リクオ夢(2011.10~2015.03)
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カタンカタンと音を立てながら景色が目まぐるしく変わる。
慣れない電車に乗っている狐ノ依は時折大きな音に体を震わせながら、上目で前に座る花開院竜二を見ていた。
それが警戒心故と分かっているのだろう、竜二は気にすることなく目を窓の外に向けている。
ちなみにその窓の向こうには電車に乗っていることが煩わしくなったリクオとイタクと釣られたつららが走っている。
「…お前はいいのか?」
「はい…?」
「電車に乗っていて」
「走った方がいいですか?」
小さく「いや」と否定して笑った竜二は、むしろ外をわざわざ走るリクオ達を馬鹿にしているように見える。とはいえ今の状況的にどう考えてもおかしいのはリクオなのだから何も言うまい。
何故電車に乗っているのかというと、先日にさかのぼる。
意識を取り戻したリクオの元にやってきた竜二の言葉「祢々切丸が完成したから恐山に向かう」というのが全てだ。
「妖狐にとっては主が絶対だと思っていたんだが」
「それはそうですが…。一緒に走ろうとは言われてませんし」
「…へぇ」
元々妖怪だけなら電車は乗らなかっただろう。
しかし昼から出発した為に、リクオは人の姿だったし、当然竜二は人だ。となれば電車の方が速いのは確認するまでもない。
途中で日が落ちて、何を思ったかリクオも外に飛び出したのだが、狐ノ依はそれに従おうとは思わなかった。
(少しずつ…こうして意識を離していけばいい)
いつでも絶対傍に。今まで通りの気持ちでは奴良組の為に生きていけないから。
「むしろ、あなたはよくボク達に同行しましたね」
「鵺を倒すのにあいつの力が必要だということくらい弁えてる。癪だがな」
「そうですか…」
初めて会った時にはリクオに攻撃をしかけてきた陰陽師が。
という気持ちは多少なりともあるが、狐ノ依は普段と違う黒髪を揺らして椅子にもたれかかった。
暫くして、リクオの手招きを見た狐ノ依と竜二は電車を降りた。
見覚えのある森と山がそこに見える。
「リクオ様、ここは…」
「あぁ、遠野だ。じじいが赤河童に御門院について聞けとすすめてきた」
「御門院…ですか」
百物語組の圓潮と共にいた陰陽師。遠野に寄った理由はその真相を探ることにあるようだ。
なんて少し真面目なことを考えた狐ノ依の肩に回された腕とかかった重さ。
「よ!久しぶりだなぁ!」
「淡島さん…?」
横を向けばすぐ近くに淡島の顔があった。
後ろにも雨造やら冷麗やら、懐かしき遠野の面々が見える。
「リクオ、お前最近全然修業にこねーじゃねーか!しっかり準備しといたぜ!」
「準備…?」
「宿だよ!今日泊まりだろ?」
ばっと広げた淡島の手の方を見れば、少し古臭いがしっかりとした建物がそこに建っている。
「狐ノ依、一緒に寝ようなー!」
「え、えっとそれは」
「気にすることないだろ?オレ達同類じゃん!」
「淡島、狐ノ依を困らせるな」
リクオが割り込んで二人を引き剥がすと、更に淡島がぎゃんぎゃんと騒ぎ出す。
それにイタクは頭を痛そうに抱えているが、狐ノ依はじゃれ合う二人の様子を微笑ましく見ていた。
「狐ノ依…あなたどうしてそんなに平気そうなの…」
「え、何が」
「何って、あの淡島って子のことに決まってるでしょ…!」
狐ノ依に囁きかけるつららの目の先には淡島。というより淡島と、くっつかれているリクオだ。
そのつららが考えていることが分かり、狐ノ依はふっと笑った。
「淡島さんはどちらかといえば男の子だよ」
「あ、あなたがそういうこと言う?」
「何か変なこと言ったかな」
「…この前からちょっと変よ」
つららが心配そうに狐ノ依を覗き込む。
それを笑って受け流すと、狐ノ依は先に建物に入ろうとしているリクオ達の後を追うように駆け出した。
・・・
淡島に誘導されるがまま、狐ノ依達はそのまま広間へ連れて行かれた。
赤河童は残念ながら今は寝込んでいるらしい。代わりに竜二から祢々切丸の話を聞いて時間を費やした後、狐ノ依は敷かれた布団の上で横になっていた。
元々鵺切丸という名を持っていた刀、祢々切丸。花開院の“打倒・鵺”の精神と歴史が刻まれた刀といっても過言ではない。
「まさか…陰陽師と共闘する日が来ようとは」
花開院の娘、ゆらを敵対視していた頃が遥か昔に感じられる。
暗い部屋に一人。少し肌寒く感じながら、狐ノ依はもぞもぞと寝返りをうった。
「狐ノ依ー、起きてるか?」
「…!?」
とんっと壁が叩かれ、返事も待たずに扉が開く。
様子をうかがうように小さく開かれた隙間から覗くのは、淡島の目だ。
「淡島さん…?」
「なんだ、起きてたか。寝顔もついでに拝もうと思ったのに」
相変わらず調子の良い声を少し抑えて、淡島は部屋の中に入って来た。
どうしたのだろうか、淡島がここに来た理由が分からず狐ノ依の耳が揺れる。
淡島はそんな狐ノ依を見てニッと笑うと、手を差し出した。
「…なんでしょう?」
「いいから、ちょっと来いよ。いいもん見れっからさ。多分」
「多分、ですか」
少し怪しげに感じながらも、狐ノ依は淡島の手を取って立ち上がった。
速足に部屋を出て、長い廊下を歩いて行く。
「あの、どこへ向かうのですか?」
「んー?外だよ」
「外?こんな時間に…?」
「まー、直に分かるって」
言葉通りに外に出ると、狐ノ依の体に冷たい風が吹き付ける。
無意識に着物ごしに肌を擦り辺りを見渡すと、そこに遠野の見知った軍勢が集まっていた。
「な、何をしているんですか。皆さん揃って…」
「お!狐ノ依来たかー」
こっちこっちと手招きしている雨造に恐る恐る近付く。
雨造に冷羅に淡島。そこにイタクがいないこともリクオがいないことも気になってしまう。
「そんな不安そうにするなよー!大丈夫だって」
「そうは言われましても…」
「ちょーっとリクオを試してるだけだからな!」
雨造の一言に、その場の空気が変わった。
目を大きく開く狐ノ依。雨造を睨み付ける淡島と冷羅。
「狐ノ依には言うなって言っただろ!」
「だ、だって狐ノ依が困ってたからー…」
「それ言ったら余計に困らせんだろーが!」
淡島がばしばしと雨造の背中を叩く。
冷羅はそんな二人を見てため息を吐くと、狐ノ依の手を取り優しく擦った。
「大丈夫よ、狐ノ依。そんなに危ないことじゃないから」
「…」
リクオと別の部屋。狐ノ依だけ誘い出された。以前に来た時にも味わったことだ。
修業を続けるリクオを、狐ノ依は見ていることしか出来ない。
「ごめんね、騙したわけじゃないのよ」
「いえ、…リクオ様の為に、有難うございます」
「あら」
優しくも冷たい手を握り返し、頭を下げる。
そんな狐ノ依に、今度は冷羅が目を丸くすることになった。勿論、淡島も雨造も。
「な、なんだぁ?狐ノ依、お前変わったなぁ」
「もっとリクオ命で過保護な奴だと思ってたけど」
「…ボク、そんなに変ですか?」
つららにも変だと言われた今のこの態度。
自分の本心は別として、リクオの為にはこうした方がいいはずなのだ。
狐ノ依の耳がしゅんと折れる。それを見た二人は慌てて狐ノ依に近付いて来た。
「変なわけねーだろ!むしろ前までのが変だったっつか」
「安心したくらいだよなぁ?」
「おう!リクオだって、随分強くなったみてぇだし?」
ちら、と淡島が建物の方へ目を向けると、さっきまでいなかったイタクが立っている。
その後ろには若干疲労を顔に浮かべたリクオが立っていた。
「なんだよ…オメーら全員グルだったのか?」
「バーカ、ここは遠野だぜ?いつでも修業の場所だっつの」
リクオは、どうやらイタクの仕込んだ畏の中から抜け出してきたようだ。自らの力で。誰の助けも無く。
初めてここに来た時は、この遠野から抜け出すことも出来なかったのに。
「技の威力に頼りすぎて基本を忘れていないか、確かめさせてもらったぞ」
「ったく、いつまでも心配してんじゃねーよ」
「…だったらもっと早く出てこい!」
イタクとリクオの会話で実感する。
リクオには自由であって欲しい。危険だとか、離れたくないとか、そんな理由で縛れる存在ではないのだ。
「でも、ありがとよ遠野勢!やっぱいいなぁ、ここ!」
ここ最近で、一番良い笑顔が今この瞬間に見れた。それが何よりの理由だ。
リクオの素直な言葉に、照れ臭そうにする淡島や冷羅たちの横で、狐ノ依は目を伏せた。
「つかお前等、狐ノ依に何かしてねぇだろうな?」
「してるわけないだろ。なぁ、狐ノ依?」
「え、あ、はい」
「狐ノ依?」
しまった、ぼーっとしていた。
などと今更焦っても遅く、リクオが眉をひそめて狐ノ依の方に近付いてくる。
「もしかして、眠いんじゃないのか?」
「いえ、そんなことは」
「それでなくても最近はいろいろあったしな…。ったく、狐ノ依まで巻き込みやがって」
寝るようにあやしているつもりなのだろうか、優しい表情を浮かべたリクオが狐ノ依の背中をとんとんと一定の速さで軽く叩く。
「狐ノ依、お前は寝床に戻れ」
その言葉に他意はない。リクオは狐ノ依の体を心配してくれているのだ。
それは間違いないのに、狐ノ依の心がぐらりと歪んだ。
「…わ、かりました…。あの、失礼します」
「あ、狐ノ依!部屋まで送ってくぜ!」
後ろを向いた狐ノ依に淡島がくっ付いて来る。
本当は、リクオについて来て欲しかった。リクオと一緒に寝たかったなんて一度諦めたことを再び考えて。
狐ノ依はその気持ちを消し去りたくて、淡島の手を握り締めた。
「おい、リクオ。狐ノ依に一体何があった?」
狐ノ依と淡島が見えなくなった頃。
イタクは誰もが思う質問をリクオに向けた。
何があったかは知らない。しかし、イタクは狐ノ依の様子がおかしくなるのを確かに目で見たのだ。
「山ン本との戦いの時から、確実にあいつは変わったろ」
「オレが何かした…つもりは全くねーんだけどな…」
「それにしては、余りにも態度が露骨だったろ」
「…」
それでなくても、ここ最近以前のように二人でいられる時間が少なくなっているというのに。
いや、むしろそれが原因なのか?などと考えたところで、答えは狐ノ依の中にしかない。
「満足させてあげられて無いんじゃないの?」
「浮気したのか?」
「他の女の子に優しくしすぎ、とか」
じとっと言う目線にリクオが不服そうに唇を尖らせる。
そんなつもりは毛頭ないが、無意識にやらかした可能性はゼロと言えない。というか大いにあり得る。
「狐ノ依可哀相」
「オイラならもっと大切にしてやるのになァ」
「お前等な…」
もっと愛したいし触れたい思いはリクオにだってある。
とはいえ、個人的な都合を優先していられる状況でもないのだ。
「ったく…どうしたもんか」
リクオは困ったように眉を寄せながらも、遥か彼方、遠くを見ていた。
・・・
翌朝、早々にリクオ達は恐山に向けて出発した。
顔を見せた赤河童の手にあった、250年前に記されたとされる御門院家、歴代当主の姿。その中には、圓潮と共にいた陰陽師も変わらぬ姿でそこに書かれていた。
ただの陰陽師が何百年も生きていられるはずはない。
そこから予想されるのは、安倍晴明が人を延命させる呪術を完成させている可能性がある、ということだった。
「イタク、ついて来てくれてありがとな」
先を行くメンバーは変わらず、リクオと狐ノ依とつららと竜二とイタク。
イタクには遠野に残るという選択肢もあったが、それでもついて来ることを選んでくれた。
そして、変わらないことと言えばもう一つ。
「リクオ様…狐ノ依に声をかけたらいかがです?」
こそっと耳打ちするつららの目の先には俯き歩く狐ノ依の姿。
「結局昨夜は別々に寝たんですよね?」
「そりゃあまあ」
「遠慮しなくてもいいんですよ、もう。こんな調子の方が気掛かりで仕方ないです」
「まいったな…」
声をかけるも何も、こちらには心当たりがないのに何を言えというのか。
リクオは数回頭をかき、狐ノ依の横に並んだ。
「…狐ノ依、大丈夫か?」
「は…大丈夫、とは」
まぁ当然こうなるわけで。
リクオは何を言うか暫く考えてから口を開いた。
「御門院家、歴代当主が鵺の下についているかもしれない。話は分かっているだろ?」
元々狐ノ依は人間を好ましく思っていなかった。
その人間が長い時を生きていて、しかも陰陽師としての強い力を持って目の前に立ち塞がるかもしれないのだ。
「辛い戦いになることは避けられねぇだろうな…」
「いえ。相手が何であろうと、関係ありません。ボクは皆の為に力を使う、それだけです」
「…そうか」
リクオの心配は余所に、狐ノ依は言葉通りにけろっとした顔を見せた。
それなのに耳が頼りなく地に向かって下がっているというのは、明らかに何か考えているからだろう。
「…狐ノ依、もしかして血か?」
「え?」
「血が欲しいんじゃないか?」
リクオが狐ノ依の手を取って引く。すると、びくっと震えた狐ノ依の喉が上下に揺れるのが見えた。
可能性の一つを言ってみただけだが、あながち間違ってはいなかったらしい。
リクオは狐ノ依の口元へ手を差し出した。
「遠慮する必要はねぇよ。いざという時に狐ノ依の体力がないことの方が心配だからな」
「…いえ、血は…いざという時こそどうにでもなります、から」
「狐ノ依」
「い、いらないです」
顔を逸らした狐ノ依の喉の鳴りは本物だ。血は確かに欲しい。リクオのものなら尚更。
しかし、狐ノ依は一番初め、歯を立てることを嫌がった時のように頑なにリクオの血を拒んでいた。
「そうか…無茶すんなよ」
「大丈夫です」
そうなってはリクオも手を引っ込めるしかない。
再び俯いてしまった狐ノ依から離れると、それを見ていたつららが駆け寄って来た。
「…リクオ様、やっぱり狐ノ依に何かしたんじゃ?」
「他の奴等にも言われたよ…」
「山ン本との戦いが終わった辺りから、ずっとおかしいんですよ」
「…そうらしいな」
つららからの耳打ちに、更にリクオの眉間のシワは深くなる。
何故、急に狐ノ依が態度を変えたか。理由が自分にあるならば、はっきりと言ってくれたら良いのに。
「狐ノ依…」
「おい、ここが恐山だ」
からからと足元の小石を蹴飛ばしていた足が止まり、先を行くイタクが振り返った。
名に相応しく、異様な雰囲気漂う景色が広がっている。
「ここが…。秋房の迎えはねぇのか」
「連絡は一切ないらしい」
「登るしかねぇのか…」
ここで会えたならどんなに楽だったか。
リクオは重いため息を吐き出してから、後ろを歩く狐ノ依を振り返った。
「狐ノ依、疲れたら言えよ」
「はい」
再び足を進めて一歩一歩と先の目的地を目指す。
狐ノ依とは会話が出来ないわけではない。返事はいつも通りはっきりとしている。
分からないひび割れた関係に不思議そうにしながら、リクオは狐ノ依に背を向けた。
・・・
山を登り始めて暫く、狐ノ依がきょろきょろと妙な動きをし始めた。
「…狐ノ依、どうした?」
「あの、何やら妙なニオイと音が」
「ニオイ、と音…?」
言われてみれば、臭いまでは分からないが、辺りからざわざわと妙な音が聞こえている。風の音ではない、何か地面が動く音。
それにリクオ達が気付いた頃には遅く、土から出てきた骸骨に一面取り囲まれていた。
「リクオ様!?何ですかこれ!?」
「す、すみません、気付くのが遅くて」
「いや、狐ノ依は悪くねぇ。さすがは恐山…早速死霊のお出迎えってとこか」
「ちょ、ちょっと、そんな事言っている場合ですか!」
つららが焦るのも道理、リクオ達を囲んだ死霊は一気にこちらへと突っ込んできている。
それをイタクの刀が叩き斬ったはいいが、それで終わるはずもなかった。
「あ、あそこに人が…」
「人ぉ!?」
狐ノ依の指さす先、目で追えばいつからいたのか一人の人間が立っている。
なんでこんなところに、などと考える間もなく、男はこちらに聞こえる程の響く声で何かを唱え始めていた。
「再びいでよ…口寄せ亡者夜行」
ゴオオオ…という地響きの音と、初め聞こえたのと同じく土を割って出てくる使者たち。
リクオもドスを取り出し構え、狐ノ依もつららも男を見据えた。
「って、死霊の数がどんどん増えてませんか!?」
目を丸くしたつららだけでなく、周りを囲む死霊の数が増えていることは誰の目にも明らかだった。
しかも、今度は切っても切っても蘇ってくる。
「これじゃキリがねぇ…」
「生き死を操るのは晴明の十八番…奴は御門院か…!」
「あいつも御門院…!?くそ、アイツが操ってんのか」
竜二の言葉にリクオははっとして男に目を向けた。長く結った髪は風変りな桃色で、身を包むのは黒い装束。
男は自分で手を施す気はないらしく、遠くからこちらを見ただけで立ち去ろうとしていた。
「リクオ様、あの男を追って下さい」
「狐ノ依…?」
「この死霊はあの男を倒さねば消えないのでしょう。ここはボクが」
迷い無い目がリクオへ向けられる。
狐ノ依の判断は恐らく正しい。先程の男が操るものなのだとしたら、倒しても生き返るこの死霊を消す方法は一つ。
「だからって狐ノ依…」
「大丈夫です、リクオ様。ここは私達で押さえますから、行って下さい」
「つらら…すまねぇ」
つららの言葉に安心すると、リクオは男を追って山の上へと目を向けた。
少し前の狐ノ依なら、迷わずリクオについて来ただろう。ましてや、一人残ろうなどと言うことは有り得ない。
「くそ…。イタク、狐ノ依を頼む」
「…仕方ねーな」
「悪ぃ、助かる」
リクオがたっと駆け出し死霊を飛び越えていく。
それを見送った狐ノ依の目が揺れたのは、先程のリクオとイタクのやりとりが聞こえていたからだった。
「つらら…ボク、間違った事言ってない、よね」
「判断としては間違っていないでしょうけど…気負い過ぎっていうか、どうしちゃったの?」
「…またそれ」
わらわらと向かってくる死霊へ、この気持ちをぶつけるかのように炎を放つ。
焼き消しても粉にしても、集まって形をつくる死霊に、狐ノ依は笑っていた。
ずっとずっと、目の前に現れ続ければいい。
リクオの事を考える余裕も、妖狐の事情に迷う余裕も無い。ただ、目の前の敵を倒すだけ。
「狐ノ依、無茶しないでよ!」
「え…」
「あなたには、リクオ様の為に力を温存してもらわなきゃ…!」
つららの叫びにはっとして、狐ノ依は足を止めた。
そうだ、妖狐の力は闘うには弱いのだと自分で理解したはず。妖狐の役目は治癒なのだと。
「…ボクは、ボクの役目は…戦いが終わるまで大人しくしていること?」
「狐ノ依…?」
「こうして、ここにいること自体が間違い?」
自分が傷を負って、それの治癒に力を使っては元も子もない。
狐ノ依はよたよたと後ろに下がり、イタクの背にぶつかった。
「おい、お前…!?」
いや、治癒を優先すべきはリクオだ。だとしたら、リクオにくっ付いているべきだったのか。
しかし戦場で狐ノ依自身が傷を負うのを避けるなら、戦場に出ること自体が間違いなのか。
ぐるぐると、見えては掻き消える自分の在り方に目が回る。
そんな狐ノ依に襲い掛かる死霊を、すんでの所でイタクが切裂いていた。
「あ…っ」
「ったく、戦えねーなら邪魔だぞ!」
「ー…」
「今は目の前の敵に集中しろ!」
イタクの言葉が胸に突き刺さったようだった。
今一番すべきことは役目だとかではなく、皆の迷惑にならないこと。
パンクしそうな頭をぶんぶんと振って、狐ノ依は自分の手に噛み付いた。
痛みと血の匂いで無理矢理頭をすっきりとさせる。
「すみませんでした…もう平気です」
「ったく、心配させんな」
それでいいのか、これでいいのか。
終わらない問いの答えを出すことはやはり出来なかった。
無数の刀に覆われた屋敷。
御門院家らしい男を追ったリクオは、そこで祢々切丸を打ち続けていた秋房との合流に成功した。
男の名は泰世。泰世の狙いは、祢々切丸がリクオの手に渡る前に秋房を仕留めることだったようだ。
つまり、対峙するリクオと泰世はやはり戦うしかないということで。
「リクオ!その刀はもう完成している!後はお前が振るうだけだ!」
完成した祢々切丸はリクオの手へと渡っている。
しかし、それを阻止すべく立ち塞がる泰世の手には、どんな刀をも破壊するという力。
「妖と共にその刀で何をする気だ…秋房…!?」
「泰世殿…っ」
「させん…必ず私が守ってみせる!晴明様の還る場所を!」
激怒する泰世の言葉から、晴明と御門院が繋がっているという恐れが明らかになる。
立ち塞がる御門院を倒さねば、鵺へと辿り着くことは出来ないということが事実としてそこにある。
それがどんなに困難なことか…などということは、今のリクオの頭には一寸とも存在していなかった。
「どんな刀とて結果は同じ…。いくら貴様等が正義をかかげようが、晴明様の御意志に逆らえば“清浄”の対象となる…!」
振り下ろされた力を避けるリクオに、刀からの思いが流れ込んでいる。花開院の千年の思い。
そして、この刀へと託された意志。
「秋房…聞こえてきたぜ、刀の声って奴が」
「リクオ…」
「武器破壊だか何だか知らねぇが、この刀は折れねぇ!」
自信に満ちた顔でそこに立つリクオの姿は、まさに妖怪の主。
リクオは相手の持つ力を分かっていながら、泰世の攻撃を刀で受け止めていた。
「オレはこの刀と共に、再び修羅の道を歩む!」
刀へと宿る思いは、纏うかのようにリクオの力となって、敵を切裂く。
それどころか、恐山を覆っていた黒い雲までも退いていた。
花開院の思いと、主の意志。それが合わさった今、祢々切丸は本来の力を持ってリクオの手に握られていた。
・・・
「リクオ様ー!ご無事ですかぁー!!」
刀で溢れる山を登ってくるつららの姿と、その後を追ってくる竜二とイタクと狐ノ依。
ということは、大量に湧いていた死霊もすっかり姿を消したのだろう。
それが分かり、リクオは胸を撫で下ろしふっと笑った。
「つらら…。良かった…」
「すすすごいんですよ!突然死霊たちがドバーッて全部吹き飛んで空が晴れて…!」
「そうみたいだね」
もの凄い勢いでこちらへ走ってきたつららは、ほとんど変わらない背の高さのリクオのマフラーを掴んで、興奮状態を抑えられずにいる。
そのつららの目に、完成した祢々切丸が映った。
「って、もしかして今のリクオ様が…!?」
「う、うん」
「わぁ!祢々切丸完全復活ですね!」
「うん。でも…、この人って一体…」
喜ぶに喜べないのは今倒した男のこと。
晴明の名を叫び、そして復活を望むようなことを言っていた。
「そういえば“清浄”とか言ってたけど…それって何だろう?」
「“清浄”…!?」
戦いの最中に聞いたことを思い出したリクオに、竜二は目を大きく見開いた。
清浄、晴明の記録として残る言葉だ。
絶対的秩序を唱え、それに従わない妖怪を全て消していったという。
そう竜二の話を聞いたリクオは、顔色を一気に変えた。
リクオだけではない、つららもイタクもそれは同じだった。
「晴明が再びその“清浄”をやるつもりだとしたら…」
「従わぬ妖怪は消される?バカか…」
「そうだとしたら…これはボク達だけの問題じゃないよ!」
全ての元凶である鵺を倒す力は既にここにある。しかし、これはまだ最初の準備段階に過ぎない。
リクオは何か決心したように、一人強く頷いた。
「すぐに本家へ戻ろう」
「はい!」
考えがあるのだろうリクオははっきりと告げて、つららはそれに対し強く返事をする。
それとの大差故か。狐ノ依にまた妙な違和感を覚えた。
「…狐ノ依、疲れた?」
「え?いえ自分は、全然」
「おいで。あとは帰るだけだし、乗っていいよ」
今の話を聞いて尚、狐ノ依の様子に変化はない。
リクオはとんと自分の肩を叩き、安心させるように優しく笑った。
そこには、休めば元に戻ってくれるかもという願いもあったのかもしれない。
「リクオ様…ボクは…」
しかし、狐ノ依は踏み出した足をすぐに止めた。
狐ノ依の中にあるのは、今まで自分はどうリクオに応えていたのだろう、という疑問。
掴めない距離感に不安が募って、考えもしなかった事が狐ノ依を悩ませている。
「狐ノ依?」
「…」
「狐ノ依、やっぱり疲れてるんだよ。ちゃんと休んで、お願い」
「あ…す、すみません、失礼します…」
狐ノ依はようやく狐の姿に変わり、リクオの首に巻き付いた。
柔らかな髪の感触と、優しい匂い。
むずむずとくすぶる思いに更にどうしたら良いか分からなくなって、狐ノ依はぎゅっと目をきつく瞑った。
「ちゃんと休んで…。いつもの元気な狐ノ依に戻ってね」
「(いつもの、)」
「狐ノ依が元気がないと、皆心配になるから、ね」
慰めるような優しい声と共に、頭を撫でるリクオの手が狐ノ依の心を乱しているとも知らず。
(リクオ様は優しい…。こんなにも暖かい…)
それでも、狐ノ依の素直な気持ちはリクオの優しさに喜んでいて。
リクオの声と温もりと匂いに包まれると、すぐに寝息を立て始めていた。
「リクオ様、分かってらっしゃると思いますが…」
「うん。やっぱり狐ノ依、何かおかしい」
首に時折かかる狐ノ依の息。
眠っているとはいえ、狐ノ依に聞こえないように声を抑えるリクオとつららの会話に、イタクも小さく頷いた。
誰の目にも分かる恋慕を剥き出しにしていた狐ノ依の姿がどこにも無いのだ。
「何か、妖狐の事で悩んでいると思っていたのですが…。それにしては行動が妙というか」
「役目がどうとか言ってたな」
「役目…?」
そんな話、一切聞いていない。
ただ、いい加減このまま狐ノ依を放っておくことは出来ない。
「戻ったら、ボクが話をしてみるよ」
「はい。お願いします…。狐ノ依がこんなんじゃ調子出ないですから」
狐ノ依を覗き込んだつららが、狐ノ依の眉間に寄るシワをつんと突く。
眠っているのにきつくリクオにしがみ付く狐ノ依の手が何だか痛々しい。
「何で、ボクに言ってくれないんだろう…狐ノ依…」
もっと頼って欲しい。もっといろいろ話して欲しい。
「ボクに話せないこと…?ボクが、何か…」
考えても分からない。しかし、もしリクオ自身に何か問題があったのだとしたら。
「…っ」
「リクオ様、お気を確かに!狐ノ依なら、きっと大丈夫ですよ!」
「そう、だよね」
胸がチクチクと痛む。
見たことのない、狐ノ依の味わった光景を想像すると、いてもたってもいられない。
それでも、止まるわけにも、逸れるわけにもいかないのだ。
狐ノ依への思いを強く胸に抱きながら、リクオは先導を切って歩き出した。
慣れない電車に乗っている狐ノ依は時折大きな音に体を震わせながら、上目で前に座る花開院竜二を見ていた。
それが警戒心故と分かっているのだろう、竜二は気にすることなく目を窓の外に向けている。
ちなみにその窓の向こうには電車に乗っていることが煩わしくなったリクオとイタクと釣られたつららが走っている。
「…お前はいいのか?」
「はい…?」
「電車に乗っていて」
「走った方がいいですか?」
小さく「いや」と否定して笑った竜二は、むしろ外をわざわざ走るリクオ達を馬鹿にしているように見える。とはいえ今の状況的にどう考えてもおかしいのはリクオなのだから何も言うまい。
何故電車に乗っているのかというと、先日にさかのぼる。
意識を取り戻したリクオの元にやってきた竜二の言葉「祢々切丸が完成したから恐山に向かう」というのが全てだ。
「妖狐にとっては主が絶対だと思っていたんだが」
「それはそうですが…。一緒に走ろうとは言われてませんし」
「…へぇ」
元々妖怪だけなら電車は乗らなかっただろう。
しかし昼から出発した為に、リクオは人の姿だったし、当然竜二は人だ。となれば電車の方が速いのは確認するまでもない。
途中で日が落ちて、何を思ったかリクオも外に飛び出したのだが、狐ノ依はそれに従おうとは思わなかった。
(少しずつ…こうして意識を離していけばいい)
いつでも絶対傍に。今まで通りの気持ちでは奴良組の為に生きていけないから。
「むしろ、あなたはよくボク達に同行しましたね」
「鵺を倒すのにあいつの力が必要だということくらい弁えてる。癪だがな」
「そうですか…」
初めて会った時にはリクオに攻撃をしかけてきた陰陽師が。
という気持ちは多少なりともあるが、狐ノ依は普段と違う黒髪を揺らして椅子にもたれかかった。
暫くして、リクオの手招きを見た狐ノ依と竜二は電車を降りた。
見覚えのある森と山がそこに見える。
「リクオ様、ここは…」
「あぁ、遠野だ。じじいが赤河童に御門院について聞けとすすめてきた」
「御門院…ですか」
百物語組の圓潮と共にいた陰陽師。遠野に寄った理由はその真相を探ることにあるようだ。
なんて少し真面目なことを考えた狐ノ依の肩に回された腕とかかった重さ。
「よ!久しぶりだなぁ!」
「淡島さん…?」
横を向けばすぐ近くに淡島の顔があった。
後ろにも雨造やら冷麗やら、懐かしき遠野の面々が見える。
「リクオ、お前最近全然修業にこねーじゃねーか!しっかり準備しといたぜ!」
「準備…?」
「宿だよ!今日泊まりだろ?」
ばっと広げた淡島の手の方を見れば、少し古臭いがしっかりとした建物がそこに建っている。
「狐ノ依、一緒に寝ようなー!」
「え、えっとそれは」
「気にすることないだろ?オレ達同類じゃん!」
「淡島、狐ノ依を困らせるな」
リクオが割り込んで二人を引き剥がすと、更に淡島がぎゃんぎゃんと騒ぎ出す。
それにイタクは頭を痛そうに抱えているが、狐ノ依はじゃれ合う二人の様子を微笑ましく見ていた。
「狐ノ依…あなたどうしてそんなに平気そうなの…」
「え、何が」
「何って、あの淡島って子のことに決まってるでしょ…!」
狐ノ依に囁きかけるつららの目の先には淡島。というより淡島と、くっつかれているリクオだ。
そのつららが考えていることが分かり、狐ノ依はふっと笑った。
「淡島さんはどちらかといえば男の子だよ」
「あ、あなたがそういうこと言う?」
「何か変なこと言ったかな」
「…この前からちょっと変よ」
つららが心配そうに狐ノ依を覗き込む。
それを笑って受け流すと、狐ノ依は先に建物に入ろうとしているリクオ達の後を追うように駆け出した。
・・・
淡島に誘導されるがまま、狐ノ依達はそのまま広間へ連れて行かれた。
赤河童は残念ながら今は寝込んでいるらしい。代わりに竜二から祢々切丸の話を聞いて時間を費やした後、狐ノ依は敷かれた布団の上で横になっていた。
元々鵺切丸という名を持っていた刀、祢々切丸。花開院の“打倒・鵺”の精神と歴史が刻まれた刀といっても過言ではない。
「まさか…陰陽師と共闘する日が来ようとは」
花開院の娘、ゆらを敵対視していた頃が遥か昔に感じられる。
暗い部屋に一人。少し肌寒く感じながら、狐ノ依はもぞもぞと寝返りをうった。
「狐ノ依ー、起きてるか?」
「…!?」
とんっと壁が叩かれ、返事も待たずに扉が開く。
様子をうかがうように小さく開かれた隙間から覗くのは、淡島の目だ。
「淡島さん…?」
「なんだ、起きてたか。寝顔もついでに拝もうと思ったのに」
相変わらず調子の良い声を少し抑えて、淡島は部屋の中に入って来た。
どうしたのだろうか、淡島がここに来た理由が分からず狐ノ依の耳が揺れる。
淡島はそんな狐ノ依を見てニッと笑うと、手を差し出した。
「…なんでしょう?」
「いいから、ちょっと来いよ。いいもん見れっからさ。多分」
「多分、ですか」
少し怪しげに感じながらも、狐ノ依は淡島の手を取って立ち上がった。
速足に部屋を出て、長い廊下を歩いて行く。
「あの、どこへ向かうのですか?」
「んー?外だよ」
「外?こんな時間に…?」
「まー、直に分かるって」
言葉通りに外に出ると、狐ノ依の体に冷たい風が吹き付ける。
無意識に着物ごしに肌を擦り辺りを見渡すと、そこに遠野の見知った軍勢が集まっていた。
「な、何をしているんですか。皆さん揃って…」
「お!狐ノ依来たかー」
こっちこっちと手招きしている雨造に恐る恐る近付く。
雨造に冷羅に淡島。そこにイタクがいないこともリクオがいないことも気になってしまう。
「そんな不安そうにするなよー!大丈夫だって」
「そうは言われましても…」
「ちょーっとリクオを試してるだけだからな!」
雨造の一言に、その場の空気が変わった。
目を大きく開く狐ノ依。雨造を睨み付ける淡島と冷羅。
「狐ノ依には言うなって言っただろ!」
「だ、だって狐ノ依が困ってたからー…」
「それ言ったら余計に困らせんだろーが!」
淡島がばしばしと雨造の背中を叩く。
冷羅はそんな二人を見てため息を吐くと、狐ノ依の手を取り優しく擦った。
「大丈夫よ、狐ノ依。そんなに危ないことじゃないから」
「…」
リクオと別の部屋。狐ノ依だけ誘い出された。以前に来た時にも味わったことだ。
修業を続けるリクオを、狐ノ依は見ていることしか出来ない。
「ごめんね、騙したわけじゃないのよ」
「いえ、…リクオ様の為に、有難うございます」
「あら」
優しくも冷たい手を握り返し、頭を下げる。
そんな狐ノ依に、今度は冷羅が目を丸くすることになった。勿論、淡島も雨造も。
「な、なんだぁ?狐ノ依、お前変わったなぁ」
「もっとリクオ命で過保護な奴だと思ってたけど」
「…ボク、そんなに変ですか?」
つららにも変だと言われた今のこの態度。
自分の本心は別として、リクオの為にはこうした方がいいはずなのだ。
狐ノ依の耳がしゅんと折れる。それを見た二人は慌てて狐ノ依に近付いて来た。
「変なわけねーだろ!むしろ前までのが変だったっつか」
「安心したくらいだよなぁ?」
「おう!リクオだって、随分強くなったみてぇだし?」
ちら、と淡島が建物の方へ目を向けると、さっきまでいなかったイタクが立っている。
その後ろには若干疲労を顔に浮かべたリクオが立っていた。
「なんだよ…オメーら全員グルだったのか?」
「バーカ、ここは遠野だぜ?いつでも修業の場所だっつの」
リクオは、どうやらイタクの仕込んだ畏の中から抜け出してきたようだ。自らの力で。誰の助けも無く。
初めてここに来た時は、この遠野から抜け出すことも出来なかったのに。
「技の威力に頼りすぎて基本を忘れていないか、確かめさせてもらったぞ」
「ったく、いつまでも心配してんじゃねーよ」
「…だったらもっと早く出てこい!」
イタクとリクオの会話で実感する。
リクオには自由であって欲しい。危険だとか、離れたくないとか、そんな理由で縛れる存在ではないのだ。
「でも、ありがとよ遠野勢!やっぱいいなぁ、ここ!」
ここ最近で、一番良い笑顔が今この瞬間に見れた。それが何よりの理由だ。
リクオの素直な言葉に、照れ臭そうにする淡島や冷羅たちの横で、狐ノ依は目を伏せた。
「つかお前等、狐ノ依に何かしてねぇだろうな?」
「してるわけないだろ。なぁ、狐ノ依?」
「え、あ、はい」
「狐ノ依?」
しまった、ぼーっとしていた。
などと今更焦っても遅く、リクオが眉をひそめて狐ノ依の方に近付いてくる。
「もしかして、眠いんじゃないのか?」
「いえ、そんなことは」
「それでなくても最近はいろいろあったしな…。ったく、狐ノ依まで巻き込みやがって」
寝るようにあやしているつもりなのだろうか、優しい表情を浮かべたリクオが狐ノ依の背中をとんとんと一定の速さで軽く叩く。
「狐ノ依、お前は寝床に戻れ」
その言葉に他意はない。リクオは狐ノ依の体を心配してくれているのだ。
それは間違いないのに、狐ノ依の心がぐらりと歪んだ。
「…わ、かりました…。あの、失礼します」
「あ、狐ノ依!部屋まで送ってくぜ!」
後ろを向いた狐ノ依に淡島がくっ付いて来る。
本当は、リクオについて来て欲しかった。リクオと一緒に寝たかったなんて一度諦めたことを再び考えて。
狐ノ依はその気持ちを消し去りたくて、淡島の手を握り締めた。
「おい、リクオ。狐ノ依に一体何があった?」
狐ノ依と淡島が見えなくなった頃。
イタクは誰もが思う質問をリクオに向けた。
何があったかは知らない。しかし、イタクは狐ノ依の様子がおかしくなるのを確かに目で見たのだ。
「山ン本との戦いの時から、確実にあいつは変わったろ」
「オレが何かした…つもりは全くねーんだけどな…」
「それにしては、余りにも態度が露骨だったろ」
「…」
それでなくても、ここ最近以前のように二人でいられる時間が少なくなっているというのに。
いや、むしろそれが原因なのか?などと考えたところで、答えは狐ノ依の中にしかない。
「満足させてあげられて無いんじゃないの?」
「浮気したのか?」
「他の女の子に優しくしすぎ、とか」
じとっと言う目線にリクオが不服そうに唇を尖らせる。
そんなつもりは毛頭ないが、無意識にやらかした可能性はゼロと言えない。というか大いにあり得る。
「狐ノ依可哀相」
「オイラならもっと大切にしてやるのになァ」
「お前等な…」
もっと愛したいし触れたい思いはリクオにだってある。
とはいえ、個人的な都合を優先していられる状況でもないのだ。
「ったく…どうしたもんか」
リクオは困ったように眉を寄せながらも、遥か彼方、遠くを見ていた。
・・・
翌朝、早々にリクオ達は恐山に向けて出発した。
顔を見せた赤河童の手にあった、250年前に記されたとされる御門院家、歴代当主の姿。その中には、圓潮と共にいた陰陽師も変わらぬ姿でそこに書かれていた。
ただの陰陽師が何百年も生きていられるはずはない。
そこから予想されるのは、安倍晴明が人を延命させる呪術を完成させている可能性がある、ということだった。
「イタク、ついて来てくれてありがとな」
先を行くメンバーは変わらず、リクオと狐ノ依とつららと竜二とイタク。
イタクには遠野に残るという選択肢もあったが、それでもついて来ることを選んでくれた。
そして、変わらないことと言えばもう一つ。
「リクオ様…狐ノ依に声をかけたらいかがです?」
こそっと耳打ちするつららの目の先には俯き歩く狐ノ依の姿。
「結局昨夜は別々に寝たんですよね?」
「そりゃあまあ」
「遠慮しなくてもいいんですよ、もう。こんな調子の方が気掛かりで仕方ないです」
「まいったな…」
声をかけるも何も、こちらには心当たりがないのに何を言えというのか。
リクオは数回頭をかき、狐ノ依の横に並んだ。
「…狐ノ依、大丈夫か?」
「は…大丈夫、とは」
まぁ当然こうなるわけで。
リクオは何を言うか暫く考えてから口を開いた。
「御門院家、歴代当主が鵺の下についているかもしれない。話は分かっているだろ?」
元々狐ノ依は人間を好ましく思っていなかった。
その人間が長い時を生きていて、しかも陰陽師としての強い力を持って目の前に立ち塞がるかもしれないのだ。
「辛い戦いになることは避けられねぇだろうな…」
「いえ。相手が何であろうと、関係ありません。ボクは皆の為に力を使う、それだけです」
「…そうか」
リクオの心配は余所に、狐ノ依は言葉通りにけろっとした顔を見せた。
それなのに耳が頼りなく地に向かって下がっているというのは、明らかに何か考えているからだろう。
「…狐ノ依、もしかして血か?」
「え?」
「血が欲しいんじゃないか?」
リクオが狐ノ依の手を取って引く。すると、びくっと震えた狐ノ依の喉が上下に揺れるのが見えた。
可能性の一つを言ってみただけだが、あながち間違ってはいなかったらしい。
リクオは狐ノ依の口元へ手を差し出した。
「遠慮する必要はねぇよ。いざという時に狐ノ依の体力がないことの方が心配だからな」
「…いえ、血は…いざという時こそどうにでもなります、から」
「狐ノ依」
「い、いらないです」
顔を逸らした狐ノ依の喉の鳴りは本物だ。血は確かに欲しい。リクオのものなら尚更。
しかし、狐ノ依は一番初め、歯を立てることを嫌がった時のように頑なにリクオの血を拒んでいた。
「そうか…無茶すんなよ」
「大丈夫です」
そうなってはリクオも手を引っ込めるしかない。
再び俯いてしまった狐ノ依から離れると、それを見ていたつららが駆け寄って来た。
「…リクオ様、やっぱり狐ノ依に何かしたんじゃ?」
「他の奴等にも言われたよ…」
「山ン本との戦いが終わった辺りから、ずっとおかしいんですよ」
「…そうらしいな」
つららからの耳打ちに、更にリクオの眉間のシワは深くなる。
何故、急に狐ノ依が態度を変えたか。理由が自分にあるならば、はっきりと言ってくれたら良いのに。
「狐ノ依…」
「おい、ここが恐山だ」
からからと足元の小石を蹴飛ばしていた足が止まり、先を行くイタクが振り返った。
名に相応しく、異様な雰囲気漂う景色が広がっている。
「ここが…。秋房の迎えはねぇのか」
「連絡は一切ないらしい」
「登るしかねぇのか…」
ここで会えたならどんなに楽だったか。
リクオは重いため息を吐き出してから、後ろを歩く狐ノ依を振り返った。
「狐ノ依、疲れたら言えよ」
「はい」
再び足を進めて一歩一歩と先の目的地を目指す。
狐ノ依とは会話が出来ないわけではない。返事はいつも通りはっきりとしている。
分からないひび割れた関係に不思議そうにしながら、リクオは狐ノ依に背を向けた。
・・・
山を登り始めて暫く、狐ノ依がきょろきょろと妙な動きをし始めた。
「…狐ノ依、どうした?」
「あの、何やら妙なニオイと音が」
「ニオイ、と音…?」
言われてみれば、臭いまでは分からないが、辺りからざわざわと妙な音が聞こえている。風の音ではない、何か地面が動く音。
それにリクオ達が気付いた頃には遅く、土から出てきた骸骨に一面取り囲まれていた。
「リクオ様!?何ですかこれ!?」
「す、すみません、気付くのが遅くて」
「いや、狐ノ依は悪くねぇ。さすがは恐山…早速死霊のお出迎えってとこか」
「ちょ、ちょっと、そんな事言っている場合ですか!」
つららが焦るのも道理、リクオ達を囲んだ死霊は一気にこちらへと突っ込んできている。
それをイタクの刀が叩き斬ったはいいが、それで終わるはずもなかった。
「あ、あそこに人が…」
「人ぉ!?」
狐ノ依の指さす先、目で追えばいつからいたのか一人の人間が立っている。
なんでこんなところに、などと考える間もなく、男はこちらに聞こえる程の響く声で何かを唱え始めていた。
「再びいでよ…口寄せ亡者夜行」
ゴオオオ…という地響きの音と、初め聞こえたのと同じく土を割って出てくる使者たち。
リクオもドスを取り出し構え、狐ノ依もつららも男を見据えた。
「って、死霊の数がどんどん増えてませんか!?」
目を丸くしたつららだけでなく、周りを囲む死霊の数が増えていることは誰の目にも明らかだった。
しかも、今度は切っても切っても蘇ってくる。
「これじゃキリがねぇ…」
「生き死を操るのは晴明の十八番…奴は御門院か…!」
「あいつも御門院…!?くそ、アイツが操ってんのか」
竜二の言葉にリクオははっとして男に目を向けた。長く結った髪は風変りな桃色で、身を包むのは黒い装束。
男は自分で手を施す気はないらしく、遠くからこちらを見ただけで立ち去ろうとしていた。
「リクオ様、あの男を追って下さい」
「狐ノ依…?」
「この死霊はあの男を倒さねば消えないのでしょう。ここはボクが」
迷い無い目がリクオへ向けられる。
狐ノ依の判断は恐らく正しい。先程の男が操るものなのだとしたら、倒しても生き返るこの死霊を消す方法は一つ。
「だからって狐ノ依…」
「大丈夫です、リクオ様。ここは私達で押さえますから、行って下さい」
「つらら…すまねぇ」
つららの言葉に安心すると、リクオは男を追って山の上へと目を向けた。
少し前の狐ノ依なら、迷わずリクオについて来ただろう。ましてや、一人残ろうなどと言うことは有り得ない。
「くそ…。イタク、狐ノ依を頼む」
「…仕方ねーな」
「悪ぃ、助かる」
リクオがたっと駆け出し死霊を飛び越えていく。
それを見送った狐ノ依の目が揺れたのは、先程のリクオとイタクのやりとりが聞こえていたからだった。
「つらら…ボク、間違った事言ってない、よね」
「判断としては間違っていないでしょうけど…気負い過ぎっていうか、どうしちゃったの?」
「…またそれ」
わらわらと向かってくる死霊へ、この気持ちをぶつけるかのように炎を放つ。
焼き消しても粉にしても、集まって形をつくる死霊に、狐ノ依は笑っていた。
ずっとずっと、目の前に現れ続ければいい。
リクオの事を考える余裕も、妖狐の事情に迷う余裕も無い。ただ、目の前の敵を倒すだけ。
「狐ノ依、無茶しないでよ!」
「え…」
「あなたには、リクオ様の為に力を温存してもらわなきゃ…!」
つららの叫びにはっとして、狐ノ依は足を止めた。
そうだ、妖狐の力は闘うには弱いのだと自分で理解したはず。妖狐の役目は治癒なのだと。
「…ボクは、ボクの役目は…戦いが終わるまで大人しくしていること?」
「狐ノ依…?」
「こうして、ここにいること自体が間違い?」
自分が傷を負って、それの治癒に力を使っては元も子もない。
狐ノ依はよたよたと後ろに下がり、イタクの背にぶつかった。
「おい、お前…!?」
いや、治癒を優先すべきはリクオだ。だとしたら、リクオにくっ付いているべきだったのか。
しかし戦場で狐ノ依自身が傷を負うのを避けるなら、戦場に出ること自体が間違いなのか。
ぐるぐると、見えては掻き消える自分の在り方に目が回る。
そんな狐ノ依に襲い掛かる死霊を、すんでの所でイタクが切裂いていた。
「あ…っ」
「ったく、戦えねーなら邪魔だぞ!」
「ー…」
「今は目の前の敵に集中しろ!」
イタクの言葉が胸に突き刺さったようだった。
今一番すべきことは役目だとかではなく、皆の迷惑にならないこと。
パンクしそうな頭をぶんぶんと振って、狐ノ依は自分の手に噛み付いた。
痛みと血の匂いで無理矢理頭をすっきりとさせる。
「すみませんでした…もう平気です」
「ったく、心配させんな」
それでいいのか、これでいいのか。
終わらない問いの答えを出すことはやはり出来なかった。
無数の刀に覆われた屋敷。
御門院家らしい男を追ったリクオは、そこで祢々切丸を打ち続けていた秋房との合流に成功した。
男の名は泰世。泰世の狙いは、祢々切丸がリクオの手に渡る前に秋房を仕留めることだったようだ。
つまり、対峙するリクオと泰世はやはり戦うしかないということで。
「リクオ!その刀はもう完成している!後はお前が振るうだけだ!」
完成した祢々切丸はリクオの手へと渡っている。
しかし、それを阻止すべく立ち塞がる泰世の手には、どんな刀をも破壊するという力。
「妖と共にその刀で何をする気だ…秋房…!?」
「泰世殿…っ」
「させん…必ず私が守ってみせる!晴明様の還る場所を!」
激怒する泰世の言葉から、晴明と御門院が繋がっているという恐れが明らかになる。
立ち塞がる御門院を倒さねば、鵺へと辿り着くことは出来ないということが事実としてそこにある。
それがどんなに困難なことか…などということは、今のリクオの頭には一寸とも存在していなかった。
「どんな刀とて結果は同じ…。いくら貴様等が正義をかかげようが、晴明様の御意志に逆らえば“清浄”の対象となる…!」
振り下ろされた力を避けるリクオに、刀からの思いが流れ込んでいる。花開院の千年の思い。
そして、この刀へと託された意志。
「秋房…聞こえてきたぜ、刀の声って奴が」
「リクオ…」
「武器破壊だか何だか知らねぇが、この刀は折れねぇ!」
自信に満ちた顔でそこに立つリクオの姿は、まさに妖怪の主。
リクオは相手の持つ力を分かっていながら、泰世の攻撃を刀で受け止めていた。
「オレはこの刀と共に、再び修羅の道を歩む!」
刀へと宿る思いは、纏うかのようにリクオの力となって、敵を切裂く。
それどころか、恐山を覆っていた黒い雲までも退いていた。
花開院の思いと、主の意志。それが合わさった今、祢々切丸は本来の力を持ってリクオの手に握られていた。
・・・
「リクオ様ー!ご無事ですかぁー!!」
刀で溢れる山を登ってくるつららの姿と、その後を追ってくる竜二とイタクと狐ノ依。
ということは、大量に湧いていた死霊もすっかり姿を消したのだろう。
それが分かり、リクオは胸を撫で下ろしふっと笑った。
「つらら…。良かった…」
「すすすごいんですよ!突然死霊たちがドバーッて全部吹き飛んで空が晴れて…!」
「そうみたいだね」
もの凄い勢いでこちらへ走ってきたつららは、ほとんど変わらない背の高さのリクオのマフラーを掴んで、興奮状態を抑えられずにいる。
そのつららの目に、完成した祢々切丸が映った。
「って、もしかして今のリクオ様が…!?」
「う、うん」
「わぁ!祢々切丸完全復活ですね!」
「うん。でも…、この人って一体…」
喜ぶに喜べないのは今倒した男のこと。
晴明の名を叫び、そして復活を望むようなことを言っていた。
「そういえば“清浄”とか言ってたけど…それって何だろう?」
「“清浄”…!?」
戦いの最中に聞いたことを思い出したリクオに、竜二は目を大きく見開いた。
清浄、晴明の記録として残る言葉だ。
絶対的秩序を唱え、それに従わない妖怪を全て消していったという。
そう竜二の話を聞いたリクオは、顔色を一気に変えた。
リクオだけではない、つららもイタクもそれは同じだった。
「晴明が再びその“清浄”をやるつもりだとしたら…」
「従わぬ妖怪は消される?バカか…」
「そうだとしたら…これはボク達だけの問題じゃないよ!」
全ての元凶である鵺を倒す力は既にここにある。しかし、これはまだ最初の準備段階に過ぎない。
リクオは何か決心したように、一人強く頷いた。
「すぐに本家へ戻ろう」
「はい!」
考えがあるのだろうリクオははっきりと告げて、つららはそれに対し強く返事をする。
それとの大差故か。狐ノ依にまた妙な違和感を覚えた。
「…狐ノ依、疲れた?」
「え?いえ自分は、全然」
「おいで。あとは帰るだけだし、乗っていいよ」
今の話を聞いて尚、狐ノ依の様子に変化はない。
リクオはとんと自分の肩を叩き、安心させるように優しく笑った。
そこには、休めば元に戻ってくれるかもという願いもあったのかもしれない。
「リクオ様…ボクは…」
しかし、狐ノ依は踏み出した足をすぐに止めた。
狐ノ依の中にあるのは、今まで自分はどうリクオに応えていたのだろう、という疑問。
掴めない距離感に不安が募って、考えもしなかった事が狐ノ依を悩ませている。
「狐ノ依?」
「…」
「狐ノ依、やっぱり疲れてるんだよ。ちゃんと休んで、お願い」
「あ…す、すみません、失礼します…」
狐ノ依はようやく狐の姿に変わり、リクオの首に巻き付いた。
柔らかな髪の感触と、優しい匂い。
むずむずとくすぶる思いに更にどうしたら良いか分からなくなって、狐ノ依はぎゅっと目をきつく瞑った。
「ちゃんと休んで…。いつもの元気な狐ノ依に戻ってね」
「(いつもの、)」
「狐ノ依が元気がないと、皆心配になるから、ね」
慰めるような優しい声と共に、頭を撫でるリクオの手が狐ノ依の心を乱しているとも知らず。
(リクオ様は優しい…。こんなにも暖かい…)
それでも、狐ノ依の素直な気持ちはリクオの優しさに喜んでいて。
リクオの声と温もりと匂いに包まれると、すぐに寝息を立て始めていた。
「リクオ様、分かってらっしゃると思いますが…」
「うん。やっぱり狐ノ依、何かおかしい」
首に時折かかる狐ノ依の息。
眠っているとはいえ、狐ノ依に聞こえないように声を抑えるリクオとつららの会話に、イタクも小さく頷いた。
誰の目にも分かる恋慕を剥き出しにしていた狐ノ依の姿がどこにも無いのだ。
「何か、妖狐の事で悩んでいると思っていたのですが…。それにしては行動が妙というか」
「役目がどうとか言ってたな」
「役目…?」
そんな話、一切聞いていない。
ただ、いい加減このまま狐ノ依を放っておくことは出来ない。
「戻ったら、ボクが話をしてみるよ」
「はい。お願いします…。狐ノ依がこんなんじゃ調子出ないですから」
狐ノ依を覗き込んだつららが、狐ノ依の眉間に寄るシワをつんと突く。
眠っているのにきつくリクオにしがみ付く狐ノ依の手が何だか痛々しい。
「何で、ボクに言ってくれないんだろう…狐ノ依…」
もっと頼って欲しい。もっといろいろ話して欲しい。
「ボクに話せないこと…?ボクが、何か…」
考えても分からない。しかし、もしリクオ自身に何か問題があったのだとしたら。
「…っ」
「リクオ様、お気を確かに!狐ノ依なら、きっと大丈夫ですよ!」
「そう、だよね」
胸がチクチクと痛む。
見たことのない、狐ノ依の味わった光景を想像すると、いてもたってもいられない。
それでも、止まるわけにも、逸れるわけにもいかないのだ。
狐ノ依への思いを強く胸に抱きながら、リクオは先導を切って歩き出した。