リクオ夢(2011.10~2015.03)
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空を覆う黒い影。地に蔓延る妖怪の群れ。
あまりにも浸食された人間達の世界、そこにリクオは降り立った。
敵の妖怪を倒しながら、一人でも多くの人々を避難させる。その状況に戸惑うのは人間達の方だった。
「…どうなってるんだ?」
「レスキュー隊なの?」
「いや…妖怪と妖怪が戦ってんだよ」
情報はネットの掲示板を使って早く広く回って行く。
未だ多く存在している“リクオを殺せ”という文章の他、リクオが味方であるという文字もあるが、それは清継によって回されている数少ない情報だ。
しかし、それによって少しずつリクオに逆らう人間は減ってきている。
リクオは狐ノ依を傍らに置きながら、目の前に現れた無数の妖怪に刀を向けた。
「鏡斎…これで終いだ!」
二本の刀で妖怪達を切裂く。
鏡斎によって生み出された妖怪達は、墨となって姿を消して行った。
リクオの一刀で騒がしかった辺りに静寂が訪れる。
どうやら、鏡斎に描かれ生まれた妖怪は全て倒し尽くしたらしい。
「はぁ…」
「リクオ様、少しお休みになって下さい」
「いや、そうも言ってらんねぇよ」
狐ノ依はリクオの刀を握り締める手を掴んだ。
リクオは鏡斎のとの戦いによって負った呪いの跡を残したままで、普段よりも疲労が大きいように見える。
「では…せめて、触らせて下さい」
「狐ノ依?」
「気休め、でしかないのですが」
リクオの体に手を回して、少しでも回復するようにと妖気を巡らせる。
それを戸惑いながら見下ろしたリクオは、やんわりと狐ノ依の手を自分の体から剥がした。
「お前の体が汚れんだろ」
「…」
汚れる。その一言に、狐ノ依は自分の手を見つめたまま動かなくなった。
汚れるなんて、今更気にすることではない。既にこの体は汚れている。
「(そうだ…この汚れた体でリクオ様に触れるなんて…)」
「…狐ノ依?」
「いえ、すみませんでした」
狐ノ依はぱっと手を引っ込めて、一歩下がった。
リクオは狐ノ依に何があったのか気付いている。それでも気丈に振る舞っているのは、狐ノ依以上に大事なものを今抱えているからだ。
「こっちの道は安全ですよー!」
つららの、人々を誘導する声。
「ホラ、出てこい。もう大丈夫だから」
イタクの人々を救出する声。
今、リクオが望んでいるのは、一人でも多くの人間を救い出すこと。ならば、狐ノ依もそれに応えなければ。
「ボクも行ってきます」
「あ、おい狐ノ依…」
ぱっとリクオに背中を向けて人のいる方へ向かおうとする。
「助けて下さい、総大将様!」
「毛倡妓!?」
しかし、その直後聞こえて来た声に、狐ノ依は足を止めて振り返った。
外れた道から飛び出してきたのは毛倡妓。ふらふらと近付いてきた毛倡妓は、リクオの方へと倒れ込んでいた。
「あたしの追っていた幹部が、向こうの街でも人間を襲って…!」
「何、本当か!」
どうやら、手が足りない為に助けを求めに来たらしい。
早く援護に行かなければ、そう判断したリクオの目が毛倡妓から離れる。
瞬間、毛倡妓の手に何か光るものが見えた。
「リクオ様!離れて下さい!」
「狐ノ依?」
それが小刀であることに気付くまで時間はかからなかった。
しかし、油断しきっていたリクオは咄嗟に避けることが出来ず、毛倡妓の手に握られた小刀はリクオの懐へと突き出されていた。
「リクオ様!」
思わず飛び込んでリクオの体を押す。
その狐ノ依の背後を、大きな術が飲み込んでいた。
「え…?」
毛倡妓は悲痛の声を上げてそこへ崩れた。
何が起きたのか。目を見張った狐ノ依の視界の先に降り立った人影。
それは、陰陽師の花開院竜二だった。
「どういうことだ…?」
「そいつ、よく見てみろ」
竜二の視線は、今倒したばかりの毛倡妓に向けられている。
リクオも狐ノ依もその言葉に従い、毛倡妓に視線を落とした。
「狐ノ依様、これは…」
「ニセ物…」
毛倡妓の顔は崩れ、別の妖怪の顔がそこに見えている。
「ここに来る道すがら、何人かの毛倡妓を滅したよ…」
「何?」
「こいつの能力なんだろう。オレを撒いてなんとかお前に近付こうとしたようだ」
つまり、この敵の狙いはリクオを殺すことだった、ということか。
狐ノ依は戸惑いながらもリクオを見上げた。
「…何しに来た…」
「お前に、ちょっと伝えないといけないことがあってな…」
竜二の真剣な目がリクオに向けられている。
陰陽師の方からわざわざ出向くとは、“ちょっと”と言わず、余程大事な用なのだろう。
狐ノ依は二人の邪魔をしてしまわないようにと後ろに下がった。
「若!ご無事ですか!?」
「ったく、雑魚に油断してんなよ、リクオ」
しかし、その意図に反してたたっと駆け寄って来るはつららとイタク。
その二人の目は、ニセ物の毛倡妓に向けられていた。
「さっき奴良組の妖怪に聞いたんです。毛倡妓もこの変装妖怪にやられたって…」
「え…でも、これ雑魚なんじゃ…?」
つららの言葉に、狐ノ依は首を斜めに傾けた。
いくらなんでも毛倡妓が雑魚にやられるわけがない。とするとつまり、それが本体で。
では何故大将の元に雑魚を送ったのか、という疑問が生まれてしまう。
「じゃあ、こいつの本体は誰を狙ってんだよ…?」
当然の疑問をリクオが口に出す。
漂う嫌な予感は、一体何なのか。
予想の出来ない予感に、誰もが口を閉ざした。
・・・
「ありがとうね、毛倡妓ちゃん。お供してくれて」
「いーえ、いつでもお流ししますよ」
奴良組本家、そこにいるのはリクオの母である若菜と毛倡妓。
まだ濡れる髪をタオルで拭いながら、若菜は後ろを歩く毛倡妓に目を向けた。
「今日は皆ピリピリしちゃって…お風呂に入っていいのかどうか…」
「まぁ、今日は仕方ありませんよ~…三代目を筆頭に皆出入りに行ってますから」
ぼんやりと庭を眺めて、若菜は目を細めた。
いつの間にか大きくなってしまったリクオ。心配でないと言ったら嘘になる。
「でも…あの人に似てきたってことだから…」
知らない間に育っていく。それもまた誇らしいものなのだ。
まだ春でないのに咲き出している梅の花。若菜は庭に降りると、ちらほらと咲いている梅を見上げた。
「きっと…リクオ様も…若菜様を大事にしているんでしょうね…」
「毛倡妓ちゃん?」
ふと、辺りが暗くなった。
ついさっきまで後ろにいたはずの毛倡妓の姿がない。
「毛倡妓ちゃん…?どこ行ったの…?」
きょろきょろと見渡しても毛倡妓がいないどころか、暗闇に梅の木が立っているだけ。
もはや別の空間に飛ばされたかのような景色。
薄らと、若菜の背後に現れた毛倡妓の手には、小刀がしっかりと握られていた。
「若菜様!逃げて!」
声と共に、毛倡妓の手に持っていた小刀がその手から離れた。
よく見ると、毛倡妓の手には糸が絡まっている。
「な…ッ!?追っては撒いたはず…」
「若菜様に触れるんじゃねぇ!」
「ん?貴様は…」
糸を辿った先には、首無が立っていた。
普段の温和な姿からは想像がつかない程、鋭い目つきを毛倡妓に向けて。
「てめぇらの薄汚いやり口はあらかた予想がついてんだよ!」
「へぇ…あんたはちょっと…頭がまわるようねぇ…」
一方毛倡妓は、彼女らしからぬ表情と声を首無に向けている。
首無が躊躇うことなく手を引くと、糸の絡まった毛倡妓の体は地面に叩きつけられていた。
目の前にいるのが毛倡妓でないことは分かっている。首無は、本物の毛倡妓を見ているのだ。傷つき、自分の姿を奪われたと伝えに来た毛倡妓を。
「若菜様は屋敷の中へ!」
「は…はい!」
「そこの烏、黒羽丸に…そしてリクオ様に伝えてくれ。ここはオレが絶対に守りぬくと」
カァ…と一鳴きした烏がバタバタと飛び立っていく。
これで後は、この毛倡妓を装った妖怪を倒すだけだ。
そう思った矢先、屋敷の中へ入ろうとした若菜の足が止まった。
「何これ…前に行けない!?」
行く手を遮るかのように現れたのは幕。
ぐらりと足場が揺れ始めると、激しい轟音を立てて、辺りの景色が変わって行った。
「な、何だこれは…舞台!?」
木で出来た床。提灯の飾られた壁。
そこは首無が察した通り、まさしく歌舞伎の舞台だった。
「そう…ここはボクの戯演舞(あじゃらえんぶ)。演目が終わるまで出られない入れない」
さっきまで毛倡妓の姿をしていた妖怪は、元の姿に戻っている。
歌舞伎の役者のような顔に豪華な着物を着た妖怪、珠三郎。
それがハッタリではない、本当に力を持った妖怪だということは見るに明らかだった。
まんまと相手の術中にはまってしまったわけだ。さすがに首無の顔にも焦りが見える。
「おいおい、随分と物騒だな」
「…!?」
しかし、すぐにその舞台上に涼しげな声が響き渡った。
驚いて目を見開いた珠三郎と首無の目線の先には、腕を組んで怪訝そうに目を細めている妖狐。
「こりゃ一体なんだってんだよ…」
妖狐は舞台の脇からとんっと出てくると、体の周りに炎を渦巻かせながら二人に近付いて行った。
「妖狐殿…何故、ここに」
「むしろこっちが聞きたいぜ。別に来たくて来たんじゃないっつの」
実際にただ偶然巻き込まれただけの妖狐は、苛立ちを隠せずにいる。
しかし、首無にとってこれは嬉しい誤算だ。
「でも良かった。妖狐殿、若菜様をお願いします」
「オレが?なんで」
「頼みます」
「…チッ」
妖狐は、未だ奴良組について詳しくないが、若菜というのがそこにいる女性だということはすぐに判断出来た。
そして、この状況から抜け出すには、そこにいる妖怪を倒さなければならないということも。
「仕方ねーな…、女、こっちに来い」
「あ、はい…!」
「妖狐殿、若菜様に手荒なことはしないで下さい!」
「わぁってるよ」
ったくめんどくさい。そう呟きながらも、妖狐は若菜の腕を掴むと舞台の端まで連れて行った。
「さっさと終わらせろよ」
「当然です」
一緒に戦えたなら良かったのだろうが、妖狐の戦闘力は首無に劣る。
妖狐は若菜を背後に庇うと、そのまま手を横に広げた。
途端に、そこに戦闘の空気に戻る。
「話は終わったか?」
「あぁ。行くぞ」
首無と珠三郎、二人が目を合わせる。
律儀に待っていたということは、珠三郎には余程自信があるということだろう。
それもそう、ここは珠三郎の舞台の上。妖怪同士の闘いに一番有効なのは畏。
つまり、今優位に立っているのは珠三郎の方なのだ。
じり…と両者睨み合い、そして同時に距離を詰めた。
・・・
いつも人で溢れかえっていた東京。
辺りは妖怪も人間も、リクオ達以外は見られなくなった。
それを良いと言うのか、はたまた悪いと言うか。少なくとも人間がこんなにもいない東京は初めてだった。
「あ、あの!待ってください!」
そんな中、リクオ達にかけられた声。
それは一人の人間のもので、しかもリクオ達がよく知る人物のものだった。
「あれは…清継くん?」
「あ、貴方は、やはり」
思わず狐ノ依が彼の名前を口走る。
清継は何か納得したように一人頷いた。
「何となく気付いていたけど、狐ノ依君。君も妖怪だったんだね」
「あ…え、なんで」
「残念ながら、ボクは嫌われているみたいだけど…」
ふぅ、と本当に残念そうに呟くその清継の手にはノートパソコン。そこには、とある掲示板が映されていた。
「そんなことより、これを見て欲しいんです!」
ずらずらと書き込まれている文章は、どれもこれも救世主が現れるといったもの。
そして、救世主が倒すのはリクオであると書かれている。
「何故主の姿を見ても認めてくれないのだろうと思ったら…新しい“件の噂”が広まっているんだ!」
「新しい噂…?」
「夜明けと共に救世主が現れ、奴良リクオを殺すだろう…」
ネットにはリクオが妖怪を倒している姿も動画として流されている。
それでも尚、ここまで人間を信じさせるものとは一体何なのだ。
狐ノ依はぎりりと歯を食いしばり、その掲示板の文字を睨み付けた。
「リクオ様が…こんなにも力を尽くしているというのにまだ…!」
「狐ノ依、大丈夫だ。落ち着け」
リクオの手が狐ノ依の頭を優しく撫でる。それでも、狐ノ依の目は不安に揺れた。
この静かな空間も一時的なものに過ぎない。戦いはまだまだ終わってはいないのだ。
「…心当たりがある」
ぽつりと、落ち着いた声で語り出したのは竜二だった。
「伝わる噂自体に畏をのせて人を言葉で操る…言霊使いだ」
「圓潮…あいつか」
「放っておけばまた新たに人々を操るぞ、そいつは」
百物語組を動かしているのは、恐らく圓潮だ。
圓潮…その男を思い出した狐ノ依は、背中にぞくりとする感覚を覚え、自分の手を握り締めた。
以前、狐ノ依は百物語の怪奇として操られている。その噺を語ったのも、圓潮で間違いないだろう。
「狐ノ依、あまり強く握んな」
「え…」
「ほら、手ェ貸しな」
強く握り締めていた狐ノ依の手が開かれる。食い込んだ爪の跡をなぞるリクオの指先。
別の意味でぞくりと体を震わせると、狐ノ依は耳を下げて俯いた。
「す、すみません…」
「そうやって、一人で我慢しようとするな」
「はい…」
優しくリクオの手が狐ノ依の手を撫でている。
胸の奥から暖かくなっていく感覚。むしろ熱すぎる程の熱が体を駆け巡る。
狐ノ依は目を閉じて、こくりと頷いた。
「リクオ様!」
不意に、彼等の傍へばさばさっと降り立つ影があった。
大きな黒い羽を持つ、奴良組の黒羽丸だ。
「黒羽丸?どうした」
「首無より伝令!ただいま本家で若菜様を狙う者が有り!」
「…!?」
黒羽丸からの報告に、リクオの手に力がこもった。
若菜様…リクオの実の母親だ。
「そんな…まさか、さっきの妖怪の狙いは若菜様…!?」
「な、なんですと!?」
つららや青田坊が驚いて声を発する中、リクオは何も言わなかった。
ただ、強く狐ノ依の手を握り締めている。
「だが、援軍送るにおよばず!オレが必ず守る!とのこと!」
黒羽丸は付け足すように、そこには妖狐殿もいると言った。
嫌な予感がこんな形で的中するとは。
リクオに対してかける言葉など見つかるはずもない。
「リクオ様…一刻も早く戻られた方が…!」
「なんで若菜さんなんだ!?」
「決まってる!とことんリクオ様を追い詰めるつもりなんだ!」
口々に皆がリクオに言葉を求める。
狐ノ依の手を握り締めるリクオの表情は、最悪の事態を考えているのか真っ青で。
何か言葉を、そう思った狐ノ依は自分でも驚く程落ち着いた声を発していた。
「…リクオ様、お母様には首無と…ボクの兄もついています」
「、狐ノ依…」
「あの二人なら大丈夫です。リクオ様も、分かっているはずです」
首無は強い。誰よりも信じ、そして仕えた鯉伴の奥方を守る為に、全力を尽くしていることだろう。
今度は、狐ノ依が撫でるようにリクオの手を包み込んだ。
「リクオ様」
「…そう、だな」
それに応えるように、ゆっくりとリクオが口を開く。
「ここは…首無に任せよう。あいつが…仁義を通してくれるはずだ」
「しかし、リクオ様」
「オレは三代目として、これ以上このシマを荒らされるわけにはいかない!だから圓潮を探す!」
リクオの決意に一瞬躊躇ったつららも、驚き言葉を失った青田坊も、力強く頷いた。
自分に言い聞かせているかのようにも聞こえたリクオの決断。狐ノ依はこれ以上揺らがないように、何も言わずにリクオに続いた。
首無対珠三郎。
首無は圧倒的に不利な状況にあった。というのも、戦っている空間が相手の舞台の上、というところにある。
力なら間違いなく首無の方が上だった。
しかし、どんな攻撃も読まれ避けられてしまう。
相手に攻撃が当たらず、こちらが攻撃を受けるばかり。それがずっと続けば、いずれは首無の方が倒れてしまうだろう。
「くそ…っ」
「首無君!」
ぽたぽたと首無の額から血が流れる。
若菜も大事な仲間の痛々しい姿に、ばっと体を乗り出した。
その若菜の手を、妖狐が掴む。
「…?」
「なぁ…首無さんよ」
戦いに参加するつもりはない、そんな様子でずっと動かずにいた妖狐。それが急に動き出した為に、首無も珠三郎も驚いて妖狐を見た。
「後でその血、おくれよ」
「何を、言っているんだ…?」
「血が欲しい。その代わり、今、力貸してやるから」
「…」
ふわっと妖狐の髪の毛が妖気で揺れた。
何をするつもりなのか分からないが、狐ノ依を知っている手前、妖狐の力は純粋に貸して欲しいと思う。
それは、倒す為の力ではなく、首無に力をくれるものだろうから。
「力を、貸してくれ」
「はは…よし来た」
にっと妖狐が笑い、珠三郎が身構える。
首無は珠三郎を見据えたまま、何が起こるのかという期待と不安からごくりと唾を飲んだ。
それから変化が訪れるのはすぐだった。暖かい光が首無を包んで、体を重くしていた痛みが消えていく。
「これは…」
ぱっと振り返って妖狐を見れば、彼の体も光に包まれていて。どうだ、とでも言わんばかりに首無を見下ろしていた。
「目一杯暴れろよ。あんたは今怪我知らずだ」
「妖狐殿…恩に着ます」
首無がすっと立ち上がった。
痛みがどこにも無い。それどころか体が軽くて、今なら何でもできそうな気がする。
「なるほど…妖狐の力は治癒だったか…小賢しい」
しかし、それを珠三郎が黙って見ているはずもなかった。
一瞬で妖狐の背後に回った珠三郎は、持っていた槍を妖狐に向けて振りかざしている。
「ついでに奴良リクオの母親も…死ねぇ!」
「っ、しまっ…!」
咄嗟に妖狐は若菜の体を手で突き離していた。
今使った妖狐の能力、それには大きなリスクがあった。対象の相手を一時的に外傷から守る。その代わり、自分は無防備になってしまうのだ。
若菜を守り、自分の体をも守る力は今の妖狐に無い。
妖狐はそこに倒れ込んだ若菜の前に立ち塞がることで彼女を守り、目を閉じて切り裂かれる覚悟を決めた。
「…?」
しかし、暫く待っても痛みは来ない。妖狐は恐る恐る目を開けた。
「妖狐殿、その方を守ってくれて有難う」
「…首無…?」
「その方は二代目の宝なんだ…」
何故か珠三郎は振りかざした格好のまま動きを止めている。
止まっているのではない、動けないのだ。張り巡らされた糸によって。
「いつの間に…こんな…こんな…!」
「一度足並みもつれた役者にゃ…畏は感じねぇ」
畏によって強化された糸は、細く、そして切れることもない。敵を締めつけ、引き裂いて行く。
断末魔と共に舞台は消え失せ、そこは元いた奴良組の本家へと戻っていた。
「首無君、有難う。妖狐君も」
若菜の手が妖狐の手を取り、一緒に立ち上がる。妖狐の力もあって、なんだかんだでここに居る皆が無傷で立っていた。
「妖狐殿が、まさかこれほどの力を持っているとは思いませんでした」
「…」
「妖狐殿?あ、もしかして…血が欲しいんですか…?」
「いや…それは、やっぱりいい」
妖狐はじっと自分の手のひらを見つめている。
首無と若菜は目を合わせて、それから妖狐の様子を覗き込んだ。
「妖狐殿?」
「主を失った妖狐に…ここまでの力は無いはずだった」
妖狐は、ここに来て主のことを忘れるつもりだったのだ。
もう、奴良組に身を置いても良いのではないかと、そう思っていた。
だから、首無に血を求めたのに。だから、首無が守ってくれるだろうと信じて力を使ったのに。
「…羽衣狐様が、目覚めているかもしれない」
妖狐の力は、本人である妖狐が思っていた以上に強かった。それが、主がいる証拠なのだとしたら。
妖狐の目が、期待に満ちて輝いている。
一方首無は、不安に眉を寄せて妖狐の姿を見つめていた。
・・・
深川。リクオ達はかつて山ン本邸があったとされる場所に来ていた。
圓朝がいる、アジトを探す為に。
「くそっ…これじゃアジトを探すどころじゃねーぞ」
応援が到着したおかげで、随分とリクオの周りには仲間が増えている。
しかし、それ以上に敵の数が多すぎる。
アジトを探したいものだが、足止めされてばかりで先に進めずにいるのが現状だ。
「リクオこっちだ!」
先導するのはイタク。
リクオと狐ノ依とつららと竜二の四人はその後に続き、壁に作られた大きな穴に入って行った。
「後のことは皆に任せましょう」
「あぁ、そうだな」
そうでもしないと先に進めない。
とはいえ、外に多くの妖怪がはびこっていたのだ。当然その中にはもっと強い妖怪が待ちわびているわけで。
「おい!油断すんな!」
「リクオ様、下がって下さい!」
イタクが一歩前に出て、狐ノ依はリクオを一歩下がらせた。
正面から来るのは、外にいた小さな妖怪達と比べて大きい妖怪。それは体の大きさだけでなく。持っている畏も比べものにならない程大きなものだ。
「躊躇うな!行くぞ!」
イタクはその言葉通り躊躇わずに敵に突っ込んで行った。
大きなムカデの形をした妖怪は、イタクの攻撃で真っ二つに引き裂かれる。しかし、その中から新たに小さな妖怪が湧き出し始めた。
「狐ノ依、下がれ」
「リクオ様…?」
「群がってくるなら…蹴散らすまでだ!」
リクオが刀を構える。
その凛々しい姿が余りに格好良くて、思わず見惚れそうになりながら狐ノ依はリクオの後ろに下がった。
リクオの刀はどういう訳か炎を纏っていて。それは、その場で空を切裂いただけで前方にはびこっていた妖怪達を一掃していた。
「リクオ様、いつの間にそんな技が使えるようになったですか…!?」
「ん?まぁ普段の応用だな」
元々使えた技、明鏡止水・桜に斬撃をのせる。それはイタクも教えていない、確かに応用してリクオが作り出した技だ。
イタクも口には出さないものの感心しつつ、先を目指して走り出した。
「この妖怪、炎に弱いんですね。なら、ボクも行けます」
「あぁ、狐ノ依も頼む」
「はい…!」
ふわっと跳び上がると狐ノ依の尾はゆらりと揺れて。
まだまだこちらに向かってくる妖怪達を燃やし尽くしていく。
確実に強くなっている。リクオが強くなっているからだ。それが気持ち良くて、でも少し胸が痛くて。
狐ノ依は胸をとんっと叩いてリクオの横に並んだ。
ひたすら敵を倒して、走り続けて。
その先に、ようやく扉が見えた。間違いなく、ここがアジトだ。
「圓潮!」
そこにいるのだと確信を持って、リクオが扉を開く。
その向こうには、思った通りに圓潮が立っていて、そして。
「え…?」
唖然とせざるを得ない状況が広がっていた。
何せ、百物語組の幹部である圓潮が、その百物語組を率いる組長である山ン本を斬っていたのだから。
あまりにも浸食された人間達の世界、そこにリクオは降り立った。
敵の妖怪を倒しながら、一人でも多くの人々を避難させる。その状況に戸惑うのは人間達の方だった。
「…どうなってるんだ?」
「レスキュー隊なの?」
「いや…妖怪と妖怪が戦ってんだよ」
情報はネットの掲示板を使って早く広く回って行く。
未だ多く存在している“リクオを殺せ”という文章の他、リクオが味方であるという文字もあるが、それは清継によって回されている数少ない情報だ。
しかし、それによって少しずつリクオに逆らう人間は減ってきている。
リクオは狐ノ依を傍らに置きながら、目の前に現れた無数の妖怪に刀を向けた。
「鏡斎…これで終いだ!」
二本の刀で妖怪達を切裂く。
鏡斎によって生み出された妖怪達は、墨となって姿を消して行った。
リクオの一刀で騒がしかった辺りに静寂が訪れる。
どうやら、鏡斎に描かれ生まれた妖怪は全て倒し尽くしたらしい。
「はぁ…」
「リクオ様、少しお休みになって下さい」
「いや、そうも言ってらんねぇよ」
狐ノ依はリクオの刀を握り締める手を掴んだ。
リクオは鏡斎のとの戦いによって負った呪いの跡を残したままで、普段よりも疲労が大きいように見える。
「では…せめて、触らせて下さい」
「狐ノ依?」
「気休め、でしかないのですが」
リクオの体に手を回して、少しでも回復するようにと妖気を巡らせる。
それを戸惑いながら見下ろしたリクオは、やんわりと狐ノ依の手を自分の体から剥がした。
「お前の体が汚れんだろ」
「…」
汚れる。その一言に、狐ノ依は自分の手を見つめたまま動かなくなった。
汚れるなんて、今更気にすることではない。既にこの体は汚れている。
「(そうだ…この汚れた体でリクオ様に触れるなんて…)」
「…狐ノ依?」
「いえ、すみませんでした」
狐ノ依はぱっと手を引っ込めて、一歩下がった。
リクオは狐ノ依に何があったのか気付いている。それでも気丈に振る舞っているのは、狐ノ依以上に大事なものを今抱えているからだ。
「こっちの道は安全ですよー!」
つららの、人々を誘導する声。
「ホラ、出てこい。もう大丈夫だから」
イタクの人々を救出する声。
今、リクオが望んでいるのは、一人でも多くの人間を救い出すこと。ならば、狐ノ依もそれに応えなければ。
「ボクも行ってきます」
「あ、おい狐ノ依…」
ぱっとリクオに背中を向けて人のいる方へ向かおうとする。
「助けて下さい、総大将様!」
「毛倡妓!?」
しかし、その直後聞こえて来た声に、狐ノ依は足を止めて振り返った。
外れた道から飛び出してきたのは毛倡妓。ふらふらと近付いてきた毛倡妓は、リクオの方へと倒れ込んでいた。
「あたしの追っていた幹部が、向こうの街でも人間を襲って…!」
「何、本当か!」
どうやら、手が足りない為に助けを求めに来たらしい。
早く援護に行かなければ、そう判断したリクオの目が毛倡妓から離れる。
瞬間、毛倡妓の手に何か光るものが見えた。
「リクオ様!離れて下さい!」
「狐ノ依?」
それが小刀であることに気付くまで時間はかからなかった。
しかし、油断しきっていたリクオは咄嗟に避けることが出来ず、毛倡妓の手に握られた小刀はリクオの懐へと突き出されていた。
「リクオ様!」
思わず飛び込んでリクオの体を押す。
その狐ノ依の背後を、大きな術が飲み込んでいた。
「え…?」
毛倡妓は悲痛の声を上げてそこへ崩れた。
何が起きたのか。目を見張った狐ノ依の視界の先に降り立った人影。
それは、陰陽師の花開院竜二だった。
「どういうことだ…?」
「そいつ、よく見てみろ」
竜二の視線は、今倒したばかりの毛倡妓に向けられている。
リクオも狐ノ依もその言葉に従い、毛倡妓に視線を落とした。
「狐ノ依様、これは…」
「ニセ物…」
毛倡妓の顔は崩れ、別の妖怪の顔がそこに見えている。
「ここに来る道すがら、何人かの毛倡妓を滅したよ…」
「何?」
「こいつの能力なんだろう。オレを撒いてなんとかお前に近付こうとしたようだ」
つまり、この敵の狙いはリクオを殺すことだった、ということか。
狐ノ依は戸惑いながらもリクオを見上げた。
「…何しに来た…」
「お前に、ちょっと伝えないといけないことがあってな…」
竜二の真剣な目がリクオに向けられている。
陰陽師の方からわざわざ出向くとは、“ちょっと”と言わず、余程大事な用なのだろう。
狐ノ依は二人の邪魔をしてしまわないようにと後ろに下がった。
「若!ご無事ですか!?」
「ったく、雑魚に油断してんなよ、リクオ」
しかし、その意図に反してたたっと駆け寄って来るはつららとイタク。
その二人の目は、ニセ物の毛倡妓に向けられていた。
「さっき奴良組の妖怪に聞いたんです。毛倡妓もこの変装妖怪にやられたって…」
「え…でも、これ雑魚なんじゃ…?」
つららの言葉に、狐ノ依は首を斜めに傾けた。
いくらなんでも毛倡妓が雑魚にやられるわけがない。とするとつまり、それが本体で。
では何故大将の元に雑魚を送ったのか、という疑問が生まれてしまう。
「じゃあ、こいつの本体は誰を狙ってんだよ…?」
当然の疑問をリクオが口に出す。
漂う嫌な予感は、一体何なのか。
予想の出来ない予感に、誰もが口を閉ざした。
・・・
「ありがとうね、毛倡妓ちゃん。お供してくれて」
「いーえ、いつでもお流ししますよ」
奴良組本家、そこにいるのはリクオの母である若菜と毛倡妓。
まだ濡れる髪をタオルで拭いながら、若菜は後ろを歩く毛倡妓に目を向けた。
「今日は皆ピリピリしちゃって…お風呂に入っていいのかどうか…」
「まぁ、今日は仕方ありませんよ~…三代目を筆頭に皆出入りに行ってますから」
ぼんやりと庭を眺めて、若菜は目を細めた。
いつの間にか大きくなってしまったリクオ。心配でないと言ったら嘘になる。
「でも…あの人に似てきたってことだから…」
知らない間に育っていく。それもまた誇らしいものなのだ。
まだ春でないのに咲き出している梅の花。若菜は庭に降りると、ちらほらと咲いている梅を見上げた。
「きっと…リクオ様も…若菜様を大事にしているんでしょうね…」
「毛倡妓ちゃん?」
ふと、辺りが暗くなった。
ついさっきまで後ろにいたはずの毛倡妓の姿がない。
「毛倡妓ちゃん…?どこ行ったの…?」
きょろきょろと見渡しても毛倡妓がいないどころか、暗闇に梅の木が立っているだけ。
もはや別の空間に飛ばされたかのような景色。
薄らと、若菜の背後に現れた毛倡妓の手には、小刀がしっかりと握られていた。
「若菜様!逃げて!」
声と共に、毛倡妓の手に持っていた小刀がその手から離れた。
よく見ると、毛倡妓の手には糸が絡まっている。
「な…ッ!?追っては撒いたはず…」
「若菜様に触れるんじゃねぇ!」
「ん?貴様は…」
糸を辿った先には、首無が立っていた。
普段の温和な姿からは想像がつかない程、鋭い目つきを毛倡妓に向けて。
「てめぇらの薄汚いやり口はあらかた予想がついてんだよ!」
「へぇ…あんたはちょっと…頭がまわるようねぇ…」
一方毛倡妓は、彼女らしからぬ表情と声を首無に向けている。
首無が躊躇うことなく手を引くと、糸の絡まった毛倡妓の体は地面に叩きつけられていた。
目の前にいるのが毛倡妓でないことは分かっている。首無は、本物の毛倡妓を見ているのだ。傷つき、自分の姿を奪われたと伝えに来た毛倡妓を。
「若菜様は屋敷の中へ!」
「は…はい!」
「そこの烏、黒羽丸に…そしてリクオ様に伝えてくれ。ここはオレが絶対に守りぬくと」
カァ…と一鳴きした烏がバタバタと飛び立っていく。
これで後は、この毛倡妓を装った妖怪を倒すだけだ。
そう思った矢先、屋敷の中へ入ろうとした若菜の足が止まった。
「何これ…前に行けない!?」
行く手を遮るかのように現れたのは幕。
ぐらりと足場が揺れ始めると、激しい轟音を立てて、辺りの景色が変わって行った。
「な、何だこれは…舞台!?」
木で出来た床。提灯の飾られた壁。
そこは首無が察した通り、まさしく歌舞伎の舞台だった。
「そう…ここはボクの戯演舞(あじゃらえんぶ)。演目が終わるまで出られない入れない」
さっきまで毛倡妓の姿をしていた妖怪は、元の姿に戻っている。
歌舞伎の役者のような顔に豪華な着物を着た妖怪、珠三郎。
それがハッタリではない、本当に力を持った妖怪だということは見るに明らかだった。
まんまと相手の術中にはまってしまったわけだ。さすがに首無の顔にも焦りが見える。
「おいおい、随分と物騒だな」
「…!?」
しかし、すぐにその舞台上に涼しげな声が響き渡った。
驚いて目を見開いた珠三郎と首無の目線の先には、腕を組んで怪訝そうに目を細めている妖狐。
「こりゃ一体なんだってんだよ…」
妖狐は舞台の脇からとんっと出てくると、体の周りに炎を渦巻かせながら二人に近付いて行った。
「妖狐殿…何故、ここに」
「むしろこっちが聞きたいぜ。別に来たくて来たんじゃないっつの」
実際にただ偶然巻き込まれただけの妖狐は、苛立ちを隠せずにいる。
しかし、首無にとってこれは嬉しい誤算だ。
「でも良かった。妖狐殿、若菜様をお願いします」
「オレが?なんで」
「頼みます」
「…チッ」
妖狐は、未だ奴良組について詳しくないが、若菜というのがそこにいる女性だということはすぐに判断出来た。
そして、この状況から抜け出すには、そこにいる妖怪を倒さなければならないということも。
「仕方ねーな…、女、こっちに来い」
「あ、はい…!」
「妖狐殿、若菜様に手荒なことはしないで下さい!」
「わぁってるよ」
ったくめんどくさい。そう呟きながらも、妖狐は若菜の腕を掴むと舞台の端まで連れて行った。
「さっさと終わらせろよ」
「当然です」
一緒に戦えたなら良かったのだろうが、妖狐の戦闘力は首無に劣る。
妖狐は若菜を背後に庇うと、そのまま手を横に広げた。
途端に、そこに戦闘の空気に戻る。
「話は終わったか?」
「あぁ。行くぞ」
首無と珠三郎、二人が目を合わせる。
律儀に待っていたということは、珠三郎には余程自信があるということだろう。
それもそう、ここは珠三郎の舞台の上。妖怪同士の闘いに一番有効なのは畏。
つまり、今優位に立っているのは珠三郎の方なのだ。
じり…と両者睨み合い、そして同時に距離を詰めた。
・・・
いつも人で溢れかえっていた東京。
辺りは妖怪も人間も、リクオ達以外は見られなくなった。
それを良いと言うのか、はたまた悪いと言うか。少なくとも人間がこんなにもいない東京は初めてだった。
「あ、あの!待ってください!」
そんな中、リクオ達にかけられた声。
それは一人の人間のもので、しかもリクオ達がよく知る人物のものだった。
「あれは…清継くん?」
「あ、貴方は、やはり」
思わず狐ノ依が彼の名前を口走る。
清継は何か納得したように一人頷いた。
「何となく気付いていたけど、狐ノ依君。君も妖怪だったんだね」
「あ…え、なんで」
「残念ながら、ボクは嫌われているみたいだけど…」
ふぅ、と本当に残念そうに呟くその清継の手にはノートパソコン。そこには、とある掲示板が映されていた。
「そんなことより、これを見て欲しいんです!」
ずらずらと書き込まれている文章は、どれもこれも救世主が現れるといったもの。
そして、救世主が倒すのはリクオであると書かれている。
「何故主の姿を見ても認めてくれないのだろうと思ったら…新しい“件の噂”が広まっているんだ!」
「新しい噂…?」
「夜明けと共に救世主が現れ、奴良リクオを殺すだろう…」
ネットにはリクオが妖怪を倒している姿も動画として流されている。
それでも尚、ここまで人間を信じさせるものとは一体何なのだ。
狐ノ依はぎりりと歯を食いしばり、その掲示板の文字を睨み付けた。
「リクオ様が…こんなにも力を尽くしているというのにまだ…!」
「狐ノ依、大丈夫だ。落ち着け」
リクオの手が狐ノ依の頭を優しく撫でる。それでも、狐ノ依の目は不安に揺れた。
この静かな空間も一時的なものに過ぎない。戦いはまだまだ終わってはいないのだ。
「…心当たりがある」
ぽつりと、落ち着いた声で語り出したのは竜二だった。
「伝わる噂自体に畏をのせて人を言葉で操る…言霊使いだ」
「圓潮…あいつか」
「放っておけばまた新たに人々を操るぞ、そいつは」
百物語組を動かしているのは、恐らく圓潮だ。
圓潮…その男を思い出した狐ノ依は、背中にぞくりとする感覚を覚え、自分の手を握り締めた。
以前、狐ノ依は百物語の怪奇として操られている。その噺を語ったのも、圓潮で間違いないだろう。
「狐ノ依、あまり強く握んな」
「え…」
「ほら、手ェ貸しな」
強く握り締めていた狐ノ依の手が開かれる。食い込んだ爪の跡をなぞるリクオの指先。
別の意味でぞくりと体を震わせると、狐ノ依は耳を下げて俯いた。
「す、すみません…」
「そうやって、一人で我慢しようとするな」
「はい…」
優しくリクオの手が狐ノ依の手を撫でている。
胸の奥から暖かくなっていく感覚。むしろ熱すぎる程の熱が体を駆け巡る。
狐ノ依は目を閉じて、こくりと頷いた。
「リクオ様!」
不意に、彼等の傍へばさばさっと降り立つ影があった。
大きな黒い羽を持つ、奴良組の黒羽丸だ。
「黒羽丸?どうした」
「首無より伝令!ただいま本家で若菜様を狙う者が有り!」
「…!?」
黒羽丸からの報告に、リクオの手に力がこもった。
若菜様…リクオの実の母親だ。
「そんな…まさか、さっきの妖怪の狙いは若菜様…!?」
「な、なんですと!?」
つららや青田坊が驚いて声を発する中、リクオは何も言わなかった。
ただ、強く狐ノ依の手を握り締めている。
「だが、援軍送るにおよばず!オレが必ず守る!とのこと!」
黒羽丸は付け足すように、そこには妖狐殿もいると言った。
嫌な予感がこんな形で的中するとは。
リクオに対してかける言葉など見つかるはずもない。
「リクオ様…一刻も早く戻られた方が…!」
「なんで若菜さんなんだ!?」
「決まってる!とことんリクオ様を追い詰めるつもりなんだ!」
口々に皆がリクオに言葉を求める。
狐ノ依の手を握り締めるリクオの表情は、最悪の事態を考えているのか真っ青で。
何か言葉を、そう思った狐ノ依は自分でも驚く程落ち着いた声を発していた。
「…リクオ様、お母様には首無と…ボクの兄もついています」
「、狐ノ依…」
「あの二人なら大丈夫です。リクオ様も、分かっているはずです」
首無は強い。誰よりも信じ、そして仕えた鯉伴の奥方を守る為に、全力を尽くしていることだろう。
今度は、狐ノ依が撫でるようにリクオの手を包み込んだ。
「リクオ様」
「…そう、だな」
それに応えるように、ゆっくりとリクオが口を開く。
「ここは…首無に任せよう。あいつが…仁義を通してくれるはずだ」
「しかし、リクオ様」
「オレは三代目として、これ以上このシマを荒らされるわけにはいかない!だから圓潮を探す!」
リクオの決意に一瞬躊躇ったつららも、驚き言葉を失った青田坊も、力強く頷いた。
自分に言い聞かせているかのようにも聞こえたリクオの決断。狐ノ依はこれ以上揺らがないように、何も言わずにリクオに続いた。
首無対珠三郎。
首無は圧倒的に不利な状況にあった。というのも、戦っている空間が相手の舞台の上、というところにある。
力なら間違いなく首無の方が上だった。
しかし、どんな攻撃も読まれ避けられてしまう。
相手に攻撃が当たらず、こちらが攻撃を受けるばかり。それがずっと続けば、いずれは首無の方が倒れてしまうだろう。
「くそ…っ」
「首無君!」
ぽたぽたと首無の額から血が流れる。
若菜も大事な仲間の痛々しい姿に、ばっと体を乗り出した。
その若菜の手を、妖狐が掴む。
「…?」
「なぁ…首無さんよ」
戦いに参加するつもりはない、そんな様子でずっと動かずにいた妖狐。それが急に動き出した為に、首無も珠三郎も驚いて妖狐を見た。
「後でその血、おくれよ」
「何を、言っているんだ…?」
「血が欲しい。その代わり、今、力貸してやるから」
「…」
ふわっと妖狐の髪の毛が妖気で揺れた。
何をするつもりなのか分からないが、狐ノ依を知っている手前、妖狐の力は純粋に貸して欲しいと思う。
それは、倒す為の力ではなく、首無に力をくれるものだろうから。
「力を、貸してくれ」
「はは…よし来た」
にっと妖狐が笑い、珠三郎が身構える。
首無は珠三郎を見据えたまま、何が起こるのかという期待と不安からごくりと唾を飲んだ。
それから変化が訪れるのはすぐだった。暖かい光が首無を包んで、体を重くしていた痛みが消えていく。
「これは…」
ぱっと振り返って妖狐を見れば、彼の体も光に包まれていて。どうだ、とでも言わんばかりに首無を見下ろしていた。
「目一杯暴れろよ。あんたは今怪我知らずだ」
「妖狐殿…恩に着ます」
首無がすっと立ち上がった。
痛みがどこにも無い。それどころか体が軽くて、今なら何でもできそうな気がする。
「なるほど…妖狐の力は治癒だったか…小賢しい」
しかし、それを珠三郎が黙って見ているはずもなかった。
一瞬で妖狐の背後に回った珠三郎は、持っていた槍を妖狐に向けて振りかざしている。
「ついでに奴良リクオの母親も…死ねぇ!」
「っ、しまっ…!」
咄嗟に妖狐は若菜の体を手で突き離していた。
今使った妖狐の能力、それには大きなリスクがあった。対象の相手を一時的に外傷から守る。その代わり、自分は無防備になってしまうのだ。
若菜を守り、自分の体をも守る力は今の妖狐に無い。
妖狐はそこに倒れ込んだ若菜の前に立ち塞がることで彼女を守り、目を閉じて切り裂かれる覚悟を決めた。
「…?」
しかし、暫く待っても痛みは来ない。妖狐は恐る恐る目を開けた。
「妖狐殿、その方を守ってくれて有難う」
「…首無…?」
「その方は二代目の宝なんだ…」
何故か珠三郎は振りかざした格好のまま動きを止めている。
止まっているのではない、動けないのだ。張り巡らされた糸によって。
「いつの間に…こんな…こんな…!」
「一度足並みもつれた役者にゃ…畏は感じねぇ」
畏によって強化された糸は、細く、そして切れることもない。敵を締めつけ、引き裂いて行く。
断末魔と共に舞台は消え失せ、そこは元いた奴良組の本家へと戻っていた。
「首無君、有難う。妖狐君も」
若菜の手が妖狐の手を取り、一緒に立ち上がる。妖狐の力もあって、なんだかんだでここに居る皆が無傷で立っていた。
「妖狐殿が、まさかこれほどの力を持っているとは思いませんでした」
「…」
「妖狐殿?あ、もしかして…血が欲しいんですか…?」
「いや…それは、やっぱりいい」
妖狐はじっと自分の手のひらを見つめている。
首無と若菜は目を合わせて、それから妖狐の様子を覗き込んだ。
「妖狐殿?」
「主を失った妖狐に…ここまでの力は無いはずだった」
妖狐は、ここに来て主のことを忘れるつもりだったのだ。
もう、奴良組に身を置いても良いのではないかと、そう思っていた。
だから、首無に血を求めたのに。だから、首無が守ってくれるだろうと信じて力を使ったのに。
「…羽衣狐様が、目覚めているかもしれない」
妖狐の力は、本人である妖狐が思っていた以上に強かった。それが、主がいる証拠なのだとしたら。
妖狐の目が、期待に満ちて輝いている。
一方首無は、不安に眉を寄せて妖狐の姿を見つめていた。
・・・
深川。リクオ達はかつて山ン本邸があったとされる場所に来ていた。
圓朝がいる、アジトを探す為に。
「くそっ…これじゃアジトを探すどころじゃねーぞ」
応援が到着したおかげで、随分とリクオの周りには仲間が増えている。
しかし、それ以上に敵の数が多すぎる。
アジトを探したいものだが、足止めされてばかりで先に進めずにいるのが現状だ。
「リクオこっちだ!」
先導するのはイタク。
リクオと狐ノ依とつららと竜二の四人はその後に続き、壁に作られた大きな穴に入って行った。
「後のことは皆に任せましょう」
「あぁ、そうだな」
そうでもしないと先に進めない。
とはいえ、外に多くの妖怪がはびこっていたのだ。当然その中にはもっと強い妖怪が待ちわびているわけで。
「おい!油断すんな!」
「リクオ様、下がって下さい!」
イタクが一歩前に出て、狐ノ依はリクオを一歩下がらせた。
正面から来るのは、外にいた小さな妖怪達と比べて大きい妖怪。それは体の大きさだけでなく。持っている畏も比べものにならない程大きなものだ。
「躊躇うな!行くぞ!」
イタクはその言葉通り躊躇わずに敵に突っ込んで行った。
大きなムカデの形をした妖怪は、イタクの攻撃で真っ二つに引き裂かれる。しかし、その中から新たに小さな妖怪が湧き出し始めた。
「狐ノ依、下がれ」
「リクオ様…?」
「群がってくるなら…蹴散らすまでだ!」
リクオが刀を構える。
その凛々しい姿が余りに格好良くて、思わず見惚れそうになりながら狐ノ依はリクオの後ろに下がった。
リクオの刀はどういう訳か炎を纏っていて。それは、その場で空を切裂いただけで前方にはびこっていた妖怪達を一掃していた。
「リクオ様、いつの間にそんな技が使えるようになったですか…!?」
「ん?まぁ普段の応用だな」
元々使えた技、明鏡止水・桜に斬撃をのせる。それはイタクも教えていない、確かに応用してリクオが作り出した技だ。
イタクも口には出さないものの感心しつつ、先を目指して走り出した。
「この妖怪、炎に弱いんですね。なら、ボクも行けます」
「あぁ、狐ノ依も頼む」
「はい…!」
ふわっと跳び上がると狐ノ依の尾はゆらりと揺れて。
まだまだこちらに向かってくる妖怪達を燃やし尽くしていく。
確実に強くなっている。リクオが強くなっているからだ。それが気持ち良くて、でも少し胸が痛くて。
狐ノ依は胸をとんっと叩いてリクオの横に並んだ。
ひたすら敵を倒して、走り続けて。
その先に、ようやく扉が見えた。間違いなく、ここがアジトだ。
「圓潮!」
そこにいるのだと確信を持って、リクオが扉を開く。
その向こうには、思った通りに圓潮が立っていて、そして。
「え…?」
唖然とせざるを得ない状況が広がっていた。
何せ、百物語組の幹部である圓潮が、その百物語組を率いる組長である山ン本を斬っていたのだから。