リクオ夢(2011.10~2015.03)
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ぬらりひょんの能力は畏を断ち、ふところに入ること。刃を届かせるためには、業を手に入れる必要がある。
牛鬼はそれを知っていた。だから、自らリクオ鍛えることを申し出たのだった。
「私は、実戦を用いてリクオを鍛える。加減はしない」
「…ボクは」
「狐ノ依は、何があっても手を出すな」
「それは…ボクが手を出したくなるようなことに、なるってことですか…」
聞くまでもなかった。以前にも、牛鬼はリクオを殺すつもりで攻撃したことがあった。今回もまた、本気で挑むのだろう。
そして、それが成功すればリクオは格段に強くなる。その“業”を手に入れて。
「リクオはまだ、ぬらりひょんの本質を掴んだに過ぎない。畏を強くする必要がある」
百鬼夜行は集団であり、一つの大きな力。率いる者の力に比例して強くなる。
つまりリクオが強くなれば、強力な百鬼夜行は作れるのだ。
「しかし、それではまだ足りない」
「足りない…ですか?」
「リクオが真の強者となり、誰からも信頼を得て固い絆で結ばれたとき…業は生まれる」
「…なんだか、素敵ですね」
「お前は、そう思うか」
狐ノ依がそう思えるのは、それを難しいことだと思っていないからだ。リクオへの信頼と、そして固い絆。狐ノ依は既に手にしている。
「私はリクオを強くする。それ以外は…狐ノ依に任せよう」
「え、良いのですか?そんな…」
「…もう一人、呼んである」
もう一人、そう言って牛鬼が見た視線の先を追うと、そこには鴆が立っていた。
もう奴良組の皆の治療を終えたのか、少し疲れた様子でいる鴆。元々強い体でない鴆にはだいぶ負担がかかったのかもしれない。
「鴆様…!」
「大丈夫だ。狐ノ依も疲れてんだろ」
狐ノ依が出した手を優しく制して、鴆は牛鬼を睨んだ。それから小さくリクオを頼むと告げると、まだ意識なく倒れたままのリクオを任せて、鴆は狐ノ依の腕を引いた。
リクオが起きたら、牛鬼はすぐに始めるだろう。それを見るのは狐ノ依には耐えがたいことだとも予想がついたから、鴆はそこから離れていった。
「鴆様、具合が…」
「何、問題ねぇよ」
どこだか知らないが、大きな屋敷。
しかし、京であることに変わりはない。張りつめた空気に体をゆっくり休めることが出来ない。
鴆も、狐ノ依も本調子ではなかった。
「狐ノ依、服脱ぎな」
「え?」
「体、治りきってねぇだろ」
狐ノ依の後ろに回って、鴆が着物に手をかける。着物を下ろすと、白い肌に、無数の傷が残っている。深くはないが、着物は擦れて痛いはずだ。
「大丈夫ですよ、このくらい」
「いいから任せな。いつも狐ノ依に仕事取られっぱなしじゃあよ」
薬を付けた鴆の手が優しく背を撫でる。
冷たい塗り薬の感触に、狐ノ依は息をのんで体を固くした。
「お、平気か?痛かったか?」
「い、いえ…びっくりしただけです」
あれだけの攻撃を受けて、ここまで自力で回復した力は相当なものだ。背の傷に触れながら、鴆は妖狐の秘めたる力に感心していた。
リクオの生命力にも驚いたものだが、この狐ノ依も相当なものだ。
「さすがは妖狐…ってか」
「鴆様?」
「こんな弱そうな体で…」
「鴆様に言われたくないです」
「いや、実際そうだろ。こんな細い体でよく生きてた」
弱い妖怪と言われる鴆だが、その体つきは立派な成人男性のもので。むしろ狐ノ依はまだ少年の、細くて小さい体。
そんなもの、妖怪の強さとなんの関係がないことはわかっていても、やはり腕の中で守ってあげたい存在に映る。
「狐ノ依…」
「鴆様?」
「…悪い、血迷った」
「はい?」
思わず後ろから抱きしめそうになって出た手を引っ込める。誰もが惹かれる狐ノ依はリクオのものだ。
それを少しでも惜しいと感じてしまう鴆もまた、狐ノ依に魅せられた一人だった。
「見ているだけってのは…待ってるだけってのは辛いだろ」
「…はい」
「オレもだ。弱い妖怪だって、リクオはいつもオレを置いてこうとしやがる」
「リクオ様は、自分でなんとかしようとしたがりますからね」
いいぞ、と背中を叩かれ、狐ノ依はいそいそと着物を着直した。自分の白い肌が嫌で、すぐに袖に腕を通す。青白い肌は、確かに鴆より不健康そうだ。
その狐ノ依の目に、今度は鴆の手に少し傷があるのが映る。薄ら血が滲むそこへ、狐ノ依は無意識のうちに口を近づけていた。
「っ!?狐ノ依、な…何してんだ!?」
「ぁ、ごめんなさい!」
さっきリクオの血を中途半端に舐めたせいで、喉が勝手に求めていたらしい。
「…リクオはいつも今の感触味わってんのか」
「感触って…」
「柔らかい唇だな」
「や、やめて下さい…」
リクオの前以外でも赤くなる狐ノ依が見れるとは思っていなくて、鴆はつられて少し頬を赤くしていた。
・・・
「おし、そろそろ行くか」
庭の方を見て鴆が立ち上がった。激しい牛鬼の妖気がなくなって、急に静まり返る辺りの空気が少し不気味で。
狐ノ依は鴆に寄り添うようにしてリクオの元へ向かった。
屋敷から少し離れたところ。木に囲まれて、リクオは一人倒れていた。
「リクオ様!」
「狐ノ依、オレが診る」
狐ノ依より前に出て、リクオの手をとる。命に別状はない、どころか見た目ほど深い傷もない。
「ん…、あれ、鴆くん…?」
「リクオ、じっとしてろ」
鴆はリクオの腕に薬を塗りながら、その丈夫さに改めて驚かされていた。
妖怪とはいえ、傷を負えばそれなりに休養を取らなければならないだろうに。
「ごめん、ボクが弱いせいで…皆に迷惑かけて」
「てめー何言ってんだ!大将なんだから、堂々としてればいいんだよ!」
「鴆くん…」
狐ノ依は落ち込むリクオにあえて何も言わなかった。鴆の言葉は素直で率直で真っ直ぐで、とにかく本当の言葉だとわからせる強さがある。
狐ノ依の言葉よりも、もっと説得力があって。それに、何より二人の絆の深さを知っていた。
リクオと初めて盃を交わしたのは鴆だ。義兄弟という繋がりもある。
「業ってなんのことなんだろう…?」
「…うちの一族は代々てめーの親父についててよ、よく武勇伝を聞かされた」
代々ずっと。狐ノ依の知らないときの奴良組を知っている。
いつも、リクオと共にいる鴆を見ると羨ましくなった。狐ノ依は新参者で、知らないことも多くて、妖狐という存在だから優遇されているだけなのだ、と。
「毒の翼を広げたってな。リクオ…狐ノ依も、見てくれ」
急に話を振られて狐ノ依はびくっと肩を揺らした。顔を上げて横に立っている鴆を見る。
その鴆の姿に息をも止めて見惚れてしまった。
見たことなどない、美しい翼が鴆の背から伸びているのだ。
「さわんなよ、キレイだろーが、毒バネだ」
「すごい…とても、本当に…」
「だろ?なぁ、リクオ。オレも翼を広げてぇんだ」
鴆の目がじっとリクオを見つめて、狐ノ依もリクオを見つめた。一緒に戦いたい。二人の意思は同じで、それはリクオにも伝わったようだ。
「ありがとう、鴆くん」
「…リクオ様、自分も、その思いなら負けていません!」
「うん、ありがとう。狐ノ依も…」
その頃。リクオのいない奴良組は他の封印の場所に向かって動き出していた。第八の封印に続き、七、六と封印をしていく。
しかし、リクオがいないために、遠野の妖怪たちは別行動、奴良組の中でも単独行動する者も出て、奴良組としては上手く機能出来ていなかった。
飯を片手に胡坐をかくリクオは、ずっと険しい表情で何かを考えている。
狐ノ依は修業によって腫れたリクオの顔に触れたいのを必死に我慢していた。
治そうと伸ばした手を拒否されたのは、ついさっきのこと。
痛みが無くなると学んだことを忘れてしまいそうだから…とリクオは言うが、それでも治してあげたいと思ってしまう。
今、狐ノ依に出来ることはそれしかないから。
「土蜘蛛に届く刃…オレのどこにある?」
この台詞は何度目か。そればかりのリクオに狐ノ依と鴆は目を合わせた。
「リクオ様…しっかり休む時間もとって下さい」
「そうだぞ、今は休め」
日が昇れば修業再開なのだ。
それでも、二人の言葉を聞かずに真剣な顔をしているリクオ。その手に、狐ノ依の手が重なった。
「狐ノ依?」
「せめて…手だけは握らせて下さい…」
以前言ってくれた、狐ノ依の手に癒されるという話。手を握るだけでリクオが癒されるなら、それを活かしたい。
とはいえ、積極的なことをしてしまったことに、狐ノ依は顔を赤くして縮こまった。嫌がられたらどうしよう。迷惑だったかもしれない。
そんな狐ノ依を見て、ようやくリクオは肩の力を抜いた。
「わぁったよ…狐ノ依には敵わねぇな」
「…迷惑じゃないですか?」
「…狐ノ依にされて迷惑なことなんてねぇよ」
「そんな…」
重なっていた狐ノ依の手を絡めて、リクオは優しく微笑んだ。
「…お前らよぉ、少し周りの目ってヤツ気にしろよ…」
「悔しいのか?」
「…あー、悔しいよ悪かったな」
和やかな雰囲気になり、狐ノ依もほっとして絡み合っている手に視線を落とした。暖かくて、大きな手。この人の横に立って戦えるなら、それだけでいい。
一人で意気込んだ狐ノ依の目に、ふわっと入り込む羽が映った。鳥…違う、天狗の羽だ。そう思った瞬間、狐ノ依たちは天狗に囲まれていた。
「…!?おいおい、修業再開には早すぎんじゃないか!?」
「いや、違う…鴆、狐ノ依、こっちだ!」
本気で刀を振り下ろしてくる天狗の攻撃を掻い潜りながら、リクオは応戦した。
これは修業ではない、本当に襲われている。それを感じ取り、狐ノ依も集中して敵を見つめた。
「オレがこいつらのスキを作る。そのスキにお前らはここから逃げろ!」
狐ノ依と鴆を庇うように前に立つリクオ。その背中を後ろから見ているだけは嫌だった。昔は背中を預けてくれたのに、敵が強くなるにつれてリクオは一人で戦おうとし出して。気持ちが近くなった分、今はその遠さが悔しい。
「嫌です」
「っ何言ってんだ、狐ノ依…!」
「あぁ、ざけんなよリクオ。足手まといみたいに扱いやがって」
「はぁ!?してねーよ」
狐ノ依はリクオの横に出て、そこにいた天狗に爪を立てた。
狐ノ依の体が青白い炎で光り出す。幻惑の炎、元々補助的な能力の多い狐ノ依は使われてなんぼなのだ。
「リクオ様、自分はリクオ様と共に戦いたいのです…!」
「…狐ノ依」
一人でも戦えている狐ノ依のその美しさはさすが妖狐といったもので、リクオは刀を強く握った。
リクオに足りないのは、仲間を頼る心。人間である弱さを隠そうとしてしまうところだ。そしてまだ迷っている。
「リクオ…オレは役に立ちてぇんだよ」
「鴆…」
「狐ノ依もそうだ。なぁ、盃交わした百鬼夜行だろ」
鴆と狐ノ依の目がリクオを力強く見つめている。そう、思いは同じだ。
「…わかったよ、うるせぇ下僕だぜ」
リクオと鴆の目が混ざり合って、二人の体が重なった。リクオの刀が姿を変え、リクオの背から鴆の妖気が溢れ出す。
その膨れ上がった畏と見た目の美しさに狐ノ依が見惚れているうちに、そこにいた全ての天狗が倒されていた。
「リクオ様…今のは…?」
茫然と、今起こったことについていけずにいる狐ノ依がゆっくり屋敷から出てくる。雰囲気が変わったリクオと、そして畏を感じて駆けつけた牛鬼が対峙していた。
「牛鬼…今のが業か」
「…リクオ、今ならわかるな?お前は仲間を信じ、信じられることで強くなる」
守るものでも、守られるものでもない。それが百鬼の主の業へと繋がる。
「最初の盃の相手は鴆だ。きっとお前達なら掴むと思っていた」
牛鬼の言葉を聞いていた狐ノ依はそこに膝をついた。確かに盃を最初に交わしたのは鴆で、それは狐ノ依も見ていた。そして、狐ノ依は盃を交わす関係にはない。
「そんなぁ…ボクの方が、絶対思いは強いのに…」
鴆に先を越されたことが純粋に悔しい。頬膨らませて悔しそうにしている狐ノ依を見て、その場の空気が柔らかくなる。
リクオも牛鬼も鴆も、狐ノ依の様子に呆れたように、愛らしいものを見るように目を細めていた。
「リクオ、今のお前なら狐ノ依も纏えるだろう」
牛鬼は刀を抜いて、リクオを見据えた。
「最後の仕上げだ。業で私の畏を断ち切ってみろ」
「あぁ…狐ノ依、来い!」
「っ!はい!」
・・・
狐ノ依はリクオの体に抱き着いていた。牛鬼の畏を真正面から断ち切ったリクオの体の負担は軽いものではなく。
牛鬼が10分の休憩、その間狐ノ依がくっついているのが良いと言ってくれたのだ。
「ったく…休んでる時間なんて無いってのに」
「駄目…ですよ。強くなったからって、相手はあの土蜘蛛なのですから…」
今、土蜘蛛のところにつららが捕まっている。リクオの言うことも尤も。確かに少しでも早くつららを助けに行かなければいけないというのも本当なのだ。
しかし、それで焦っては本末転倒。準備はしっかりして行かなければ。
「…そんなこと言って、体固いぜ、狐ノ依」
「や、それは、その…」
「狐ノ依も、体休めねぇと意味ないんだからな」
「う…申し訳ございません…こんなことで、緊張してしまって…」
リクオの胡坐の上に乗せられて、密着するように首に手を回して。リクオがしゃべる度に耳に息がかかる。低い声が掠めてぞくぞくと体が震えてしまう。
「狐ノ依…」
「やッ…耳元で…」
「変な声出すんじゃねぇよ…」
「誰のせいですかぁ…」
ぎゅっと抱き着いて着物と着物が擦れる音がする。これから戦いに行くというのに、変な気分になりそうで。それはリクオも同じだったらしい。
「狐ノ依、もう大丈夫だ」
「そう、ですか…?」
「あぁ。土蜘蛛は相剋寺にいる…。すぐに向かおう」
「…はい!」
立ち上がって周りを見据える。さっきまでの表情はぱっとなくなって、凛々しい面持ちがそこにあった。
リクオの空気が変わったのを感じとって、先ほど襲いかかってきた天狗たちが集まる。
元々鞍馬天狗たちは敵ではない。羽衣狐には恨みもある。しかし、約束の時間のうちに強くなれなかったリクオには任せられないと判断し、祢々切丸を回収しようとしたのだ。
しかしリクオは業を習得した。リクオは約束通り、三日間で強くなったのだ。
「ずいぶん時間がかかっちまった…。行くぜ!土蜘蛛退治だ!」
ついて来い。そう言うリクオは増々かっこよくなっていて、狐ノ依は見惚れながら強く頷いた。
相剋寺。どっしりと胡坐をかきながら酒を飲む土蜘蛛の背後、つららは捕えられていた。土蜘蛛の強さはもう痛いほどわかっている。
自分がエサとされたのだと知ったつららは、リクオが来ないように、なんとか一人で逃げることを考えていた。
「やめとけ、お前じゃ何も出来ねぇよ」
しかし、土蜘蛛の声は、つららに行動することさえ許さない。圧倒的な力の差は、声一つでつららを畏れさせた。
「…ようやく来やがったかい」
土蜘蛛がのそっと体を動かす。扉は開けられるどころか正面から破壊され、そこにリクオが仲間をつれて立っていた。
「な…なんで来たんですかっ!」
自分を責めて涙を流すつらら。その体を後ろから支えるように、リクオの腕が回った。
「お前を助けるために来た、つらら」
土蜘蛛と対峙するようにそこにいたはずのリクオが一瞬のうちにつららの背後に移動した。そこにいたという認識がそらされる。
「ぬらりくらりと邪魔くせぇ…あとかたもなく…つぶしてやるぜ」
「土蜘蛛、今度こそてめーを叩っきる!」
一対一で見据えたリクオと土蜘蛛。しかしそれでも尚、つららはリクオを守りたくて、一歩前に出ていた。
「お下がりください!」
「おい、つらら」
「お願いします…目の前にリクオ様がいて、守れないのはもうっ…私も戦います!」
つららの思いは、リクオの戦う姿を見守っていた狐ノ依にも聞こえていた。
狐ノ依と似て、リクオへの思いは相当強い。ただ少し違うのが、守りたいと思う故に自分の命を捨ててしまえるというその覚悟。
「あ…」
思わず前のめりになった狐ノ依の体を、鴆が抑えた。
「今はあいつらに任せようぜ」
「…でも」
「もどかしいだろうがな」
鴆はもう一度その目に映したかった。リクオと自分や狐ノ依がやって見せた、その畏。纏われたようなあの感覚を。
「百鬼夜行の主は、お前たちの思いを背負って強くなっていく」
「わ…私はどうしたら…?」
「お前の、その心も体も、オレに全部あずけろ!」
つららの体がぼうっと赤くなる。それを聞いていた狐ノ依の顔も同じように赤くなっていた。なんだ今の文句は。
「ぜ、鴆様、今の絶対おかしいですよ…!」
「いいから、見ろ狐ノ依」
鴆の袖を掴んで赤い顔で泣きそうになっている狐ノ依を制して、鴆はリクオを指さした。
刀には氷のようなものが纏わり、リクオの背からも氷の塊が出て来ている。
御業とは、二代目の使った人と妖の血が成せる業。共に信じ合う者だけを背負い、その畏をおのれの体に纏わせる奥義。折り重なる畏は何倍もの力となる…百鬼の主の御業、『鬼纏(まとい)』。
鴆がこの修業の間に牛鬼から聞いたことだった。
「ほう…おもしれぇ業だな」
「土蜘蛛、これがてめぇに届く刃だ」
土蜘蛛に届いたその刃は、その腕を切り落としていた。
纏いが解かれて、リクオの隣に降り立ったつららは不思議そうにリクオを見つめている。それから自分がリクオの役に立てたのだということがわかって、嬉しそうに笑った。
それを見ていた狐ノ依の頬がぷくっと膨れる。
「なんか…」
「狐ノ依、まだ油断すんじゃねーぞ?」
「ボク、おかしい」
「狐ノ依?」
別に嫌なことをされたとかじゃないのに、何故だか怒りや悲しみのような感情がとめどなく溢れる。
しかし、そんな余計なことを考えている余裕などない。戦える相手を見つけた土蜘蛛は初めて楽しそうに飛び跳ね始めた。
「もう一回出してくれよ今の…。ホレホレ、オレは的だぁ」
敵も味方も関係なく周りのものを破壊する土蜘蛛の大きな手。急に変わった土蜘蛛の様子に皆が茫然としているうちに、リクオの周りに糸が張られ、土蜘蛛とリクオだけの空間が作られてしまった。
「リクオ様!」
誰よりも自分がそこに行きたい。リクオのために戦うのは自分がいい。初めて感じるリクオへの独占欲に、狐ノ依の気持ちは高ぶっていた。
何重にも張られた妖気の混ざった土蜘蛛の糸に触れる。
「リクオ様…ボクを使って…」
中で起こっていることは全然見えない。恐ろしいほどの妖気に、地面の割れる激しい音がびりびりと体に伝わってくるだけ。
「ボクだけじゃ駄目なの知ってます…でも、ボクだけがいい」
糸の中へと手を伸ばす。張り詰められた糸は、狐ノ依の手に触れると墨になって天へと消えていく。
すっと向こう側へ通った狐ノ依の手が暖かい手に包まれた。しっかりと手が絡み合う。その瞬間、狐ノ依は糸の中へ、リクオの背に移動していた。
「…何?どういうことだ」
「言っただろ、土蜘蛛。オレを壊さねぇと、百鬼夜行は壊せねぇ!」
味方と別々にして、リクオと一対一で戦おうとしていた土蜘蛛は、狐ノ依の登場に驚きの声を上げていた。
リクオの手が狐ノ依の腰に回る。引き寄せられた体が熱くなって、狐ノ依も応えるようにリクオの首に抱き着いた。
「リクオ様…自分は…」
叶うことは難しいけれど、それでもリクオに思われたい。自分だけが思われて、そしてもう一度使って欲しい。
「待て、土蜘蛛はオレたちが倒す」
しかしリクオが狐ノ依を纏う前に、頭上から声が聞こえて、皆が視線をそこに移動させた。蜘蛛の糸で出来た壁を越える高さから、イタクたち遠野の妖怪たちが見下ろしている。
たっと降り立ったイタクはリクオを鋭い目で見つめた。土蜘蛛には遠野の妖怪も恨みがある。先の戦いでやられた者のため、復讐という形で。
「バラバラに戦ったって、土蜘蛛は倒せねぇぜ」
「何?」
リクオがイタクを真剣な目で見つめ返した。
振り下ろされた土蜘蛛の腕を、イタクは一人で切り裂く。それを見て、リクオはにっと笑った。
「やっぱ強ぇな…。イタク、お前が欲しい」
「…あ?」
「てめぇの畏、俺に鬼纏わせちゃくれねぇか」
びくっと狐ノ依の体が震えて、リクオから離れた。
「オレの刃になれ、イタク。オレがそう望んでる」
最初は渋ったイタクも、リクオの強い意志を感じ取って、それに応えた。
強い者を纏えばその分、力は当然大きくなる。元から強い力を持ったイタクを纏ったリクオは強かった。
一太刀で土蜘蛛の体が切り裂かれる。土蜘蛛は地に膝をついて動かなくなった。
・・・
「リクオ!オレもまとえよ!」
「いや、淡島の畏は見たことねーから、想像できねぇのにやれねぇな」
「あ、そっか…」
土蜘蛛が倒れたおかげで、リクオたちの周りを覆った糸が消えてなくなる。リクオの新しい業を見て、淡島は楽しそうにしているし、纏われたイタクもリクオを信用して傍に座った。
ズキズキと胸が痛む。なんとなく、狐ノ依は居心地の悪さを感じて、リクオから距離をとっていた。
「狐ノ依、さっきから変だぜ」
「鴆様…」
「お前、わかりやすいなぁ」
くしゃくしゃと頭を撫でられて、狐ノ依は首を横に振った。
「ボク、最低なことを望んでしまいました」
「そんなことねぇと思うぞ」
「…まだ、何も言ってないです」
「言ったろ、わかりやすいって」
今にも泣きだしそうな顔。向こうではつららも、リクオが纏ったのが自分だけじゃなかったということに膨れている。
つららと狐ノ依の心情は若干似ている。その表現の仕方はだいぶ異なるが、それでも二人はどちらもリクオの一番になりたかったわけで。
「狐ノ依、鬼纏われたのが自分だけじゃなくて不服か?」
「…何を言っているんですか。リクオ様は百鬼の主なのですよ…?」
自分だけが、なんてことは有り得ない。それがわかっているからこそ、どうしようもなくて辛くなる。必死にそれを見せまいとする狐ノ依の姿は鴆にも痛々しく映っていた。
「んな顔したって仕方ねぇだろ」
「ボク、今どんな顔してますか…?」
「抱きしめたくなる顔だな」
「…え?」
ぎゅっと、リクオからは見えないような角度で、鴆が狐ノ依を腕の中に引き寄せる。その暖かさに、つい縋りたくなって。狐ノ依は鴆に暫く体を預けて目を閉じていた。
「リクオ様!」
「おー、てめぇら。遅かったじゃねぇか」
暫くして、リクオの元に首無や毛倡妓など、離れていた奴良組の者たちが集まった。それに気付いた鴆はすっと狐ノ依から体を離す。
「オレの力が足りなかったばかりに、お前達には苦労をかけたな」
リクオが声をかける、それだけで奴良組の心は一つにまとまっていく。土蜘蛛を倒したという事実もあって、そのリクオの強い言葉に皆が穏やかな表情を見せた。
「…狐ノ依?なんだ、どうかしたか?」
いつもリクオの言葉一つ一つを聞き逃すことなく反応する狐ノ依がぼんやりと遠くを見て動かない。それを不思議に思い声をかけたのは、その体をさっきまで抱きしめていた鴆だった。
「…鴆様は、以前にもボクを」
「ん?」
「ボクは…」
狐ノ依が言いかけたとき、土蜘蛛の体が大きく動いた。ガラガラと瓦礫が舞い上がり、そして落ちてくる。
そのせいで狐ノ依は言葉を飲み込んだ。
「膝をつかされたのは…鵺(ぬえ)とやり合って以来千年ぶりだぁ」
退屈そうに頭をかきながら土蜘蛛が呟く。まだ死んでいなかったのかと構えたリクオ達も、その声に構えを解いて土蜘蛛を見上げた。もう戦うつもりは無さそうだ。
土蜘蛛から出た鵺という名前。見たことはなくとも聞いたことはある、有名な妖怪の名だった。
「鵺…その妖が、京の奴らの言う宿願ってやつか」
「そうだ…ヤツは人としてはこう呼ばれた…安倍晴明」
安倍晴明、それこそ有名な陰陽師の名前。それを聞いたのはリクオたちだけではない、丁度駆けつけたゆらの耳にも入っていた。
陰陽師、人の味方であるはずの存在が何故。
そのとき、新たな命がどくんと動いた。
・・・
「おお…よしよし。わらわのやや子…」
ゆらゆらと、数本の尾を血の海の中に揺らす。黒くて長い艶やかな髪に、若く美しい人間の肌。羽衣狐は自分のお腹を優しい手つきで撫でまわした。
「今このおじじを殺すでな。その後…食事にしような」
羽衣狐の目は、陰から様子を窺っているぬらりひょんに向いていた。出産を間近にひかえた羽衣狐の腹からは異様な空気が漏れている。産ませてはいけない、ぬらりひょんの直感がそう感じ取った。
「なぁ、その晴明ってのは、まだ産まれねぇんですか?」
ぬらりひょんと羽衣狐の間の空気を気にすることなく、さっと間に一匹の妖怪が割り込む。その妖怪の姿に、ぬらりひょんは目を大きく見開いた。
「妖狐、静かに待てないのかえ」
「主様がそいつに付きっ切りで面白くねぇんですよ」
「敵を前にして何を言うておる」
「…敵」
きっと鋭い瞳がぬらりひょんを捕らえた。全体的に色素の薄い体に、青の髪。その雰囲気は##NANE1##とよく似ている。しかしその顔つきは鋭く、吊り上った目をしていて、髪の長さも腰につくほど長い。
「ぬらりひょん?の孫?だったか、俺の兄弟がいるのは」
「兄弟…!?」
「は、なぁに驚いてんだ」
その美しい姿をした妖怪はぬらりひょんの方にゆっくりと歩いて近付いた。両手を上げて敵意はないと表現しているが、ぬらりひょんは刀をきっと構えている。
兄弟、いや双子だと言われたら頷ける、それくらい狐ノ依によく似ていた。ただ、その表情は一度も狐ノ依の顔に映ったことがないもので。
「妖狐があんたんとこにいる一匹だとでも思ってたのか?」
妖狐は子を産んで死ぬ。そう思っている者が多いため、それと並んでこの世に一匹しか存在しないと思っている者が多い。
ぬらりひょんも、当然そうだと思っていた。しかし、今目の前には狐ノ依以外の妖狐が立っている。
「自分の子供を抱きたいと思うのは親として当たり前だよな…。産んで死ぬなんて阿呆だ」
妖狐の手が、ぬらりひょんの手を掴んだ。一瞬、油断したスキをついて妖狐が顔を近づける。畏、というよりは魅せられて、ぬらりひょんは動くことが出来なかった。
いやらしく笑う妖狐の目がじっと捕えて離さない。ぬらりひょんの顔に、妖狐の髪がかすった。
「なぁ…俺の弟は憎らしいくらい可愛いだろ」
「…何が言いたいのかわからんな」
「別にわかんなくてもいーよ。あんたはここで死ぬんだからな」
狐ノ依のその言葉を合図にしていたかのように、ぬらりひょんは背中から切り付けられていた。
羽衣狐の傍には強い妖怪が付いている。それは勿論妖狐だけではない。いつの間にか複数の妖怪に囲まれていたぬらりひょんは、さっと飛びのいた。
かつて羽衣狐を倒すに至ったぬらりひょんも、年老いた今ではそれほどの力はない。
「魑魅魍魎の主と呼ばれた男もあっけないものだな…老いとは怖い」
刀がぬらりひょんに突き刺さる。その刀をぬらりひょんは知っていた。魔王の小槌…恐らく鯉伴をやった刀と同じ、そのものだ。
「この刀…なんでてめぇが持ってんだい…?」
大きな目玉の妖怪、鏖地蔵…京妖怪、羽衣狐の側近であり参謀的な存在。その手に握られた刀に体を裂かれながらも、ぬらりひょんは自身の畏を放ち、姿を消した。
老いて衰えたとはいえ、まだまだ弱いわけではない。
「き。消えた…!?」
「おいおい、何逃がしてんすか」
刀についた血を指でなぞり、それを口に含みながら妖狐が言った。
400年前から羽衣狐に仕えている鏖地蔵に比べたら、妖狐は若い妖怪だ。しかし、誰も妖狐に文句を言うことはない。
その美しさと、計り知れないその能力故。
「鏖地蔵、あやつの始末はワシらがやる。お主は羽衣狐様の出産に備えろ」
鬼童丸が鏖地蔵に耳打ちする。それを妖狐も耳を立てて聞いていた。
羽衣狐の出産はまもなく、もう数刻もすれば始まるだろう。産まれてくるのは、千年前の京の闇を支配したといわれる男、安倍晴明。
「それより…早く可愛い弟に会いたいねぇ」
腕を組んで、妖狐は舌を口の端から出してチラつかせた。気配が近付いているのにはとっくに気付いている。
既にリクオ率いる百鬼は彼らのいる弐條城の門のところまで迫っていた。
「さぞ可愛く育ったんだろうな…恵まれた子よぉ」
「妖狐、何を呟いている」
「おぉ、鬼童丸さんよ。可愛い妖狐はヤんなよ。俺のだ」
「…行くぞ」
鬼童丸の後に続いて、京妖怪たちがリクオの率いる百鬼に備える。
妖狐が初めて妖狐と出会う時は近づいていた。
牛鬼はそれを知っていた。だから、自らリクオ鍛えることを申し出たのだった。
「私は、実戦を用いてリクオを鍛える。加減はしない」
「…ボクは」
「狐ノ依は、何があっても手を出すな」
「それは…ボクが手を出したくなるようなことに、なるってことですか…」
聞くまでもなかった。以前にも、牛鬼はリクオを殺すつもりで攻撃したことがあった。今回もまた、本気で挑むのだろう。
そして、それが成功すればリクオは格段に強くなる。その“業”を手に入れて。
「リクオはまだ、ぬらりひょんの本質を掴んだに過ぎない。畏を強くする必要がある」
百鬼夜行は集団であり、一つの大きな力。率いる者の力に比例して強くなる。
つまりリクオが強くなれば、強力な百鬼夜行は作れるのだ。
「しかし、それではまだ足りない」
「足りない…ですか?」
「リクオが真の強者となり、誰からも信頼を得て固い絆で結ばれたとき…業は生まれる」
「…なんだか、素敵ですね」
「お前は、そう思うか」
狐ノ依がそう思えるのは、それを難しいことだと思っていないからだ。リクオへの信頼と、そして固い絆。狐ノ依は既に手にしている。
「私はリクオを強くする。それ以外は…狐ノ依に任せよう」
「え、良いのですか?そんな…」
「…もう一人、呼んである」
もう一人、そう言って牛鬼が見た視線の先を追うと、そこには鴆が立っていた。
もう奴良組の皆の治療を終えたのか、少し疲れた様子でいる鴆。元々強い体でない鴆にはだいぶ負担がかかったのかもしれない。
「鴆様…!」
「大丈夫だ。狐ノ依も疲れてんだろ」
狐ノ依が出した手を優しく制して、鴆は牛鬼を睨んだ。それから小さくリクオを頼むと告げると、まだ意識なく倒れたままのリクオを任せて、鴆は狐ノ依の腕を引いた。
リクオが起きたら、牛鬼はすぐに始めるだろう。それを見るのは狐ノ依には耐えがたいことだとも予想がついたから、鴆はそこから離れていった。
「鴆様、具合が…」
「何、問題ねぇよ」
どこだか知らないが、大きな屋敷。
しかし、京であることに変わりはない。張りつめた空気に体をゆっくり休めることが出来ない。
鴆も、狐ノ依も本調子ではなかった。
「狐ノ依、服脱ぎな」
「え?」
「体、治りきってねぇだろ」
狐ノ依の後ろに回って、鴆が着物に手をかける。着物を下ろすと、白い肌に、無数の傷が残っている。深くはないが、着物は擦れて痛いはずだ。
「大丈夫ですよ、このくらい」
「いいから任せな。いつも狐ノ依に仕事取られっぱなしじゃあよ」
薬を付けた鴆の手が優しく背を撫でる。
冷たい塗り薬の感触に、狐ノ依は息をのんで体を固くした。
「お、平気か?痛かったか?」
「い、いえ…びっくりしただけです」
あれだけの攻撃を受けて、ここまで自力で回復した力は相当なものだ。背の傷に触れながら、鴆は妖狐の秘めたる力に感心していた。
リクオの生命力にも驚いたものだが、この狐ノ依も相当なものだ。
「さすがは妖狐…ってか」
「鴆様?」
「こんな弱そうな体で…」
「鴆様に言われたくないです」
「いや、実際そうだろ。こんな細い体でよく生きてた」
弱い妖怪と言われる鴆だが、その体つきは立派な成人男性のもので。むしろ狐ノ依はまだ少年の、細くて小さい体。
そんなもの、妖怪の強さとなんの関係がないことはわかっていても、やはり腕の中で守ってあげたい存在に映る。
「狐ノ依…」
「鴆様?」
「…悪い、血迷った」
「はい?」
思わず後ろから抱きしめそうになって出た手を引っ込める。誰もが惹かれる狐ノ依はリクオのものだ。
それを少しでも惜しいと感じてしまう鴆もまた、狐ノ依に魅せられた一人だった。
「見ているだけってのは…待ってるだけってのは辛いだろ」
「…はい」
「オレもだ。弱い妖怪だって、リクオはいつもオレを置いてこうとしやがる」
「リクオ様は、自分でなんとかしようとしたがりますからね」
いいぞ、と背中を叩かれ、狐ノ依はいそいそと着物を着直した。自分の白い肌が嫌で、すぐに袖に腕を通す。青白い肌は、確かに鴆より不健康そうだ。
その狐ノ依の目に、今度は鴆の手に少し傷があるのが映る。薄ら血が滲むそこへ、狐ノ依は無意識のうちに口を近づけていた。
「っ!?狐ノ依、な…何してんだ!?」
「ぁ、ごめんなさい!」
さっきリクオの血を中途半端に舐めたせいで、喉が勝手に求めていたらしい。
「…リクオはいつも今の感触味わってんのか」
「感触って…」
「柔らかい唇だな」
「や、やめて下さい…」
リクオの前以外でも赤くなる狐ノ依が見れるとは思っていなくて、鴆はつられて少し頬を赤くしていた。
・・・
「おし、そろそろ行くか」
庭の方を見て鴆が立ち上がった。激しい牛鬼の妖気がなくなって、急に静まり返る辺りの空気が少し不気味で。
狐ノ依は鴆に寄り添うようにしてリクオの元へ向かった。
屋敷から少し離れたところ。木に囲まれて、リクオは一人倒れていた。
「リクオ様!」
「狐ノ依、オレが診る」
狐ノ依より前に出て、リクオの手をとる。命に別状はない、どころか見た目ほど深い傷もない。
「ん…、あれ、鴆くん…?」
「リクオ、じっとしてろ」
鴆はリクオの腕に薬を塗りながら、その丈夫さに改めて驚かされていた。
妖怪とはいえ、傷を負えばそれなりに休養を取らなければならないだろうに。
「ごめん、ボクが弱いせいで…皆に迷惑かけて」
「てめー何言ってんだ!大将なんだから、堂々としてればいいんだよ!」
「鴆くん…」
狐ノ依は落ち込むリクオにあえて何も言わなかった。鴆の言葉は素直で率直で真っ直ぐで、とにかく本当の言葉だとわからせる強さがある。
狐ノ依の言葉よりも、もっと説得力があって。それに、何より二人の絆の深さを知っていた。
リクオと初めて盃を交わしたのは鴆だ。義兄弟という繋がりもある。
「業ってなんのことなんだろう…?」
「…うちの一族は代々てめーの親父についててよ、よく武勇伝を聞かされた」
代々ずっと。狐ノ依の知らないときの奴良組を知っている。
いつも、リクオと共にいる鴆を見ると羨ましくなった。狐ノ依は新参者で、知らないことも多くて、妖狐という存在だから優遇されているだけなのだ、と。
「毒の翼を広げたってな。リクオ…狐ノ依も、見てくれ」
急に話を振られて狐ノ依はびくっと肩を揺らした。顔を上げて横に立っている鴆を見る。
その鴆の姿に息をも止めて見惚れてしまった。
見たことなどない、美しい翼が鴆の背から伸びているのだ。
「さわんなよ、キレイだろーが、毒バネだ」
「すごい…とても、本当に…」
「だろ?なぁ、リクオ。オレも翼を広げてぇんだ」
鴆の目がじっとリクオを見つめて、狐ノ依もリクオを見つめた。一緒に戦いたい。二人の意思は同じで、それはリクオにも伝わったようだ。
「ありがとう、鴆くん」
「…リクオ様、自分も、その思いなら負けていません!」
「うん、ありがとう。狐ノ依も…」
その頃。リクオのいない奴良組は他の封印の場所に向かって動き出していた。第八の封印に続き、七、六と封印をしていく。
しかし、リクオがいないために、遠野の妖怪たちは別行動、奴良組の中でも単独行動する者も出て、奴良組としては上手く機能出来ていなかった。
飯を片手に胡坐をかくリクオは、ずっと険しい表情で何かを考えている。
狐ノ依は修業によって腫れたリクオの顔に触れたいのを必死に我慢していた。
治そうと伸ばした手を拒否されたのは、ついさっきのこと。
痛みが無くなると学んだことを忘れてしまいそうだから…とリクオは言うが、それでも治してあげたいと思ってしまう。
今、狐ノ依に出来ることはそれしかないから。
「土蜘蛛に届く刃…オレのどこにある?」
この台詞は何度目か。そればかりのリクオに狐ノ依と鴆は目を合わせた。
「リクオ様…しっかり休む時間もとって下さい」
「そうだぞ、今は休め」
日が昇れば修業再開なのだ。
それでも、二人の言葉を聞かずに真剣な顔をしているリクオ。その手に、狐ノ依の手が重なった。
「狐ノ依?」
「せめて…手だけは握らせて下さい…」
以前言ってくれた、狐ノ依の手に癒されるという話。手を握るだけでリクオが癒されるなら、それを活かしたい。
とはいえ、積極的なことをしてしまったことに、狐ノ依は顔を赤くして縮こまった。嫌がられたらどうしよう。迷惑だったかもしれない。
そんな狐ノ依を見て、ようやくリクオは肩の力を抜いた。
「わぁったよ…狐ノ依には敵わねぇな」
「…迷惑じゃないですか?」
「…狐ノ依にされて迷惑なことなんてねぇよ」
「そんな…」
重なっていた狐ノ依の手を絡めて、リクオは優しく微笑んだ。
「…お前らよぉ、少し周りの目ってヤツ気にしろよ…」
「悔しいのか?」
「…あー、悔しいよ悪かったな」
和やかな雰囲気になり、狐ノ依もほっとして絡み合っている手に視線を落とした。暖かくて、大きな手。この人の横に立って戦えるなら、それだけでいい。
一人で意気込んだ狐ノ依の目に、ふわっと入り込む羽が映った。鳥…違う、天狗の羽だ。そう思った瞬間、狐ノ依たちは天狗に囲まれていた。
「…!?おいおい、修業再開には早すぎんじゃないか!?」
「いや、違う…鴆、狐ノ依、こっちだ!」
本気で刀を振り下ろしてくる天狗の攻撃を掻い潜りながら、リクオは応戦した。
これは修業ではない、本当に襲われている。それを感じ取り、狐ノ依も集中して敵を見つめた。
「オレがこいつらのスキを作る。そのスキにお前らはここから逃げろ!」
狐ノ依と鴆を庇うように前に立つリクオ。その背中を後ろから見ているだけは嫌だった。昔は背中を預けてくれたのに、敵が強くなるにつれてリクオは一人で戦おうとし出して。気持ちが近くなった分、今はその遠さが悔しい。
「嫌です」
「っ何言ってんだ、狐ノ依…!」
「あぁ、ざけんなよリクオ。足手まといみたいに扱いやがって」
「はぁ!?してねーよ」
狐ノ依はリクオの横に出て、そこにいた天狗に爪を立てた。
狐ノ依の体が青白い炎で光り出す。幻惑の炎、元々補助的な能力の多い狐ノ依は使われてなんぼなのだ。
「リクオ様、自分はリクオ様と共に戦いたいのです…!」
「…狐ノ依」
一人でも戦えている狐ノ依のその美しさはさすが妖狐といったもので、リクオは刀を強く握った。
リクオに足りないのは、仲間を頼る心。人間である弱さを隠そうとしてしまうところだ。そしてまだ迷っている。
「リクオ…オレは役に立ちてぇんだよ」
「鴆…」
「狐ノ依もそうだ。なぁ、盃交わした百鬼夜行だろ」
鴆と狐ノ依の目がリクオを力強く見つめている。そう、思いは同じだ。
「…わかったよ、うるせぇ下僕だぜ」
リクオと鴆の目が混ざり合って、二人の体が重なった。リクオの刀が姿を変え、リクオの背から鴆の妖気が溢れ出す。
その膨れ上がった畏と見た目の美しさに狐ノ依が見惚れているうちに、そこにいた全ての天狗が倒されていた。
「リクオ様…今のは…?」
茫然と、今起こったことについていけずにいる狐ノ依がゆっくり屋敷から出てくる。雰囲気が変わったリクオと、そして畏を感じて駆けつけた牛鬼が対峙していた。
「牛鬼…今のが業か」
「…リクオ、今ならわかるな?お前は仲間を信じ、信じられることで強くなる」
守るものでも、守られるものでもない。それが百鬼の主の業へと繋がる。
「最初の盃の相手は鴆だ。きっとお前達なら掴むと思っていた」
牛鬼の言葉を聞いていた狐ノ依はそこに膝をついた。確かに盃を最初に交わしたのは鴆で、それは狐ノ依も見ていた。そして、狐ノ依は盃を交わす関係にはない。
「そんなぁ…ボクの方が、絶対思いは強いのに…」
鴆に先を越されたことが純粋に悔しい。頬膨らませて悔しそうにしている狐ノ依を見て、その場の空気が柔らかくなる。
リクオも牛鬼も鴆も、狐ノ依の様子に呆れたように、愛らしいものを見るように目を細めていた。
「リクオ、今のお前なら狐ノ依も纏えるだろう」
牛鬼は刀を抜いて、リクオを見据えた。
「最後の仕上げだ。業で私の畏を断ち切ってみろ」
「あぁ…狐ノ依、来い!」
「っ!はい!」
・・・
狐ノ依はリクオの体に抱き着いていた。牛鬼の畏を真正面から断ち切ったリクオの体の負担は軽いものではなく。
牛鬼が10分の休憩、その間狐ノ依がくっついているのが良いと言ってくれたのだ。
「ったく…休んでる時間なんて無いってのに」
「駄目…ですよ。強くなったからって、相手はあの土蜘蛛なのですから…」
今、土蜘蛛のところにつららが捕まっている。リクオの言うことも尤も。確かに少しでも早くつららを助けに行かなければいけないというのも本当なのだ。
しかし、それで焦っては本末転倒。準備はしっかりして行かなければ。
「…そんなこと言って、体固いぜ、狐ノ依」
「や、それは、その…」
「狐ノ依も、体休めねぇと意味ないんだからな」
「う…申し訳ございません…こんなことで、緊張してしまって…」
リクオの胡坐の上に乗せられて、密着するように首に手を回して。リクオがしゃべる度に耳に息がかかる。低い声が掠めてぞくぞくと体が震えてしまう。
「狐ノ依…」
「やッ…耳元で…」
「変な声出すんじゃねぇよ…」
「誰のせいですかぁ…」
ぎゅっと抱き着いて着物と着物が擦れる音がする。これから戦いに行くというのに、変な気分になりそうで。それはリクオも同じだったらしい。
「狐ノ依、もう大丈夫だ」
「そう、ですか…?」
「あぁ。土蜘蛛は相剋寺にいる…。すぐに向かおう」
「…はい!」
立ち上がって周りを見据える。さっきまでの表情はぱっとなくなって、凛々しい面持ちがそこにあった。
リクオの空気が変わったのを感じとって、先ほど襲いかかってきた天狗たちが集まる。
元々鞍馬天狗たちは敵ではない。羽衣狐には恨みもある。しかし、約束の時間のうちに強くなれなかったリクオには任せられないと判断し、祢々切丸を回収しようとしたのだ。
しかしリクオは業を習得した。リクオは約束通り、三日間で強くなったのだ。
「ずいぶん時間がかかっちまった…。行くぜ!土蜘蛛退治だ!」
ついて来い。そう言うリクオは増々かっこよくなっていて、狐ノ依は見惚れながら強く頷いた。
相剋寺。どっしりと胡坐をかきながら酒を飲む土蜘蛛の背後、つららは捕えられていた。土蜘蛛の強さはもう痛いほどわかっている。
自分がエサとされたのだと知ったつららは、リクオが来ないように、なんとか一人で逃げることを考えていた。
「やめとけ、お前じゃ何も出来ねぇよ」
しかし、土蜘蛛の声は、つららに行動することさえ許さない。圧倒的な力の差は、声一つでつららを畏れさせた。
「…ようやく来やがったかい」
土蜘蛛がのそっと体を動かす。扉は開けられるどころか正面から破壊され、そこにリクオが仲間をつれて立っていた。
「な…なんで来たんですかっ!」
自分を責めて涙を流すつらら。その体を後ろから支えるように、リクオの腕が回った。
「お前を助けるために来た、つらら」
土蜘蛛と対峙するようにそこにいたはずのリクオが一瞬のうちにつららの背後に移動した。そこにいたという認識がそらされる。
「ぬらりくらりと邪魔くせぇ…あとかたもなく…つぶしてやるぜ」
「土蜘蛛、今度こそてめーを叩っきる!」
一対一で見据えたリクオと土蜘蛛。しかしそれでも尚、つららはリクオを守りたくて、一歩前に出ていた。
「お下がりください!」
「おい、つらら」
「お願いします…目の前にリクオ様がいて、守れないのはもうっ…私も戦います!」
つららの思いは、リクオの戦う姿を見守っていた狐ノ依にも聞こえていた。
狐ノ依と似て、リクオへの思いは相当強い。ただ少し違うのが、守りたいと思う故に自分の命を捨ててしまえるというその覚悟。
「あ…」
思わず前のめりになった狐ノ依の体を、鴆が抑えた。
「今はあいつらに任せようぜ」
「…でも」
「もどかしいだろうがな」
鴆はもう一度その目に映したかった。リクオと自分や狐ノ依がやって見せた、その畏。纏われたようなあの感覚を。
「百鬼夜行の主は、お前たちの思いを背負って強くなっていく」
「わ…私はどうしたら…?」
「お前の、その心も体も、オレに全部あずけろ!」
つららの体がぼうっと赤くなる。それを聞いていた狐ノ依の顔も同じように赤くなっていた。なんだ今の文句は。
「ぜ、鴆様、今の絶対おかしいですよ…!」
「いいから、見ろ狐ノ依」
鴆の袖を掴んで赤い顔で泣きそうになっている狐ノ依を制して、鴆はリクオを指さした。
刀には氷のようなものが纏わり、リクオの背からも氷の塊が出て来ている。
御業とは、二代目の使った人と妖の血が成せる業。共に信じ合う者だけを背負い、その畏をおのれの体に纏わせる奥義。折り重なる畏は何倍もの力となる…百鬼の主の御業、『鬼纏(まとい)』。
鴆がこの修業の間に牛鬼から聞いたことだった。
「ほう…おもしれぇ業だな」
「土蜘蛛、これがてめぇに届く刃だ」
土蜘蛛に届いたその刃は、その腕を切り落としていた。
纏いが解かれて、リクオの隣に降り立ったつららは不思議そうにリクオを見つめている。それから自分がリクオの役に立てたのだということがわかって、嬉しそうに笑った。
それを見ていた狐ノ依の頬がぷくっと膨れる。
「なんか…」
「狐ノ依、まだ油断すんじゃねーぞ?」
「ボク、おかしい」
「狐ノ依?」
別に嫌なことをされたとかじゃないのに、何故だか怒りや悲しみのような感情がとめどなく溢れる。
しかし、そんな余計なことを考えている余裕などない。戦える相手を見つけた土蜘蛛は初めて楽しそうに飛び跳ね始めた。
「もう一回出してくれよ今の…。ホレホレ、オレは的だぁ」
敵も味方も関係なく周りのものを破壊する土蜘蛛の大きな手。急に変わった土蜘蛛の様子に皆が茫然としているうちに、リクオの周りに糸が張られ、土蜘蛛とリクオだけの空間が作られてしまった。
「リクオ様!」
誰よりも自分がそこに行きたい。リクオのために戦うのは自分がいい。初めて感じるリクオへの独占欲に、狐ノ依の気持ちは高ぶっていた。
何重にも張られた妖気の混ざった土蜘蛛の糸に触れる。
「リクオ様…ボクを使って…」
中で起こっていることは全然見えない。恐ろしいほどの妖気に、地面の割れる激しい音がびりびりと体に伝わってくるだけ。
「ボクだけじゃ駄目なの知ってます…でも、ボクだけがいい」
糸の中へと手を伸ばす。張り詰められた糸は、狐ノ依の手に触れると墨になって天へと消えていく。
すっと向こう側へ通った狐ノ依の手が暖かい手に包まれた。しっかりと手が絡み合う。その瞬間、狐ノ依は糸の中へ、リクオの背に移動していた。
「…何?どういうことだ」
「言っただろ、土蜘蛛。オレを壊さねぇと、百鬼夜行は壊せねぇ!」
味方と別々にして、リクオと一対一で戦おうとしていた土蜘蛛は、狐ノ依の登場に驚きの声を上げていた。
リクオの手が狐ノ依の腰に回る。引き寄せられた体が熱くなって、狐ノ依も応えるようにリクオの首に抱き着いた。
「リクオ様…自分は…」
叶うことは難しいけれど、それでもリクオに思われたい。自分だけが思われて、そしてもう一度使って欲しい。
「待て、土蜘蛛はオレたちが倒す」
しかしリクオが狐ノ依を纏う前に、頭上から声が聞こえて、皆が視線をそこに移動させた。蜘蛛の糸で出来た壁を越える高さから、イタクたち遠野の妖怪たちが見下ろしている。
たっと降り立ったイタクはリクオを鋭い目で見つめた。土蜘蛛には遠野の妖怪も恨みがある。先の戦いでやられた者のため、復讐という形で。
「バラバラに戦ったって、土蜘蛛は倒せねぇぜ」
「何?」
リクオがイタクを真剣な目で見つめ返した。
振り下ろされた土蜘蛛の腕を、イタクは一人で切り裂く。それを見て、リクオはにっと笑った。
「やっぱ強ぇな…。イタク、お前が欲しい」
「…あ?」
「てめぇの畏、俺に鬼纏わせちゃくれねぇか」
びくっと狐ノ依の体が震えて、リクオから離れた。
「オレの刃になれ、イタク。オレがそう望んでる」
最初は渋ったイタクも、リクオの強い意志を感じ取って、それに応えた。
強い者を纏えばその分、力は当然大きくなる。元から強い力を持ったイタクを纏ったリクオは強かった。
一太刀で土蜘蛛の体が切り裂かれる。土蜘蛛は地に膝をついて動かなくなった。
・・・
「リクオ!オレもまとえよ!」
「いや、淡島の畏は見たことねーから、想像できねぇのにやれねぇな」
「あ、そっか…」
土蜘蛛が倒れたおかげで、リクオたちの周りを覆った糸が消えてなくなる。リクオの新しい業を見て、淡島は楽しそうにしているし、纏われたイタクもリクオを信用して傍に座った。
ズキズキと胸が痛む。なんとなく、狐ノ依は居心地の悪さを感じて、リクオから距離をとっていた。
「狐ノ依、さっきから変だぜ」
「鴆様…」
「お前、わかりやすいなぁ」
くしゃくしゃと頭を撫でられて、狐ノ依は首を横に振った。
「ボク、最低なことを望んでしまいました」
「そんなことねぇと思うぞ」
「…まだ、何も言ってないです」
「言ったろ、わかりやすいって」
今にも泣きだしそうな顔。向こうではつららも、リクオが纏ったのが自分だけじゃなかったということに膨れている。
つららと狐ノ依の心情は若干似ている。その表現の仕方はだいぶ異なるが、それでも二人はどちらもリクオの一番になりたかったわけで。
「狐ノ依、鬼纏われたのが自分だけじゃなくて不服か?」
「…何を言っているんですか。リクオ様は百鬼の主なのですよ…?」
自分だけが、なんてことは有り得ない。それがわかっているからこそ、どうしようもなくて辛くなる。必死にそれを見せまいとする狐ノ依の姿は鴆にも痛々しく映っていた。
「んな顔したって仕方ねぇだろ」
「ボク、今どんな顔してますか…?」
「抱きしめたくなる顔だな」
「…え?」
ぎゅっと、リクオからは見えないような角度で、鴆が狐ノ依を腕の中に引き寄せる。その暖かさに、つい縋りたくなって。狐ノ依は鴆に暫く体を預けて目を閉じていた。
「リクオ様!」
「おー、てめぇら。遅かったじゃねぇか」
暫くして、リクオの元に首無や毛倡妓など、離れていた奴良組の者たちが集まった。それに気付いた鴆はすっと狐ノ依から体を離す。
「オレの力が足りなかったばかりに、お前達には苦労をかけたな」
リクオが声をかける、それだけで奴良組の心は一つにまとまっていく。土蜘蛛を倒したという事実もあって、そのリクオの強い言葉に皆が穏やかな表情を見せた。
「…狐ノ依?なんだ、どうかしたか?」
いつもリクオの言葉一つ一つを聞き逃すことなく反応する狐ノ依がぼんやりと遠くを見て動かない。それを不思議に思い声をかけたのは、その体をさっきまで抱きしめていた鴆だった。
「…鴆様は、以前にもボクを」
「ん?」
「ボクは…」
狐ノ依が言いかけたとき、土蜘蛛の体が大きく動いた。ガラガラと瓦礫が舞い上がり、そして落ちてくる。
そのせいで狐ノ依は言葉を飲み込んだ。
「膝をつかされたのは…鵺(ぬえ)とやり合って以来千年ぶりだぁ」
退屈そうに頭をかきながら土蜘蛛が呟く。まだ死んでいなかったのかと構えたリクオ達も、その声に構えを解いて土蜘蛛を見上げた。もう戦うつもりは無さそうだ。
土蜘蛛から出た鵺という名前。見たことはなくとも聞いたことはある、有名な妖怪の名だった。
「鵺…その妖が、京の奴らの言う宿願ってやつか」
「そうだ…ヤツは人としてはこう呼ばれた…安倍晴明」
安倍晴明、それこそ有名な陰陽師の名前。それを聞いたのはリクオたちだけではない、丁度駆けつけたゆらの耳にも入っていた。
陰陽師、人の味方であるはずの存在が何故。
そのとき、新たな命がどくんと動いた。
・・・
「おお…よしよし。わらわのやや子…」
ゆらゆらと、数本の尾を血の海の中に揺らす。黒くて長い艶やかな髪に、若く美しい人間の肌。羽衣狐は自分のお腹を優しい手つきで撫でまわした。
「今このおじじを殺すでな。その後…食事にしような」
羽衣狐の目は、陰から様子を窺っているぬらりひょんに向いていた。出産を間近にひかえた羽衣狐の腹からは異様な空気が漏れている。産ませてはいけない、ぬらりひょんの直感がそう感じ取った。
「なぁ、その晴明ってのは、まだ産まれねぇんですか?」
ぬらりひょんと羽衣狐の間の空気を気にすることなく、さっと間に一匹の妖怪が割り込む。その妖怪の姿に、ぬらりひょんは目を大きく見開いた。
「妖狐、静かに待てないのかえ」
「主様がそいつに付きっ切りで面白くねぇんですよ」
「敵を前にして何を言うておる」
「…敵」
きっと鋭い瞳がぬらりひょんを捕らえた。全体的に色素の薄い体に、青の髪。その雰囲気は##NANE1##とよく似ている。しかしその顔つきは鋭く、吊り上った目をしていて、髪の長さも腰につくほど長い。
「ぬらりひょん?の孫?だったか、俺の兄弟がいるのは」
「兄弟…!?」
「は、なぁに驚いてんだ」
その美しい姿をした妖怪はぬらりひょんの方にゆっくりと歩いて近付いた。両手を上げて敵意はないと表現しているが、ぬらりひょんは刀をきっと構えている。
兄弟、いや双子だと言われたら頷ける、それくらい狐ノ依によく似ていた。ただ、その表情は一度も狐ノ依の顔に映ったことがないもので。
「妖狐があんたんとこにいる一匹だとでも思ってたのか?」
妖狐は子を産んで死ぬ。そう思っている者が多いため、それと並んでこの世に一匹しか存在しないと思っている者が多い。
ぬらりひょんも、当然そうだと思っていた。しかし、今目の前には狐ノ依以外の妖狐が立っている。
「自分の子供を抱きたいと思うのは親として当たり前だよな…。産んで死ぬなんて阿呆だ」
妖狐の手が、ぬらりひょんの手を掴んだ。一瞬、油断したスキをついて妖狐が顔を近づける。畏、というよりは魅せられて、ぬらりひょんは動くことが出来なかった。
いやらしく笑う妖狐の目がじっと捕えて離さない。ぬらりひょんの顔に、妖狐の髪がかすった。
「なぁ…俺の弟は憎らしいくらい可愛いだろ」
「…何が言いたいのかわからんな」
「別にわかんなくてもいーよ。あんたはここで死ぬんだからな」
狐ノ依のその言葉を合図にしていたかのように、ぬらりひょんは背中から切り付けられていた。
羽衣狐の傍には強い妖怪が付いている。それは勿論妖狐だけではない。いつの間にか複数の妖怪に囲まれていたぬらりひょんは、さっと飛びのいた。
かつて羽衣狐を倒すに至ったぬらりひょんも、年老いた今ではそれほどの力はない。
「魑魅魍魎の主と呼ばれた男もあっけないものだな…老いとは怖い」
刀がぬらりひょんに突き刺さる。その刀をぬらりひょんは知っていた。魔王の小槌…恐らく鯉伴をやった刀と同じ、そのものだ。
「この刀…なんでてめぇが持ってんだい…?」
大きな目玉の妖怪、鏖地蔵…京妖怪、羽衣狐の側近であり参謀的な存在。その手に握られた刀に体を裂かれながらも、ぬらりひょんは自身の畏を放ち、姿を消した。
老いて衰えたとはいえ、まだまだ弱いわけではない。
「き。消えた…!?」
「おいおい、何逃がしてんすか」
刀についた血を指でなぞり、それを口に含みながら妖狐が言った。
400年前から羽衣狐に仕えている鏖地蔵に比べたら、妖狐は若い妖怪だ。しかし、誰も妖狐に文句を言うことはない。
その美しさと、計り知れないその能力故。
「鏖地蔵、あやつの始末はワシらがやる。お主は羽衣狐様の出産に備えろ」
鬼童丸が鏖地蔵に耳打ちする。それを妖狐も耳を立てて聞いていた。
羽衣狐の出産はまもなく、もう数刻もすれば始まるだろう。産まれてくるのは、千年前の京の闇を支配したといわれる男、安倍晴明。
「それより…早く可愛い弟に会いたいねぇ」
腕を組んで、妖狐は舌を口の端から出してチラつかせた。気配が近付いているのにはとっくに気付いている。
既にリクオ率いる百鬼は彼らのいる弐條城の門のところまで迫っていた。
「さぞ可愛く育ったんだろうな…恵まれた子よぉ」
「妖狐、何を呟いている」
「おぉ、鬼童丸さんよ。可愛い妖狐はヤんなよ。俺のだ」
「…行くぞ」
鬼童丸の後に続いて、京妖怪たちがリクオの率いる百鬼に備える。
妖狐が初めて妖狐と出会う時は近づいていた。