リクオ夢(2011.10~2015.03)
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「なぜ…何故じゃ、圓潮…ぬしらの…父じゃぞ…」
頭を斬られた山ン本だと思われる妖怪が、血を流し倒れている。
それを斬り付けた当人である圓潮は、冷酷な表情のまま。それが組長だという意識は端から持っていなかったかのように呟いた。
「あなたはただの脳でしょう。元々、雑多な妖を束ねる為の名前が必要なだけでしたし」
どういうことだ。
百物語組が目の前で勝手に崩壊していく。
リクオは目を見開いたまま言葉も出ず、唖然とその光景を眺めていた。今、それ以外に出来ることなど何も見つからない。
「百物語組は、今日で解散ですよ」
その言葉はリクオに向けられたもの。
「てめぇ…なんなんだ、意味わかんねーぞ!」
「あたしはただ…怪談を語りたいだけの男ですよ」
「怪談を、語りたいだけ…だと?」
元々、山ン本から生まれた妖怪である圓潮。山ン本は、怪奇を語ることを楽しむ人間だった。
皮肉にも、それを引き継いだ圓潮だからこそのこの行動だったのだろう。
しかし、圓潮のやっていることは言葉と矛盾している。
彼がしてきたことは、ただ怪談を語っていただけではないのだ。
「てめぇらのその勝手な欲望で…どんだけの人間を苦しめるつもりだ!」
「そう。噺家として、歴史を…伝説を語る者となる」
「てめぇ…!」
圓潮の身勝手な態度に怒りが更に募り、リクオは刀を構えて圓潮へと突っ込んでいった。
それをも気にしない様子で、圓潮はニッと口元に笑みを浮かべる。
「すなわち、鵺の再誕を」
「…鵺…?」
「今夜はその序章ですよ」
思わずリクオは足を止めていた。
圓潮の言葉を合図としたかのように禍々しい妖気が閉ざされた空間に満ち始める。
「り…リクオ様、下がってください…!」
そう叫んだ狐ノ依の視線の先にいるのは、圓潮の背後に現れた大きな妖怪。
顔を上げなければ全身を拝めない程の大きな体、その腕がゆっくりと振り上げられた。
「リクオ様!」
あっさりと弾かれたリクオを、狐ノ依が抱き留める。とはいえ、体格差とその勢い故に、狐ノ依も尻餅をついてしまったが。
「っ…悪い狐ノ依!くそ…なんだ、あいつは…!?」
「あれも圓潮の作り出した妖怪…最後の百物語の怪談、なのでしょうか」
「ったく、厄介なことしやがって!」
刀でのガードも虚しくリクオの体には傷が増やされ、狐ノ依は目の前に立つ巨大な妖怪を見据えた。
その前に立つ圓潮が、相変わらずの無表情に近い顔に貼り付く口元に笑みを浮かべている。
「今日のゲームは楽しかった」
「圓潮、てめぇの思い通りにはさせねぇ!」
「駄目です、リクオ様!」
去ろうとする圓潮を追おうとすれば、立ち塞がる妖怪がリクオに向かって攻撃を仕掛けて来る。
狐ノ依は思わずリクオと妖怪の間に飛び込んでいた。
「リクオ様ー…!!」
「っ狐ノ依!?」
リクオを庇って攻撃を受ける。
しかし、余りにも強い衝撃に、狐ノ依はリクオもろとも吹き飛ばされてしまった。
「リクオ様!狐ノ依!」
「今の反撃、恐らく反応してんのは奴を覆っている畏だ。まるで畏でできたマシーンだな…」
「そんなの、どうしたらいいの…!?」
つららもイタクも応戦するが、こちらの攻撃は全く効いていない。
圓潮が語った、今宵最後の噺「妖怪 青行燈」。この妖怪から滲み出る信念。これこそが言霊使いの力だった。
「狐ノ依、無事か!?」
「はい…ボクのことは、お気になさらず…」
「そういうわけにもいかねーんだよ」
「…すみません」
何とか最小限の治癒を自らの体に行う。明らかに今までの妖怪とは違う、別格の力を持っている妖怪。
ここまで大きな妖怪相手では、狐ノ依の炎など大した効力ももたないだろう。だとしたら、今の狐ノ依に出来ることはなんだ。
「イタクさんの言っていたことが本当なら…近付いての攻撃は出来ませんね」
「あぁ…畏が反応して動く兵器…か」
大きな敵を見上げる。
リクオの師匠でもあるイタクでさえ、攻撃は通らない。むしろ相殺しきれずにダメージを受けてしまっている。
「気を付けろ、リクオ…。まともに攻撃を受けたらヤバい」
近付けば、畏に反応して反撃してくる。まるで、畏に反応して動く兵器のような妖怪。
イタクの言葉にリクオ達は敵と距離を取って様子をうかがった。
「え…?」
青行燈の様子が変わったことに気付いたのはつららだった。
カチカチと口元が動き、リクオ達のいる方向を向いて大きく開かれる。その口から放たれたのは、光線のようなもの。
「避けろ狐ノ依!」
「は、はい…!」
破壊力は相当のもので、その光に包まれたものは悉く破壊されていく。
しかし、避けるのはそれほど難しくない。さっと跳んで避けながら狐ノ依は後ろに下がった。
「近付かなきゃ今度は飛び道具かよ!」
「リクオ!オレはこっちから行く、お前はそっちから行け!」
「あぁ、分かった」
結局近付いても近付かなくても攻撃をしてくる。となれば、しっかりと作戦を立てて攻撃しなければ駄目だ。
それが分かり、イタクとリクオが連携することで攻撃を与えていった。
確かに攻撃は当たっていた。ダメージは確実に与えられていたのだ。
「ちょっと待って下さい、リクオ様…!」
「狐ノ依?」
「相手の傷が癒えています!」
しかし、数秒と待たずに傷一つ無い元の姿に戻って行く。
狐ノ依の言葉に皆が青行燈を見上げて、そして唖然とした。
「そんな…まさか、不死身なの…!?」
「いや、こんな無尽蔵に再生する体なんて有り得ねぇ。どこかにカラクリがあるはずだ」
青ざめたつららに対し、イタクは冷静に目を凝らしていた。
カラクリ、なんてものは狐ノ依もさすがに見つけられていない。
「それじゃあ…そのカラクリを見つけるまで、この不死身の体を殴り続けなければいけないの…?」
「…やるしかない、か」
不安そうにするつららの横で、リクオがゆっくりと立ち上がる。敵を見据える目はまだ戦意を失っていない。
狐ノ依は自分の手のひらを見つめ、そして深く頷いた。
「大丈夫です。こちらも不死身ですから」
「狐ノ依?」
「ボクが皆を守ります」
狐ノ依の体から妖気が湧き出る。その瞬間、皆の負った傷が全て癒えていた。
今狐ノ依に出来ること。
それは、やはり戦うことではなく、皆を守ることだった。
狐ノ依の能力に守られている中、リクオとイタクとつららの三人は青行燈への攻撃を続けていた。
敵の攻撃による傷も、こちらからの攻撃による相手の傷も、どちらもすぐに治っていく。不毛すぎる戦い。
そう思われた戦いにも、ようやく光明が見え始めていた。
「顔だ、顔周辺の傷の治りが早い!」
「さっき奴の口の中に窯のような物が見えた気がした…。恐らくそれがカラクリの正体だ」
リクオが気付き、そしてイタクが見つける。
二人は互いに武器を構え、そして敵を見据えた。
「あの窯はオレがやる。あとはリクオ、オマエがやるんだぜ」
ばっと飛び出したイタクが青行燈へ攻撃をしかける。
青行燈は近距離での攻撃に対し、必ずカウンターをしかけてくるのだ。それは、感情のない機械だからこその、絶対に起こる行動パターン。
それを逆手にとって、その隙に口の中の窯を潰す。
リクオとイタク、二人で確実に敵を倒す作戦だ。
「今だ!リクオ!」
「おおお!」
雄叫びを上げながら、リクオがイタクの後に続く。
届け、届け。祈る思いに狐ノ依は自分の手を握り締め、遠ざかるリクオの背中を見つめた。
「明鏡止水、斬!」
リクオが刀を振りかざし、そのまま敵の体に突っ込んでいく。
青行燈は真ん中から二つに裂かれ、回復する為のカラクリを失っていた為に、そのまま跡形もなく消えて行った。
「やった!やりましたね、リクオ様!」
ぱっと笑顔を咲かせたつららが両手を合わせて喜ぶ。
さすがのイタクも、頬を拭いながら安堵に息を吐き出した。
「よくやったな、リクオ」
「イタク、てめぇのおかげだ。それに狐ノ依も…」
振り返って、後ろで守ってくれた狐ノ依を見やる。その瞬間、リクオはさっと血の気が引くのを感じた。
「おい、狐ノ依!?」
「え…?やだ、狐ノ依!どうしたの!?」
戦いには参加せずにいた狐ノ依が、狐の姿で身を丸くしている。
リクオが駆け寄って抱き上げれば、ふさっと大きな尾が揺れて大丈夫だと知らせているが、それでも。
「どうして、狐ノ依が」
「さっきの技が狐ノ依の妖力を大きく削ったんだろ」
「そうか…長い時間オレ達に妖気を費やしたから…」
困惑するリクオに、刀を仕舞っていたイタクが落ち着けと言わんばかりに冷静な言葉を吐き出す。
確かに、さっきの技は初めてみるものだった。
狐ノ依自身、制御することが出来なかったのかもしれない。
「狐ノ依…。ありがとな、おかげで助かった」
顔を上げた狐ノ依は、首を左右に振ってからリクオにすり寄った。
狐ノ依の体に異常はない。妖気の消費が激しかったせいで、人間の姿を取れなくなっただけで間違いないらしい。
「でも、ここまで無茶するこた無かったんだぜ…?」
「今更何言ってんだ、リクオ。狐ノ依は…そういう奴だったろ。お前と一緒で」
「…そう、だな。気付いてやれなくて、悪かった」
リクオは自分の肩に狐ノ依を乗せると、一歩足を進めた。
それから振り返ってつららとイタクを見据える。
「イタク、つらら、行けるか?」
「はい!」
「狐ノ依のおかげで無傷だからな」
「よし。じゃあ急ぐぞ!」
手こずったこともあって、圓潮が去ってから時間が経ってしまった。悠長にしている余裕はない。
そう思って急いで行ったリクオ達だったが、彼等の前にもう敵は現れなかった。
青行燈が倒されることは無いと過信していたのだろう。
「いた、あそこだ」
リクオが指をさす先に、圓潮の姿。
そして、知らぬ間に姿を消していた竜二と、いつからここに来ていたのか黒田坊も共にいるのが見える。
そしてもう一人、見知らぬ男の姿。
「黒!竜二!」
慌てて駆け寄ったリクオの足は、黒田坊の制止の声で止まることとなった。
「若、踏み込まないで下さい!」
「!?」
「結界が張られています」
足元には妖怪が入ると消滅してしまうであろう結界。
それを張ったのが、圓潮の横にいる男だろうということはすぐに判断出来た。
残念、入らなかった。そう呟く男は、若い少年のような容姿で、和装に身を包んでいる。
「竜二…あいつは、誰だ?」
「あれは…安倍晴明の子孫だ」
「晴明の子孫…!?」
言われてみれば、彼の装いは一般的に陰陽師が着る狩衣に近い。そしてその手には、護符のようなものが握られている。
「青行燈を倒したようだね」
口元に笑みを浮かべた圓潮がリクオに目を向けた。
何を考えているのか分からない真っ黒な瞳が、今は真っ直ぐにリクオを見ている。
「無傷なのは…そこの妖狐のおかげかな」
「あぁ。残念だったな、圓潮」
「確かに想定外だけど…」
圓潮は言葉と裏腹に、大して焦りも見せていない。それどころか、ただ笑みを浮かべ続けている。
「…青行燈が生まれた時点であたしの噺は完成しているんだよ。奴良リクオ、このシマで君の畏は皆無だ」
「だからなんだ?失ったなら取り戻すまでよ」
確かに、既に妖怪に乗っ取られたリクオの場所。それが戻ってきたわけではない。
しかし、まだ終わってもいない。
「人々を闇に堕とすてめぇらに、朝を迎える資格はねぇ!」
リクオが刀を圓潮に向けた。黒い切っ先が圓潮を捕らえている。
このまま直接対決が始まるか…そう思われた矢先、足元が大きく揺れ始めた。
「なんだ!?」
響き渡るのは、憎悪に包まれたどす黒い声。
『おのれ…奴良組…おのれ圓潮!ワシは滅びぬ…ワシは…!』
じわじわと足元から黒い怪物が現れ、リクオ達を見下ろした。
崩れた肉体。醜く歪んだ姿。
「山ン本…。何故だ、肉体もないのに…」
『返せ…我が肉体…』
大きな骸骨のような顔をした妖怪、山ン本。もはや怨みのみで動いているその妖怪は、敵味方など関係ない。
憎い対象に恨みを晴らすまでは、ただそれの為だけに破壊し続けるのだろう。
そして、その対象は今、圓潮と奴良組に向いていた。
「ここはもう駄目だ!脱出するぞ!」
リクオ達が脱出する中、崩れる頭上など気にせず圓潮は山ン本を見上げていた。というより、逃げることが出来なかった。
返せ、という声と共に山ン本へと体が引っ張られている。
「水をさされちゃったね」
そう言って笑うのは、陰陽師であるという男。
その横で、圓潮は顔の左側を抑えながら町の方へと移動する山ン本を眺めていた。
「どうする?戻る?」
「…裏切りの代償は体半分…強欲な親父だね…」
圓潮の体、左半分は真っ黒に染まり、あるべき目や腕が消えている。
元々山ン本の一部だった妖怪。不気味に響く声が「返せ」と言った通り、体は山ン本の方へと引っ張られたのだ。
同様の理由もあり、百物語組の幹部はほとんどのモノが死亡又は消息不明として姿を消した。
この日、本当に百物語組は終わったのだった。
・・・
東京の上空をゆらゆらと移動する大きな妖怪。三百年前に鯉伴が倒したはずの山ン本の、その当時以上に大きくなった姿。
それは本能的に奴良組への復讐で動いているらしく、ゆっくりと、しかし着実に本家へと近付いていた。
「狐ノ依…まだ駄目か…?」
外へと飛び出したリクオは、へたりと耳を折っている狐ノ依に問いかけた。
いつものように肩に乗せているだけでは振り落とされそうな程、ぐったりとしている狐ノ依をリクオはその腕に抱いている。
「…悪ぃ、暫く我慢していてくれ」
狐ノ依の体には大した傷の一つもない。しかし、それが余計に不安で、リクオは懐に狐ノ依を入れると頭を優しく撫でた。
「リクオ!」
そこに追いついて来たイタクがリクオの隣に並ぶ。同じようにつららも、焦った様子でリクオの横についた。
「リクオ様、このままだと本家に…!」
「あぁ…。あの怪物、人も建物も関係なく進んでいきやがる…!急ぐぞ!」
「はい!」
体が大きい分、山ン本は動いているだけで辺りを壊していく。
そして、その先には本家。このままでは本家も容易く壊されてしまうだろう。
リクオ達は素早く移動し、奴良組本家の見慣れた庭に足をついた。
「あぁ…本家が…」
そう呟くつららの視線は上に向けられている。思ったよりも動きの早かった山ン本はもうそこまで来ていた。
「リクオ…どうやって倒す…?」
「もう小細工は必要ねぇ。奴はでかいだけだ」
リクオは問いかけたイタクを見ずに、じっと山ン本を見上げていた。
そして、懐から狐ノ依を取り出すと、イタクの手にひょいと乗せた。
「リクオ…?」
「狐ノ依を頼む」
「おい」
「つらら、纏うぞ」
「は、はい!」
ひょいと屋根の上に上がったリクオにつららが続く。それを目で追ってから、イタクは小さく息を吐き出した。
先程までの戦闘によるダメージは狐ノ依のおかげでほとんど無くなっているとはいえ、リクオはつららと二人で戦う気らしい。
「お前の主は無茶ばかりしやがるな、狐ノ依」
耳をぴくりと揺らした狐ノ依の鼻がくんくんと鳴る。
その声は少し寂しげなものに聞こえて、イタクは自分の汚れた手を着物で拭ってから、乱れた毛並みを撫でた。
「ったく…狐ノ依の気持ちを捕らえておきながらリクオの奴…」
屋根の上でリクオとつららが一つになる。
つららを纏ったリクオの刀はきらきらと氷で包まれ輝き、その強度も威力も明らかに以前とは違っていた。
「、狐ノ依?」
それを見ていた狐ノ依が小さく首を動かした。
「おい、何してる…!」
ぺろ、と狐ノ依の舌がイタクの腕につくられた傷をなぞる。
それを止めさせようとイタクが狐ノ依の体を掴んだ瞬間、その体が重くなり二人同時に倒れ込んでいた。
「ボク…分かってるんです…」
イタクの胸の上で、弱弱しい声が言葉を紡ぐ。
それが狐ノ依の奥底にある本音だと気付き、イタクは激しい轟音の下、耳を傾けた。
「なんだ、どうした?」
「ボクは、戦いに向いていない…。リクオ様の背中を守れるような妖怪にはなれません」
「…」
イタクの胸に顔を寄せて、体を丸くする。
狐の時とは違う艶やかな髪の毛並みに指を滑らせて、イタクは目を閉じた。
時を待たず、邪悪に染まった妖気が崩れていく。
山ン本はあっという間にリクオとつららの力によってかき消されていた。
「狐ノ依、戦いは終わったぜ」
「ボクは…このままで良いのでしょうか…」
「それはリクオに聞け。オレからは…何も言えねぇよ」
「…」
辺りで響く歓声は、奴良組の妖怪達の喜びの声。
長かった百物語組との戦いはこれで終わったといって良いのだろう。
狐ノ依の迷いなど、今の奴良組には関係のないこと。今夜は宴だと呑気に騒ぐ小さな妖怪達が、狐ノ依の横を通り過ぎて行った。
それを目で追って起き上れば、屋根の上から降りて来たリクオが、戦いの後の疲れから目を細めているつららと寄り添っている。
「あぁ…立派なお姿です…」
自然と震えた声に、ぶるっと背中も震えた。
以前なら感じた嫉妬も、今は感じない。そうあったものだと受け入れようとしている心がみしみしと痛みを訴えてくる。
「これが、あるべき姿だ」
「おい、狐ノ依…?」
「イタクさん。すみません、勝手に血を頂いてしまって…」
「や、そんなことは構わねぇけど…」
共に戦うこともろくに出来ず、出来ることと言えば傷を癒すことだけ。
リクオは奴良組の為に、そして人間の為に戦っている。それなのに、いつまでも自分の我が儘でリクオの後をくっ付き回っていていいのか。
「…主離れ、すべき時がきたんですよね」
ぽつりと、問いかけたのか自分に言い聞かせたのか。
狐ノ依は血の付いた口元を拭って、ゆっくりと立ち上がった。
「したい事とすべき事は、ちゃんと…見極めなければ」
イタクが何か言いたげに顔を上げる。
それを無視して、狐ノ依はリクオの元へ近付いて行った。
戦いを終えたリクオにせめて感謝の言葉を。
そう思い近付いた狐ノ依の前に、小さな体がぱっと入り込んだ。
「リクオくん」
高めの少女の声、家長カナだ。
それに続いてぞろぞろと、いつもの学校のメンバーがリクオの周りを取り囲む。もはや懐かしくも感じる、清継、鳥居に巻だ。
「カナちゃん…みんな…無事だったかい」
「うん。リクオくんも乗り切ったんだね」
本当に心配していたのだろう、リクオがカナに向ける表情は真剣そのもの。
狐ノ依はごくりと唾を飲んで、気付かれないように後ろに下がった。
「マジでこのにーちゃんがリクオなの?」
初めてまともに“リクオとして”見る妖怪のリクオに、巻と鳥居が躊躇いがちに視線をさまよわせる。
それに対し、カナは躊躇うことなく頷いた。
「そーだよ!みんなを守ってくれたのも、さっきみたいに妖怪を率いて悪い奴等を倒してくれたのも!」
「へー…」
信じ切れていないのか、巻は怪訝そうにリクオを見ているが、その反応はむしろ当然のもの。おかしいのは信じ切っているカナの方だ。
そんなことを気にする様子もなく、カナは後ろに立つ清継を指さした。
「そうそう!清継くん、奴良組の活躍動画や書き込みをして頑張ってたんだよ!」
「ああ…そうだったのかい…」
自分のことのように話すカナから、リクオの視線は清継へと動く。
そのまま清継に近付いたリクオは、にっと柔らかく笑った。
「ありがとな」
「い、いえ…ボク何も出来なくて…噂を信じた人たちを元に戻せなかったし!」
「おいおい、清継らしくねぇ」
清継の肩をぽん、と叩く。そのリクオの手は優しくて、清継は恐る恐る顔を上げた。
そこにいるのは、良く知る、中学生のリクオだった。
「畏を失ったんなら…取り戻しゃあいいだけだろ?オレは妖怪の主だぜ?」
しかし、その笑い方は自信に満ちた、夜の表情にも重なるものがあった。
リクオは妖怪であり、人間でもある。
だから、リクオが人を救うのは当然のこと。
何度も見てきたその認めたくない光景を、狐ノ依は目を逸らさずにじっと見つめていた。
認めなければならないのだ。リクオが人と繋がって生きていくことを。
「リクオ様…」
思わず呼んでしまった声に、皆が振り返る。
リクオの目も、狐ノ依の姿を捕らえていた。
「狐ノ依、体は大丈夫なのか?」
「はい」
「そうか、良かった…」
リクオと同様に改めて再確認する狐ノ依の本来の姿に、溜め息がいくつか漏れる。
そんな反応に多少躊躇いながら、狐ノ依は少しずつリクオの方へと近付いて行った。
「リクオ様こそ、ご無事で良かったです」
「あぁ…」
「お話が終わったら、お怪我を治させて下さいね」
しかし、それだけ告げてリクオに背を向ける。
もうリクオが人と関係をつくるのを邪魔したりしない。リクオが誰と親しくなろうと口を挟まない。
そうして、少しずつリクオの傍を離れよう。
そうでもしないと、いつまでもリクオから離れることが出来なくなってしまうから。今までのように。
「おい、ちょっと待て狐ノ依…」
呼び止める声にびくりと肩が震える。それでも、狐ノ依は足を止めて首だけを後ろに向けた。
そうして見たリクオは、そこに倒れていた。
「リクオ様!?」
「わぁ!奴良に戻った!」
せっかく胸に宿した決意も意味をなさず。
狐ノ依は急いでリクオに駆け寄ると、その胸に手を当てた。
戦い続きでの疲労。そして、無数に刻まれた体の傷。さすがに倒れても仕方ない程で。
「狐ノ依、リクオ様は…」
「寝てればすぐ良くなるよ」
「そう…良かった」
狐ノ依は清継の手を借りて、リクオを部屋へと運んだ。
カナや清継がそこにいる光景は、まだまだ平穏が訪れたわけではないというのに、ようやく日常が戻ってきたようで。
(これが、リクオ様の帰るべき日常…。友といる人間の世界…)
人間との関わりの重要さを今更ながらに痛感する。
狐ノ依は、布団に寝かせたリクオを心配そうに見下ろすカナの手を、とんと突いた。
「狐ノ依くん?」
「…リクオ様の帰る場所でいてね」
「えっと…?」
「ここがあれば、リクオ様は帰ってこれるから」
カナは不思議そうに目を丸くしてから、うんと力強く頷いた。それを見て、悔しくも安心する。
狐ノ依は先に立ち上がると、彼等を残して部屋を去った。
「…狐ノ依、良かったの?」
「つらら…」
部屋を出てすぐ、話を聞いていたのだろう、つららがそこに立っていた。
急に態度を変えた狐ノ依を心配して眉をさげている。しかし、その質問には答えない。
「つらら、リクオ様と共に戦えるのは君だよ」
「え?」
「妖狐ってほら、戦う力は強くないから。リクオ様の隣は…任せることにした」
「ちょっと、狐ノ依…何言ってるの?」
宣言することで揺らぎそうになる心へのストッパーとする。
本音はこんなこと、望んでなどいないのだから。
「リクオ様の為にボクに出来ることは、リクオ様の傍らにいることじゃないんだって、ようやく気付いたんだ」
「狐ノ依…」
「だから、つらら。今まで、ごめんね」
つららが驚いて目を見開く。
狐ノ依はつららの言葉を待たずに歩き出した。部屋から離れて、自分に出来ることを探す為に。
血への欲求も欲望ごと呑み込んで。
頭を斬られた山ン本だと思われる妖怪が、血を流し倒れている。
それを斬り付けた当人である圓潮は、冷酷な表情のまま。それが組長だという意識は端から持っていなかったかのように呟いた。
「あなたはただの脳でしょう。元々、雑多な妖を束ねる為の名前が必要なだけでしたし」
どういうことだ。
百物語組が目の前で勝手に崩壊していく。
リクオは目を見開いたまま言葉も出ず、唖然とその光景を眺めていた。今、それ以外に出来ることなど何も見つからない。
「百物語組は、今日で解散ですよ」
その言葉はリクオに向けられたもの。
「てめぇ…なんなんだ、意味わかんねーぞ!」
「あたしはただ…怪談を語りたいだけの男ですよ」
「怪談を、語りたいだけ…だと?」
元々、山ン本から生まれた妖怪である圓潮。山ン本は、怪奇を語ることを楽しむ人間だった。
皮肉にも、それを引き継いだ圓潮だからこそのこの行動だったのだろう。
しかし、圓潮のやっていることは言葉と矛盾している。
彼がしてきたことは、ただ怪談を語っていただけではないのだ。
「てめぇらのその勝手な欲望で…どんだけの人間を苦しめるつもりだ!」
「そう。噺家として、歴史を…伝説を語る者となる」
「てめぇ…!」
圓潮の身勝手な態度に怒りが更に募り、リクオは刀を構えて圓潮へと突っ込んでいった。
それをも気にしない様子で、圓潮はニッと口元に笑みを浮かべる。
「すなわち、鵺の再誕を」
「…鵺…?」
「今夜はその序章ですよ」
思わずリクオは足を止めていた。
圓潮の言葉を合図としたかのように禍々しい妖気が閉ざされた空間に満ち始める。
「り…リクオ様、下がってください…!」
そう叫んだ狐ノ依の視線の先にいるのは、圓潮の背後に現れた大きな妖怪。
顔を上げなければ全身を拝めない程の大きな体、その腕がゆっくりと振り上げられた。
「リクオ様!」
あっさりと弾かれたリクオを、狐ノ依が抱き留める。とはいえ、体格差とその勢い故に、狐ノ依も尻餅をついてしまったが。
「っ…悪い狐ノ依!くそ…なんだ、あいつは…!?」
「あれも圓潮の作り出した妖怪…最後の百物語の怪談、なのでしょうか」
「ったく、厄介なことしやがって!」
刀でのガードも虚しくリクオの体には傷が増やされ、狐ノ依は目の前に立つ巨大な妖怪を見据えた。
その前に立つ圓潮が、相変わらずの無表情に近い顔に貼り付く口元に笑みを浮かべている。
「今日のゲームは楽しかった」
「圓潮、てめぇの思い通りにはさせねぇ!」
「駄目です、リクオ様!」
去ろうとする圓潮を追おうとすれば、立ち塞がる妖怪がリクオに向かって攻撃を仕掛けて来る。
狐ノ依は思わずリクオと妖怪の間に飛び込んでいた。
「リクオ様ー…!!」
「っ狐ノ依!?」
リクオを庇って攻撃を受ける。
しかし、余りにも強い衝撃に、狐ノ依はリクオもろとも吹き飛ばされてしまった。
「リクオ様!狐ノ依!」
「今の反撃、恐らく反応してんのは奴を覆っている畏だ。まるで畏でできたマシーンだな…」
「そんなの、どうしたらいいの…!?」
つららもイタクも応戦するが、こちらの攻撃は全く効いていない。
圓潮が語った、今宵最後の噺「妖怪 青行燈」。この妖怪から滲み出る信念。これこそが言霊使いの力だった。
「狐ノ依、無事か!?」
「はい…ボクのことは、お気になさらず…」
「そういうわけにもいかねーんだよ」
「…すみません」
何とか最小限の治癒を自らの体に行う。明らかに今までの妖怪とは違う、別格の力を持っている妖怪。
ここまで大きな妖怪相手では、狐ノ依の炎など大した効力ももたないだろう。だとしたら、今の狐ノ依に出来ることはなんだ。
「イタクさんの言っていたことが本当なら…近付いての攻撃は出来ませんね」
「あぁ…畏が反応して動く兵器…か」
大きな敵を見上げる。
リクオの師匠でもあるイタクでさえ、攻撃は通らない。むしろ相殺しきれずにダメージを受けてしまっている。
「気を付けろ、リクオ…。まともに攻撃を受けたらヤバい」
近付けば、畏に反応して反撃してくる。まるで、畏に反応して動く兵器のような妖怪。
イタクの言葉にリクオ達は敵と距離を取って様子をうかがった。
「え…?」
青行燈の様子が変わったことに気付いたのはつららだった。
カチカチと口元が動き、リクオ達のいる方向を向いて大きく開かれる。その口から放たれたのは、光線のようなもの。
「避けろ狐ノ依!」
「は、はい…!」
破壊力は相当のもので、その光に包まれたものは悉く破壊されていく。
しかし、避けるのはそれほど難しくない。さっと跳んで避けながら狐ノ依は後ろに下がった。
「近付かなきゃ今度は飛び道具かよ!」
「リクオ!オレはこっちから行く、お前はそっちから行け!」
「あぁ、分かった」
結局近付いても近付かなくても攻撃をしてくる。となれば、しっかりと作戦を立てて攻撃しなければ駄目だ。
それが分かり、イタクとリクオが連携することで攻撃を与えていった。
確かに攻撃は当たっていた。ダメージは確実に与えられていたのだ。
「ちょっと待って下さい、リクオ様…!」
「狐ノ依?」
「相手の傷が癒えています!」
しかし、数秒と待たずに傷一つ無い元の姿に戻って行く。
狐ノ依の言葉に皆が青行燈を見上げて、そして唖然とした。
「そんな…まさか、不死身なの…!?」
「いや、こんな無尽蔵に再生する体なんて有り得ねぇ。どこかにカラクリがあるはずだ」
青ざめたつららに対し、イタクは冷静に目を凝らしていた。
カラクリ、なんてものは狐ノ依もさすがに見つけられていない。
「それじゃあ…そのカラクリを見つけるまで、この不死身の体を殴り続けなければいけないの…?」
「…やるしかない、か」
不安そうにするつららの横で、リクオがゆっくりと立ち上がる。敵を見据える目はまだ戦意を失っていない。
狐ノ依は自分の手のひらを見つめ、そして深く頷いた。
「大丈夫です。こちらも不死身ですから」
「狐ノ依?」
「ボクが皆を守ります」
狐ノ依の体から妖気が湧き出る。その瞬間、皆の負った傷が全て癒えていた。
今狐ノ依に出来ること。
それは、やはり戦うことではなく、皆を守ることだった。
狐ノ依の能力に守られている中、リクオとイタクとつららの三人は青行燈への攻撃を続けていた。
敵の攻撃による傷も、こちらからの攻撃による相手の傷も、どちらもすぐに治っていく。不毛すぎる戦い。
そう思われた戦いにも、ようやく光明が見え始めていた。
「顔だ、顔周辺の傷の治りが早い!」
「さっき奴の口の中に窯のような物が見えた気がした…。恐らくそれがカラクリの正体だ」
リクオが気付き、そしてイタクが見つける。
二人は互いに武器を構え、そして敵を見据えた。
「あの窯はオレがやる。あとはリクオ、オマエがやるんだぜ」
ばっと飛び出したイタクが青行燈へ攻撃をしかける。
青行燈は近距離での攻撃に対し、必ずカウンターをしかけてくるのだ。それは、感情のない機械だからこその、絶対に起こる行動パターン。
それを逆手にとって、その隙に口の中の窯を潰す。
リクオとイタク、二人で確実に敵を倒す作戦だ。
「今だ!リクオ!」
「おおお!」
雄叫びを上げながら、リクオがイタクの後に続く。
届け、届け。祈る思いに狐ノ依は自分の手を握り締め、遠ざかるリクオの背中を見つめた。
「明鏡止水、斬!」
リクオが刀を振りかざし、そのまま敵の体に突っ込んでいく。
青行燈は真ん中から二つに裂かれ、回復する為のカラクリを失っていた為に、そのまま跡形もなく消えて行った。
「やった!やりましたね、リクオ様!」
ぱっと笑顔を咲かせたつららが両手を合わせて喜ぶ。
さすがのイタクも、頬を拭いながら安堵に息を吐き出した。
「よくやったな、リクオ」
「イタク、てめぇのおかげだ。それに狐ノ依も…」
振り返って、後ろで守ってくれた狐ノ依を見やる。その瞬間、リクオはさっと血の気が引くのを感じた。
「おい、狐ノ依!?」
「え…?やだ、狐ノ依!どうしたの!?」
戦いには参加せずにいた狐ノ依が、狐の姿で身を丸くしている。
リクオが駆け寄って抱き上げれば、ふさっと大きな尾が揺れて大丈夫だと知らせているが、それでも。
「どうして、狐ノ依が」
「さっきの技が狐ノ依の妖力を大きく削ったんだろ」
「そうか…長い時間オレ達に妖気を費やしたから…」
困惑するリクオに、刀を仕舞っていたイタクが落ち着けと言わんばかりに冷静な言葉を吐き出す。
確かに、さっきの技は初めてみるものだった。
狐ノ依自身、制御することが出来なかったのかもしれない。
「狐ノ依…。ありがとな、おかげで助かった」
顔を上げた狐ノ依は、首を左右に振ってからリクオにすり寄った。
狐ノ依の体に異常はない。妖気の消費が激しかったせいで、人間の姿を取れなくなっただけで間違いないらしい。
「でも、ここまで無茶するこた無かったんだぜ…?」
「今更何言ってんだ、リクオ。狐ノ依は…そういう奴だったろ。お前と一緒で」
「…そう、だな。気付いてやれなくて、悪かった」
リクオは自分の肩に狐ノ依を乗せると、一歩足を進めた。
それから振り返ってつららとイタクを見据える。
「イタク、つらら、行けるか?」
「はい!」
「狐ノ依のおかげで無傷だからな」
「よし。じゃあ急ぐぞ!」
手こずったこともあって、圓潮が去ってから時間が経ってしまった。悠長にしている余裕はない。
そう思って急いで行ったリクオ達だったが、彼等の前にもう敵は現れなかった。
青行燈が倒されることは無いと過信していたのだろう。
「いた、あそこだ」
リクオが指をさす先に、圓潮の姿。
そして、知らぬ間に姿を消していた竜二と、いつからここに来ていたのか黒田坊も共にいるのが見える。
そしてもう一人、見知らぬ男の姿。
「黒!竜二!」
慌てて駆け寄ったリクオの足は、黒田坊の制止の声で止まることとなった。
「若、踏み込まないで下さい!」
「!?」
「結界が張られています」
足元には妖怪が入ると消滅してしまうであろう結界。
それを張ったのが、圓潮の横にいる男だろうということはすぐに判断出来た。
残念、入らなかった。そう呟く男は、若い少年のような容姿で、和装に身を包んでいる。
「竜二…あいつは、誰だ?」
「あれは…安倍晴明の子孫だ」
「晴明の子孫…!?」
言われてみれば、彼の装いは一般的に陰陽師が着る狩衣に近い。そしてその手には、護符のようなものが握られている。
「青行燈を倒したようだね」
口元に笑みを浮かべた圓潮がリクオに目を向けた。
何を考えているのか分からない真っ黒な瞳が、今は真っ直ぐにリクオを見ている。
「無傷なのは…そこの妖狐のおかげかな」
「あぁ。残念だったな、圓潮」
「確かに想定外だけど…」
圓潮は言葉と裏腹に、大して焦りも見せていない。それどころか、ただ笑みを浮かべ続けている。
「…青行燈が生まれた時点であたしの噺は完成しているんだよ。奴良リクオ、このシマで君の畏は皆無だ」
「だからなんだ?失ったなら取り戻すまでよ」
確かに、既に妖怪に乗っ取られたリクオの場所。それが戻ってきたわけではない。
しかし、まだ終わってもいない。
「人々を闇に堕とすてめぇらに、朝を迎える資格はねぇ!」
リクオが刀を圓潮に向けた。黒い切っ先が圓潮を捕らえている。
このまま直接対決が始まるか…そう思われた矢先、足元が大きく揺れ始めた。
「なんだ!?」
響き渡るのは、憎悪に包まれたどす黒い声。
『おのれ…奴良組…おのれ圓潮!ワシは滅びぬ…ワシは…!』
じわじわと足元から黒い怪物が現れ、リクオ達を見下ろした。
崩れた肉体。醜く歪んだ姿。
「山ン本…。何故だ、肉体もないのに…」
『返せ…我が肉体…』
大きな骸骨のような顔をした妖怪、山ン本。もはや怨みのみで動いているその妖怪は、敵味方など関係ない。
憎い対象に恨みを晴らすまでは、ただそれの為だけに破壊し続けるのだろう。
そして、その対象は今、圓潮と奴良組に向いていた。
「ここはもう駄目だ!脱出するぞ!」
リクオ達が脱出する中、崩れる頭上など気にせず圓潮は山ン本を見上げていた。というより、逃げることが出来なかった。
返せ、という声と共に山ン本へと体が引っ張られている。
「水をさされちゃったね」
そう言って笑うのは、陰陽師であるという男。
その横で、圓潮は顔の左側を抑えながら町の方へと移動する山ン本を眺めていた。
「どうする?戻る?」
「…裏切りの代償は体半分…強欲な親父だね…」
圓潮の体、左半分は真っ黒に染まり、あるべき目や腕が消えている。
元々山ン本の一部だった妖怪。不気味に響く声が「返せ」と言った通り、体は山ン本の方へと引っ張られたのだ。
同様の理由もあり、百物語組の幹部はほとんどのモノが死亡又は消息不明として姿を消した。
この日、本当に百物語組は終わったのだった。
・・・
東京の上空をゆらゆらと移動する大きな妖怪。三百年前に鯉伴が倒したはずの山ン本の、その当時以上に大きくなった姿。
それは本能的に奴良組への復讐で動いているらしく、ゆっくりと、しかし着実に本家へと近付いていた。
「狐ノ依…まだ駄目か…?」
外へと飛び出したリクオは、へたりと耳を折っている狐ノ依に問いかけた。
いつものように肩に乗せているだけでは振り落とされそうな程、ぐったりとしている狐ノ依をリクオはその腕に抱いている。
「…悪ぃ、暫く我慢していてくれ」
狐ノ依の体には大した傷の一つもない。しかし、それが余計に不安で、リクオは懐に狐ノ依を入れると頭を優しく撫でた。
「リクオ!」
そこに追いついて来たイタクがリクオの隣に並ぶ。同じようにつららも、焦った様子でリクオの横についた。
「リクオ様、このままだと本家に…!」
「あぁ…。あの怪物、人も建物も関係なく進んでいきやがる…!急ぐぞ!」
「はい!」
体が大きい分、山ン本は動いているだけで辺りを壊していく。
そして、その先には本家。このままでは本家も容易く壊されてしまうだろう。
リクオ達は素早く移動し、奴良組本家の見慣れた庭に足をついた。
「あぁ…本家が…」
そう呟くつららの視線は上に向けられている。思ったよりも動きの早かった山ン本はもうそこまで来ていた。
「リクオ…どうやって倒す…?」
「もう小細工は必要ねぇ。奴はでかいだけだ」
リクオは問いかけたイタクを見ずに、じっと山ン本を見上げていた。
そして、懐から狐ノ依を取り出すと、イタクの手にひょいと乗せた。
「リクオ…?」
「狐ノ依を頼む」
「おい」
「つらら、纏うぞ」
「は、はい!」
ひょいと屋根の上に上がったリクオにつららが続く。それを目で追ってから、イタクは小さく息を吐き出した。
先程までの戦闘によるダメージは狐ノ依のおかげでほとんど無くなっているとはいえ、リクオはつららと二人で戦う気らしい。
「お前の主は無茶ばかりしやがるな、狐ノ依」
耳をぴくりと揺らした狐ノ依の鼻がくんくんと鳴る。
その声は少し寂しげなものに聞こえて、イタクは自分の汚れた手を着物で拭ってから、乱れた毛並みを撫でた。
「ったく…狐ノ依の気持ちを捕らえておきながらリクオの奴…」
屋根の上でリクオとつららが一つになる。
つららを纏ったリクオの刀はきらきらと氷で包まれ輝き、その強度も威力も明らかに以前とは違っていた。
「、狐ノ依?」
それを見ていた狐ノ依が小さく首を動かした。
「おい、何してる…!」
ぺろ、と狐ノ依の舌がイタクの腕につくられた傷をなぞる。
それを止めさせようとイタクが狐ノ依の体を掴んだ瞬間、その体が重くなり二人同時に倒れ込んでいた。
「ボク…分かってるんです…」
イタクの胸の上で、弱弱しい声が言葉を紡ぐ。
それが狐ノ依の奥底にある本音だと気付き、イタクは激しい轟音の下、耳を傾けた。
「なんだ、どうした?」
「ボクは、戦いに向いていない…。リクオ様の背中を守れるような妖怪にはなれません」
「…」
イタクの胸に顔を寄せて、体を丸くする。
狐の時とは違う艶やかな髪の毛並みに指を滑らせて、イタクは目を閉じた。
時を待たず、邪悪に染まった妖気が崩れていく。
山ン本はあっという間にリクオとつららの力によってかき消されていた。
「狐ノ依、戦いは終わったぜ」
「ボクは…このままで良いのでしょうか…」
「それはリクオに聞け。オレからは…何も言えねぇよ」
「…」
辺りで響く歓声は、奴良組の妖怪達の喜びの声。
長かった百物語組との戦いはこれで終わったといって良いのだろう。
狐ノ依の迷いなど、今の奴良組には関係のないこと。今夜は宴だと呑気に騒ぐ小さな妖怪達が、狐ノ依の横を通り過ぎて行った。
それを目で追って起き上れば、屋根の上から降りて来たリクオが、戦いの後の疲れから目を細めているつららと寄り添っている。
「あぁ…立派なお姿です…」
自然と震えた声に、ぶるっと背中も震えた。
以前なら感じた嫉妬も、今は感じない。そうあったものだと受け入れようとしている心がみしみしと痛みを訴えてくる。
「これが、あるべき姿だ」
「おい、狐ノ依…?」
「イタクさん。すみません、勝手に血を頂いてしまって…」
「や、そんなことは構わねぇけど…」
共に戦うこともろくに出来ず、出来ることと言えば傷を癒すことだけ。
リクオは奴良組の為に、そして人間の為に戦っている。それなのに、いつまでも自分の我が儘でリクオの後をくっ付き回っていていいのか。
「…主離れ、すべき時がきたんですよね」
ぽつりと、問いかけたのか自分に言い聞かせたのか。
狐ノ依は血の付いた口元を拭って、ゆっくりと立ち上がった。
「したい事とすべき事は、ちゃんと…見極めなければ」
イタクが何か言いたげに顔を上げる。
それを無視して、狐ノ依はリクオの元へ近付いて行った。
戦いを終えたリクオにせめて感謝の言葉を。
そう思い近付いた狐ノ依の前に、小さな体がぱっと入り込んだ。
「リクオくん」
高めの少女の声、家長カナだ。
それに続いてぞろぞろと、いつもの学校のメンバーがリクオの周りを取り囲む。もはや懐かしくも感じる、清継、鳥居に巻だ。
「カナちゃん…みんな…無事だったかい」
「うん。リクオくんも乗り切ったんだね」
本当に心配していたのだろう、リクオがカナに向ける表情は真剣そのもの。
狐ノ依はごくりと唾を飲んで、気付かれないように後ろに下がった。
「マジでこのにーちゃんがリクオなの?」
初めてまともに“リクオとして”見る妖怪のリクオに、巻と鳥居が躊躇いがちに視線をさまよわせる。
それに対し、カナは躊躇うことなく頷いた。
「そーだよ!みんなを守ってくれたのも、さっきみたいに妖怪を率いて悪い奴等を倒してくれたのも!」
「へー…」
信じ切れていないのか、巻は怪訝そうにリクオを見ているが、その反応はむしろ当然のもの。おかしいのは信じ切っているカナの方だ。
そんなことを気にする様子もなく、カナは後ろに立つ清継を指さした。
「そうそう!清継くん、奴良組の活躍動画や書き込みをして頑張ってたんだよ!」
「ああ…そうだったのかい…」
自分のことのように話すカナから、リクオの視線は清継へと動く。
そのまま清継に近付いたリクオは、にっと柔らかく笑った。
「ありがとな」
「い、いえ…ボク何も出来なくて…噂を信じた人たちを元に戻せなかったし!」
「おいおい、清継らしくねぇ」
清継の肩をぽん、と叩く。そのリクオの手は優しくて、清継は恐る恐る顔を上げた。
そこにいるのは、良く知る、中学生のリクオだった。
「畏を失ったんなら…取り戻しゃあいいだけだろ?オレは妖怪の主だぜ?」
しかし、その笑い方は自信に満ちた、夜の表情にも重なるものがあった。
リクオは妖怪であり、人間でもある。
だから、リクオが人を救うのは当然のこと。
何度も見てきたその認めたくない光景を、狐ノ依は目を逸らさずにじっと見つめていた。
認めなければならないのだ。リクオが人と繋がって生きていくことを。
「リクオ様…」
思わず呼んでしまった声に、皆が振り返る。
リクオの目も、狐ノ依の姿を捕らえていた。
「狐ノ依、体は大丈夫なのか?」
「はい」
「そうか、良かった…」
リクオと同様に改めて再確認する狐ノ依の本来の姿に、溜め息がいくつか漏れる。
そんな反応に多少躊躇いながら、狐ノ依は少しずつリクオの方へと近付いて行った。
「リクオ様こそ、ご無事で良かったです」
「あぁ…」
「お話が終わったら、お怪我を治させて下さいね」
しかし、それだけ告げてリクオに背を向ける。
もうリクオが人と関係をつくるのを邪魔したりしない。リクオが誰と親しくなろうと口を挟まない。
そうして、少しずつリクオの傍を離れよう。
そうでもしないと、いつまでもリクオから離れることが出来なくなってしまうから。今までのように。
「おい、ちょっと待て狐ノ依…」
呼び止める声にびくりと肩が震える。それでも、狐ノ依は足を止めて首だけを後ろに向けた。
そうして見たリクオは、そこに倒れていた。
「リクオ様!?」
「わぁ!奴良に戻った!」
せっかく胸に宿した決意も意味をなさず。
狐ノ依は急いでリクオに駆け寄ると、その胸に手を当てた。
戦い続きでの疲労。そして、無数に刻まれた体の傷。さすがに倒れても仕方ない程で。
「狐ノ依、リクオ様は…」
「寝てればすぐ良くなるよ」
「そう…良かった」
狐ノ依は清継の手を借りて、リクオを部屋へと運んだ。
カナや清継がそこにいる光景は、まだまだ平穏が訪れたわけではないというのに、ようやく日常が戻ってきたようで。
(これが、リクオ様の帰るべき日常…。友といる人間の世界…)
人間との関わりの重要さを今更ながらに痛感する。
狐ノ依は、布団に寝かせたリクオを心配そうに見下ろすカナの手を、とんと突いた。
「狐ノ依くん?」
「…リクオ様の帰る場所でいてね」
「えっと…?」
「ここがあれば、リクオ様は帰ってこれるから」
カナは不思議そうに目を丸くしてから、うんと力強く頷いた。それを見て、悔しくも安心する。
狐ノ依は先に立ち上がると、彼等を残して部屋を去った。
「…狐ノ依、良かったの?」
「つらら…」
部屋を出てすぐ、話を聞いていたのだろう、つららがそこに立っていた。
急に態度を変えた狐ノ依を心配して眉をさげている。しかし、その質問には答えない。
「つらら、リクオ様と共に戦えるのは君だよ」
「え?」
「妖狐ってほら、戦う力は強くないから。リクオ様の隣は…任せることにした」
「ちょっと、狐ノ依…何言ってるの?」
宣言することで揺らぎそうになる心へのストッパーとする。
本音はこんなこと、望んでなどいないのだから。
「リクオ様の為にボクに出来ることは、リクオ様の傍らにいることじゃないんだって、ようやく気付いたんだ」
「狐ノ依…」
「だから、つらら。今まで、ごめんね」
つららが驚いて目を見開く。
狐ノ依はつららの言葉を待たずに歩き出した。部屋から離れて、自分に出来ることを探す為に。
血への欲求も欲望ごと呑み込んで。