リクオ夢(2011.10~2015.03)
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本家に戻ったリクオは急ぎ学校へと向かった。その理由は誰にも話されていない。
狐ノ依はというと、目を覚ましたはいいがリクオに留守番を頼まれて部屋にちょこんと座っていた。
「…」
いざこうして放り出されると何をしたら良いやら分からなくなる。
「リクオ様、心配してたな…」
こうして思い悩んでいることさえも、リクオの迷惑となってしまう。
狐ノ依は暫く何もせずにふらふらと横に揺れて、それからぱたんと倒れた。
(リクオ様の…奴良組の為とか言って、心配かけて)
横になったままばたばたと手足を動かす。暫くそうしてから、狐ノ依は寝起きかのようなぱっとしない顔で起き上った。
襖を開けると、沈みつつある夕日の眩しさが目に染みる。
「頭、冷やそう…」
きょろきょろと左右を確認、そこに誰もいないことが分かると、狐ノ依は縁側からぴょんと飛び降りた。
小さな狐の姿に変わって走り出せば、誰にも見つからずに出て行くことなど簡単だ。
頭をクリアにする為、ちょっとだけ奴良組から離れて一人に。
そう考えた狐ノ依の足は、迷いもなくひたすら走り続けた。
「おや、君は…」
まだそう遠くに行っていない、本家が目に見える位置。
穏やかな声が聞こえたのと同時に、狐ノ依の頭上に影が出来た。
「何故こんな所に一人で…。もしやお出迎えかい?」
ふっと笑いながら狐ノ依へと差し出された手に触れた瞬間、狐ノ依は毛がぶわっと逆立つような感覚を覚え、咄嗟に人型へと姿を変えた。
高さがその声の主と近くなり、見上げずとも顔が覗ける。
「あ…貴方は…!」
記憶にしっかりと残っている。忘れられるはずもない、一時的に狐ノ依が傍で仕えた妖怪。
「玉章様…!?」
「ふっ…もうボクは君の主ではないよ」
慣れた呼び方で呼べば、ふっと頬を緩めて笑う。
こんな玉章の姿は見たことがない。腕に抱く犬からも感じられるように、この人はリクオとの戦いの後随分と変わったのだろう。
「な、何故…ここに?」
「主に聞いていないのかい?奴良リクオに呼ばれて来たんだよ」
「そう、なんですか…」
一人で学校に行ったと思いきや、まさかそんな事もしていたとは。
狐ノ依は何も知らない事に少し頬を膨らませた。
「ところで君は、少しやつれたか…元気がないようだね」
「そう見えますか…?」
「見えるよ。奴良リクオには可愛がってもらえていないのかい?」
「いえ、リクオ様は優しい方です」
狐ノ依のはっきりとした返答に、玉章は少しつまらなそうに眉を寄せて。
しかしそんなことはもろともせず、といった様子で狐ノ依の頬に手を這わせた。
「こうして会話してくれるということは…ボクは君に嫌われてはいないのだね」
「…考えたこともありませんでした」
「それは興味もなかったということかな」
「そんな、つもりは…」
じっと見つめられると、どうも緊張してしまう。
原因は玉章の整った容姿と鋭い目だろうか。以前よりも穏やかな表情であることに変わりはないが、やはりその目には強い心が宿っている。
「ボク…悩んでいるんです。リクオ様の傍にいたいけど、妖狐としての役割はそうでない気がして…」
「それは、誰かに言われて?」
「い、いえ…。ふと、そう思って」
ぽつりぽつりと、その強い目と妖気に乱されたのか、狐ノ依は思いを告げていた。
この人ならば求める答えをくれるかもしれない。なんて、本当は誰でも良かったのかもしれないけれど。
「君がボクの元に来たとき、あれは自分の意思だったのだろう?」
「え、…はい」
「それと同じだ。妖狐に行動を支配される言われはない。したいようにすれば良い」
確かに今までは好きなようにしていた。
しかし、それでは駄目だと思ったのだ。奴良組の妖怪として、そう考えるならば。
やはり納得できない。
狐ノ依はむ、と唇を尖らせて首を横に振った。
「…君は、答えが欲しいのではないね。お前は正しいと言って欲しいだけだよ」
「そ…う、なのでしょうか」
「この際、奴良リクオの元を離れてボクのところに来たら良い」
「はい…?」
狐ノ依の頬に触れる手がすすっと着物にまで降りた。
着物がさらりと肌蹴て、背中に触れた玉章の手が狐ノ依をとんと押す。
触れた肌はやはり以前とは違い、犬の匂いと温もりが感じられた。
「ねぇ、ボクは結構君のことを本気で欲していたんだよ」
「…そんなこと、言われても…。リクオ様を裏切っては元も子も」
「ボク等は敵じゃない…」
「あ…っ」
つんと胸に触れた指が狐ノ依を刺激した。
久しぶりの熱を与える触れ方に、狐ノ依の頭はぼうっとして、それでも駄目だとまた首を横に振る。
「駄目です、こんなことは尚更…」
「ん?可愛がってもらっていないというのは間違いじゃないようだね」
「あ、わっ、」
ぞくっと体に走る感覚に、狐ノ依は玉章の着物を掴んだ。
腰が押し付けられて、刺激にどうしても体が疼く。
熱さに思いや欲を吐き出してしまいたくなる。いろんな感情を、もどかしい思いを。
「触っていいかい…?」
「んん…っ」
「狐ノ依?」
耳に息がかかる。狐の姿だったなら、ぶわっと毛が逆立っていただろう。
震える体に、歯がかちかちとなって。耐えきれなくなった熱い息が狐ノ依から吐き出される。
もう、どうにでもしてくれ。そう叫びかけて、狐ノ依ははっと目を見開いた。
「駄目です…!」
心が弱っているせいだろうか、こんな誘惑に負けそうになるなんて。
真っ赤になった顔を玉章から逸らし、狐ノ依は体を捻って玉章の腕から逃れた。
「やはり、ボクでは嫌か…」
「玉章様こそ分かっていないんです。ボクは…汚いのに」
「汚い?」
「あ…」
思わず出てしまった言葉に、狐ノ依は口を押さえて様子をうかがうように目だけを玉章へ向けた。
忘れようとしても消えない記憶。
あれ以来触れられていない体は、きっと汚れきったままだ。
「汚くないよ。どうしてそんなことを言うんだい」
「汚いんです…。本当に、駄目なんです」
「分からないな。君はこんなに綺麗なのに」
空気に晒された肌に玉章が手を伸ばす。
それから逃れるように狐ノ依はぱっと後ろに飛び退いて、肌蹴た着物を直した。
「それが理由で奴良リクオは君を可愛がらなくなったのかな」
「え…?」
下ろしていた犬を抱き上げながら、玉章の声が低く響いた。
ざわざわと妙な雰囲気が辺りを包むのは、玉章の引きつれてきた四国妖怪がいるからだろう。
熱くなった体はさっと冷えて、狐ノ依は思わず自分の腕を抱いた。
「ち、がいます…別に、リクオ様がボクをとか…そういうことではなくて」
「ボクなら、君が近くにいて触れずにはいられないんだけど」
「も…いい加減にして下さい…」
やはりこの人は意地悪だ。
狐ノ依は軽く上目で睨みつけてから、本家の方へ向きを変えた。
「見ていて飽きないな、君は」
くっくと笑う玉章は、もう狐ノ依に手を出す気はないらしい。足音も立てずに後ろをついて来る。
ていうか、やっぱり意地悪しただけだったのかこの人は。
そう思うと腹が立つ反面、彼の口から出た言葉はあながち間違いとも思えなくて。
「リクオ様はお忙しくて…ボクに、構ってはいられないんです」
言い聞かせるように零した言葉に、玉章は何も言わなかった。
「だからボクも…リクオ様の為に出来ることをしたいんです」
「…それで?」
「その先は…まだ考え中です…」
本当はリクオの傍から離れたくなんてない。
ふと、どうしてこんなことをしているのだろうと考え出したら止まらなくて、抱き着きたくて仕方なくて。
それでも、今後ろを歩く玉章が現状を表している。
これからの闘いは、奴良組だけでは済まない、今までとは規模が違うのだ。
「それで、君は平気なんだ?」
「…」
「辛いなら、ボクのところにおいで。本当に」
揺らぎそうになるのは自分の意思が弱いからか、それともリクオを思う故か。
玉章の言葉を真に受ければ受ける程、胸が締めつけられる思いがする。
玉章の言葉をどうにか頭から消し去りたくて、狐ノ依はぎゅっときつく目を閉じた。
きしきしと歩く度に音を立てる縁側を歩く。
学校に行って、友人達を家に招いた。それは、戦いの前にちゃんと顔を合わせて話したいと思ったからだ。
今まで妖怪であることを隠していたことへの謝罪。そして、信じ続けてくれた事への感謝。
清継も、カナも、皆リクオの事を分かってくれた。そこまでは良かったのだが。
「鴆くん、狐ノ依見なかった?」
「狐ノ依…そういや見てねぇな。最近元気無いようだったが、あいつぁ大丈夫なのか?」
「それが分からないから、話そうと思ってたんだけど…」
学校に行く前は部屋にいたはず。
しかし皆を連れてきてからさりげなく探していたが、姿はどこにも見当たらなかった。
「心配だな…。どこにいるんだろう」
それでなくとも、最近は様子がおかしくて不安なのに。やはり共に連れて行くべきだったのか。
嫌な想像ばかりが頭を巡って、リクオの顔が曇る。
「ちょっとボク、外見てくるね」
「おう、気を付けろよ」
すっと軽く手を挙げた鴆を横目に、リクオはばっと飛び出した。
狐ノ依が行きそうな場所…なんて心当たりの一つもない。
それもそうだ。狐ノ依のいる場所はいつでもリクオの傍だったのだから。
「もう傷つけない…そう決めたのに…っ」
目を離したら何が起こるか分からない。狐ノ依は、誰の目にも止まってしまう程の魅力を持っている。
そんなこと、疾うの昔から知っているはずなのに。
(いや、まだ何かあったとは限らない…)
今はとにかく狐ノ依を見つけなければ。
そうして家の外へ飛び出したリクオは、前方に見えた光景にぴたりと足を止めた。
「また君に会うとはね…。今回はお呼び頂き光栄だよ」
「…玉章」
ぞろぞろと背後に妖怪を引き連れて立っているのは、嘗て戦った四国八十八鬼夜行の主、玉章だ。
そして何故かその隣にいるのは、今まさに探していた狐ノ依。
「どうして妖狐がボクと共にいるのか、聞きたげな顔だね」
「…」
「別に何もないよ。安心していい」
さぁ戻りな、と玉章が狐ノ依の背中を押す。
それに対し、狐ノ依は少し躊躇う様子を見せながらリクオの方へ戻った。
「あの…偶然、玉章様を見つけてそれで…」
「(…様、か)」
「でも、勝手に出て行ったのは…すみませんでした…」
「…いや、いいよ」
どうしてか狐ノ依と視線が合わない。
リクオは今まで感じていた不安を更に大きくして、狐ノ依に伸ばしかけた手を引っ込めた。
今は狐ノ依の事よりも、三代目として玉章を招かねばならない。
そう心に訴えかけ、視線を狐ノ依から玉章へ移し、顔つきも三代目としてのものに変える。
「よく来てくれた…四国の者。今回、君達は客人だ」
昼の姿でありながら、リクオの纏う雰囲気は夜の姿と大差ない。それに気付き玉章はふっと笑い、こちらにと言って歩き出すリクオに続いた。
「会議の時間まで、ここでお待ちいただきたい」
「狐ノ依を置いて行ってくれると嬉しいのだけど」
「…」
「冗談だよ。ここで待とう」
すっすと足音立てずに部屋に入る玉章は、リクオに無い優雅さを持っている。
以前より纏う雰囲気が穏やかに見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。
リクオはぱたんと襖を閉めると、振り返って狐ノ依を見た。
「…狐ノ依は、玉章の傍にいたかった?」
「いえ。リクオ様の傍に」
「そう、だよね」
こんな確認を狐ノ依にしなければならないなんて。
リクオは自分の発言に溜め息を吐いて、狐ノ依の横を通り過ぎた。
とぼとぼと後ろをついてくる狐ノ依の様子は、今までに増して一番あからさまだ。
何やら思い詰めた表情を隠せていない。
「…狐ノ依、話をしようか」
「え、自分、ですか」
「うん。入って」
いつも二人で過ごした部屋をリクオが指す。
狐ノ依は不安やら動揺やら、いろんな気持ちを胸に抱えながらリクオに続いた。
こうして部屋に二人きりになる事さえ久々に思える。
しかし、甘さを含むものではない。
胡坐をかいて座ったリクオの正面で、狐ノ依もきちっと正座をした。
「狐ノ依、何を考えているのか聞かせてくれる?」
座ってすぐ。
狐ノ依はリクオから問われた内容に、思わず口を噤んだ。
「今日一人で出て行ったのも、ここ最近ボクから離れようとするのも…全部何か考えていることがあるからだよね」
「…」
「狐ノ依、お願い。教えて」
耳をぴんと立てて、目を丸くする。
余りにも露骨な態度も、本人にとってはそれ程だったのかと思う程度の事。
狐ノ依は自分の行動を思い返しながら、どう答えたらいいか迷っていた。
「ボクだけじゃない。つららも、鴆君も、イタクだって気にしてたんだ」
「す、すみません…」
「謝らなくていいから」
確かに、イタクやつららの前では少し本音を漏らしたかもしれない。自分の役目が何か、と。
リクオに聞けば、恐らく自分の傍にいればいい、そう言ってくれるだろう。
しかし、それじゃ納得出来ないのだ。
そんなことを考え、きゅっと唇を噛む。
すると、リクオの方が先に口を開いた。
「狐ノ依…。ボクの事、嫌いになった?」
「は、…え?」
「守ってあげられなかったから…置いて行ったから…」
「ち、違」
リクオの手が狐ノ依の肩をぎゅっと掴む。
見慣れない切羽詰まったような表情に、狐ノ依はただただ言葉を失ってしまった。
「狐ノ依をあんな目に合わせて、どうしたら良いか分からなかったんだ」
「り、クオ様…」
「許せなくて、苦しくて。でも、そんな思いで狐ノ依に触れても、狐ノ依を怖がらせちゃうかもしれない…」
狐ノ依の腕を掴む手が震えている。
まさか、リクオがそんな事を考えていたなんて思いもしなかった。そんな、有り得もしない事を。
(ボクがリクオ様を嫌いになるなんて…有り得ないのに)
狐ノ依は体を前のめりにさせると、リクオの頭に頬を寄せた。
「自分はリクオ様をお慕いしています。その気持ちに変わりはありません」
「じゃあどうしてボクから離れようとするんだよ…」
「それは…」
しかしどうしても狐ノ依の言葉はそこで詰まる。
優しくしたいリクオと、その優しさ故に思いを隠す狐ノ依。
ぎゅっと抱き締めあったまま続く沈黙に、リクオは乾いた笑いを漏らした。
「ごめん…」
「ど、どうして、謝るんですか。悪いのは全部…」
「狐ノ依の考えは狐ノ依のものだよ。でも、一つだけお願い…」
そこで一度リクオは言葉を止めて。
顔を上げて視線を交えると、再び言葉を続けた。
「いなくならないでくれ…」
冗談なんかじゃない。リクオは本気でそれを願っている。
狐ノ依はリクオの頬に手を重ねて、今にも泣きそうな顔で笑った。
「…ボクの場所はこの奴良組だけです」
喉がからからになって声が掠れる。
聞いたことのないリクオの弱気な声に、もうそこまで思いが込み上げていて、それでも何とか呑み込んだのは正しかったのか、間違いだったのか。
「ボクの隣、とは言ってくれないんだね」
ぽつりと耳元でリクオが呟く。
違う、そうじゃない。そうじゃないのに。
「リクオ様こそ、ボクを信じて下さい」
「信じたいよ…」
かみ合わない事がこんなに辛いなんて。
狐ノ依は肩を掴むリクオの手を剥がすと、その手を顔に近付けた。
「何か誓いを立てましょう。自分にはリクオ様だけ…そう、リクオ様が信じられるように」
「…ボクの血を飲んで。口に含むのは、ボクのだけ」
リクオの指が狐ノ依の口に差し込まれる。
狐ノ依は潤む瞳でリクオを見つめたまま、ぷつっと指に歯を立てた。
これで良かったのだろうか。こんな形で繋がることが、本当に必要だったのだろうか。
この時だけは、二人の思いは同じだった。
「国内17地方総元締のみなさま、及び構成員500匹以上の大組織のみなさま。高い所から甚だ失礼いたしやす、奴良組三代目奴良リクオでございます」
会議はこのリクオの言葉から始まった。
大広間から庭まで百鬼夜行だらけになっているのは、リクオのその言葉通りにたくさんの妖怪を集めたからだ。
その中には勿論玉章も含まれている。
「今夜お呼びしたのは他でもない。清浄のことでございます」
かつて鵺が行った、人と妖の大粛清。
それが数日のうちに再び始まると思われる。
「阻止する為には安倍晴明と戦って勝たねばならない。だからこそ、我々は手と手を取り合う必要がある!」
一度安倍晴明を垣間見ているリクオだからこそ分かる。晴明は個々に戦って倒せる相手ではないと。
しかし、そこにいる小さな子供、奴良リクオの言う事を受け入れるものは少なかった。
「奴良組は鵺に臆したということだな?」
「ぬらりひょんはどうした?貴様では話にならん!」
「関東妖怪もおちたもんじゃのう…」
ぽつりぽつりと、次第にざわざわと、集められた者達が口を開き始める。
リクオの傍にひかえていた狐ノ依は、ちらとリクオの姿を確認して眉を寄せた。
「…リクオ様」
「狐ノ依、大丈夫だよ」
「…」
まだ何も言っていないのに、リクオは小さく首を振った。黙って見ていてくれ、そう目が言っている。
妖怪の前に立つには、やはり妖怪の姿であった方が良いのでは…、狐ノ依はそう言おうとした口を噤んだ。
「おだまんなさい。今はボクが三代目だ」
リクオの気持ちは妖怪達に一切負けていなかったのだ。
その言葉の強さと力強い眼差しに、妖怪達がじりっと後ずさる。
そんな中、甕の酒を呑んでいた男がふっと笑った。
「なぁ、オレにはあんたらの方が臆してるように見えるぜ」
酒呑愚連隊の若頭の獺祭(だっさい)。
剃り残された髭に、適当に崩された胡坐から不真面目そうに見えるが、彼は真剣な眼つきでリクオを見ている。
「こんだけ妖集めてガキが大見得切るなんざぁ…意思のでかさが成せる業ってね」
文句を叩く妖怪達に向けられたその言葉。
一瞬しんとしてから再びざわつき出す妖怪達に、今度は玉章が言葉をこぼした。
「ね…間違ってる?あの酔っ払いも、リクオの言っていることも」
穏やかな物言いに反し、纏う雰囲気は上品故に不気味だ。
「見た目は頼り無いかも知れないけどね、筋は通っているだろう?」
それこそ筋の通った一言に、玉章の傍にいた妖怪は皆俯き言葉を失った。
リクオの言葉が受け入れられる空気が出来上がっている。リクオはそれに気付いて先程より声を張った。
「あっしらには守るべきものがあるはずです。そのために先頭きって身体張るのが妖怪任侠の主なんじゃあないですかい」
人間の子供の姿でありながら、今のリクオはそれと全く違う。
狐ノ依はぶるっと身体が震えるのを感じながら、リクオをじっと見据えた。
そのリクオが頭を深々と下げる。
「群れようとも、百鬼に加われとも言っていない。ただ晴明を倒すために力を貸していただきたい!」
今度はもう、言い返してくるものは誰一人としていなかった。
安堵もあって、奴良組の者達は緊張を解き息を漏らす。
その直後。庭にどさっと何かが落ちた。
「リクオ様に…ご報告を…」
よろよろと、そこから出てきたのはカラス天狗だった。
「九州の九十九夜行に伝達された者です…。九州の妖が壊滅に瀕しちまった…!」
焦り故か、早口にそう告げられる。
とはいえはっきりと簡潔に伝えられたその事実に、辺りの空気は一転した。
「まさか、もう始まっているのか…!?」
そういえば九州の妖怪の姿が見えていない。
九十九夜行といえば西の最大勢力ともいえる存在だった。
それを知っているからか、嫌な予感に皆の顔が恐怖と焦りに歪む。
その中、静かにリクオが立ち上がった。
そのまま妖怪達の群れを抜けて、彼等を凛とした表情で構える。
「奴良組の面々は待て!戦況の変化に備えろ!」
その声はビリリと響き渡った。
「これよりオレは九州に向かう!誰かオレと先陣きりてぇ奴はいるか!」
リクオの言葉に、空気が再び変わる。
状況は変わった。しかしまだリクオに従うのを躊躇うといった感じだ。
じっとリクオを睨むような視線で凝視する妖怪達の中、狐ノ依は顔を落とした。
「ついてくる奴ぁ、宝船に乗れ!」
もう一度、胸に刺さるような強い言葉が妖怪達に向けられる。
立ち上がったのは玉章と獺祭の二人だった。
リクオの方に向かう獺祭に対し、玉章は狐ノ依を振り返っている。
「君は?まさかここで待っているつもりなのかい?」
「え…、ボク、ですか」
だって、奴良組は待てと、そう言われたはずだ。
いや、それだけでなく迷いがある事に変わりはないが。
「ぼ、くの…自分の力は治癒能力で…戦いには…」
「治癒?その力で主以上に守りたいものがいるとでも言うのかな」
「それは…!」
そんなもの考えるまでもない。リクオ以上のものなどあるものか。
自分の心に従うのなら、迷うことなくリクオについて行く。
「…ですが、ボクは…足手まといになります。そして傷付けば元も子も…」
「君の知らない所で主が傷ついても良いと?」
「…っ」
狐ノ依は思わず息を止め、向こうに見えるリクオに視線を送った。
リクオもそれに気付いたのか、狐ノ依を見つめ返してくる。
「狐ノ依」
リクオの声は、今までの凛としたものと違って優しいものだった。
呼んでいるともとれるし、諭しているようにもとれる。
狐ノ依は暫く迷ってからリクオに向かって足を進めた。
「リクオ様」
「命令はしねぇ」
「…」
来い、と一言くれれば良いのに。リクオは狐ノ依の決断を待っている。
つまり、リクオは狐ノ依に対しては“待て”というつもりも無いのだろう。
「…」
なら。
狐ノ依はぱっと顔を上げるとリクオの手を掴んだ。
「自分も、行きます」
「よし」
ニッと笑ったリクオが狐ノ依の頭を撫でる。正しい選択が出来た、ということなのだろうか。
狐ノ依は複雑な思いの中、それでも嬉しくなるのを感じて耳を揺らした。
・・・
乗るのは二度目、空を浮く舟に乗る。
ここにいるのはリクオと狐ノ依、そして玉章と獺祭のたった四人。
リクオは奴良組の者に指示だけ出して、連れて行こうとはしなかった。
「いいのかい?大事な下僕をそっちに回すなんて」
「奴等の役目は重要だ。必ずやりとげてもらう」
首無や黒田坊、青田坊…リクオの信用を得ているもの達はそれぞれ他の組についている。
付け足すように玉章が小さく「過保護な奴良組」がと言ったのは、リクオの行動を意外に思っているからだろう。
「リクオ…君は強くなったらしい」
「それを言うならお前もだろ、玉章」
「ふふ、どうかな」
ふっと笑って玉章の細い指が抱きかかえる子犬を撫でる。
前に比べて心に余裕が出来たのか。そんな玉章に、リクオも頬を緩めた。
「なぁ、オマエってあれだろ?伝説の妖狐ってヤツ」
ふと、視界に入らない所で聞こえた低い声にリクオはぱっと振り返った。
今回初めて関わることになる獺祭が狐ノ依の頭をぽんぽんと叩いている。
「確かにボクは妖狐ですが…」
「ってこたぁ、リクオはやっぱ強ぇってことか」
すっかり忘れていたその伝説の真実。
狐ノ依は思わずリクオに視線を移して、そわそわと自分の手を擦らせた。
「…狐ノ依?」
「あの、リクオ様。一つ…いえ、二つ話しておきたいことがあります」
不思議そうにしている獺祭の横を通り過ぎて、リクオの正面に立つ。
リクオの傍に立っていた玉章の視線に対して、狐ノ依は小さく頷いて聞いて構わないことを伝えた。
「…まず、妖狐についてなのですが…。言い伝えられていることは事実ではありません」
リクオと玉章、それに今まさにその話をしていた獺祭は皆総じて目を見開いた。
「弱い妖狐が強い妖怪に守ってもらう…その為に自ら決めた事だったそうです」
「じゃあ、強い妖怪の元に現れるってのは」
「間違ってはいませんが、強い妖怪を選んでいただけ、です」
しかも狐ノ依の場合は妖狐自身が選んだというわけでもない。鴆がリクオの元へ置いてくれただけ。
狐ノ依はそれについては口を噤み、そして獺祭を見上げた。
「希少なのは間違いありませんが、奴良組には、もう一人ボクの兄がいます」
「兄?血ぃ繋がってんのか?」
「はい。子を産んだら死ぬ…というのも絶対ではないんです」
へぇ、と声を上げたのは玉章だった。
やはり、あまり知られていないのだろう。だからこそ“伝説”というのだが。
「それで…もう一つなんですが」
奴良組を出発する前、その兄が声をかけてきた。
その内容は狐ノ依にとっても驚きであったが、リクオにとっては大きく影響する事かもしれない憶測だった。
「羽衣狐が、復活しているかもしれないと」
「羽衣狐が…!?」
羽衣狐といえば、嘗て共に遊ぶ中だった少女…もとい、鯉伴の愛した妖怪の姿をしている、晴明を産んでしまった妖怪だ。
しかし、記憶は曖昧になっているようで、リクオや狐ノ依を愛でるような様子も見せ消えて行った。
「どうして分かった?」
「兄がそう言っていたので…恐らく真実かと」
「そうか…」
「あと、羽衣狐の存在が分かれば、何も言わずに奴良組を去るとも」
妖狐が奴良組にいる期間はまだ長くない。
狐ノ依自身、兄が奴良組を去るということには大して思うことはなかった。
リクオもそれは同じなのだろう、小さく頷くだけで特に反応は無かった。
「へぇ、今奴良組には二匹も妖狐がいるのかい」
「そうだが、狐ノ依はやらねーぞ」
「残念」
眉を下げて言う玉章はどこまで本気なのか。
狐ノ依は戸惑いながら、頬を触る玉章の指から逃れるように身を引いた。
「リクオ…それでも君が狐ノ依を大事にしないようなら、奪い取ってでもものにするよ」
「…玉章」
ぽつりと耳打ちされた言葉に、リクオは体を強張らせる。
それに気付くことが無かった狐ノ依は、九州の空から姿を見せる大蛇に目を奪われていた。
狐ノ依はというと、目を覚ましたはいいがリクオに留守番を頼まれて部屋にちょこんと座っていた。
「…」
いざこうして放り出されると何をしたら良いやら分からなくなる。
「リクオ様、心配してたな…」
こうして思い悩んでいることさえも、リクオの迷惑となってしまう。
狐ノ依は暫く何もせずにふらふらと横に揺れて、それからぱたんと倒れた。
(リクオ様の…奴良組の為とか言って、心配かけて)
横になったままばたばたと手足を動かす。暫くそうしてから、狐ノ依は寝起きかのようなぱっとしない顔で起き上った。
襖を開けると、沈みつつある夕日の眩しさが目に染みる。
「頭、冷やそう…」
きょろきょろと左右を確認、そこに誰もいないことが分かると、狐ノ依は縁側からぴょんと飛び降りた。
小さな狐の姿に変わって走り出せば、誰にも見つからずに出て行くことなど簡単だ。
頭をクリアにする為、ちょっとだけ奴良組から離れて一人に。
そう考えた狐ノ依の足は、迷いもなくひたすら走り続けた。
「おや、君は…」
まだそう遠くに行っていない、本家が目に見える位置。
穏やかな声が聞こえたのと同時に、狐ノ依の頭上に影が出来た。
「何故こんな所に一人で…。もしやお出迎えかい?」
ふっと笑いながら狐ノ依へと差し出された手に触れた瞬間、狐ノ依は毛がぶわっと逆立つような感覚を覚え、咄嗟に人型へと姿を変えた。
高さがその声の主と近くなり、見上げずとも顔が覗ける。
「あ…貴方は…!」
記憶にしっかりと残っている。忘れられるはずもない、一時的に狐ノ依が傍で仕えた妖怪。
「玉章様…!?」
「ふっ…もうボクは君の主ではないよ」
慣れた呼び方で呼べば、ふっと頬を緩めて笑う。
こんな玉章の姿は見たことがない。腕に抱く犬からも感じられるように、この人はリクオとの戦いの後随分と変わったのだろう。
「な、何故…ここに?」
「主に聞いていないのかい?奴良リクオに呼ばれて来たんだよ」
「そう、なんですか…」
一人で学校に行ったと思いきや、まさかそんな事もしていたとは。
狐ノ依は何も知らない事に少し頬を膨らませた。
「ところで君は、少しやつれたか…元気がないようだね」
「そう見えますか…?」
「見えるよ。奴良リクオには可愛がってもらえていないのかい?」
「いえ、リクオ様は優しい方です」
狐ノ依のはっきりとした返答に、玉章は少しつまらなそうに眉を寄せて。
しかしそんなことはもろともせず、といった様子で狐ノ依の頬に手を這わせた。
「こうして会話してくれるということは…ボクは君に嫌われてはいないのだね」
「…考えたこともありませんでした」
「それは興味もなかったということかな」
「そんな、つもりは…」
じっと見つめられると、どうも緊張してしまう。
原因は玉章の整った容姿と鋭い目だろうか。以前よりも穏やかな表情であることに変わりはないが、やはりその目には強い心が宿っている。
「ボク…悩んでいるんです。リクオ様の傍にいたいけど、妖狐としての役割はそうでない気がして…」
「それは、誰かに言われて?」
「い、いえ…。ふと、そう思って」
ぽつりぽつりと、その強い目と妖気に乱されたのか、狐ノ依は思いを告げていた。
この人ならば求める答えをくれるかもしれない。なんて、本当は誰でも良かったのかもしれないけれど。
「君がボクの元に来たとき、あれは自分の意思だったのだろう?」
「え、…はい」
「それと同じだ。妖狐に行動を支配される言われはない。したいようにすれば良い」
確かに今までは好きなようにしていた。
しかし、それでは駄目だと思ったのだ。奴良組の妖怪として、そう考えるならば。
やはり納得できない。
狐ノ依はむ、と唇を尖らせて首を横に振った。
「…君は、答えが欲しいのではないね。お前は正しいと言って欲しいだけだよ」
「そ…う、なのでしょうか」
「この際、奴良リクオの元を離れてボクのところに来たら良い」
「はい…?」
狐ノ依の頬に触れる手がすすっと着物にまで降りた。
着物がさらりと肌蹴て、背中に触れた玉章の手が狐ノ依をとんと押す。
触れた肌はやはり以前とは違い、犬の匂いと温もりが感じられた。
「ねぇ、ボクは結構君のことを本気で欲していたんだよ」
「…そんなこと、言われても…。リクオ様を裏切っては元も子も」
「ボク等は敵じゃない…」
「あ…っ」
つんと胸に触れた指が狐ノ依を刺激した。
久しぶりの熱を与える触れ方に、狐ノ依の頭はぼうっとして、それでも駄目だとまた首を横に振る。
「駄目です、こんなことは尚更…」
「ん?可愛がってもらっていないというのは間違いじゃないようだね」
「あ、わっ、」
ぞくっと体に走る感覚に、狐ノ依は玉章の着物を掴んだ。
腰が押し付けられて、刺激にどうしても体が疼く。
熱さに思いや欲を吐き出してしまいたくなる。いろんな感情を、もどかしい思いを。
「触っていいかい…?」
「んん…っ」
「狐ノ依?」
耳に息がかかる。狐の姿だったなら、ぶわっと毛が逆立っていただろう。
震える体に、歯がかちかちとなって。耐えきれなくなった熱い息が狐ノ依から吐き出される。
もう、どうにでもしてくれ。そう叫びかけて、狐ノ依ははっと目を見開いた。
「駄目です…!」
心が弱っているせいだろうか、こんな誘惑に負けそうになるなんて。
真っ赤になった顔を玉章から逸らし、狐ノ依は体を捻って玉章の腕から逃れた。
「やはり、ボクでは嫌か…」
「玉章様こそ分かっていないんです。ボクは…汚いのに」
「汚い?」
「あ…」
思わず出てしまった言葉に、狐ノ依は口を押さえて様子をうかがうように目だけを玉章へ向けた。
忘れようとしても消えない記憶。
あれ以来触れられていない体は、きっと汚れきったままだ。
「汚くないよ。どうしてそんなことを言うんだい」
「汚いんです…。本当に、駄目なんです」
「分からないな。君はこんなに綺麗なのに」
空気に晒された肌に玉章が手を伸ばす。
それから逃れるように狐ノ依はぱっと後ろに飛び退いて、肌蹴た着物を直した。
「それが理由で奴良リクオは君を可愛がらなくなったのかな」
「え…?」
下ろしていた犬を抱き上げながら、玉章の声が低く響いた。
ざわざわと妙な雰囲気が辺りを包むのは、玉章の引きつれてきた四国妖怪がいるからだろう。
熱くなった体はさっと冷えて、狐ノ依は思わず自分の腕を抱いた。
「ち、がいます…別に、リクオ様がボクをとか…そういうことではなくて」
「ボクなら、君が近くにいて触れずにはいられないんだけど」
「も…いい加減にして下さい…」
やはりこの人は意地悪だ。
狐ノ依は軽く上目で睨みつけてから、本家の方へ向きを変えた。
「見ていて飽きないな、君は」
くっくと笑う玉章は、もう狐ノ依に手を出す気はないらしい。足音も立てずに後ろをついて来る。
ていうか、やっぱり意地悪しただけだったのかこの人は。
そう思うと腹が立つ反面、彼の口から出た言葉はあながち間違いとも思えなくて。
「リクオ様はお忙しくて…ボクに、構ってはいられないんです」
言い聞かせるように零した言葉に、玉章は何も言わなかった。
「だからボクも…リクオ様の為に出来ることをしたいんです」
「…それで?」
「その先は…まだ考え中です…」
本当はリクオの傍から離れたくなんてない。
ふと、どうしてこんなことをしているのだろうと考え出したら止まらなくて、抱き着きたくて仕方なくて。
それでも、今後ろを歩く玉章が現状を表している。
これからの闘いは、奴良組だけでは済まない、今までとは規模が違うのだ。
「それで、君は平気なんだ?」
「…」
「辛いなら、ボクのところにおいで。本当に」
揺らぎそうになるのは自分の意思が弱いからか、それともリクオを思う故か。
玉章の言葉を真に受ければ受ける程、胸が締めつけられる思いがする。
玉章の言葉をどうにか頭から消し去りたくて、狐ノ依はぎゅっときつく目を閉じた。
きしきしと歩く度に音を立てる縁側を歩く。
学校に行って、友人達を家に招いた。それは、戦いの前にちゃんと顔を合わせて話したいと思ったからだ。
今まで妖怪であることを隠していたことへの謝罪。そして、信じ続けてくれた事への感謝。
清継も、カナも、皆リクオの事を分かってくれた。そこまでは良かったのだが。
「鴆くん、狐ノ依見なかった?」
「狐ノ依…そういや見てねぇな。最近元気無いようだったが、あいつぁ大丈夫なのか?」
「それが分からないから、話そうと思ってたんだけど…」
学校に行く前は部屋にいたはず。
しかし皆を連れてきてからさりげなく探していたが、姿はどこにも見当たらなかった。
「心配だな…。どこにいるんだろう」
それでなくとも、最近は様子がおかしくて不安なのに。やはり共に連れて行くべきだったのか。
嫌な想像ばかりが頭を巡って、リクオの顔が曇る。
「ちょっとボク、外見てくるね」
「おう、気を付けろよ」
すっと軽く手を挙げた鴆を横目に、リクオはばっと飛び出した。
狐ノ依が行きそうな場所…なんて心当たりの一つもない。
それもそうだ。狐ノ依のいる場所はいつでもリクオの傍だったのだから。
「もう傷つけない…そう決めたのに…っ」
目を離したら何が起こるか分からない。狐ノ依は、誰の目にも止まってしまう程の魅力を持っている。
そんなこと、疾うの昔から知っているはずなのに。
(いや、まだ何かあったとは限らない…)
今はとにかく狐ノ依を見つけなければ。
そうして家の外へ飛び出したリクオは、前方に見えた光景にぴたりと足を止めた。
「また君に会うとはね…。今回はお呼び頂き光栄だよ」
「…玉章」
ぞろぞろと背後に妖怪を引き連れて立っているのは、嘗て戦った四国八十八鬼夜行の主、玉章だ。
そして何故かその隣にいるのは、今まさに探していた狐ノ依。
「どうして妖狐がボクと共にいるのか、聞きたげな顔だね」
「…」
「別に何もないよ。安心していい」
さぁ戻りな、と玉章が狐ノ依の背中を押す。
それに対し、狐ノ依は少し躊躇う様子を見せながらリクオの方へ戻った。
「あの…偶然、玉章様を見つけてそれで…」
「(…様、か)」
「でも、勝手に出て行ったのは…すみませんでした…」
「…いや、いいよ」
どうしてか狐ノ依と視線が合わない。
リクオは今まで感じていた不安を更に大きくして、狐ノ依に伸ばしかけた手を引っ込めた。
今は狐ノ依の事よりも、三代目として玉章を招かねばならない。
そう心に訴えかけ、視線を狐ノ依から玉章へ移し、顔つきも三代目としてのものに変える。
「よく来てくれた…四国の者。今回、君達は客人だ」
昼の姿でありながら、リクオの纏う雰囲気は夜の姿と大差ない。それに気付き玉章はふっと笑い、こちらにと言って歩き出すリクオに続いた。
「会議の時間まで、ここでお待ちいただきたい」
「狐ノ依を置いて行ってくれると嬉しいのだけど」
「…」
「冗談だよ。ここで待とう」
すっすと足音立てずに部屋に入る玉章は、リクオに無い優雅さを持っている。
以前より纏う雰囲気が穏やかに見えるのは、きっと気のせいではないのだろう。
リクオはぱたんと襖を閉めると、振り返って狐ノ依を見た。
「…狐ノ依は、玉章の傍にいたかった?」
「いえ。リクオ様の傍に」
「そう、だよね」
こんな確認を狐ノ依にしなければならないなんて。
リクオは自分の発言に溜め息を吐いて、狐ノ依の横を通り過ぎた。
とぼとぼと後ろをついてくる狐ノ依の様子は、今までに増して一番あからさまだ。
何やら思い詰めた表情を隠せていない。
「…狐ノ依、話をしようか」
「え、自分、ですか」
「うん。入って」
いつも二人で過ごした部屋をリクオが指す。
狐ノ依は不安やら動揺やら、いろんな気持ちを胸に抱えながらリクオに続いた。
こうして部屋に二人きりになる事さえ久々に思える。
しかし、甘さを含むものではない。
胡坐をかいて座ったリクオの正面で、狐ノ依もきちっと正座をした。
「狐ノ依、何を考えているのか聞かせてくれる?」
座ってすぐ。
狐ノ依はリクオから問われた内容に、思わず口を噤んだ。
「今日一人で出て行ったのも、ここ最近ボクから離れようとするのも…全部何か考えていることがあるからだよね」
「…」
「狐ノ依、お願い。教えて」
耳をぴんと立てて、目を丸くする。
余りにも露骨な態度も、本人にとってはそれ程だったのかと思う程度の事。
狐ノ依は自分の行動を思い返しながら、どう答えたらいいか迷っていた。
「ボクだけじゃない。つららも、鴆君も、イタクだって気にしてたんだ」
「す、すみません…」
「謝らなくていいから」
確かに、イタクやつららの前では少し本音を漏らしたかもしれない。自分の役目が何か、と。
リクオに聞けば、恐らく自分の傍にいればいい、そう言ってくれるだろう。
しかし、それじゃ納得出来ないのだ。
そんなことを考え、きゅっと唇を噛む。
すると、リクオの方が先に口を開いた。
「狐ノ依…。ボクの事、嫌いになった?」
「は、…え?」
「守ってあげられなかったから…置いて行ったから…」
「ち、違」
リクオの手が狐ノ依の肩をぎゅっと掴む。
見慣れない切羽詰まったような表情に、狐ノ依はただただ言葉を失ってしまった。
「狐ノ依をあんな目に合わせて、どうしたら良いか分からなかったんだ」
「り、クオ様…」
「許せなくて、苦しくて。でも、そんな思いで狐ノ依に触れても、狐ノ依を怖がらせちゃうかもしれない…」
狐ノ依の腕を掴む手が震えている。
まさか、リクオがそんな事を考えていたなんて思いもしなかった。そんな、有り得もしない事を。
(ボクがリクオ様を嫌いになるなんて…有り得ないのに)
狐ノ依は体を前のめりにさせると、リクオの頭に頬を寄せた。
「自分はリクオ様をお慕いしています。その気持ちに変わりはありません」
「じゃあどうしてボクから離れようとするんだよ…」
「それは…」
しかしどうしても狐ノ依の言葉はそこで詰まる。
優しくしたいリクオと、その優しさ故に思いを隠す狐ノ依。
ぎゅっと抱き締めあったまま続く沈黙に、リクオは乾いた笑いを漏らした。
「ごめん…」
「ど、どうして、謝るんですか。悪いのは全部…」
「狐ノ依の考えは狐ノ依のものだよ。でも、一つだけお願い…」
そこで一度リクオは言葉を止めて。
顔を上げて視線を交えると、再び言葉を続けた。
「いなくならないでくれ…」
冗談なんかじゃない。リクオは本気でそれを願っている。
狐ノ依はリクオの頬に手を重ねて、今にも泣きそうな顔で笑った。
「…ボクの場所はこの奴良組だけです」
喉がからからになって声が掠れる。
聞いたことのないリクオの弱気な声に、もうそこまで思いが込み上げていて、それでも何とか呑み込んだのは正しかったのか、間違いだったのか。
「ボクの隣、とは言ってくれないんだね」
ぽつりと耳元でリクオが呟く。
違う、そうじゃない。そうじゃないのに。
「リクオ様こそ、ボクを信じて下さい」
「信じたいよ…」
かみ合わない事がこんなに辛いなんて。
狐ノ依は肩を掴むリクオの手を剥がすと、その手を顔に近付けた。
「何か誓いを立てましょう。自分にはリクオ様だけ…そう、リクオ様が信じられるように」
「…ボクの血を飲んで。口に含むのは、ボクのだけ」
リクオの指が狐ノ依の口に差し込まれる。
狐ノ依は潤む瞳でリクオを見つめたまま、ぷつっと指に歯を立てた。
これで良かったのだろうか。こんな形で繋がることが、本当に必要だったのだろうか。
この時だけは、二人の思いは同じだった。
「国内17地方総元締のみなさま、及び構成員500匹以上の大組織のみなさま。高い所から甚だ失礼いたしやす、奴良組三代目奴良リクオでございます」
会議はこのリクオの言葉から始まった。
大広間から庭まで百鬼夜行だらけになっているのは、リクオのその言葉通りにたくさんの妖怪を集めたからだ。
その中には勿論玉章も含まれている。
「今夜お呼びしたのは他でもない。清浄のことでございます」
かつて鵺が行った、人と妖の大粛清。
それが数日のうちに再び始まると思われる。
「阻止する為には安倍晴明と戦って勝たねばならない。だからこそ、我々は手と手を取り合う必要がある!」
一度安倍晴明を垣間見ているリクオだからこそ分かる。晴明は個々に戦って倒せる相手ではないと。
しかし、そこにいる小さな子供、奴良リクオの言う事を受け入れるものは少なかった。
「奴良組は鵺に臆したということだな?」
「ぬらりひょんはどうした?貴様では話にならん!」
「関東妖怪もおちたもんじゃのう…」
ぽつりぽつりと、次第にざわざわと、集められた者達が口を開き始める。
リクオの傍にひかえていた狐ノ依は、ちらとリクオの姿を確認して眉を寄せた。
「…リクオ様」
「狐ノ依、大丈夫だよ」
「…」
まだ何も言っていないのに、リクオは小さく首を振った。黙って見ていてくれ、そう目が言っている。
妖怪の前に立つには、やはり妖怪の姿であった方が良いのでは…、狐ノ依はそう言おうとした口を噤んだ。
「おだまんなさい。今はボクが三代目だ」
リクオの気持ちは妖怪達に一切負けていなかったのだ。
その言葉の強さと力強い眼差しに、妖怪達がじりっと後ずさる。
そんな中、甕の酒を呑んでいた男がふっと笑った。
「なぁ、オレにはあんたらの方が臆してるように見えるぜ」
酒呑愚連隊の若頭の獺祭(だっさい)。
剃り残された髭に、適当に崩された胡坐から不真面目そうに見えるが、彼は真剣な眼つきでリクオを見ている。
「こんだけ妖集めてガキが大見得切るなんざぁ…意思のでかさが成せる業ってね」
文句を叩く妖怪達に向けられたその言葉。
一瞬しんとしてから再びざわつき出す妖怪達に、今度は玉章が言葉をこぼした。
「ね…間違ってる?あの酔っ払いも、リクオの言っていることも」
穏やかな物言いに反し、纏う雰囲気は上品故に不気味だ。
「見た目は頼り無いかも知れないけどね、筋は通っているだろう?」
それこそ筋の通った一言に、玉章の傍にいた妖怪は皆俯き言葉を失った。
リクオの言葉が受け入れられる空気が出来上がっている。リクオはそれに気付いて先程より声を張った。
「あっしらには守るべきものがあるはずです。そのために先頭きって身体張るのが妖怪任侠の主なんじゃあないですかい」
人間の子供の姿でありながら、今のリクオはそれと全く違う。
狐ノ依はぶるっと身体が震えるのを感じながら、リクオをじっと見据えた。
そのリクオが頭を深々と下げる。
「群れようとも、百鬼に加われとも言っていない。ただ晴明を倒すために力を貸していただきたい!」
今度はもう、言い返してくるものは誰一人としていなかった。
安堵もあって、奴良組の者達は緊張を解き息を漏らす。
その直後。庭にどさっと何かが落ちた。
「リクオ様に…ご報告を…」
よろよろと、そこから出てきたのはカラス天狗だった。
「九州の九十九夜行に伝達された者です…。九州の妖が壊滅に瀕しちまった…!」
焦り故か、早口にそう告げられる。
とはいえはっきりと簡潔に伝えられたその事実に、辺りの空気は一転した。
「まさか、もう始まっているのか…!?」
そういえば九州の妖怪の姿が見えていない。
九十九夜行といえば西の最大勢力ともいえる存在だった。
それを知っているからか、嫌な予感に皆の顔が恐怖と焦りに歪む。
その中、静かにリクオが立ち上がった。
そのまま妖怪達の群れを抜けて、彼等を凛とした表情で構える。
「奴良組の面々は待て!戦況の変化に備えろ!」
その声はビリリと響き渡った。
「これよりオレは九州に向かう!誰かオレと先陣きりてぇ奴はいるか!」
リクオの言葉に、空気が再び変わる。
状況は変わった。しかしまだリクオに従うのを躊躇うといった感じだ。
じっとリクオを睨むような視線で凝視する妖怪達の中、狐ノ依は顔を落とした。
「ついてくる奴ぁ、宝船に乗れ!」
もう一度、胸に刺さるような強い言葉が妖怪達に向けられる。
立ち上がったのは玉章と獺祭の二人だった。
リクオの方に向かう獺祭に対し、玉章は狐ノ依を振り返っている。
「君は?まさかここで待っているつもりなのかい?」
「え…、ボク、ですか」
だって、奴良組は待てと、そう言われたはずだ。
いや、それだけでなく迷いがある事に変わりはないが。
「ぼ、くの…自分の力は治癒能力で…戦いには…」
「治癒?その力で主以上に守りたいものがいるとでも言うのかな」
「それは…!」
そんなもの考えるまでもない。リクオ以上のものなどあるものか。
自分の心に従うのなら、迷うことなくリクオについて行く。
「…ですが、ボクは…足手まといになります。そして傷付けば元も子も…」
「君の知らない所で主が傷ついても良いと?」
「…っ」
狐ノ依は思わず息を止め、向こうに見えるリクオに視線を送った。
リクオもそれに気付いたのか、狐ノ依を見つめ返してくる。
「狐ノ依」
リクオの声は、今までの凛としたものと違って優しいものだった。
呼んでいるともとれるし、諭しているようにもとれる。
狐ノ依は暫く迷ってからリクオに向かって足を進めた。
「リクオ様」
「命令はしねぇ」
「…」
来い、と一言くれれば良いのに。リクオは狐ノ依の決断を待っている。
つまり、リクオは狐ノ依に対しては“待て”というつもりも無いのだろう。
「…」
なら。
狐ノ依はぱっと顔を上げるとリクオの手を掴んだ。
「自分も、行きます」
「よし」
ニッと笑ったリクオが狐ノ依の頭を撫でる。正しい選択が出来た、ということなのだろうか。
狐ノ依は複雑な思いの中、それでも嬉しくなるのを感じて耳を揺らした。
・・・
乗るのは二度目、空を浮く舟に乗る。
ここにいるのはリクオと狐ノ依、そして玉章と獺祭のたった四人。
リクオは奴良組の者に指示だけ出して、連れて行こうとはしなかった。
「いいのかい?大事な下僕をそっちに回すなんて」
「奴等の役目は重要だ。必ずやりとげてもらう」
首無や黒田坊、青田坊…リクオの信用を得ているもの達はそれぞれ他の組についている。
付け足すように玉章が小さく「過保護な奴良組」がと言ったのは、リクオの行動を意外に思っているからだろう。
「リクオ…君は強くなったらしい」
「それを言うならお前もだろ、玉章」
「ふふ、どうかな」
ふっと笑って玉章の細い指が抱きかかえる子犬を撫でる。
前に比べて心に余裕が出来たのか。そんな玉章に、リクオも頬を緩めた。
「なぁ、オマエってあれだろ?伝説の妖狐ってヤツ」
ふと、視界に入らない所で聞こえた低い声にリクオはぱっと振り返った。
今回初めて関わることになる獺祭が狐ノ依の頭をぽんぽんと叩いている。
「確かにボクは妖狐ですが…」
「ってこたぁ、リクオはやっぱ強ぇってことか」
すっかり忘れていたその伝説の真実。
狐ノ依は思わずリクオに視線を移して、そわそわと自分の手を擦らせた。
「…狐ノ依?」
「あの、リクオ様。一つ…いえ、二つ話しておきたいことがあります」
不思議そうにしている獺祭の横を通り過ぎて、リクオの正面に立つ。
リクオの傍に立っていた玉章の視線に対して、狐ノ依は小さく頷いて聞いて構わないことを伝えた。
「…まず、妖狐についてなのですが…。言い伝えられていることは事実ではありません」
リクオと玉章、それに今まさにその話をしていた獺祭は皆総じて目を見開いた。
「弱い妖狐が強い妖怪に守ってもらう…その為に自ら決めた事だったそうです」
「じゃあ、強い妖怪の元に現れるってのは」
「間違ってはいませんが、強い妖怪を選んでいただけ、です」
しかも狐ノ依の場合は妖狐自身が選んだというわけでもない。鴆がリクオの元へ置いてくれただけ。
狐ノ依はそれについては口を噤み、そして獺祭を見上げた。
「希少なのは間違いありませんが、奴良組には、もう一人ボクの兄がいます」
「兄?血ぃ繋がってんのか?」
「はい。子を産んだら死ぬ…というのも絶対ではないんです」
へぇ、と声を上げたのは玉章だった。
やはり、あまり知られていないのだろう。だからこそ“伝説”というのだが。
「それで…もう一つなんですが」
奴良組を出発する前、その兄が声をかけてきた。
その内容は狐ノ依にとっても驚きであったが、リクオにとっては大きく影響する事かもしれない憶測だった。
「羽衣狐が、復活しているかもしれないと」
「羽衣狐が…!?」
羽衣狐といえば、嘗て共に遊ぶ中だった少女…もとい、鯉伴の愛した妖怪の姿をしている、晴明を産んでしまった妖怪だ。
しかし、記憶は曖昧になっているようで、リクオや狐ノ依を愛でるような様子も見せ消えて行った。
「どうして分かった?」
「兄がそう言っていたので…恐らく真実かと」
「そうか…」
「あと、羽衣狐の存在が分かれば、何も言わずに奴良組を去るとも」
妖狐が奴良組にいる期間はまだ長くない。
狐ノ依自身、兄が奴良組を去るということには大して思うことはなかった。
リクオもそれは同じなのだろう、小さく頷くだけで特に反応は無かった。
「へぇ、今奴良組には二匹も妖狐がいるのかい」
「そうだが、狐ノ依はやらねーぞ」
「残念」
眉を下げて言う玉章はどこまで本気なのか。
狐ノ依は戸惑いながら、頬を触る玉章の指から逃れるように身を引いた。
「リクオ…それでも君が狐ノ依を大事にしないようなら、奪い取ってでもものにするよ」
「…玉章」
ぽつりと耳打ちされた言葉に、リクオは体を強張らせる。
それに気付くことが無かった狐ノ依は、九州の空から姿を見せる大蛇に目を奪われていた。