変わらない。
ただふっと馬鹿にしたように息を漏らすと、胸に抱く子犬の頭を撫でた。
「そんなだと、一番大事なものを失う事になるよ」
その玉章の意味深な言葉を、理解出来ないリクオではなかった。
だからって、玉章にそんな事をわざわざ言われる覚えも無し。
リクオは既に後ろを向いていた玉章を見据えたまま、狐ノ依を抱く腕に力を入れた。