リクオ夢(2011.10~2015.03)
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「リクオくん、起きて下さい」
学校、リクオの教室。机に頭を預けてすやすやと眠るリクオの傍で声をかける。夕日も落ちてきて薄暗くなり始めている窓の外を眺めながら、狐ノ依は眉間にシワを寄せていた。
「奴良くん、起きないわね」
「あ、はい」
教室にはもう一人、この学校の理科教師の横谷マナという女性がいる。狐ノ依が不服な理由はそれだ。
「奴良くん、そろそろ起きて?」
狐ノ依の反対側に立って、マナがリクオの肩を揺する。
あぁ、そんなに乱暴にしないで。ボクが起こすんだから。
相変わらずリクオの周りにいる人間が気に食わない狐ノ依の心境は当然良くない。リクオとマナを交互に見ながら唇を尖らせている。
「奴良くん」
「んー…ごめん、つらら。もう起きるよ…」
「!」
「あら、つららってだーれ?」
狐ノ依の体がびくりと震えたのは言うまでもない。何故そこでつららの名前を出したのか。
マナの声でむくりと体を起こしたリクオは慌てて帰りの準備を始めている。それをじとっと細めた目で見つめながら、狐ノ依は横に置いていた鞄を肩にかけた。
「…リクオ様のばぁか」
「え?狐ノ依、何か言った?」
「いいえ!別に!」
ぷくっと頬を膨らませた顏をリクオとは反対向きに背ける。そのせいで、理科室のカーテンを閉めるマナと目が合ってしまい、狐ノ依は居心地悪く俯いた。
「あ、奴良くんこんなところにいたー」
ガラッとドアが開いて入ってきたのはつらら。ここは女の勘とでも言ったところか、マナはくすっと笑ってつららを見た。
「あら、もしかしてあなたがつらら?」
「え!?どーしてそれをっ!まさかリクオくん秘密をばらしたのですか!」
「ば、ばらしてないよ!そんなの!」
「可愛らしい二人ね」
二人を穏やかな表情で見ているマナは、とても優しい教師の顏をしている。しかしそれが狐ノ依にはとにかく気に食わない。膨らんだ頬のまま更に眉間にシワが寄って、誰の目にも不機嫌な顔になっている。
「…もしかして、君はあの子が気になっているのかしら?」
「な、なんてことを言うんですか…」
マナはつららに目を送っているが、的はずれにも程がある。狐ノ依にはもはや何か言う気力もなく、先に教室を出ようとしているリクオとつららの後を追った。
帰り道、リクオとつららとマナの三人が楽しそうに話す中、狐ノ依は一人一歩後ろを歩いた。生徒との交流もするし、良い教師なのは良くわかる、良くわかったがもういい加減にして欲しい。
リクオが寝言で“つらら”と呟いたことを掘り返し、今度はつららも嬉しそうに頬を赤くしている始末。狐ノ依にとってはなんとなくモヤモヤするしかない。
「…これだから、嫌なんだ」
リクオに付き纏う人間だけじゃなく、つららにも嫌な気持ちが募る。こんなの、ただの嫉妬だ。頭でわかっても抑えきれない心のざわつきに、狐ノ依は自分の顏を両手で覆った。こんな醜い顏見られたくない。
そんなことをしていたために、狐ノ依は急に止まったリクオにぶつかってしまった。
「狐ノ依、大丈夫?」
「す、すみません…どうしたんですか」
どうしたのか、など前方を見れば明らかだった。リクオ達の目の前に立っているのは身長二メートルはある、奴良組の中でも背の高い妖怪、猩影だ。そんな大きな猩影に、マナも目を丸くして茫然としている。
「若…ちょっといいかい」
「あ、親戚なんです、この人!」
リクオがさりげなくフォローを入れると、マナはどうも、と頭を下げてそそくさその場を後にした。それを確認してから、リクオは猩影に目を向ける。
「どうしたの?わざわざ学校まで来て…」
「実は、折り入って相談が…うちのシマにある神社の、“切裂とおりゃんせ”の怪って知ってますか?」
場所を移動して、軽くベンチに座り猩影の話を聞く。
14,15の若い子供たちが、その神社のある一帯で行方不明になっているという事件…所謂神隠しというやつだ。猩影の組する大猿会はシマの拡大を狙っていたのだが、そこだけ畏れが届かないのだという。
「なるほど…それでボクに相談を、ってどうして?」
「え、そりゃ…若はその年で三代目じゃないですかい…新米組長として、わかんねーこと聞きたいじゃないっすか!」
猩影はリクオと大して年が変わらない。だからリクオに相談した…。それは、リクオにとっても、リクオに仕える狐ノ依にとっても嬉しいことだった。
「わかった!一緒に行こう!頼ってくれて嬉しいよ!」
ぱっと立ち上がったリクオは強い目をしていた。
つららは今日は忙しいのだと言って一人家路を行く。その付近へは、リクオと猩影と狐ノ依とで行くこととなった。
・・・
電車に乗って目的地へと辿り着く。その時は逢魔が刻、所謂日が没する直前。じわじわと夕日が落ちて、辺りの空気も変わっていった。
「…何か、聞こえた…」
「きかい音じゃねぇ…なんだこの音」
不快の声のようなものが響き渡る。その声は確かに“とおりゃんせ”と言った。
「…リクオ様、なんだか呼ばれているように聞こえます」
「そうだね、誘われてる…行こう!」
不気味な空気に包まれている鳥居の中に踏み込むと、そこは少し外より明るかった。それはある意味不穏で、狐ノ依はリクオの後ろを緊張した面持ちで続いた。
「ひっく…おうちにかえりたいよぉ」
「!?」
突然聞こえてきた幼い少女と思われる声。声のした方を見れば、俯いて泣いている少女が一人そこに座っている。それは明らかにワナで。狐ノ依は近づくまいと一歩下がり、猩影もリクオに耳打ちしようと顏を近づけた。
「…大丈夫、ボクらと帰ろう」
その意思に反するように、リクオは少女の手を取り話しかけてしまった。
「若!」
「リクオ様!?」
まさかのリクオの行動に驚いたのも束の間、少女の顏を覆う手が離れる。
「帰れないよ…顔が無いから」
その声が聞こえたか聞こえなかったか、リクオの姿は少女と共にそこから消えていなくなっていた。辺り一帯も、急に暗くなる。
暫く猩影も狐ノ依も、何も言葉が出なかった。
「…おいおい、若…罠に決まってんだろ…」
「は、早くリクオ様を探さなくちゃ!」
呆れたように息を吐き出した猩影を見上げながら、狐ノ依は焦ったように声を荒げた。
こういうタイプは厄介なのだ。恐らくリクオは畏れの世界に引きずり込まれてしまった。脱出するのも難しい。見つけるのも難しい。
「どうしよう、手分けした方がいいかな!?」
「いや、変にはぐれない方がいいかもしれねェ」
猩影は狐ノ依の手を掴んで大股で歩き出した。
大股で進む猩影に対して、狐ノ依はちょこちょこと小股でついて行く。猩影は本当に背が高い。手を握っているだけなのに、腕が上に持っていかれる。
「あ、あの、なんで手、握るの?」
「え?あぁ、つい」
「つい?」
「いや、あんたってさ、ころころしてて子供みてぇだから…」
ぽかん、と口が開いた。つまり、狐ノ依がガキっぽいということなのか。少し納得いかずにムッとする。
「大きい猩影くんなら、皆子供に見えるだろうね!」
「別に悪い意味じゃねえって。可愛いってこと…」
「いいよ、早くリクオ様を探そ!」
逆に狐ノ依の方が手を引いて先を行く。人間の姿をしていると、尚更子供にしか見えない。それは昼のリクオも全く同じことが言える。
年齢には大差ないとはいえ、やはり人間と妖怪とでは違うものか。などと耽りつつも辺りに目を配らせる。
自分達の他にも物音は聞こえない。
「三代目…」
「リクオ様…どうかご無事でっ」
祈るように手を強く握り締める。それを感じた猩影もぎゅっと狐ノ依の手を強く握り返した。
「あ、先生…」
ある一点を見つめながら、ぽつりと呟いた狐ノ依が横を指さす。そこに視線を向けると、猩影の目にもその人間が映った。先ほど学校から帰る時共にいた、理科教師のマナだ。
「おい、あんた」
「あ!あなたは…」
すぐに駆け寄って声をかけると、息を切らしたマナが猩影に気付いた。その大きさ故に、背後にいる狐ノ依には気付いていないらしい。
「ぬ…奴良くんは…?」
「目の前から一瞬で消えちまった。…くそっ!どーなってんだ!」
苛立っていたのか、猩影はそこにあった木をがっと殴る。見つかるわけがないのだ。リクオは畏れの世界に引きずり込まれた。普通に探して、同じ空間に現れるはずなどない。
「わ…わたしが!あの時目と耳を塞いでいたばっかりに…!」
「…!?どーいうことだ?」
「あの時と同じなんです!15年前…綾子がいなくなった時と…もし今度も奴良くんが、生徒がいなくなったら、私…!」
取り乱して泣き出すマナを見て、彼女が過去にも一度同じ経験をしているのだとわかった。猩影と狐ノ依は一度顔を見合わせる。
それから、落ち着かせるように猩影がマナに声をかけたその横から別の声が聞こえてくるのはすぐだった。
「しくしく…帰れないよお…」
それは、最初にリクオが連れていかれた時と同じようなもの。それにいち早く反応したのはマナだ。
「綾子!綾子なのね!」
「猩影くん、あそこ…!」
狐ノ依が猩影の服をくいっと引っ張る。狐ノ依が目を向ける方向には、何もないところに浮かぶ裂け目があった。
「…下がってろ!」
マナと狐ノ依を背に、猩影が畏れを放ちながら太刀を構えた。そこ目掛けて、猩影が大太刀を振り下ろす。裂け目はあっという間に異世界との境目を広げた。
その攻撃は、向こうにいた妖怪に当たって、その後ろにはリクオの姿が。
「しょ、猩影くん…!」
「三代目、お待たせしやした」
「リクオ様!ご無事で…!」
「狐ノ依…」
思わず狐ノ依はそこに座り込んでいたリクオに飛び込む。その狐ノ依の体は大きなリクオの体に包まれていた。
「てめぇも…妖怪だったであり〼(マス)か…」
妖怪、とおりゃんせは不気味な低い声で言いながらリクオをその目に捕えた。
狐ノ依の肩を片手に抱くリクオ。反対の手にはしっかりと刀が握られている。
「さぁて…オレのシマからどいてもらうぜ。とおりゃんせの切裂魔さんよ!」
わきには顏のない女子中学生か女子高生か、制服姿の少女がたくさん並んでいる。過去、とおりゃんせによって顏を切られた子達だろう。
かわいそうに…。狐ノ依は胸の前で手を握り締めてから、とおりゃんせを見据えた。見るからに悪い顏をした、気味の悪い妖怪だ。
「てめぇらは帰さねぇ…ここはとおりゃんせの細道であり〼」
とおりゃんせの方はリクオと猩影を見ながら、服の内側に付けられた少女の顏をその手で握りつぶした。
途端に少女達の叫び声で辺りが埋め尽くされる。数多に付けられた少女の顏。それには猩影も青ざめた。
「…恐れが我らを強くする。そうであり〼ょう!?妖怪の強さ…それは恐れられ、語られること…」
とおりゃんせの手に握られた巨大なハサミは、更に大きく禍々しく変わる。
「怪談のように…都市伝説のように…<百物語>のように」
百物語。その言葉にリクオの目がぴくっと見開かれた。
「…猩影、鬼纏うぞ」
一瞬、猩影がリクオに反応する。そしてリクオの刀も猩影を鬼纏ったことで形を変えた。
鋭い、大猿の、狒々を表す姿。巨大な腕と爪が刀と共に現れる。
ごくりと狐ノ依は唾を飲んだ。圧倒的な差がそこにあった。リクオの畏と、とおりゃんせの恐れ。
「恐怖で得た恐れなんざ…畏の一面にしかすぎねぇんだよ…」
それは、とおりゃんせのハサミごと体を切裂いていた。
畏れが消え去り、世界も消える。
どさっと、そこにとおりゃんせが倒れた。
「猩影、助かったぜ」
「…いきなりすぎまさぁー。昼は昼でワナに人間のまま入るし…勘弁して下さいよ!」
「ああ、すまねぇ」
あまり心から思っていないような声で軽くリクオが返答する。リクオは一度目を閉じてかた、再びその目に猩影を映した。
「猩影、今日からここはお前のシマだ。大きな畏に変えてくれよ」
親父さんの為にも。
リクオの言葉、リクオの姿に猩影は総大将というものの器を見た。弱いものや下僕の為ならどんな危険もいとわない。だから皆、いつの間にかついて行きたくなってしまう。
「…はい!」
猩影の強い決意に、狐ノ依も安心したように笑った。もうここは大丈夫だろう。
顔を無くした少女達も、自分達の顏を取り戻し消えていく。その中にはマナの友人、綾子も。意思をも取り戻せた綾子は、マナを見つけて優しく笑っていた。
それにしても。
「リクオ様…最近ボクを鬼纏おうとしない…」
「…狐ノ依?」
「今回は猩影くんに盗られた…」
「何膨れてんだ。本当に子供みてぇになってんぜ」
「酷い!」
軽く握った拳でぽかぽかと猩影の背中を叩く。痛くもなんともないその狐ノ依の小さな手を掴んで猩影は困ったように笑った。
「若、狐ノ依なんとかして下さいよ」
「…なんか、二人仲良くなってねぇか?」
「なってないです!」
ぷくっと膨れた頬を、猩影が指で突くとぷすーっと息が抜ける音がして。それが面白くてリクオと猩影は楽しげに笑った。それがまた悔しくて、更に狐ノ依の口が尖る。
「狐ノ依、変な顔になってんぞ」
「…どうせ自分は変な顔のお子ちゃまです」
「狐ノ依ってこんな感じだったんですね。初めて知りましたよ」
「いや、オレも結構驚いてる」
すねる狐ノ依も可愛くて、リクオの表情は穏やかだった。
しかし頭を過る〈百物語〉。嫌な予感しかしない。
それを感じているのはリクオだけでなく、狐ノ依もそれを忘れてはいなかった。
先日のことがあってから、狐ノ依は一人で情報を集めることに専念していた。
“百物語”。リクオもそれを聞いた瞬間鋭い表情をした。今回の妖怪、とおりゃんせだけで終わるとは思えない。
リクオにくっ付いていたい気持ちは勿論あるのだが、少し反抗してみたい気にもなったりして。
「猩影くんは子供扱いするし…リクオ様だって…」
「どうしたんだい狐ノ依くん」
「いえ、別に…」
眉をひそめる狐ノ依の周りには、リクオの友人達…清十字怪奇探偵団。
リクオのいない教室、リクオのいないメンバー。情報を集めるためとはいえ、気に食わない人間達といるには当然理由がある。
「切裂とおりゃんせ、その他全国から様々な都市伝説の目撃情報が続々届いているんだぞ!」
どこから持ってくるのか、会長である清継の持つ情報の中には先日あった“切裂とおりゃんせ”がある。
清継の情報を信用するつもりはないのだが、もしかしたら他の百物語に繋がるものがあるかもしれない…。
「すぐにも駆けつけたいのに…奴良くんはずっと来てないし!ゆら君は一時転校中!」
寂しいじゃないか!急に一人喚き出した清継を呆れた目で見るのは狐ノ依だけではない。
「自分勝手なわりに寂しがりやなんだから…」
ふう、と息を吐くのは女子生徒の巻。そわそわしているカナはもはや清継の話など聞いていない様子だ。
「ね、ねぇ、リクオくんどうしたの…?」
とうとう耐えきれなくなったのか、狐ノ依にカナが耳打ちする。カナからリクオへの思いがただの友情でないことは狐ノ依にも当然わかっている。思わず引きつりそうになった顏を堪えながら、狐ノ依は曖昧に笑った。
「リクオ様は、今お家の事情で忙しいんだ」
「そう、なんだ」
「具合が悪いわけじゃないから、見舞いに来る必要はないよ」
「え、別にそんなことは…考えてないけど…」
だんだん小さくなるカナの声。下心など許さんとばかりに、狐ノ依は釘を刺して。少し満足して鼻からふん、と息を漏らした。
「もー。鳥居、カナ、帰ろー」
巻がぱっと立ち上がる。それに従って鳥居もすぐに立った。
「え、ちょっと!待ちたまえ!まだ話は…」
「狐ノ依くんはどうする?」
「あ…じゃあボクも」
帰るタイミングをつくってくれた巻には素直に感謝して、笑みを返す。いい加減もう飽きていたのは全員同じだ。
まだ話を続ける気である清継を置いて、4人で教室を後にした。
・・・
カナとは家の方向が別のようで、校門を出てすぐにカナだけ手を振って別れる。なんとなく、巻と鳥居も何か知らないか聞こうと思った狐ノ依は二人と同じ方向に曲がった。当然、家は逆だが。
「ね、狐ノ依くんは都市伝説ってどんなだと思う?」
隣を歩いていた狐ノ依に巻が声をかけた。聞いていないようで、清継の話はしっかり聞いていたらしい。
「どうかな…見たことないからわからないや」
「ま、見たことはないわなー。イメージとしては、人面犬とか」
「口裂け女とか?」
人差し指を立てながら、鳥居も話に加わる。自分が妖怪だから都市伝説などと言われてもあまりピンと来なかったが、なるほど、人間はそういうイメージを持つのか。
「…狐とかは?」
「狐?あー、ありそうっちゃありそう?」
「人に化けたりしそう!」
「う…」
「狐ノ依くん?どうかした?」
「な、なんでもない!」
どういう経緯で妖怪についての知識が人間につくのか謎だが、狐ノ依は余計なことは言わないようにしようと口を噤んだ。
もし百物語の中に妖狐のことが入っていたら、悪い妖狐が現れることも有り得るのだろうか。
「…百物語なんかは人間の話した内容が元になってくるから…その想像通りかもしれないよ」
「えー?トイレの神様も?」
「ちょっと鳥居!やめてよー」
狐ノ依がいうと、巻と鳥居は冗談、とでもいうようにケラケラと笑った。
狐ノ依自身、口から出まかせだったのだが、あながち間違ってはいないのかもしれない。妖怪が生まれたのが先か、人間の噂が先かなど、わかりはしないのだから。
「じゃあ、私こっちだから!」
鳥居が別の方へ体を向ける。
「気を付けなよー」
「巻もね!狐ノ依くんは、道どっち?」
「え、えと、そっち」
思わず鳥居の方へ足を踏み出す。ここで来た道を戻るのも不自然だろう。鳥居の方へ行って、分かれ道で同じように別れよう。
狐ノ依は軽く巻に頭を下げて鳥居の後ろに続いた。
「狐ノ依くんってさ、奴良くんと一緒に住んでるんじゃなかったっけ?」
「住んでるっていうか…住み込み、みたいな感じだよ」
「へぇ、なんか不思議な関係だよね」
「ふふ、そうだね」
悪い印象はあまりない。鳥居と巻に関してはあまり固くならなくて平気かもしれない。そう思いながら歩いていると、前方に通り過ぎる陰が見えた。
黒い長髪、笠を被った僧侶の姿…黒田坊だ。
何故こんな所に黒田坊が。そう狐ノ依が思う前に、鳥居の方が動き出していた。
「ご、ごめん狐ノ依くん!私先に行くね!」
「え、何、どうしたの?」
「ちょっと、今…知ってる人を…じゃあね!」
慌てた様子で鳥居が黒田坊の消えた方へ走り出す。茫然とその背中を見つめて、以前黒田坊が人間の少女を助けたという話を思い出した。
何気なく聞き流していたことだったが、もしかして鳥居が。だとしたら鳥居は妖怪と関わったことがあるというわけで。
「…後、追うか…」
狐ノ依は狐の姿に変わると、黒田坊と鳥居の後を追って走り出した。
・・・
どんどん薄暗く狭い道へ入っていく。鳥居は勿論狐ノ依さえも知らない場所だ。
辺りには人一人見当たらない。それどころか嫌な予感がしてならない。
怪しまれるかもしれないけれど声をかけて引き返そう、そう狐ノ依が考えたとき、目の前に古い家が建っていることに気付いた。
「あのー…」
家の中にいる人に声をかけるのは鳥居だ。中に見えるのは絵を描いている男。その姿を確認した瞬間、狐ノ依の体中の毛が逆立った。
妖気だ、しかも黒田坊じゃない、もっと別の黒い妖気。
「妖狐」
びくっと震えた狐ノ依の背後には全く知らない人間、いや妖怪だろうか。細い目がじっと狐ノ依を見つめている。端正な顔立ち、それが余計に恐怖をあおる。
「ここがどこだか、わかっているの哉…?」
手が伸びてきて、狐ノ依の首元を掴んだ。怖い、捕まったらまずい。思わず狐ノ依は人型に戻って男の手を振り払った。
鳥居を置いて逃げ出した。一人でなんとか出来る相手ではないと、そう判断出来たのだ。
「ごめんなさい…!」
きっと助けるから。そう思って来た道を戻っていく。人間なんてどうでもいいなんて、そんなことない。罪悪感で胸が痛くて、後ろを振り返ることが出来なかった。
「はぁ、はっ…」
走る。走って、走って、飛び越えて、狐ノ依は黒田坊の背中を探した。本当はすぐにでも本家に戻った方がいいのかもしれない。しかし、それでも狐ノ依は直感で黒田坊を追った。
「はっ…黒田坊、いないの…!?」
さっき見かけたんだ、そう遠くないはず。耳を立てて、神経を尖らせ妖気を探る。その瞬間、嫌な予感がして狐ノ依は一度振り返った。
「さっきの…妖怪、だよねやっぱり…」
あの古びた屋敷に妖怪が二人。そこに人間の女の子が入り込むなんて、どうなるかわかったもんじゃない。
「ど…どうしよう…!」
自分の愚かな行動に愕然として、狐ノ依は自分の顏を覆った。リクオの友人なのに、こんなこと知られたら、きっとリクオは怒る。一緒にいながら引き止めることが出来なかった狐ノ依に絶望するに決まっている。
「助けに、戻る…なんて…」
それで許されるなんて甘いことを考えて。少し迷いが生まれた。
「…それで逃げたつもりなの哉」
「え…?」
狐ノ依の足元に影が作られていることに気付いた頃には、その細い指が頬に触れていた。
「これでまた…いい噺が一つ…」
目の前が暗くなって、足が地から離れる。狐ノ依には何が起こっているのか、考える時間さえもなかった。
・・・
東京には…様々な理由で使われなくなった地下鉄の駅がいくつもあるという。そこに伝わる都市伝説。
若い夫婦がコインロッカーに赤ちゃんを捨てた。その後すぐにその駅が使われなくなってしまい、その赤ちゃんは発見されることなく…死んでもなお成長し続け、今になって現れたのだという。
自分を探して欲しい。使われなくなった駅に取り残された自分を。
しかし探して欲しいとお願いされて見つけられなかったときは、その者に死が…
・・・
「狐ノ依!」
ぱっと視界が明るくなり、狐ノ依は体を起き上らせた。
「無事だったか」
「…黒田坊?」
狐ノ依の肩を掴んで心配そうな顔を向けているのは黒田坊だ。
狐ノ依は黒田坊を茫然と見ていた。今まで何をしていたのかイマイチ思い出すことが出来ない。
「狐ノ依がいなくなったと…皆が心配していたんだぞ。無論、拙僧もだが…何があった?」
「え…いなくなった?ボクが?」
「…覚えていないのか?」
黒田坊が怪訝な顔をして、じっと狐ノ依を見つめている。狐ノ依は自分の頭を抑えた。
「…黒田坊」
「なんだ?」
「ボク、黒田坊を探していたんだ」
ようやく意識がはっきりしてくる。鳥居が危なくて、黒田坊を探していた。
しかし、そこでまた狐ノ依は頭を押さえた。どうして危なかったのか、どこかもやもやする記憶。
「拙僧を?」
「確か、鳥居さん…リクオ様の友人が、えっと…」
「そうだろうな」
「…知ってるの?」
黒田坊の表情が笠で見えなくなる。黒田坊の反応は、狐ノ依の不安を募らせた。
…狐ノ依がいなくなった。そして鳥居のことを知っている。
「ボクは、どれだけいなかった…?」
「…五日は過ぎたか」
「そん、なに…!?」
その間のことを何も思い出せない。自分の身に起こったことがわからないなんて、どれほどの恐怖か。狐ノ依の目は大きく見開かれ揺れている。
その狐ノ依の頭に優しく手を乗せると、黒田坊は笠を持ち上げて笑った。
「何も心配するな。拙僧に任せていればいい」
「黒田坊は、何かわかっているの?」
「…狐ノ依は先に帰っていろ」
立ち上がって去ろうとする黒田坊の袈裟の裾を狐ノ依の手が掴んだ。少しつんのめった黒田坊が困惑の表情を見せて振り返る。
「狐ノ依…」
「ボクも行く」
「…仕方がないか」
あまり納得してはいないようだが、黒田坊が頷くのを確認すると、狐ノ依はすぐに狐の姿に変わって黒田坊の首元に身を寄せた。
「…目を閉じていてくれ」
「?」
「見なくて良いこともある」
意味もわからず、狐ノ依はきつく目を閉じた。迷惑をかけて、これ以上我が儘は言えない。
黒田坊の体温を直接感じながら、狐ノ依は自分の身に起こったことを思い出そうとしていた。五日以上もリクオの傍を離れていたのだと思うと申し訳なくて。でも、狐ノ依にも何が何やらわからない。それがただただ怖かった。
「あなた…どっから入ったのー?」
暫く目を閉じていてその後、最初に聞こえてきた声は、黒田坊のものでも狐ノ依のものでもない高い声。それは、余りにも鳥居のものと酷似していた。
「私、切っても消えないよ!もし、私を消したかったら…44秒以内に迷子になった私を探してね!」
「ほぅ…それでいいのか…」
ゆっくり目を開けると、黒田坊が大量の暗器で辺りを破壊している光景が映った。破壊されたそれは、全てロッカーだ。
「では、返してもらうぞ…拙僧を呼んだ少女を!地下鉄の幽霊少女よ!」
黒田坊の視界の先には鳥居と良く似た姿をした霊。そして、破壊されたロッカーの中に本物の鳥居が押し込まれている。
黒田坊は少女の霊が消えたのを確認すると、鳥居を助け出した。
「また…助けてくれた…」
鳥居は意識があるようで、黒田坊が抱き上げると薄ら目を開けた。
「あなたを追いかけてたら…ここに閉じ込められちゃって」
それだけ言うと鳥居は安心した様子で目を閉じた。相変わらず黒田坊の肩に乗ったままの狐ノ依は今の状況がわからず目を泳がせている。
そして、視界に入った男を見て息を呑んだ。
「あーあ。折角傑作の予感だったのに、未完成のまま消えちゃった」
間違いなく見覚えがある男。美しい容姿をした妖怪。
「こんにちは。元百物語組大幹部…黒田坊サン」
「お前は…柳田…」
「ふふ…覚えていてくれたんですね」
ちら、と柳田と呼ばれた男の目が狐ノ依を捕らえる。
「まさかこの怪異、お前が産んだのか?」
「産む?やだなぁ…ボクは集める役さ。忘れてしまったの哉?ボク達元々奴良組と戦った仲間なのに…」
聞いてはいけないことを聞いてしまった気がする。
狐ノ依は恐る恐る黒田坊の顏を確認した。怖い顔。鋭い目がそこにある。
「何をやろうとしているのか知らんが…やめておくんだな。お前らの組はもうないんだ」
「やだな。一つ二つ壊したくらいでボクの百物語集めは終わらないよ。もう次があるし」
柳田の目は黒田坊ではなく、まだその肩に乗る狐ノ依を見ている。
「まさか」
「それに、もう少しで山ン本さんは復活するんだよ…。君達はまだ気付いていないんだね」
難しいことばかり言う。狐ノ依はもう耳を塞いでしまいたかった。たぶん、聞かなくてはいけないことなのだろうが、知りたくはないことだ。
「全ては君が忠誠を誓っていた二代目が死んだときから始まっていたんだよ。ずっと山ン本さんの手のひらで踊らされているんだ…君達は」
がらがらと世界が崩れ出す。この世界の中心だった少女の霊が消えたからだ。
柳田も背中を向けるとすっと姿を消してしまう。
それを追おうとして黒田坊が身を乗り出すと、細かい足音が近付いた。
「黒!鳥居さんと巻さんを早く外へ!」
「若…!?」
電車を利用してこの世界に入ってきたリクオが後ろで倒れていた巻を抱き上げる。外へ出ると、そこはよく見るいつもの駅だった。
居心地悪そうにするのは黒田坊と、狐ノ依も同じで。鳥居と巻を椅子に寝かせると、おずおずと狐ノ依はリクオにすり寄った。
「…狐ノ依!?なんで…どこにいたんだよ!」
狐ノ依にとっては長い時間ではないが、リクオにとっては相当のもので。リクオはほっとしたような、怒っているような、複雑な感情に顏を歪ませて狐ノ依を強く抱きしめた。
「馬鹿!心配したんだからな!」
何をどう説明したら良いのだろう。全てが言い訳になってしまう気がする。
狐ノ依は何も言わずに人型に戻ってリクオに抱き着いた。
「ごめんなさい…っ」
「狐ノ依…」
「ごめんなさいリクオ様…!ボク、ボクは…」
リクオの腕の力が強まって、狐ノ依の口はリクオの方に押し付けられた。
「…黒田坊、狐ノ依も話は後で聞かせてもらう」
「リクオ様…?」
「至急…総会を開く!」
その言葉はリクオとしてじゃない、奴良組三代目としての言葉だった。